女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
スタッフ日記
2009年12月第4週
2009/12/27(Sun)

八王子市の男女共同参画都市宣言10周年記念事業のイベントで イム・スンレ監督『私たちの生涯最高の瞬間』鑑賞後に 大竹さん(東京国際女性映画祭ディレクター)と 遠藤さん(NPO法人全国女性シェルターネット事務局長)の 面白いトークショー、そしてシネジャの即席販売会をさせていただきました! お買い上げのお客様、有り難うございました。映画も感動しました* 日本でも劇場公開されたら良いのになあ…… (千)


トークショー               ポスター 

八王子市男女共同参画センター >>詳細

(千)

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21日(月)イスラーム革命前のイランで日本人幼稚園の先生をされていた山田順子さんが天国に召され、久我山教会でお別れの会。順子さんのことは、2008年11月第4週のスタッフ日記で映画『シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち』のことを書いた折に触れたことがあります。順子さんは、この映画の松居和監督をけしかけて、今年の秋にシャクティの踊り手たちをインドから招聘しての2度目の来日公演を実現させてしまいました。11月3日に杉並公会堂での最終公演に伺った時には、車椅子姿ながら、いつもの明るく元気な順子さんでした。最後の力を振り絞って、全力投球されていたのだなぁ~としみじみ。
思えば、順子さんからはたくさんの贈り物をいただきました。イスラーム革命の最中にイランに駐在していた日本人たちが情報交換の場として発足し、今も続いているIKK(イラン研究会、イランをこよなく愛する会、ここには書けない裏の通称色々)の幹事長を長く務めていた順子さん。映画『風の絨毯』のプロデューサー益田祐美子さんを、IKKの集まりに呼んでくださって、私と益田さんとの縁もできました。その後、『風の絨毯』がテヘランでの日本文化週間で上映される折に、榎木孝明さんと一緒にイランに旅をした時にも順子さんはご一緒でした。
お別れ会の最後に、ご主人様が順子さんとの馴れ初めを語られました。イランの沙漠の中で発電所建設の現場で事務方をしていて、悩みは60人を越える日本人の食事のこと。納豆やもやしをご自分で作るも、それも限界という時に、日本人学校の運動会に招待され、おでんや焼き鳥が出るというので、それにつられてバスを仕立てて皆でテヘランまで出かけたのだそうです。日本食の屋台で、日本人女性が下手なペルシャ語でイラン人に話しかけているのが聞えてきて、誰だ?と思って注目したのが順子さんだったそうです。「ですから、順子と私と結んだのは下手なペルシャ語です」と、強調されたので、皆大笑いでした。お嬢さんからも「お葬式には皆で笑って見送ってねと言われました」との挨拶がありました。順子さんらしいなぁ~と、涙、涙でした。


シャクティの踊り手たちと談笑する順子さん

22日(火)夜、乃木坂のペルシャ絨毯ギャラリーで、シャベ・ヤルダー(冬至の夜)の集まり。イランでは、冬至は太陽が誕生する日として、古来から祝う風習があります。最初に、ペルシャ絨毯の素晴らしさを語ったポルトガル映画『FLYING CARPET(空飛ぶ絨毯)』の上映。映画の中で、古代遺跡ペルセポリス近くにあるミーリー工房の近代的な染色工場が出てきて、数年前に順子さんの企画で『風の絨毯』を巡るイランの旅に行った時に訪れたのを懐かしく思い出しました。
映画の後は、木の実やカボチャのお菓子などをいただきながらおしゃべりしたり、ハーフェズの詩の朗読を聞いたり、なごやかな時を過ごしました。冬至といえば、かつて、順子さんが久我山で開いていたお店「チャイハネ」を会場にして、日本イラン文化交流協会の前身「ファルシー会」主催で冬至の夜の行事をしたことがありました。あの夜、詩を朗読してくださった亡きハギギ氏のことも懐かしく思い出しました。私の人生を豊かにしてくださった方々に感謝する夜になりました。 この一年、シネジャをご愛顧いただきました皆様にも感謝申しあげます。どうぞ良いお年をお迎えください。


冬至の夜のパーティーのお料理

(咲)

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2009年12月第3週
2009/12/20(Sun)

12月14日~16日
 東中野で開催されている中国インディペンデント映画祭2009に出かけた。 泣いても笑っても、これが2009年最終の映画祭。 去年の『高三』『塵より出づる』は、今でも忘れられない。 中国映画に関心のある方に、この映画を説明しても、私一人興奮するばかりで共感できないもどかしさはちょっと寂しい。 だから今年は、早めにほぼ全作品みて感想をお知らせしたい。 まだ日にちがあるので、是非ともポレポレ東中野まで足をのばしてほしい。(12月29日まで)

武松の一撃』陸一同(ルー・イートン)監督/2005/日本初上映
水滸伝の豪傑・武松に憧れる青年・門徳松は、念願かない武松の映画を監督することになった。 しかし、彼のイメージぴったりの徳松役がいない。 プロデューサーには急かされるし、女優の扱いにも悩む新米監督…。映画は完成するのだろうか。

虎退治で有名な武松のことは知らなかった。 俳優を捜す為、オーディションをするのだが、その様子が面白かった。 あまりの多さに、監督はうんざりして居眠りしてしまう。 イメージピッタリの武松役は意外に近くにいたのだった…。 この作品の面白さは、監督の頭の中のイメージ映像と現実が行きつ戻りつするところにあるようだ。

牛乳先生』楊瑾(ヤン・ジン)監督/2004/日本初上映
父を亡くした高校生のチンションは、叔父の村長から頼まれ小学校の先生に任命された。 村役場は財政難の為、給与は乳牛を一頭。乳を売り、現金収入にしてくれと言われる。

まだ高校生なのに先生など簡単になれてしまうのに驚くが、そういえば以前『あの子を探して』という中国映画では、もっと幼い女の子が先生の留守中、変わりに教えていたから、田舎では案外多いのかも知れない。
この若い先生、近隣の学校レベル順位を上げ、校長に感謝され、生徒にも慕われていた。 乳を売ったお金で学校の備品を買ったり、洪水から生徒を守ったりする先生なのだ。 のんびりとした農村だが、中国の抱える問題が顔を出すところもあり、なかなか奥深い作品だ。

オルグヤ、オルグヤ…』顧桃(グー・タオ)/2007/日本初上映
内モンゴル北部に暮らすエヴェンキ族は、政府から狩猟を禁止され、新しい土地に移住させられた。 しかし、彼らの一部は元住んでいたオルグヤの森に戻って昔ながらの暮らしを続けている。

新しい住宅は、私が思っていたより素晴らしい家だったが、森の生活が身についている彼らは、 昔からの自然の掟に従い、森の中の暮らしを選んだ。 数人がまとまりテント小屋に住み、トナカイの角を糧に、助け合って生きている様子がユーモアをまじえて映されている。

収穫』徐童(シュー・トン)監督/2008/日本初上映
ホンミャオは北京の床屋で働く風俗嬢。仲間や客に恵まれ毎日気楽に暮らしている しかし、故郷の家族の生活、父の治療費など大きく彼女の肩にのしかかるのだった。

風俗嬢と聞いたら、お金のために可愛そう・・・、と思ってしまうが、 ホンミャオのあっけらかんとした明るい顔つきに拍子抜けしてしまった。 家族のために体を売ることの後ろめたさは微塵もない。 生活力のあるたくましい彼女の顔は、時には神様のようにも見えた。

グッド・キャット』応亮(イン・リャン)監督/2008
四川省の不動産会社で社長の運転手をしている羅亮は欲のない男。 妻や妻の実家からの不満も気にせず、淡々と生きている。 しかし彼の周りの人たちは、経済成長の歪みに見舞われ、人間性を見失っていくのだった。

羅亮の周りはお金儲け、出世、野望を願う人ばかり。 条件が悪くても自分の仕事、生活に満足していて、野望を持たない羅亮が一番幸せじゃないかなと思った。

俺たち中国人』沈少民(シェン・シャオミン)監督/2007/日本初上映
ロシアと国境を接する黒竜江省のある村には、第一次大戦中、ロシアから逃れて来た末裔たちが暮らしいる。 ロシア人の顔で、中国の国歌も満足に歌えない彼らだが、自らのアイデンティティを中国に求めている。

どこから見ても、この村人の半数以上の方の体格、顔立ち、髪の色はロシアのそれである。 彼らは過去に、金髪や青い目をまるで悪魔のように嫌われ差別を受けてきたのだ。 最後、誰が言ってるか解らないよう画面を暗くして、政府や近隣の中国人への不満を吐き出していた。

小蛾(シャオオー)の行方』ポン・タオ監督/2007
病気で足が萎えて歩けなくなった少女シャオオーは、実父から千元である夫婦に売られる。 街角で物乞いさせる為に買われたのだ。 ある時、片腕のない物乞いの少年に逃げようと言われ、背負われて二人の逃避行が始まる。

この作品が一番ガツンと来た。 小蛾を買った夫婦はごくごく普通の人で、特に母親の方は小蛾を可愛がり親身に世話をしていた。 一日街角で(この子の足の手術代を・・・)と書いたのを前に座っていると結構お金が集まっていた。 もう一方では臓器売買人も出て来て、人情と人の恐さが入り混じった作品だった。

(美)

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19日(土)上智大学アジア文化研究所主催の「アルジェリア・ドキュメンタリー映画祭」へ。アルジェリアといえば、第12回 フランス映画祭横浜2004で、『ビバ!アルジェリア』が上映された折に、ナディール・モクネッシュ監督や女優のナディア・カシさん、ビュウナさんに色々お話を伺ったことを思い出します。(インタビュー:本誌62号) フランスからの独立戦争以来、なかなか落着くことのなかったアルジェリア。『ビバ!アルジェリア』の中でも、「生きるのが難しい国だ」という言葉が印象的でしたが、今回の映画祭で観た映画からも、ずっしりとそれは伝わってきました。1992年、亡命先のモロッコから27年ぶりに帰国し国家主席となったブーディヤーフは、腐敗した独裁政権を壊し、真に国民を思う政策を推し進めようとした矢先に暗殺されてしまいます。ブーディヤーフを権力の座に据えた軍部が、彼を操れないことを悟って暗殺したと噂されているとのこと。この日上映されたうち、唯一のフィクション『デモクラシア』は、それをイメージさせる作品。とある寒い国の軍事政権下で、権力抗争がうずまく中、独裁者が閣僚たちに銃を向けられるという物語。斬新な映像が素晴らしかったですが、内容はぞくっとさせられるものでした。暗殺されたブーディヤーフは、これまでの大統領が難解な標準アラビア語で演説したのとは違い、庶民にもわかるアルジェリア方言で演説し、国民も何かが変わると大いに期待していたのだそうです。(どこかで聞いた言葉だ!) この暗殺を検証した『ブーディヤーフ、暗殺された希望』は、時間切れで観ないで退席。次の予定、中東カフェと国際交流基金共催のトークセッション「ハリウッド映画における他者の表象―アラブ人・ムスリム・アジア人」(http://japan-middleeast.jp/)に走りました。こちらは、アラブ系米国人アーティスト・映画監督のジャッキー・リーム・サッロームさんと、村上由見子さん(『ハリウッド100年のアラブ―魔法のランプからテロリストまで』『イエロー・フェイス―ハリウッド映画に見るアジア人の肖像』の著者)の講演。
ジャッキーさんはシリア移民の父とパレスチナ移民の母との間にアメリカで生まれ育った女性。10歳位の頃、アラブ系であることを隠そうとしていたそうですが、それは、メディアが流すネガティブなステレオタイプなアラブ人のイメージのせいだったと言います。高校生の頃、母からアラブの文化や伝統の大切さを諭されてアラブ人であることを受け入れ、現在、ポップカルチャーと政治をミックスさせて、アラブのイメージを払拭させようと、アートや映像で数々の発信をされています。パレスチナ人ラップミュージシャンたちの姿を追った長編ドキュメンタリー『スリングショット・ヒップホップ』が、18日夜6時半から渋谷アップリンクで上映されたのですが、あと数人のところで満杯になってしまって、涙を飲みました。(9時半から追加上映をすると言われたのですが、待つ根性なく・・・) 講演の折に一部を拝見しましたが、実にユニークで楽しい映像でした。ジャッキーさんの後の村上由見子さんのお話も珍しい映画の一部を見せながらの興味深いものでした。メディアの発信する映像から植えつけられるイメージの怖さをあたらめて思いました。


トークセッションの折にジャッキーさんからいただいたカード。
「My Mother」ミニスカート姿のジャッキーさんのお母様。
後ろには、パレスチナ難民キャンプ。

充実の一日の締めくくりは、両親と丸の内のイルミネーション巡り。もう、今年もあとわずかで終わりですね。大晦日には、シネマジャーナルは初めて「コミケ」(コミックマーケット)に参加します。会場は、東京ビッグサイト、 シネジャの配置場所は、【東地区 ”N”ブロック 19a】です。日時:12月31日(木)10時~4時。歳末のお忙しい時期かと思いますが、ご来場いただければ嬉しいです。お待ちしています!

(咲)

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2009年12月第2週
2009/12/13(Sun)

9日(水)『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』の完成披露試写会に友人が誘ってくれました。会場は東京国際フォーラムAホール。東京国際フォーラムの敷地に入ったとたん、レスリー・チャンのサイン会で深夜に並んだことを思い出してしまいます。Aホールは、もちろん、コンサートの思い出でいっぱい♪  さて、『のだめ・・・』映画上映の前に行われた舞台挨拶、上野樹里、玉木宏、ウエンツ瑛士、ベッキー、山口紗弥加、山田優、なだぎ武、チャド・マレーン、福士誠治、吉瀬美智子、竹中直人、武内英樹監督の12名が、Aホール脇の入口から登壇。遠くの席の人にも観やすい観客席真ん中に設えたステージで、まずは顔見せ。俳優さんたちは、皆、映画の中の衣裳。客席を縫って舞台にあがって、司会のフジテレビ軽部アナウンサーが、次々に俳優さんたちから話を引き出していきます。舞台挨拶は、なんと1時間位続きました。(見習え、某国映画週間!) 「のだめ」は、原作もテレビも知りませんでしたが、映画はしっかり楽しめました。

終ってから、近くの国際ビル地下にトルコ料理「トプカプ」ができたというので行ってみました。表参道のお店の支店?と思ったら、やっぱりそうでした。もう何年も行ってないのに、オーナーの方が覚えてくださっていて嬉しい限り。銀座界隈にもトルコ料理は今や3店。ほんとに増えました。


   メゼ(前菜)                 イスケンデル・ケバブ


クスクスの揚げ団子

トルコ料理の写真提供:島田悠さん

さて、RED MISSION Japan(レスリー・チャン国際ファン連盟 日本支部)より、「Bunkamura20周年記念特別上映 あの感動をもういちど」の一般投票の結果、過去の上映作品の中で、『さらば、わが愛 覇王別姫』が圧倒的な支持を獲得して1位になったと連絡をいただきました。(私も1票!) 12月19日(土)~12月25日(金)の期間中に4回上映されるそうです。Bunkamura20周年記念特別上映では、その他にも魅力的な作品がいっぱい。是非、HPでチェックを!
http://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/shosai_sp_20th.html

(咲)

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2009年12月第1週
2009/12/6 (Sun)

先月“ヨコハマ国際映像祭2009”へ遊びに行きました。
横浜市が主催のメディア・アート、アニメーション、映画、写真などの様々な表現が集合した大きなイベント。そのため1日では見終わらず日をあらためて2回も行ってしまいました(笑)東京藝大の馬車道校舎で上映されたドキュメンタリー映画『庭にお願い』が面白かったです。また観たい!

ヨコハマ国際映像祭2009 詳細 >> http://www.ifamy.jp/

(千)

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30日(月)「韓国映画ショーケース2009」の最終日。せっかく有楽町まで出かけるので、ホラーは苦手と思いながら、『ヨガ教室』をまず拝見。妖しげな邸宅でのヨガ集中合宿。だんだんホラーっぽくなってくると、私はもう笑うしかなくて・・・(すみません!) 何が一番怖いって、どんなことをしてでも美しくなりたいという女心でしょうか。続いて見た、『素晴らしい一日』は、チョン・ドヨン演じる主人公が、お金を貸した元彼のところに、今日中に返して欲しいと迫り、金策に走る元彼について回るという物語。元カノを連れて金の無心をしにくる彼に、女性たちは、ほろっとお金を貸してしまいます。そんな憎めない調子のいい男を演じていたのは、ハ・ジョンウ。どこで見た人だったか・・・と、その場では思い出せなかったのですが、『絶対の愛』『ブレス』「プラハの恋人」で見ていました。もう記憶力悪くって・・・
さて、クロージングの『素晴らしい一日』上映前には、「韓国映画ショーケース2009」の企画運営に当たった東京フィルメックスのディレクター市山尚三さんと、韓国映画振興委員会(KOFIC)の方が登壇。今年で3回目となった韓国映画ショーケース、「皆さんのご意見を反映させて進化したい」と締め括られました。10本のうち、7本拝見しましたが、どれも地に足のついたしっかりした作品ながら、笑わせてもくれるものでした。
映画を見終えて、有楽町スバル座すぐ近くにあるザ・ペニンシュラ東京に寄ったら、シネジャの韓国好きスタッフKさんにばったり! 実はさっき会場で彼女のことを思い出していたのですが、Kさんは映画を見ていたのでなく、近くでコンサートがあったとのこと。せっかく会えたのでと、日比谷中通りのイルミネーションを一緒に楽しんで帰りました。お互いに、ばったり会ったのが男性だったらねぇと言いつつ、嬉しいハプニングでした。 Kさんと会うのは、『母なる証明』の舞台挨拶取材以来。 銀行の看板に「ウォン」という文字を見つけて、思わずウォンビン!というほど、ビンくんにお熱だとか。78号には、その熱い思いを書き綴ってくれるそうで、楽しみです。


丸ビル35階のシックなクリスマスツリー ここは夜景も綺麗!
(携帯で撮った写真で、ボケボケです。雰囲気をお伝えできればと!)

(咲)

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2009年11月第5週
2009/11/29 (Sun)

東京フィルメックスに連日通った1週間でした。映画だけでなく、様々なセミナーやトークも行われて、今年も充実の東京フィルメックスでした。イラン映画が2本上映されるのに、どちらも監督が来日出来ないのを残念に思っていたら、初日、開会式の会場でアメリカ在住のアミール・ナデリ監督の姿を遠くに見かけました。翌日、ちょうど近くにいらしたので、思わず駆け寄って挨拶をしたら、隣で西島秀俊さんが微笑んでいらっしゃいました! 連日、食い入るように映画をご覧になっていたアミール・ナデリ監督、ほんとに映画がお好きなのですね。せっかく来日されているので、何かあるといいなと思っていたら、28日に緊急トークイベントが開かれて、監督のマシンガントークも楽しむことが出来ました。


なごやかな雰囲気で行われたアミール・ナデリ監督トークイベント  大いに語るアミール・ナデリ監督           
今、この日記を書いているのは、29日の朝。お昼には受賞作品発表の記者会見です。という次第で、もう出かけますので、東京フィルメックスの詳細はまたゆっくり報告します!  


追伸:
第10回東京フィルメックスの受賞結果をお届けします。
私の予想・希望とはちょっと違いましたが、イランの作品が受賞できたのは、なによりでした!

