2007年1月16日(火)14:30〜14:45 於 都内ホテル
『チャイナ・フィナーレ/清朝・最後の宦官』 (1987)では宦官の悲哀を、『黄昏のかなたに』(1989)では母娘の確執と老いらくの恋を、『籠民』(1992)では、人一人しか寝れない籠の中で暮らす最下層の人々を、『女ともだち』(1997)では、男を拒否し女性だけのコミュニティ(自梳)で生きる女たちを、そして『流星』(1999)では、香港の片隅で身を寄せ合って暮らす人たちを描き、常に社会の底辺で生きる人たちへの暖かいまなざしを感じさせてくれた張之亮監督。中国・香港・日本・韓国の映画人の力を結集して作り上げた『墨攻』は、これまでの作品と違って、スケールの大きな作品だが、監督の目線は、やはり権力者に翻弄される底辺の人たちに向けられている。
張之亮監督には、1992年秋の第5回東京国際映画祭で『籠民』を観て、感銘を受けた直後、香港電影通信主催の香港電影旅団に参加して香港に行った折り、帰国する日に啓徳空港で偶然お会いしたことがある。団長の篠原弘子さんのたまたま隣に立っていたお陰で、一緒に写真まで撮らせていただいた。まだ九龍城のスラムがある頃で、空港から九龍城を眺めながらお話したのが、つい昨日のことのように思い出される。監督が来日されるとお聞きして、是が非でもお会いしたいと思っていたところ、15分という短い時間ながらインタビューのお時間を頂くことができた。監督に14年ぶりにお会いできたことをお伝えすると、ほんとに嬉しそうな笑顔を見せてくださった。
これまで日本で上映された監督の作品は、ほとんど拝見していますが、どの作品も社会の弱者に対する眼差しを感じて、とても心が温まるものでした。今回の『墨攻』も、墨家の攻撃を仕掛けられても戦いを好まず、平和共存を求める思想を取り上げていましたが、監督がこうした社会的に立場の弱い人たちに目線を向けられるきっかけになったような具体的な出来事や、作品があったのでしょうか?
監督:まず、私は自分自身を有名人でもなんでもなく、ほんとに小さな小さな人間だと、いつも思っています。映画についていえば、映画は普通の人々の気持ちをテーマにしている場合がほとんどです。人間は万民平等だと思います。王様や大統領であっても、彼らは確かに権力を持っていますが、人間であることには変わりがなく、喜怒哀楽があります。歴史的な大事件が起こった時、彼らはよく、自分の力でそれを制御し、歴史を変えることができると思うのですね。でも、実際は変えることなどできない。結局歴史に翻弄されたりします。そういう風に考えると、人間はどうしようもなく、皆同じだと私は思います。
映画や演劇で何かを見せようとする時、矛盾に満ちている人間の喜怒哀楽を見せないと面白くないと思うのですね。私の映画を観てくださるのは、ほとんどが庶民の方。私と同じように小さな人たちです。王様や大統領のような人が、私の映画を観る機会はほとんど無いと思います。ですから私が映画を作る時には、私と目線が同じ高さにいる人たちの気持ちを感じ取って、彼らに自分の気持ちも伝えたいと思います。そういう意味でいうと、私の映画はおっしゃるとおり、常にこういう視点になってしまう。これは今後とも変わらないでしょうし、私の映画に共通した部分だと思います。仮に将来、王様や大統領に見せるための映画を作る機会があったとしても、このやり方は変えないと思います。これを見せて、これがまさに民衆の姿だということを見て貰いたいです。
私もまさに、今の世界を乱している権力者に観てもらいたいと思います。
ところで、映画は国境を越えると言いますが、今回の『墨攻』は、中国、日本、韓国、台湾とさまざまな人たちが関わって、まさに国境を越えた作品となっています。言葉や文化の違う人たちとの映画製作で、どんなことが楽しかったですか?
