12月29日(土曜)コミケの日
早々と目が醒めた!
ゆっくりコーヒーをのみたいので5時に行動開始。
前夜から泊まったお気に入りホテルは、風呂時間が決まっているので、100円10分のコインシャワーへ。
無料のパソコンをサクサク(本当はポチポチ)して、いざ新橋へ。
気持ちばかり焦って、アホ副店長の私は、新橋のロッカーに預けてあるシネマジャーナルを忘れていた。
切符を買っていざ「ゆりかもめ」で、改札前にやっと気づいた!
気づくだけ、まだ完全にはボケてないわい!と後戻り。
そこに(咲)店長からメールが入り私より先に着くようだ。
焦りながらも、ゆりかもめで国際展示場正門に。
ワッサワッサ(人の歩く音)とゴーゴー(キャリーバックの音)のいつもの雰囲気の中、
コミックマーケット83(冬コミケ)東地区ア ブロック-46bにたどりついた。
売上は、映画トークのベテラン?二人と、助っ人様お二人のおかげで順調!
毎回来てくださる方、
一人で何冊もお買い上げの方、
それに、それに、「1号から全部揃えたいのですが」というお客様も…、嬉しい。
例年になく寒い今日だったが、温かい気持ちでいっぱいになった。
※会場アナウンスで「76歳の方の迷子?さんを探して下さい」と入った。
しばらくしてまた場内アナウンスで「無事、お探しできました」と聞いた瞬間、会場から拍手が起こった。
コミケっていいところだなぁと感激した。
(美)
29日(土)年末恒例となった冬コミケ(コミックマーケット)へ。2009年冬に初めて参加して以来、7回目のコミケ。さすがの私も学習して、必要最低限の出店グッズと、売れ筋の最新号をたっぷり持ったほかは、バックナンバー数冊をかばんに詰め込んで、いざ出発。新宿からのりんかい線は、夏コミケの時にはお盆中とはいえ金曜日で通勤の人も多かったけれど、今回はコミケに行く若者がほとんど。(まさか、このおばばが出展するとは思われないだろうなぁ・・・)
会場の国際展示場に着き、まずはおトイレ。どこも長蛇の列なので、ちょっと頭を働かせ、男子更衣室のある6階にあがってみました。エスカレーターをのぼりながら、下界には会場周辺を埋め尽くす人たちや、遠くには海も見渡せて、今まで知らなかった風景を楽しむことができました。すれ違う下りのエスカレーターには、変身した男性たちが。中には、セーラー服の女子学生や、赤いドレスの男の子も。これがまた、コミケ参加の楽しみなのですねぇ。(男子更衣室近くの女子トイレ、もちろんがら空きでした!)
準備万端、今回の配置場所、東地区“ア”ブロック-46bを探します。広い通路に面した角で、太めのおばば二人が座るには好都合の場所! 近くには顔見知りの出展サークルの方も。(美)さんも到着して、設営完了。二人でおしゃべりしながら10時の開場を待っていたら、9時半ごろ、「え~ シネマジャーナル、コミケに出しているのですか~」と声をかけてきた女性が。いつもアジアンドロップスなどで購入してくださっていたとのこと。香港映画の話に花が咲きます。次には、レスリー・チャンを語り続ける哥哥的一天でお馴染みの写真家・島津美穂さんが、今回も差し入れのお菓子を持って陣中見舞にきてくださいました。ようやく、10時。「開場します」のアナウンスに会場から拍手。通路の向こうのサークルの前に列ができます。人気サークルはいいなぁ~ でも、列が私たちの目の前まできて、ちょっと邪魔。スタッフが手際よく列を整理してくれます。よしよし。
次のお客様は、真田広之さんの写真に目をとめたファンの方。インタビュー記事を掲載した最新号をご購入くださいました。人寄せに写真を大きくした甲斐がありました!
そして、毎回ご購入くださる香港映画ファンの方。ご主人が私たちの近くでドニーイェン本を出展しておられました。ほかにも、以前にお会いした方たちが次々に。その中の若い女性の方が、お姉さまと共に「シネジャのコンセプトが気に入りました」と、バックナンバーを全部欲しいとおっしゃってくださったのです。ネットはあまり利用しないそうで、コミケはそういう方にシネジャを知ってもらう絶好のチャンスと再認識しました。
その後も、台湾や香港映画好きの方や、ゾンビ映画好きの方(美さんと話が盛り上がる)など、いつもよりハイペースで売り上げが。人波も少し落ち着いたお昼過ぎ、読者のNさんや、スタッフの(暁)さんが到着。差し入れの焼売やお菓子をいただき、ほっと一息。(いつもありがとうございます!)
2時を過ぎると、店じまいするグループが多いのですが、4人でおしゃべりしながら、なんだかんだ3時半ごろ撤収。「これからも続けてくださいね」の数名の方の声に励まされて、夏コミケの申請書を購入しました。また頑張ります!
4人で人波をかき分けながら、りんかい線の国際展示場駅へ。どどっと電車に乗り込んだら、若いカップルが、「あ、どうぞ!」と、席を譲ってくださいました。ここは、もう、おばば特権!と、(美)さんと二人、有難く座らせていだだきました。コミケ冬の陣も無事終了。
さて、2012年もいよいよあと1日。今年もシネジャ&スタッフ日記をご愛読いただきまして、ありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。
(咲)
岩波ホール創立45周年企画として来年2月15日から上映される『八月の鯨』の試写へ。少し早めに神保町に着いたので、友人が写真展を何度か開いたことのあるギャラリー「福果」を覗いてみました。開催中の中村愼太郎写真展「記憶の建築 ~ある時代のある建築意匠に対するささやかな感傷~」は、70年代にフィルムで撮った写真。プリントもその当時のものでしたが、色調など損なうことなく良い状態でした。陰影のある味わい深い写真。くっきりとしたデジタルとの違いをあらためて感じました。
そして、『八月の鯨』。1989年末に岩波ホールで公開された本作は、海辺の家で過ごす老姉妹の物語。上映前に、岩波ホール支配人の岩波律子さんの御挨拶がありました。「味わい深いけれど地味な映画で、本国アメリカでは、ほとんど話題にならなかった作品が、日本でこんなに大きく育つと思いませんでした。今回、公開当時の字幕、スクリーンサイズ、ニュープリントのフィルムで再上映いたします。このサイズで上映できる劇場は急速に減っております。フィルムの素晴らしさを味わっていただければと思います」と語られたのを受けて、デジタル化が進む中でフィルム上映される意義を噛みしめながらの鑑賞となりました。実は、公開当時、すごく評判になっていたのに、老人が主人公の映画ということもあって、まだ若かった私はなんとなく敬遠して観なかったのでした。この年代になって観たからこそ、いろいろと感じ入ることが多々ありました。そして、やっぱりフィルムは素晴らしい!と実感しました。おだやかに押し寄せる波に、なんども惚れ込んでしまいました。写真も映画も、どんどんデジタル化が進み、それはそれで良さもあると思うのですが、消えゆくものの価値を、これからしばらく意識して見つめてみたいと思います。
さて、今年もあと10日を切りました。年末の風物詩、東京ビッグサイトで開かれる冬コミケ(コミックマーケット)に懲りずに出展します。年間600本以上映画鑑賞した驚異の(美)さんと共に、皆さんと映画談義できるのを楽しみにお待ちしています。
日時:2012年12月29日(土曜日)10時~16時
場所:東京国際展示場(東京ビッグサイト)
交通案内: http://www.comiket.co.jp/info-a/C83/C83info.html
シネマジャーナルの配置場所: 東地区“ア”ブロック-46b
購入希望の号をお気に入りの監督や俳優の名前を添えて予約いただけましたら、できる限り関係のある特別付録をご用意します!
タイトル索引や、目次一覧で欲しい号を検索してみてください。
タイトル索引
http://www.cinemajournal.net/bn/title.html
在庫一覧
http://www.cinemajournal.net/bn/zaiko.html
冬コミケ会場での購入申込み先: cinemajournalhp@yahoo.co.jp
(咲)
8日(土)パキスタン各地の食文化を巡るシンポジウム。9日(日)イラン大使館で「ユースフとズライハ」に関する講演会、イラン料理のランチ付! 2日続けて充実の時を過ごして、10日午前3時(真夜中!)、妹の運転する車で成田空港へ。10日から2泊3日、父が神戸に行くというので、これはチャンスと、済州島のツアーを見つけた次第。閑散期の上に平日。デラックスホテルに泊まって、観光と4食付いて、燃料サーチャージ、空港税、それにお土産代や自由時間の食費・交通費を入れても、4万円でお釣りがきました。
ツアーと言っても、私と妹のほかは、社内旅行の一行6名様。社長と秘書に、営業マン4人。携帯に転送されてくる電話でしっかり仕事しながら観光してました。今やそんな時代なのですね~。
初日は3時にホテルにチェックインした後は自由時間。新済州市にあるホテルのフロントで、旧済州市にある民俗自然史博物館へ行くバスの路線を教えてもらって、いざ出発。海はホテルの部屋からも見えていたのですが、お洒落な通りを歩いていると、島という感じが全然しません。100番のバスに乗って、ハングルで「市民会館」と書いてもらったメモを運転手さんに見せて、着いたら教えて~とお願いしたのですが、なんのことはない。バス停には、日本語の表示も。さらに、日本人が降りそうなバス停では、ちゃんと日本語のアナウンスも。バス停にあるバス接近情報もわかりやすくて、これで路線図をゲットできれば、ハングルの読めない私でもなんとかバスで移動できるなぁと。
2日目は3食付の観光デー。まず、ホテルの近くでウニワカメスープの朝ごはん。6種類並んだおかずはどれも身体に良さそう。島の北にあるホテルから、この日の観光目的地の南へはバスで1時間。みかん畑や、畑の中に石塀で囲ったこんもりとしたお墓などを眺めながら、済州島らしさを感じます。山房寺の袂に到着し、これから500段近い階段を上がると聞かされ、え~とめげたのですが、なんとか本堂へ。海を見晴らす景色が素晴らしくて、頑張った甲斐がありました。薬泉寺、柱状節理、天帝淵瀑布などを見学して、石焼ビビンバの昼食の後、ロッテホテルへ。ドラマ「オールイン」をはじめ、テレビで観た風景が。隣の新羅ホテルには、海を見下ろすところに『シュリ』のロケをした有名なベンチがあるのですが、中に入ってみる勇気なく諦めました。済州島の南の海岸線に面したとろには「済州申栄映画博物館」があるのですが、ここにも行く時間がありませんでした。次回の楽しみに。
最終日12日、午前中はフリー。タクシーで町はずれの「済州民族五日市(オイルジャン)」へ。5の付く日に開かれるのではなく、2と7の付く日に5日毎に開かれている市なのです。広大な敷地は、区画で売り場が決まっているらしく、豆、野菜、衣類、果物、肉、魚等々、どの売り場も女性たちが目立ちます。奥の方にはいろいろな屋台も。地元の女の子たちに、「ほんとに美味しいのよ~」と勧められて、お焼きを食べてみました。しっとりとした黒蜜が間に入ったアツアツのお焼き。美味しかった~
帰りはバスに挑戦。ホテル近くのバス停の名前を言ってみたら、そこを通るバスは走ってないから、とりあえず乗って~と。(言葉はわからないけど、多分そんな感じ)日本語が多少わかる女性が最前列に乗っていて、道を教えてあげるから言われ一緒に降りました。3回ほど角を曲がったところで、あとはまっすぐだからと。無事ホテルに戻れてホッ。午後、済州島の郷土料理モムクク(ホンダワラという海草が入った豚肉スープ)とコギククス(豚肉入り麺)で腹ごしらえした後、三姓穴、東門市場、観徳亭、龍頭岩と、旧済州市のみどころを観光。2時間前に空港にチェックインした後は、空港内にある無料のインターネットコーナーでメールチェック。北朝鮮のミサイル騒ぎにも気づかない静かなひと時。心優しい人たちとの出会いが嬉しかった3日間を振り返りながら済州島を後にしました。
14日(金) 自伝的映画『駆ける少年』(1985年)が12月22日から公開されるアミール・ナデリ監督にインタビュー。Facebookで最近は鳩サブレ―より甘納豆がお気に入りと知って、甘納豆を持参。「お~オールドフレンド!」と迎えてくださいました。『CUT』の撮影以来、すっかり日本に住みついている監督。「今なぜ公開を?」と、お伺いしたら、「26年間、走って走って日本にやってきて、僕を観て~と映画が言ったのですよ」と。撮影秘話や、今になって思う映画に描かれているエピソードの意味など、たっぷりお伺いしました。インタビューの模様は特別記事で!
(咲)
東京フィルメックスに通いつめた9日間が終わって、やっと一息。いただいている試写状を整理してみたら、試写が終わってしまったものや、もう1~2回しかないものが多数。試写状を並べて、見逃さないようにとパズルを解くように予定を組みます。で、以前に作った予定表の5日3時半に最終試写と付記してある『明日の空の向こうに』の試写状がどうしても見当たらない・・・ どんな映画かネットで検索してみたら、ポーランドと国境を接する旧ソ連(ロシア)の貧しい村に住む身寄りのない少年3人が、より良い生活を夢見て密入国する物語。あ、それなら観た!『木漏れ日の家で』のドロタ・ケンジェジャフスカ監督の作品で、なんともやるせない少年たちの運命を思い出しました。『明日の空の向こうに』という、あまりにインパクトのないタイトル(邦題を決めた方、ごめんなさい!)が記憶に残らなかったという次第。映像の美しさは絶品。来春1月26日(土)より、新宿シネマカリテ新館オープン記念で公開されます。
公式サイト:
http://www.pioniwa.com/ashitanosora/
さて、5日の夜、大学の同級生たちとの忘年会。5時半東京駅集合と言われ、『明日の空の向こうに』が118分の作品なので、間に合わないとまで伝えていたのですが、『二郎は鮨の夢を見る』の試写に予定変更。こちらは82分の作品なので余裕で集合時間に間に合います。もっとも、長さだけで観るのを決めたわけじゃなく、アメリカ人のデヴィッド・ゲルブ監督が、日本の鮨に焦点を当てて撮ったドキュメンタリーというので興味を持った次第。ゲルブ監督は、子どもの頃から何度も家族旅行で訪れた日本で食べた鮨が忘れられず、最高のショーマンである鮨職人をテーマに撮ろうと思ったそう。両親が連れて行ってくれたのは回転寿司じゃなかったのですねぇ! 料理研究家の山本益博氏と一緒に東京であちこちの鮨屋を巡り、たどり着いたのがミシュランガイド三つ星に輝く「すきやばし次郎」の鮨職人、小野二郎。10人程しか入れない小さな店。銀座のど真ん中で、賃料も高いだろうに、こんなに職人雇っていて成り立つのかと心配したら、お一人様3万円からと聞いて納得。かつて商社に勤めていた頃、よく上司に銀座の鮨屋にも連れていってもらったけれど、さすがに一人3万円のところは記憶にない。今や、足を踏み入れるのは夢のまた夢! ちなみに、この日は、1時から観たのはフランス映画『シェフ~三ツ星レストランの舞台裏へようこそ~』(ダニエル・コーエン監督)。三ツ星を守ろうとするハートフルコメディー。
12月22日(土)より銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
http://chef.gaga.ne.jp/
美味しい映画2本観たあとの忘年会は、八重洲地下街のお洒落なスパニッシュ&イタリアンビュッフェ。そこそこ気軽な値段でそれなりに美味しいものをたっぷりいただきながらの同期会。なんの話からか、「すきやばし次郎」の名前が出てきて、「そのお店の話、今日、映画観てきた」と言ったら、なんでも勤務先のビルの地下にあって、毎日、地下鉄の駅から店の前を通って上にあがっているのだそう。「よく七輪で海苔をあぶってる」というので、「それも映ってた」と。さすがに入って食べたことはないそう。
この日の忘年会には、信州・上田からも同級生が上京して参加してくれたのですが、この1年、何度同期会を開いたことでしょう・・・ 歳を取った証拠だけど、会えばすぐ大学時代に戻って、若返った気になれるのがいいですね。
(咲)
東京フィルメックスに通い詰めた1週間でした。なにより楽しみにしていたのが審査員として来日されるイランの女優ファテメ・モタメダリアさん。いつお会いできるかなぁと思っていたら、25日、『ティエダンのラブソング』の席が審査員のすぐ後ろの列で、着席される前に私に気が付いて駆け寄ってきてくださいました。イラン式にハグして左右の頬を交互にあわせて再会を喜びあいました。ファテメさんとは連日お会いできて、立ち話をしたりもしましたが、29日にインタビューの時間もいただきました。
「東京フィルメックスは、私の映画に対する思いと一致した映画祭なので大好きです」とおっしゃるファテメさん。8歳から演劇を学び、14歳の時からプロの俳優として舞台に立ちイラン全国をまわっていたのですが、1979年のイラン革命後、劇場が閉鎖されてしまいます。演技を続けたくて映画に出演するようになり、数年後に劇場が再開された時にはすでに映画女優として有名になっていたとのこと。「女優のニーキー・キャリミさんのようにご自身で映画を作る予定はありますか?」とお伺いしたところ、「できると思いますが、女優の仕事に満足しているので自分で映画を作ることはないと思います」と、きっぱり。「イランでは、まだまだ女性監督は少ないと思いますが・・・」と伺ったところ、「決して少なくないですよ。ハリウッドで何人いますか? 日本だってそれほど多くはないでしょう? 全世界を考えた時に割合からみてイランは多い方だと思います。特に今の若手は女性がとても多いのですよ」と。「大学もどの学部も女性が6~7割と圧倒的に女性が多いですよね」と申し上げたら、「数年前に政府が女子の割合が一定以上増えないように法律を変えてしまったのよ。でも、イランの女性は負けていません。特に若い子たちは強いのよ」と意気揚々。授賞式の時に着ていた花の刺繍をあしらった素敵なドレスも、若い女性デザイナーの作品。イスラーム政権下でなにかと制限のある中で、女性たちがほんとに頑張っていると感じます。
さて、今回の東京フィルメックス、イスラエル映画特集が組まれたほか、コンペティション2本、特別招待作品2本、さらにマフマルバフ監督の撮った『庭師』も舞台がイスラエルのハイファとイスラエルをたっぷり味わいました。朝10時台という早い上映時間が3日続いたのですが、頑張って行った甲斐がありました。特集の中で最初に上映された『アバンチ・ポポロ』は、第三次中東戦争の末期、帰還を命じられたエジプト兵がスエズ運河を目指すのですが、戦争の行方をきちんと知らされていないイスラエル・エジプト双方の軍隊に翻弄される物語。受賞記者会見の折に、審査員の秦早穂子さんが、『アバンチ・ポポロ』を観られた幸せに、記憶賞をあげたいとおっしゃったのですが、まさに同感。アバンチ・ポポロ♪と歌いながら沙漠を行進する姿が忘れられません。
ヤッファを舞台に麻薬の密売から足を洗おうとする男を描いた『エルドラド』も、1960年代初頭のテルアビブやヤッファの海外沿いの風情ある家並みを観ることができたのが嬉しい作品でした。また、『サラー・シャバティ氏』は、1960年代にイスラエルに移住してきた一家を描いた風刺コメディー。様々な国から移民してきた人たちの思いを感じることができました。そして、コンペティション最優秀作品賞をイスラエルのアミール・マノール監督作品『エピローグ』が受賞。イスラエル建国当時に理想に燃えて国のために働いた人たちが老いを迎え、ないがしろにされている姿を描いた作品。そういえば、イスラエルといえば、かつてはキブツに象徴されるように社会主義的な平等を目指していた国のはず。『エピローグ』の上映後のQ&Aで転換期がいつだったかも聞くことができました。映画を通じてイスラエルの今と昔を知ることのできた東京フィルメックスでした。
また、審査員特別賞『記憶が私を見る』(中国・ソン・ファン監督)も、人生の終焉を迎えた世代の人たちに眼差しを向けた作品。老いを考えさせられる映画祭でもありました。
『エルドラド』『サラー・シャバティ氏』『子どもとの3日間』『アバンチ・ポポロ』の4本は、オーディトリウム渋谷で12月8日・9日にも上映されます。
どれもお奨めの貴重な作品です。
http://a-shibuya.jp/archives/4217
(咲)
20日(火)韓国映画『拝啓、愛しています』(チュ・チャンミン監督)の試写。年を重ねた男女の出会いを描いた物語。貧しい一人暮らしの可愛い老女を演じるユン・ソジョンさんは、今見ているドラマ「全部あげるよ」では、金持ちの口うるさいお祖母さん。その老女に恋する頑固者の爺さんを演じるのは、「イ・サン」の英祖役などで威厳ある姿のイ・スンジェさん。ドラマ「母さんに角が生えた」では、やはり老いらくの恋に走る爺さん役だった。もう一組、認知症の妻を甲斐甲斐しく介護する夫を演じるソン・ジェホさんは、「愛を信じます」でも心優しいお父さん役。認知症の妻を演じるキム・スミさんは、今年のアジアフォーカスで上映された『家門の栄光4:家門の受難』でのヤクザの女親分がまさにはまり役だけど、こんな役もできるとは! テレビや映画でお馴染みの役者さんたちの、さすがな演技と、坂道の多いソウルの町の情緒を楽しめる作品でした。
続いて、『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』(ジョン・マッデン監督)の試写。
「神秘の国インドの高級ホテルで、穏やかで心地よい日々を」のうたい文句に惹かれて、英国からジャイプールを目指した年老いた男女7人。ニューデリーに到着するも、ジャイプール行きのフライトは欠航。これって、私も経験している。早朝着いたら霧で欠航。霧深い道をバスで向かったら、3車線のはずの道路が5車線くらいになって、牛もその合間をのそのそ歩いているから、ジャイプールにたどり着いたのは夕方だったのでした。
さて、高級ホテルのはずのマリーゴールド・ホテルは、うたい文句を書いたオーナー一家の青年がいつか高級になるといいなと夢見るおんぼろホテル。壊れた蛇口を自分で直す英国紳士も。そう、インドでは何があっても対応しないと生きていけない。ジャイサルメールの新築ホテルで、トイレの水は勢いよく流れるのに、洗面台もお風呂も一滴も出なかったことがあったのを思い出しました。(さすが、トイレの水を代用できない・・・)
映画に話を戻しましょう。人生の終焉をインドで過ごすイギリス人たちが織り成す人生模様。これまた老いらくの恋も芽生えるのです。試写2本続けて、人生まだまだと勇気づけられました。でも、残りはそれほど長くないことも意識して一日一日大事に過ごさなくてはとも!
23日、東京フィルメックスが始まりました。連日外出して疲れが出たので、オープニングは諦めて、24日から始動。その24日も、まずはフィルメックスではなく、池袋の勤労福祉会館での『母をたずねて1800マイル』(メディ・カレフ監督、2001年/フランス・チュジニア・ベルギー)上映会へ。赤ちゃんの時に自分を捨てた母に会いにチュニジアの貧しい村に赴く若い女性ラリア。水も出ない土漠にある生家。遠くの町のホテルで働いている母を訪ねていくのですが、ちょっと気のふれた叔母がずっと付いてきます。そして、会った母から自分が井戸を掘る費用ねん出のために売られたことを知るのですが、そこにはもう一つ秘密が。(観る方のためにこれ以上はやめておきますね。)
この後、東京フィルメックスで雲南の3200mの高地で暮らす貧しい3姉妹を追ったドキュメンタリー『三姉妹~雲南の子』(ワン・ビン監督)を観たら、先ほどの乾いたチュニジアと正反対に、家の中もじめじめとしていました。2作品を一緒に観た友達と、「水がないのも困るけど、じと~っとしているのも嫌よね」と。いや~そんな環境に生まれなかった幸せを噛みしめました。
さぁ今日から12月2日まで、頑張って毎日東京フィルメックスに通います!
(咲)
13日 シネマジャーナル86号が出来上がりました。定期購読されている皆様には、そろそろお手元に届いていることと思います。今回も、pdfに変換した時に、踊ってしまった文字があったり、表紙の色がイメージしていたものと違ったりと、なかなか完璧なものとはいえませんが、皆の映画への思いが詰まった1冊となっています。ぜひ、お読みいただければ嬉しいです。
購読ご希望の方は、こちらからどうぞ! → http://www.cinemajournal.net/cj/orderform.html
14日 姪っ子の引っ越しを手伝いに横浜へ。ベルリンから、シネジャに毎号寄稿してくださっている映像作家で映画研究家の松山文子さんが一時帰国されていて、ご実家が横浜だというので、シネジャ86号を手渡しに行きました。ベルリンで上映されるアラブやイランなど中東映画のことをいつも書いてくださっているので、一度お会いしたかったのです。美味しいケーキをいただきながら、1時間半。ベルリンでは、11月5日からアラブ映画祭が開催されたそうで、松山さんの一時帰国と重なってしまったのですが、帰国前日に運よくモロッコのベテラン女性監督Farida Benlyazidさんにお会いすることが出来たとか。もっともっとお話を聞きたかったのですが、そろそろ引っ越しトラックが着くというのでお別れしました。
15日 映画好きのイラン人の友人のお姉さま一家がドイツから遊びにきていて、浅草で落ち合いました。二日続けてドイツ在住の方に会ったという次第。このイラン人一家は、15年前にイランから移民。すでにドイツのパスポートを持っているので、日本にもビザなしで来られるのです。1週間、横浜や群馬の温泉など目一杯楽しんだ一家。ヨーロッパは綺麗だけど、人があまり親切じゃない、日本人はイランと同じアジアだから心が暖かくてほんとにいい旅ができたとおっしゃいます。ドイツは住みやすいところだけど、イランの体制が変われば、やっぱりイランに帰りたいとも。
夕暮れ近くに、スカイツリーへ。人がいっぱいで、平日なのにとびっくり。イラン人一家が翌日帰国するので早めにホテルに帰って荷造りしたいとおっしゃるので、陽が落ちる前にスカイツリーを後にしたのですが、なぁんと、もう少し待っていれば、クリスマス限定のライトアップの点灯式だったのでした。残念!