最優秀作品賞『息もできない』(監督:ヤン・イクチュン、韓国)
審査員特別賞『ペルシャ猫を誰も知らない』(監督:バフマン・ゴバディ、イラン)
観客賞『息もできない』
詳細→ http://www.filmex.net/2009/compe.htm

ダブル受賞した『息もできない』、ほんとに息もできない画面連続の映画でしたが、ラストでほっと息がつけました。ヤン・イクチュン監督は、授賞式を待たずに帰国してしまい、ビデオメッセージを寄せられました。“変態ダンス”で喜びを披露! お茶目な監督でした。


(左)最優秀作品賞と観客賞をダブル受賞した喜びをビデオメッセージで寄せた『息もできない』のヤン・イクチュン監督
(右)『息もできない』11/23上映後のティーチインの折のヤン・イクチュン監督(左)と俳優イ・ファンさん

審査員特別賞『ペルシャ猫を誰も知らない』バフマン・ゴバディ監督に代わって
通訳・翻訳で活躍するショーレ・ゴルパリアンさんが賞状を受け取りました

(咲)

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11月の連休を利用して、大阪ヨーロッパ映画祭にまいりました。

この映画祭は、毎年東京・フィルメックス映画祭と重なり、どちらをチョイスするか悩みの種になるのですが、今年は前半は大阪、後半はフィルメックスとちょっぴり欲張りました。

上映作品の紹介や感想は特別記事 第16回大阪ヨーロッパ映画祭 レポート をご覧下さい。


来日ゲストたち(左からヤノシュ・クルカ、ヤン・デクレール、ベントゥーラ監督、コスミン・セレシ、
ローナ・ブラウン、ヴェールレ・バーテンス、 脚本家パナヨティス・エヴァンゲリデス、 オリヴァー・ポーラス監督)

映画も堪能、そして味覚も!
大阪在住のシネマ・ジャーナルスタッフ(香)さんと、大阪コリアタウンの鶴橋へ行き、海鮮鍋、キムチ、チヂミ、春雨をいただきました。
「わぁ~、おいしい!辛くないね。わっ!やっぱり後から辛くなるね。
ところでさっきの映画、思いがけない終わり方だったね。
あ~おいしい、もう一品追加しない?
明日の朝一番の映画、すごく期待してるんだけどね。あんまり期待してるとがっくりかもね。
チヂミおいしい!チヂミって自分でやると、こうはいかないよね」
(これみんな、私一人でしゃべったはず・・・)
などと、お口が大忙しでした。


鶴橋で堪能した韓国料理の品々

(美)(写真:香)

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2009年11月第4週
2009/11/22 (Sun)

19日(木)『戦場でワルツを』のアリ・フォルマン監督来日記者会見(→特別記事)に行く前に、皇居東御苑で開かれている天皇陛下御即位20年記念特別展へ。あまりに広い東御苑で、雨も降っていたし、時間も足りなくて、装束類の展示などだけ観てきましたが、ほかにも旛類,御料車・儀装馬車,雅楽器などの特別展示もあるので、23日までの期間中にまた行ってみたいと思いました。


皇居東御苑天皇陛下御即位20年記念特別展

20日(金)「韓流シネマフェスティバル2009―約束Yak Sok―」(→作品紹介)のオープニングに合わせ、『霜花店(サンファジョム)-運命、その愛』主演のチュ・ジンモが来日。シネマート新宿での舞台挨拶の取材に行って来ました。『MUSA -武士-』以来気になっていたチュ・ジンモ。真面目な人柄の溢れる舞台挨拶でした。(報告記事は後日!)

『霜花店(サンファジョム)-運命、その愛』主演チュ・ジンモ
舞台挨拶には、一緒にレスリーを追いかけた友達も、運よくチケットをゲットして来ていました。始まるまで、しばし立ち話。終ってすぐ、『沈まぬ太陽』を観に新宿バルト9へ。ここでまた、レスリー友達とばったり。「さっき、○ちゃんに会ったのよ~」と、なんだかレスリーを思い出す懐かしいひと時となりました。
沈まぬ太陽』、見ごたえのある作品でした。何よりイランでロケした部分が気になっていたのですが、結構時間をかけてロケしたと聞いていたのですが、編集してしまうと、え?これだけ・・・という思いも。イスラーム革命前の時代設定なので、王政時代の国旗や、皇族と思われる写真などで雰囲気を出していました。でも、鈴木京香さんを含め、出てくる女性全員が髪の毛を覆っているのは、あの時代にはなかったこと。当時も、もちろんチャドル姿の女性は数多く見かけましたが・・・。今の体制下で撮影する以上、女性がスカーフをしなくてはならないのは仕方ないですね。そんな事情はともあれ、主演の渡辺謙さんが、テレビのインタビューで、「イランのクルーは、こちらの指示したことにきっちり対応してくれて素晴らしかったですね」と語っていたのが、嬉しかったです。

21日(土)第10回を迎え、ますます盛りだくさんの東京フィルメックスが始まりました。いろいろな選択肢があったのですが、東京フィルメックス実行委員会が企画運営にあたっている「韓国映画ショーケース2009」の【日韓映画市場の拡大方案のためのセミナー】に参加。1999年『シュリ』の公開以来、ぐっと増えた日本での韓国映画公開、韓流ブーム、そして・・・と、この10年を振り返り今後に繋げるセミナーでした。 さて、この1週間は、映画やセミナーと連日有楽町に通うことになりそうです。素敵な映画に出会えますように!


(左)『グッドモーニング・プレジデント』チャン・ジン監督
(右)乾杯の音頭は、第10回東京フィルメックス審査員長の崔洋一監督

(咲)

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2009年11月第3週
2009/11/15 (Sun)

先週末は、秋田の角館へ。 若い頃によく通ったユースホステルのペアレントの孫息子が結婚し、常連仲間でお祝いの会。私自身はあの頃と気持ちは変わらないのに、よちよち走り回っていたあの子が・・・と内心ちょっとショック! 美味しい日本酒をあびるように飲んだ翌日、紅葉もまだ見頃、せっかくなので車で遠出しようと、男鹿へ。秋田には何度も来ているのに、男鹿は30年ぶりでした。今年の4月に公開された大鶴義丹さんの監督作品『私のなかの8ミリ』(>> 作品紹介)に男鹿・入道岬の白黒ストライプの灯台が出てきて、大鶴義丹さんや主演の岡田理江さんにインタビュー(>> 特別記事) した折にも「懐かしい風景でした」とお話し、かつて訪ねた時のことを思い出していたのでした。

2004年7月に新装開業した「男鹿水族館GAO」にも寄ってみました。『釣りバカ日誌15』で、鈴木建設が施工したというシチュエーションで登場したことを、現地に行って知りました。思えば、前日宿泊した旧西木村の宿にも、ロケをした時の写真が飾られていました。帰ってから調べてみたら、「秋田市・男鹿市・角館町・田沢湖町・西木村を舞台にした人気シリーズ」とありました。見逃していました・・・ 見なくては!! 

     
(左)白黒ストライプが印象的な入道岬の灯台
(右)入道岬は北緯40度。北京、アンカラ、マドリードと同じだそうです。


(左)鈴木建設施工「男鹿水族館GAO」 公募した名前GAO OGAをひっくり返したのですね!
(右)男鹿水族館GAOには、綺麗な魚がいっぱい


(左)田沢湖にたたずむ辰子像
(右)辰子像そばの漢槎宮(浮木神社)


(左)ハマちゃんも釣りをした桧木内川
(右)まだまだ紅葉見頃の秋田内陸線鉄道でした

(咲)

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2009年11月第2週
2009/11/8 (Sun)

6日(金)久しぶりのイラン大使館主催映画上映会。今回の上映作品は、マジッド・マジディ監督の『太陽は、ぼくの瞳』。2000年に公開された時には、父親が自分の再婚に不利だからと、盲目の息子を大工見習いとして追っ払うという話が、どうにもやり切れなくて、あまり好きになれなかった作品でしたが、時を経て、もう一度観てみたら、がらっと印象が変わりました。なによりショマール(カスピ海沿岸のイラン北部地域)の緑豊かな風景が美しくて、初めて観た時に、どうしてこの美しい映像が記憶に残らなかったのだろうと思いました。盲目の息子やおばあさんの語る言葉も味わい深いです。川に流された息子を追って、自分も川に飛び込んだお父さんが、急流に飲まれそうになりながら流れていく姿には、撮影がさぞかし大変だっただろうなぁと。これぞ親の愛!と、感動すべき場面なのに、あ~なんと凄い撮影をしたものだと、お父さん役の方に同情してしまった次第。
さて、7日から9日まで、日本のショマール(北)、秋田の旅です! 冬支度して行ってきます。  

(咲)

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2009年11月第1週
2009/11/1 (Sun)

東京国際映画祭で頭がいっぱいだった25日、Kさんから、「もうすぐウォンビン来日ですね。カウントダウォンビン~!!」とメールが飛び込み、あわてて『母なる証明』の記者会見&舞台挨拶取材が可能かどうか問い合わせ。無事27日、Kさんと一緒に取材に行ってきました。思えば、「秋の童話」や「フレンズ」で一世風靡した元祖韓流スターのウォンビン。あの頃の初々しさ、そして、『ブラザーフッド』や『マイ・ブラザー』のやんちゃな弟のイメージを覆す『母なる証明』。初めて見た生のウォンビンは、色白で、物静かで、まさに貴公子の雰囲気でした! 質問をしたら、何度も私の方を見て答えてくださってどぎまぎ。ハングルはわからないけれど、頷くしかありませんでした。(詳細は特別記事をどうぞ!)


カメラのフラッシュがすごくて、どれもこれも白く飛んでしまった中で、やっと撮れた写真です。

翌日、高校時代の親友二人とペニンシュラホテルで、お味も量も上品な飲茶ランチ。1ヶ月前から約束していたのですが、「これが昨日だったら、ゴメンネだった」と告白。一人が、「親友裏切るわけ?」と言うと、もう一人が、「これは誰が聞いてもウォンビンよ」と。(さすが、テレビの威力! 認知度高いですね。) 『母なる証明』、これまでとまったく違うウォンビンにも驚きますが、ほんと、凄い映画です。 

(咲)

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2009年10月第4週
2009/10/25 (Sun)

森美術館へは何度も行ってますが六本木ヒルズの上階へ行ったのは初めてでした。
『第22回東京国際女性映画祭』の記者会見。岩波の高野さんは体調不良により欠席されていましたが羽田澄子監督をはじめ 輝く女性監督さん達の姿に感激!Q&Aも時間が足りないくらいでした。これからの活動にも期待しております☆

第22回東京国際女性映画祭 詳細

(千)

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連日、東京国際映画祭で六本木に通った怒涛の1週間でした。朝から深夜まで、映画三昧。その合間に、インタビューや記者会見にティーチイン取材で世界各地からいらした映画人に接することができ、幸せな日々でした。(おかげでほかのことが滞っています・・・汗。 人生、楽しいことばかりというわけでないのが辛い!) 映画は、中東と中華圏を中心に予定を組んだのですが、エジプト映画は結局1本も観られず、心残りです。 この日記がアップされる頃には、各賞の受賞作品が発表されていますね。私の気に入った作品は賞を取れるでしょうか・・・ 結果が楽しみです。 

第22回東京国際映画祭 受賞結果詳細


今回の私の一押し! 『永遠の天』主演フアン・ミン


『台北24時』の朝4時のパートで、巨匠ツァイ・ミンリャンを
主演に起用したリー・カンション監督

(咲)

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2009年10月第3週
2009/10/18 (Sun)

17日(土)東京国際映画祭が始まりました。まずは、「2009東京・中国映画週間」の『花木蘭~ムーラン』スペシャルイベント取材に、渋谷のシアターTSUTAYAへ。シングル・マー(馬楚成)監督、ヴィツキー・チャオ(趙薇)、チェン・クン(陳坤)、ジェイシー・チャン(房祖名)の4人が登壇。映画本編の上映はなくて、短い予告編のみ。ゲストは挨拶と映画に対するコメントの2回しか発言のチャンスなく、あっけなくイベントは終了。もう少し、会場からの質疑応答の時間を取ってくださればよかったのに・・・。


『花木蘭~ムーラン』スペシャルイベント    見つめ合うヴィツキー・チャオとチェン・クン

気を取り直して、六本木ヒルズにグリーンカーペットの取材へ。出遅れたので、今年も立ち位置はあまりよくなかったのですが、カーペットの際に陣取ったので、イランの『法の書』マズィヤール・ミーリー監督に声をかけて、しっかりお話してしまいました。夜の上映の時にお会いしたら、写真をメールで送ってと頼まれたのですが、1枚しか撮らなかった写真、目をつぶっておられました・・・  グリーンカーペットの最後を飾ったのは、『オーシャンズ』のジャック・ペラン監督やナレーションの宮沢りえさんと、鳩山由紀夫内閣総理大臣ご夫妻。去年、麻生さんが12分もスピーチしたオープニングの挨拶も、鳩山さんは3分でした。 グリーンカーペットの模様は、また後日報告します! 

宮沢りえさんと鳩山由紀夫内閣総理大臣ご夫妻

 

(咲)

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2009年10月第2週
2009/10/11 (Sun)

8日(木)難民映画祭の最終日、『ジェニンの心』を観にドイツ文化センターへ。パレスチナ自治区のジェニン難民キャンプ。おもちゃの銃で遊んでいた12歳の少年が、「武装している者は殺せ」と命令を受けていたイスラエル兵によって撃たれてしまいます。生命維持装置で生きながらえている少年を前に、医師は少年の父親に臓器提供を奨めます。提供する数名の相手の中にはユダヤ人もいることを聞き、父親はためらいますが、イスラームの権威者より「ユダヤ人も同じ人間」と言われ、承諾します。1年後、息子の命日に父親は検問所を越えて、臓器提供した子供たちに会いに行きます。息子がそこに生きていることを確かめるために・・・。娘に腎臓の提供を受けた正統派ユダヤ人の父親は、取材のカメラに向って「お礼は言うけど、パレスチナ人の彼らも仲良くなりたいはずはない」と豪語しています。そのユダヤ人との対面は、言葉が通じないこともあって、なんとも居心地が悪そうにみえました。「また会ってみたいけど、いやがるだろうね」と言うパレスチナ人の父親。臓器提供を通じ和解への光を見せてくれる美談かと思っていたら、心の中にも分離壁が出来上がっていることを見せつけられた場面でした。

臓器移植といえば、この前々日に試写で観た『Dear Heart-震えて眠れ-』(井坂聡監督、高島礼子主演。12月5日公開 http://www.exf.info/dear-heart/)。移植された心臓が殺人鬼のものだった・・・という話なのですが、あぁ~なんと、榎木孝明さん演じる温和な夫が、凶暴な性格に豹変するのです。きっと榎木さんは楽しんで演じたのだろうなと思いつつ、ファンとしては、ちょっと辛いものがありました。性格まで移植されるなどということはないと思うのですが、殺人犯の臓器を貰ったことは出来れば知りたくないですね。心情的にユダヤ人がパレスチナ人の臓器を貰いたくなかったと言うのとは、ちょっと違いますが、臓器移植を考えさせられる映画が続きました。

がらっと変わって、楽しかったご報告を一つ! 10日(土)、代々木体育館一帯でWOWOW主催の一大イベント「WOW FES!(ワウフェス)」が展開され、「WOWOW映画企画の顔」に選ばれた韓国の俳優チョン・ウソンさんも来日。(7月の記者会見報告 →  http://www.cinemajournal.net/special/2009/wowfes/index.html) WOWOW無料放送の実況中継で我慢!と思っていたら、仙台のウソンさまファンの方から、映画『きみに微笑む雨』のプレミア試写会の招待券が当たったのでとお誘いが。いそいそと行って来ました。最初に、ドキュメンタリー「Backstage Pass 密着!チョン・ウソン 100日の軌跡」。成都でのロケの様子をたっぷり見せていただきました。その後、ウソンさんが登壇。大勢のファンを前にはにかみながら語り、いつもの通り会場のあちこちに目配りしてお気遣い。(あ~目があった・・・と、勘違いして喜ぶ私!) 映画は、爽やかなラブストーリー。終わってからは、会場外のウソンさんの等身大パネルと一緒に写真を撮ったりして、ファンの方たちと存分に楽しんだ一日でした。 



会場の中にも外にもウソンさまがいっぱい!

(咲)

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仕事を終えてからダッシュして私も向かいました “難民映画祭” へ(笑)
鑑賞できたのはドレも日本初上映 『ウェルカム』 『ビルマ VJ』 『ジェニンの心』の3本でした。 ワタシテキには『ビルマVJ』が良かったです。VJって、ビデオ・ジャーナリストの略でした。 ビルマのデモはシュプレヒコールがステキ。「東洋の人々に自由を」「貧困を無くして」 etc. お坊さん達が托鉢を逆さにして頭上に掲げながら行進する・・・ なのにビルマ政府軍は 一般人は勿論、お坊さんも学生もデモしてる人達をどんどん撃っちゃう、、 そして、 その光景の中に長井健司氏の姿がありました。 原案・脚本・助監督のヤンさんが「日本でどんどん上映したい」って言ってました。是非とも!!

難民映画祭 >> 詳細

(千)

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2009年10月第1週
2009/10/4 (Sun)

今年、中華人民共和国は建国60周年。
だからと言うワケではありませんが現代中国映画上映会へ行き『ニーハオ 鄧小平』を観ました。鄧小平氏のドキュメンタリー映画。大変興味深い内容でした。上映会場でいただける会報も面白いです。36年も続いているなんて凄いなあ。会場の物販コーナーにはシネ・ジャも販売していただいてます。いつも有り難うございます!

現代中国映画上映会 >>詳細

(千)

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2日(金)『ジャック・メスリーヌ フランスで社会の敵(パブリック・エネミー)No.1と呼ばれた男』の試写へ。(タイトルも映画も長い!) Part 1 ノワール編と、Part 2 ルージュ編の間に、あれ? どこでお会いした方? と思う男性が。アジアフォーカスの時に大宴会した時にご一緒した福岡の方でした。せっかくお会いしたのでと、一緒に難民映画祭に『ウェルカム』を観にいきました。フランスの海岸からイギリスに渡ろうとする17歳のクルド人青年の話でしたが、いつのまにか物語の中心が青年を助けようとする水泳教室のコーチの話に。ちょっと中途半端な思いが残りましたが、観てよかった映画でした。


難民映画祭の情報をアップするのをすっかり忘れていたのですが、まだ10月8日(木)まで開催されています。無料ですが、もちろん難民支援のための寄付は歓迎という映画祭。上映作品のうち、下記4本をシネジャで紹介しています。

戦場でワルツを
http://www.cinemajournal.net/review/index.html#bashir
扉をたたく人
http://www.cinemajournal.net/review/2009/index.html#the_visitor
沈黙を破る
http://www.cinemajournal.net/review/2009/index.html#chinmokuwoyaburu
西のエデン
コスタ・ガヴラス監督インタビューをシネジャ76号に掲載。


コスタ・ガヴラス監督@フランス映画祭2009

難民映画祭の詳細は、HPでご確認を!
http://unhcr.refugeefilm.org/ 

(咲)

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2009年9月第4週
2009/9/27 (Sun)

調布市で開催の“ケベック映画祭”初日へ行きました。

寝坊してしまい『全ての希望に反して』から鑑賞。 フランス語なのにアメリカ風景なところがケベック独特なんだなあと思いました。

休憩時間にシネジャSさんと合流。メープルシロップ&ワッフルで一休み(ごちそう様でした!)。 上映作品の内容やプログラミングは別として、60歳以上・子供は無料、 一般でも500円払えばその1日は出入り自由なシステムが素晴らしかったです。 最近の映画祭は朝いちばんにチケットを購入したり並んで整理券をゲットしないと入場できなくて、 とても不便だなあと・・・。

そういえば この会場で何年か前にグループ展をしたことを思い出しました(笑)。 最近、自分の作品制作はしてないな、と反省。

ケベック映画祭2009 >> 詳細

(千)

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福岡でたっぷりアジアフォーカスを楽しんで、24日(木)夜遅くに帰ってきました。19日(土)に長崎から福岡入りして、さっそくパレスチナの『ザクロとミルラ』ナジュワ・ナッジャール監督にインタビュー。大胆に肩を出したドレス姿は、まるで女優さんのようでした。このほか、イランとトルコの映画2本ずつ、いずれも監督さんにお時間をいただくことができました。帰ってきてすぐ、合計5件のインタビューを原稿にまとめなくてはならなくて、大忙し。いずれの監督さんも、たっぷり語ってくださったので、誌面には収まりきらず、泣く泣く削りました。シネジャ77号は、無事、明日入稿予定です。お手元に届くのは、10日以降になりそうです。


『ザクロとミルラ』(パレスチナ)ナジュワ・ナッジャール監督

今回嬉しかったのは、顔馴染みになった福岡の映画ファンの方たちと毎晩のように映画談義ができたこと。さらに輪が広がって、名古屋や山形、東京の人たちも交えての大宴会もしてしまいました。映画が好きという共通項で、時の経つのも忘れた福岡の夜でした。(なんてたって、ホテルまで這ってでも帰れる距離だから時を忘れても大丈夫♪)
東京からイラン映画2本を観るために、イラン人の友人もやってきました。『アバウト・エリ』のアスガー・ファルハディ監督から、Q&Aの最後に、「わざわざ遠くから私の映画を観にきてくださったイランの友人アリさんに感謝」と言われて嬉しそうでした。
地元の方に紹介いただいた屋台のモツ鍋も美味しくて、また来年も行きたい!と、今から楽しみです。あ~鬼が笑いそう!