監督:個人的には、私は映画の現場さえできれば嬉しい。大きなプロジェクトだから嬉しいというのではなく、どんなに小さなプロジェクト、例えば『流星語』(日本公開タイトル『流星』)のような小さな作品でも同じです。とにかく映画の現場に行くことさえできれば、それだけで満足で嬉しいのです。映画が大好きですから。
『墨攻』に関して言えば、重大な意義を持っています。約11年間この映画の準備をしてきて、その過程の中で夢がだんだんと実現し、この作品が生まれたわけです。私にとっては映画を作る時、投資が大きくなっていって、製作が大きくなって、そうするとたくさんのお金で日本のスタッフを誘うとか、韓国の俳優を誘うとか、そういうことができるから嬉しいというのではないのです。最も嬉しかったのは、日本、韓国、香港、台湾、中国とアジアの映画関係者が結集して、共通の理念を持って製作できたということです。 私たちは、平和が好き、戦争が嫌いという同じ理念を持っています。要はこういう映画を作ることによって、それぞれの国の政府にも観てほしい、それぞれの国民が、「戦争は嫌いですよ」という考えをで持っていることをくみ上げてほしい。そういう気持ちを映画を通して伝えたかったのです。
合作の過程においては、色々な人と言葉は通じないけれど、映画という共通の言葉を持っています。今後こうしたプロジェクトがどんどん生まれることは、アジア映画の発展に良いことだと思います。ハリウッド映画だけが大きな市場を持っていると言われます。それは事実ですけれど、アジアの映画人が結集して、いつかハリウッドより大きな映画の市場を手にすることができるのではという夢を、実現していく第一歩だと思います。
監督は、一つの質問にたっぷり答えてくださって、あっというまにタイムオーバー。終了予定の時間が来てしまったことをお伝えすると、立ち上がって手を差し伸べ「今日はわざわざ取材にきてくださってありがとうございました」と丁寧におっしゃってくださった。
この後、写真を撮らせていただいている間にも、言い残したことがいっぱいあって、しつこく声をかけさせて頂いた。
私はレスリーが大好きで、中でも『流星』は一番好きな作品ですが、監督の作品だからこそです。何十回も観ました。
監督:多謝、多謝。実は去年になって、やっとあの映画を製作したときの借金を返しました。ほんとにレスリーは敬愛すべき人です。(監督の目がちょっとウルウルしていました。私も感無量!)
またモロッコなど中近東で撮らないのですか〜?
(モロッコで撮影した『夜間飛行』も、大好きな作品だと伝えたかったのですが、いきなりの質問になってしまいました・・・)
監督:撮るつもりです。でも多分イランになるとおもいます。
『籠民』に出演されていたヴィクター・ウォン(黄志強)さんに、92年に香港でお会いしたのですが、今どうされているのでしょう?
監督:お亡くなりになったと聞いています。
(黄志強(ヴィクター・ウォン)さんは、当時すでにかなりの高齢だったので、天の定めと諦めもつくけれど、思えば、『籠民』の黄家駒(ウォン・カークイ)、『夜間飛行』の梅艶芳(アニタ・ムイ)、『流星』の張國榮(レスリー・チャン)と、監督が主役に起用した名優たちは、若くして逝ってしまったなぁ〜としみじみ。)
いよいよお別れのときがきた。
「がんばっていい映画を作ります。またお会いしましょう。」「またお待ちしています」と、再度固い握手。そして、なんと、監督の方から「一緒に写真を撮りましょう」と声をかけてくださった。感激のあまり戸惑う私。
実は、インタビューの時間を頂けたのは、『籠民』でやはり衝撃を受けた宮崎さんの努力の賜物だったのだが、肝心の宮崎さんは都合がつかず、一人で光栄に預かり、申し訳ない思い。おまけに、宮崎さんが大好きな劉徳華(アンディ・ラウ)が私たちのインタビューを後ろから見ていたのだそうだ。私は監督に質問をするのに必死で気がつかず、後から梅木さんに聞かされてびっくり! という次第で、その一件は、梅木さんに筆を譲ります。(景山咲子)