それにしても、もう1年も終わりに近づいたのですね・・・ 来週は今年最後の大きな映画祭、東京フィルメックス! イルミネーションの綺麗な有楽町に通うのが楽しみです。
(咲)
4日 イラン映画の日本への紹介でお馴染みのショーレ・ゴルパリアンさんから、イランの演劇がフェスティバル/トーキョーで上演されるとお伺いして、東京芸術劇場へ。久しぶりの演劇。生身の役者さんたちの演じる姿が目の前で繰り広げられるのは、映画とはまた違った緊張感があって新鮮でした。演目は、「1月8日、君はどこにいたのか?」。上演後、「F/Tユニバーシティ」として、作・演出のミール・レザ・コヘスタニさんによるレクチャーが3時間にわたって行われました。本作は、2009年の大統領選挙の前後1ヵ月の騒動を、外国にいて経験しなかったコヘスタニさんが、選挙から1か月後に2年ぶりに帰国して感じた空気を劇にしたもの。6人の人物の電話のやりとりには、一切、大統領選挙のことは出てこない。時期も違う。会話の中で、「銃」を「鬘(かつら)」という隠語を使うところなどに、人々が監視されているかもしれないというプレッシャーの中で暮らしていることが伝わってくる。体制批判と受け止められそうな題材を直接的に描くと検閲に引っかかるので、間接的に巧妙に描くのは映画も同じ。そして、アーティストとしてのコヘスタニさんのベースにあるのは、詩。イランの文化の中で、一番歴史が古く、人々の根っこにあるもの。気兼ね、あいまい、そういった要素のいっぱい入った詩をイラン人は誇りにしていると3時間を締めくくりました。
8日夜、渋谷の映画美学校での『駆ける少年』の試写へ。上映後、アミール・ナデリ監督が登壇。1987年の東京国際映画祭で本作を映写技師として映写し力強さに圧倒されたという篠崎誠監督とのトークが繰り広げられました。最近は英語で話すことの多いナデリ監督ですが、この日は映画にちなんで久しぶりにペルシア語で話してくださったのが嬉しかったです。
主役の少年は、裏通りで口笛を吹きながら歩いているのを見て、「あ、自分だ!」と追いかけていって、家族にOKを貰ったのだとか。キアロスタミ監督と児童青少年知育協会で4年間程同じ部屋にいて児童向け映画を作っていたナデリ監督。二人が選ぶ少年は自ずからそれぞれの個性が反映されていたそうです。二人の映画を思い浮かべ、なるほどと! トークには、映画美学校の生徒さんたちも参加して質問タイムも。「イランの映画はどうしてこんなにも純粋な心を持っているのか?」との問いに、「イランも日本も共に古い歴史を持っています。イランでは建築や絨毯、そして詩人がいる。映画のベースも詩。日本でも、黒澤、溝口、成瀬、相馬といった監督たちは日本の文化をベースに作ってきた。そういう映画は永遠に残ります」と語りました。イランを出て25年以上経つ今も、ナデリ監督はやはり詩がDNAに組み込まれているイラン人なのだと感じたひと時でした。芸術家だけでなく、政治家もスピーチを詩で締めくくるイランの人たち。日本人も伝統をもっと大事にしなくては!
(咲)
今週は、シネジャ86号の最終編集日に向けて追い込み。東京国際映画祭で個別取材した5作品のうち、『もうひとりの息子』『天と地の間のどこか』『沈黙の夜』の3作品が受賞したので、せっかくだからと私にページをたくさん割り振ってくれました。嬉しいけれど、短期間にまとめるのは大変!
思えば、今年は、映画祭で個別取材した作品が、次々に最高の賞を受賞!
SKIPシティ国際デジタルシネマ映画祭 最優秀作品賞『二番目の妻』(ウィーンのトルコ社会が舞台)、アジアフォーカス・福岡国際映画祭 福岡観客賞 『BOL ~ 声をあげる~』(パキスタン映画)、そして、東京国際映画祭での東京サクラグランプリ『もうひとりの息子』(イスラエルとパレスチナが舞台のフランス映画)
どれも私の興味のあるイスラーム&ユダヤ絡みの作品を選んで、映画を観る前から取材を申し込みした結果の大当たり♪ これが宝くじならなぁ~ (あ、縁起担いで、これを機会に宝くじを買おうかしら)
30日 原稿はまだ全然書き終わってなかったけれど、26日から公開が始まった『アルゴ』が気になるので、友達を誘って観に行ってしまいました。1979年のイラン革命の折、テヘランにある在イラン・アメリカ大使館が占拠された事件。444日にわたって人質が拘束されたことや、人質救出作戦で輸送機が沙漠に墜落して失敗したことなどが思い出されます。この『アルゴ』で描かれているのは、大使館が占拠された時に、運よく脱出して人質にならなかった6人の物語。カナダ大使公邸に匿われた6人を、ARGOという映画のロケハンでイランに来たことにして救出した実話というから驚きます。
イランを舞台にしているので、どういう風に描かれているのかどうしても気になります。冒頭に、石油国有化政策を推し進めるモサッデク首相が、アメリカが後押しするパフラヴィー国王により失脚させられたことが掲げられます。なぜ、イラン革命がおこったか、なぜ、アメリカが敵対視されるかが、当時の歴史を知らない人にもわかりやすく説明されていて、まずは好感が持てました。その後の展開も、これが実話?というくらい、はらはらドキドキのサスペンス。もちろんイランで撮影していないので、テヘランの空港は、ちょっと山が近すぎるかなとか、バザールはイスタンブルのグランドバザールだなとか、一瞬、イスタンブルの街角とわかる場面があったりとかするのですが、山の手の住宅街や、通りの様子など雰囲気はとてもよく出ていました。ベン・アフレック、なかなかやるじゃない!
2日 玲さん宅でシネジャ86号の最終編集。あ~ あと、1ページのうちの最後の1段が完成していない・・・ 84号から以前の切った貼ったの手作業でなく、pdf入稿に変えたので、皆パソコンを持参しての作業。手作業がなくなるから楽になるかと思ったら、意外とそうでもありません。まぁ慣れでしょうか・・・
夕方、なんとか一段落して、玲さんの美味しい手料理をいただきながら、おしゃべり。編集はこのひと時がなんといっても楽しい。映画談議やまわりで起こった面白い出来事など話は尽きません。
さて、シネマジャーナル86号は、11月中旬には出来上がります。映画祭特集、インタビューなど、もりだくさん。どうぞお楽しみに!
(咲)
連日六本木ヒルズに通って、どっぷり東京国際映画祭に浸った一週間でした。映画を観る合間に取材したというより、取材の合間に映画を観たというくらい、インタビューや記者会見、上映後のQ&Aにも足を運びました。映画人のお話を直接聞けるのは、映画祭ならではの楽しみ。でも、取材しただけ、報告もしなくちゃいけないのはつらい・・・ 取り急ぎ、取材した映画人の方たちをご紹介!
21日(日)12:53 ボリウッドの王道を行くインド映画『火の道』の最後20分を観るのを諦めて、イラン映画『ライフライン』のQ&Aへ。(やっぱりイランが優先♪ ま、『火の道』のラストは見当つくし!) 開始前に会場入口でモハマド・エブラヒム・モアイェリ監督にお会いすることができました。実は、20日のオープニングイベントの時に、アリーナの舞台に登壇してくる監督にペルシア語で「ようこそ」と書いた紙を掲げたのですが、しっかり覚えてくださっていて、嬉しい対面となりました。さて、Q&Aでは朝早くからの上映なのに、熱心な観客からの質問が続きました。思えば、質問は男性からばかり。まだ観ていない『ライフライン』は送電線工事をする男たちの物語。もしかして硬派な映画?と思ってしまったのですが、翌日観たら、恋愛も織り交ぜた自然豊かな作品でした。
13:30 デンマーク映画『シージャック』(トビアス・リンホルム監督)の 記者会見。インド洋で海賊に襲われたデンマーク船の物語。海賊と交渉する船舶会社のCEO役を演じたソーレン・マリンさんとプロデューサーのトマス・ラドアーさんが登壇。普段はラフな格好のソーレンさん。実際の船舶会社のCEOの方の行動スタイルを密着取材して、スーツを着こなしCEOになりきったと語りました。海賊が乗り込んできた様子を音でしか表現しなかったことについて、「予算の節約?」と質問され、「はい、そうです・・・というのは冗談で、脚本段階で、海賊が乗り込んできたことを船員たちが気配で察知したのと同様の体験をしてほしいと、乗り込む場面は見せないと決めていました」と明かしました。
17:25 『ゴールデン・スランバーズ』ダヴィ・チュウ監督にインタビュー。フランス生まれのカンボジア人。20歳の時に、お母様のお姉様より祖父が映画プロデューサーだったことを聞かされた監督。カンボジアでクメール・ルージュが席捲する1975年以前の映画史をたどる旅に。1960年からの15年間に約400本の映画が作られていたことを知ります。生き延びた映画人の話や難を逃れた資料からカンボジア映画の黄金期をまとめあげたいきさつをお伺いするには30分はあまりに短かった!
23日(火) 16:40 『ライフライン』モハマド・エブラヒム・モアイェリ監督にインタビュー。原題の『Galoogah(ギャルーガー)』は、50年来、イラン国内のみならず近隣諸国の送電線作業を請け負ってきた人たちの住むカスピ海近くの町の名前。イランの伝統的な暮らしや豊かな自然も織り交ぜて描いた作品。空撮の景色が素晴らしかったのですが、「費用が大変だったのでは?」とお伺いしたら、テヘランからヘリコプターを飛ばす費用よりも、送電線の土台を作る費用のほうが高かったと話が止まりませんでした。
24日(水)12:43 タイ映画『帰り道』のQ&A。トンポーン・ジャンタラーンクーン監督と、プロデューサーのタックサコーン・プラダップポンサーさんが登壇。疎遠だった姉妹が、母親が突然亡くなり遺体をバンコックからマレーシア国境近くの故郷まで車で運ぶうちにわだかまりが少しずつとけていくロードムービー。母親に向かって道案内する姿に、昨年、母が亡くなった時に病院から葬儀場まで「ここはどこ」と母に声をかけながら向かったことを思い出して涙が止まりませんでした。この道案内について質問が出て、タイの仏教の習慣で亡くなった人が道に迷わないよう、曲がり角や橋を渡る時などに必ず声をかけるとの説明がありました。
13:15 全編中国で撮影された日本映画『黒い四角』の記者会見。奥原浩志監督、主演の中泉英雄さん、鈴木美紀さんが登壇。2006 年に活動拠点を北京に移して7 年になる鈴木美紀さん。誰も知らないところでゼロから始め、チャンスを掴んできたと語る姿が素敵でした。ただ黒いだけの絵に高い値段がついていて観客から笑いが起こる場面に奥原監督は「笑う意味がよくわからない。4~5年前に中国で芸術バブルがあって、あんな絵がいっぱい。いきなり売れて、急にいい生活している人もいました」と、笑いを誘いました。また、中国映画『風水』が出品取りやめになったとの一部報道に対して、奥原監督は、TIFFの取った態度は毅然として立派だったと語りました。
15:00 フランス映画『もうひとりの息子』の記者会見。ロレーヌ・レヴィ監督、プロデューサーのヴィルジニー・ラコンブさん、主演のジュール・シトリュクさんが登壇。イスラエルとパレスチナを舞台に、生まれた時に病院で取り違えられて本来の両親でない親元で育った二人の息子のアイデンティティを巡る物語。人種や宗教の違いを超えて共存してほしいと願う監督の思いの籠った作品に、記者会見に多くの人が詰めかけました。
16:00 『もうひとりの息子』記者会見が終わってすぐ、今度は個別取材。なんといっても、今年のコンペティション部門の中で私が一番気になった作品! 主演のジュール・シトリュクさんは、2004年フランス映画祭で出演作『ぼくセザール 10歳半 1m39cm』が上映された折に来日。当時はまだ少年。横浜の会場やホテルで共演したジョゼフィーヌ・ベリちゃんと二人で一緒にいるところをよく見かけました。写真をお持ちしたら、にっこり。(特別記事:第12回 フランス映画祭横浜2004)
今回の映画で、ジュールさんはユダヤ人の家で育ったけれど、ほんとはパレスチナ人だったという役どころ。自分自身、ユダヤなのでいろいろ考えされられたとのことでした。ロレーヌ・レヴィ監督もユダヤ。もとになったシノプシスをプロデューサーのヴィルジニーに持ち込んだのもユダヤ系のフランス人男性。ですが、製作にあたってはパレスチナ人のキャストやスタッフからも意見を聞いて作り上げたとのこと。私の目から見ても、公平に描かれていると思うのですが、イスラーム圏の映画祭ではなかなか受け入れてくれないそうです。このような映画を受け入れてこそ、共存の第一歩になると思うのですが・・・。
25日(木) 10:50『恋の紫煙2』のID上映。なんてこった! イーキン・チェンがちらっと出た場面を寝ていて見過ごしました。ショックを隠し切れないまま、12:35『ある学生』のQ&Aへ。カザフスタンのダルジャン・オミルバエフ監督がドストエフスキーの「罪と罰」を映画化。なんともいえない空気感の漂う作品でした。小説そのものをなぞって映画にしたのではなく、モチーフを使って構成。殺人が金目的ではなく、精神的不平等が原因であることを描いていると説明されました。日本のアニメが大好きという中学生のお嬢さんが学校を休んで一緒に来日。ほのぼのとした撮影タイムとなりました。
14:00 インドネシア映画『ティモール島アタンブア39℃』の記者会見。リリ・リザ監督には福岡で何度かお会いしていて嬉しい再会。東ティモールが住民投票の結果インドネシアから独立して10年。二つの国に分断したティモール島のインドネシア側の国境の町アタンプア。東ティモールから流入した難民の人たちの悲哀を描いた作品。プロデューサーのミラ・レスマナさんと共に、撮影秘話をたっぷり語ってくださいました。会見が終わり、ティモールの素敵な手織りのマフラーをしてのフォトセッションとなりました。
お台場で開かれている映画祭併設のビジネスコンテンツマーケットTIFFCOM2012へ。シャトルバスでちょっと遠足気分♪ この日が最終日で、お目当てのトルコのブースはもう店じまいしていました。でも、イランや韓国の資料をゲット! いつもお世話になっている「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」の事務局の方たちにもお会いすることができました。再び六本木ヒルズに戻って、17:05からの『ティモール島アタンブア39℃』Q&Aにすべり込み。上映が終わったばかりの観客との時間は、やはり熱いです。
17:50『綱引いちゃった!』の舞台挨拶。実は取材予定ではなかったのですが、(暁)さんから取材に入ったとメールがあって、TIFFCOMで貰ってきた資料を渡すために急きょ私も飛び込みました。華やかな舞台挨拶で、これぞ映画祭の醍醐味。
22:32 トルコ映画『沈黙の夜』のQ&A。レイス・チェリッキ監督と、奥様でプロダクションマネージャーのディク・チェリッキさんが登壇。東トルコの村を舞台に、長い刑務所暮らしを終えた男が14歳の花嫁と迎える初夜を描いた作品。映画をまだ観ていなかったのですが、ネタばれになる質問の数々をしっかり聞いてしまいました。監督の描きたかったのが、クルドの伝統や因習ではなく、戦争がなくならないのは、権力者の命令にそむけない弱者がいるからだということを強く感じさせられる監督の言葉でした。
26日(金) 楽しみにしていた中国映画『老人ホームを飛び出して』を、それこそ15分だけ観て飛び出して、11:30からトルコ映画『天と地の間のどこか』の記者会見。イェシム・ウスタオール監督と、主演女優ネスリハン・アタギュルさんが登壇。高速沿いのドライブインで単調な毎日をおくる少女が年上のトラック運転手と関係を持ち、妊娠してしまう。流産の場面の撮影時のことを尋ねられ、涙を浮かべながら語るネスリハンさん。司会の矢田部さんも、「トルコ語はわかりませんが、表情から壮絶な撮影現場だったことが伝わってきました」と感無量のご様子でした。
12:00 引き続き、『天と地の間のどこか』の個別取材。イェシム・ウスタオール監督にお話をお伺いするのは、『遥かなるクルディスタン』『パンドラの箱』以来、3度目。とても哲学的な話をされる監督なので緊張していましたが、ネスリハン・アタギュルさんの魅力にちょっと救われました。「自分自身はとてもいい状態にありますので、妊娠に悩む主人公の気持ちはほんとのところわかりません」と率直に語るネスリハンさん。原題の『araf』とは、トルコ語で天国と地獄の間に位置する「煉獄」のこと。この映画のヒロインだけでなく、トルコという国自体、中途半端な状態にあるという監督。「arafの状況から抜け出して、誰しもが個人の意思で生きてほしい」と本作に込めた思いを語りました。(やっぱり哲学的で理解仕切れなかった!)
14:50 韓国映画『未熟な犯罪者』記者会見の最後の10分に飛び込み。カン・イグァン監督、若い母親を演じたイ・ジョンヒョンさん、保護観察中の16歳の少年役のソ・ヨンジュさんが熱く語っている真っ最中。イ・ジョンヒョンさん、可愛い! 映画でも母親になり切れない幼さを見せていました。記者会見が終わると、ソ・ヨンジュさんが日本の観客の方たちに取り囲まれているのを目撃。韓流、健在です。
27日(土)12:30 トルコ映画『沈黙の夜』レイス・チェリッキ監督に個別取材。お会いしたことがあるような気がする・・・と思ったら、2009年にアジアフォーカス福岡国際映画祭で『難民キャンプ』が上映された折にインタビューしていました。(情けない・・・) インタビュー記事を掲載したシネマジャーナル77号を持参。思えば、『難民キャンプ』でも、主人公の青年が自分の意思ではない行動を強いられる姿を描いていました。『沈黙の夜』の主人公も権力者の命令で殺人を犯す人物です。一見、クルドの伝統や因習を描いた映画と思ってしまいますが、全世界に通じるメッセージを込めた映画なのでした。
13:34 シネマート六本木でインドネシア映画『虹の兵士たち』のQ&A。再び、リリ・リザ監督のお話を伺うことができました。作品を観たのは、2009年のアジアフォーカス福岡国際映画祭での上映時でしたが、今でもはっきり覚えている感動作です。
これにて、今年の東京国際映画祭の取材は終了。この後、森美術館の「アラブ・エクスプレス展」へ。先日、2時間では全然時間が足りなかったので、たっぷり3時間半、心ゆくまで楽しみました。
ほんとは今日行われる授賞式にも取材に行きたかったのですが、シネジャ86号最終編集日も目前。猛ダッシュで原稿を仕上げなくてはいけないので、ぐっと我慢です。
追記:日記を書いたあとで、受賞結果が出ました!
やった~! 『もうひとりの息子』が東京サクラグランプリと最優秀監督賞!
ほかにも、『天と地の間のどこか』のネスリハン・アタギュルさん、最優秀女優賞!
『沈黙の夜』最優秀アジア映画賞!
嬉しいな♪
(咲)
[2012.10.29] 写真追加(撮影:宮崎)20日 いよいよ東京国際映画祭が始まりました。オープニングイベント グリーンカーペットの取材へ。以前はけやき坂の沿道でグリーンカーペットを歩くゲストたちの姿を追っていたのですが、去年に続いて今年もアリーナで取材。ちゃんとどの映画のチームか紹介してくれるのが魅力です。アリーナビジョンにグリーンカーペットの様子も映し出されます。今年の先頭を切ったのは、『JAPAN IN A DAY [ジャパン イン ア デイ]』の大集団。公募して映画に採用された方々も家族連れで歩かれたりして、賑やかな幕開けでした。何より印象的だったのが、コンペティション部門審査委員長のロジャー・コーマンさん。奥様の手をしっかり握って歩いていらっしゃるのが微笑ましかったです。映画『コーマン帝国』で奥様がプロポーズされた頃のことを語っていたのを楽しく思い出しました。
さぁ、体力勝負の1週間の始まりです!
(咲)
11日 森美術館で開かれている「アラブ・エクスプレス展」へ。久しぶりの六本木ヒルズ。来週には東京国際映画祭で通うことになるとワクワクします。6月から開催されていた展示ですが、アラブの現代アートというくらいの認識でちゃんと内容を把握していなかったら、これが滅法面白い! 2時間もあれば充分かなと思っていたら、映像作品も多くて、全然足りませんでした。中でも面白かったのが、1950年代から2000年代までのエジプト映画の中から、ピラミッドが登場するシーンばかりを綴った『ドメスティック・ツーリズムII』という女性作家マハ・マームーンさんの作品。砂漠の中にそびえたっているようなイメージを植え付けられていますが、実は大都会カイロの人たちの暮らしに寄り添うようにあるピラミッド。いろんなタイプの映画の場面が次々に出てきて、食い入るように観ていたのですが、なかなか一巡しません。確認してみたら、62分の作品! 途中で諦めて、続きは映画祭の会期中にトライすることにしました。また来られるかなぁと後ろ髪を引かれながら、東京国際映画祭の特別オープニング作品『JAPAN IN A DAY [ジャパン イン ア デイ]』の試写へ。リドリー・スコット製作総指揮のもと、2012年3月11日を人々はどう過ごしたかを集まった8000本もの動画を紡いだ作品。さっきのアラブ・エクスプレス展でも、エジプト映画の場面がうまく繋がれていましたが、編集の力ってすごい。素人の撮った動画も映画の一場面として生き生きとしています。(でも、結構動画が揺れていることが多いので、前の方で観ると酔いそうです。)
13日 レスリー・チャンの追っかけ仲間の方のご自宅にお呼ばれ。翌日がシネジャ86号の第一回目の編集日なので、遊んでいる場合じゃなかったのですが、これは大事にしたい集まり。久しぶりにレスリーの歌う姿を観ながら、おしゃべりに明け暮れました。映画の場面も出てきて、あの満ち足りた日々のことを懐かしく思い出します。来年4月で没後10年・・・ 時の経つのはほんとに早いです。
さて、今日はいよいよ86号の編集日。すみません! 原稿半分しか終わっていません・・・ 最終編集日は、東京国際映画祭が終わってから。映画祭に通いながら頑張ります!
(咲)
6日 夕方、川越で元会社の同期の人に会うことになり、せっかくなので昼間に川越の町を散策することに。90歳になる父が、一度も行ったことがないから是非行きたいと一緒に出かけました。本川越の駅から歩いて蔵造りの町並みに着くと、かつて訪れた時とどこか違う。なんだかすっきりして道幅も広くなったような気がしたら、電線を地下に埋めたと気づきました。古い町屋で美味しいお芋おこわをいただいて、川越まつり会館へ。で、目に留まったのが、90歳の文字。川越市市制施行90周年で、9歳、10歳、90歳とその連れも無料という嬉しいお知らせ。ペアやグループの合計年齢がぴったり90もOKなんだそうですが、90歳でこんなに元気な訪問者もいないだろうという父のお蔭で私も無料に! 川越の祭りには、もう30年以上前に来たことがあります。山車の上で繰り広げられるひょっとこの踊りが印象的でした。今年の祭りは10月20日・21日。(東京国際映画祭と重なっている・・・)市制90周年で、29台ある山車がすべて出揃うそうです。川越まつり会館には、2台の立派な山車が飾られていて、ちょっと祭りには早かったけれど、雰囲気をたっぷり味わうことができました。山車の展示ホールには、作りかけの山車も展示されていて、目を惹きました。山車を持たない町で、子どもたちに山車を引かせたいと、あるお金持ちの方が自費で作り始めたのですが、途中で亡くなられ完成できなかったそうです。ですが、山車の骨組みがよくわかり、別の意味で貴重なものと思いました。
呑気に川越散策を楽しんだ一日でしたが、シネジャ次号86号の編集もいよいよ佳境。東京国際映画祭の始まる前に、それ以外の原稿をまとめないといけないのですが、まだほとんど形になってません・・・ いつものことながら、ぎりぎりにならないと馬力の出ない私です。
そんな中、今、「インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン」が開催されています。魅力的な作品揃いなのですが、原稿を書き終えてない私は観に行っている場合じゃないのが残念。アジアフォーカスで福岡観客賞を受賞したパキスタン映画『BOL ~ 声をあげる~』も上映されるので、ちょっと紹介します。古都ラホールで薬屋を営む信心深く封建的な家長。生まれてくるのは女の子ばかり。近代医薬の発展で伝統的な薬の売れ行きは悪く家は貧しいが、跡取りの息子が生まれるまで妻に子どもを生ませ続ける。やっと生まれたと思った男の子は両性具有。女の子のほうがまだマシと、戸籍にいれず学校にも通わせずひたすら隠して育てるが、ついに父親はその子を殺してしまう。そして、さらにその父を長女が殺害し、死刑執行されるという段におよんで、長女は報道陣を集め、なぜ自分が父親を殺すに至ったかを語り始める・・・ 現場報道する女性キャスターも登場させて、パキスタンの女性の2層化を見せながら、今なお大多数の女性が因習的な社会の中で苦しんでいることに一石を投じた作品です。
アジアフォーカスの折に来日したショエーブ・マンスール監督は、前提としてこの映画をパキスタンの人たちの後進性を嘆いて、パキスタンの人たちに向けて作った作品であることを強調されました。そも、海外の映画祭に出すつもりはなかったところウルドゥー語学文学研究者の麻田豊さん(私の先輩!)が、youtubeで見つけて、是非福岡にと進言して出品が実現。インド社会とはまた違うイスラームを色濃く背景にしたパキスタン社会を垣間見れるのですが、元々国内向けに作ったものなので、理解するのに解説がもっと必要かもしれません。歌って踊っての場面も、インド映画につきものと思われた方がいるのですが、父親の重しがなくなった時に踊っていることに注目していただければと思います。
「インディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン」2012年10月6日~12日
http://www.indianfilmfestivaljapan.com/
『BOL ~ 声をあげる~』(ショエーブ・マンスール監督、2011年/パキスタン/152分)
【上映日】
東京(オーディトリウム渋谷)10月12日(金)午後1時~
大阪(シネヌーヴォ)10月11日(木)午後1時~
(咲)
スタッフ日記をサボっていたのですが、いくつか関連映画の公開や上映があり、いまさらですが、いくつか書いてみました。(暁)
『亡命』(2010年 翰光/ハン・グァン監督 シグロ製作)に出演した王丹(ワン・タン)さんが初来日し、『亡命』ダイジェスト版の上映とトークショーが行われた。1989年6月4日に起こった天安門事件。その時、民主化運動学生リーダーだった王丹さんは、事件後2度に渡って投獄され、その後1998年アメリカに亡命。歴史学者として、今は台湾の大学でも教えている。
『亡命』は試写も一般公開も観ることができなかったのと、天安門事件は私の人生も変えた事件だったので、これは行っておかなくてはと思い参加した。1989年7月に中国の四姑娘/スークーニャンという山に登るため会社を辞めたのだけど、結局、天安門事件後の厳しい状況の中、行くことができなかった。しかも、天安門事件のあった6月3~4日にかけて高所訓練のため富士山に登っていた。山スキー仲間との登山だったので富士山山頂からはスキーで滑り降りてきて、5合目のテントについてラジオを聞いたら、天安門事件が起こっていた。会社は辞めたわ、山には行かれないわで、すごくショックだった。そんな経験もあり天安門事件のことは忘れられない。ということでトークショーに行きました。
シグロとアムネスティインターナショナル日本の共同招聘で、3回目にしてやっと来日が実現した。それでも間際までビザが下りなくて来日できるかヒヤヒヤだったそう。会場はほぼ埋まっていて、約400人の人が参加した。若い人が意外に多かった。
『亡命』ダイジェスト版の上映後、トークショーが始まった。王丹さんは、天安門事件から23年もたつのに皆さんが覚えていてくれて、こんなにたくさんの人に来ていただき感謝しますと語り、いろいろな質問に答えてくれた。一部分だけ書いてみました。
Q:『亡命』を撮るに当たってのエピソードを。
王丹:監督の前作『ガイサンシーとその姉妹たち』を、大学の授業で観て感動した。この映画を撮った監督だからこそ出演を快諾した。翰光監督から、『亡命』への出演依頼があった2008年は、天安門事件から20年、苦節10年、ハーバード大学を卒業した記念の年でもあった。亡命者を撮るのは意味のあることだと思った。天安門事件を過去の歴史と見るのは間違い。確かに過去の事件ではあるけど、今後、中国で同じような民主化運動が起こった時には、絶対避けては通れない出来事。再評価されるべき出来事。中国では、今後、第2の民主化運動が起こるとしたら私たちは絶対また参加するでしょう。将来、中国で民主化が実現したら、中国の民主化の発展にとって、この十数年の空白は重要になる。監督は、この『亡命』という私たちの状態を作品の形で記録してくれた。監督に感謝します。
Q:軍が発砲するとは思ってもみなかったと語っていますが。
王丹:私は軍が発砲した時、天安門広場にいなかったので凄惨な現場を見ていない。会議があって、6月3日の夜中には天安門広場を離れていた。軍が発砲したのは、自分の想像をはるかに超えた驚きだった。2日間、まったく精神が麻痺状態になった。その後、天安門広場にいた友人にも聞いたが、やはり同じような思いだった。政府がまさか発砲するとは、よもやという気持だった。
翰光監督:私はその時日本にいました。TVで見ていて危ないなと思っていた。彼が信じたのは、中国では共産党は自分の父親、母親という教育を受けていたから、まさか自分たちに発砲するとは思ってもいなかったのだと思う。でも共産党はほんとの親ではない。王丹さんたちの間違いは正直すぎたこと、人を信じすぎたことだったと思う。
Q:亡命せざるを得なくなったことと、祖国への思いは?