『アバウト・エリ』(イラン)アスガー・ファルハディ監督


福岡観客賞を受賞した『きのう、平和の夢を見た』の
ダン・ニャット・ミン監督(左)と主演女優ミン・フーンさん


『あなたなしでは生きていけない』(台湾)主演のチェン・ウェンビンさん(中央)と
祖母・母の親子三代で来日した娘役のチャオ・ヨウシュエンちゃん


『崖っぷちの女たち』(香港)ハーマン・ヤウ監督(左)、主演女優プルーデンス・ラウさん


『黒犬、吠える』(トルコ)マリナ・ゴルバチ監督(左:ウクライナご出身)、メフメット・バハドゥル・エル監督(右


    『難民キャンプ』(トルコ)レイス・チェリッキ監督  『難民キャンプ』(トルコ)主演女優デルヤ・ドゥルマズさん


『テヘランの孤独』(イラン)サマン・サルール監督

(咲)

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2009年9月第3週
2009/9/20 (Sun)

毎年楽しみにしているアジアフォーカス・福岡国際映画祭に来ています。今回はシネジャ77号の編集にぶつかってしまったので、15日の第1回編集日までにアジアフォーカス以外の原稿をなんとか書き上げました。ほっ!
福岡に来るついでに、毎回どこに寄ろうと思い巡らすのですが、今回は長崎へ。2001年にレスリー・チャンの福岡公演の後に来て以来8年ぶり。レスリー迷の友人とグラバー邸から海を眺めながら語り合ったのを懐かしく思い出します。今回、グラバー邸が夜9時半までライトアップしているというので、7時過ぎに入園。路面電車に乗って行ったら、石橋駅近くからグラバー園の一番高いところにある第二ゲートまでグラバースカイロードで上がれるというアナウンス。大浦天主堂下で降りずに終点の石橋駅まで行ってみました。スカイロードの正体は、斜行エレベーター(まさしくエレベーターの箱が斜めに上がります)と、垂直エレベーター(普通のエレベーターですね)の組み合わせ。丘の上に住む人たちの高齢化が進んで、地元からの要望に市が応えて6年前に作ったものだそうです。もちろん、グラバー園という観光施設があるからこそ出来たのですが、日常生活に役立つものにお金を使うのは歓迎ですね。香港のヒルサイド・エスカレーターも住民のために作ったものが、すっかり観光名所になったのを思い起こしました。
さて、一番上の第二ゲートから入って、素晴らしい夜景を眺めながら、のんびり下っていって、グラバー邸に到達したのは9時頃。係員も誰一人いなくて、グラバー邸を独り占め! 観光客でごった返す昼間とまったく違う幻想的な雰囲気でした。かれこれ35年程前、妹と二人で来た時には、泊まっていたユースホステルで、「グラバー邸には団体がいっぱい来るから紛れて入れるよ」と教えてくれた人がいて、ちゃっかり無料で入ったのでした。(ごめんなさい!)昨日のことのように思い出すのですが、ずいぶん年月が流れたものです。


巨大ちゃんぽんがお迎え


グラバースカイロード・斜行エレベーター        降りたところからの風景       


星印が気になるマンホール        この星の下は何?       


長崎市の華やかな消火栓  ここにもちゃんと星印

(咲)

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2009年9月第2週
2009/9/13 (Sun)

6日(日)父の誕生日。両親を連れて代々木上原の東京ジャーミィ(モスク)で開催されている「第2回 美しいイスラームの世界 天野恵利写真展」へ。トルコ、イラン、モロッコ、チュニジア、ウズベキスタン、イエメンなどの人々の表情を捉えた素敵な写真がモスクの広々としたホールに飾られていて、贅沢なひとときを過ごしました。母は、シリアの母子の写真に惹かれて、そこから離れません。2時からは天野さんの友人たちのグループ「モジャ・ンビリ」によるセネガルのサバールドラムの生演奏も。右手にバチを持って敲くドラム。うっかりするとバチで左手を敲いてしまうこともあるとか。メンバーの中には、かなりお年を召された方もいました。『扉をたたく人』で主人公が一生懸命敲いていたジャンベ(アフリカンドラム)を思い出しました。あちらは両手で敲くタイプ。何かに熱中できるのはいいなと思いました。


東京ジャーミイはトルコ風のモスク。1階はトルコ文化センター、2階が礼拝所。見学も出来ます!詳細はHPでご確認を!

モスクを出たところで、ばったり榎木孝明さんにお会いしました。数年前に榎木さんの事務所から移転通知をいただき、地図で検索したらマークがモスクのところに来たので、???と思ったら、モスクのお隣でした。会って不思議はない場所なのですが、嬉しい再会でした。榎木さん、長年の夢が叶ってご自身が演出する映画『半次郎 ~桐野利秋 風伝~』の撮影をいよいよ来週から故郷である鹿児島で開始すると嬉しそうにおっしゃっていました。また一人、役者出身の監督誕生ですね。

さて、次号シネマジャーナル77号の編集日も近づいてきました。スタッフそれぞれ原稿と格闘中です。私は、18日からのアジアフォーカス・福岡国際映画祭に行くため、出発前に仕上げなくてはいけないのですが・・・・ いつもの通り、滞っています。汗

(咲)

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新宿高島屋にあったテアトルタイムズスクエアが8月末に閉館しました。観やすくて大好きだったのに残念です。一方、休館していた池袋テアトルダイヤがリニューアルオープン。さっそく出かけてきました。1館だったところを2:1に分け、144席のスクリーン1と72席のスクリーン2ができていました。今は『ホッタラケの島』と『空の境界』&『センコロール』(レイト)上映中。土地柄を反映した特色ある映画館になりそうです。昨年の本誌74号で「映画館へのこだわり」を特集しましたが、そのときに“ほしいもの”に挙げられていた「傘立て」「荷物掛けのフック」が前の座席にちゃんとついていました。珍しいのはトイレのドアが引き戸だったこと。この方が開閉に場所をとらず広く使えます。


(白)

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2009年9月第1週
2009/9/6 (Sun)
ちらし

2日(水)ソン・スンホンが兵役につく前の主演映画『あいつはカッコよかった』(2004年)を試写で観てきました。「夏の香り」や「秋の童話」のソフトな感じのスンホンじゃなくて、喧嘩っ早い不良高校生でワイルドなスンホン。今、毎週楽しみに観ているドラマ「エデンの東」にも通じるキャラ。ワルながら礼儀正しさが漂うのは、スンホン本人の持って生まれたものでしょうか。(と、べた褒め)
スンホンといえば、まるで墨で描いたようなくっきりとした眉毛。あの眉毛を観る度に、二十数年前、当時会社の同僚だった友人二人が眉毛に刺青をする為にソウルに行ったのを思い出します。「顔を洗っても眉毛くっきりで笑っちゃう」と言ってました。(スンホンの眉毛は、もちろん天然!)彼女たちが訪れたのは、光州事件(1980年)から数年経った頃と記憶しているのですが、ソウルの町を歩いていたら突然サイレンが鳴って、催涙ガスをあびる羽目にあったそうです。韓国で夜間外出禁止令が出ていた時代に、出張した方から飲んでいて気付いたら外を歩けない時間になり、ホテルに帰れなくなったと聞いたこともありました。韓国で独立以来34年ぶりに夜間外出禁止令解除されたのは1982年。もう30年近く前のことですが、日本ではそんなことは考えらないお気楽な世の中でした。その頃、韓国旅行というと、男性の買春ツアーのイメージが強かったことも思い出しました。時代は移ろいゆくものですねぇ。

(咲)

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2009年8月第5週
2009/8/30 (Sun)

シネマジャーナル主催 フリマ顛末記

今年2月ころ、長年シネマジャーナルの読者だった金城武ファンのTさんから、「金城グッズを整理したいんだけど、ほしい人いないかな?」と連絡がありました。「どうして?」と聞いたら、「重い病気になって私には必要なくなったので、ほしい人に分けてほしい」と言われ、グッズを寄贈されました。ダンボール4箱以上の金城グッズやポスター、映画関係の本がありました。そのほかにも、レスリーグッズやイ・ビョンホングッズなども寄贈される方があり、シネマジャーナルのバックナンバーも含めて、フリマをやれないかなと思ったのが、今回のフリマ開催のきっかけでした。

76号の編集が終わり、5月ころから動き出したフリマでしたが、なかなかいい場所がみつからずにいたところ、スタッフKさんの知り合いの方が持っているスペースが大塚駅のそばにあるというので、下見に行き、やっと具体的に動き出したのが7月ころ。
フリマだけではなく、「何かイベントを」と、スタッフから提案があり、いろいろあたっているうちに、『ウォーロード/男たちの誓い(投名状)』のDVDが、日本公開されたインターナショナルバージョンではなく、完全版として香港版で出されることを知り、これはインターナショナルバージョンと香港版の異同表を作ったM-CHAMPさんに、香港版のことを話してもらいたいなと思い、トークイベントへの参加をお願いしたところ快諾していただけました。
そうこうしているうちに、時間はどんどんすぎて行くのに準備が進まず、ぎりぎりまでヒヤヒヤ状態でした。グッズを置く机のレイアウトはどうするか、プロジェクターで上映するのにアンプがあるのか、電源はどことどこにあるのか、スクリーンはどうするかとか、お客様が多かった場合を考えて整理券を作っておこうとか、フリマをやるというのは結構細かいところまで、調べたり準備することが必要だと知りました。


あっという間になくなった金城武グッズコーナー

オープンまでは、お客様がたくさん来てくれるのか不安でしたが、たくさんのお客様が来てくださって、オープンと共に入りきれないお客様まで出てしまいました。暑い中、長時間待たせてしまった方、申し訳ありません。こんなにもたくさん来ていただけたのは、いろいろな方の協力で、HPやブログを通じて、知らせることができたのが大きかったと思います。HPなどに掲載してくれた方たちありがとうございました。
金城グッズの周りにたくさんの人が群がり、一時はパニックに近い状態にもなってしまいましたが、グッズはかなり安く設定してあったので、たくさんまとめて買っていってくれた方もいました。レスリーグッズも大きなパネルがあり、売れ残ったらどうやって持って帰ろうと言っていたのですが、最初の方で買ってくれた方がありほっとしました。
シネマジャーナルのバックナンバーも、古い号はなかなか売る機会がないのですが、この機会に36号から76号まで持っていき、37冊買っていただきました。シネマジャーナルのバックナンバーを販売するに当たっては、どの号に何が載っているのかというあんちょこを作ってもらったのですが、たくさんあるバックナンバーの内容までなかなか把握できず、問い合わせの返答に四苦八苦してしまいました。そのお客様が帰ってから、ほしかったという記事を見つけたり、なかなかスムーズには行きませんでした。それだけ、たくさんの記事を紹介してきたということでもありますが、次回、またチャンスがあるときには、このバックナンバーの把握が鍵だなと思い知りました。
それでも、これだけの号が出たので、シネマジャーナルを読んでくれた人が、シネマジャーナルに興味を持ってくれたらと思います。興味をもった方、他のバックナンバーもよろしくお願いします。 >> バックナンバー アジア系内容抜粋


   シネジャ販売コーナー              たくさんの人が来てくれました

開催から片付けまで、いろいろな人の協力なしにはできないイベントでしたが、手伝っていただいた方、来てくれた方ともに楽しめたと思います。やっぱり、「フリマは大変だけど面白いからやめられない」というのが感想です。また、何年後かにやれたらと思います。

(暁)

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ポスター
『グッド・バッド・ウィアード』
ポスター

あっという間に8月も終りですね~ 実は夏風邪を引いて(新型インフルエンザじゃなくてホッ!)、お盆前からずっと寝込んでいたのですが、23日のフリマの直前に奇跡的に回復。そうはいっても、まだ体調不良の中、27日(木)『グッド・バッド・ウィアード』の舞台挨拶取材に行って来ました。受付開始が9時! 朝早いのは苦手なのですが、私のカメラでは最前列を取らないと無理なので、頑張って8時にバルト9に到着。お蔭様でちょっと端の方ですが、最前列を確保!(一番の方は、6時半にいらしたそう!) 真ん前にあるポスターを眺めていた某週刊誌のカメラマンの方が、「左端のお兄ちゃんは知らないけど、いい男だねぇ」とおっしゃるので、「はい! チョン・ウソンさんといって、映画中心でドラマにはあまり出てなくて韓流ブームにはちょっと出遅れたのですけど・・・云々」と解説。さらに、「右端の朝青龍に似てるお兄ちゃんは、『JSA』に出てた?」と聞かれたので、「そうです、そうです! ソン・ガンホさん。変な奴の役ですけど、ほんとに出てくるだけで可笑しいんです」と、答える私も熱が入ります。今回、ガンホさんは映画撮影中で来日されず、ほんとに残念。3人揃い踏みの舞台挨拶が観たかった! それでも、チョン・ウソン、イ・ビョンホンの2人が登壇するとあって、チケットをゲット出来たそれぞれのファンの声援は凄かったです。
ウソンさんは、客席を右から左、前から後ろと眺めて、ファンにアイ・コンタクトしたり、手を振ったりと、いつもの通り細かい気配り。ツンとあがった前髪が今回のポイントでした。ビョンホンさんも思い切りの笑顔でファンに応えていました。


ちょっと暗いですが、ツンとあがった前髪がポイントのチョン・ウソン

「悪い奴をキャスティングされて、ほんとに不機嫌だったのですか?」と聞かれたイ・ビョンホンさん。「悪役がどうというより、『甘い人生』でキム・ジウン監督がどれ程コキ使うか知っていたので・・・ 監督、ほんと“ひどい奴”なんですよ」と、監督の顔をチラッ。舞台挨拶が終わって、10階のカフェテラスで映画公開の成功を祈って、ダルマの目入れ式。誰もが無料で観られるイベントで、こちらにも大勢のファンが駆けつけました。映画を観ないで出てきたファンも。そりゃ~生の方がいいに決まってますが、せっかくなら舞台挨拶前に設定されていれば、ちゃんと映画も観られたでしょうに・・。ファンの方たちは9階フロアーからテラスを見上げる形。取材位置は、ファンの方たちのいるフロアーを見下ろす10階の反対側のテラスだったので、写真はボケボケ。といっても、最前列にいた舞台挨拶も会場が暗くて、ボケボケ。いいカメラが欲しい!と切実に思った取材でした。
舞台挨拶とだるまの目入れイベントの詳細は、特別記事で!


階下のファンに目線をおくるチョン・ウソンとイ・ビョンホン
(ビョンホンさんの顔が切れてしまって、すみません・・・)

(咲)

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東南アジア映画の話題を2つ

現在、マレーシアの若手インディペンデント系監督たちによる15malaysiaというプロジェクトが進行中です。発起人&プロデューサーはピート・テオ。15人の監督たちがそれぞれ15本のマレーシアをテーマにしたショートフィルムを作り、それらをネットで公開していくのです。作品の公開が8月17日から順次始まっています。トップバッターはホー・ユーハン監督で、タイトルは『Potong Saga』。中国系マレーシアの青年が、マレー(イスラム)系銀行に口座を開こうとするのですが、そのためには割礼をうけなくてはならないらしいと言われて・・・ と、マレーシア国内での民族間の誤解や無知を皮肉って笑い飛ばす作品です。これから公開される作品には、ジェームス・リー、タン・チュイムイなど、日本の映画祭で上映されて名前が知られている監督たちのものも控えています。そして先日急逝したヤスミン・アハマド監督の遺作となった『Chocolate』も8月19日に公開されました。3分あまりのショートフィルムですが、何かが始まりそうな甘い余韻を残す美しい作品です。続きが見たくてたまらなくなりました(涙)。

もう1つ、9月5日(土)~13日(日)まで、シネマート六本木にてSintokシンガポール映画祭が開催されます。(詳しい情報はこちら)ここ数年、若手監督による作品が次々生まれて盛り上がりを見せるシンガポール映画。去年はロイストン・タン監督の『881 歌え!パパイヤ』が劇場公開されましたが(記事はこちら)、なかなか日本では観る機会が少ないのが現状です。今回の映画祭では、新しい世代の日本初上映作品あり、エリック・クー監督(『ミーポック・マン』など)特集ありと、シンガポール映画の今を知るには大変いい機会です。是非、足をお運び下さい。

(梅)

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2009年8月第4週
200/8/23 (Sun)

8月23日(日)

今日は初めてのシネジャ主催のフリーマーケットでした。たくさんの金城くんグッズを寄付してくださった田中真理子さんのご主人や、助っ人として参加のシネジャの元スタッフたちも集まり、設営を始めます。会場は駅から近いとはいえ、フリーのお客さまが入ってくるような感じではないので、果たしてどれだけのお客様が来られるのか開くまでどきどき。12時少し前には入り口に整理券を手にしたお客様が列を作ってくださっていました。
大慌てで靴を入れる袋片手にお迎えします。みなさま目当てのコーナーへ直行。あ、商品を並べた写真を撮るのを忘れました!人人人の間から撮った写真だけです。奥の白い棚には金城くんグッズが飾られていたのですが、もうなくなっていました。キャッシャーも混雑して嬉しい悲鳴です。
1時間経過して、目玉のイベントコーナーの時間に。『ウォーロード/男たちの誓い(原題:投名状)』を素材に、M-CHAMPさんが香港版とインターナショナルバージョンを比較するトークショーです。よく通る声での説明とプロジェクターで見る名場面、45分が短い気がしました。椅子が30人分だけで、お立ち見の方も多々。お疲れ様でした。
私は夕方から仕事があるので、トークショーまでで退出してきました。続きはまた後日(咲)さんか(暁)さんにバトンタッチ。
暑い中お出かけくださった皆様、応援してくださった皆様、ありがとうございました。


(白)

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(白)さんの続き&補足です。『ウォーロード/男たちの誓い』を実は私、あまりに戦闘シ—ンが多いと聞いて、観に行かなかったのでした。M-CHAMPさんの丁寧な解説で、ピーター・チャン監督が戦闘に参加せざるをえなかった人たちの思いを描きたかったことを知り、監督の意図がよりよく描かれている香港版(今度発売されるDVDはこちらのバ—ジョンです)を観たくなりました。
さて、私はレスリ—のコ—ナ—を担当したのですが、今日はNEXT CLUBさん主催のレスリ—イベントも開催されるので、出足を心配していました。開店と同時にあちらのイベントと掛け持ちしようという方達がいらしてくださって嬉しい限りでした。本日出品したレスリ—グッズは、名古屋の読者の奥様が広いお宅から老人ホ—ムに移られるのにあたり提供してくださったもの。ご主人亡き後、心の支えだったレスリ—の大きなパネルも、熱烈なファンの方が喜んでお買い求めくださいました。ト—クショ—の始まる頃にはかなりのグッズが新たな持ち主のもとへ。
さてイベントも終わって、先ほどまでの熱気が嘘のように静まり返った頃、かつて共にレスリ—を追いかけたお仲間が来てくれました。写真を見ながら、この時はあぁだった、こうだったと思い出話。懐かしいひと時でした。レスリ—が亡くなってからのファンの方や、色々な場でお会いしたことのある方達ともお話ができて嬉しかったです。
またいつか、アジア映画ファンの皆様とこのような楽しい時が持てるといいねと打ち上げの場も盛り上がりまさた。駆け付けてくださった皆様、サポートしてくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。

(咲)

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○8月15日土曜
終戦記念日のこの日、横浜・黄金町J&Bに行く。この頃、ここで一日映画三昧しているが、今日は映画四昧だ!  終戦記念日にピッタリのラインナップで、目移りしたが、 私の選んだのは、かの廃墟映画の第一人者、田中昭二監督の「負の遺産」シリーズ。 『忘却と記憶/アウシュヴィッツ』 『戦争遺跡』 『石棺と再生/チェルノブイリ』の三作品。 それと、特別試写の『昭和八十四年 1億3千万分の1の覚え書き』を観た。

忘却と記憶/アウシュヴィッツ
ポーランド・オシフェンチムの広大な地に作られたアウシュヴィッツ強制収容所。 1979年に(負の世界遺産)として認定された。廃墟としてそのまま保存されているのだ。 田中昭二監督は「自分の踏んでいるこの場所で、大量虐殺があったのだと思うと、 他の廃墟とは違う非常に重いものを感じた」と語ってくれた。 今、公開中の『縞模様のパジャマの少年』も、まさに、ここの有刺鉄線、ガス室が…。 静かに映し出される一場面、一場面に宿る死の闇に、目を懲らすばかりだった。

戦争遺跡
本土決戦防衛の為、要塞地域となった瀬戸内海湾岸近辺。 由良、大久野島、呉、下関、佐世保の要塞と川棚発射場。 度重なる空襲や原爆にさらされ、戦後は開発からも取り残された姿は、 黒く美しく朽ちていた。それを緑の木々が、忌まわしい歴史を包み込んでいるかのように繁茂していた。

石棺と再生/チェルノブイリ
1986年4月26日。ソ連(今のウクライナ)チェルノブイリ原子力発電所4号炉で爆発。 30km圏内の住民 12万人が強制避難。多くの市や町が地図から消えた。 カメラはそれから22年後の凍結された市や町を映し出した。 当時、慌てて避難したままだ。皆、どれも同じように黒ずみ、錆び付き、埃まみれであったが、 花々とハチだけが、自由を謳歌していた。だが、誰一人その美しさを愛でるものはいない。 画面からみるチェルノブイリ近辺は、思っていたほど田舎ではない。 大きなアパート、建物、プール、観覧車、劇場、ホール…森と共存した落ち着いた街だった。 エンドロールに『アレクセイと泉』のアレクセイの名前を見つけた。(多分彼に間違いないと思う) あの泉は百年前の水を、今もこんこんと湧き続けているだろうか。

昭和八十四年 1億3千万分の1の覚え書き
飯田進氏の人生は、昭和という時代の荒波に揉まれ続けた人生だった。 大東亜戦争、BC級戦犯、スガモプリズン、妻の原爆病、息子のサリドマイド、C型肝炎、 それらと闘い続けて来られた飯田氏は、横浜で一人住まい。 経験したことを、一番わかりやすい言葉で、ゆっくり的確に語りかけてくれた。 この方のどこに、この最悪な不運を乗り越える力があったのだろうか。 86歳のこの方を支えてきたものは何だったのだろう。 終わってから席の後の方においでになった飯田氏は、とても素敵な老紳士だった。 「この映画を作ったスタッフは、私の子どもより若いが、それなりに私の考えに共感してくれた。 2年以上にわたり、その誠意と努力に感謝したい。僕の人生の苦難の中で、よかったこともある。 それは、時間と人生を有効に使い、前向きに生きてこられたことだ」と話された。

(独り言)
毎回横浜・J&Bに来る度に物知りになり、お利巧にもなる私。将来、飯田進氏のように素敵な老人になれるだろうか・・・。また新しい目標ができた。
来月の5連休はお待ちかね(黄金町映画祭)だ。おっとその前に恒例の一日のJ&Bサロンにも行くぞ〜!