インタビューはホテルのスイート・ルームで行われました。その室内はガラス戸でリビングとベッドルームに仕切られていて、わたしたちは、ベッドルームの方で監督へのインタビューを行ったのですが、監督がいらっしゃる前に、ガラス戸越しに隣で別の媒体からインタビューを受ける劉徳華の姿を見ていました。
監督へのインタビューが後半にさしかかったころ、誰かがこちらの部屋に入ってきた気配を感じていたのですが、監督のお話に集中していたので別に気にとめていませんでした。ところが、監督の最後のお答えに対して
「へぇ〜、そんな立派なこと考えてたんだぁ〜」(もちろん広東語で)
とちょっと茶化すような声が背後でしたので、驚いて振り向くと、そこにはアンディが笑って立っていました。ふぉ〜〜〜っ! 思わず持っていたカメラを向けそうになりましたが、まだ通訳さんが訳してくださっている最中でしたし、そこは大人な判断で我慢しました。インタビューが終わって、振り返って見回すも既に去ったあと。ちょっとラッキーなような残念なような瞬間でした。(梅木)
インタビュー・まとめ:景山、写真:梅木
2007年 1月16日、丸の内ピカデリーにて『墨攻』のジャパンプレミアが開催され、期待を寄せる満員の観客の前に、張之亮(ジェイコブ・チャン)監督始め、劉徳華(アンディ・ラウ)、安聖基(アン・ソンギ)、范冰冰(ファン・ビンビン)が登場! さらに、阪本善尚撮影監督も舞台挨拶に加わり舞台挨拶が始まった。
ジェイコブ・チャン監督 黒のタートルネックのセーターに、こげ茶色のブレザーで登場
「あまり長い話はしないでと言われているので」と手短な挨拶。「まず、原作者の森さんにお礼を述べたいと思います。2000年前の墨家の思想が受け継げられてきたことが嬉しいし、2000年後に作家(酒見賢一氏)が、この思想に感動し、森さんが漫画にしたことで、この作品に出合うことができました。映画化権を譲っていいただき、長年かけて出来上がった作品です。みなさんぜひ応援してください。戦争のもとでは英雄はいません。みんな被害者なのです。日本、韓国、中国、香港が協力しあって、この作品を作ったことに大きな意義があります。平和、非攻、兼愛の精神を広めましょう」
アンディ・ラウ(革離役) 白のシャツに黒のオーバーコート、頭にはベレー帽のような黒い毛糸の帽子で登場
「主人公の革離と姿形は全然違うけど、非攻を求める思想、タフネスぶりなど、私と共通点があると思う。撮影前には細かいところまで打ち合わせしていました。アン・ソンギさんとは言葉は通じなくても、心は通じ合っていたと思います」
司会の襟川クロさんが「帽子を被っていますが取ってもらえますか」というと、照れくさそうに帽子をはずし坊主頭が…。
アンディ「今、撮影している作品のために頭を剃りました。今、撮影している新作が出来上がるまで『墨攻』だけを観てください。そして、次はその新作だけを観てね。他の映画は観ないで!」と、アンディらしく、ユーモアたっぷりにアピール。
最後は「みなさん、愛しています」と、ファンにラブコール。
アン・ソンギ(巷淹中将軍役) 水色のシャツにチャコールグレーのブレザーで登場
「すでに中華圏で公開され好評を得ています。日本でも多くの愛情を寄せていただけると嬉しいです」
司会「革離に対して、敵ではあるけど共通したものを持った人物だと感じていたのでしょうか?」
アン「私が演じた巷淹中将軍は、威厳を見せるだけでなく、相手への気持ちを持った人物像だったと思います。それに惹かれました」「食事はいつもレストランでしていたけど、あるときアンディさんのチームが食事をしている部屋の前を通ったらいい匂いがしてきて、のぞいたら、入っていいよと言われ、仲間に入れてもらって一緒にご飯を食べたらとてもおいしかったんです。それから、なるべく食事を一緒にしました。言葉の壁はあったけど、これがきっかけで、うち解けることができました。今ではよき弟、友人です」と、撮影中のエピソードも披露してくれました。
ファン・ビンビン(逸悦役) キャットウーマンのような髪型にアニメキャラのような洋服で登場
「私が出演した映画で初めて日本公開されるのが『墨攻』で、とても嬉しいです。この映画を好きになってください」
