2014年5月16日
■6月28日(土)より角川シネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー 配給:KADOKAWA
1953年にエドモンド・ヒラリーが達成した、標高8848メートル世界最高峰の山・エベレスト初登頂を、当時のインタビューやアーカイブ映像、再現ドラマで構成され、3D映像で放つ山岳ドキュメンタリードラマ『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』(6月28日公開)。公開に先駆け、女性で世界初のエベレスト登頂を果たした登山家・田部井淳子さんと、エドモンド・ヒラリーのご子息で冒険家のピーター・ヒラリーさんによるトークショーが公開を記念して開催された。 この日は39年前の1975年、田部井淳子さんがエベレストに初登頂した日。ピーターさんは1990年に初めてエベレストに登頂以来、5回も登頂している。
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・『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』公式HP
http://tenku-itadaki.jp/
・シネマジャーナルHP 作品紹介
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/400453512.html
田部井さんの「この日は1975年、39年前、私が初めてエベレストに登頂した日。こんな日にヒラリーの息子さんとトークショーができるなんて奇遇です。とてもうれしい。当時、35歳でしたから、私が今いくつかわかりますでしょ?」とお茶目な挨拶から始まった。
ピーターは「日本に来るのは20年ぶりくらいです。日本へ来られてうれしいですが、日本の山々を登る時間がないのは残念です。今も山に登り続けています」と語った。
ピーター:子供の頃、学期ごとの休みに時に家族とニュージーランドやヒマラヤなどの山など、いろいろなところに行きました。父に連れていってもらってラッキーでした。父とは40回くらい行きましたがヒマラヤ方面に多く行きました。
父は人生の半分をヒマラヤ地域で学校や病院を建てていました。現在は父の偉業を継いで、教育のサポート、公衆衛生の普及活動、環境保全の活動など、父が設立した基金を通して様々な活動をしています。
父は、田部井さんたちとも協力してただいてきているので、これからもコラボレーションしていけたらと思います。
「登山家が年を取ると何をするの?」って皆さん思うかもしれませんが、「それでも登り続けるのです」(笑)。それで、去年は南半球のマッターホルンと言われているアスパイアリングにも登りました。また、ヒマラヤ山脈でヘリスキーをしたり、トレッキングに行ったりもしていますし、最近は息子とニュージーランドで山登りをしました。今回、せっかく日本にやってきたのに、富士山とか日本の山に登る時間が取れないのは非常に残念です。
田部井:字幕の監修をしました。エドモンド・ヒラリーさんやテンジン・ノルゲイさん本人の声と、ドラマの声の差、知らない人にわかるよう工夫しました。
60年前の映像が残っていて、その映像と新しく撮った映像を非常にうまく融合させて、映画を作っていると思いました。ただ、チベットの風景がなかったのは残念でした。エベレスト初登頂は英国の英知を集めた登頂。ヒラリーさんはニュージーランドの人ですし、イギリス人との心の葛藤も描かれています。誰でもアタックメンバーに選ばれたいと思いますが、その気持も描かれています。昔の貴重な映像もありますし、見逃したら損ですよ(笑)。
ピーター:ナレーションの他、当時の映像が残っていないところを埋めていく作業などの協力をしました。登頂シーンの再現映像の撮影はエベレストでは無理と判断し、ニュージーランドの南アルプスで撮影するといいとアドバイスしました。ただ、エベレストの景色の映像が必要だったのでカメラマンを送り込んだのですが、必要な画像がみつからなかった(笑)。標高が高いところでは意識もうろうとなって、撮り忘れたりしてしまったらしい。でも、映画は非常に良い作品に仕上がっている。20世紀の中でも一番注目されるストーリーなので堪能ください。
田部井:ヒラリーさんは190㎝くらい、105㎏と大きい人。私がそばに立つと、カメラマンが、「あの隣りにいる子供は誰だ」というほど大柄な人でした。
1975年に私たちがエベレストに登頂した時、ヒラリーさんがクンブーで学校を建てているというので会いました。登山だけでなく、こうやってこの地域の人たちに貢献しているのだと、登山のことしか考えていなかった私たちはショックでした。また、ヒラリーさんと一緒に山の環境保護団体を立ち上げるきっかけになり、とても尊敬しています。
その後、何度もお会いする機会がありましたが、とても優しい人でした。面白かったのは、自分たちがエベレストに行った時は、ほんとに大変だったけど、息子がエベレスト頂上にたった時、頂上から電話があって驚いたと語っていました。
ピーター:父は養蜂業をしていたし、地元の新聞も発行していました。家族もは勤勉に働くことを教え込まれた。16歳の時、学校の先生が山やスキーに連れていってくれて、1日惚れ?。こういうことを楽しみたいと思い、それから登り続けました。当時は荷物も重かったし、その中で強くなっていったのでしょう。それがエベレストに登れた原動力だったのかも知れません。
山登りと同じくらい大事にしていたのは、山仲間との友情を育むこと。また、シェルパとも友情を深めました。シェルパの友人から、「我々の地域の子供たちは夢を持っているのに貧しく実現するのが難しい。子供たちに教育が必要だ」と言われ、学校、病院、などを建てました。最終的には42校になり、慈悲心に溢れる登山家でした。
田部井:1953年の初登頂から22年、私が38人目の登頂者。ところが今のエベレストは渋滞していて、渋滞対策が登頂の鍵とのこと。人間の限界を超えたところに行くという自覚をもち、皆さん安全に登ってください。いっぱい出るゴミのことも考えてほしいと思います。
ピーター:エベレストは特別な山。たくさんの人が登るようになって、それに伴ういろいろな問題が発生しています。登山者数を制限したらどうかという話も出ているけど、私はあまり制限はしてほしくない。登りたい人の意志は尊重されるべきですし、地元の人たちにとっては大事な収入源です。そして、地元の人たちにとってはエベレストは宝です。
また、4月(2014年)の雪崩で、シェルパが13名亡くなりましたが、彼らの安全についても考えてほしい。
田部井:皆さん安全に山に登ってください。山頂に登るというのが目標の一つではありますが、全員安全で戻ってくる。それが大事。無理のない登山を。無事に戻ってくれば、また山に行ける。映画も観てください。
ピーター:新しい世代の登山家を目の前にしてわくわくしている。登山が次の世代に受けつがれてゆくにつれ、スタンダードが高くなってきています。エレガントなスキルで登山に挑戦してください。この映画を観て、インスパイアされ、果敢に挑戦してください。登山の素晴らしいところは未知なる領域の追求。この映画も未知なる領域に、果敢に挑戦する男たちの物語です。映画をお楽しみください。
ピーターさんがエベレストの山頂から携帯電話でエドモンドさんに登頂報告したら、驚いていたという話が印象的でした。それと、今は大衆登山の時代で、エベレストに列をなして登る人々と環境汚染の話など、有意義な話を聞くことができました。また、今年4月にアイスホールで雪崩事故があり、エベレスト登山史上最悪のシェルパ16人死亡というのも記憶に新しい。シェルパやポーターへの待遇についての話などが出ました。(暁)
*シネマジャーナル91号では、「今年、続々公開される山岳映画 古典~最新作まで」という特集を組んでいます。この『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』を始め、今年公開される『K2 初登頂の真実』『春を背負って』『アンナプルナ南壁 7400mの男たち』『クライマー パタゴニアの彼方へ』を紹介。また、1920年代に製作されたレニ・リーフェンシュタールの出演作『死の銀嶺』『モンブランの嵐』も紹介しています。