王丹:今の亡命というのは昔とはちょっと違っていると思う。昔の亡命者は今より条件の悪いところに流されたが、今は自分たちがいるところよりいいところに流される。もし政府によって追い出されなくてもアメリカに行っただろう。当局が私たちを外国に追いやったのは、私たちの影響力を弱めるため。確かに当局の目的はある程度達しているが、その効果というのは弱まっていると思う。80年代以後に生まれた人たちはインターネットをやっていて、我々の影響力は増している。私たちを中国から隔離するというもくろみは効果がなかった。民主化に身を捧げると決めた人にとって、監獄とか亡命というカリキュラムを通らないと卒業できない。亡命生活は苦しいこともあるけど、苦しさに向き合うことで得られるものもある。亡命生活はまあまあである。
Q:中国国内の現代の活動家について思うことは。
王丹:中国国内に留まって活動できることは理想だけど、活動はほとんどできない状態。私は1998年に中国政府から「監獄に残るか、アメリカに行くか」の選択を迫られ亡命を選択した。当時70歳近い母が私に会うため遠くから毎日監獄に通ってきていたことを思うと監獄にはいられなかった。
Q:若い人たちに期待していると語っていますが。
王丹:若い人たちは、僕らよりはるかに体力がありますからね。民主化運動というのは体力がいる。デモに参加すればきっとわかると思う。当時、僕らは1日で北京大学、天安門、北京大学と徒歩で往復した。今日は20歩いただけで冷房のある部屋に入りたいと思った(笑)。民主化には体力がいる。もちろんそれだけではなく、若者には希望がある。
このほかにもたくさんの質問に答えてくれたし、会場に来た人からの質問もたくさん出たのですが、ここまでにします。
*中国の革命の父と言われている孫文も日本に亡命したことがある。その時は、犬養毅、宮崎滔天、頭山満、梅屋庄吉など、たくさんの日本人が協力したり、資金援助したこともあった。
いつか王丹さんを始め、亡命した人たちが中国に戻れる日がくるようにと祈った。
王丹の来日を記念して、現在『亡命』の再上映とトークイベントをやっています。9月29日~10月5日まで。あと1日しかありませんが、本日行ってみます。みなさんもどうですか。
9月29日(土)~10月5日(金)
http://www.exile2010.asia/jp/
連日10:00~ オーディトリウム渋谷
東京都渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F
TEL: 03-6809-0538
オーディトリウム渋谷HP http://a-shibuya.jp/
問い合わせ シグロ:03-5343-3101 siglo@cine.co.jp
7月第5週のスタッフ日記で(咲)さんも紹介しているけど、『アメリカ―戦争する国の人びと』の藤本幸久監督から最新作『LOVE沖縄 @辺野古 @高江』の特別試写会の案内をいただき、衆議院第1議員会館の国際会議室に行った。こういう機会でもないと、議員会館に入ることもないので、どんなところか、そんな興味もあった。警察官があちこちにいて、入るところで入館のカードをもらって、やっと入ることができた。会議室は結構広かったが、中心に楕円形型のテーブルがあり、その周りにイス席があった。
現在、沖縄配備が問題になっているオスプレイ配備阻止活動をしている沖縄の人々の姿を追ったドキュメンタリー。上映後、藤本監督から「普天間、辺野古、高江はセット。世界的規模の米軍の再編の中で行われていること。この時期に映画をまとめたのは、できるだけ多くの人に実態を知ってほしいから」とのコメントがありましたが、昨日、一昨日と、とうとう沖縄の空にオスプレイが飛んでしまった。
なお、この作品は明日10月6日(土)、東京・明治大学バティータワー(お茶の水)で上映される。
上映は、14:00~と19:00~の2回(同時上映『ONE SHOT ONE KILL~兵士になるということ~』 16:15~)
18:00~は、東京大学の高橋哲哉さんの講演「犠牲のシステム 福島・沖縄」があります。
この危険な飛行機のための基地建設を止め続け、今日も、普天間で、辺野古で、高江で座り続ける人たちのこと、そして、その思いを今、日本中の人たちに、知ってほしいと願っています。と監督からのコメント。
共同監督の影山あさ子さんに連絡したところ、本日(4日)藤本監督は沖縄に取材に行っているとのこと。「ポレポレ東中野で12月に公開予定ですが、ここでの公開分は、現在起こっているオスプレイ配備のところまで組み込む予定で、新編集、実質的な初公開になります。タイトルは『ラブ沖縄@辺野古・高江・普天間』となる予定です」と連絡が来ました。
上映会の詳細・会場は、以下からご確認下さい↓↓
http://www.labornetjp.org/EventItem/1347881402490staff01
映画「ラブ沖縄」↓↓
http://america-banzai.blogspot.jp/2011/04/blog-post_17.html
『歌えマチグヮー』に出演している“栄町おばぁラッパーズ”が来るというので、映画を観る前に新宿で行われた「新宿エイサー祭り」に行った。「新宿エイサー祭り」のことは前から気になっていたけど参加したのは初めて。なんと今年10年目とのこと。
エイサーとは沖縄の伝統的な盆踊りで、大小の太鼓を打ちながら歌い踊る。アルタ前でオープニングイベントが行われ、古謝美佐子さん、夏川りみさんなども出演した。ふたりが出演した後、いよいよ“栄町おばぁラッパーズ”が出てきたけど、古謝さん、夏川さんたちは舞台の上だったけど、“おばぁラッパーズ”は、舞台下だったので、ほとんど姿が見えなかった。それで、しょうがないので、このエイサー祭りの関連事業で行われた「沖縄音楽フェスティバル」(新宿文化センター 大ホール)にも、エイサーを見たあと出かけた。
オープニングの後は、エイサーのグループがたくさん登場し、暑い中、アルタ前の新宿の目抜き通りを阿波踊りの連のように、次から次へと、歌い踊りながら通り過ぎていった。沖縄からも来ていたけど、東京の各地のグループがほとんどで、東京各地や沖縄にこんなにもたくさんのエイサーのグループが、あるのだということを知りびっくりした。
『歌えマチグヮー』の映画紹介と「沖縄音楽フェスティバル」での“栄町おばぁラッパーズ”の写真はシネジャ映画紹介下記アドレスに。
http://www.cinemajournal.net/review/2012/index.html#utae-machigwa
(暁)
26日 「第13回東京フィルメックス」のラインナップ発表記者会見へ。のんびり構えて時間ぎりぎりに行ったら、一番前の隅っこにしか席が取れませんでした。開始前から、フィルメックスへの期待を感じる熱気に溢れた会場でした。プレス資料を開けて、まずはイランや中東の映画をチェック! ゴバディやマフマルバフ、アモス・ギタイの名前が飛び込んできます。イスラエル映画特集もある! その他の作品も、個性的でいかにもフィルメックスらしいライナップ。そして何よりびっくりしたのが、審査員の中にイランの女優ファテメ・モタメダリアさんの名前があったこと。私が初めてお会いしたのは、『青いベール』が1995年のアジアフォーカス福岡国際映画祭で上映された時のことでした。交流パーティの折の着物姿がとても可憐でした。その後、2002年のアジアフォーカスで、『ふたりのミナ』が上映されたときに再来日。ファテメさんが帰国される同じ飛行機で私はイランに行ったという懐かしい思い出があります。テヘランのホテルのエレベーターに乗り合わせた男性から、「昨日、空港でファテメ・モタメダリアさんとお話してましたね」と話しかけられ、誰もが知る有名な女優さんであることを再認識したのでした。東京フィルメックスでは、『メン・アト・ワーク』(2006年 マニ・ハギギ監督)で独身のキャリアウーマンを素敵に演じていたのが記憶に新しいです。審査員としてのファテメさん、どんな顔を見せてくださるのか楽しみです。
今年の東京フィルメックスは、11月23日~12月2日
詳細は、公式サイトで! http://filmex.net/news/2012/09/post-239.html
(咲)
15日 台湾映画『あの頃、君を追いかけた』を観た後、姪浜駅で大学の同級生と待ち合わせ。思えば、まさに『あの頃、君を追いかけた』の年頃に知り合った同級生たちです。私のアジアフォーカス行きにあわせてのクラス会。東京や鹿児島から5人が集まりました。福岡在住の同級生のアレンジで、15日は、フグ刺し、蟹、松茸などの豪華料理飲み放題付4900円の宴会、素敵なカラオケルームで青春時代の歌を歌い放題。16日は、台風の近づく雨の中、炭鉱の町・飯塚へ。炭鉱王 伊藤伝右衛門の旧邸宅をゆっくり見学しました。2番目の妻として迎えた歌人柳原白蓮のために用意した2階の角部屋からは広々とした日本庭園が見渡せました。恋に生きた白蓮の波乱の人生も知ることができました。
16日夕方、父と合流し、亡き母の台湾時代のご友人の方に会いに佐賀へ。見せていただいたアルバムの中には、母の姿もたくさん。お話していると、母を感じることができて感無量でした。
17日 台風は夜中に長崎の沖合を通過。朝起きた時には、風は強いものの雨は降っていなかったので、朝食後一人で少し散策してみました。Web版シネジャの製作を全面的にサポートしてくだっているYさんが、先月佐賀を訪れた時の写真をご自身のブログにアップしていて、予習はばっちり。松原神社の白磁の鳥居やそのそばにある瀟洒なおトイレ、『佐賀のがばいばあちゃん』を彷彿させられる住宅裏の水路なども観ることができました。
佐賀城本丸歴史館を母の友人のご親戚の方に解説していただきながら見学し、ゆっくりお食事して1時頃佐賀駅へ行ったら、「いつ来るかわかりませんよ。9時に来るはずのも来てないから」と言われました。台風は通り過ぎたと安心していたら、長崎駅が冠水したそうなのです。ひぇ~ 3時半からの映画に間に合うのか・・・ 福岡空港行の高速バスに飛び乗り、3時15分頃にはT・ジョイ博多にたどり着きました。3時半からは、イランのアスガル・ファルハディ監督の長編第3作目『美しい都市』だったので、見逃すわけにはいかなかったのです。ホッ! 恋人を殺した少年が18歳になり死刑執行されるのを、同じ刑務所にいた少年が、被害者の父親にかけあって執行停止を求めようと奔走します。加害者の少年の姉との間に恋心が芽生えますが、被害者の義理の妹(障害を持っている)と結婚してくれれば死刑執行停止に同意すると持ちかけられます。なんとも切ない物語。
この後観た、パキスタンの『BOL ~ 声をあげる~』でも、親の意向で意に反する結婚を迫られる女性たちが登場しました。
18日 午前中、前日観た『BOL ~ 声をあげる~』のショエーブ・マンスール監督にインタビュー。2008年に『神に誓って』が福岡で上映された折にお会いしていたのを覚えていてくださいました。BOLは、ウルドゥー語で「話す」。保守的な社会で抑圧されている女性たちに、胸の内を明かしましょうと勇気づける作品。たっぷりと映画に込めた思いを話してくださいました。
続いて、『わが友ラシェド』のモルシェドゥル・イスラム監督にインタビュー。1971年のバングラデシュ独立戦争を13歳の少年たちの目を通して描いた物語。原作のある作品ですが、監督自身、当時13歳で、9か月間ダッカの町で苦しい籠城生活を強いられたそうです。印パ分離独立で誕生したイスラーム教徒中心の国パキスタン。東パキスタン(現在のバングラデシュ)は、人口約7500万人。大半の人がベンガル語を話す人々。一方、西パキスタン(現在のパキスタン)は、様々な民族の人々がそれぞれの民族の言語を話す多言語の地域。国語となったウルドゥー語を母語とする人は、西パキスタンの人口約5000万人の3割程度でした。映画の中で、「もうウルドゥー語を学ばなくていい!」という言葉がありました。監督にお伺いしたら、「ウルドゥー語を学校で無理やり学ばされて本気で嫌いでした。今はすっかり忘れました」と微笑まれました。
この映画で、あれっ?と思ったのが、ヒンドゥー教徒の人たちがイスラーム教徒風の装いで逃げる場面。1947年の印パ分離独立後も、実はベンガルの地では、インド側に移民しなかったヒンドゥー教徒も多く、イスラーム教徒と共存していたことを知りました。独立戦争の時に、パキスタン政府軍はヒンドゥー教徒を真っ先に攻撃対象にしたそうです。 独立から40年以上が経ち、映画を通じて自国の若い人たちに当時のことを知ってほしいと語る監督でした。
午後、オール九州ロケの韓国映画『家門の栄光4:家門の受難』で笑った後、レスリー・チャンの追っかけ仲間の福岡在住の友人とお茶。去年は会う時間がなかったので2年ぶりの再会ですが、会えばあっという間にレスリーの時間に戻ります。
夜、トルコ映画『未来へつづく声』。消えゆくクルドやアルメニアの文化に思いを寄せた作品。美しい映像が哀愁ある鎮魂歌と共に胸に迫ってきました。
終わった後、福岡の映画サークルの人たちと、東京や名古屋から来た友人も誘って映画談議。こうしたひと時がほんとに嬉しいです。
19日 名古屋から(美)さんが朝一番の上映に間に合うように到着。オープニングで上映された韓国映画『ダンシング・クイーン』を(美)さんと一緒に20分だけ観てから、イラン映画『砂塵にさまよう』を鑑賞。アスガル・ファルハディ監督の長編デビュー作。一目惚れして結婚したものの家族の反対ですぐに離婚した青年が、慰謝料を払うために、砂漠で毒蛇を取って金にしようとする物語。砂漠を舞台にした骨太な作品。後の4作とかなり作風が違って、デビュー作から監督の力量を感じさせてくれます。
午後、トルコ映画『9月』を観た後、イランのベテラン俳優ファラマルズ・ガリビアンさんにインタビュー。『砂塵にさまよう』では、かつて人殺しをし、脱走して毒蛇取りを生業としている男、『美しい都市』では、娘を殺された父親役。どちらも強面の役柄でしたが、ご本人は笑顔の素敵なダンディな方。これまで85本の映画に出演しているけれど、自分に近い役を演じたことがないとのこと。「静かな紳士」がご自分に近い役柄で、憧れは、『サヨナラ』でマーロン・ブランドが演じた芸者に恋をする役と、微笑まれました。デビュー作は、マスウード・キミアイ監督の第二作『大地』。実はキミアイ監督とは小学生の頃、家が隣同士でよく一緒に映画を観た仲。お金のない時には映画館の外で漏れ聞こえてくる台詞を聞きながら、「今はあの場面だね」などと話していたそうです。二人で俳優になろうと言っていたのが、なぜかキミアイは監督になったとおっしゃいました。(美男子のガリビアンさんに俳優を譲ったのでしょう!)
5時から福岡観客賞の授賞式。まずは、今年新設された次点の作品に授与される熊本賞の発表。韓国映画『ダンシング・クイーン』が受賞し、イ・ソクン監督が奥様とお嬢ちゃんと一緒に登壇。お嬢ちゃんがトロフィーを受け取りました。
続いて、観客が選ぶ第一位の作品に贈られる福岡観客賞は、パキスタンの『BOL ~ 声をあげる~』が受賞。2008年に観客賞を受賞した長編第一作の『神に誓って』に次いで、長編第二作も観客賞を受賞し、驚きと喜びを語るショエーブ・マンスール監督でした。
(監督の語ったことをもっと報告したいのですが、また後日!)
20日までの福岡滞在中、このほか観たのは、『火祭り』(イラン)、『トゥルンバ祭り』(フィリピン)、『天龍一座がゆく』(台湾)。東京の試写で観た『カハーニー/物語』(インド)を合わせても、12作品だけ。滞在日数は長かったのに、遊び過ぎました。アジアフォーカスのための福岡の旅だったのに、なんだか本末転倒でしたが、いろいろな人と過ごすことのできた貴重な旅となりました。
(咲)
13日、父と友人と3人で長崎へ。夕暮れ近くに路面電車の石橋電停からスカイロード(斜行エレベーター)経由グラバー園の一番高いところにある入口から入場。ここからの眺めは、ほんとに素晴らしくて、あ~長崎にまた来られた!と感無量。
14日、父と一緒に、父が海軍予備学生時代に魚雷艇の訓練をしていた大村湾の川棚へ。特攻殉国の碑に刻まれた大勢の戦歿者の名前‥‥とても風光明媚な場所で、戦局の厳しくなってきた昭和19年当時、どんな気持ちで訓練を受けていたのだろうと涙の出る思いでした。父にとっては、それでも青春の思い出の地。いろいろと話を聞かされました。中でも豪快だと笑ったのが、特攻殉国の碑から歩いて15分ほどのところにある小串郷駅のできた由来。当時の最寄り駅は4キロほど離れた川棚駅。ある休日、門限に間に合う最後の列車に乗って帰ってきたら、兵舎に程近いところで列車が急に止まって、「降りろ降りろ」の掛け声。勇気ある予備学生が運転手に掛け合って止めたという次第。このことがきっかけで駅ができたのですが、駅にあった説明書きには「訓練基地ができたことから臨時に作られた」と記されているだけでした。映画になりそうなエピソード、ぜひ書き残してほしいなと思いました。
長崎に戻り、友人と眼鏡橋で合流。寺町を散策して、夕方バスで博多に向かいました。アジアフォーカスのオープニングの野外上映が終わる前に天神に着く予定だったのですが、渋滞で遅れて間に合わず。残念!
15日朝、アジアフォーカスの会場Tジョイ博多へ。去年の東京国際映画祭で観て、私の昨年のベストとなった『あの頃、君を追いかけた』をもう一度観ることができました。愉快で切ない、ほんとに大好きな映画です。
この1本で、ひとまずアジアフォーカスはお預け。大学の同級生たちと土日たっぷり福岡でクラス会。今晩は佐賀に泊まって、17日午後からどっぷりアジアフォーカスに浸ります。
(@台風接近中の佐賀にて 咲)
3日 昨年、東京国際映画祭で観て感銘を受けた『失われた大地』(注:公開タイトルは未定。原題『Land of Oblivion』)のミハル・ボガニム監督が、あいち国際女性映画祭での上映に合わせて来日。来年お正月に日本での公開も決まり、東京でお話を伺う機会をいただきました。
『失われた大地』は、チェルノブイリの隣町を舞台にした物語。1986年4月26日、結婚式を挙げレーニン像の前で写真を撮る幸せいっぱいのアーニャとピョートル。披露宴の最中、自衛消防団のピョートルは火災発生で出動し、人間原子炉と化して面会もできないままに逝ってしまう。数年後、アーニャは今も町を離れないで、チェルノブイリ見学ツアーのガイドとして働いている。フランス人の恋人から一緒にパリに行こうと誘われているが迷っている・・・
「百万本のバラ」の歌が切なく響き、身体への悪影響を承知で故郷を離れられない人々の気持ちがずっしり伝わる作品でした。日本人にとっては福島の現実が重なります。監督はイスラエルのハイファで生まれ育ちましたが、7歳の時に戦争のために突如故郷を後にしなければならなかった経験の持ち主。災害や戦争で愛着のある土地を去らざるをえなかった人にとっては、災害や戦争自体よりも、故郷を追われたというトラウマの方が大きいのではないかと語ります。監督は、土地と人間との関係、そして、人間が自然を裏切ってきたことについて映画で描きたかったと強調されました。インタビューの詳細は、次号86号でお伝えします。
9日 母があの世に旅立って1年が経ちました。あっという間の1年・・・ 思えば、母も日本が戦争に敗けて台湾の基隆を去らなければならない思いをしたのでした。日本の各地にばらばらになってしまった同級生たちですが、だからこそ絆も強いのを感じます。今週末からアジアフォーカス・福岡国際映画祭で福岡に行きますが、合間に佐賀にお住いの母の親友の方を訪ねる予定です。母の若い頃の話を聞けるのが楽しみです。
(咲)
28日 「アジアフォーカス・福岡国際映画祭2012」の東京試写へ。今年はイランのアスガル・ファルハディ監督の長編5作品すべてが一挙上映されるという嬉しい特集企画があるのですが、そのうちの1本『火祭り』(2006年)をいち早く観ることができました。原題『Chahar Shanbeh Souri(チャハールシャンベ・スーリー)』は、イラン暦元旦(春分の日)を迎える前の最後の水曜日の夜に無病息災を願って火の上を飛ぶ行事のこと。ジャファール・パナヒ監督の『これは映画ではない』でも、この日が舞台になっています。で、『火祭り』は、結婚を間近に控えた若い女性ルーヒが、日雇い紹介所から仕事を貰って家事手伝いに行った先の家で垣間見るひと悶着を描いた作品。アパートに着き、その家のブザーを押すも壊れていて誰も出ない。隣の家のブザーを押して、その家に電話してもらって(これ、すごく重要なポイント!)仕事先の家をやっと訪れると、部屋は散らかり放題。旦那の指示で片づけ始めたところに、奥さんが帰ってくる。勝手に家政婦を頼んだと奥さんは怒り心頭。奥さんは電話の着信履歴に隣の電話番号が多いことから、旦那が隣の家の女性と浮気していると疑っていて、前の晩も喧嘩になり、床には旦那が割った窓ガラスが散乱している。テレビ局に勤めている旦那が、大晦日に放映する番組で、7歳の女の子の髪の毛が見えているのを何とか隠せと呼び出されて外出してしまう。(一見メロドラマ風の物語にこういう場面をさりげなく入れるところが、ファルハディ監督らしい。)奥さんは、隣の女性が美容サロンをしているので、結婚式を控えたルーヒに眉を整えてもらいに行かせ、様子を探らせる。奥さんの被害妄想が膨らむ。すっかり夜も更けて、ルーヒは遠く離れた家まで旦那に車で送ってもらう。火祭りを楽しむ人々の姿があちこちに。自宅への道の途中で婚約者がルーヒを待っている。嬉しそうに婚約者のところに駆けていくルーヒ。夫婦喧嘩を垣間見た1日・・・ 結婚するのが嫌になってしまうのではと心配になってしまう。どこにでもありそうな男女の関係を描いた本作、ファルハディ監督らしく、よく書き込まれた脚本にくらくら。(これから観る人のために顛末を書けませんが、監督にすっかり騙された!)
続いて観た『カハーニー/物語』(2012年 インド、スジョイ・ゴーシュ監督)は、コルカタに出張して1ヵ月経つ夫と連絡が取れなくなってしまった妻が臨月のお腹を抱えてロンドンから夫を探しにくる物語。夫妻は共にIT防護の専門職。コルカタの取引先に写真を持って訪ねるも、そんな人物には仕事を依頼していないと言われる。地元警察と共に夫の行方を追う妻。代わりに夫に似た男が浮かび上がってくる。悪魔と戦うドゥルガー女神の祭りの夜、路地裏でいよいよその男と対峙する・・・ 冒頭、2年前に起こったコルカタの地下鉄での無差別毒ガステロ事件が映し出される。これが重要なポイント。これから観る方、この場面をよ~く観てください! (もう一度この場面を観ないと、私の疑問が解決しない・・・)
『火祭り』も『カハーニー/物語』も、伝統行事を背景にした見応えのある作品。アジアフォーカスでは、1日5本観られる日もあるけれど、こんなに濃厚な作品を5本も観たら倒れそう! それもまた嬉し・・・ そんなアジアフォーカスは、いよいよ9月14日から!
