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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
Oct. 2, 2001

日活ロマンポルノ30周年記念企画パート2

私とロマンポルノ

1997年、ユーロスペースで神代辰巳の特集上映がありました。その時私は20歳、遅ればせながら初めてロマンポルノを観る機会となりました。当時の私にとって日活とはアクションで、ロマンポルノは「ちょっと観てみたい」程度でした。ロマンポルノは1971年から始まりますが、助監督どまりでくすぶっていた若い才能が、撮影所で磨き上げられた技術者のもとに花開いてゆくこととなります。神代辰巳も「渡り鳥」シリーズの斎藤武市の助監督でした。

私はまず『赫い髪の女』(79)を観ました。何度もあらわれてくる執拗な性描写と、雨と、トラック、流れる憂歌団、赤い髪と、けばい化粧、埃にまみれていそうなコタツに、むせかえるような湿気。ベタベタ、ねっとり、ムッとした空気感を初めて味わった私は、続けて大正時代を背景とした『四畳半襖の裏張り』、実在のストリッパーを描いた『一条ゆかり 濡れた欲情』(72)を観、何ヵ月後か経って横浜は黄金町、シネマジャックで『女地獄 森は濡れた』(73)、『四畳半襖の裏張り しのび肌』(74)、成人映画ではありませんが『青春の蹉跌』(74)、『アフリカの光』(75)を観ました。『アフリカの光』の時、お客さんが全然いないのにおじさんが隣に座ってきて、痴漢にあいそうになりました。この嫌な思い出のせいで、成人映画を成人映画館で観る決心は今だつきません。結局、最後まで亀有名画座にも行けませんでした。

私の家から一番近い映画館だったのに、残念です。友人は、先日行われた銀座シネパトスでのロマンポルノ特集で、痴漢にあったらしいです。だから、往年のロマンポルノファンが、ユーロで上映されたり、女性だけの入場、女性専用シートだとかに憤りや皮肉を覚えたところで、デリカシーのない男性がいなくならないかぎり、しかたのないことです。

その後しばらくロマンポルノは観ず、神代はそれなりに衝撃を受けたけれども、それはあくまで神代辰巳の映画で、ロマンポルノ自体にはさほど執着を覚えませんでした。

ある時曾根中生の『天使のはらわた 赤い教室』(79)を観ましたが、オープニングの強姦シーンからかなりショックを受け、嫌悪感を覚え、やっぱりロマンポルノはこういうものなのだと思いすっかり遠ざけるようになってしまいました。今思えば曾根中生がダメだったというより、脚本の石井隆が生理的にダメだったようです。

だいぶ経って、WOWOWでやっていた相米慎二の『ラブホテル』(85)を観ました。階段で女2人がすれ違い、桜が舞ってエンドロールが流れ出すラストシーンは、今まで見たことがないくらい美しく、「これがロマンポルノなんだ」と非常にショックを受けました。そのストーリーテリングと画面のもつ独特の静謐さを求め、改めてロマンポルノを観始めるきっかけとなりました。でも、これも脚本は石井隆だったんですが。

ビデオを借りるのもなかなかためらわれるロマンポルノなので、WOWOWでの放映は私にとって結構貴重なものとなっています。でも、だいぶボカシが入っていて、かえって見にくいのが難点です。

パート1「私のおすすめロマンポルノ」
パート2「私とロマンポルノ」
パート3「続・私のおすすめロマンポルノ」

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(文:フクモト)
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