(美)

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2009年8月第3週
2009/8/16 (Sun)

15日(土)終戦の日。BS20周年ベストセレクションで「食は文学にあり 荷風と谷崎終戦前夜の晩餐」を拝見。疎開先で食べ物に苦労した谷崎が、終戦前夜、どこからか大枚はたいて牛肉を入手し荷風とすき焼きを食べたくだりは圧巻! 食に的をしぼって文豪二人の戦争への思いを描いた素晴らしい作品でした。「ほんとに食べ物がなかったのよ」という母の言葉は何度も聞いていますが、番組を見ながら、またしみじみ。今や、あまりにも食べ物を無駄にしていて、いつかしっぺ返しを受けそうですね。

さて、8月23日(日)のフリマの準備も着々と進んでいます。一部を写真でちょっとご紹介。どうぞ皆様いらしてくださいね~


(咲)

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4日から7日まで道東の旅に行っていました。同じ趣味のグループの6人旅だったので賑やかですが楽しかったです。映画のロケ地もついでに探そうという魂胆があり、念願の羅臼と網走を訪れることができました。次号の本誌で「ロケ地に行ってきました!」と書く予定ですので、今日は綺麗だった屈斜路湖と霧の中ではない晴れた摩周湖、ウトロと網走湖の夕日をご覧下さい。



(白)

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2009年8月第2週
2009/8/9 (Sun)

3日(月)『レッドクリフPart II ―未来への最終決戦―』DVD発売直前イベント(→詳細は報告記事をどうぞ!)で、初めて生のフー・ジュン(胡軍)にお目にかかり、足取りも軽く、赤坂アークヒルズから虎ノ門へ。先日、おかき屋さんの播磨屋の前を通りかかったら、カフェになっていて、しかも無料だったので、一度行ってみようと思った次第。「播磨屋ステーション東京霞が関」が正式名称。播磨屋のおかき(お皿に乗り切るだけ)と、コーヒーやオレンジジュースが無料で楽しめます。金比羅宮を眺めながら、胡軍の凛々しい姿を反芻したひと時でした。(おかきも飲み物もすっかり空になってからの写真ですみません!)

播磨屋カフェから金比羅さんを眺めながらお茶♪
播磨屋カフェから金比羅さんを眺めながらお茶♪

さて、HPのトップページに告知していますが、8月23日(日)に「アジア映画ファン フリマ」を開催します。先日、名古屋の(美)さんからグッズ第三弾のダンボールが2箱届きました。すでにレスリーグッズをたくさん預かっているのですが、今回は、レスリーに加え、クォン・サンウやイ・ビョンホンのものも! 中華圏だけでなく、韓流ファンの方も足をお運びいただければ嬉しいです。

案内をこちらにも掲示しておきます!

アジア映画ファン フリマ開催!
シネマジャーナルでは、中華圏スターグッズを中心にしたフリーマーケットを開催します。金城武とレスリー・チャンのグッズがメインですが、アンディ・ラウ、ニコラス・ツェ、ダニエル・ウーなどの他、イ・ビョンホンなど韓流スターのグッズもあります。
ポスター、写真集、生写真、現地の古い雑誌、CD、DVD、ビデオ、映画チラシなど、思わぬ掘り出しものがみつかるかも! 特に、台湾、香港などの古い雑誌は貴重です。

シネマジャーナルのバックナンバーもフリマ特別価格、特典オマケ付き!で販売します。 『投名状(ウォーロード/男たちの誓い)』をめぐるトークイベントも企画しています。 また、レスリーグッズのコーナーでは、シネジャのレスリー迷スタッフがファンの皆様と思いの丈を語るべくお待ちしております。

アジア映画を一緒に楽しむフリマになればと思っております。皆様のご来場をお待ちしております。

日時:2009年8月23日(日)
時間:12時~17時
会場:「スペイス”響”」大塚駅南口から3分
   豊島区南大塚3-34-4 ニューヴァリービルB1F(地図は こちら
   ぷちっとライブバー 食彩 広い海(1F)の地下
*会場は禁煙、土足厳禁です。

◆イベント予定  13時~13時45分
投名状(ウォーロード/男たちの誓い)』を語る
日本での一般公開バージョンではなく、香港版が日本でDVD発売されることを記念してのトーク
ゲスト:「投名状/ウォーロード 異同表」という、香港版とインターナショナルバージョンの比較表を作ったM-CHAMPさんを予定しています。

(咲)

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「北朝鮮映画週間」

7月29日(水曜 )
どうも私は、ここだけ!今だけ!の限定品に弱いようだ。 横浜・黄金町J&Bで、「朝鮮映画の全貌」というプログラムを見て、 居ても立ってもいられなくなり出かけた。 メインの一つは、日本初・独占ロードショー上映される『ある女子生の日記』だ。 2007年に作られ、カンヌ国際映画祭で上映、フランスで公開された作品。 もう一つは、あの巨大マスゲームで有名な『アリラン祭』だ。 まず観た順で感想などを書こう。

・『月尾島(ウォルミド)』 1982 年/96分
朝鮮戦争の真っ只中、西海中部に位置する月尾島が舞台だ。 アメリカ軍の朝鮮本土上陸を3日間阻止せよ、の命令を受けた隊が、命を賭けて守り抜く壮絶な戦争ドラマ。 日本の『硫黄島の戦い』と同じ設定だが、粗末な急ごしらえの設備、銃、爆薬、食料、水など、無い無いづくしで、これでどうやって戦うのか、こちらが不安になるが、 隊長役のチェ・チャンスは(現在北朝鮮 No.1 の名優)温情のある采配で信頼され 身分の上下なしで知恵を絞り合い、部隊を一致団結させる。 ここで『硫黄島の戦い』と違うところは、若い乙女(乙女って言葉がぴったり)が電信通信者として、配属され活躍をすることだ。 この乙女、隊長の「最後の船で帰れ」と命じられるが、帰った振りをして、 ちぎれた電線を両手に持ち、自分自身の体を導線の一部として、 重要な電信を通話させて死んでいくのだ。
この最初の一本で、打ちのめされた。セットなどにはお金をかけていないが、 臨場感があり、意志の力が体や顔に漲ぎっていた。 観る前は「あの国の映画だから…」と軽く見ていたが、 身体も心も「月尾島の兵隊さん!マンセー!バンザイ!」と叫びたい気持ちになった。

・『ある女学生の日記』 2007年/100分
スリョンは大学入試を控えた女子高生だ。父は研究所に住まい機械開発に没頭している。 帰って来るのは月に一度ぐらい。 家庭の中に父がいない空虚感が、次第に父への不満になり、スリョンを押し潰していく。
この作品は今、現在の北朝鮮を描いている。それも地方都市だ。 主役演じる可憐な女子高生の表情が、なんとも懐かしい感覚にさせてくれた。 つるつるの肌、いじってない眉、そして束ねた黒髪…、ずっとこのままでいてねとお願いしたくなったほど・・・心が洗われた。

7月31日金曜
予定ではこの日は試写や巷の映画館をはしごする予定だったが、また黄金町に来てしまった。 頑張って4本みるぞ〜、と体からエネルギーが沸き上がる。 梶原支配人も小林副支配人も驚き顔…。

・『花を売る乙女』 1972年/125分
日本植民地時代、貧しい家庭に生まれた少女コップニは、 病身の体をおして地主の下働きをする母の薬代を稼ぐため、街で花売りをしている。 地主はコップニにも下働きに来いと言うが、母は地主の慰め者になるのが目に見えているので断固として断る。 ある日幼い妹は、つまみ食いを見つけられ、地主の折檻で目が見えなくなる。 兄は憤りのあまり地主の屋敷に火を放つ。兄は捕らえられ、その後行方不明のままだ。
母は死に、苦労、苦労の連続だが、結末は行方不明の兄が朝鮮人民革命軍の雄となり、妹達を救う。 しかし、地主の屋敷とコップニのわら小屋の差に今さらながら驚いた。 二人の子役は素晴らしく、盲目になった妹は、見たところ6、7才だが演技力は大人顔負けだし、 主演の姉コップニ(ホン・ヨンヒ)は北朝鮮の1ウォン札に描かれているという。

・『大同江のほとりで』 1993年/110分
軽快な音楽にのったコメディータッチの作品。老年と若者の二つのカップルを軸に、 すれ違う恋愛の行方をユーモアたっぷりに描かれていた。
このコメディで気分が変わり、見続けることが出来た。 どこの国でも共通する身分の差を越えた恋愛ドタバタ映画。 水上スキーで世界的に有名で美人な彼女と、大同江の川底の土砂をさらう船の船長さんが彼・・・。 娘の親は強く反対してる。そこに彼の親父さんがどんなに息子の仕事が国家のために なっているかを説明するくだりは、やはり(将軍さま〜!)なんですが、 ユーモアまじりで面白かった。 それに『ある女学生の日記』より現代的な感じがした。

・『洪吉童(ホンギルトン)』 1986年/108分
北朝鮮初のアクション映画。主人公の吉童は、裕福な家庭に生まれたが、 庶子である為、幼い時から虐待を受け、義母に暗殺まで謀られてしまう。 堪えられなった吉童は家出をして、義賊になり悪をやっつけるヒーローとなる。
吉童にぽーっとなった。美男子、それもジャニーズ系雰囲気もあり、剣のさばき、立ちまわりがうまいのだ。 日本の大川橋蔵と市川雷蔵と木村拓哉を足した(足しすぎ?)ぐらい素敵だった。 彼はリ・ヨンホといい、この作品で二枚目俳優として人気が沸騰した。 兵庫県出身の在日帰国者で、他の俳優と発声が微妙に違った。 台詞の一番最初の母音が柔らかいのだ。これが人気の秘密かもしれない。

・『アリラン祭』 2002年/70分
平壌の15万人収容するメーデー・スタジアムで、 金日成主席誕生90周年を迎えて開催された祭を 完全収録した作品。演技者10万人。
お待ちかねぇ〜、最後にガツンと本腰をいれて観てやろぅ〜、が、 口をあけたまま、しばらく放心状態・・・ スゴイ!とか、スケールが大きい!とか、言葉がすべて頭の中から吹っ飛んでしまった。 70分間、酸欠の金魚みたいにパクパクしながら見入った。 美女、美女、美女、美女、美女・・・・すっごいたくさん美女いる! 時々、海外来賓の方や世界のメディアの表情が写す出されるが、 皆、感動で目は瞬きなし、口半開きだった。 私は感動疲れしてしまい、その夜はため息ばかりしていた。

今回の上京は実りが多かった。 北朝鮮の全貌をしっかり見せていただいた。 どの作品にも監督さんの名は記されてなかったが、映画に関して非常に才能豊かな逸材がいらっしゃることを確信した。

(美)

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2009年8月第1週
2009/8/2 (Sun)

28日(火)「海のエジプト展」の招待券が7月末までなのに気付き、もうこの日しか行けない!と、おおあわてで横浜へ。かつてフランス映画祭横浜の時に入ったことのある懐かしいレストランに、海のエジプト展記念メニュー「ムサカ」があったので迷わず注文。かなり西洋風と思ったけれど、一緒に行った父は、「それっぽい香りがする」と言ってました。会場のパシフィコ横浜には、博物館に通常あるような無料ロッカーがなくて、ちょっとご不満。友達から、観るのに最低2時間半は必要と聞いていたのですが、ほんとに広い会場で、映像もいくつもありました。ほとんどが海の底の発掘現場の映像でしたが、パソコンで古代都市の町並を再現したものを見ることができて、路地の奥にもリモコンを使って入っていけるのが面白かったです。
夜、以前勤めていた会社のOB会へ。数人向こうの席から「Sさんが自分で救急車呼んで病院に行って、そのまま亡くなった」と聞こえてきて、「どのSさん?」と尋ねたら、私が若い頃、労働組合の本部役員をした時の書記長でした。4月4週の日記に書いた組合OB会の時にSさんは来られなくて、いずれ夏に暑気払いでもとメールを交わしていたのに、とうとうお会いすることなく・・・ 30日(木)、お通夜に伺ったら、弔問客の長い長い列。Sさん、ほんとに人気者です。もう一度一緒に飲みたかった〜! 59歳で逝ってしまうなんて早すぎます。会いたい人には、チャンスを作って会っておかなければと、しみじみ。

29日(水)パンクの女王と呼ばれるパティ・スミスに、写真家のスティーヴン・セブリングが、11年間密着して撮影したドキュメンタリー映画『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』を試写で拝見。私は全く彼女のことを知らなかったのですが、モノクロとカラーの交叉する映像には、彼女の魅力が溢れていました。親友、弟、夫、両親を次々に亡くしたパティの心情も切々と伝わってきました。Sさんの突然の訃報に、人とはいつか死ぬものと思い知らされたばかりでしたが、数年の間に近しい人を次々に亡くすというのは、あまりに過酷です。ところで、私には縁のない世界のパティ・スミス・・・と思って観ていたら、反戦歌の中で痛烈なブッシュ批判をしていて、イラクの黄金のドームを冠したモスクの爆撃前と後の写真が出て来ました。文化的歴史的価値のある建物への配慮もしないことをあらためて突きつけられ、悲しくなってしまいました。歌や映像の力で、戦争を少しでも回避できればと願わずにはいられません。任期を終えたブッシュ、この映画を観たのでしょうか・・・ 観るべき人に観てほしいものです。映画の最後の方には、パティがエルサレムを旅した時の映像も出てきて、実に私が観るべき映画でした!

チョン・ウソン
昨年6月、ソウル三成駅に直結している
COEXモールで見かけた銃を構えるウソンさま

31日(金)『グッド・バッド・ウィアード』(キム・ジウン監督)の試写へ。大物3人の共演とあって、それぞれ3人の魅力がたっぷり! チョン・ウソンの華麗な銃さばきや、ロープを掴んで宙に舞う姿には、もう、うっとり〜♪  この日は、シネジャの(暁)さんも休暇を取って観にきていて、並んで坐って観たので、とことん変な奴ソン・ガンホの一挙一動にも一緒になって大笑い。なんといっても『反則王』のキム・ジウン監督ですから、面白くないはずがない! でも、先に試写を観た方からは、「疲れた〜 ウソンは素敵でしたが」という評も。こればっかりは、自分で観てみないとね。壮大な沙漠をひた走る迫力は、是非劇場で!

(咲)

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2009年7月第4週
2009/7/26 (Sun)

19日(日)メキシコ映画『ノラの遺言』がユダヤ絡みだとわかり、これは観なくては!と、再びSKIPシティ国際Dシネマ映画祭へ。(HPの作品解説ではわからず、パンフレットを読んで判明!) ノラが20年前に別れた夫ホセを第一発見者になるように仕組んで自殺。ユダヤの律法では、亡くなったらできるだけ早くその日の内に埋葬しなくてはならないのに、親族である息子は明日にならないと来られない。翌日は安息日、翌々日からは過ぎ越しの祭と埋葬できない日々が続きます。ノラは実は過ぎ越しの祭の宴の料理を皆に振舞いたかったのだとわかっていきます。美味しそうなお料理がたくさん出てきて、その中に葡萄の葉で包んだお料理やズッキーニの詰め物など、トルコやイランの料理にも似ている〜と気になるものがあって、上映後のQ&Aで、メキシコのユダヤ人のルーツとともにお料理のことを質問してみました。メキシコには、6万人しかユダヤ人はいないそうで(充分多い!?)、そのルーツは、1つは20世紀初頭、ロシアや東欧から経済的な理由などから移住、もう1つは、第2次世界大戦後、トルコやヨーロッパ全土から移住してきたそうです。いわゆるアシュケナージとセファルディの両方のユダヤがメキシコにもいて、監督の祖父母がそれぞれ別のルーツなので、お料理もそれぞれの伝統的なものを受け継いでいるのだとか。頑なにユダヤのしきたりを守る人たちがいる一方で、ホセのように、すぐに埋葬できないならキリスト教式でと神の御霊社を呼んでしまったり、豚肉を使ったピザを平気で食べたりという人物を描いています。そんなホセも、自殺は大罪とユダヤ墓地では犯罪者の一角しか割り当てて貰えないノラのために自分用に確保していた場所を提供するという、心温まる結末でした。

ノラの遺言』のお陰で、続いて上映された台湾の『あなたなしでは生きていけない』も観ることに。(アジアフォーカス・福岡国際映画祭で拝見する予定でした。) 上映前に、製作・脚本・主演のチェン・ウェンピンさんが会場の前でにこにこ笑いながら、ビデオや写真を撮っていらしたのですが、映画の中では、髭ボウボウ髪ボサボサの貧しい中年男で別人の様! 初出演とは思えない成りきりぶりでした。上映後、インタビューに同席させていただきました。77号に浦川留さんが寄稿してくださいます。どうぞお楽しみに! 

マリアナ・チェニッリョ監督 チェン・ウェンピン
『ノラの遺言』マリアナ・チェニッリョ監督   『あなたなしでは生きていけない』製作、脚本、主演チェン・ウェンピンさん

20日(月・祝) SKIPシティ国際Dシネマ映画祭授賞式。見事、『あなたなしでは生きていけない』が、最優秀作品賞に輝きました! 脚本賞『ノラの遺言』、審査員特別賞『それぞれの場所で』と、今回私が観た5本の内、3本が受賞! 