公式サイト→http://www.focus-on-asia.com/
29日 『壊された5つのカメラ-パレスチナ・ビリンの叫び』の二人の監督さんにインタビュー。分離壁が村の中に作られてしまったビリン村。イマード・ブルナート監督はビリン村に住むパレスチナ人。ガイ・ダビディ監督はイスラエル人。共同で映画を作り上げ、こうして今、日本に二人でいることが幸せと語ります。「この映画をイスラエルの人たちに観てもらえたのでしょうか?」との質問に、ガイさん「イスラエルの人たちは自分の子どもがいずれ徴兵されるので、できれば軍隊の現状がわかるような映像を見せたくない。(ここでイマードさんが、「だから君は結婚しないの?」と言葉を挟みます)逆に親たちは子どもたちに現実から学んでほしいという思いも抱えているので、教育の現場で映画を観て貰えるよう、文部教育省の友人に働きかけています」と答えました。イスラエル政府幹部の人たちにも観てもらいたいと政府機関に勤める友人に依頼したけど、上から却下されたそうです。二人の思いの籠った映画が平和への一歩に繋がることを願ってやみません。
インタビューの詳細は、後日、Web版特別記事でお届けします。
まだまだ暑い日々ですが、もう9月! 秋の映画祭の季節に突入です。
(咲)
2年に一度開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭。一度行きたいと思いつつ、足を伸ばせないでいるのだけれど、嬉しいのが18日から始まった「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー――山形in東京 2012」。 2011年のヤマドキの作品を中心に約100本一挙上映! 中東の作品を中心に追っかけるだけでも大変。今週観た中から2本をご紹介。
20日『完全なる自由世界』(監督:レザ・ハエリ、2009年イラン) イランの近代史を男女の服飾を切り口に語った作品。ガージャール朝ナーセロッディーン・シャーが撮った妻たちの民族衣装の写真。あえて乳房を露出させ、宗教界に挑戦!(こんな写真を撮った王様だったとは知らなかった!) 西洋化を推し進めたパフラヴィー朝のレザー・シャーは、女性のチャードルを禁止したことで有名だけど、男性には独特の形の帽子着用を遊牧民にまで押し付けたそうだ。宗教家たちには、ターバンをしたければ首を斬れとも。翻って、イスラーム革命後、西洋風のズボンに皺のないのはお祈りをしていない証拠と断罪。服装をチェックされたのは、被り物を強要された女性たちだけではないことのわかるエピソード。
過去の映像や写真を多用し、男性と女性の語り手がお互い手紙を交換するように語る、とてもお洒落な作り。35分とは思えない充実の内容でしたが、ガージャール朝から2009年の大統領選を巡る民衆の蜂起まで、時代が交錯するので、イランの近代史を知らない人にはちょっとわかりにくいかもしれない。服装一つとっても、この100年、イランで完全に自由な時代はなかったと、涙の出る思いでした。
21日 山形国際ドキュメンタリー映画祭2011大賞受賞作品『密告者とその家族』(監督:ルーシー・シャツ、アディ・バラシュ、2011年 米・イスラエル・仏)
1967年以降、イスラエルは多くのパレスチナ人を密告者として起用。(各人に一人、イスラエル人の監視人が付いたというからご苦労なことだ。)密告者であることが周囲に発覚したパレスチナ人はイスラエルに庇護を求めて逃げてくるが、なかなかイスラエルのIDも貰えず不安定な生活を強いられている。そんな一人の男とその家族を追ったドキュメンタリー。
上映後、監督の一人ルーシー・シャツさんと、『かぞくのくに』が大ヒット中のヤン・ヨンヒ監督が登壇。二つの国に翻弄されて暮らす人々を捉えた二人の監督のトークが行われました。
次回作はフィクションを考えているというルーシーさん。これまでドキュメンタリーで自身の家族を捉えてきたヤン・ヨンヒさんに、フィクションで作る時との違いを問います。
「ドキュメンタリーでは、殺したと言えても、殺す場面は出せない。フィクションなら殺す場面も出せる。フィクションになると話はもっとリスキーになります。けれど、実話に基づいて作るとどちらも痛い」とヨンヒさん。ルーシーさんの計画中のフィクションは、パートナーであるアディ・バラシュ監督の子供時代の物語。タンカーに乗っていた親の都合で、ニューヨークのハーレムなど各地を移り住んだ子供時代。親の都合で子供がどんな痛みを被り、それをいかに乗り越えて人生前向きに暮らしていくかの物語。ヨンヒさんの作品も、父親の生き方に子供が翻弄されることに共通点を見出し、興味深いと語ります。
二人のトークは予定時間の45分を超えて、1時間にもわたりました。
最後に、ルーシーさん、「映画作りをして観客に影響を与えることができるのは幸運。革命は一人から始められる。世界は広いとうんざりするよりは何かを始めたい」と次回作に意欲。ヨンヒさんも、「何かするために2年に一度、山形に行こう!」と締めくくりました。映画は作って完成でなく、観てもらってフィードバックをいただくことが大事と語る二人でした。
来年こそ、山形に行きます!
ドキュメンタリー・ドリーム・ショー――山形in東京 2012
期日&会場:オーディトリウム渋谷 8月17日(金)~8月31日(金)
ポレポレ東中野 9月 1日(土)~9月21日(金)
http://www.cinematrix.jp/dds2012/
(咲)
15日 20周年を迎えたキンダーフィルムフェスティバルのオープニングイベントへ。可愛い風船で飾られた調布市グリーンホールに着いてほどなく、ロビーのレッドカーペットでゲストの方たちの囲み取材。実行委員長の戸田恵子さんはじめ、この日、ライブ吹き替えに挑戦する三ツ矢雄ニさん, 中山秀征さん, 内田恭子さん, ルー大柴さん, 佐久間レイさん, 堀内賢雄さんが登壇。ロビーにいる大勢の子どもたちの賑やかな声にかき消されて、よく聞こえないながら、皆さんが子どもたちに楽しんでもらうために映画祭を盛り上げようという意欲満々の様子は伝わってきました。
1時、いよいよ映画祭開演。赤・黄・緑のTシャツを着た3人の少女たちが、元気にオープニングを誘います。会場の子どもたちも大きな声でカウントダウン。最初に上映されたのは『こまねこ-はじめのいっぽ-』。ぬいぐるみの人形がこけたりすると、子どもたちが、わぁ~っと反応。子どもは無邪気だなぁ~ 続いて上映された『モフィ』は、白いウサギさんたちが日食を観に行くお話。月に太陽が隠されて真っ暗になった時に、「パジャマ持ってきてない!」と叫ぶ。可愛い。
9歳の男の子を描いた『ジュリアン』は、戸田恵子さん中山秀征さん, 内田恭子さん, ルー大柴さんのライヴ吹き替えで上映。教室でいたずらする男の子を注意するジュリアン。なのに担任の先生は「授業に集中しなさい」とジュリアンを叱るばかり。でも最後には校長先生に褒められるジュリアン。「正義は勝つことが短い中に織り込まれた作品」と、校長先生の声を担当した中山秀征さん。ルー大柴さんも、「チャイルド心をくすぐる作品」と英単語を連発しながら楽しく感想を述べられました。そこへ、ジュリアンを演じたエド・オクセンボールドくんとマシュー・ムーア監督が登壇。会場の子どもたちからも歓声があがります。「オリジナルの声と違うのでびっくり」と生吹き替えの感想を語るエドくん。ムーア監督はとてもハンサムな方。若い頃から演じることと映画を作ることの両方に興味があったそうで、10年ほど俳優として活躍し、『ジュリアン』は初監督作品。スカイツリーに行ってみたいと語る監督でした。
オープニングイベント終了後には、長編映画『ビッケと神々の秘宝』の生アテレコ(吹き替え)上映。戸田恵子さん、三ツ矢雄ニさん、佐久間レイさん、堀内賢雄さんはじめ、大勢の声優さんたちが舞台脇に並びます。小さなバイキング、ビッケの物語は、北極に近い氷河の迫力も凄い大スペクタル映画。大人もしっかり楽しめる映画でした。それにしても、92分、狭い場所でちょっと踊ったりもしながらの吹き替え、お疲れ様でした。
せっかく映画のまち調布に来たから、それらしいところを確認したいという(白)さんを案内して、映画の看板が掲げられているはずの「たづくりホール」へ。看板は残念ながらなかったのですが、同じ建物にある調布市中央図書館に映画資料室があると聞き、行ってみました。平成7年、中央図書館の開館と同時に、5階参考図書室の一画に出来た映画資料室には、「映画のまち調布」の足跡をたどる資料が保存されているほか、映画関係の書籍や雑誌がいっぱい! ここにシネマジャーナルも置いていただけるといいなと思ったら、なんと、50号以降のものがちゃんと保管されていました。本屋さん経由で入っていたので、認識してなかったのです。公共機関で読める場所に追加しなくては! なんだか嬉しい調布訪問となりました。
(咲)
今日は、今月10日の夏コミケでお会いした方が経営するTheater Cafe(シアターカフェ)にお邪魔した。
名古屋自宅から歩いて約1200歩。有名な大須観音のすぐ傍。
だけどお店らしい建物はなく、ご近所らしき住所をうろうろして、お近くの方々にお聞きするが、皆さん「そんなお店、あるの?」と言われる。
3人目の方がすぐ横のアパートの階段を指さされ「この2階だよ」って教えてくれた。
「えっ、ここなら何度も通ったのに」と、ふと見上げるとかわいい看板がかかっていた。
この暑さで、上を見上げなかった私のお馬鹿加減に、汗がどっと出た。
階段を上がりつつも、この先に店があるとも思えない古い石階段…あった!
なんと、これは映画好きの方々の隠れ家的存在。
私のことをとても喜んでくださり、早速シネマジャーナルを並べてくださった。
お二人で経営なさり、交代でお店に出ているとのこと。
手前には喫茶談話コーナー、
※ この日は終戦の日。
シネマジャーナルを置かしていただいている名演小劇場で『汚れた心』を観るなら完璧だけど…無理せず明日にしようと珍しく自重した暑い名古屋の一日だった。
(美)
10日 お盆の風物詩、夏コミケへ。コミケには2009年の冬に初参加して以来、6回目の参加。最初の頃のワクワクどきどき感は薄れましたが、それでも、今回はどんな方たちとお話しできるだろう・・・と、会場に向かう道々、胸が高まります。「8時23分に国際展示場駅に着きます」と(美)さんにメールを入れたら、「いま中を歩いてます」の返事。あ~しっかり出遅れた! 私が到着したら、(美)さんはお隣の広島から来た「海洋映画研究部」の若い男性と談笑中。手作りの「やんわり映画批評」や「ももへの旅 ~汐島を探して~」を挨拶代わりにといただきます。『ももへの手紙』聖地巡礼本は写真満載。かつて訪ねた瀬戸内海の島を懐かしく思い出しました。思わず映画を観たくなる小冊子。
10時になり、開場のお知らせ。拍手が沸き起こります。ほどなく、初参加以来、毎回、購入してくださるご夫妻の奥様だけがいらっしゃいました。「ご主人はお仕事?」とお伺いしたら、ドニー・イェン本で出店中とのこと。愛の籠った小冊子を後からわざわざ届けてくださいました。拝見してみたら、1992年に香港映画のファンになったとか。同じ空気を吸っていた方たちなのでした。
11時過ぎには、シネジャの読者で、やはり香港映画全盛時代にきっとあちこちでご一緒していたNさんが到着。冷たい飲み物の差し入れ。お昼ごろ、レスリー・チャンを語り続ける「哥哥的一天」でシネジャを知ってスタッフになった(ホ)さんが陣中見舞いに来たところに、やはり哥哥的一天でお馴染みの写真家・島津美穂さんが訪ねてきてくださいました。皆さん、毎回、差し入れありがとうございます!
これまでの経験から、売れ筋は新刊。掲載している監督や俳優の写真をよく見える位置に置いてみました。効果あって、アミール・ナデリ監督の写真に反応してくださった方が。『CUT』上映中に何回か劇場で監督と話をして、すっかりファンになったそう。「明日(11日)からキネカ大森で上映されるので、また観に行きます」とおっしゃっていました。ナデリ監督、また出没するのでしょうか・・・
3時を過ぎて、そろそろ店じまいしようかなと思っていたところに、金髪碧眼の美青年が。英語でどこの方か聞いたら、綺麗な日本語で「エストニアからです」と答えが返ってきました。来日して1年。日本映画に興味があるそうで、「昨日も渋谷で『xxx(あえて伏します)』を観ましたけど、つまらなかった」と正直な言葉。「読者とスタッフが選ぶ2011年ベストテン」特集を掲載したシネジャ84号を、DVDを借りる参考にいかが?とお奨めしたら、即、購入してくださいました。日本語も読めるんだ~ 神様は美貌と才能の両方を彼に与えたのねと。美青年に元気を貰って、爽やかに帰り支度。今回も、なんとか黒字。迷ったけれど、冬コミケの申込書を購入しました。また、年末に冬コミケの会場で映画談議ができれば嬉しいです。
(咲)
★もう慣れっこになったとはいえ、コミケの朝は緊張する。 前日から、もうお馴染み?の「南千住某ビジネスホテル3500円」に3泊する。 3泊予約したので3300円。 1万円で100円釣りがきた。 インターネット使いたい放題、プリントアウト5枚まで無料。 近くに350円の朝定食あり!の安上がりで、ここより安全(女性フロアーあり)で安いビジネスホテルなし! ま、ホテル自慢?はここまで。
★いた!同じホテルにコミケ行き外人と日本人のペア。男性二人、どうもフランス語圏の方。 どうして分かったかというと、パソコンで会場を調べていたからだ。 荷物がそんなにないから一般入場者かな? まさかこんな生活に疲れたおばぁがコミケ出店者とは思わないだろうなぁ・・・。
★帰り軽くなるのを願いながらシネジャ満載の袋を抱え新橋へ。 途中、気付け薬のコーヒー2杯をのんで、おにぎり、水を買う。 さすか新橋からは人の波。
★初日金曜は初めて。この「日にち」と「売りスペース」はこちらから指定できない。 すでにお隣りのお若いお兄様(広島の方でお一人で頑張ってみえた)は店開きして準備OKのご様子。 そういえば、去年は係員の方に「水分補給に気をつけてくださいね、気分が悪くなったら早めに言ってください」 と私をみて念を押されたが、 この日は案外涼しく「個別注意」はなし!
★あとはトイレだ。これが案外「難題」で、 いくらトイレがたくさんあっても30~50人待ちはザラ。 始まる前に必ず1回、昼前後に男性トイレに。(サッと入ればわからない!…私しか出来ないか?) まあこれがクリアできれば「あなたもビックサイト・コミケ出店仕様人間」だ。
★あ、肝心かなめの映画ファンとのマンツーマン・トークは例年の店長・副店長コンビで炸裂。 ここはホント、全国、いや世界から来られるので「日本全国の映画館情報」がいただける。 売上げもまずまずだから、店長と相談して年末もGO!と決めた。
※名古屋大須のシアターカフェの経営の方がご来店になり、快くシネマジャーナルを置いてくださるとのこと!嬉しい!
※応援に来て下さったスタッフ・読者の方々、本当に暑い中をありがとうございました!!!
(副店長・美)
30日、長崎市郊外にある被爆高齢者のための特別養護老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」で暮らす人々を2年間にわたって追ったドキュメンタリー『夏の祈り』の試写。ホームで暮らす方々が、時折見学にくる子供たち相手に「被爆劇」を演じる中で、「水をください」と絞るような声で訴えながら歩く場面が何度も出てきました。被爆者の方たちの人生の分岐点となった「あの日」の忘れたくても忘れられない記憶。涙がふっとあふれ出てきました。
翌日、被爆者の方を招いての試写会のあと、「原爆、そしてフクシマ3.11後の日本人に伝えたい事」と題したシンポジウムが開かれると聞き、予定を変更して、シンポジウムの途中から参加しました。坂口香津美監督を進行役に、長崎や広島の被爆者の方々5名と、被爆者支援の弁護士・中川重徳氏がそれぞれの経験や、一番憤りを感じていることを語られました。
ずっと普通に過ごしてきて、60歳を過ぎて肝臓癌が発覚。進行性の遅いタイプの癌と聞かされ、もしや被爆の影響では?と、福島の原発事故の影響を心配される方も。「日本は唯一の被爆国でありながら、どうしてこんなにたくさんの原発を作ってしまったのか」という言葉が被爆者の方から出ると重みを増して感じられます。
長崎でも広島でも、原爆の話はタブーで、自分の子どもにもなかなか被爆体験を語ることができずにいたとのこと。自分に非があったわけでもないのに、言いたいことも内に秘めなければならない苦しみを知りました。
13歳で被爆して、現在80歳の女性の方が、「語り継ぐことのできる最後の世代。けれども、13歳といえばまだ子ども。そういう者たちが中心になって活動していかなければならない状況です」と語られました。
ところで、私の一番古い記憶は、3歳半の時、父と祖父に連れられて島根県の親戚を訪ねた時の断片的な光景。その中でも鮮明に脳裏に残っているのが、帰途に寄った広島の原爆資料館で観た焼けただれた女性の等身大の人形。何かわからないながら、子供心に強烈なインパクトがあったのでしょう。それが原爆投下で被害を受けた人々が水を求めて歩き回った姿だったことを知ったのは、大きくなってからのことです。
人類が二度と過ちを繰り返さないように、長崎や広島の経験者の言葉を知ってもらうために、映画は有効な手段。世の権力者にこそ、ぜひ観てもらいたいものだと思います。
『夏の祈り』 8月4日(土)長崎先行、8月11日(土)渋谷アップリンクにてロードショー
公式サイト >> http://www.natsunoinori.com/
4日夜、神戸から上京してきた小学校時代の同級生を囲んで、10名が集まりました。顔を合わせると、あっという間にあの頃の気分♪ それぞれの記憶の断片は各人各様で、これまた面白いもの。両親や先生など、周囲の大人たちから戦争体験を生々しく聞かされた世代ですが、私たち自身の思い出は楽しいことばかり。平和な時代に育った幸せをあらためて感じました。一方で、世界の各地では争いが絶えないことを忘れてはならないですね。
(咲)
(咲)さんの日記に付け加える形で(暁)さんからもシンポジウム「原爆、そしてフクシマ3.11後の日本人に伝えたい事」 のレポートと写真が届いています。
このシンポジウムに参加されたのは、長崎、広島の原爆被爆者の方たちですが、現在、盛り上がりを見せている反原発運動について、反核運動に繋がっていないのが残念とおっしゃっていました。原爆も原発も放射能の被害は同じ。ぜひ反核にも関心を持ってほしいと語っていました。
(暁)
23日(月)、『瀬戸内海賊物語』製作記者発表会へ。昨夏、香川県の小豆島、直島、高松で繰り広げられた「瀬戸内国際こども映画祭2011」のメインイベント「エンジェルロード脚本賞」グランプリ作品の映画化。監督は受賞者の大森研一さん。村上水軍子孫の女の子が自宅の蔵で埋蔵金を隠した古地図を見つけ、同級生たちと共に埋蔵金を探す冒険物語。
全国1027通の応募者から選ばれたメインキャスト4人の子役たち、柴田杏花さん、大前喬一君、伊澤柾樹君、葵わかなさんと、子供たちを見守る大人たちを演じる内藤剛志さん(主人公のお父さん役)、小泉孝太郎さん(先生役)、中村玉緒さん(おばあちゃん役)が大森監督と共に記者会見に臨みました。
はきはきと自己紹介する子供たちに続いて挨拶した内藤剛志さん、「子供たちがしっかり挨拶したらやりにくいじゃないか! 子供たちが色違いの御揃いのTシャツですが、僕と小泉くんが白いジャケットなのはかぶっただけです」と笑いを取り、ぐっと会場は和やかになりました。中村玉緒さんは、「今日だけ、こんな綺麗な着物。小豆島ではピンクのトレーナー」と、可愛いおばあちゃん役であることをほのめかしました。「失敗しても勇気を与える役。絶対諦めない。ダメでも次の夢を持っていく。ハハハ」と、実に明るい玉緒さん。
最後のフォトセッションでは、後列に立つ小柄な玉緒さんが隠れてしまうため、4人の子役たちは中腰に。かなりしんどい姿勢が長時間続いて、申し訳なさそうに子供たちを気遣う玉緒さんでした。
さて、本作のプロデューサー益田祐美子さんは、初めて手掛けた映画『風の絨毯』でイランの監督さんに依頼したのは、素人プロデューサーでは日本の監督は相手にしてくれないと業界の方から言われたからとお聞きしたことがあります。その彼女が、その後さまざまな繋がりから「瀬戸内国際こども映画祭」のプロデューサーを引き受け、さらにはその脚本賞企画で監督まで指名するに至ったのは、あっぱれです。
『瀬戸内海賊物語』は、次回2014年開催の「瀬戸内国際こども映画祭」のオープニング作品として上映されるほか全国劇場公開予定とのことです。国立公園として初めて瀬戸内海が指定されて、2014年は80周年の記念の年。「瀬戸内海の美しい自然と豊かな情緒を世界に発信していきたいと思います。瀬戸内海の皆さんの希望と思いを映画に詰めて作っていきたい」とほがらかに語る益田祐美子さんでした。
25日(水)『アメリカ―戦争する国の人びと』の藤本幸久監督から、衆議院第1議員会館の国際会議室で行われる『LOVE沖縄 @辺野古 @高江』の特別試写会の案内をいただき、(暁)さんと共に駆け付けました。オスプレイ配備阻止に一丸となって日々活動している沖縄の人々の姿を追ったドキュメンタリー。「ここから海兵隊が出ていくことになる。自分は共犯者になる。それがつらいのよ」と座り込みを続ける地元の女性の言葉がずっしり胸に響きました。上映後、藤本監督から「普天間、辺野古、高江はセット。世界的規模の米軍の再編の中で行われていること。この時期に映画をまとめたのは、できるだけ多くの人に実態を知ってほしいから」とのコメントがありました。遠い沖縄のことと思ってしまいがちですが、沖縄の人たち自身、自分たちのためだけでなく、日本という国のことを考えて座り込みを続けていることを知り、頭の下がる思いでした。さて、私に何ができるだろう・・・
(咲)
猛暑到来と思ったら、一転してぐっと涼しくなって、お天気に振り回された1週間でしたね。今週は、「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2012」に頑張って4日通いました。川口から無料シャトルバスで12分。ちょっと根性がいりますが、毎年素敵な作品に出合えるので、はずせない映画祭です。
個別に監督にインタビューさせていただいた3作品はじめ、映画祭の報告は、11月に発行予定のシネマジャーナル86号に掲載します。(忘れないうちにまとめなくっちゃ!)
(咲)
11日 夕方5時からNHK BS1のホット@アジアを見ていたら、ソウルで最後の単館系映画館が閉館したというニュースが。その後、韓国KBSのニュースでも、やはりその話題が出てきました。昔の写真が何枚か映った中に、『英雄本色(男たちの挽歌)』と『英雄本色II(男たちの挽歌2)』の看板が二つ並んで掲げてある写真がありました。言葉はわからないながら、おぉ~っと身を乗り出してしまいました。
ネットで調べてみたら、〔かっこいい韓国語ジテン〕に、[ソウル最後の単館劇場が閉館]や、〔韓国旅行のすべて イノライフトラベル〕に、[最後のミニシアター“西大門アートホール”閉館「48年の歴史の中に」]の記事を見つけました。
これらの記事によると、閉館したのは“ソデムン(西大門)アートホール”。1964年に“ファヤン(華陽)劇場”としてオープンし、シネコンに押され閉館の危機におそわれながらも、2010年にお年寄りのための映画館として軌道修正して名を変え、お年寄りの憩いの場として愛されていたようです。1980年代には香港映画を中心とした上映で人気を博し、レスリー・チャンもサイン会で訪れたとのこと。私が初めてソウルを訪れた1990年代半ばに、レスリー・チャン主演の『夜半歌聲 逢いたくて、逢えなくて』(1995年)のポスターを何枚も見かけ、まだ日本で公開していないのに…とうらやましく眺めたのを思い出しました。先日、KBS Worldのスポット番組で中華圏スター トップテンでレスリーは5位。亡くなって9年経った今でも支持されているのを嬉しく思いました。そんな韓国で、ファンにとって大事な思い出の地が消えてしまったのですね。
さて、いつもは言葉がわからないので字幕のついてないKBSニュースはあまり見ないのですが、今週、毎日のように見ていたのは、妹がソウルに行っていたから。思いがけずこの映画館の古い写真も見ることができてラッキーでした。で、連日、ニュースで大雨の映像が流れていて、せっかく行ったのに気の毒・・・と思っていたら、昨日、妹はしっかり日焼けして帰ってきました。降っていたのは夜中だったそう。なぁ~んだ、そうだっのかと思いつつ、映像を観て勝手に想像して思い込む怖さを思い知りました。世界に飛び交う多くの映像が誤解や偏見を生むのではなく、相互理解を深めるツールになってほしいものだと切に願う次第です。
(咲)
2日 『DON'T STOP!』(小橋賢児監督)の試写。20代から70代の男女11人がキャンピングカーとハーレーでルート66を駆け抜ける姿を追ったドキュメンタリー。この旅が実現したのは、一人の母親の息子の夢を叶えてあげたいという切なる思いから。26歳の時、交通事故で下半身と右腕の自由を失い、その後20年、車椅子生活の息子。ある日、北海道名寄の自宅近くで開かれた「毎日が冒険」著者の高橋歩さんのトークライブに出向いた母。「息子に会ってほしい」と頼む。真剣な目にほだされて会いに行った高橋さん。その場で、「ルート66に行くべ」と。母も幼馴染を誘って一緒に行ってしまう。いやもう、母は偉大です。
3日 『歌えマチグヮー』(新田義貴監督)の試写。シャッター商店街になりそうだった那覇の栄町市場再興を追ったドキュメンタリー。月に一度の踊れ歌えやのお祭で市場が元気を取り戻し、今や120軒すべて営業中。「栄町市場おばぁラッパーズ」のお一人がナレーターを務めているのですが、味わいのある語り口。この栄町市場、「ひめゆり学徒隊」の学び舎だった女学校が戦災で焼け落ちた跡地に昭和24年にできた公設市場だということにも、ほろっとさせられました。
元気づけられた足で、次は『イラン式料理本』(モハマド・シルワーニ監督)の試写へ。昨年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で観た(美)さんはじめ知人3人が満点を付けた大絶賛の作品。台所で炸裂する女性たちの本音に大笑い。中でも嫁に来た当時いじめられたことをちくりちくりとお姑さんに言い放つ監督のお義母さん、最高でした。いかにイランの家庭料理が手間をかけて作られているかも映し出しています。かと思えば、夜10時に旦那(監督)が連れてきた客に出した煮込み、美味しかったと言われ、奥様、「あれ、缶詰よ」と。いろんな意味で今のイランが見える映画です。
4日 『人生、いろどり』(御法川修監督)の完成披露試写会。徳島の山奥、上勝町の女性たちが、葉っぱを料亭などにお料理のいろどりとして売り出して成功している実話をフィクションで描いた作品。上映後、演じた吉行和子さん、富司純子さん、中尾ミエさんと御法川修監督の4人が合宿して撮った映画製作現場の楽しかったことを語りました。続いて上勝町からいらした3人のおばあちゃんたちが登壇。「田舎もんで言いたいことも言えなくてお粗末でございます」と、最高齢の大正11年生まれ89歳の方。実に可愛かったです。もっとも、皆さんは列記とした企業家。監督から「映画の中でも、おばあちゃんという言葉は使っていません。皆さんを前にしていると、そんな言葉も出てこない」と発言がありました。続いて、平均年齢69歳、最高齢80歳のチアリーダーグループ「ジャパンポンポン」が応援に駆け付けチアダンスを披露。これまた元気を貰いました。
振り返ってみると、今週の私のラインナップは「元気なおばぁ」特集でした! (おばぁなどと言ってはいけないですね!)
雨の七夕になってしまった7日、高校の同級生3人でスカイツリーの胴体が真ん前に見えるソラマチのお店で会食。お弁当に入っていた葉っぱを眺めながら、「これを商売にしてしまったなんて凄いわねぇ」とおばぁ予備軍の私たち。まだまだ人生諦めずに、一旗あげねば!