司会「革離に思いを寄せてゆく逸悦ですが、どのような心情だったのでしょう」
ファン「古代中国では、女性の愛情表現は自由ではなかったと思います。革離に対しても、突然一人でやってきて、こんな敵の大軍に対してどう対応できるのかと最初は信じられなかったし、不安な気持ちを持っていました。でも、敵の大軍に対する対応を見て、信頼できる人となり、それが愛情に変わっていったのです」
司会「現代の女性としての、ファン・ビンビンさんの恋愛感はいかがですか?」
ファン「ストレートに愛を伝えて、かわされたら悲しいので、なんとなく好意に気づいてもらえるようにします」との答え。若いのに意外に古風な人でした。
阪本善尚撮影監督 シックなたたずまいのすてきなおじさまでした。シネマジャーナル42号で特集している『ユキエ』の撮影監督でもあります。
「アジアの映画人が集まってスケールの大きな映画を作ろうという思いから始まったプロジェクトです。2ヶ月に渡る寒いところの撮影。あまりの寒さにフィルムが動くのにも通常より多く時間がかかりましたが、その寒さの中で演技をする俳優たちのプロ魂はすごいと思いました。日本からは私と音楽の川井憲次、照明の大久保武志の3名が技術スタッフとして参加しています。この映画を楽しんでください」
司会「この映画はピンチにつぐピンチが描かれていますが、ご自身の中でピンチだと思う事は?」
監督 すぐには思い当たらず、アンディに振る。
アンディ「今も世界中で戦争が続いています。いつか自分のそばでも戦争が起こるのではないかと感じること、それが一番のピンチです」
アン「一番つらかったことについて原稿を書いてくれと言われて、何を書いていいかわからなかった。今まで自分の好きな映画の中で生きてきたことは幸せなことだと思いました。もし、ピンチに遭遇したら、前向きに対応していきたい」
ファン「人と人との交流は、心を持って臨まなくては成り立ちません。嫌いな人とも寛大な気持ちをもってやっていかなくてはならないことです」
阪本「この作品では初体験をたくさん経験しました。日本だけでは、これだけの作品を作れなかったと思います。井関プロデューサーはピンチをたくさん経験したと思いますが、おかげで、良い作品ができあがりました」
司会のクロさんは再度ジェイコブ・チャン監督にこの話題を振ったけどウヤムヤに。
「それでは公開初日に来ていただいて、この質問の答えはその時までお預けに」と冗談で言ったら、「それは無理」とまじめに答えていて、その姿がなんともジェイコブ・チャンらしいと思ってしまった私でした。
すでに、北京、香港などの宣伝活動を終え、釜山国際映画祭でのアンディ、アン・ソンギ対談などもあり(シネマジャーナル69号掲載)、すっかりファミリーという感じの一行でした。
取材・写真・まとめ:宮崎
1992年の東京国際映画祭でジェイコブ・チャン(張之亮)監督の『籠民』を観て以来、張之亮監督は私にとって、香港で一番気になる監督になりました。『籠民』は、今はなき香港の九龍城で、一畳ほどの鶏小屋のようなケージで暮らす人々の物語。そんな狭い鳥籠のようなところで暮らしている人たちがいるんだと、とても衝撃を受け、香港に興味を持ちました。その後、監督のデビュー作『チャイナフィナーレ/清朝・最後の宦官』や『黄昏のかなたに』『いつも心の中に』『女ともだち』『流星』『夜間飛行』と、日本で上映、公開された作品は欠かさず観てきました。
また、シネマジャーナル本誌「気になるあの人」コーナーでアンディ・ラウ(劉徳華)を紹介しようと、93年のファンタスティック映画祭アンディ・ラウ特集の取材に行き、ファンと接しているアンディを見て、こんなにも気さくなスターがいるんだと、すっかりアンディにはまってしまった私。そのときのシネマジャーナル27号(93年10月発行)で、「アンディ・ラウがやってきた」と題した15ページに渡る特集を組んだところ、一気にシネマジャーナルの読者を増やしたというエピソードも。なんと27号は2回も増刷されました! それ以来アンディファンの読者の人たちとの交流は続いています。