22日(水) 皆既日食が観られるかどうか・・と日本中が沸く中、10月10日に渋谷で開催される「WOW FES!」の記者会見へ。「WOW FES!」でメインゲストを務めるチョン・ウソンが、『Sad Movie<サッド・ムービー>』以来3年ぶりに来日しました。え〜あれからもう3年!? と、時の経つ早さに驚きます。ウソンさま、光り輝いていて、まさにスター! 「WOW FES!」では、今秋劇場公開されるチョン・ウソン主演映画『きみに微笑む雨』のプレミア上映会などが行われます。ウソンさまが自らの恋愛にも言及した記者会見の詳細は後日レポートします。

チョン・ウソン
チョン・ウソン

23日 『山形スクリーム』のずっこけ爆笑記者会見(→特別記事)に行った後、アジアフォーカス・福岡国際映画祭2009の記者会見と試写会へ。この日試写で観た『マチャン/大脱走』(スリランカ・独・伊)と『難民キャンプ』(トルコ)は、いずれもドイツが絡む移民や難民がテーマでした。今年も充実のライナップで楽しみです。まだ上映スケジュールが発表されていませんが、上映作品詳細は、HPを! http://www.focus-on-asia.com

26日(日) 『細い目』などの作品で、日本でも着実にファンを増やしているマレーシアの女性映画監督ヤスミン・アハマドさんが脳溢血で倒れ、昨夜そのまま帰らぬ人となったとの報・・・ アジアフォーカスで最新作『タレンタイム』が上映されることになっていて、もしかしてお会いできるかもと、楽しみにしていたのですが、あまりに早い死にショックです。まだまだ、素敵な作品を生み出してくださったでしょうに・・・・ ご冥福をお祈りします。合掌。

(咲)

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ヤスミン・アハマド
2006年に来日した折の
ヤスミン・アハマド監督

2005年の東京国際映画祭で上映された『細い目』が評判を呼び、翌年には特集が組まれ『ラブン』『ガブラ』『ムクシン』といった作品が紹介されて、日本にも着実にファンを増やしていたヤスミン・アハマド監督が、23日(木)午後に脳内出血で倒れ、緊急入院、手術をしたものの、25日夜11時25分、多くの人々の祈りもむなしくそのまま帰らぬ人となりました。

東京国際映画祭での特集上映の際には来日し、多くの映画ファンと交流を持ちました。才色兼備とは彼女のことを表すと思ったものです。4分の1、日本人の血をひいていて、日本の文学にも造詣が深いと聞きました。このときに予定されていたインタビューが急にキャンセルになってしまったこと、今でも残念でなりません。今年は日本での映画撮影を予定していて、素晴らしい日本人キャストも決まっていました。それなのに、この突然の訃報。
51歳。あまりにも早すぎる死に、胸のつぶれる思いです。

こちらではヤスミン監督が撮影したシンガポール政府広告が観られます。短いながらも、哀しい現実でもかならずユーモアを交えて描く彼女の作品の特徴が現れています。
"愛"(loveだけでなく、agape)について深く考える映画を撮り続けてきた監督でした。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

(梅)

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2009年7月第3週
2009/7/19 (Sun)

12日(日)第18回 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭2009出品作品『分断の街で』を観に、新宿バルト9へ。エルサレム初のゲイの市協議会議員サアル・ナタネルが開いたゲイバーに集う人たちに焦点をあてたドキュメンタリー。ユダヤ人とパレスチナ人のレズビアン・カップルが登場。ユダヤ人の親にとっては、アラブ人との恋愛より同性愛の方がマシ、パレスチナ人の親にとっては同性愛の方が問題という発言に、分離壁を作ってしまったユダヤ人を垣間みた思いがしました。その分離壁を越えて命がけでゲイバーに向うパレスチナの青年の「楽しみたいだけ」という言葉が痛かったです。監督は8歳の時に韓国からアメリカに移住したユン・スーさん。上映後登壇した彼女、「プロデューサーでワイフでもあるキャスリーン・ギボンズと一緒に来日しました。カルフォルニアで認められたら結婚します!」と挨拶。L&G映画祭らしい一幕でした。

翌々日、アルジャジーラのニュースで、イスラエルの交通標識をヘブライ語のみにするという極右政党の法案が通って、アラビア語を併記する場合も、あくまでヘブライ語の音訳にすると知りました。融和をはからなくてはいけない時期に・・・と、反対した党もあるそうですが、ますます状況が悪くなると心配です。

17日(金) SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2009へ。先週『バレンティーナの母』と重なって観られなかった『アダムの壁』(カナダ)を拝見。冒頭、キッパを被ったユダヤ人青年アダムが、戦争反対のデモに参加していたレバノン人女子学生ヤスミンと知り合います。クリスチャンのヤスミンがアフガニスタンのブルカを被っているという、なんとも象徴的なオープニングでした。上映後、マイケル・マッケンジー監督にインタビューの時間をいただきました。モントリオールのユダヤ人コミュニティーを描くには英語の方がリアリティがあると英語を本作のメインの言語に採用。ところがケベック州から資金を得たので、ケベック州在住の俳優を起用しなくてはならず、フランス語圏のケベックで英語を流暢に話せる俳優は限られていて、キャスティングに苦労されたとか。アラビア語と英語を話せる女優がケベックで見つからず、主役のヤスミンは、『ラミアの白い凧』(2003年 レバノン)のラミア役フラヴィア・ベシャラにお願いしてレバノンから参加して貰ったそうです。少女の面影を残していたラミアが、すっかり魅力的な大人の女性になっていて、言われるまで気がつきませんでした。

『アダムの壁』ポスター マイケル・マッケンジー監督
  『アダムの壁』ポスター       マイケル・マッケンジー監督

この後、『それぞれの場所で』のダルコ・ルングロブ監督にもインタビューの時間をいただきました。監督の故郷ベオグラードへの愛情をたっぷり感じた作品だったのですが、あちこちロケハンして、結局、実家のある通りで撮影。監督は、ユーゴスラビアで内戦が勃発した直後に、戦争に関わるのがいやでニューヨークへ。前作『Escape』は、シングルマザーと2人と息子を追ったドキュメンタリーなのですが、この母親がワールド・トレード・センターで働いていて、9・11事件の時に犠牲になり、当初考えていた内容から変更することになったそうです。次作は、セルビアの小さな町を舞台にした『The Monument to Michael Jackson』だと去る3月に発表したのですが、これまたマイケル・ジャクソンが亡くなり、脚本の書き直し中。監督が目をつけると何かが起こる運命でしょうか・・・

『それぞれの場所で』ダルコ・ルングロブ監督 『それぞれの場所で』ポスター
『それぞれの場所で』ダルコ・ルングロブ監督   『それぞれの場所で』ポスター   

夜、カナダ大使館で『タイム・オブ・ウォー 戦場の十字架』(原題:Passchendaele)の試写会。昼間に引き続いてカナダ映画!  監督・脚本・製作・主演のポール・グロスが、祖父の第一次世界大戦での体験を基に描いた超大作。当時カナダの人口は800万人。そのうち、60万人が第一次世界大戦に派兵されたのだそうです。なぜこんなにも大勢カナダから海を越えて戦争に赴かなければならなかったのでしょう? 戦争の惨さをずっしり感じさせてくれる作品でした。8月28日(金)DVD レンタルリリース開始。DVD一般発売11月6日(予定)。 http://www.passchendaelethemovie.com/   一緒に観た友人と、「悲惨だとわかっている戦争映画は観たくないけど、やっぱり気になって観てしまうね」と語り合いました。観るべき人が観て、戦争をやめてくれればいいのですが・・・

『タイム・オブ・ウォー 戦場の十字架』
『タイム・オブ・ウォー 戦場の十字架』

最後に、シネジャ主催のフリマの予告です!
金城武、レスリー・チャンのグッズを中心に中華圏などの映画関連グッズのフリマを8月23日(日)に開くことを計画中です。シネジャのバックナンバーももちろん販売します。木曜日の夜に、会場候補のスペースを下見に行ってきました。大塚駅南口徒歩1分。金城武やレスリー・チャンのファンの方だけでなく、中華圏映画好きの方たちと、一緒に楽しめるような会にしたいと思っています。関心をお持ちくださった方は、今からご予定いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします!  詳細は後日お知らせします。 

(咲)

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2009年7月第2週
2009/7/12 (Sun)

11日(土)今年で6回目を迎えたSKIPシティ国際Dシネマ映画祭へ。この日観た1本目『それぞれの場所で』(セルビア・独・米)は、ニューヨークとベオグラードが舞台。ニューヨークに住む落ちぶれた元サックス奏者が、車1台で引越業を営むセルビア人青年と知り合い、故郷にいる彼女をアメリカ移住させるための偽装結婚を頼まれ、金の為ベオグラードに飛ぶというお話。青年の母親との間に芽生える恋心・・・。「私にもまだまだチャンスがあると、勇気付けられました!」と監督にお伝えしたら、監督も大笑い。1988年に分裂する前のユーゴスラビアに旅したことがあるのですが、どこの町も風情のある素敵な国でした。映画の中でも、「内紛前は、皆、普通に楽しく暮らしていたのに」という言葉が出てきました。いろんな思いの交錯する作品でした。
夕方、『バレンティーナの母』(イスラエル)と『アダムの壁』(カナダ)と観たい映画が重なってしまって悩んだのですが、『バレンティーナの母』の方を拝見。ホロコーストの記憶を抱えて暮らすポーランド出身のユダヤ人女性が、かつての親友と同じ名前のポーランド娘と知り合うことによって起こる事件。上映直後に監督にインタビューの時間をいただきました。観たばかりの興奮が冷めやらず、思うように質問が出てこなかったのですが、奥様も同席されて、作品のことやイスラエルの映画事情などいろいろお話してくださいました。日本や韓国の映画のほか、イラン映画も上映されて楽しんでいるとのこと。政治的状況とは違うのですね。なんだか嬉しくなりました。
映画祭はまだまだ20日まで続きます。会場のSKIPシティへは、映画祭の期間中、川口駅東口から20分毎に無料シャトルバスが運行されていて、楽々到着できます。 遠い!と腰を上げられない方、ぜひいらしてみてください!

ダルコ・ルングロブ監督
『それぞれの場所で』ダルコ・ルングロブ監督
マティ・ハラリ監督(右)と奥様
『バレンティーナの母』マティ・ハラリ監督(右)と奥様

(咲)

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2009年7月第1週
2009/7/5 (Sun)

LaLaTVでイラン映画『少女の髪留め』(マジッド・マジディ監督)を放映していて、久しぶりに観ることができました。昨年のアジアフォーカス福岡国際映画祭でマジディ監督とお会いできたことを懐かしく思い出しました。今年の福岡では、イラン映画、上映されるかなぁ~ トルコ映画は1本決まっているようなのですが・・・
4日(土)私が事務局を預かっている日本イラン文化交流協会主催で講演会を開きました。テヘラン大学外国語学部で日本語を教えていらっしゃる清水直美さんに、「イランの民間信仰」と題してお話いただきました。日ごろのニュースからは、厳格なイスラーム国というイメージを持つ人も多いと思いますが、実はイランでは聖所信仰が根強いのです。聖者の廟に人々はお参りしたり願掛けに行ったり、街角の聖所で蝋燭を灯したりしています。イランに行くと、バーザールを歩き回って疲れたら聖者廟に行ってゴロっとするというのが、私の大好きな町歩きのパターン。清水さんのお話では、最近、政府の方針であまり聖者廟で長居させないようにしているのだとか。(休息の場を奪わないで~!)
 男女別に分けられたのも革命後だといいます。革命前に訪れた時には、聖者の棺が納められた囲いをぐるっと廻りながらお参りしていたものですが、今は、真ん中で分けられていて、一周できないところが多いのを思い出しました。 思えば、もう3年もイランに行ってません。あ~行きたい! (という次第で、今日の写真は3年前のものです!)  


聖者廟で、聖者の棺が置かれたところに擦り寄るようにしてお参りする女性たち。左の柵は、男女を分ける柵。

聖者廟には、チャードルを被って入らないといけないのですが、持ってなくても入口で貸してもらえます。

街角で蝋燭を灯して願掛けする女学生

(咲)

7月1日(水)横浜・黄金町シネマジャック&ベティ(以下J&B)に参りました。梶原支配人発案の新たな試み「月例J&B交流会/映画の感想、劇場へのご意見今後上映してほしい作品など、お茶でものみながらお話するコミュニティ」に参加する為です。
J&Bが毎月発行するお知らせの片隅に、梶原支配人のコラムがあり「1人も来なかった場合、今後の開催を検討します(泣)」の最後の1行に、新しい企画を無くしてはなるものかと、名古屋から馳せ参じたのです。でも心配無用でした! 定刻の午後2時半には12人の方が集まり、梶原支配人も予想以上の参加者に、ホッとしたご様子。大多数は私も含め年配の方ですが、若い方も数人参加!
まず、自己紹介から始まりましたが、もうすごい映画歴の方やファイル、日記持参で今までご覧になった映画を、しっかり書き込んでいらっしゃる方、J&Bに来るきっかけをお話になる方、参加者すべてがこの劇場が大好き! 2度と閉鎖などならないよう何かしたい! という熱い気持ちの方ばかりでした。自己紹介と梶原支配人のお話で、あっという間に1時間半がたち、散会となりました。
次回は、8月1日(土)午後1時~の『台湾人生』を観た後、午後2時半過ぎから、できれば酒井充子監督を交えて、皆で語り合うことになりました。今から次回が楽しみです。 またご報告いたしますね。

(美)

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2009年6月第4週
2009/6/28 (Sun)

6月第2週の日記で、『築城せよ!』(6月20日(土)より新宿ピカデリー他にて公開)の話題を書いた折に脚本家の今井雅子さんのお名前を出したことをご本人にお知らせしたら、お返事が来て、思わぬ偶然が発覚! プロデューサーの益田佑美子さんを、私は「魔法のような微笑でお金を生み出す錬金術師」とご紹介したのですが、今井さんも6月19日の日記の中で、「『風の絨毯』で1億5千万円集めたプロデューサーの魔女田さんこと益田佑美子さんの錬金術にも磨きがかかり、この不景気に「キスかキフか?」を迫って・・・・・・」と書かれていたのです。キスか寄付?と思わず笑ってしまったのですが、美女の魔女田さんだからこその錬金術だなぁ~と。詳しくは、今井雅子さんの日記をどうぞ!  http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20090623

22日(月) 1979年(30年前!)に初めて香港を旅した時にお世話になったS氏のご葬儀に参列。S氏は、戦前上海にあった東亜同文書院のご出身で、10年ものシベリア抑留の後、商社に復帰し、日本と中国の架け橋として活躍された方。香港の現地法人社長をされている時に、S氏の元秘書の先輩と一緒に遊びに行ったのでした。S氏は外国人がなかなか会員になれない香港競馬会の会員。お陰様で、滞在中は連日、競馬会所有の跑馬地(ハッピーバレー)競馬場、沙田(シャティン)競馬場、粉嶺(ファンリン)のゴルフ場、 淺水灣(レパルスベイ)のテニスコートを巡り、レストランで優雅なひと時を過ごしたのでした。S氏にドライブして連れていっていただいた流浮山は、当時、牡蠣の殻の山積みされたところが船着場になっていて、すぐ対岸の中国に小船で向う人の姿が今でも目に焼きついています。数年後、2度目に訪れた時には、S氏の社宅に泊めていただいたのですが、部屋から夜景が見渡せるミッドレベルの素敵なマンション。香港のハイソな暮らしを垣間見て、ため息でした。新界の山の中にあるキリスト教会、道風山に連れていっていただいた帰路、道路際で黄色い服(道袍というそうです)を着た道士が祈祷している姿を見かけました。思えば、清明節の日でした。S氏にお世話になった香港の旅が原点になって、香港に愛着を抱き、レスリー・チャンに目覚め、それが縁でシネジャに辿り着いたという次第で、日記に書いてみました。
ところで、ご葬儀には、愛知大学の方々も多く参列されていたのですが、敗戦で閉鎖された東亜同文書院の教職員の方々により設立されたのが愛知大学だということを知りました。「世界文化と平和への貢献」、「国際的教養と視野をもった人材の育成」、「地域社会への貢献」という建学の精神には、東亜同文書院の半世紀にわたる歴史と反戦への思いが刻まれているのですね。

自宅近くの高幡不動で紫陽花と七夕を楽しんできました!

左:イランでは紫陽花のことを「ハフトランギー(7色)」というのですが、まさにそれを感じさせてくれる色合いですね~
右:高幡不動には、様々な紫陽花が。

左:高幡不動の五重塔&紫陽花
中:白い小花の紫陽花、可愛いですね
右:もうすぐ七夕♪

(咲)

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2009年6月第3週
2009/6/21 (Sun)

18日(木)  日本・パキスタン協会主催の講演会「パキスタンの現状ーある社会学者の見地から」へ。元カラチ大学人文科学部社会福祉学科長のモハッマド・アスラム・シャーさんから、美しいスワット渓谷地方がターリバーンの標的になって多数の難民を生み出している状況について、詳細なお話を伺うことができました。通訳を務めたのは、奥様のシャー真理子さん。いつもお料理教室で美味しいレシピを紹介してくださる真理子さんが、落ち着いた語り口でご主人の講演を通訳されて素敵でした。パキスタンの抱える厳しい現状を憂うご夫妻の思いもずっしり感じる講演会でした。
昨年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭で、9.11以降のパキスタンの現状を描いた『神に誓って(Khuda Kay Liye)』が観客賞を受賞しましたが、7月4日に東京で上映会が開かれます。英語字幕ですが、解説ガイドや資料もあるそうです。なかなか観る機会のないパキスタン映画です。ぜひお出掛けください。

パキスタン映画『神に誓って Khuda Kay Liye』上映会
主催「アーダム・ナイヤル博士記念パキスタン文化照光会議DANAM」
【日時】2009年7月4日(土)13:00~17:00
【場所】パキスタン大使館ホール(東京都港区南麻布4-6-17)東京メトロ日比谷線・広尾駅下車徒歩6分
【講師】野上郁哉(東京外大ウルドゥー語四年、音楽雑誌『0ar』誌編集長)
【料金】無料 定員50名
【詳細・申し込み】和光大学 村山和之さんmurayama@wako.ac.jp 7/2締め切り

観客賞受賞の喜びを語るショエーブ・マンスール監督
観客賞受賞の喜びを語るショエーブ・マンスール監督

さて、パキスタンもですが、ここへきて、我が愛するイランも荒れています。行方が気になり落ち着かない毎日です・・・

(咲)

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2009年6月第2週
2009/6/14 (Sun)

12日(金)(梅)さんから誘われて、『築城せよ!』の古波津陽監督とプロデューサー益田祐美子さんのインタビューに同席。益田さんとは『風の絨毯』以来のお付合いで、一緒にイランにも行った仲。実は、益田さんから、「ダンボールでお城を作っちゃう面白い映画があるのよ」と聞かされたのは3年前のこと。上映会にとうとう行けなかったのですが、それがやっと日本公開?と思ったら、なぁ~んと、リメイクした長編だとわかりました。古波津陽監督の最初の作品『築城せよ。』で高さ2メートルだったダンボールのお城も、『築城せよ!』では、25メートル! 古波津陽監督は、益田さんの著書「私、映画のために1億5千万円集めました。―右手にロマン、左手にソロバン! 主婦の映画製作物語」を読んで、資金集めのノウハウを伝授してもらおうとコンタクトを取ったのに、いつのまにか、自作をリメイクすることになっちゃったのだそうです。常識に捉われない超天然の益田さんは、脚本家の今井雅子さんが魔女田さんと呼ぶように、魔法のような微笑でお金を生み出す錬金術師。今回は3億円5千万円集めてしまいました。インタビューでは、益田さんが「古波津くん」に入れ込み、監督もそれに応えて映画作りを楽しんだ様子が伺えました。詳細は、特別記事をお楽しみに!