(咲)
シネマジャーナル85号できてきましたが、できてくるまでの3週間、いつにも増していろいろなことがあり、原稿書きと編集に集中というわけには行かない日々でした。身体が3つくらいほしかった!(笑)。
まず、母が5月14日にくも膜下出血で倒れ病院に入院。さいわい倒れてすぐに救急車を呼んだため、命は助かりました。
倒れた時は、なにがなんだかわからず、一昨年脳梗塞で倒れていたので、脳梗塞の再発かと思いました。母は脳動脈瘤があったのに、その時は慌てていてすっかり忘れていました。その脳動脈瘤が破裂しての「くも膜下出血」だったのです。命が助かったとはいえ、意識はない状態だし、再破裂がいつあるかわからないと言われ、ひやひやの日々が続きました。86歳という年齢のため開頭手術はあきらめていましたが手術をすることになり、いつできるか母の状況を見てのことになりました。
ちょうど編集日の前後にそのような状態で、実家と病院、自宅と行ったりきたりで、早く原稿を終わらせなくてはと思いつつも進まずにいました。編集の頃に手術になったら困るなと思っていたら、編集が終わってシネジャが出来てくる間の日に手術することになったのでほっとしました。でも、脳からの出血があるので緊急手術という形でした。3時間くらいと言われた手術が5時間半もかかり、手術が長引いている間どうしたんだろうと思いながら待ちました。
結局、ICUに2週間くらいいて、数日前に酸素マスクが取れ、ICUから出たところです。でも、相変わらず寝ていることが多く、目を開けても、問いかけには答えず意識障害は続いています。水頭症と言って頭に水(隋液)がたまってそういう状態とのことで、再度、その「水」を抜く手術が必要で、まだまだ気が抜けません。たぶんこのまま寝たきりの状態になってしまうのかもしれません。母がこんな状態になり、『毎日がアルツハイマー』を観て、母がまだ動けるうち、話すことができるうちに動画で撮影しておけばよかったとつくづく思いました。
そうこうしていたら、今度は鎌倉に住む叔母が階段から落ち大怪我をしていたという連絡が編集日前に入りました。母のことがあったので、心配かけまいと叔父が連絡してこなかったのですが、編集後、慌てて見舞いに行き、介護保険申請のための手続きを手伝ったりして、退院に備えました。
シネジャの方は、今回、香港電影金像奨、大阪アジアン映画祭、シンガポール映画祭、映画紹介記事3点という具合で、いつもより記事が多く、しかも、今回編集進行係で、編集を進めるための段取りを組んだり、印刷所とのやりとりなどもあり、ほんとに1日24時間じゃ足りない状況でした。
しかも、入稿間際にメールの送受信ができなくなり、その回復のためにメーカーに行ったり、プロバイダーに問い合わせたり、パソコンを買った販売店に行ったりと、あちこち駆け回る日々でした。でも、今日現在、まだOutlook Expressが使えない状態です。Yahoo!のアドレスでやりとりしていますが、受信メールを見るのにいちいち開けなければ内容がわからず、とてもやりにくい。
しかも、この1,2年の受信メールが全部消えてしまった状態なので、まいりました。
そんな中、編集が終わった直後になんと3件のインタビューもあったのです。私は今まで、年にせいぜい10件くらいしかインタビューに参加したことがなかったので、この2週間の間に3件というのは、私にとっては画期的なことです。
その3人とは、『毎日がアルツハイマー』の関口祐加監督、『ソハの地下水道』のアグニェシカ・ホランド監督、『最終目的地』に出演された真田広之さんです。どれも(咲)さんと一緒で、私は写真担当という形で行きましたが、関口監督は映画のごとく笑いの絶えない明るい人でした。ホランド監督はスケールの大きい人だと思いました。そして、真田広之さんはとてもダンディな方でした。
というわけで、苦しくも楽しい怒涛の3週間でした(笑)。
(暁)
24日 「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2012」のアラブ諸国特集 プログラムBを観に表参道ヒルズへ。1作目の『バヒーヤとマームード』は、喧嘩の絶えない老夫婦の日常を描いた作品。実に楽しく、ホロッとさせられる秀作でした。続く5本もそれぞれ素晴らしく、大満足。観終えてすぐ、緑が眩しい原宿の並木道を上がって、「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2012」のアワードセレモニーが開かれる明治神宮会館へ。日曜日の原宿は若い人たちでいっぱい。
5時を過ぎ、続々と来場する監督や審査員、ゲストの方たちを握手やハグで迎える別所哲也さん。ほんとに大勢の方にこの映画祭が愛され、支えられていることを感じたひと時でした。
6時半からのアワードセレモニーは、素敵なパフォーマンスで始まり、各賞の発表の合間にはショートフィルムも何本か上映され、9時過ぎまでたっぷり楽しませてくれました。
ジャパン部門、アジア インターナショナル部門、インターナショナル部門それぞれの優秀賞の3作品の中から、最後に来年の米国アカデミー賞短編部門ノミネート選考対象となるグランプリ作品の発表。グランプリに輝いたのは、ジャパン部門優勝賞の平柳敦子監督作品『もう一回』。映画祭史上で初めて女性監督がグランプリを手にしました。ジャパン部門優秀賞を受賞した時にも、「心臓が口から出てきそう」と驚きを表した平柳監督でしたが、グランプリには、「夢を見ているよう」と感無量でした。現在シンガポールに在住している平柳監督。「自分の国で撮った作品がこういう形で支援されて嬉しいです。賞金は今ポスプロ中の資金にします!」と喜びを語りました。
26日 横浜そごうでこの日から始まった「榎木孝明 水彩紀行展 浪漫の旅~横浜とエジプト・エチオピア~」へ。昨年、NHKの取材で訪れたエジプトとエチオピアで描かれた作品や、映像を拝見。この日出来上がったばかりの画集「浪漫旅エジプト、エチオピア」にサインもいただきました。
さて、この日の横浜でのもう一つの目的は、「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2012」のA&J-Fプログラムのイラン作品を観ること! みなとみらいのブリリア ショートショート シアターの前の通りは、よく花火を観るために行っていたのですが、シアターには初めて足を踏み入れました。マンション2階にある受付の前は広いラウンジになっていて、カフェメニューも世界各地のものとバラエティに富んでいました。(映画を観なくてもカフェとしても利用できます。)シアターは、座り心地のいい赤いシート。ゆったりとした気分で作品を楽しみました。A&J-Fプログラムの最後に上映されたイラン作品『道の途中』は、モスクの説教壇を山の向こうの村に運ぶ物語。雪道でタクシーが立ち往生。べらんめい調のタクシー運転手を相手に、落ち着いた語り口だった聖職者たちが、だんだんいらだっていく様が絶妙。上映後、一番最初に上映された『カリカゾク』の塩出太志監督が登壇。この作品も実に面白い作品でした。
この素敵なブリリア ショートショート シアターで、7月1日(日)~7月30日(月)までの期間、今年のグランプリ作品を始め各受賞作品が上映されます。私も時間を見つけて、また横浜に出かけたいと思います。
http://www.brillia-sst.jp/
(咲)
16日 シネジャ85号の最終編集日。12日に引き続き(玲)さん宅で。パソコンがその日の朝、立ち上がらなくなったと(玲)さん。我が家のパソコンが予期せず壊れたばかりだったので、うろたえる気持ちは身に染みてわかります。なんとかしてあげたいけれど、とにかく、編集を終えないといけない私たち。(すみません・・・) 一段落したところで、(玲)さん手作りのチラシ寿司と煮物をいただいて英気を養いました。夜9時過ぎまで頑張りましたが結局終わらず、仕上げは(暁)さんに任せることに。月末には、発行予定です。香港電影節、香港電影金像奨、ベルリン映画祭、大阪アジアン映画祭、イタリア映画祭等々春の映画祭特集のほか、監督インタビューや新作紹介など盛りだくさん。お読みいただければ嬉しいです。
本誌の原稿から解放されて、今週は映画や取材をのんびり楽しみました。
19日 イタリア映画『ジョルダーニ家の人々』の試写。ローマの古い邸宅で暮らす一家の悲喜こもごもを描いた6時間39分の大河ドラマ。不法移民のイラク人女性が重要な役割で登場して、しっかり私の映画でした。5時半過ぎ、映画を終えて外に出たら、台風の影響で激しい風雨。早々に家に帰りましたが、うかうかしていたら電車が止まって帰れなくなるところでした。
20日 『ソハの地下水道』アグニェシュカ・ホランド監督にインタビュー。道に迷いながら取材場所であるポーランド大使館へ。台風一過、青空に大きな煙突と雲がくっきり。(暁)さんも私も思わず写真を撮りたいと思ったのですが、それは帰りに!
ナチス支配下のポーランドで、最初は金目当てでユダヤ人をかくまった下水道作業員ソハの物語を大胆かつ骨太に描いたホランド監督。精力的で、ちょっと男勝り。一つ一つの質問にたっぷり答えてくださいました。インタビューの模様はいずれWeb版特別記事で。
21日 写真美術館ホールでインド映画『ラ・ワン』の試写。大好きなシャー・ルク・カーンの新作。ゲームから飛び出してきて息子を殺そうとする悪者“ラ・ワン”に立ち向かう父親と、ゲームのヒーロー“Gワン”の二役。SFもアクションも実は苦手だけど、シャー・ルク・カーンの姿にたっぷり見とれた2時間36分でした。
『ラ・ワン』を一緒に観ていた(暁)さんと、『毎日がアルツハイマー』の関口祐加監督インタビューへ。実は関口監督の初監督作品『戦場の女たち』(1989年)公開の折に、(玲)さんがインタビューをしていて、掲載号のシネマジャーナル12号を(暁)さんが持参。「わ~若い! 懐かしい!」と写真を見て歓声をあげる関口監督でした。
アルツハイマーの母親の姿を今も毎日撮り続けている関口監督。いたってポジティブで明るい! 私も(暁)さんもアルツハイマーの母親の介護を経験していて、話がはずみました。こちらのインタビューの模様もいずれWeb版特別記事でお届けします。
関口監督のインタビューを終えて、フランス映画祭のオープニング取材に飛んでいきました。記者会見になんとか間に合い、ホッ! 会見は、映画祭主催のユニフランス・フィルムズのレジーヌ・アッチョンド代表、『わたしたちの宣戦布告』で主演もしたヴァレリー・ドンゼッリ監督、『愛について、ある土曜日の面会室』のレア・フェネール監督と、女性3名。続いて行われたオープニングセレモニーには、ゲスト13名が登壇しましたが、記者会見に出た女性監督二人以外は、皆男性。デジカメで客席を撮るゲスト多数。いつものことながら、フランスの映画人、なんともお気楽です。
横浜でフランス映画祭が開かれていたころのような華やかさには欠けますが、今年で20回目を迎えた映画祭。これからも末永く続いてほしいなと思います。
(咲)
10日 原稿が気になりながら、大学の同級生に誘われて鳥越祭りに行ってきました。まずは浅草橋~柳橋~鳥越神社を散策。神社神輿が彼の生まれ育った町内に来るタイミングを見計らって神輿の巡幸を見物。拍子木が打ち鳴らされると神輿がおろされ、担ぎ手が次の町内に変わります。「千貫御輿」とも呼ばれる東京髄一の大きさを誇るお神輿。同級生のもう一つの自慢は、巡幸が時間通りに行われること。喉を潤しお腹を満たしたら8時を過ぎていて、ちょうど宮入の時間。鳥越神社前の通りへ行くと、黒山の人だかりの向こうに高張り提灯がゆらりゆらり。神輿のまわりには弓張提灯がぐるりとつけられて、昼間と違った趣です。おごそかに町内会の役員の方たちに受け渡され、無事神輿は宮入。体力があれば担ぎたかったと、ちょっと残念そうな同級生。私たちが見物に行って邪魔したのかも。美しい夜祭りも観ることができて、満足な一日でした。
12日 シネジャ85号の第一回目の編集日。今回は、シネジャ創設者の一人(玲)さん宅で。腹が減っては戦は出来ぬと、用意してくださっていた炊き込みご飯やお煮しめで腹ごしらえ。美味しかった~! (ほかの人たちは食べるのは後回しにして黙々と作業を始めていました・・・)
この日は真田広之さんが出演しているアメリカ映画『最終目的地』の試写に皆で行くため、5時前に編集作業を終わらせました。『眺めのいい部屋』や『上海の伯爵夫人』のジェームズ・アイヴォリー監督が南米ウルグアイを舞台に撮った作品。真田広之さんはアンソニー・ホプキンスのパートナーという役どころ。
始まる前にプレス資料を見て、オマー・ラザギという役名に釘付けに。ラザギは友人のイラン人の名字! もしやと思ったら、ウルグアイを訪ねる若き伝記作家が、「イラン生まれのコロラド大学文学科の教員」という背景でした。演じているオマー・メトワリーは、イラン系ではなく、お父様がエジプト人。『ミラル』で素敵な人だなぁと思ったのですが、『最終目的地』のほうが先に撮影されているのですね。
映画が始まり、ウルグアイの人里離れた邸宅に住むアンソニー・ホプキンスたちは、ドイツからホロコーストを逃れてきた裕福なユダヤ人と判明。しっかり私の映画でした。
とても大人な味わい深い映画を観終えて、4人で映画館近くのトルコ料理屋さんへ。私以外の3人はほぼ初体験のトルコ料理。美味しいと言ってもらえて、ほっ!
14日 戦後ブラジルの日系移民社会で起こった驚愕の出来事を描いた『汚れた心』のヴィセンテ・アモリン監督にインタビュー。ブラジル映画ですが、伊原剛志、常盤貴子、菅田俊、奥田瑛二、余貴美子など、日本のベテラン俳優が出演していて、大半は日本語。重い映画の内容と打って変わって、アモリン監督は実に陽気な方。我が家に外国航路の船長をしていた祖父が持ち帰った蝶の羽根で描いたリオデジャネイロの風景画があると切り出したら、とても喜んでくださいました。インタビューの模様はいずれ特別記事で!
午後、「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2012」のオープニングイベントへ。第一部では、映画祭のラインナップ紹介のあと、Jリーグ大東和美チェアマンや元日本代表FWの武田修宏さんが登壇し、Jリーグとのコラボでショートフィルムを特別制作することが発表されました。その後、「話題賞」「特別賞」「観光映像大賞」の発表。第二部では、観光映像大賞受賞作品と、特別賞を受賞したグンちゃんこと、チャン・グンソクさんの脚本・監督・編集・主演作品が上映されました。グンちゃんにこんな面もあったのかと! 上映後、グンちゃんはビデオメッセージでの登壇でしたが、ファンの方たちは大喜びでした。
15日 シネジャ編集日まで、あと1日。ショートショートで、今年はアラブ諸国特集が組まれると、3月に「横浜みなと映画祭」のオープニングパーティで知り合った女性の方から教えていただいて、これは何がなんでも観たい! 原稿は、あと一息。なんとかなるさと、出かけてきました。アラブ諸国特集プログラムAの4本を拝見。上映後には、『ボクのおばあちゃん』を撮ったMahmoud Kaabour監督も登壇して、有意義なひと時でした。
さまざまな国やジャンルの短編が上映される「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2012」は、6月30 日(土)まで原宿・表参道、横浜で開催中。無料で観られる作品もあります。ぜひ公式サイトをチェックして、足をお運びください!
http://www.shortshorts.org/
(咲)
我が家のパソコンがうなり声をあげてプチンと壊れました。最近ちょっと動きが鈍くてやばいと思いながら、バックアップとってなかった‥!!
シネジャ85号の編集真っ直中で真っ青です。
自分の原稿はいつになく早く書いていたので、書き終わったものはメール添付でほかのメンバーに校正をお願いしていたので助かりました。でも、ほかの人の原稿の校正やページ割りなど、何も手伝えず申し訳ない限り。新しいパソコンが届くまでは、じたばたしてもしょうがないので、開き直って試写に行ったり、会合に出かけたりと、のんびり~♪
7日、渋谷で『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』の試写。パリの夜を彩るショ―の表と裏をたっぷり見せてくれるドキュメンタリー。女性の身体の美しさを最大限に生かした踊りは、総支配人のアンドレ・ダイセンバ―グさんの「女性が男性より楽しめる」「お客に夢を」というコンセプトの通り魅惑的なものでした。美術監督を務めるアリ・マフダビというフランス語があまり上手じゃない男性が出てきて、もしやイラン人?と思ったら、やっぱりテヘラン生まれの方。世界で最も伝説的なモデルたちを撮る写真家であり、デザイナー、イラストレーターなどとしても著名な方なのだそう。グロ―バルに活躍するイラン人を知ることができて嬉しくなりました。
やはりグロ―バルに活躍するイランのアッバス・キアロスタミ監督が日本で撮った『ライク・サムワン・イン・ラブ』の完成披露試写が6日に行われました。窓ガラスに写る景色や、車を運転しながらの会話、車の窓の外に流れる光景などにキアロスタミらしさをたっぷり感じました。でも、『トスカーナの贋作』でイランの詩が引用されたり、『明日へのチケット』で饒舌なイラン人乗客が登場するなどイランを感じさせる場面が今回は一切なくて、イラン贔屓の私としてはちょっと寂しかったです。
さて、明日からは新しいパソコンを使えるようになるので、映画を観るのは諦めて、残りの原稿を大急ぎで仕上げなくては‥!!
(咲)
5月26日 2週間ほど前、試写の合間に「大連デラックスホテル JAL午前便発 2泊3日 3万円台」というチラシを見つけて衝動買いしてしまった大連の旅へ。
大連といえば、まず思い出すのが、大連生まれの羽田澄子監督。『嗚呼 満蒙開拓団』や『遙かなるふるさと‐旅順・大連‐』を拝見して、かつて“日本”だった時代に、かの地で過ごした人たちことを思い、胸が詰まるようだったのを思い出します。
大連に向けて飛び立った飛行機からは富士山が美しく見えました。3時間ほどで大連空港に降り立ち、港湾広場近くのホテルへ。23階の広々とした部屋からは建設中のビルの群れ。その向こうには埠頭が見えて、あそこから日本人たちは引揚げ船に乗ったのかなぁとしみじみ。日本語のできるホテルの男の子に中山広場に行くバスの乗り場を教えてもらって、日本統治時代、大広場と呼ばれた中山広場へ。古い建物を一つ一つ確認しながら大連賓館(旧大和ホテル)へ。2階の珈琲館から広場を眺めながら、戦前、ここで過ごした人たちのことに思いを馳せました。
旧満鉄本社を経て、民主広場まで歩き、路面電車に乗って大連駅へ。上野駅をモデルに作られたという駅舎は、確かに上野駅の風情。アカシア祭りが開かれている労働公園へ。途中で祭のために来たというロシア人のお嬢さん二人に出会いました。公園は広すぎて、どこで祭りが開かれているのかたどり着けませんでしたが、散りかけながら偶然にもアカシアの季節に来ることができてラッキーでした。初日の散策はこれにて終了。
2日目。まずは女子騎馬警察隊のパフォーマンスが観れるという人民広場へ。馬に乗った女性警官たちが何度か広場を廻った後は、記念写真タイム。中国の人たちは、大胆なポーズを取るのが得意で、観ていて楽しかったです。
アカシアの並木道の五四路を歩いて、かつて日本人が多く住んでいた正仁路(槐花大道)へ。ここもアカシアの並木道。中国人の男性に、「日本人?」と声をかけられ、古いお洒落な家を指して、ここも日本人が住んでいた家と教えてくれました。(中国語はわからないけれど、手振りでわかった!) もう、かつての建物が残っているところはほんとに少ないようですが、星海公園へ行って戻ってくる路面電車の中から、大連駅一つ手前の東関街駅付近で古い町並みが見えたので、降りて歩いてみました。路上に市場もあって、まだ人は住んでいましたが、風前の灯。数年後にはビルになってしまうのではないでしょうか。その後に行ったロシア人街は、建物は保存されているものの、お土産屋街と化していました。ロシア人街近くの勝利橋から何本もの鉄道路線を見下ろして、この鉄道も日本の置き土産だなぁと。
たっぷり歩いて疲れ果て、4時頃にはホテルに戻りました。映画館が近くにあれば・・・と思いつつ、寝転がってテレビのチャンネルを回していたら、映画チャンネルで黄飛鴻(ウォン・フェイホン)シリーズの紹介番組。懐かしい! 続いて、香港金像奨の模様。その後は、抗日がテーマの映画で、ちょっと辛い。
友人がマッサージから戻ってきたので、夜の中山広場へ。大連賓館で食事をと思ったら、もうおしまい。まだ8時前なのに!? 広場では、音楽をかけて集団で踊っている人たちが。チョン・ウソン主演の『きみに微笑む雨』でも、成都の町で人々が踊っていた場面があったのを思い出します。踊りも8時で終わり。
結局、夕食は広場近くの天天漁港で。前日の夜、お茶の値段を確かめないで頼んだら、牛肉や海老の料理よりも高かったという苦い経験をしていたので、安いソフトドリンクにしようと思うのに言葉が通じない! イタリア人ボスと食事をしていた中国人青年が英語で声をかけてくれたので、一番安いお茶を教えてもらいました。それでも、ポットサービスで35元。ちなみにコーラは5元、ビールは16元。前日のお茶が88元だったことを思うと格安なのですが。
最終日28日は、11時にホテル出発なので、近くの埠頭に行ってみようと出かけましたが、ロータリーになっている港湾広場には信号がなくて、2つまでなんとか道を渡りましたが、あと2つがもう怖くて渡れませんでした。なにしろ、信号のある横断歩道でも、青になっても脇から無謀に曲がってくる車がいるので、油断大敵。去年、大連に旅したシネジャの(玲)さんに、旅に出る前に話を聞いたときには、道を渡るのが怖いなんて話は全然聞いてなかったので、いやはやびっくり。いや~ よく生きて帰ってこれたという大連の旅でした。
(咲)
23日 中野ZERO視聴覚ホールで開かれた『ぬちがふぅ-玉砕場からの証言―』の完成披露試写会へ。思えば、日本外国特派員協会で朴壽南(パク・スナム)監督の製作報告会見が行われたのは、2009年3月25日のことでした。(シネジャWeb版特別記事 「映画 『ぬちかふぅ-玉砕場からの証言―』 製作報告会見」 この時には“ぬちかふぅ”と表記されていました。)
1945年3月、太平洋戦争末期の沖縄。いち早く米軍が上陸してきた慶良間(けらま)の島々で起こった住民「玉砕」(集団自決)の悲劇を、監督が23年かけて収集した生存者の証言の数々をもとに紡いだドキュメンタリー。「アリランのうた製作委員会」からご案内をいただき、あ~やっと出来たのだと、微妙な事柄を扱った映画製作の道のりの険しさを感じました。
在日コリアン2世である朴壽南さんが、前作『アリランのうた-オキナワからの証言』(1991年)製作の過程で、沖縄へ連行された朝鮮人軍夫、慰安婦を検証する旅の中で触れた「玉砕」の生き残りの人たちの思い。胸に秘めてなかなか語ろうとしない当時のことを明かしてもらえたのは、自分が日本人でも沖縄人でもなく、在日コリアンで女性だったからこそではないかと語る朴壽南さんでした。
今回完成したのは、70名にのぼる証言をまとめた第一部。目がほとんど見えなくなった朴壽南さん。娘さんである朴麻衣さん(助監督)や若いスタッフに支えてもらいながら、「玉砕」の真実に迫る第二部完成を目指したいと力強く意欲を語りました。
下記日時にあと2回、完成披露試写会が開かれます。
いずれも朴壽南監督の挨拶あり。入場無料
◆5月26日(土)
17:40開場/18:00上映
場所:スペース・オルタ
横浜市港北区2-8-4 オルタナティブ生活館B1館
◆5月31日(木)
18:00開場/18:30上映
場所:中野ZERO視聴覚ホール
(咲)
16日 韓国文化院で開かれた「韓日ハンマウム フェスティバル~韓国映画上映会」へ。思えば、韓国文化院主催の映画上映会には、韓国文化院が麻布にあった時代、それも、2000年に南北線が開通して麻布十番駅ができて便利になる前に、よく都バスで行ったものでした。天井から吊るした小さなスクリーンでしたが、貴重な韓国映画の数々を食い入るように観たのを懐かしく思い出します。2009年5月に四谷4丁目の新庁舎に移転し、映画上映会も立派なハンマダンホールでの開催が続いています。調べてみたら、韓国文化院は今年で33周年。1979年の開館から麻布に移る1995年まで池袋のサンシャインシティにあったのですね。当初から映画上映会もあったそうですが、知らなかった。残念!
さて、この日の映画は、『グッバイ、マザー』(2009年/チョン・ギフン監督)。幼い頃に交通事故で父を亡くし、獣医の母に女手ひとつで育てられたエジャ。ハチャメチャな高校生活で出席日数が足りず大学進学は無理、でもお前の文才なら作家になれると教師に励まされソウルへ。29歳になり、なかなか芽の出ないエジャが故郷プサンに帰ると、母はじゃじゃ馬娘を結婚させようと躍起に。兄ばかり優遇する母にエジャはちょっと不満だ。そんなある日、母が癌で余命宣言を受ける・・・という母と娘の物語。
実は、前日、肺癌で闘病中の方が亡くなられ、ご葬儀で悲しいお別れをしたばかりだった私。中東ミニ博物館の同好会会長、青年海外協力隊を育てる会、地域の文学館のボランティア、社交ダンス、絵手紙などなど、いろいろなことに積極的にかかわっていらした方。昨年の春、癌の宣告を受け、青天の霹靂とおっしゃっていたのですが、いつかまた元気に一緒に活動できると信じていました。67歳は早すぎる・・・ 映画を観ながら、その方のことを思い出し、人生、いつ終わりがくるか、ほんとにわからない。会いたい人には積極的に会っておかなければと。そしてまた、親孝行は生きているうちにしなくてはと。昨年秋に逝ってしまった母にも、心配ばかりかけたなぁとしみじみ。映画は、亡き母に後押しされたエジャが小説を書き上げるという素敵な場面で終わりました。さぁ私も夢(なんだっけ?)に向かって頑張ろう!
