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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『トロッコ』川口浩史監督インタビュー

川口浩史監督 撮影:宮崎

2010年5月22日(土) よりシネスイッチ銀座をかわきりに、全国で公開される映画『トロッコ』。芥川龍之介の短編小説「トロッコ」を、台湾を舞台にした長編映画に仕立て上げた川口浩史監督に、映画『トロッコ』製作の舞台裏や、台湾の日本語世代の方たちの思いをお伺いしました。



川口浩史監督

川口浩史監督
1970年8月31日生まれ。日本映画学校脚本科卒業後、篠田正浩、行定勲、奥田瑛二、五十嵐匠監督など名だたる監督の作品で助監督を務め、本作で監督デビューを果たす。
テレビドラマ「チェオクの剣」のキム・ミンジュン、テレビドラマ「春のワルツ」のソ・ドヨンを迎えて、全編韓国ロケを敢行した監督2作品目『チョルラの詩』の公開も控えている。

◆トロッコの線路が台湾に残っていたのが始まりだった

編集部宮崎(以下M): 台湾の緑の深さがとても印象的でした。この作品を作るまでに3年かかったそうですが、台湾の「かつて日本人だった」人への思いがこめられた作品ですね。この、2,3年、日本人の監督による、日本の統治時代の台湾ことを描いた作品や、統治時代を経験をした人へのドキュメンタリーなどを観て、なんて日本人は彼らのこと、そして台湾のことを知らなかったんだろうと思っていましたが、この作品は、それらの作品に出てきた台湾の人の思いの集大成のような作品だと思いました。

監督:芥川龍之介の「トロッコ」を、学生時代に読んですごく気になり、いつかこれを映画化したいと思っていました。しかし、今の日本では映画の舞台になるトロッコの線路を見つけることが難しいと思っていたら、行定勲監督の『春の雪』(05)の現場で知り合った撮影監督の李屏賓(リー・ピンビン)から、「台湾にはトロッコの線路が残っているよ」と言われ、台湾でロケハンを行いました。最初はトロッコの部分だけ台湾で撮るつもりでしたが、ロケハンで、知り合った台湾の人たちの話を聞くうちに、台湾を舞台にした作品に作り変えることにしました。

編集部景山(以下K): 祖父が大正時代に台湾で仕事をしていたのですが、父は、祖父から台湾にいた時にトロッコが暴走する大きな事故があったことを、よく聞かされたそうです。

監督:木曾の檜は明治時代に取りつくされてしまって、大きな木は台湾にしか残っていない状態だったそうです。木曾の人たちが台湾に行って、大きな木をどうやって海まで持ってくるかを考えて、トロッコで運んだのですが、トロッコにはブレーキがなく、大木の上に人が乗って、ブレーキは鉄の棒を使ってかけていたそうです。トロッコが暴走したというのは、恐らくブレーキがうまくかけられずにぶつかったのでしょうね。木曾の人たちは上手く操っていたそうです。台湾で育った日本人の方に、少年の頃、トロッコで大木を運ぶのを走って見に行ったと聞きました。

K: 父は、学徒出陣で海軍に行き、昨日も靖国神社に同期の人たちの追悼の会に行きましたが、靖国神社の鳥居が台湾の木で出来ていることは知りませんでした。 台湾の日本語世代の方は、靖国の鳥居のことは皆さん知っているのでしょうか?

監督:恐らく台湾の日本語世代の方たちは、皆、知っていますね。

M: 『靖国 YASUKUNI』を観たとき、台湾から来た金素梅さん(『ウエディング・バンケット』などに出演した女優、政治家)が、「靖国神社の鳥居は台湾から運んだ木でできている」と言っていたのを観て、靖国神社の鳥居のことは知ったのですが、この作品で、「明治神宮の柱も台湾製」というのを聞いてびっくり。大きな木が、日本になくなってしまったからなんですね。

◆台湾の日本語世代の思いを映像に残したかった

K: 原作の「トロッコ」は短編ですが、映画にしたいと思い続けておられたのは、どういう思いがあったからですか?

監督:小さな話なのに、たくさんの物語を内包していると思って、映像にすれば素晴らしいだろうと助監督をしている頃から思っていました。でも、まさか台湾で撮ることになるとは思いもよりませんでした。

M: 原作の「トロッコ」は、本来、日本の物語ですが、それを台湾に移しかえたことで、ぐっと引き立ちますね。

監督:アジアの国に行くと、昭和の時代にあった人懐っこさがまだ残っていて、なぜ今、日本にないのだろうか・・・と考えてしまいます。台湾で人懐っこい人たちが受け入れてくれるところに、日本の母子が行くという設定です。

K: 台湾の日本語世代の方たちから聞いた話を取り込んだ作品にしようと思われたのは?