『築城せよ!』古波津陽監督とプロデューサー益田祐美子さん
『築城せよ!』古波津陽監督とプロデューサー益田祐美子さん

さて、この日はイランの大統領選挙投票日。金沢に住むイランの友人から、投票も兼ねて上京してきたとタイミングよく電話があって、インタビューが終わってから会いました。在東京イラン大使館のほか、大阪、福岡、仙台などでも投票できたのですが、10人集まると申請すれば投票所を設置してくれると聞きました。そういう意味では、とても民主的だと思うのですが、選挙後の報道では、現地では色々あったようですね・・・・

13日(土)アフガニスタン文化研究所とアフガン研究会共催で開かれたアフガニスタン映画上映会へ。第一部は、1956年に公開された記録映画『カラコルム』。1955年の京大カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊の映画班が撮影した“総天然色”映画。調査隊長の親族の方から、出発前に調査隊の先生たちに赤や黄色のシャツが支給されたことを伺いました。お父様は、「こんな派手なものは着れない」とおっしゃったそうですが、カラーで映画を撮ることへの意気込みを感じるエピソードでした。映画には、印パ分離独立直後のカラチや、のどかなアフガニスタン各地の様子が収められていて、時代を残すことができる映像の力をつくづく感じました。第二部では、アフガニスタンの監督による短編3本。こちらもどれも秀作でした。会場のいきいきプラザ一番町 カスケード・ホールは貴重な映像を観ようと集まった人たちで満席。あっちにもこっちにも久しぶりに会う知人友人がいて、嬉しい上映会でした。

(咲)

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2009年6月第1週
2009/6/7 (Sun)

わが家のケーブルテレビがデジタル対応に変更になって、ぐっとチャンネルが増え、韓国ドラマもたっぷり見られるようになりました。お陰で、すっかり出無精に。この1週間、火木土の3日しか外に出ませんでした。でも、充実の外出だったので、ちょっと長くなりますが、ご報告!

2日(火)『のんちゃん のり弁』の完成披露試写会へ。緒方晃監督と主演の小西真奈美さんの舞台挨拶付き。ダメ夫を捨て、幼稚園児の娘のんちゃんを連れて下町の実家に戻った小巻が、自立の道を模索し、お弁当屋さんを始めるまでの物語。小西真奈美さんが、「お母さんを演じるというより、1人の人間の成長を演じた」と語ったように、がむしゃらに生きる人間のエネルギーを感じさせてくれる作品でした。途中で、のんちゃん役の佐々木りおちゃんが登壇。小巻ママに当てた似顔絵付きの大きな手紙を読み上げました。すご〜く自然体の女の子。抜擢した理由を尋ねられた緒方監督、「200人程にお弁当を食べさせてみたけど、皆、スプーンや手で食べて、まともにお箸を使えない。でも、この子は、お箸で何でも食べる! なんか“昭和”って感じでホッとしませんか〜?」と答えていました。映画に出てくる美味しそうなお弁当は、『かもめ食堂』『めがね』でも料理を手がけたフードスタイリストの飯島奈美さんの手によるもの。お昼抜きで観にいったのは大失敗でした。(『のんちゃん のり弁』9月26日より有楽町スバル座他、全国ロードショー予定)

ヤスミン・アハマド
ヤスミン・アハマド監督

4日(木)アテネフランセ文化センターの「映画の授業 現代映画篇」の一環で上映されたヤスミン・アハマド監督の『グブラ』を観てきました。ヤスミンさんには、(梅)さんが紹介していたりして、作品の素晴らしさは聞いていたのですが、これまでどうしても観ることができなかったのです。『グブラ』は、いきなり黒板にアラビア語で書かれたバスマラ(「慈悲深く慈愛あまねき神の御名において」)で始まりました。(あ、やっぱり私が観るべき映画だった!) 最初に登場する若いムアッジン(モスクでお祈りを呼びかける役)の夫婦が主役かと思ったら、こちらは準主役。主人公は、オーキッドという女性。夫に「シャワーは一緒に浴びてくれなくちゃイヤ」と甘える一方、夫の浮気が発覚すると、毅然とやりこめる。かつて華人の恋人がいたこともある。(『細い目』を観なくちゃ!) マレー系、インド系、中華系という多民族が住み分けして暮らすマレーシアらしく、華人夫婦がお線香をあげているバックにアザーンが聴こえていたりする。音楽も、インド、マレー、中国、クラシックと多彩で、使い方が上手い。あ〜観られてよかった!と、エンディングロールが終わったところで、ベッドで寝ているオーキッドの姿。「お祈りにどうぞ」と電話で起こされた彼女、「あと、5分・・・」と男に甘える。夜明け前のアザーンは、「祈りは眠りに勝る」とお祈りを促すものなのだけど、眠りは祈りに勝る!? 最後の最後まで、憎い演出でした。

6日(土)中近東文化センター主催の「イラン考古学セミナー」へ。イラン大使館で美味しいランチ付き♪  実は、同じ時間帯に「研究シンポジウム 30年の後 〜イラン革命、アフガニスタン侵攻、中東和平・・・世界を揺るがした1979年の中東と世界を振り返る」という興味深い催しもあって迷ったけれど、結局、イラン料理に勝敗! 考古学調査もイラン革命の後、しばらくは外国の調査隊が入れず中断。この日の発表では、1976年に発掘した時の土器や資料が、30年以上を経てテヘランの考古学博物館にきちんと保管されていることが判明したというお話がありました。西欧の調査隊は、自分たちだけで調査して帰っていくけれど、日本の調査隊はイランの研究者をパートナーとして一緒に発掘作業を行ったことから、年月を経ても好感を持って記憶されていているのだそうです。それにしても、30年前のイラン革命も、20年前の天安門事件も、ついこの間のことのよう! ほんとに、時の経つのは早いです。

(咲)

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2009年5月第5週
2009/5/31 (Sun)

24日(日)  レスリー・チャンを語り継いでいる「哥哥的一天」でシネジャ76号を販売させていただきました。哥哥的逝世六周年・メモリアル2nd企画『張國榮の活動追憶』と題して、写真家の島津美穂さんをゲストに招いての、皆でレスリーの活動を振り返る至福のひとときでした。お買い求めくださった皆様、幸せなときを演出してくださったNEXT CLUB HONGKONGの皆様、ほんとにいつもありがとうございます。次回、6月28日の哥哥的一天トークゲストは、水田菜穂さん。「東邪西毒 終極版に思うこと!」を語ってくださるそうです。これまた楽しみです。
折しも、読者の方から「シネマジャーナルのレスリーの記事は彼への理解と想いにあふれていて本当に素晴らしいです。これからもどうぞよろしくお願い致します」との、お礼状も届きました。素敵な思い出をたくさん残してくれたレスリーに感謝の気持ちを込めて、いついつまでも語り続けたいと心に誓った次第です。

(咲)

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2009年5月第4週
2009/5/24 (Sun)

20日(水)『九月に降る風』『台湾人生』と2本続けて台湾が舞台の映画の試写。『九月に降る風』は、新進トム・リン(林書宇)監督による高校生の男の子悪仲間7人の物語。痛いけど爽やか。青春ですね。かたや、『台湾人生』は、青春を日本統治時代に過ごした日本語世代の台湾の人たちのドキュメンタリー。監督の酒井充子さんは、かつて新聞記者や映画の宣伝を経験してきた方。ある1本の台湾映画が酒井さんを台湾に誘い、その時出会った日本語を話すおじいさんのことが忘れられず、この映画に繋がったのだそうです。『台湾人生』が、かつて日本が台湾を51年間統治していた歴史を思い起こすきっかけになればと、翌日のインタビューで酒井さんは静かに語ってくださいました。
実は私の母は、台湾からの引揚者。祖父が基隆の港で水先案内人をしていたのです。当時は、まさに台湾も日本の一部で、母は中国語も台湾の言葉も一切習わなかったし、食べ物も内地のものばかり好んで食べていたのが残念だと言います。今でも、台湾人の同級生の方からは綺麗な日本語で手紙が届きます。教育の力の凄さを感じさせられます。母語まで変えてしまうこともできるのですから。
夜、元会社の同僚の方と会い、映画のことを話したら、台湾に長期出張した時に食堂で食べた料理がとても美味しかったと聞かされました。思えば『九月に降る風』の舞台、新竹は米粉の産地。本場の米粉を食べに行ってみたくなりました。あの男の子たちにも出会えるといいな。(咲)

(咲)

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2009年5月第3週
2009/5/16 (Sat)

投名状

16日は劉徳華(アンディ・ラウ)のサイン入りポストカードプレゼントがあるというので、『ウォーロード/男たちの誓い』を友人たちと見に行きました。この映画を最初に見たのは、2007年12月、アンディのコンサートを香港に見に行ったとき、ちょうどやっていたので見ました。なかなか決まらなかった日本公開が決まり、4月に試写に行き、さらに一般公開が始まったので見に行ったというわけです。
でも、もうこれで、終わりにしようかなとも思います。正直、こんなに戦いのシーンが強烈なのは、しんどいです。せっかくの男たちの義と友情の物語ですが、そのことにたどりつく前に、戦いのシーンで嫌になってしまうのです。
香港で見てからすでに2年半くらいたっていますので、細かいところは覚えていないですし、北京語がすべてわかったわけではないので、たくさんわからないところもありましたが、男たちが義兄弟の契りを結ぶことによる、葛藤と裏切りのドラマだということはわかりました。でも、4月に試写で見たとき、あまりにも殺戮のシーンが多く感じられ、これって何?と思ってしまいました。香港で見たときには湧かなかった感情です。何のために、こんなに殺しあわなくてはいけないのか、無駄死にがたくさん描かれていて、そういう映画を作るということにまで、疑問を持ってしまいました。
後で知ったのですが、今回の日本公開版はインターナショナルバージョンで、香港公開バージョンより10数分短いバージョンだったそうです。その削られた部分がないばかりに、伏線が生きてこず、余計、戦うシーンに目が行ってしまうのかもしれません。私と同じような思いの人がいて、彼女はとうとう、香港版と日本公開版の比較表まで作ってしまいました。もし興味がある人は覗いてみてください。

★「投名状/ウォーロード 異同表」
http://blog-imgs-24-origin.fc2.com/m/c/h/mchamp105/warlords.htm

また、男たちの友情、駆け引き、裏切り、という割には、原因になる蓮生(シュウ・ジンレイ)の行動がなぞでした。もう少し彼女のことを、ちゃんと描いていたら違ったかもしれません。「家出を繰り返してはもどってくる」と話すシーンがあったのですが、その割りには、何で家出するのかがいまいちわからなかったし。家出して戻ってきても、何もなかったようにいるというのもなぞでした。夫婦喧嘩でもあれば、理由はわかったのですが…。
そしてアンディの声が、またしても吹き替えで、さらに全然似ていないので、アンディが話しているシーン、一瞬ほかの人が話しているのかと思ったところがありました(笑)。さらに、映画パンフを買ったら、なんと、李連杰(リー・リンチエ)と金城武の紹介はカラーページなのに、アンディと徐静蕾の紹介ページはモノクロ。この差は何!!と、思わず怒りが沸きました。あんまりだわ。こんなところでケチらないでほしいと思わず思ってしまいました。
それに、『ウォーロード/男たちの誓い』HPのランキングも何?って感じ。あんなランキングをやれば、日本での知名度の順になることは決まりきっているわけで、これはないなと思ってしまいました。
あまりにも日本での宣伝、香港や中国での実情や、日本の香港映画ファンの心を知らなすぎです。 せめて、DVDになるときは、香港バージョンで作ってほしいと願うばかりです。



       街中で       海港城劇場入り口の劉徳華ポスター

(暁)

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2009/5/17 (Sun)

GW中にマレーシア旅行に行ってきました。クアラルンプールを拠点にバスでマラッカとイポーにも行ってきました。とりわけ印象深かったのはイポーです。平らな土地にポコポコと山のあるカルスト地形が独特で、マレーシア第3の都市と言う割には、とてものんびりとした田舎町です。昔は錫や銅がとれて随分と賑わい、それら鉱山資源を目的に戦時中は日本軍が占領しました。2005年の第18回東京国際映画祭アジアの風で上映されたマレーシア映画『ゴールと口紅』や翌年に上映された『グッバイ・ボーイズ』の監督、バーナード・チョウリーはイポーの出身で、映画もイポーで撮っています。ヤスミン・アハマド監督もイポー好きで、多く撮影しています。アン・リー監督の『ラスト・コーション』も一部イポーでロケしています。街を歩くと多くの映画人に愛される理由がわかります。古い街並みが多く残っていて、それを見て回るのが楽しくて随分と歩き回りました。加えてここはご飯がおいしい! 名物の鶏飯、河粉(ホーファン)、もやし(タウゲ)のセットは、今回の旅行で最高においしかった食事です。これを食べるためだけにでも行っても良いかも。

オールド・タウン 古い建物
古い街並みが残る
イポーの鉄道駅 市民ホール
鉄道駅にはホテルが併設されている  一転にわかにかき曇り雷がなり始めましたが幸い雨は降らず。ものすごい凄い稲妻と雷鳴でした。
鶏、河粉 タウゲ、鶏飯
名物の鶏飯、河粉(ホーファン)、もやし(タウゲ)
何宇恆(ホー・ユーハン)

今回はクアラルンプールで『Rain Dogs』のホー・ユーハン監督に会ってお話を伺うことができました。丁度、新作『心魔』の編集を韓国でやり終えて帰国したばかりの監督は、気さくで、とても話していて楽しい方。このときのインタビューは折を見て、掲載する予定です。
わたしが帰国した後、監督にお礼のメールをすると、その返事に「黒澤明文化振興財団主宰のショートフィルム・コンペティションでグランプリを獲ったと今日連絡がきた!」とあるではありませんか。何というグッド・タイミング! これでまた監督の作品を日本で観る機会が得られそうだと喜び合いました。

(梅)

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2009/5/17 (Sun)

15日 Sさん宅で、シネジャ76号の発送作業。予定より1日早く、14日に印刷所より届いたので、大口はすでにSさんが14日のうちに一人で発送。この日は、名古屋のMさんが、発送にも駆けつけ、定期購読者の皆様への発送を完了! メール便ですので、そろそろお手元に届くことと思います。今回は、4月19日の香港金像奨報告記事を入れる為に発行が大幅に遅れましたこと、お詫び申しあげます。


Sさん宅近くの白山神社境内で

発送作業を終えて、東京ドイツ文化センターでの国際シンポジウム「平和のための文化イニシャティブの役割 ~日独からの提言~」 に行ってきました。紛争地や被災地での文化活動を取り上げ、「国際文化交流事業が平和に対して果たす役割」を再評価するという、ちょっと真面目な催し。イスラエルが作った分離壁に描かれた、たくさんの風船を持って壁を越えようとする女の子や、壁を切り取り線に沿って鋏で切るという絵には、辛い状況の中でユーモアを忘れない人たちのことを思い、涙が出ました。事前の案内には載ってなかったのですが、レセプション(美味しかった~!)の後に、映画が上映されました。『Comrades in Dreams』(Uli Gaulke監督、2006年 独)は、「映画は、世界の隅々まで」というコンセプトのもと、世界4箇所で映画を見せることを仕事にしている人たちの姿を描いたドキュメンタリー。インドでは移動式テント、ブルキナファソでは塀で囲った野外劇場、アメリカは片田舎の小さな映画館(ポップコーンとコーラはビッグサイズ!)、北朝鮮は文化センターと、映画をみせる環境もさまざま。働く人たちは、映画が皆の人生を豊かにしてくれるという信念を持って映画の上映にあたっていることを感じさせてくれました。中でも興味深かったのは、北朝鮮。将軍様金正日の映画好きは有名ですが、なんとも時代がかった映画。そして、文化センター管理人の女性の家の豪華な夕食・・・ 実際の北朝鮮の人たちの生活はどうなのでしょう? と、つい思ってしまいました。映像は、真実も嘘も伝えることができるということを心しないといけないですね。この映画の後、もう一本『My Kabul』という20分程の短編が上映されました。「30年前、ソ連が侵攻してくる前は、のどかないいところだった」と語る老人。ソ連侵攻直前に行くチャンスがあったのに、行き損ねた私。荒れ果てたカーブルの町の姿に、なぜこんな町に・・・と、ほんとに悲しくなりました。いつ、平和が訪れのでしょう。

(咲)

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2009年5月第2週
2009/5/10 (Sun)

GW後半は雨模様でしたが、皆さん、いかがお過ごしでしたか~?
豚インフルエンザへの過剰とも思える対応・・・ 香港のホテルで缶詰になった方々はお気の毒でしたが、アフリカの任地から一時帰国した元同僚、出社するなと言われ、役員会での報告も免れたとか。これは、ラッキー!?

日本・ブルガリア外交関係再開50周年記念「ブルガリア映画特集」が、4月29日(水)~5月8日(金)京橋のフィルムセンターで開かれていたのですが、7日に『炎のマリア』(1972年)を観てきました。 「ブルガリアがオスマントルコの圧政にあえいでいた17世紀後半・・・」という作品紹介が気になった次第。羊飼いの夫が山で放牧している留守に、妻が幼い娘の目の前で「トルコ人たち」に輪姦されたあげくに殺されるのですが、政治的に権力を持つわけではない普通の村人にしか見えないトルコ人たち。(単にイスラームに改宗した人たちでは?) 夫は娘に男装させて鍛え、後に復讐させるのですが、500年にわたるオスマントルコ支配への怨念を見せ付けられた思いでした。帰宅して妻の遺体を発見した夫が、裸の妻に衣を着せかけることもせずに、家ごと燃やしてしまうことには、ちょっと違和感。娘が恋した男も殺してしまうし、いや~なんとも凄い映画でした。


しゃくなげ@天城グリーンガーデン

(咲)

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2009年5月第1週
2009/5/3 (Sun)

次号シネマジャーナル76号は、名古屋の(美)さんも編集に初参加して入稿にこぎつけました。原稿が揃い、さて表紙を何にするか、いつもあれこれ迷います。皆、自分が記事を書いた作品には思い入れがあるし、一つに絞りきれず、いっそのことと、74号から3作品の画像を掲載しています。今回、入稿間際に飛び込んできたのが、キム・ジウン監督作品『GOOD・BAD・WEIRD』の日本公開決定のニュース。 昨年夏、韓国で大ヒットし,『いい奴、悪い奴、変な奴』のタイトルで流布していた作品。昨年トロント国際映画祭で上映された時の模様を、参加した方から寄稿いただきました。 ソン・ガンホ、イ・ビョンホン、チョン・ウソンという実力派3人が出演する、私にとってもほんとに公開を待ち望んだ作品。宣伝の角川メディアハウス様に無理をお願いして、表紙の3作目に画像をいただくことができました。(イ・ビョンホン主演映画という売りで、画像もビョンホン一人のものなのが、ウソン様やガンホ様が大好きな私にはちょっと不満。すみません・・・)
76号は、2008年ベストテン、ベルリンはじめ各種映画祭レポート、香港電影金像奨、追悼 レスリー・チャン七回忌、『キッチン~3人のレシピ』チュ・ジフン、ホ・ジヨン監督来日報告、『ニセ札』木村祐一監督インタビュー、特集「戦うシーンはこんなに必要なの?」、 その他、新作紹介、インタビューなど盛りだくさんです。5月中旬発行予定。ご予約もお待ちしております。

さて、入稿を済ませ、ほっとして今週後半は都内散策を楽しみました。ツツジや新緑がほんとに綺麗ですね。写真でちょっぴりご報告します! 


日暮里からイラン料理屋ザクロに行く途中のお寺。いつも素通りするのですが、満開のツツジに惹かれて中まで入ってみました。

子供の日も近いですね~ 谷中のお寺で。

根津神社のツツジも、もうすぐ満開。緑が混じるのも綺麗ですね。

開業以来、一度乗ってみたいと思っていた舎人ライナー。1年経ってやっと乗りました。

舎人ライナー終点の見沼台親水公園。小川沿いの散歩道はGW初日も静かでのんびり~

舎人ライナーの一番後ろの席に坐って、高見の見物♪

西新井大師へは舎人ライナー「西新井大師西」駅から徒歩20分! 牡丹や藤の花が綺麗で、歩いた疲れも吹っ飛びました。

迫力の西新井大師、塩地蔵。

(咲)

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2009年4月第4週
2009/4/26 (Sun)

火・木と、かつて勤めていた会社の人たちと続けさまに飲む機会がありました。久しぶりに会って、「丸くなったね」といずれの会でも言われてしまいました。人間が丸いのは元々ですから(!)、もち、丸くなったのは、顔! うぅ~、毎日好き放題している代償? 集まりの一つは、組合本部役員をしていた頃の会。闘志に燃えて役員になったわけでなく、まさに御用組合だったのですが、それでも団交(団体交渉)の時にメモを一生懸命とった経験が、今や記者会見やインタビューの時に役立っています。なんでも経験!