(咲)
5月12日(土)から始まったSintok2012 シンガポール映画祭オープニングに行ってきました。
陳子謙(ロイストン・タン)監督作品『12Lotus(12蓮花)』の上映と、オープニングイベント、レセプションパーティではシンガポール料理を楽しみました。
『12蓮花』は、シンガポール独特の歌台(ゲータイ)という、大衆音楽芸能界を廻る物語で、ロイストン監督日本公開作『881 歌え!パパイヤ』の明るい雰囲気とは打って変わって、主人公蓮花(リェン・ホア)の、悲哀に満ちた女の半生を描いている。薄情な男たち(父親、恋人)に利用される薄幸な女性の人生を描いてはいるけれど、色彩豊かな明るい描き方、歌台のシーンも多く、気持的には全然落ち込むことなく観ることができた。
日本で言えば、美川憲一か小林幸子かという感じのど派手な舞台と衣装、かなりベタな歌謡ショーだけど、なんだか懐かしく、高層ビルが立ち並ぶスマートな都会という印象のシンガポールではなく、下町の大衆芸能もしっかり息づいているということを伝えてくれる作品です。
上映後のイベントでは、ロイストン監督&主演女優でもある歌台の女王、劉玲玲(リュウ・リンリン)による、歌台さながらのショーが行われ、福建歌謡を楽しむことができました。
監督は歌台でも活躍できそうなくらい、歌がうまいし、かっこよくてびっくり。また、劉玲玲さんは、この映画にも出てくる観音様のような人でした。
ちなみに、劉玲玲さんは、『881 歌え!パパイヤ』にも出演しています。また、この『12蓮花』には、『881 歌え!パパイヤ』の主人公2人(ミンディー・オン、ヤオ・ヤンヤン)も出演しています。12日にこの作品を観れなかった方は、5月17日の上映もありますので、ぜひご覧ください。また、『881 歌え!パパイヤ』は5月16日にも上映があります。
劉玲玲さんは、「監督が歌台をテーマにした映画を作ってくれたことで、観客が老人ばかりになっていた歌台に若い人が来てくれるようになりました。すたれかけていた歌台が復活したようで、うれしい」と語っていました。
レセプションパーティでは海南鶏飯などのシンガポール料理が並び、100名余りの参加者が料理とおしゃべりを楽しみました。
Sintok2012 シンガポール映画祭(Sintok Singapore Film Festival Tokyo)
期日:2012年5月12日(土)~20日(日)
会場:シネマート六本木
スケジュールなど詳細は公式サイトへ
http://www.sintok.org/
*なおシネマジャーナルでは、本誌74号で『881 歌え!パパイヤ』を紹介していますし、HPでは、2008年6月17日に行われた『881 歌え!パパイヤ』の特別試写会 舞台挨拶報告レポートがアップされています。
http://www.cinemajournal.net/special/2008/881/index.html
また、2009年のシンガポール映画祭のレポートが下記にアップされています。
http://www.cinemajournal.net/special/2009/sintok/index.html
(暁)
10日 大久保の中国語カラオケ「マイク103」が今どうなっているか、ぜひ行ってみたいというアメリカから帰国中の(愛)さんをお誘いして、(暁)さんと3人で大久保へ。西武新宿駅から職安通りに出れば、もうそこはコリアタウン! しかも、大久保通りに抜ける細い道に「イケメン通り」という小恥ずかしい名前まで付けられていて、韓流グッズや、韓国食材、韓国料理屋さんがずらり。平日のまだ10時過ぎだというのに、結構賑わっていて、噂通りだ!とびっくりでした。韓国に占領されたかのような新大久保駅東側から駅を越えて大久保駅方面に向かうと、ちらほら韓国系のお店もあるものの、そこはかつての大久保の雰囲気。逆に、ひっそりして見えました。目指す「マイク103」は、1993年に開店した日本で初めて中国語曲に特化したカラオケルーム。2010年10月に閉店したのですが、その後、オーナーが変わって「カラオケ一六八別館」としてオープン。雰囲気は「マイク103」そのもの。部屋に入ったら、画面には劉徳華(アンディ・ラウ)がコンサートで歌っている姿が・・・。アンディファンの(暁)さんをお迎えするよう! 歌も気になるけど、まずはランチ! 一六八の本店はもともと刀削麺で有名な中華料理屋さん。カラオケルームでも、もちろん刀削麺がいただけます。ランチタイムは、どれも500円。私は酢豚定食(これも500円!)に惹かれて、刀削麺は二人からおすそ分けしていただきました。
中国語カラオケの何が嬉しいって、歌手本人の映像を観れるだけでなくて、歌っているのを聴けること。つまり、自分が歌わなくても楽しめる! もちろん好きな歌手と一緒に歌うこともできます。選曲は、歌手も曲名も、中国語の発音ピンインがわかっていれば簡単。もちろん私はわからないので、(愛)さんにお任せ。まずは王菲(フェイ・ウォン)。『重慶森林(恋する惑星)』の主題歌「夢中人」を皮切りに数曲。そういえば、武道館の王菲コンサート、レスリー・チャンも同じ会場にいたことを後で知ったなぁと。というわけで、次にはやっぱりレスリー・チャン! どれにしようと迷っているうちに、(暁)さんが「共同渡過」(谷村新司の「花」のカバー)や「月亮代表我的心」を選曲。「月亮代表我的心」は、コンサートで会場にお母様がいるバージョンでした。そして、『英雄本色(男たちの挽歌)』主題歌「當年情」や、passion tourで歌った「春夏秋冬」などなど。歌っているレスリーの映像を観るのは久しぶり。胸が締め付けられる思いになったところで、『藍宇 〜情熱の嵐〜』の主題歌「你怎麼捨得我難過」を聴いたら、もう涙が出そうでした。
そのほか、サリー・イップ、阿B(ケニー・ビー)にアラン・タム、張 信哲(ジェフ・チャン)、ビヨンドなど次々に聴いているうちにあっという間に2時間。一足先に失礼する最後に聴いたアンディ・ラウの「忘情水」。何の映画の主題歌だったっけ?と思い出せませんでしたが、ありがたや、インターネット! 『天與地(アンディ・ラウ 天と地)』でした。
1990年代、香港映画に夢中になっていた頃を思い出して、なんとも幸せなひと時でした。あの頃は、インターネットもなくて、手探り状態。だからこそ楽しかったのかもしれません。
(咲)
お天気の不安定な連休でしたが、いかがお過ごしでしたか~? 私は4日、府中・大國魂神社の例大祭「くらやみ祭」に行ってきました。大國魂神社には、初詣にはよく行くのに、お祭はずいぶん前に大太鼓の上に人が乗って巡行しているのを偶然見かけたことがあるだけでした。2月に府中・郷土の森に梅を観にいったときに、博物館でくらやみ祭の映像を観て、実にいろいろな行事が行われることを知ってびっくり。中でも惹かれたのが、傘に花をたくさん散りばめたような萬燈をぐるぐる回す萬燈大会。始まる12時半を目指して出かけましたが、もう黒山の人だかり。ちょっと後ろに陣取ったら、お隣りに地元の女性の方がいらして、いろいろ解説してくださいました。萬燈は、町内の青年会の人たちが中心になって、年が明けた頃からデザインをどうするか構想をねり、2ヶ月くらいかけて完成させるのだそうです。持ち時間2分で40キロ以上ある萬燈をぐるぐる回します。2分って結構長い! 30秒ごと位で素早く持ち手が交代するのですが、身体が触れてはいけないそう。15団体の萬燈は、デザイン、操り方、拍手の数などで審査され優勝団体が決まります。どれも優劣付けがたく素晴らしかったです。でも、この昼間に行われる萬燈大会は、本来、暗闇の中で行われる「くらやみ祭」の中では、歴史は浅く、昭和54年に始まったもの。お話をしてくださった地元の女性の方によれば、そもそもくらやみ祭は男の祭り。女性は家で人をもてなすのが役目。ダンナも息子も会所に行ったきり3日間帰ってこないけど、留守の家に客がどれくらい来るかわからないから、大量のお赤飯とお煮しめを用意するそうです。最終日の6日は、午前4時に各御輿が御旅所を出発するので、その時には女性たちも割烹着を着たまま暗い中、お祭り見物に行くのだとか。萬燈大会も終盤に入って、その方、「そろそろ客が来るから帰るわね」と。府中の人たちにとって、1年はお正月からじゃなくて、お祭りから始まるのだとおっしゃっていましたが、お祭りの盛んなところでは、皆、そうですね。伝統の息づいている町に住んでいるのをうらやましく思いました。
さて、この日は去年府中に引っ越してきた高校時代の親友を誘って行ったのですが、夕方5時からの太鼓の響宴までの時間も、おしゃべりしているうちにあっという間に時が経ちました。彼女は結婚して以来、ずっと秋田にいたので、なかなか会えなかったのです。でも、会えばすぐに高校時代の気分♪ 5月19日から公開される韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』は、高校時代の友達と偶然病院で再会。余命宣言をされた親友のために、かつての仲間を探すという物語。会いたい人には、できるだけ時間を作って会っておきたいと、ほろっとさせられる映画です。(祥)さんがカン・ヒョンチョル監督のラウンドインタビューに参加しました。その模様はWeb版特別記事(5/13掲載予定)で!
(咲)
28日(土)シネジャに毎号アメリカから「キャピトラ便り」を寄稿している斎藤愛さんが一時帰国していて、(暁)さん(白)さんと4人で集まりました。いつも斎藤さんの原稿をレイアウトしている(白)さんは初顔合わせ。私も7~8年前に一度お会いしたきりでしたが、いつも記事を拝見しているので、さっそく映画の話に花が咲きました。84号に斎藤さんが紹介していた『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、『裏切りのサーカス』の邦題で公開中ですが、斎藤さんの記事を読んでから観たにもかかわらず、複雑でよくわからなかった作品。それを斎藤さんは字幕なしで観て、ちゃんと記事を書いているのですから、凄い! いつになったら英語やペルシア語の映画を字幕なしで理解できるようになるやらです。
先日香港電影金像奨授賞式の取材に行ってきた(暁)さんからは、写真をたっぷり見せてもらいました。思えば、2002年の春、香港金像奨に(暁)さんに誘っていただいたのが、私がシネジャに記事を書くようになったきっかけでした。あれから10年・・・ ほんとに月日の経つのは早い! すっかり渋くなった姜文、それほど変わらず精悍な劉德華、ますます妖艶な舒淇・・・ 歳のとり方は様々だなぁと写真を見ながら、さて、私は?と。外見はどんどん老けるのに、やってることが変わらないと情けないです。
(暁)さんの撮ってきた第31回香港電影金像奨授賞式の写真は、こちらでどうぞ!
>> 特別記事 第31回香港電影金像奨授賞式
(咲)
勤めていた会社を1月に定年退職し、その記念にどこか海外に行きたいと思っていましたが、私が映画にはまるきっかけになり、シネマジャーナルを知るきっかけにもなった姜文(チアン・ウェン)と、ファンクラブにも入っている劉徳華(アンディ・ラウ)が主演男優賞にノミネートされたと知り、これは「行かねば」と、香港電影金像奨に行くことにしました。
ここ数年シネマジャーナルの金像奨取材をしている香港在住のIさんと、シネマジャーナルの金像奨事務局との窓口であるUさんにはお手数をかけましたが、無事行ってくることができ、写真もそこそこ撮れたのでほっとしています。 前回、金像奨取材に行ったのは2002年。10年ぶりの金像奨参加でしたが、その時と較べると日本から取材に来ている人はほとんどいなくて、寂しく思いました。
15日当日は、レッドカーペット取材のための場所取りのため1時半ころ並びましたが、先に行って席取りをしてくれたIさんと、茶通さんの友人のおかげで、前のほうに並ぶことができ、香港マスコミ陣の真ん中という特等席での撮影ができ、おかげで、素晴らしい写真を撮ることができました。
IさんがHPにレポートを書いていますが、広東語を理解し、映画も観た上での素晴らしいレポートです。ぜひ見てみてくださいね。そして私が撮った写真もよかったら見てみてください。
特別記事『第31回香港電影金像奨授賞式』
http://www.cinemajournal.net/special/2012/hkfa/
なお、写真整理が追いつかず、これから整理して写真を追加します。
今回、金像奨撮影のために新しいカメラを買いました。いつも使っている一眼レフでは望遠距離が足りないかもしれないと思ったのと、カメラ1台だと不安だったので、予備のカメラということで買いましたが、コンパクトカメラながら、1000ミリまで(35ミリフィルムカメラ換算)撮影できて、しかも24ミリから1000ミリまでレンズ交換せずに撮影できるという優れものです。
新聞などの予想では、主演男優賞は姜文か劉青雲(ラウ・チンワン)が有力だったのでアンディの受賞はないかな?と思っていました。それに、金像奨前日、もう10年くらい愛用していたアンディデザイン眼鏡のフレームの耳をかける部分が折れてしまい、それで、明日アンディの受賞はないなと思ってしまいましたが、アンディが受賞し嬉しかったです。
でも、新しく買ったカメラで授賞式の写真を撮ろうと思っていたのに、肝心の主演男優賞の前で電池切れになってしまい、アップの写真を撮ることができず、ちょっとがっかり。前日、しっかり充電して、予備電池まで用意していたのに、直前で切れるなんてなんてこったです。電池を入れかえている時間はなかったので、気を取り直し、使い慣れた一眼レフのカメラで撮影しました。こちらのレンズは300ミリ(35ミリフィルムカメラ換算500ミリくらい)でしたが、トロフィを入れて丁度この望遠でいい距離でしたが、アップは撮れず。
今回、金像奨ノミネート者をプリントアウトしてあったのに持って行き忘れたり、香港観光協会発行の最新香港情報パンフを日本では持ち歩いていたのに持って行き忘れたりと、最終チェックが甘い私です。
でも、2日半という短い滞在でしたが、金像奨取材だけでなく、映画も『桃姐』『春嬌與志明』を観ることができたし、アンディが『桃姐』の撮影のときにつけていた日記本「我的30個工作天 桃姐拍撮日記(僕の仕事30日間 『桃姐』撮影日記)」のファンクラブでのサイン会にも参加でき、充実した香港滞在でした。
(咲)さんも書いてくれているので、劉徳華と姜文、舒淇の写真を載せます。それに懐かしい「明星」を熱唱し、主演女優賞にも輝いた葉徳嫻(ディニー・イップ)の写真を掲載します。
(暁)
14日~16日、生まれ故郷の神戸へ。新幹線の沿道も神戸も桜がまだまだ綺麗でした。今回の主目的は母のお友達に会うこと。母が結婚前に勤めていた会社の同僚の方のご自宅(明石)に泊めていただいて、母の若い頃のことをたっぷり伺ってきました。その方が母から会社を辞めると聞かされたのが、3月31日。アメリカ映画『摩天楼』(1949年/キング・ヴィダー監督)を一緒に観にいった時だそうで、日本公開が1950年12月31日ですから、1951年の3月。ゲイリー・クーパー主演の骨太の人間ドラマのようです。ネットでこんなことも簡単に調べられるのが嬉しいですが、どんな思いで映画を観たのだろうなぁと。母は無類の映画好きでしたが、そのお友達はそれほどでもなく、どうやら母は一人で観にいくことが多かったようです。
15日、ちょうど中学校の1年の時の隣の組のクラス会があって、ゲストとして参加させてもらいました。そのクラスは私も大好きだった数学の先生が担任。先生を囲んで数年ごとに開いているそうで、先生を中心に団結力の強いクラスなのを感じました。成長期に出会った先生の影響というのは、ほんとに大きいですね。私にとっては、小学校5・6年の時の担任の先生がほんとに素晴らしい先生で、忘れられません。お天気がよければ、授業をやめて、戸外で缶ケリ(かくれんぼ)しよか~とか、授業中、すぐ脱線して、自分の経験談を語ったり、生徒が退屈していると、地図帳をぱっと開けて地名探しをさせて世界に目を向けさせたりと、自由な発想のできる生徒に育ててくれました。50歳半ばで亡くなられてしまい先生を囲んでのクラス会が開けないのがほんとに残念です。
17日、カナダ映画『ぼくたちのムッシュ・ラザール』のフィリップ・ファラルドー監督にインタビュー。小学校でクラスの担任の女教師が教室で自殺。代用教員として採用されたアルジェリア移民のムッシュ・ラザール。彼の授業方法は古くさいフランス式のものですが、先生の自殺でショックを受けた11~12歳の生徒たちも、段々ムッシュ・ラザールの真剣に授業に取組む姿に打ち解けていきます。きっと子供たちにとって、後々まで心に残る先生だと思いました。ファラルドー監督ご自身にとって、忘れられない先生は?と伺ってみました。歴史の先生が、当時有名だった漫画の背景に歴史や社会的メッセージがあることを教えてくれたのが印象的だったと語ってくださいました。『ぼくたちのムッシュ・ラザール』は、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた作品。賞を取ったイラン映画『別離』についても、話がはずみました。『別離』では、わが子により良い教育を受けさせたいと移民を試みる母親が出てきます。一方、『ぼくたちのムッシュ・ラザール』では、教室に様々な民族の子供たちがいて、カナダが世界各地からの移民を多数受け入れていることを垣間見ることができます。同時にアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされて、面白い対比だと思いました。監督にとっては、カナダは平和で、映画的題材が少ないのが残念だといいます。『ぼくたちのムッシュ・ラザール』は静かな映画ですが、余韻の残る素敵な映画です。 監督インタビュー記事は映画の公開される直前頃に発行されるシネジャ85号で!
★『ぼくたちのムッシュ・ラザール』2012年夏、シネスイッチ銀座 ほかにて公開
http://www.lazhar-movie.com/
(咲)
8日 満開の桜の花の中で、母の納骨。寂しいので春まで家に置いていたのです。荼毘に付したのがレスリー:チャンの誕生日の9月12日だったので、いっそのことレスリーの命日の4月1日にしたいと最初思ったのですが、私にしか意味のない日。今年は桜も開花が遅いようだしと、お釈迦様のお誕生日である4月8日にすることで家族も納得。予想があたって、みごと桜が満開に!
蓋を開けたお墓を眺めながら、父が、「欧米なら棺をそのまま入れるから、大きく掘った穴を囲んでいるのをよく映画で観るねぇ」と。こんな時にそんな言葉がよく出るもんだと思いながら、最近観た中でも『最高の人生をあなたと』での墓地の場面が印象的だったのを思い出しました。イザベラ・ロッセリーニとウイリアム・ハート演じる熟年夫婦が、「重なり合って入る?」と孫たちもいる中で実演してみせるのですが、西洋のお墓は一人一人場所を取るので、墓地の確保も大変。その点、日本のお墓は骨壷のスペースがあればOK。我が家はすでに5名入っていますが、今回、全部で24名分のスペースがあることがわかりました。父が次男なのでいいのかなぁと思っていたのですが、これなら私も入れてもらえそう! 墓石の表には、あと2人しか刻銘する場所がなくて、従兄や従姉たちと、先着順ね!と。
多磨霊園も桜が溢れていましたが、行きも帰りも、東郷寺や永山の桜通りなどなど母が好きだった桜をたっぷり眺めて母を偲びました。この数年、来年も一緒に桜を愛でることができるかしらと思いながら、両親とあちこち出かけたものですが、とうとう逝ってしまった母。はらはらと舞う桜吹雪に寂しさが募ります。
11日 九段下でちょっと途中下車して雨模様の中、まだまだ花盛りの桜を眺めてから、銀座で『ちりも積もればロマンス』(2011年、韓国、キム・ジョンファン監督)の試写。ハン・イェスル演じる超どケチの女性ホンシル。母親が亡くなった日に父親は倒産。ほんの少しお金が足りなくて納骨できず、大きな木の周りに散骨したという悲しい思いをしたホンシル。徹底的にケチを押し通してお金を貯めるようになったのもうなずけます。
さて、お墓があっても納骨にはお金がかかることを実感したばかりの私。お葬式代に納骨費用はちゃんと残さなくてはと。そして荷物の整理費用っか・・・ ちりも積もればで、紙類とがらくたの山の私の部屋。生きてる間になんとかしろよですね。
配給:CJ Entertainment Japan
5月12日(土) より 新宿武蔵野館にてロードショー
(咲)
いつも都営地下鉄一日券を買うたびに、「神保町の古本屋に行ってみたい」「都電荒川線にゆっくり乗って、車窓から花見して、美味しいもの食べて、時間あれば銭湯にも・・・」と思いながらも、なかなか時間が取れないでいた。 今日は3時半の試写まで時間が空いたので、思い切って都電荒川線に乗ってみた。
★新橋で荷物をロッカーに預け身軽になる。
新橋から「西巣鴨」。 新橋三田線「西巣鴨」から都電の電停(あ~懐かしい言葉…)
都電「新庚申塚」まで地図では近いが実際に歩くとどれだけかかるか、
都営地下鉄の方ふたりに聞くがはっきりしない。「コラッ!勉強不足だに!」
実際は5分くらいでなかなかよい散策が出来た。
★散策の成果あった!撮影所跡を見つけた!
★ 「新庚申塚」からまず終点「早稲田」に向かう電車にのる。
終点一つ手前の「面影橋」の桜が満開だった。一度「早稲田」まで乗って、反対側の電停に回り、いま乗ってきた電車にまた乗る。
運転手さんはそのまま後ろ側の運転席にまわっていた。前と後ろに運転席があるんだ!
