北米プレミアとなる夜の公式上映の日の午後、作品について、韓国映画の日本での広報について、そして今後について語っていただきました。
シネマジャーナルではまだ「韓流」という言葉が一般的ではなかった2000年以前のデビュー作である『クワイエットファミリー』から監督の取材を続けています。読者にもその作品ファンの多い特別に親しみのある監督です。
(注)記事には作品の内容が含まれています。特にエンディングについてかなり具体的に解説してくださっていますので、ご了承の上お読みください。
Q:韓国封切り前には映像物等級認定の検閲で部分的に削除しなくてはなりませんでしたが、昨日のプレス試写でノーカットのオリジナル編集版を見てきました。「わさび」を抜かない「寿司」になっていましたね。ストーリーラインとか感情の変化には影響がなく、映像だけ強烈になったように見えました。監督のお考えを聞かせてください
A:私もそのことが映画に大きな影響を与えたとは考えていません。ただ、観客に与える映画のリズムや味わいというのが少しだけ変わったのかなと思います。
Q:ここ数年は監督の作品が本当に多くの海外の映画祭へ招聘されて、外国の観客やメヂィアの間で好評を得ていますね。この作品が韓国で厳しく検閲されたことによって、たくさん思うところがおありになったと思いますが、次の作品は外国で制作したいという気持ちが高まりましたか?
A:具体的な予定はまだ協議中ですが、韓国での映像物等級審査での苦労が理由というだけではなく、どんな製作者や監督でも自分の作品がより広い世界を舞台としてより多くの観客に見てもらいたいという願望があります。
Q:この映画では残酷シーンを見せることが目的ではなくて、主人公たちの感情の変化を見せることに重きを置いて描かれましたね。
A:この映画を作る際に、もし自分がこの映画の主人公と同じ立場であったらということを考えることから始めました。それからこの映画では、一人の男のとても残酷な復讐について表現したかったのです。主人公の内面にある傷がどれほど大きく苦しいものなのかを表現することで、その残酷な復讐の意味を描きだしました。
Q:エンディングに関して、記者個人の見解ですが、受け入れるのが難しく、たくさん疑問があります。罪の無い犯人の両親と息子にどうしてこれから生きている間消えない苦しみを与えなくてはならなかったでしょうか?犯人は死んでしまって苦しみを感じることはなくなりました。結局苦しみが続くのは、残された家族とスヒョンだけになってしまったのでないですか?
A:この映画は一人の男の悲しみについての物語です。この映画ではやられた分だけやり返すというのが復讐の目標になっています。死んだ人よりも残された人の苦しみをキョンチョルに知らしめるというのが目標だったのです。
しかしこの映画のアイロニーは悪魔を捕まえるためには自分自身が悪魔にならざるを得ないということです最後の場面でキョンチョルに暴力的な苦しみを与えたのは,何をしてもこれ以上なんの意味もないと (スヒョンが) 考えたからなのです。家族の前でキョンチョルを殺したのは、まさにスヒョン自身が悪魔になった瞬間だったのですが、悪魔を捕えるためにはスヒョン自身が悪魔にならなくてはいけなかったということを表現したのです。最後の部分でスヒョンがキョンチョルに「恐ろしいか?怖いか?自分という者がどんな奴かわかったか?」と聞いたとき、自らキョンチョルに最後に質問することで悪魔と手を結ぶのではなく処刑することを願ったのに、キョンチョルはそれを拒否する結果になったのです。そして最後に「俺はお前が死んでも苦しんでほしい」というのは、それまでのようなキョンチョルに対する脅迫ではなく、どうすることもできない呪いにならざるを得ないというか….言い換えれば自分がキョンチョルを処刑するためには、悪魔になるしかないという呪いなのです。
それから題名の『悪魔を見た』というのは、キョンチョルの意味とスヒョンが復讐の過程で悪魔に変わっていくという2つの意味があります。またスヒョンの復讐を通して感じられる、誰しもが自分自身の中に持っている悪魔性という意味もあります。
Q:もし私がシナリオライターであったら、キョンチョルの家族を殺してキョンチョルの残りの人生を苦しいものにしたいと思うのですが。
A:私もそのようにも考えたのですが、残りの人生に長く続く苦痛というよりは、キョンチョルを処刑するほうがむしろ映画として薄暗いイメージが少なくなると感じてこのようなエンディングにしました。エンディングではキョンチョルをどのように処刑するかがポイントでした。
Q:いままでの監督作品の日本での宣伝について、率直かつ正直な感想を聞かせていただいてもよろしいですか?
前作の『Good Bad Weird』も今回の『悪魔を見た』も有名な韓流スターをキャスティングしているので、日本のマーケットでの商業的な利害も考慮されていて仕方がないともいえます。でも、日本には、質の高い作品重視の映画マニアがたくさんいるのに、今の韓流スターの人気という側面を強調したプロモーションでは一部の観客だけしか映画館に呼べていないのではないかという不安を感じます。
A:今のようなプロモーションで一時的に観客を集めることはできるでしょう。しかしそのせいで、実は映画というのはその内容が大切なのに、韓流スターが出演している映画があたかも韓国映画の代表作であるかのように紹介されています。それは韓国映画を(本質から)遠いものにしてしまう理由であるように思います。それから韓流スターが出演している映画が高く売れるので、悪循環を作り出してしまうのでしょう。本当の映画ファンを失ってしまう状態になってしまうのです。
Q:韓流スター人気を前面に出さないで、監督が前面に立って来日し、作品重視のスリラー&ホラー映画マニア向けにもプロモーションしたり、また『悪魔を見た』と似たような残酷スリラー映画の監督と対談したりするのはいかがでしょう?
A:ははは。。。それはだめですよ。僕は怖い映画は苦手だから。。。
Q:イ・ビョンホンさんとは 撮影過程でどういう会話がありましたか?
A:今回のような役は、自分の内面にある残酷性などを表面に出して表現しなくてはいけない。自分の感情を一番高い水準で表現しなくてはいけないです。その演技を3ヶ月の間維持しなくてはならなかったのは、本当にたいへんだったと思います。彼はこの映画の復讐という部分を痛快だが、血が通っている復讐であると理解していました。
Q:イ・ビョンホンさんが、監督といつか恋愛映画を作業したいと希望しているのはご存知ですか?どういうストーリーを考えてあげたいですか?
A::シナリオも何も無いし、撮影の時期とかまったく決まっていないけれど、タイトルだけは決めましたよ。
Q:タイトルだけ教えていただいてもよろしいですか?
A:『サランヘヌデ』愛したが。。 (通訳:We loved once.)
唐突な発言に驚いてしまいましたが、また二人の共同作業があるかもしれないことが、嬉しくて期待が高まります。
撮影の片付けをしながら雑談しているときに、「イ・ビョンホンさんが、いつまでたっても日本でアイドル的扱いを受けているのが少し残念です」とつぶやいたら、インタビューの間、どんな質問にも大げさな反応を一度も見せなかった監督が、大きく3回頷いて「彼は演技者だよ」と静かにおっしゃったのが印象的でした。
どちらの映画も一日も早く日本で公開されるよう祈っています。 ありがとうございました。
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(取材/文 : 祥)