そして、アン・ソンギ(安聖基)のことは、もっと以前、90年6月発行のシネマジャーナル15号の「気になるあの人」で紹介されていて、なんといっても韓国の俳優さんでは演技のうまいアン・ソンギが好きです。シネジャでは彼の作品はずいぶん紹介されましたが、今の韓流ブームよりずっと前の話です。
さらにワン・チーウェン(王志文)は、中国映画ファンの私としては、88年に中国映画にはまって以来、彼の日本上映作を観続けてきました。香港の『風雲』にも出ていてびっくり。しかし、なんと言っても『北京ヴァイオリン』の、音楽教師役が良かったと思います。去年の中国映画祭の時、上映された『私に栄誉を!』(『墨攻』のプロデューサーである黄建新監督の作品)に記者役で出ていたので、インタビューを申し込んだけど、ドタキャンされてしまい、すごく残念でした。(『私に栄誉を!』黄建新監督へのインタビューはシネマジャーナル68号に掲載)
こんな私にとって、この『墨攻』は、まさに私の今までの映画人生中、またとなく興味ある人たちが集まって作られた作品だったのです。いやがおうでも期待してしまいます。製作が決まった時からできあがるのを心待ちにしていました。そして、期待に違わない作品に仕上がっていました。
そういえば張之亮監督のデビュー作『チャイナ・フィナーレ/清朝・最後の宦官』(1987)は、最初アンディが主演予定だったとか。あいにく、ほかの作品と重なっていて、宦官の頭(坊主)になることができないので、マックス・モックが宦官の役を演じましたが、アンディも革命の志士役で、数シーンだけ出演していました。それから20年後、二人は、この『墨攻』で再びタッグを組んだわけです。
上記3人のほかにも、新星ファン・ビンビン、チェ・シウォンの活躍ぶりも頼もしかったし、台湾のニッキー・ウー(呉奇隆)の出演も嬉しかった。この作品では、北京語読みのウー・チーロンで紹介されているけど、古くからの中華圏映画ファンにとっては、ニッキー・ウーの方がなじみがある。さっそく韓国映画ファンであるシネジャスタッフKさんのチェックが入りました(笑)。また、香港映画ファンにとっては、ウー・マ(牛馬)やチン・シウホウ(錢小豪)も、家臣や将軍役と、重要な役で出ていて、思わずニヤリとしてしまいました。
アン・ソンギは大好きだし、この将軍役にぴったりだったとは思うけど、パンフの中に中国の俳優で、この役に見合う俳優がいなかったのでアン・ソンギにしたと書いてあったのには疑問。それはないでしょうと思ってしまった。チアン・ウェン(姜文)、プー・ツンシン(濮存)、ワン・シュエチー(王学圻)、チャン・フォンイー(張豊毅)、リー・シュエチェン(李雪健)、ヨウ・ヨン(尤勇)など、重厚な役を演じられる俳優は何人もいますよ。
それとアンディ・ラウの声が吹き替えだったのが残念です。ところどころ本人の声だったけど、吹き替えの人はあまり本人の声に似ていなかったので、ちょっと違和感。アン・ソンギは吹き替えなしで自分で中国語を話しているのに、なんでアンディは吹き替えだったのでしょう。中国での公開はしょうがないとしても、日本公開版は本人の声にしてほしかったなあと思う私。
墨子の掲げた「非攻」「兼愛」は、2000年前の中国で必要な思想だったかも知れないけれど、2000年後のこの世界でも残念ながら必要な思想であることが、映画を観ながらひしひしと伝わってきます。強国が小国を征服する歴史は、今も繰り返されていて、今の世の中でこそ、墨子のこの思想は広まるべきなのかもしれないと思いました。監督も出演者たちも、皆、この思いで撮影したのでしょう。張之亮監督も「戦争は憎しみしか産まない」と語っていました。世界中の権力者、特に自分だけが正義であると考える権力者にぜひ観てもらいたい作品です。
張之亮監督の作品は日本で公開されるもの少なく、いつも残念に思っていたけど、今回、『墨攻』は一気に日本全国拡大ロードショーされることになり、地道に監督の作品を観てきたものにとっては「監督、やりましたね!!」と言いたくて、監督にインタビューを申し込んだけど、残念ながら仕事ががあって私は行けませんでした。かわりに景山さんと梅木さんが行ってくれたので、その記事もぜひお読みください。
文:宮崎