★次の駅の「面影橋」で降りる。
たくさんのカメラマンさんがレンズを向けていた。
橋の下を流れるのは「神田川」!?知らんかったぁ~!実際に見たのははじめて。
★次に乗った電車は満員。終点「三ノ輪橋」まで乗ろう。
★今日の目的の都電全線を乗ろうは、確かに達成できたが、この満員電車には疲れた。
赤ん坊の泣き声、叱る親の声、わめくガキども、くっちゃべる年寄り、外国からの観光客、おとなしいのは私だけ!(本当だに) それにやたら日当たりがいいから暑い。
小一時間で終点「三ノ輪橋」に着いた時は、お腹ペコペコ、目はシバシバ、喉はカラカラ、それにコーヒーを飲んでないので眠い・・・。
★ここは故・森田芳光監督の『僕達急行A列車で行こう』(上映中/オススメ作品!)にも出てくる駅。
20年前にタイムスリップしたようなジョイフル三ノ輪商店街に入り、小さいラーメン屋さん(山久飯店)で五目野菜ラーメン。写メを撮るのも忘れてガツガツ食べる。かまぼこやナルトが入っていてタイムスリップ感たっぷりの優しい塩味。
★もう余り時間がない。
「ぱぱ・のえる」名物都電ブレンド・コーヒーとアップルパイをいただく。
ここで身体を回復させて、「熊野前」から舎人ライナーに乗り換えて「西日暮里」からJRに乗り換えて新橋まで。 きっと試写で寝ちゃうだろうなぁと思ったが・・・。
3時半から京橋近くの試写室で韓国映画2本
『ムサン日記~白い犬』パク・ジョンボム監督・脚本・主演/5月公開
2008年韓国映画『クロッシング』のキム・テギュン監督インタビューの折、脱北者の韓国での苦しみや差別をお聞きしていたので、青年スンチョルの生活や行動がよく理解できた。白い犬がスンチョルの幸せの象徴のように感じた。心に残るシーンがいっぱいあった。
『ハロー!?ゴースト』キム・ヨンタク監督・脚本/6月公開
最後の10分で「あ~、もっと真面目に観ておけばよかった!」と悔しがってももう遅かった。終わり方の絶妙さは驚きと涙でやられてしまった。前半のたらたら部分(失礼!)がいろんなことを提示していたのだ。絶対にもう一度観たい作品だが、次は始めから泣いちゃうかもな。主役は『猟奇的な彼女』のチャ・テヒョン、ぴったりの役だった。
あ~、今日もいい一日だった。
(美)
2日 いかにもアメリカらしいどたばたハートフルコメディー『ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン』の試写を観てから、試写の会場である半蔵門・東宝東和のすぐ裏にお住まいの小学校の大先輩の女性の方を訪ねました。昨年10月に私が幹事を務めた小学校の東京同窓会でお知り合いになったのですが、実はこの方、母が結婚前に勤めていた商社の当時の社長のお嬢様。昭和23年に社長宅で開かれたクリスマスパーティを手伝ったときの写真が母のアルバムに大事に貼ってあって、スキャンして持参したところ、「これが私」と、この方も同じ写真に写っていたことが判明。母の希望もあって、私も同じ商社に勤めたのですが、この方のお兄様は私が入社した時の副社長。やはり神戸の同じ小学校のご出身で、入社して1年目の頃に、イランの商務省次官夫妻のアテンドをした時に副社長主催の宴の席で同窓生であることを名乗ったという思い出があります。半世紀以上も前の写真には、この副社長をしていたお兄様の姿も。(お若くてわからなかった!) 当時のお話や、もっとさかのぼって戦争の頃のつらい思いにも話がおよびました。さらに、この方のお嬢様がこの7年、イランにお住まいであることもあって、ほんとに不思議なご縁。2月にイランにお嬢様を訪ねた時に持ち帰った美味しいお菓子の数々をいただきながら、イランの良さを日本の方にちゃんと知ってもらいたいものねと話がはずみました。
7日から公開のイラン映画『別離』は、中流と貧困層の典型的なイランの家庭が垣間見れるドラマ。ほんとによく書き込まれた脚本です。この映画からは、イランの人たちが旅人や外国人にみせる優しさを知ることはできませんが、庶民の悩みはどこの国も同じと共感できることと思います。
6日 3日の暴風雨を経て、一気に花開いた東京の桜をあちこちで愛でて、夜、レスリーを偲ぶ会。命日の4月1日に都合の悪い人が数名いて、少し遅れての集まりになりました。衝撃のニュースを受けた日から、もう9年。会えば、追っかけをしていた頃の楽しかった私たちに戻ります。存命だったら、どんな映画に出てくれたかしらねぇとも。ほんとに残念です。
(咲)
29日(木)渋谷・アップリンクで『happy - しあわせを探すあなたへ』の試写。冒頭でインド・コルカタの貧民街で暮らす人力車の車夫が、どんなに仕事で疲れても家に帰って息子の顔をみれば幸せと語ります。以前、「ロンドン大学が世界で行った国民の幸福度調査で、バングラデシュは1位」ということを聞いてびっくりしたことがあります。思えばコルカタはバングラデシュに近い町。上映後に登壇した日本人プロデューサー清水ハン栄治氏にお伺いしたら、本作を作ったのも、製作総指揮のトム・シャドヤック氏が、バングラデシュが1位というデータを見て、なぜ?と思ったのがきっかけだそうです。ロコ・ベリッチ監督と清水ハン栄治氏が5大陸16か国を4年かけて探った人々の暮らし。お金や地位に固執する人は満足度が低い。しあわせな人は、家族や友人に囲まれていたといいます。
★『happy - しあわせを探すあなたへ』渋谷アップリンク他にて5月12日(土)よりロードショー
http://www.happyrevolution.net/
試写の後、会社から早期退職を言い渡されて再就職が決まった同級生を祝う集まり。映画の話をしたら、「そうは言っても、やっぱりお金はあったほうがいい」と。確かに金欠は心労の元になるかも。無いなりの暮らしが長くなった私ですが、家族と友人に恵まれて、とりあえずしあわせかな・・・
31日(土)ルーテル学院大学、増野肇名誉教授の最終講義へ。昨年3月12日に予定されていたのですが、東日本大震災で中止になり、1年後に実現となりました。精神科医としての半世紀、心の病気を持った人たちに役立つ「安心できるグループを地域で育てる」ことを目標にしてきた増野氏。精神保健の歴史と増野肇氏個人の道筋をシナリオ・ソシオ・サイコ・ミュージカルと名づけて、教え子や仲間の方たちと上演する形で最終講義は行われました。「恐怖のコーラス」という、人々が恐れを感じるできごとを歌にしたものをモチーフにして楽しくアレンジされた劇に会場が沸きました。最後に「友だちはいいもんだ」を合唱。心の平穏を得るには、やはり人々との繋がりが大事だなぁと感じた講義でした。
終了後、食堂で茶話会が開かれましたが、増野氏が父方の親戚であることから、この日駆けつけた親戚一同は別の席で集まりました。父の従兄弟繋がりで、私にとってはこれまでお会いしたことのない方ばかりでしたが、どこかで繋がっているというのは、初対面でも打ち解けてお話できて嬉しいひと時でした。
1日(日)レスリー・チャンが自ら天国に旅立ってしまって、早や9年。心の病を抱えていたレスリー。なんとか救えなかったのかと精神医療の難しさをひしひし。レスリーのお陰でシネジャにも出会い、心を分かち合える友人たちも出来た私。レスリーに感謝しつつ、今日は彼を偲びたいと思います。
(咲)
22日 『ジェーン・エア』『ファウスト』と重厚な文芸作品2本の試写を観たあと、夜、イラン大使館でイラン暦のお正月「ノウルーズ」を祝う伝統音楽コンサート。イラン暦は完璧な太陽暦で、太陽が春分点を通過する瞬間に新年を迎えます。今年は、テヘラン時間西暦2012年3月20日午前8時44分27秒(東京時間 2012年3月20日 午後2時14分27秒)にイラン暦1391年となりました。
大使館では、イランから招聘した伝統音楽グループの演奏の前に、イランのお正月のお話や伝統文化の映像も。演奏している間も、バックにはお正月の飾りや、様々な花の映像が流れ春爛漫。今年は梅の開花も遅くて、桜もいつ咲くのかしらという陽気ですが、一足早く春を感じたひと時でした。
23日昼、芝浦港南区民センターホールでも同じグループによる伝統音楽コンサート。イランのテレビ局のキャスターの方が登壇して、演奏の前に新春を愛でる詩を朗読してくださいました。イランは詩の国。映画でも、よく詩が引用されたり脚本の背景にあったりします。1時間10分の演奏のあと、抽選会があって(はずれました!)、最後にまた詩の朗読。人は生まれることと死ぬことは自分で選べないけれど、パートナーは自分で選びなさいと神様がおっしゃっているという内容にドキッ! (とうとう選び損ねた私! え? まだチャンスある?) ま、何はともあれ、イランの人たちが誇る文化をたっぷり感じた2日間でした。
(咲)
16日(金) 横浜・伊勢佐木町で産声をあげた「横浜みなと映画祭」のオープニングトークショーにアミール・ナデリ監督が登壇するというので、これは行かねば!と参加してきました。明治44年(1911年)に、日本初の洋画封切館であるオデヲン座が開館した街、伊勢佐木町。かつては演劇、寄席などの劇場も数多くあって賑やかだった老舗商店街ですが、今や新しいスポットに押されてさびれた雰囲気なのは否めません。その伊勢佐木町を、地域に根ざした映画祭で活性化しようと立ち上げたのが「横浜みなと映画祭」。トークショーの会場「CROSS STREET」は、シネマジャック&ベティに程近いところにあるガラス張りの素敵な建物。イセザキ・モール振興策として、ライブや講演会など皆が集える場所として作られた多目的イベントスペースです。
トークショーのテーマは、“町と映画、そして映画祭―地域振興型映画祭の 可能性”。登壇者は、ナデリ監督のほか、伊勢佐木町を舞台に映画を撮った林海象監督、山形国際ドキュメンタリー映画祭の東京事務局ディレクター藤岡朝子さん、私の実家近くで開催されている「TAMA CINEMA FORUM」ディレクター飯田淳二さん。司会は、横浜みなと映画祭プログラマーの映画監督の井川広太郎さん。今はなき横浜日劇は、それ自体がまるで映画のセットのようだったと伊勢佐木町を熱く語る林海象監督に続き、ナデリ監督が日本映画への思いや、『CUT』公開劇場での日本の観客との交流について熱弁を奮いました。世界各地の映画館を観てきたナデリ監督ですが、「シネマジャック&ベティは宝」という言葉も。マシンガントークに圧倒される会場一同。次に登壇した藤岡朝子さんも、「ナデリさんのようなエネルギッシュな人が一人いるだけで、元気が出ますね」と。地元山形の人たちに愛され、世界のドキュメンタリー作家たちからも注目される山形ですが、成功の秘訣は温泉や美味しいものもさりながら、人と人との交流の場としての雰囲気作りにあったのではと語りました。成功しているようでも問題はある、でも、とにかく続けてきてよかったとしみじみ語る藤岡さん。「継続は力」だと感じます。そして、ナデリ監督も林監督も、何事も何より大事なのはオリジナリティと強調されました。
トークショーの後に開かれたレセプションでは、その場で出会った人たちと自然に話の輪ができて、映画を愛し、伊勢佐木町での映画祭に期待する人たちの熱い思いを感じました。「横浜みなと映画祭」はどんな個性を持った映画祭になるのでしょう。また来年、覗いてみたいと思いました。
18日(日)第20回を迎えた「アース・ビジョン 地球環境映像祭」の最終日にやっと会場に行ってきました。でも、合間に友人と会食予定があったので、観たのは2作品だけ。まずは、公開時に記者会見に行ったものの、作品を観そこねた坂田雅子監督の『沈黙の春を生きて』。前作『花はどこへいった』は、ベトナムに従軍したご主人が枯葉剤の影響で癌に罹ったのではとの思いが原点となって、ベトナムでの枯葉剤の被害者を追ったドキュメンタリー。ご主人のことを軸にしているため、個人的すぎるとアメリカでの公開ができず、それではと『沈黙の春を生きて』は、客観的にアメリカとベトナムの枯葉剤被害者を捉えた作品にしたのに、やはりアメリカでの公開は難しいのだそうです。自国に不利なものは見せたくないということなのだろうけれど、アメリカ人にこそ観てほしい作品。
午後、友人たちとたっぷりおしゃべりした後、また会場に戻って観たのは、【第20回子どもアース・ビジョン大賞】を受賞したブータンの『思いを運ぶ手紙』。首都ティンプーから険しい山道を歩いて5日かかる標高3500mの村リンシに、26年間にわたって手紙を運び続けている郵便局員を追ったドキュメンタリー。まさにフォ・ジェンチー監督の『山の郵便配達』の世界。ブータンといえば、国王の提唱する「国民総幸福量」が日本でも話題になっていますが、郵便局員の「生きていくのは大変だけど、たとえ橋の下でも家が持てればそこは楽しい我が家」という言葉が、「国民総幸福量」の考えにも繋がると、Ugyen Wangdi監督は感じて、映画の最後に「国民総幸福量政策に捧ぐ」という言葉を入れたそうです。監督との質疑応答のあと、民族衣装キラを着た奥様も舞台に登壇。手の平を相手に見せてお辞儀するブータン式挨拶を披露してくださいました。
この後の表彰式には残念ながら参加できませんでした。環境を考える秀作揃いの「アース・ビジョン 地球環境映像祭」、来年はもっとたくさんの作品を観れるといいな。
(咲)
大阪アジアン映画祭に初めて参加してきました
約20年前、侯孝賢監督の『悲情城市』を観て、台湾が50年も植民地だったことを知った。教科書では「台湾は1985年、日清戦争に負けた清から日本に割譲された」としか習っていなかったので、それが植民地だったとは思わなかった。
この作品を観て、台湾のことを何も知らないということを知った。そして、この作品で、日本統治下で起こった「霧社事件」のことを知った。霧社という場所で起こった原住民の「反乱」とのことだった。それ以来、ずっとこの霧社事件のことが気になっていた。
そして、『海角七号 君想う、国境の南』の魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督が、この霧社事件を扱った作品を撮ったということを知り、ぜひ観たいと思っていた。この作品は台湾で去年公開され話題になっていたが、2部作で合計4時間半の作品ということで、とても日本では公開されないだろうし、この長いバージョンのまま観ることはできないだろうと思っていたら、今年の大阪アジアン映画祭で4時間半版が上映されるということを知り、これは是非行かなくてはと、今回初めて大阪アジアン映画祭に出かけた。
その作品とは『セデック・バレ 太陽旗』『セデック・バレ 虹の橋』で、16日と17日の両日に上映されたものを観た。さらに魏徳聖監督を囲んでのトークイベントにも参加してきた。私と同じく「これは是非観なくては」という思いの人が多かったせいなのか、合計4回の上映はすべて満席とのことだった。事実、今回東京からこの映画祭に来ていた顔なじみの人たちがかなりいて、「あなたも来ていたの」の言葉が飛び交った。
前編の『セデック・バレ 太陽旗』は、1895年、台湾が清から日本に割譲されたところから始まり、1930年に起こったこの霧社事件に至るまでのセデック族と日本軍部や警察との関係が描かれる。他の映画などでも描かれてきたが、台湾人はいくら優秀でも2等国民として扱われ、けっして日本人を追い抜くことは許されなかった。さらに原住民は野蛮人として扱われていた。
しかし、実際のセデック族は誇り高い民族だった。山岳民族であるセデック族は勇猛果敢な狩猟民族で、狩場をめぐって民族間で熾烈な争いがあり、首狩りの習慣があることも描かれる。
そんな彼らに対し、日本は軍部や警察組織を使って、彼らの独特な文化や習慣を禁じ、過酷な労働と服従を強いていた。そういう中、日本人警察官とセデック族との間で起こったいざこざが原因で、それまでずっと耐え忍んできた山の民は、とうとう武装蜂起をする。霧社で行われた運動会を襲い、多くの日本人を殺した。
後編の『セデック・バレ 虹の橋』では、報復を開始した日本軍・警察と、その裏をかく行動で抵抗を続けるセデック族が描かれるが、その抵抗も日本軍の圧倒的な力の前の前に長くは続かなかった。また、武装蜂起をした部族と仲のよくなかった部族を使って、追い詰めていった模様も描かれていた。
勝てるはずのない戦いに挑むセデック族の行動は、まるで武士のようだった。
魏徳聖監督は、霧社事件を「反乱」や「暴動」ではなく、誇り高き山の民の誇りを取り戻すための戦い、先祖への敬意を示すための戦いとして描き、気迫ある作品に仕上げた。か細くて、一見ひ弱そうに見える魏徳聖監督が、こんなにも骨太な作品を作るとは驚きだったが、トークイベントに参加してみて、優しい心としなやかな心をもっているからこそ、「暴動」を起こしたとされた人々に対して想いを馳せ、こういう力強い作品を作ることができたのだと思った。
この作品ではたくさんの原住民の人が出演していたが、映画の中で使われた言葉は、ほとんどがセデックの言葉と日本語だった。ほとんど使われなくなっていたセデック語がこの映画の後、見直され、セデック語を学ぶ人が増えたとのこと。
セデックの人々が、日々の生活の中で歌う歌、戦いの時に歌う歌も心に響く。多くの歌の歌詞も監督が手がけている。
また勇猛果敢なセデックの頭目モナ・ルダオの晩年を演じた人の本職は牧師さんだというので、さらにびっくりした。
監督は、日本では2時間半の短縮バージョンではなく、4時間半の完全版で是非公開してほしいと言っていた。私もぜひ、それが実現することを願っている。
(暁)
台湾の映画 『父の子守唄』(邦題)共同記者会見が3月10日に行われた。
チャン・シーハオ監督、プロデューサー、台湾人と日本人の出演者6人らが11日と15日の第七回大阪アジアン映画祭での公開を機に来日された。監督は妹さんと日本人の男性との結婚式で25年前に大阪に来たことがあり、日本に留学経験のあるプロデューサーは、「司馬遼太郎と川端康成の故郷である大阪に来れて幸せです」と、2人の親日ぶりをうかがわせた。また、台湾で地震が起きた際に日本からの救援隊が最初に到着した「恩返し」として、昨年の3.11後にはアメリカを上回る義援金を寄せてくれている。今回はその際の監督の個人的な体験をきっかけに、台湾の社会問題とともに3.11を軸とする人間の絆を描くことになった作品だということで期待は高まる。出演する日本人俳優も台湾での生活が長いようで、監督や出演者同士の意志の疎通もとれており、日本と台湾の絆を象徴するような作品である。同じ文化圏なの人たちだなと思わせる暖かな記者会見の模様は、次号の『シネマジャーナル』で紹介しますのでこうご期待!
(香)
8日 〈午前十時の映画祭〉の1本『ブラック・サンデー』(1977年、ジョン・フランケンハイマー監督)を観に立川シネマシティへ。ベトナム戦争で捕虜となった米軍兵士が帰国して屈辱を味わい、自国アメリカの戦争行為への反発の思いからアラブのテロリスト「黒い9月」と手を組み8万人が集うフットボールの競技場を襲う計画を立てる。それを察知したFBIとイスラエルの諜報員がなんとか阻止しようと対峙する物語。1977年夏に日本で劇場公開予定だったのに、公開直前に「上映する映画館を爆破する」と脅迫があったことから公開中止に追い込まれた作品。〈午前十時の映画祭〉での上映が実質日本初公開の機会となりました。
実は、昨年度のベストテン特集をしたシネジャ84号で、K氏が『ブラック・サンデー』をベストワンに挙げているのを編集段階で知り、中東絡みの作品で観るべき作品とK氏から散々言われたのに、見逃したことを思い出しがっくり。 84号で『ブラック・サンデー』観たかった!と叫んだら、(暁)さんが気づいて教えてくれた次第。立川は郊外の我が家からはモノレールで10分! お母さまを介護中の(暁)さんも実家が立川に比較的近くて、この日は二人で鑑賞。飛行船からプラスチック爆弾を落とすという計画は実行されるのか・・・とハラハラどきどき。143分という長い映画ですが、前日2時間しか寝てなかったという(暁)さんも寝ないで観るほど、飽きさせずに見せてくれる映画でした。あくまで娯楽活劇なのですが、イスラエル建国で追い出され難民となったパレスチナの人たちの思いや、ベトナム帰還兵の虚しい気持ちも少しですが語っています。それをイスラエルの諜報員に追わせるというところが、なんともなぁと。完成当時、パレスチナ、イスラエル双方から相手側に偏っていると批判されたそうですが、さもありなんと思いました。
よく出来た映画には違いないのですが、実は、冒頭、ベイルートの場面で歩いている人たちの服装がどうみてもモロッコ! 男性はねずみ小僧のようなフード付の長い衣装(ジュラバ)、女性も長いカラフルなドレス(カフタン)に頭だけでなく口を隠すモロッコ独特のスタイル・・・ 2010年製作の『SEX AND THE CITY 2』では、アラブ首長国連邦のアブダビの場面を、アブダビで許可がおりず、モロッコで撮影。市場やホテルは確かに見知ったモロッコのものでしたが、そこにいる人たちの服装は一応湾岸諸国風。映画はしょせん作り物ですが、『ブラック・サンデー』から30年以上経って、アメリカ映画もそういう細かいところに気を使うようになったかなぁと。〈午前十時の映画祭〉で上映される往年の名作も、あらためて観てみると、もしかしたら、そんなアラを見つけてしまうかもと思いつつ、それを差し置いても後年に残る名作揃いです。
〈午前十時の映画祭〉は、好評につき、現在第3回を全国25ケ所で開催中。映画館での上映のデジタル化が急速に進んでいる中、フィルムで往年の名作を観ることのできる貴重なチャンスです。上映館によっては午前10時だけでなく、ほかの時間帯にも上映しています。上映作品や上映館はサイトで確認を! http://asa10.eiga.com/
(咲)
今年も第七回を迎える大阪アジアン映画祭(2012.3.9~18)の季節がやってきました。
昨年は会期中に未曾有の災害のきっかけとなる大きな揺れが会場を驚かせました。
今回は『気仙沼伝説』など東北にちなむ映画も上映されるほか、ポスト3.11を意識した作品も幾つか出品されています。
そんな作品の一つが『父の子守歌』です。間もなく監督などを交えた記者会見も開かれる予定です。その他に『大阪のうさぎたち』など会場となった大阪を意識した作品もあり、期待は高まるばかり。次に紹介する文章と写真は、映画祭実行委員の方から送られてきました。私自身は参加できなかったイベントですが、是非ご覧下さい&足をお運び下さい。(香)
【大阪アジアンエ映画祭プレイベント おおさかシネマフェスティバル開催】
3月4日(日)、大阪歴史博物館にて第7回大阪アジアン映画祭プレイベント【おおさかシネマフェスティバル ~映画ファンのための映画まつり~】が開催されました。76年にスタートした手作りの映画祭として、大阪の映画ファンにはおなじみの当イベント。今回も前売券が早々に完売し、映画ファンで満席となった会場に豪華なゲストが続々と登壇されました。
今回は、昨年逝去されました原田芳雄さん、森田芳光監督の長年に渡る日本映画界への貢献を讃えまして、特別賞を授与させていただきました。受賞式の前には森田監督の遺作となりました『僕達急行 A列車で行こう』を上映させていただきました。
藤沢周平の短編小説を映画化した『小川の辺』で助演男優賞を獲得した歌舞伎役者の片岡愛之助さんは、京都南座での出番を終えて、大急ぎで授賞式に駆けつけて下さいました。さらにこの日、40歳のお誕生日を迎えた片岡さんへ、サプライズとして映画祭からお誕生日ケーキをプレゼント。会場は温かなお祝いムードに包まれました。「自分で生まれ育った大阪で賞をいただいて、素晴らしい40歳の門出となりました」と喜びのコメントを残されました。
新藤兼人監督『一枚のハガキ』で主演男優賞を獲得した豊川悦司さんは、地元が大阪ということもあり、終始リラックスした表情で、授賞式に参加されていました。『石内尋常小学校 花は散れども』に続く新藤監督作品への出演となった豊川さんは「2作品連続で新藤監督に呼んでいただけたのは嬉しい」と語り、「『一枚のハガキ』は監督自身の実体験がベースになっているので、監督というモデルがいてくれてラッキーだった」と話されていました。
そして主演女優賞は『デンデラ』での熱演が多くの映画ファンを魅了した浅丘ルリ子さんが獲得。「これまであまり縁のなかった大阪で表彰されたのが嬉しい」と笑顔で語り、『デンデラ』のクライマックス、熊との対決シーンでは、「熊と対峙しても負けない眼力で勝負した」と、演技にかける情熱を感じさせるコメントを残して下さいました。 授賞式終了後には原田芳雄さんの主演作『大鹿村騒動記』を上映。満席の場内は、名優の渾身の演技に見入る映画ファンの熱気に包まれました。
- 日本映画 個人賞は以下のとおりです
- ※敬称略
- 監督賞:阪本順治(『大鹿村騒動記』)
- 主演女優賞:浅丘ルリ子(『デンデラ』)
- 主演男優賞:豊川悦司(『一枚のハガキ』)
- 助演女優賞:神楽坂恵(『冷たい熱帯魚』『恋の罪』)
- 助演男優賞:片岡愛之助(『小川の辺』)
- 新人女優賞:杉野希妃(『歓待』)
- 新人男優賞:まえだまえだ(『奇跡』)
- 脚本賞:新藤兼人(『一枚のハガキ』)
- 撮影賞:北信康(『一命』)
- 音楽賞:安川午朗(『八日目の蝉』『大鹿村騒動記』)
- 新人監督賞:三宅喜重(『阪急電車 片道15分の奇跡』)
- 特別賞:原田芳雄、森田芳光
(香)
27日 第84回アカデミー賞発表の日。私が一番気になっていたイランのアスガー・ファルハディ監督作品『別離』が、予想通り最優秀外国語映画賞を受賞! 脚本賞にもノミネートされていて、惜しくも賞は逃しましたが、ほんとによく書き込まれた脚本です。
さて、最優秀外国語映画賞受賞の挨拶で、監督は、「イランについて政治的にいい報道がされていませんが、イラン人は暴力に反対し、あらゆる文明を尊重する国民です。この賞を全世界のイラン人に捧げます」と語りました。この日、たまたまイラン人の友人宅で一緒に中継を見ていたのですが、監督が挨拶する姿をほんとに嬉しそうに眺めていました。監督の前作『アバウト・エリ(公開タイトル:彼女が消えた浜辺)』がアジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映された時に、このイランの友人も福岡まで観にきていて、一緒に監督を天神の屋台にお連れし映画談義。若いのに風格たっぷりの監督を懐かしく思い出します。
★福岡でのインタビューはこちら → http://www.cinemajournal.net/special/2010/about_elly/index.html
『別離』は、4月7日(土)より、Bunkamuraル・シネマほか全国ロードショー
2日 この日の試写は『ファミリー・ツリー』(脚色賞)、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(主演女優賞、メイキャップ 賞)とアカデミー賞受賞作品二本立て!
ハワイを舞台にした『ファミリー・ツリー』は、ジョージ・クルーニー演じる弁護士がカメハメハ大王の血を引く先祖から受け継いだ土地の売却問題で悩んでいる最中に妻がボート事故でこん睡状態に陥ってしまう物語。寝たきりの妻の病室に連日通う姿に、昨夏、母の病室に通った日々を思い出してしまいました。
『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』は、西洋社会で初めて国のトップに立ち、鉄の女と呼ばれた元英国首相サッチャーが、認知症に苦しみながら過去を振り返る姿を描いた作品。颯爽と国家を仕切るサッチャーと、老いてもたつきながら暮らすサッチャーの双方を、メリル・ストリープが実に見事に体現しています。この作品も、認知症に苦しんだ母を思い、涙、涙でした。
(咲)
20日 若い頃長年お世話になった会社の上司が19日に亡くなられたとの連絡をお嬢様からいただきました。お正月に電話でお話して、外出はご無理とのことで、ご自宅までお伺いしますと具体的な日程まで申し上げたのに、奥様が入院中なので退院したら・・・と実現しなかったのです。
大学を卒業して会社に勤めて半年目、新しい部署が創設され、その長として着任されてすぐに連れていってくださったのが、六本木の瀬里奈でした。現在、毎週1度か2度、試写でシネマート六本木に行くのですが、その時に前を通るたびに、あの時は帰りにハイヤーを呼んでくださったなぁと、その上司を思い出していたのでした。六本木の瀬里奈といえば、レスリーがしゃぶしゃぶを食べに行ったことがあって、「エノキ プリーズ」とおかわりしたことでも思い出深いお店。とても自力では行けないお店に連れていっていただいたことがあるのを、なんだか嬉しく思ったのも思い出します。
24日 亡くなられた上司の告別式で金沢文庫まで行ったので、足をのばして鎌倉を散策してきました。お気に入りの裏道を歩いていたら、ふっと鎌倉市川喜多映画記念館に出会いました。存在は知っていたのですが、どこに出来たのか確認していなかったのです。残念ながらちょうど閉館時間で入ることはできませんでしたが、近いうちにゆっくり訪れたいなと思いました。
25日 シネジャ84号が出来上がり、(白)さん宅で発送作業。ちょうど神戸から幼馴染が上京したので、発送作業に参加する前にネパール料理屋さんでランチした後、白山神社から小石川植物園まで歩いてみました。たどり着いて入ってみたら、そこは植物園ではなく、片すみにある「東京大学総合研究博物館小石川分館」。驚異の部屋展という常設展示では、人や動物の骨、いろいろな標本があるかと思えば、建物の模型や、顕微鏡、さらには古い映写機も。解説がほとんどなく、いったいこれは何?と不思議な空間でした。親友と別れ、(白)さんの家に皆より遅れて着いたころには、シネジャの封入作業もほとんど終わっていました。点検作業をしながら、ティータイム。初めてpdfでデータ入稿した84号の反省会。仕上がりは写真も綺麗でなかなかです。記事も皆それぞれに思いを込めて書いています。お読みいただければ嬉しいです。
申込みはこちらから(しつこく宣伝!)→ http://www.cinemajournal.net/cj/orderform.html
(咲)
15日(水) いよいよシネマジャーナル84号の最終編集日。白山神社を抜けて(白)さん宅へ。この間の編集日から4日しか経ってなくて、梅はまだ咲き始めの状態のまま。ほんとに今年は遅いですね。
さて、今回の84号よりWord文書をpdfに変換してのデータ入稿。最後の作業は出来上がった原稿にページを付けてpdfに変換という、パソコン内での作業。変換すると、なぜだかずれる半角文字があって、原因を把握して修正するのに思いのほか時間がかかりました。夕方までに88ページある原稿の半分も終わらず、結局、あとの作業を全部(白)さんに任せて帰宅。(白)さんが一人で深夜までかけて完成させてくれました。(お疲れさま・・・) 今週末には発行予定です。2011年度 読者とスタッフのベストテン特集のほか、今回も盛りだくさんです。ぜひお読みいただければ嬉しいです。
シネジャのWebサイトからの申込みは、こちらから→ http://www.cinemajournal.net/
84号の目次ページはこちらから→ cj84mokuji.pdf
(咲)
6日 スウェーデン大使館での「難題を投げかけた男」展オープニングに(美)さんと一緒に参加してきました。スウェーデンが誇る巨匠イングマル・ベルイマンの映画人生を紹介する展示会。メイン展示は、不毛の大地に佇む木をイメージしたオブジェ。木からぶらさがる5つのスクリーンの両面に映画やインタビュー、映画の舞台裏のクリップなどが映し出されていて、音は前にあるスクリーンのものしか聴こえないという仕組み。画面は一度に3つ観ることができます。全部観るには何時間もかかりそう! 会期中には『ベルイマン・アイランド』 (84 分, 英語字幕)も上映されるとのことです。またゆっくり訪れたいと思いました。
「難題を投げかけた男」展
会期 2012年2月6日~ 3月12日
月~金 9:00-12:30, 13:30-17:30
日曜日 10:00-17:00
場所:スウェーデン大使館ベルイマン・ホール
10日 イラン大使公邸で革命記念日のレセプション。あのイスラーム革命から、もう33周年! 例年革命記念日の頃にテヘランで開かれるファジルファジル国際映画祭。今年はどんな作品が出品されたのか気になります。
84号の編集日を翌日に控え、原稿もまだ書き終わってないのに、この日まで開催の「オタール・イオセリアーニ映画祭2012」の3回券を買っていたので、『月曜日に乾杯!』『群盗、第七章』の2本を観て帰りました。6日に観た『歌うつぐみがおりました』も含めて、どれも特に大きな出来事は起こらず淡々と描かれるのに、余韻の残る味わい深い作品でした。
11日 84号第1回目の編集日。これまで、各自が書いた原稿をプリンターで打出したものを台紙に貼って入稿していたのですが、84号からpdfに変換してデータ入稿することになりました。切った貼ったを手作業でしていたのと違い、パソコンでのやりとりで済むのですが、それではシネジャのメンバーが顔を合わせる機会もなくなってしまいます。ページ割りや校正は皆でやろうと(白)さん宅に集まりました。いつも3~4人なのですが、今回は出席率がよくて、7人! 久しぶりに会うメンバーもいて、持ち寄ったケーキやおせんべい、(白)さん手作りの大きなおにぎりなどをいただきながら、合間におしゃべりも楽しみました。最終編集日は、15日の予定。(白)さん宅近くの白山神社の梅は、まだ咲き始めでしたが、15日にはもう少しほころんでいるでしょうか・・・ そんなことを気にするより、早く原稿を仕上げなくては!