監督:もう彼らがどんどん亡くなってしまう。日本時代の建物もどんどん無くなるので、映像に残したいという思いがあります。ドキュメンタリーじゃなくて、フィクションにしたのは、フィクションの力を信じているからです。現実をどう消化して、形にするか・・・ 普遍的なものにして、100年残したい。ドキュメンタリーでは私情が入ってしまいます。物語にして、普遍性を勝ち得たいと思いました。

K: 日本語世代の方たちにインタビューされて、印象深かったことは? 映画の中で、「日本人は礼節を重んじる人たち。日本の為に戦ったのに、なぜ自分たちを日本人として扱ってくれないのか? 負けたとたん捨てていった」という言葉がありましたが、それも実際のインタビューで聞かれた言葉でしょうか?

監督:台湾の日本語世代の人たちにとって、生まれた時、そこは日本だったわけです。日本の為に何かをするのは当たり前のことでした。それが、戦争に負けたというだけで、中国人になっていた・・・ それまで敵だと思っていた国の人間になってしまったわけです。国って何なのか? 国は信用できないものになってしまったわけです。しかも、台湾は国家として認められていません。彼らにとって、日本をどう考えればいいかを突きつけられた思いだったのですね。

M: 『台湾人生』を観た時、日本兵として戦争に行った蕭(シャオ)さんという方が、やはり、「日本の軍人として日本のために戦ったのに、日本に捨てられた」と語っていましたが、その世代の台湾の人たちにとって、日本は愛憎両方の感情を持つ国なんですね。それにしても、この映画の中で、日本に軍人恩給を申請したのに門前払いのシーンが出てきたときには、日本人として台湾の人たちに対して申し訳ないという、なんとも言えない気持になりました。

M: 初めて『悲情城市』を観た時、台湾が日本の植民地だったことを実感として受け止めました。今回、このインタビューの前に『悲情城市』を20年ぶりに観たのですが、いろいろ台湾のことを知ってから観ると、最初に観たときとは違う視点で観ることができますね。『悲情城市』は、初めて台湾のことを知るきっかけになった映画でしたが、『トロッコ』は、かつて日本人だった台湾の人たちの思いを、やっと日本人の監督が描いたという、『悲情城市』への返礼のような作品だと思いました。

監督:そう取ってくださると嬉しいです。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督と同じレベルに達しているとは思いませんが、その時期にきたのかなと。ニューウェーヴと言われたホウ・シャオシェン監督が、集大成として撮ったのが『悲情城市』でした。経済が発展していって、自分たちが台湾人だということを考えなくなっていきました。台湾に行って、自分が日本人であることをまざまざと感じさせられました。自分とは何なのか?を問われた思いがしましたね。


◆ 五十嵐匠監督や撮影監督芦澤明子さんとの仕事経験

M: 川口監督は『みすゞ』『HAZAN』『アダン』など、五十嵐匠監督の作品で助監督をしていらっしゃいますが、『トロッコ』は、五十嵐匠監督の流れを持っていらっしゃると感じました。

監督:五十嵐監督も地方にどっぷり浸かって撮るというスタンスですね。

K: 『みすゞ』(2001)、『HAZAN』(2003)などの撮影を担当した芦澤明子さんに、『ここに、幸あり』でインタビューをしたことがあるのですが、昨日、『チョルラの詩』の試写を観にいった時、協力者の中に芦澤さんの名前をみつけました。
(芦澤明子さんインタビュー http://www.cinemajournal.net/special/2003/sachiari/index.html

監督: 芦澤さんは、日本の女性撮影監督の草分け的な方で、2作品ご一緒しました。女性的な感性や、男性が持ち得ない清潔感があって、そこが芦澤さんの素晴らしさですね。

K: 五十嵐監督作と言えば、『アダン』で主演した榎木孝明さんにもインタビューしたことがあります。昨日の『チョルラの詩』の舞台挨拶の時、今後、外国、特にアジアの方との交流をテーマに映画作りをしたいとおっしゃっておられました。台湾、韓国の次に、具体的にどこの国の方と撮るか考えていますか? 『HAZAN』や『アダン』の榎木孝明さんが、以前にイランとの合作映画に出ていますが、是非イランはいかがでしょう? 私は日本イラン文化交流協会の事務局を担当していますので、イランなら是非サポートしたいと思います。

監督:マジッド・マジディ監督の映画のような暖かいものを作りたいのですが、家庭が貧しいのが前提。日本が舞台では彼のような作品は無理なのですね。

◆台湾の人たちの家族を思う強い気持ちに驚かされた

M: 台湾のスタッフの方たちはどのようにして見つけたのですか? 録音監修の杜篤之(ドウ・ドゥチー)など、侯孝賢組の人たちが多いですが、やはりリー・ピンビンさんの人脈からですか。

監督:リー・ピンビンさんが窓口になってくれて紹介してくれました。幸運でしたね。

K: ちなみに撮影監督のリー・ピンビンさんのギャラは、高かったのではないでしょうか?