24日(金)8月1日公開の竹中直人監督の最新作『山形スクリーム』( 公式サイト : http://yamagatascream.gyao.jp ) の完成披露試写会に行ってきました。竹中直人さんらしく、つっかかりながらの入退場。平家の落ち武者の里、山形県・御釈ケ部村を舞台に繰り広げられる女子高校生と落ち武者ゾンビの物語。竹中直人さんからは、「人生の価値観で感じ方は違うので、面白かった~という人は笑顔で、つまんなかった人は表情に出さないで僕の顔を見ないで帰ってください」との挨拶。超バカバカしい映画ですが、ゾンビの歩き方など可笑しくて頭から離れません。

25日(土)、アルジェリアや、インド洋のイスラーム教徒の移動やら、パレスチナやら講演会が重なっていて、どれに行こう・・と悩んでいたのですが、大雨にめげてどれもやめてしまいました。お陰で76号の原稿もほぼ完成! やれやれ~

(咲)

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2009年4月第3週
2009/4/19 (Sun)

4月18日がシネジャ76号の第一回編集日のため、今週は外出を控え目にして、家で原稿と格闘!(でも、はかどりませんでした・・・汗) 例年なら、シネジャ春の号の編集は3月末~4月初旬なのですが、今年は香港電影金像奬授賞式が4月19日なので、その記事を入れるために編集日を遅らせた次第です。発行は連休明け、5月中旬になりそうです。どうぞご了承ください。
この日記がアップされる頃には、金像奬の結果も出ていますね~ アン・ホイ監督の『生きていく日々』、何か賞を取れるといいなぁと願っている私です。

さて、最終試写が近い作品があって、水曜日に麹町の角川映画まで出かけました。でも、満席で入れず! がっかりして、帰りは麹町でなく、赤坂見附に出ようと清水谷公園の方に向ったら、ホテルニューオータニとの間の通りが満開の八重桜の並木道! 思いもかけない桜にびっくりでした。清水谷公園脇にペルシャ絨毯屋も見つけ、店主のイラン人と八重桜を眺めながら、しばしおしゃべり。映画は見られなかったけど、嬉しい出会いがあったのでよかった!と慰めました。カメラを持ってなかったので、八重桜は自宅のものを披露します! 
さぁ、あと1週間、本誌原稿をなんとかまとめなくては! 


(咲)

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2009年4月第2週
2009/4/12 (Sun)

桜、桜、桜、取材、取材、取材・・・の1週間でした。

10日(金)『蟹工船』完成披露試写会&記者会見。入口で、蟹缶をいただき、太っ腹~!と思ったら、蟹風味かまぼこでした。夜、家でさっそく胡瓜の酢の物にしたら、母、しっかり蟹と思ってくれました。記者会見報告は、後日!

『蟹工船』記者会見
鬼監督役の西島秀俊さんも思わず笑ってしまう爆笑の『蟹工船』記者会見
(画像クリックで拡大します)

記者会見の会場が半蔵門だったので、千鳥が淵を抜けて九段下まで歩いてみました。桜は見頃を過ぎてしまいましたが、花びらが水面に浮かんでとても素敵でした。

千鳥が淵
その後、渋谷のアップリンクで『雪の下の炎』楽 真琴(ささ まこと)監督にインタビュー。 特別記事をご覧ください!

根川緑道の桜

11日(土)中野サンプラザで、「DANDE LION パク・シニャンファンミーティング」。とっても大人なパク・シニャンの心あたたまるファンミでした。記者会見とファンミの間の3時間、一緒に取材に行ったKさんの悲劇なのに笑ってしまう話で、あっという間に時が経ちました。Kさんは、先日、お母様とチャン・ドンゴンのファンミに行ったのですが、お母様は、彼女の不幸を、チャン・ドンゾコ、チャン・ドンマイと励まされたとか。Kさんのユーモアのセンスはお母様譲り! 

(咲)

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2009年4月第1週
2009/4/5 (Sun)

31日(火)『キッチン ~3人のレシピ~』ホン・ジヨン監督にインタビュー。10時過ぎにウェスティンホテルに着いたら、午後1時受付開始の主演チュ・ジフンと監督の記者会見会場に、すでに列が・・・ ジフン、人気ですね~! 熱気溢れる記者会見で、ジフンと監督、時々顔を見合わせて微笑みあって、なんだかとってもいい雰囲気でした。(詳細は、特別記事で!)

1日(水)レスリー迷にとって一生忘れられないあの日から、早や6年。今年もかつてのお仲間で集まりました。韓流に走って“経験”を生かしていたり、家で静かに絵を描いていたりと、“その後”の人生は様々ですが、顔を合わせるとあっという間に楽しかったあの頃に戻って、わいわいがやがや。『花の生涯~梅蘭芳~』が、まずは話題に。(詳細は内緒! 笑) そして、いち早く『レッドクリフ PartII-未来への最終決戦-』を試写で観た数名、Part I とPart II、どっちがよかったかでは意見が分かれましたが、「(趙雲を演じた)胡軍、カッコよかったね~」と全員一致。レスリーが存命だったら、どの役がきたでしょう・・・ もう新たな映画は観られないと思っていたら、そう!『東邪西毒 終極版』です。レスリーの出番が増えているらしいとの話に沸き立ちました。早く観たい!

さてさて、やっと桜が満開になりましたね~ 前々から4日と5日に設定していたお花見に、桜が気を使ってくれたみたいです。4日は、赤坂アークヒルズで開かれたアラブ・チャリティー・バザーを兼ねて、桜坂へ。毎年、ここだけは必ず訪れる大好きなお花見スポットです。カラヤン広場の賑わいが嘘のように、静かで上品! 5日は、花より団子で、まず、トルコ料理「ボスポラス・ハサン」でお食事してから、新宿御苑。まだ数日お花見を楽しめそうで嬉しいですね。桜の写真、先週の日曜日に訪れた東郷寺の枝垂桜もお届けします。 


(左)桜坂は、桜のトンネル
(右)桜坂で異彩をはなっていた濃いピンクの桜

(左)東郷寺の枝垂桜(3月29日)
(右)映画『羅生門』のセットのモデルといわれる東郷寺の山門

(咲)

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2009年3月第5週
2009/3/29 (Sun)

25日(水)沖縄集団自決の歴史歪曲を巡るドキュメンタリー映画『ぬちかふぅ-玉砕場からの証言』の製作報告会見へ。1945年3月25日、米軍が最初に上陸した慶良間諸島での集団自決の悲劇から64年目の日。監督の朴 壽南 (パク・スナム)さんは、在日コリアン二世。そのことが、この映画製作に深く関わっていることを知りました。 (詳細は別途報告します!)当時を知る人がどんどん逝ってしまう中、記録を残すことの大切さを感じたひと時でした。


『ぬちかふぅ-玉砕場からの証言』製作報告会見
静かに語る朴 壽南(パク・スナム)監督

28日(土)さいたま市与野にある中東ミニ博物館の定例講座へ。 この日の講演は、地球を話す会副会長の高野さんによる「ブータンを旅して思うこと」。昨年イスラエルのお話の時には、正統派ユダヤ教徒姿で登壇した高野さん、今回も期待を裏切らず、男性の伝統服ゴーとハイソックス&革靴姿に変身。ブータンの公務員が公務の時に義務付けられている服装です。伝統を守る一方で、小学校から国語以外は英語で授業を行うという国王の方針は、小国が生き抜く知恵。国・王・国民みんなが幸せにという、GNPより国民総幸福量を重視するブータン。医療費・所得税・義務教育費は無し。重病でインドにヘリコプターで搬送されても無料。顔に傷がなければ、美人・ハンサム。国民になれないまでも、あ~行ってみたい!と思ったら、観光は客の質を重視。1日100ドル位使ってくれる人しか入れて貰えないんだそう。行けない・・・

伝統服ゴー姿で、ルンタ(「風の馬」の意味の旗)を見せてくださる高野さん
作品紹介:『風の馬』

 

(咲)

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2009/3/29 (Sun)

旅立ち ~足寄より~

 試写状をもらっていたのに行くことができず、東京国際映画祭での上映の時は、他の作品とバッティングしていて見ることができず、一般公開されてもなかなか観に行くことができなかった『旅立ち~足寄より~』、一般公開が終わりそうになってからやっと、観に行くことができた。
 なかなか行かなかったのには理由がある。実は松山千春が嫌いなのである。いや、歌は好きなんだけど…。デビューした当時、なんて人の気持を害する言い方をする人なんだろうと思った。人の気持も考えず、ズケズケと物を言う人だなと思い、「なんなの、この人」という感じだった。
 でも、こんなにも攻撃的でいやな物言いをする人が作る歌は、とても心に響く歌だった。 「季節の中で」「大空と大地の中で」「長い夜」「空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように」など、大好きな歌である。なので、このアンバランスはなんだろうと、ずっと気にはなっていた。
 松山千春は嫌いだけど、実は足寄には20年くらい前に行ったことがある。それは、成長すると2mくらいにもなるというラワン蕗を見たかったのと、オンネトーという湖にぜひ行ってみたいと思ったからだった。それに、オンネトーからの雌阿寒岳や阿寒富士を見たかったから。北海道が大好きで、その時は1ヶ月くらいかけ、車の中で寝泊りしながら道内をずっと回っていた。阿寒湖から釧北峠を抜け、オンネトーに行き、湖と湖面の向こうに見える雌阿寒岳や阿寒富士の姿に感動した。オンネトーは色彩豊かな神秘の湖だった。そして、いつまでもそこを立ち去りたくないという思いが残ったのを覚えている。


オンネトー、雌阿寒岳、阿寒富士
 というわけで、この『旅立ち ~足寄より~』を見ようと思ったのは、松山千春の映画だからというより、きっと雌阿寒岳や阿寒富士、オンネトーなど、なつかしい足寄の景色が出てくるだろうと思ったからだった。そして、やっぱり何度も何度も、この二つの山が出てきて、とても懐かしい思いになった。
 でも、この作品を観るうち、松山千春を作ったのは、家族だけでなく、この自然だったに違いないと思った。憎たらしくてぶっきらぼうな言い方をする人だけど、心根はとても優しいのである。だから、こういう繊細な歌を作れたんだと納得した。そして、松山千春を少し理解できたような気になった。
 そして、中島みゆき大好きな私としては、今度は中島みゆきを主人公にした映画を誰か作ってくれないかなと切に願う。その20年前に車で北海道を巡った時、実は、帯広、札幌、積丹半島の町と、中島みゆきの足跡もたどったのである。みゆきさんの歌にも、生まれ育った街、環境が色濃く反映されていると感じる。北海道はおおらかで、力強く、大胆でいて繊細な人を作りだすのかな…。

(暁)

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2009年3月第4週
2009/3/22 (Sun)

春分の日は、イラン暦の元旦“ノウルーズ”(ノウ:新しい ルーズ:日)。それに合わせてイラン大使館でペルシャ絨毯協同組合主催の「ペルシャ絨毯と文化展」が開かれました。


左:絨毯と文化展 イラン女性も行き交う会場
右:絨毯を織るイラン美人  一日何センチ?

各社選りすぐりの絨毯(100~150年前のものも!)の展示のほか、イランのお正月の飾り物“ハフトスィーン”も大小二つ。 S(スィーン)で始まる物7つ(ハフト)のほか、鏡、蝋燭、金魚、色づけした卵、コーラン、ハーフェズ詩集などが飾られるのですが、初めて見たのが、水に浮かぶオレンジ。

左:説明付きのハフトスィーン。飾り物一つ一つに意味がありますが、
イスラーム以前のゾロアスター教時代からの伝統に基づくものが多いそうです。
右: 飾る人のセンスが溢れるハフトスィーン。
でも、可愛くて小さな金魚型の金魚鉢の中で、金魚が息切れしてました。

水の中に浮かぶオレンジ(または、カボス)は、宇宙の中の地球。

宇宙の中の地球を示すそうです。講演会、伝統音楽演奏のほか、恒例のイラン大使館主催の映画上映会も。『ギャッベ』(モフセン・マフマルバフ監督)に『風の絨毯』(カマル・タブリーズィー監督)と絨毯絡みの映画2本。盛りだくさんの催しだったので、18日のオープニングから、19日・20日と、結局3日連続イラン大使館に通ってしまいました。

左: 来日した「Golrizan」楽団による伝統音楽演奏。
アンコールの大きな拍手に応えてくださいました。
右:中でもタンバリンの親分のようなダフの演奏は絶品でした。惚れ惚れ~

これは、日本とイランの国交樹立80周年を記念したイベントでもあったのですが、一方、イスラーム革命後、国交断絶しているのがイランとアメリカ。オバマ大統領からイラン政府と国民に向けて、ペルシャ語字幕付きのノウルーズ・メッセージが届けられました。BBCのニュースで、それに対する反応をイランの人たちにインタビューした映像が流れたのですが、背景はお正月のお花を調達する人々で賑わうおしゃれなお花屋さん。薔薇の花を手にした男性もマイクを向けられていて、空港で花束を手に出迎えるイランの人たちのことを思い出しました。男性から男性に花束というケースもよく見かけます。私も、日本では男性から貰ったことなどない花束を、イランでは何度か男性からも頂いたことがあります。(相手はふつ~の友人です。念のため) ニュースでは狂信的なイメージを植えつけられることも多い中、花屋さんでのインタビューは、なんだかほっとした次第です。あ~イランに行きたい! 

(咲)

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2009/3/22 (Sun)

シネジャのサイトのお手伝いをしている山崎です。スタッフではありませんが、今日は日記を書きますね。
ぼくは岡山に住んでいます。ぶらぶら天神山文化プラザに展覧会を観に行って ふと掲示に目をやると「田淵史子追悼公演」とい文字が目に飛び込んできてびっくりしました。 田淵さんはもともと演劇をしておられた方ですが、映画に移られ、 シネマジャーナルでも第2作『月に星』の試写会の 案内をさせていただいたことがあります:作品紹介。このときの試写会に招待していただきました。

昨年の8月末、「田淵史子」というキーワードでの検索が多いのに気づき、ネットで 調べたところ、なんと8月15日に32歳の若さで逝去されたことを知りました。 同時に田淵さんが岡山出身であることを知り、とても驚きました (ぼくは4年前から岡山に引っ越しました)。
そして昨日、偶然その追悼公演の日に会場に居合わせることができ、なにか縁のようなものを 感じました。この日上演されたのは、この劇団(劇団瀬戸内三大珍獣)で最後に田淵さんが参加した 「季春」という芝居でした。 人と人との絆とか、「そこにいること」の大切さを伝えるかなりストレートな芝居でした。 会場には田淵さんのご両親も来ておられ、初演時に田淵さんが演じられた老婆の役の女優さんに 花束を贈られました。
田淵さんは死を覚悟されたと同時に、後になにか形のある物を残したいという必死の気持ちで 映画を作成されたようです。 芝居は上演が終われば大道具も片付けられ、跡形もなく消え去ってしまうものではありますが、 田淵さんを追悼するこの場に偶然にしても居合わせることができたことは幸運だったと思いました。

(山崎)

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2009年3月第3週
2009/3/15 (Sun)

10日(火) 『失われたトランク』を観にオランダ映画祭へ。両親がホロコーストの生存者ながらユダヤの伝統に捉われない家庭の女の子が、ハッシド派で伝統をかたくなに守るユダヤ人の家で子守として働き始め、口をきかなかった4歳の男の子と心を通じ合わせる物語。ラストは悲しいけれど、久々の感動作。観ることができてよかった~!

12日(木)フランス映画祭初日。『シークレット・ディフェンス』フィリップ・ハイム監督インタビューが12時半に終わって、記者会見まで時間がたっぷりあったので、ホテルオークラから泉ガーデンを抜けて、六本木ミッドタウンまでぶらぶら歩いてみました。泉ガーデンで、あれっ? 桜が満開?・・・と思ったのですが、桃ですね。写真を撮っていたら、アメリカから時々日本に遊びに来るというご婦人が「日本はとっても綺麗で安全で大好き」と話しかけてきました。アメリカで余程危険なところにお住まいの様子。どこに住んでいらっしゃるのやら。3時過ぎ、六本木ヒルズへ。フランス映画祭も開催場所が横浜から東京に移って4年目。レッドカーペット目当てに大勢のファンが集まっていました。記者会見やオープニングの様子は、特別記事でご紹介!

『シークレット・ディフェンス』フィリップ・ハイム監督 桜? いえ、桃ですね。@泉ガーデン
   フィリップ・ハイム監督      桜? いえ、桃ですね。@泉ガーデン

13日(金)朝10時からフランス映画祭『顧客』ジョジアーヌ・バラスコ監督にインタビュー。朝は苦手の私、なんとか頑張って10時前に到着したのですが、監督が時間を10時半と間違えていて・・・ふぅ~。終わって、ロビーで『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』ミーシャを熱演したマチルド・ゴファールちゃんに出会いました。お名前が出てこなくて、思わず「ミーシャ!」と呼び止めてしまいました。快く写真を撮らせてくださいました。
ジョジアーヌ・バラスコ監督 ミーシャを熱演したマチルド・ゴファールちゃん
[左の写真] 熱弁をふるう『顧客』のジョジアーヌ・バラスコ監督(左)。
映画共演が縁で結婚したジョルジュ・アギラ氏はアメリカインディアン。

[右の写真] 『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』ミーシャを熱演したマチルド・ゴファールちゃん

午後は1時過ぎに大鶴義丹さんにインタビュー。一緒に取材に行く(梅)さんから、取材場所の中目黒にシンガポール料理のお店があると誘われてお昼を食べに行ってみました。私は香港で食べ損ねた叉焼飯をいただきましたが、シンガポールといえば、やっぱり海南鶏飯でしょう。雰囲気のある食堂で、シルビア・チャンが主演した『海南鶏飯』を思い出したひと時でした。(梅)さんの食べた海南鶏飯を写真でご紹介! 義丹さんには、40分の予定がたっぷり1時間。朝のリベンジを果たしました。義丹さん、監督第二作『私のなかの8ミリ』について、熱く語ってくださいました。 3時半、再びフランス映画祭のインタビュー。巨匠コスタ・ガヴラス監督にお会いできることになり、ちょっと緊張。赤いソックス姿がとてもダンディでした。インタビュー記事は、次号76号で!
海南鶏飯 『西のエデン』コスタ・ガヴラス監督
        海南鶏飯            『西のエデン』コスタ・ガヴラス監督

14日(土)NIHUプログラム・イスラーム地域研究主催の公開講演会「映像のイスラーム世界」を聴きに早稲田大学へ。アラブ映画祭でお馴染みのナジーブ・エルカシュさんからは、「宗教の社会、無宗教のカメラ ~ 映画から見たアラブ知識人層」と題するアラブの映画が宗教的ではないという話。映画が生まれた19世紀末は、アラブ諸国が植民地となり、人々のアイデンティティーが、宗教よりもアラビア語という言語が中心になってきた頃。アラブの作家主義監督として知られるユーセフ・シャヒーン監督、ミシェル・クレフィ監督、エドワード・サイード監督、エリア・スレイマン監督などがこぞってキリスト教徒なのも興味深いことでした、続いて、アジア経済研究所の鈴木均さんから「イラン映画のなかの家族」と題して、今に語り継がれる名作『ゲイサル』(1969年)や、『りんご』『ギャッベ』などの映像を交えて、イラン社会の家族関係についてお話を伺いました。特に、異性の兄弟姉妹の絆が強いということには、思い当たることが多々あり、なるほど!と納得。(姉妹を大事にするイラン男性がほんとに多いのです。)
講演が終わって、国際交流基金主催のアジア映画ベストセレクションで上映されるインドネシアのリリ・リザ監督作品『虹の兵士たち』を観に赤坂・OAGホールに走りました。会場は超満員。スズで潤う島で、その恩恵を受けられない貧しい子供たちが、島で最古のイスラム学校の伝統を守ろうとする先生の下で学ぶ姿を描いた感動作。終わって拍手が沸き起こりました。リリ・リザ監督にはアジアフォーカス福岡国際映画祭でお話を伺ったことがあります。まだまだ若い監督、これからもインドネシアの歴史を背景にした素敵な作品を作ってくださることと楽しみです。

(咲)

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2009年3月第2週
2009/3/8 (Sun)

4日(水)4月18日から『子供の情景』が岩波ホールで公開されるのを前に、ハナ・マフマルバフ監督が来日。この日は、イベント第一弾、<ハナ・マフマルバフ、日本の同世代女性と語る>。雨の中、千駄ヶ谷の津田塾大学に行って来ました。学生さんの代表質問に一つ一つ丁寧に答え、最後に、ハナちゃんから「英文学を勉強して将来は何になりたいですか?」と逆に質問。学生さんから「まだ決めていないですが、素敵な大人になりたいです」との答えが返ってくると、「私も素敵な大人になりたいです」とハナちゃん。20歳になり、一昨年の東京フィルメックスでお会いした時よりも、さらに女らしくなって、もうすっかり素敵な大人です。
終わってから、東京フィルメックスの時の写真を差し上げたら、一緒に写っているお兄さんのメイサムにチュッ! (2007年11月第4週の日記で紹介したMARUNOUCHI CAFEでの写真です。)家族愛を垣間見た瞬間でした。

企画運営した学生さんたちと すっかり女らしくなりました
企画運営した学生さんたちと            すっかり女らしくなりました
通訳のショーレ・ゴルパリアンさんと @記者会見
通訳のショーレ・ゴルパリアンさんと @記者会見

5日(木)1時半、『子供の情景』ハナ・マフマルバフ監督記者会見。新聞記者たちのちょっと小難しい質問にも鋭い切り返しをして、ハナちゃん凄いです。イラン女性の強さを見せつけてくれました。終わってすぐ、チョ・インソン2009ファンミーティング -Thanks a Million~ 感謝を込めて- のイベント取材にいそいそと向いました。(変わり身が早い!)会場の東京国際フォーラムAホールは、レスリーのコンサートが開かれた思い出の場所。胸がキュン! 4月から兵役につくチョ・インソン、お別れの意味も込めたファンミの第二部で、本来は禁止されている客席内の周遊を敢行しました。2階席の私たちのところにも来てくださって、「皆さんメモ取っているのですか~」と驚かれたので、「ここはプレス席」と誰かが言ったら「チョンマル?(ほんと?)」と、しばし半信半疑な様子。なにしろ記者のほとんどが女性で、見た目ファンと変わらないですから。一生懸命プレス席の皆と握手して(もちろん私も!)、最後に「応援よろしくお願いします!」と深々とお辞儀して立ち去りました。小顔で色白で、とても誠実な感じで、すっかりお人柄に癒されてきました。 一緒に取材に行ったKMさんからは、すぐに報告文が来たのですが、まとめ役の私、滞っています。しばしお待ちを!