(咲)
2月8日(水曜) 今日は一日のんびりと、と思いつつもひょいとアイパッドで沼津映画館を検索したのが運の付き! ありましたがね、観てないのが…。「ジョイランド沼津」。駅前だから行きやすい。
沼津駅前にはシネコン一つ、そして今日初めていく「ジョイランド沼津」がある。
観てないのは『5デイズ』。
『スリーデイズ』『4デイズ』そして『5デイズ』となんだか紛らわくも揃って三作品、それも去年9月終わりからバタバタっと同時期に始まり、何を観たのか観ないのかわからんうちに、映画祭ラッシュになり『5デイズ』だけ観逃したままだった。
トコトコ出かけた映画馬鹿な私。
ちなみに『スリーデイズ』は、去年9月下旬公開。ポール・ハギス監督がフランス映画『すべては彼女のために』のリメイクでラッセル・クロウ主演。
『4デイズ』も9月下旬公開。サミュエル・L・ジャクソン主演のテロリストとの攻防を描いたサスペンス。
さぁ、行った甲斐あったか? あった! すごい作品だった。 もちろんパンフレットを買った。
『5デイズ』レニー・ハーリン監督/アメリカ/去年10月公開
2007年、イラク。
アメリカ人フリー・ジャーナリストのトマス・アンダースは、バグダッドの市街戦で恋人を亡くし、大きな失意を感じていた。
一年後、再び戦場に戻る決意をしたアンダースは、グルジア共和国の首都トビリシへと飛び立った。
当時のグルジアは南オセチア独立問題が元で、ロシアとの対立が激しくなって来ていた紛争地帯だ。
戦場カメラマンジャーナリスト仲間たちも同行し紛争地帯に向かう……。
これはもうDVDになっているが、大画面で観たい作品。
グルジアが全面協力しているってのもわけあり(この紛争の最初の手出しはグルジアじゃないかと言われている)なんだけど、兵器、人、空間はグルジアの協力なしではできなかったスケール。
CGは一切なし!
当たり前だが、たくさ~ん出ている兵士や民衆は本物人間ってことだ。
監督の力はもちろんだが、撮影監督の腕に敬服した。
もうどこの映画館でもやらないと思うが、やっていたら是非是非観ていただきたい。
一度、私もDVDで見て、ほぼ同じ感覚で見られたらスタッフ日記でお知らせしたい。
さてさて、映画館の話をしなきゃ。
「映画館のない熱海など老後住めないわ」
と思っていたが、住める!と分かり嬉しかった。まあ、この映画館のある限りだが…。
映画館の雰囲気は、かのツァイ・ミンリャン監督作品『楽日』の舞台になった映画館を小ぶりにした感じ……と言って「あ~、わかった」と分かる方は是非一度行ってみてください!と言えない沼津の遠さよ……。 大森キネカとも、月一ぐらい行ってる岐阜・柳ヶ瀬ロイヤル劇場とも違う雰囲気。
しかも、やってる作品は渋谷単館系の作品が一ヶ月遅れぐらいでずらりと上映している。
下手すりゃ名古屋のが遅いぐらい。
『ピアノマニア』『痛み』『顔のないスパイ』
そして昨日、渋谷アップリンクの試写で観たばかりの『プリピャチ』の資料も紐をかけてぶら下がっていた。
支配人さんか経営する方が試写を観に来てらしたのかなぁ…などと思うだけで堪らなく嬉しかった。
※カウンターがあり、菓子やパンフレットや飲み物が注文できるようになっていたので、ホットコーヒーを注文したが「アイスコーヒーしかありません」 えっ、えっ、えっ、この寒空に?!
「渋谷フォーエバー21/いま話題の5階建てファッションビル」でトイレを探したが見つからず、訊いたら「トイレはございません」と言われた時と同じくらい驚いた。
あ~、でもこの感じも『楽日』に通じる…と許せた果報な一日だった。
(美)
4日 「旅人の夜 第19夜 常見藤代のアラビアンナイト!」のイベントに行ってきました。会場は新宿・百人町にある Naked Loft というライブハウス。百人町には以前にも増して韓国のお店がいっぱい! 早めに着いて、ハッピンス(トッピングが楽しい韓国のカキ氷)と韓国の伝統茶の写真に惹かれて、静かな韓国風喫茶と思われるお店に入ったら、なんと、若いイケメンDJがいてK-POPを映像で見せている賑やかなお店でした。あっけにとられながら、Naked Loft へ。ライブハウスには、ほとんど行かないので、こちらも独特の雰囲気にどきまぎ。写真家・常見藤代さんのアラビアンナイトは、彼女が中東各地で撮ってきた写真や映像を見せながらお話する3時間にもおよぶイベントでした。中でも、チュニジアの小さな町で7日間続いた結婚式に密着した映像は圧巻。花嫁が足のムダ毛を取ってもらっている姿を「顔は写さないでね」と言いつつも撮らせてくれたのは貴重です。キャラメル使って取ってる~!と、レバノン映画『キャラメル』を思い出しました。思えば、常見さんとは最初彼女の写真展で少しお話しただけだったのですが、その後、アラブ映画祭で再会してお友達になったのでした。
そのアラブ映画祭も途絶えてしまったのが寂しいですが、次号シネマジャーナルの企画として昨年の中東・イスラーム絡みの映画の★取り表を中東好きの読者や、映画をまんべんなく観ている(美)さんなど10人にお願いして作ってみました。それぞれちょっとずつ評価が違って、映画は観る人によって受け止め方が違うなぁと楽しいです。
いよいよ次号84号の編集まで、あと1週間! 切羽詰らないと書けない性格。まだ峠を越えていません。次号の特集は2011年度のベストテン。読者やスタッフから次々寄せられるベストテンに、あ~こんな映画もあった、あれも面白かった、これは観てみたいと、校正しながら思いを馳せて、さらに自分の原稿が進まない・・・ 試写を観にいく時間があったら原稿を書けよと言われそうなのですが、この1週間にも何本か観にいってしまいました。その中で、今年の私のベストテンに間違いなく入る作品が2作品も! ケン・ローチ監督の『ルート・アイリッシュ』と、もう1本はブルガリア出身ステファン・コマンダレフ監督の『さあ帰ろう、ペダルをこいで』。後者は滅茶苦茶好みの映画でした。共産党時代、体制に嫌気がさした父親に連れられてブルガリアからドイツに亡命した男の子。成人して、父親が突然ブルガリアに帰ろうと車を走らせた時に事故で両親は即死。本人は記憶喪失に。ブルガリアから駆けつけた祖父とタンデムでブルガリアを目指します。バックギャモンが祖父と孫を繋いでいます。オスマントルコ時代を彷彿させられる街並みも素敵でした。何度も観たくなる映画でした。『ルート・アイリッシュ』についても、書きたいことがいっぱいあるのですが、いずれ作品紹介で!
(咲)
26日 早起きして、【鉄旅オブザイヤー】授賞式の取材へ。『僕達急行 A列車で行こう』(森田芳光監督)に出演している村川絵梨さんがプレゼンターとして登壇するということで案内をいただいた次第。会場は大宮の鉄道博物館。若い頃、全国津々浦々鉄道を乗り回して旅していた身。これは行かねば!と。 遠いし、ほかに物好きはいないだろうと思ったら、山好きの(暁)さんも山に行くのに夜行列車や鈍行列車を愛用していたと手をあげてくれて、道連れができました。
【鉄旅オブザイヤー】は、2011年に新青森から鹿児島まで新幹線がつながったのを記念して、旅のプロが企画する鉄道旅行商品を作品と捉えて、魅力ある作品に賞を授与しようという試み。天災からいち早く復旧した鉄路が、観光を通じて被災地の復興に果たした役割にも思いを込めての催しでした。16社90作品の中から5作品が最終審査に残り、〔人気列車でめぐる!九州一周〕〔ブライダルトレイン in ひたちなか海浜鉄道〕〔あけましておめde鈍行列車のお正月〕〔がんばろう三陸復興応援ツアー〕をおさえてグランプリに輝いたのは、〔怪奇!!トロッコ列車 京都保津川2時間サスペンス〕というJTB西日本による作品。通常昼間に運行されている京都嵯峨野のトロッコ列車を夜間に走らせ、保津川の暗闇を舞台にパフォーマンスや怪談を楽しむというコンセプト。企画した佐々木寛子さんと宮地広樹さんの二人が関西風のコント仕立てで企画内容を発表してくださって、会場が沸きました。
授賞式終了後、この日プレゼンターとして活躍した村川絵梨さんにインタビューの時間をいただきました。実は、『僕達急行 A列車で行こう』は未見。その立場でお話を伺うのは申し訳なかったのですが、急逝された森田芳光監督の思い出や、映画のみどころなどを伺ってきました。森田監督が長年あたためていた企画で、撮影現場ではとても楽しそうにされていて、「シリーズ化したい」「次は北海道に行こう!」などとおっしゃっていたそうです。村川絵梨さんは、松山ケンイチさん演じる小町を“少し好き”という役どころ。「今後の展開として、“少し好き”が、ちょっと好き、かなり好き、死ぬほど好きとエスカレートしていくのがいいねと監督と話していたのですが・・・」と残念そうでした。映画の仕上がりは、台本で読んだ時よりも何十倍何百倍も面白かったそうで、観るのが楽しみです。
インタビューを終えて、授賞式記念の特製駅弁をいただいたら、もう2時近く。後の予定があったので、目的だった(!!) 鉄道博物館は15分程で大急ぎで駆け巡りました。実際にいろいろな車両に乗ってみることも出来て、中でも感無量だったのは高校時代に乗っていた南武線の木の床の車両! 受験勉強をしながらの長距離通学で、毎日のように出会ったアメリカンスクールの生徒たちのことなどを懐かしく思い出したひと時でした。
(咲)
16日(月) 1時 京橋で『フラメンコ・フラメンコ』の試写。早く観たかったのに、最終試写に駆けつけることになってしまいました。スペインに旅した時に見た観光用のフラメンコと違って、歌や踊り、ギターやピアノの演奏など、フラメンコの真髄を21幕で描き出した重厚な作品でした。ひたすら舞台を写していて、いつしか夢の世界へ・・・。あとで資料を確認したら、半分くらいの幕が記憶にない! (暁)さんとシネジャで“こんな映画で私は寝てしまった”特集をしたいねとよく話しているのですが、これも該当作品になってしまいました。
3時半からの試写があったのですが、今日は寝てしまいそうとやめて、銀座三越で<新刊刊行記念「猫のくすっ」榎木孝明とねこ・色いろ展>をゆっくり見てきました。可愛い猫のスケッチがいっぱい! 猫の気持ちになって榎木さんが書いたコメントも楽しかったです。ほかに最近の作品では、映画 『源氏物語−千年の謎−』の撮影の合間に描いたものも。(うっ 映画をまだ観ていない・・・)
夜6時、これまた楽しみにしていた『ピラミッド 5000年の嘘』の試写へ。 久しぶりに(暁)さんと一緒。「寝てしまいそうな映画ね」と話しながら見始めたのですが、早口のナレーションについていくのに必死で思いのほか寝ませんでした。ピラミッドのあの大きな石をいかに積んだかの謎に迫る話かと勝手に思っていたら、ピラミッドに終始せず、話はイースター島やペルーの地上絵などにもおよびました。それらも含めてぺトラ(ヨルダン)、ペルセポリス(イラン)、モヘンジョダロ(パキスタン)、アンコールワット(カンボジア)など世界の名立たる遺跡が赤道と30度傾いた位置に並んでいるのは何故かと検証していくのですが、あまりに説明が早くて理解しきれませんでした。でも、中に「洪水が世界を滅ぼす」という言葉があってドキッ。もう一度、書物で解説を読みたくなる話でした。
映画が終わって、餃子好きの(暁)さんを餃子の美味しい店に案内し、ささっと食べてユナイテッド・シネマ豊洲に『アコースティック』の舞台挨拶取材へ。夜遅いのはちょっと・・・と思いつつ、ららぽーと豊洲に行ってみたいのと、K-POPの新星「2AM」のイム・スロンくんを見てみたいと欲を出した次第。2PMじゃなくて、2AMなんだ〜というくらいの知識でお恥ずかしいのですが、イム・スロンくん、すらっと背が高く好青年でした。音が武器となり音楽が消えてしまった30年後の未来に、音の研究をしている大学生を演じたイム・スロンくん、「2AMのほかのメンバー2人にどうだった?と電話したら、30秒位ずっと笑ってました」という発言から、楽しそうな映画のようです。(映画は未見なのです・・・)
(咲)
今年二度目の東京映画ウィーク。(名古屋から青春切符で)
ほぼ一日中、六本木に居座り映画デー。
まず、大目的の『ブラックサンデー』ジョン・フランケンハイマー監督
わけありで劇場未公開のため、「午前10時の映画祭」は95%の入り。
それもTOHOシネマズ六本木ヒルズの一番大きなスクリーン2だから相当な数。
○ひと言感想:鳥肌もの! 観に来た甲斐があった!
それからシネマート六本木へ、ここで3本。いつものNさんから野菜ぎっしりのサンドウィッチいただく。
中目的の韓国版『白夜行』 ハン・ソッキュ目当て・・・だけど少し油が抜け過ぎでいた・・・ファンは絶対やめない!けどね。公平に見て日本版の方がわかりやすく迫力あり。
これも中目的。ナデリ監督作品『CUT』「映画は昔、娯楽であった!」の言葉をかみ締めた。
痛い映画と聞いていたが、この監督の映画に対する強い強い愛情を感じた。今の映画界に問いかけたい気持ちを、俳優・西島にたくしたと感じた。感動!
常盤貴子・・・もっさりした女を演じていたが、そのゆっくりもっさりが効いていた。
『テトロ過去を殺した男』 これはついでに観た映画だったが、終盤がよかった。
『今日と明日の間で』これは余力があったらと思ったが、ありそうなので銀座へ。5本目。ちょっぴり眠ったが、自分の身体を厳しく管理する首藤康之の真剣さに頭が下がった。
試写『昼下がり、ローマの恋』 イタリアお得意の「恋愛マニュアル」系で、3つの章にわかれている。最後の章、デ・ニーロ&モニカ・ベルッチ甘酸っぱさとトキメキがいい具合に混ざり合っていた。
銀座スバル座で『善き人』1930年代、ベルリンの大学で教鞭をとる文学教授ジョン・ハルダーは数年前に書いた不治の病に侵された妻を夫が安楽死させる内容の小説をヒトラーが気に入り、同様の「人道的な死」をテーマにした論文を書いてほしいという仕事を断りきれなかった。イギリス、ドイツ合作映画だが英語だったので少しがっかり。描かれ方は他のナチス映画と比べると地味だが、内容は深い作品。驚くことに『冷たい熱帯魚』にも使われた楽曲が出て来た。
銀座からテクテク京橋のフィルムセンターへ。
『惜春』木村恵吾監督/1952年/よみがえる日本映画
安月給とりの藤崎は、流行歌手のブギの女王の妻に頭が上がらない。美男代表の上原謙と笠置シヅ子が夫婦という設定に違和感あり?と思わせないところが面白く、今日の中では一番の儲けもの。この作品で、ナデリ監督の言葉がよみがえった。
妻が一ヶ月の公演に留守をするので、手伝いばぁさんを雇うが、ばぁさんが来て「急にできなくなったので、身元の確かな人を連れてきました」と変わりにきたのが、近所に住む未亡人・たか子。
日頃、何もかまって貰っていない藤崎は「ご主人さま」と温かい扱いを受け、次第に……。
今日の最後は試写『フラメンコ・フラメンコ』。はじめこそ、おぉ~っと見とれていたが、フラメンコばっかしで(当然なんだけど)少し寝た。でも知らなかったフラメンコ・ピアノを観られたのでよかった!
2台のピアノの一つは普通に、もう一つは蓋を取ってやっていた。『ピアノマニア』じゃないけど、きっと音の響きの違いを出したかったんだと思った。
試写『ピナ・バウシュ 夢の教室』故ピナ・バウシュ先生はチェーンスモーカー。
『トーク・トゥー・ハー』の最初の場面で踊っているのがピナ・バウシュご本人と聞いて名古屋に帰って、DVD屋に駆けつけたが貸し出し中だった。
たまには大衆演劇もいいかなと思い(白)さんのお誘いにのって「新春・劇団花吹雪」を見に、浅草の木馬館へ行く。出し物は「残菊物語」。内容はばっちりわかっているが、どう大衆演劇で表現するのか楽しみ。
映画だと疲れないけど、長いと眠くなるかな・・・と心配したが、幕が多く、その間におしゃべりできるから楽だった。
芝居が終わったので、歌や踊りはいいから、もう帰ろうと声をかけると「もったいないわよぉ~」と言われては帰れない・・・我慢?して見ることに。
帰らんで いがっだ!! 大音響の中、カァーッと照らされた照明の元、浮かび上がる、いい男!!! この二人、この姿見ずして帰るなんて、すし屋のカウンターで、おにぎりたべてかえるようなもの(変な譬え)。 白さん、ありがとう! いただいた写真を添付しますから、皆様たっぷりごらんください。
また、誘ってくださいね。
罰があたりそうな、私の幸せ正月東京ウィークはこの日で幕。
(美)
かつて勤めていた会社の同期入社のお友達と下高井戸のフレンチレストランでランチ。市場などを覗いて、またお茶して散々彼女とおしゃべりして別れた後、いつもシネジャの販売をお願いしている下高井戸シネマへ。バックナンバーの売上精算を待っている間にやって来たご老人の男性二人。顔馴染みらしく、支配人さんに「今、何やってるの?」と聞いて、「次の回は、これ」とポスターを指差され、「それはもう観ちゃったなぁ。じゃぁまた」と帰って行かれました。下高井戸シネマでは、一日に何作品かを時間変わりで上映しているのですが、こんな風にふらっ~と寄れる映画館が近くにあるなんてうらやましいなぁと思いました。ちょっと前に公開された単館系の映画がかかるので、見逃してしまった作品や、もう一度観たい作品を観られるのが嬉しい映画館です。(支配人さん、素敵なラインナップをありがとうございます! そして、シネジャを販売してくださって、ありがとうございます!)
下高井戸シネマで、2月18日(土)から24日(金)の1週間、『エクレールお菓子放浪記』が上映されるのですが、支配人さんから近藤明男監督が先日いらして、期間中に4回ほどトークを行うことが決まったと伺いました。近藤明男監督インタビューを掲載したシネジャ81号や、脚本とスチールで関わった泉悦子の「見たり読んだり働いたり日誌:エクレールとフランスと大震災」を掲載した82号も下高井戸シネマで販売しています。館内で閲覧できますので、ぜひ手にとってご覧ください。
そういえば、下高井戸シネマには、ずいぶん前に母と『ナイルの娘』(1987年/ホウ・シャオシェン監督)を観に行ったことがありました。戦前、台湾に住んでいた母に、台湾映画だからと誘って行ったのですが、予告編の間に母は寝てしまい、途中で何度か起こしてみたのですが、結局最後まで母は寝ていて、「もう終わったから帰りましょ」と起こして映画館を後にしたのでした。「まぁ~ 何しに来たのかしら」とつぶやいた母を思い出します。今日1月15日は母の誕生日。あと4ヶ月頑張ってくれれば84歳をお祝いできたのにと、涙です。
(咲)
皆さま、新年いかがお迎えでしょうか?
2011年は、大震災のあと世の中も落ち着かず、個人的にも悲しい別れの続いた年でした。2012年が幸多い年になることを祈るばかりです。
本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
2日(月)今年の初詣も恒例の府中・大國魂神社へ。随神門の改築工事も終わって、境内もすっきり綺麗になっていました。去年の1月2日には、足元のおぼつかない母を拝殿まで無理矢理歩かせてお参りしたのを思い出しました。それでも元気だったのに・・・と涙。
5日(木)『マイウェイ 12,000 キロの真実』が1月14日(土)から日本全国で公開されるのを控えて、韓国から再びカン・ジェギュ監督とチャン・ドンゴンが来日し、<公開直前ヒット祈願イベント>が開かれました。昨年12月19日にも完成披露記者会見に参加したので、まぁいいっか~と思いつつ、会場が「ザ・ペニンシュラ東京24F スカイルーム」というのに惹かれて行って来ました。24階からの眺めを期待していたのですが、記者会見のセッティングのために外は見えず・・・ お手洗いからだけ日比谷公園や汐留方面を眺めることができました!(逆光で素晴らしい眺めを披露できず残念)
3度目となる記者会見で、オダギリジョーも開口一番、「こう何度も会見をすると何の発表があるのかと。特に何もないです」と発言し、会場の笑いを誘いました。それでも30分程の質疑応答が続き、その後、書き初めのパフォーマンスが行われ、新年の気分満開の記者会見でした。(会見の模様は特別記事で!)
さて、この日、オダギリジョーのユニークな髪型と、チャン・ドンゴンの脚がすごく細いことが印象に残りましたが、何より気になったのが、美しい地模様の白いチャイナテイストの上着がよく似合うザ・ペニンシュラ東京の若いボーイさん。きびきび動く姿も美しく、思わず写真を撮ってしまいました。(彼の後姿をご披露します!) あ~今年は香港のペニンシュラでもお茶したい!
(咲)
1月2日(月曜)
元旦は寝て、食べて、ラジオを聞いて、温泉入っての繰り返し。
二日はどうしようかと迷っていたが、やはりムラムラと映画に行きたくなった。
5時半に起きて朝風呂に入り身を清めてから、徒歩15分の熱海・来宮神社に初詣。
一人で意識的に行ったのは生まれて初めて。その近くの来宮駅から東京・渋谷に出る。
今年最初の映画は、これと決めていた。
★『ミッション:インポッシブル /ゴースト・プロトコル』ブラッド・バード監督/アメリカ/フッテージ試写をみせていただいたが、全部観るのは初めて。
仲間うちの評判も良いので待ち遠しかった。文句なしにスカッとした。砂嵐場面に津波?と思ってしまったし、アクションはもう<ありえない>連続だったが、うきうきしながら楽しんだ。
会場は渋谷TOHOシネマズ。入りは80%。若い男グループが多く、夫婦連れ、恋人同士の順の観客層。私は3Dじゃないところが気に入っている。
※最後トムと恋人はアイコンタクトだけで、つかの間の再会で終わっちゃうから切なかった…ホロリ。
渋谷の初売りの人混みを走って、1時から、シアターN。入場券を買ってから、近くのラーメン屋へ。
★『オジー降臨』マイク・フレイス、マイク・ピシテリ監督/アメリカ
ここの劇場で映画の写真とバッチを貰った。
オジー・オズボーンの40年に渡る音楽生活や私生活、異常なまでのドラッグとアルコールを摂取にした時代を、ほとんどご本人の語りで振り返っていた。 私はこの方面には詳しくないが、いろんな意味でとっても凄い人。何回も失意を味わうが復活しているのは、ただ運が良かったではないと感じた。 60歳以上の彼は、ポール・マッカートニーもそうだったように、若いときと同じキイで歌っていること。発声練習風景が2度出てきたが、理にかなっていた。舞台の前は今でも緊張するらしく、その様子は観ていて微笑ましいとさえ感じた。
次の映画は3時前だ。渋谷ユーロスペース。一生懸命走る!
★『ブリューゲルの動く絵』レフ・マイェフスキ監督/ポーランド、スウェーデン
16世紀のフランドルの夜が明け、農村の一日が始まる。若夫婦は仔牛を売りに出かけ、岩山の風車守りの家族は風車を回し小麦を挽く。だが、のどかな村の様子とはうらはらに、支配者は異端者を無惨に迫害していた・・・。
○あ~、アートな作品! 山の頂上にある風車の操作で、絵の中に描かれた人々が動き出す。もったいなくも、うとうとしなが観た。ブリューゲルさんに叱られるが、本当に気持ちよく寝られた・・・時々起きても同じ雰囲気なので、安心してまたうつらうつら。
ランブリング・マリア様が睨んでいたみたい。
5時前、同じビルのシネマヴェーラへ。「映画史上の名作」を上映している。2本立てで入れ替えなし1000円
★『リリー』チャールズ・ウォルターズ監督/アメリカ/1953年
父親が亡くなり天涯孤独になった少女リリーは、父親の友人を頼りに都会に来たが、頼りの男は死んでいて、路頭に迷っていたところ人形劇グループに拾われた。そこで繰り広げられる心優しい人々の交流が素直に描かれていた。
○レスリー・キャロンは個性的な女優さん。メル・ファーラーは上品な男優さんだった。
フィルムの状態や日本語字幕が見えにくいなどの難はあったが、それを上まる映画の良さで解消。
そこに東京映友・Nさまからメールで「いま、ロビーにいます。渡したいものあるから・・・」と私のスケジュールを知っていて来てくださった。この方には去年、金欠の時に食べ物でいろいろ助けてもらった思い出がある。 案の定、ご実家製の丸餅と豆餅をいただく・・・もういただくのが癖になってしまった。
その後、家で焼いて食べてびっくり。ふんわりした餅と豆の香ばしさが・・・たまらない美味しさだった。ありがとう!サンキュー、シェシェ、Nさん!
★『欲望という名の電車』エリア・カザン監督/アメリカ/1951年
ニューオリンズの裏町。妹のところに身を寄せようと訪ねて来た気位の高い姉の(一度結婚に失敗し、孤独な女性、おまけに精神不安定)ブランチ。
妹の夫は労働者風情のため、お互いに気が合わず、すぐにいさかいが始まる。
妊娠中の妹は板挟みになり気が休まらない。そんな生活の中、ブランチは再婚相手を探して次の人生に望みをかけるが…。
○これは一度観たことがあった。でもじっくり堪能した。こんなに美しいヴィヴィアン・リーでも過去があり、若くなければ、こんなあつかいを受けるなんて・・・。今じゃ、考えられない。切ない映画だったけど、初映画デーのチョイスとしてはまずまずの1日。
「これから、一年がんばりぞぉ~」って雄叫びを、渋谷のスクランブル交差点であげたい気持ちになった。
(美)