(咲)

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2009年3月第1週
2009/3/1 (Sun)

24日(火)「日本オランダ年2008-2009 オランダ映画祭」のオープニング作品『ドゥーニャ&デイジー(原題:DUNYA & DESIE)』のプロデューサー、レオンティーン・ペティートさんにインタビュー。モロッコ移民2世の女の子DUNYAと、生粋のオランダ娘DESIEの友情と、多感な18歳の悩みを描いた可愛い作品。(ちなみに、DUNYAは、アラビア語で「世界」という意味のはず。できれば、ドゥンヤーと表記してほしかった!)モロッコの雄大な風景もたっぷり出てきます。 映画祭では、もう1回、3月14日(土)16:00から上映されますが、いずれ一般公開予定。

レオンティーン・ペティートさん
レオンティーン・ペティートさん

28日(土)日本・パキスタン協会主催のパキスタンの集い『私たちのパキスタン音楽―外交官と愛好家の実践的音楽ガイド』に参加。昨年新築されたパキスタン大使館のホールで、日本語の堪能なイムティアーズ・アフマド公使と和光大学の村山和之さんがパキスタンの多彩な音楽世界に誘ってくださいました。昨年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭で観客賞を受賞した『神に誓って』の挿入歌など映画音楽も紹介されました。思えば、パキスタン映画を観る機会はほとんどないので、大使館で上映会を開いて欲しいなぁと思ったひと時でした。お茶を飲みながらのはずの懇親会には、大使館のご好意でパキスタン風てんぷらと豆料理も出てきて、ついつい長居してしまいました。美味しかった~!

(咲)

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2009年2月第4週
2009/2/22 (Sun)

17日〜20日、1年2ヶ月ぶりに香港に行って来ました。某社の初夢企画で、キャセイの午前便発、午後便帰りというゆったりした日程で3泊4日。一日は飲茶の昼食付き観光。漢方薬や宝石店、免税店などに合間に連れていかれるのは、お安いツアーだから我慢我慢。一緒に行った妹は、初めての香港だったので、それも結構楽しんでいました。私もレパレス・ベイのド派手な天后廟は30年ぶり。ビーチの見張り台は、確かレスリーの若い頃の映画に出てきたなぁ〜と懐かしく眺めました。
ホテルは、なんと觀塘(クントン)という中心地からは30分以上かかる場所。部屋は広くて綺麗だし、眼下は工業地帯だけど一応ハーバービュー! 実は、アンディ・ラウのファンクラブ「華仔天地」の事務所のあるところで、シネジャのスタッフ(暁)さんに付き合って来たことがあって、え〜こんな場末に?? と驚いたものでした。今は、駅直結で「apm」という新しいモールも出来ていて、この町だけでも楽しめます。ま、地下鉄もバスも便利だし、中心地から遠いといっても、どうってことはありません。フリータイムには、上環、赤柱(スタンレー)、ビクトリア・ピーク等々、妹には香港の主だった名所と称して、レスリーゆかりの地を歩いてきました。すこしずつ昔の面影が消えて、ちょっと寂しい思い。啓徳空港の建物も壊されて、さら地になっていました。次はいつ来るだろう・・・と、長年愛用していた恒生銀行の口座をクローズしてきました。でも、また香港には行ってしまうのだろうなぁ〜

レパレス・ベイ レパレス・ベイ
レパレス・ベイの天后廟には、華々しい神様がいっぱい
レパレス・ベイ レパレス・ベイ
     見張り台が懐かしいレパレス・ベイ
『流星』のポスト 『流星』の階段
『流星』に登場したポストも、撮影直後に変わって、さらに新しくなりました。 ラストシーンの階段。ここは手すりが変わったくらいでしょうか・・・
觀塘のホテルから デザート@ペニンシュラ
觀塘(クントン)のホテルからの眺め。  美味しいデザート@ペニンシュラ 実は、ささやかな誕生日祝い!
デザート@空港
空港で美味しいデザートの食べおさめ。これに惹かれて、また香港に行ってしまいそう!
空港ターミナル2 空港ターミナル2
新しく出来た空港ターミナル2

(咲)

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2009年2月第3週
2009/2/15 (Sun)

8日(日)イラン大使館で開かれたSamimiの会(イラン人と結婚されている日本人女性が中心のイランを愛する女性たちの会)主催のチャリティーバザーへ。6時から大使館主催の映画上映会があるので4時半頃に行ったら、寄付された品物も大使館のご婦人方手作りのお料理も完売。「来るのが遅い!」と、皆に言われてしまいました。大使館ホールで開催されていた天野恵利さんの写真展を観ながら映画の開始を待ちました。上映作品はマジド・マジディ監督の『運動靴と赤い金魚』。もう何度も観た作品ですが、お父さん役のレザ・ナジさんが、昨年のアジアフォーカス福岡国際映画祭で上映された『すずめの唄』でもお父さん役を演じていたので、また違った思いで拝見。マジディ監督が、「貧しい人たちの純粋な心を伝えたい」と、昨年インタビューした折に語っていたのをしみじみと思い出しました。

素敵なお土産をいただきました イスラーム革命30周年のシンボル

10日(火)またまたイラン大使館へ。イスラーム革命30周年を記念するレセプション。日曜日に食べ損ねた美味しいイラン料理を、晴れた空の下、広い芝生の庭でいただきました。拉致被害者横田めぐみさんのご両親の姿も。特に大使の演説があるわけでもなく、なごやかに色々な人とおしゃべりをして、帰る時には、素敵な民族衣装を着た職員の女性の方からイラン産ナッツのお土産をいただいて帰りました。革命から30年。今年6月には大統領選挙。これからイランはどこへ行くのでしょう・・・・

(咲)

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2009年2月第2週
2009/2/8 (Sun)
ギーティ・サファルザーデ

3日(火)『PLASTIC CITY プラスティック・シティ』来日記者会見。外国人記者クラブの会場は、壇の前に垂直に対面式のテーブルがいくつも並ぶ方式。秋生ちゃんと呼んでお慕いしているアンソニー・ウォンの机上名札を確認して、すぐ前の席を確保! と、私の正面に坐っていた美青年が話しかけてきました。北京出身で、中国の通信社の特派員。「私が初めて中国に行ったのは1978年で、皆が人民服でした」と言うと、「まだ生まれていない時代で興味深いです」と言われてしまいました。「チベットに21年前に行ったけど、鉄道も出来て変わってしまったでしょうね」と言うと、「中国政府はチベットの文化を大事にしなくてはと思っていますから大丈夫です」と模範的な答えが。息子にしたいような好青年で、ちゃっかり写真を撮らせていただきました。(もちろん、秘蔵です!)なんだか幸せな気分の中、ゲストが登壇。強烈な秋生ちゃんの姿に圧倒された会見の模様は特別記事で報告の通りですが、今回、思い切って質問の手を挙げました。司会の方が流暢な英語(って、ネイティブの方ですから)で、「そちらのyoung lady」と指差されたのですが、私の後ろの方の人?と振り返ったら、「いえ、あなた」と。「youngではないので私じゃないと思った」と立ち上がりましたが、オダギリ ジョーさんにも大笑いされて、もう恥ずかしい限り。ほんとは監督にも絡む質問をしたいと思っていたのに、あがってしまって、主役二人にのみの質問になってしまいました。いかん、いかん。

5日(木)『四川のうた』ジャ・ジャンクー監督記者会見。監督にお目にかかるのは、2年前の『長江哀歌』記者会見以来。垢抜けて、ますますお若い! 会場は、渋谷・道玄坂のFORUM8。確かここは、1995年に張學友が日本青年館で初来日コンサートをした時にファンの集いが開かれた場所。もう14年も前!? ほんとに時の経つのは早いですね~

7日(土)秋田・角館のさらに奥にあったユースホステルの常連仲間で新年会。こちらはもっと古くて、知り合ったのは30年以上前。定年や親の介護の話題が出てきても、気持ちは昔のまま。前後10歳位の年齢の幅があるけれど、歳の差はいつまでも変わりません。思い出を共有しているお仲間との楽しいひと時でした。韓流にはまっているお友達もいて、韓国ドラマや映画の話にも花が咲きました。韓流、まだまだ根強いですね。 

(咲)

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2009年2月第1週
2009/2/1 (Sun)

25日(日) 今も1ヶ月に1回、レスリー・チャンを語り継いでいる「哥哥的一天」でシネジャを販売させていただきました。今回、第1部Part1は、レスリーに直接取材したことのある村上淳子さんの「俳優としてのレスリーの魅力 〜生レスリーを初取材〜」。見本誌をめくる指先も優雅だったこと、一瞬で人をドキドキさせる人・・・等々、取材に応じるレスリーの姿が目に浮かんでくるようでした。Part2では、村上さんに写真家の島津美穂さんを交え参加者の皆さんと新春座談会。事前アンケートを元に、まずは、「ファンになったきっかけは?」を皆さん熱く語りました。中には、去年テレビ放映された映画を観て、一家でファンになったという娘さん連れのご夫婦が。ご主人もすっかりのめりこんでいらっしゃるのが微笑ましかったです。レスリーの魅力を語りだしたら、皆さんキリがなく、あっという間に時が経ちました。好きな映画は皆ぞれぞれだけど、『欲望の翼』『さらば、わが愛・覇王別姫』『ブエノスアイレス』の3作は、レスリーがいなかったら成り立たなかった映画だと、皆で再確認したひと時でした。シネジャ75号には、松岡環さんが執筆してくださった「【レスリー・チャンの香港】拙著が生まれるまで」の記事しかレスリー関係は掲載されていないのですが、持参したシネジャは完売。ご注文もいただきました。お買い求めくださった皆様、素敵な場を提供くださったNEXT CLUB HONGKONGの皆様、ほんとにいつもありがとうございます。

28日(水) シネマート六本木で、『イザベラ』を観てきました。パン・ホーチョン監督作品でアンソニー.ウォンも出ているとなれば、面白くないはずはない! もっとも、アンソニー.ウォンは友情出演でほんのちょっとしか出ていないと事前にわかったのですが、出てきた時の存在感はさすがでした。主演のチャップマン・トーも、悪に手を染めなくてはならなかった冴えない警察官の悲哀を漂わせていて、ぐっときました。娘だと名乗ってチャップマン・トー演じるシンの前に現れるヤン(イザベラ・リョン)も不思議な魅力。中国返還目前のマカオが舞台で、これまた風情があって、久々に余韻に浸れる映画でした。去年一緒にマカオに行ったお友達と映画を観たのですが、「二人でまたマカオに行きたくなったね〜」、「それにしても、ここにきて返還前後の映画が多いね〜」と、葱にんにくチャーハンを食べながら語り合いました。

(咲)

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2009年1月第4週
2009/1/25(Sun)

19日(月)シネジャ創始者の一人(S)さん宅で、泉さんが山路ふみ子映画賞福祉賞を受賞したお祝いも兼ねて新年会。名古屋の(美)さんや、昨春から大阪に住む(I)さんも駆けつけて、スタッフ全員が揃いました。Web版をさらに充実させていく一方で、本誌をどのようにしていくか真剣に話し合いました。読者からスタッフになった私、いつしか文を上手に書くことに気をとられていたように思います。もっと自由な気持ちで本音炸裂の楽しいものを書けるようになりたいなぁ~と思ったひと時でした。読者の皆さんからの投稿も歓迎です。お待ちしています!

21日(水)オバマ大統領就任式で寝不足だったのですが、『ワールド・オブ・ライズ』を観てきました。イランの若手女優ゴルシーフテ・ファラハーニーさんがディカプリオと共演したというので気になっていた作品。中東でテロの首謀者を暴き出そうとするCIAの潜入捜査官役のディカプリオは、アラビア語が堪能という設定で、ゴルシーフテさん演じるアイシャと挨拶を交わしただけで、「イラン系?」と見破ります。え~そんなに中東通なの??と思ったのですが、アラビア語での挨拶「アッサラーム・アレイコム」が、ペルシア語だと、アラビア語の定冠詞 al が取れて、「サラーム・アレイコム」になるので、それかぁ~と。
それにしても、この映画、世界でテロがなくならないという現実は見せ付けているものの、いったい何が語りたかったのか?? 帰ってからHPをあちこち見ていたら、娯楽として観てくれればそれでいいとの監督の言葉が・・・ ゴルシーフテさんは、なかなかいい役でしたが、全体的になんだかなぁ~の映画でした。第一、架空のテロ組織をでっち上げて、おびき出そうなどという戦略が許されるはずもないです! イラク侵攻の鍵となった大量破壊兵器が実はなかったということを思い出しました。(怒) さて、オバマ大統領は、どんなテロ対策を図るのでしょうか・・・ 

(咲)

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2009年1月第3週
2009/1/18(Sun)
ギーティ・サファルザーデ

16日(金)、中東カフェ(http://japan-middleeast.jp/)「風刺漫画で見る中東の政治や社会 イランの場合 ー イスラム革命から30年にて」に参加してきました。会場は映画上映でもお馴染みのアップリンク。(椅子がちょっと辛い!) 登壇したギーティ・サファルザーデさんは、風刺作家で、映画やラジオ・ドラマの脚本家でもある女性。27歳の時に、イランの風刺漫画週刊誌Gol Aghaの編集長に抜擢されたそうです。会場には、4歳になるお嬢ちゃんの姿も。イランという国が、子供のいる女性も活躍できる社会であることを感じさせてくれます。

風刺画について法律での規制はないそうですが、(1)イスラーム聖職者は風刺画に描かない (2)政治家を動物に例えて描かない、という2点は、暗黙の了解だそうです。思えば、映画でも聖職者が登場するものは少ないように思います。『月の光の下に』(レザ・ミル=キャリミ監督)は、聖職者を目指す青年を描いたもので、崇高な聖職者のイメージでした。一方、『ザ・リザード』(カマル・タブリーズィー監督)は、服役中の大泥棒が刑務所付きの聖職者の衣服を盗んで脱獄し、聖職者になりすまして人々に崇められるというブラック・ユーモアに満ちた作品でした。タブリーズィー監督は、『風の絨毯』の中でも、“結婚式で早々に退場する気のきいた聖職者”の場面にこだわったと、プロデューサーの益田祐美子さんがおっしゃっていたのを思い出しました。それにしても、敬意を持って表現しても、誤解されることもあるし、何かを発信するということは覚悟のいることですね。いつも考えなしの私!

(咲)

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2009年1月第2週
2009/1/11(Sun)

6日(火)、やっと『レッドクリフ PartI』を観にいきました。今年の初映画が、これでよかった〜!という作品でした。満足満足♪ 三国志を読んでいない私にも、ちゃんと映画の始まる前に簡単な日本語の解説があって(一瞬、吹き替え版?とドキッ!)、背景もわかり、すんなり入り込めました。金城武が孔明を楽しそうに演じているのも好感が持てましたが、なにより、趙雲を演じた胡軍、カッコよくて惚れ惚れ♪ 梁朝偉、林志玲、張豐毅、張震、趙薇、中村獅童と、ほんとに豪華な出演陣でしたね。思えば、呉宇森(ジョン・ウー)監督は、「男たちの挽歌」「男たちの挽歌2」「狼たちの絆/縦横四海」でレスリーを私に知らしめてくれた恩人。もし存命ならば、監督はレスリーにどの役を考えてくれたのでしょう・・・ 何はともあれ、『レッドクリフ PartII』での赤壁の戦いが楽しみです。
ところで、この日は「新宿バルト9」で映画を観たのですが、ここでは、平日15:30〜18:00の間に開始される特定作品が¥1,200で観られるシネマチネという割引があるのを知り、初めて利用しました。劇場の半分近い入り。翌日、父が1時の回を観にいった時には、がら〜んとしていたそうなので、効果ありですね。時間に自由のきく私、これからも大いに利用しようと思います。18:00始まりの映画なら、仕事帰りの方にもかろうじて利用できそうですね。

(咲)

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2009年1月第1週
2009/1/4(Sun)

新年あけましておめでとうございます。

皆様、どんなお正月をお過ごしでしたか〜?
このお正月は、2日に年老いた両親と一緒にバスツアーに参加して、足利の町の散策をした後、佐野厄除け大師に初詣。おせち風お弁当やイチゴ30分食べ放題付きで6000円弱! 行きも帰りもずっ〜と富士山が見えて、とてもラッキーな気分の小旅行でした。 3日は、実家近くの高幡不動と自宅近くの浅草神社にお参り。(浅草寺は、長蛇の列で諦めました・・) 4日は、府中の大國魂神社と、初詣3連発。これだけお参りすれば、ご利益あるかなと思いつつ、欲張り過ぎで神様も呆れていらっしゃるかもですね。
なにしろ、ガザは年越しで爆撃され続けているし、日本も世界も暗い話題ばかり。皆が平穏に暮らせることを祈るばかりです。何はともあれ、皆様にとって良いでありますように!素敵な映画にたくさん出会えますように! そして、今年もシネジャをご愛顧のほど、どうぞよろしくお願い申しあげます。

(咲)

今年もシネマジャーナルをご愛顧くださいますようお願い申し上げます。

年末年始は旦那の実家がある倉敷へ行っていました。倉敷は美観地区の景観と大原美術館が有名ですが、駅を挟んで反対側にはチボリ公園があります。しかしオープンして11年目にして経営が破綻し、12月31日をもって閉園することになりました。わたしも8年くらい前に一度行ったきりだったので、最終日の日中に行ってみました。さすがに最後とあってかなりの来園者があり、アトラクションにも並んで待つ人が見られましたが、店の中の品物はほとんど無く、棚はがら空き。デンマークのテーマパークなのに、たこ焼きやなぜかトルコアイスなどの屋台がたち、厳しい状況だったことがみてとれます。夜にはカウントダウンが行われ、花火が上がり、華々しく最後を飾ったようですが、何となく寂しい気持ちになってしまいました。

倉敷駅から見たチボリ公園 チボリ公園お花畑 チボリ公園の何もない売店
最終日のチボリ公園[撮影:(梅)]

元日は食べて、飲んで、テレビ見てと、典型的な寝正月。2日の朝は由加神社へ初詣。帰りには家電量販店に寄って、パソコンはあるのにネットはなく、テレビもまったくデジタル化されていなかった実家のデジタル化作戦を決行。いきなり42インチ液晶テレビと光通信が導入されました。お義父さん、使いこなしてくれるかしら・・・

由加神社 備前焼でできた鳥居
由加神社[撮影:(梅)]

(梅)

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