監督:そりゃ大変でした。でも、気持ちでやっていただいた部分もあるので・・・

K: 『チョルラの詩』では韓国のクルーと撮影されていますが、台湾と韓国のクルーの違いはありましたか?

監督:台湾は、ホウ・シャオシェン監督のチームなので特別です。韓国の場合は、フリーのスタッフがやってくれました。台湾はチームワークが出来ているところでやらせていただいたのですが、韓国は1~2回経験のある人たちと一緒に作り上げていった感じですね。だからといって、自分自身、変えたわけじゃないですね。台湾人と日本人と思うことが違うというすれ違いは、韓国でも、もちろんありました。作ったものを外国に持っていって見せるという方法もあるけれど、外国の人と一緒に作りながらコミュニケーションをとることが好きですね。前提としていることや、先入観・・・ それがいい緊張感を生み出します。何故そうしなければいけないのか? 日本人どうしだと当たり前のことが、何故?と。客観的になれます。

K: 台湾のクルーと一緒に仕事をしていて驚かれたことは?

監督:家族への思いがすごく強くて、親が子、子が親を思う感じ方がすごく強い。だからこそ憧れた部分もあるのですが、こんなにも熱く思うのかと感心しました。


家族思いの台湾の人たちのことを語る川口浩史監督

M: シーンの中で、お父さんが日本への思いが強くて、亡くなった長男が反発したという話しがありましたが、長男の気持がわかるような気がしました。去年、台北の228記念館に行った時、ボランティアガイドをしていた日本語世代の方がいて、228事件の説明をしてくれたのですが、その中で教育勅語を延々と読まれて閉口しました。言っている内容は確かに悪くはないものの(父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし)、やはり、教育勅語は、あの時代、天皇の臣民という考えを押しつけるものだったと思うのです。それが、台湾では今も残っているということに驚きました。

監督:私も台湾で教育勅語を暗誦できる人と何人も会いましたが、それって何なんだろう?と。それが今も正しいと思っているのか? なぜ、日本は教育勅語を教えなくなったのか? 内容は当たり前のことなのに、台湾のおじいさんたちは平気で言えて、日本人は何故言えないのか?

M: 戦争に負けて、日本は皇国から民主国家に生まれ変わったけど、台湾では戦前日本の制度や感覚を、そのまま引きづっている人がいるということですね。

監督:完全に時間が止まってますね。守り続けてきたパワーはなんだろう?と不思議ですね。

M: 撮影場所はどこですか?(台湾・花蓮界隈の地図を出す)

監督: このあたりですね。(と、花蓮の南部にある萬榮という場所を指で示す監督)
ここの林田山林業文化園区に日本家屋があって、そこで撮りました。


花蓮の南部にある萬榮という場所を指で示す監督

K: 夫の実家に向う途中、山の中に小さな木の鳥居がありましたが、あれは日本時代のものが今も残っているものですか?  台北市内など、主だった神社はなくなっていますが、地方には、まだまだ残っているところがあるのでしょうか?

監督:よく気がつかれましたね。地方にはまだまだありますね。李登輝さんが出てきた時に、日本時代のものを残そう・・・という気運が高まって、公開にして保存する動きがありました。今後どうするか?ですね。

M: 金瓜石(きんかせき)に行ったのですが、日式家屋がずいぶん残っていてびっくりしました。

* 金瓜石:日本統治時代に、金鉱山があった場所

監督:現実、歴史としてそういう時代があったことを冷静に考えるといいですね。


◆若い母親の成長も描きたかった

M: キャスティングについてお伺いします。まず、お母さん役をやった尾野真千子さんですが、『萌の朱雀』で高校生だった彼女が、あれから十数年経ってお母さん役。感慨深いものがありました。

監督:お母さんは若い人。お母さんの成長を日本の社会問題として描きたいと思いました。それには、お母さんに見えない人という大前提がありました。最後に子供を抱きしめるという場面で成長した姿を見せるわけです。また、畳に坐って絵になる人・・・ 昔の松竹の女優さんのようなタイプを狙ってました。尾野真千子さんは助監督の時代にオーディションで注目しました。小手先でやらない、自分の感性を信じている人です。どんな役にも、果敢に挑んでいくところが素敵です。

K: 子供たちも、腕白でよかったですね。

監督:あまりたくさん会ったわけじゃないのです。長男役は、頭がよくて、感性もよくて、間を作ることが出来る子です。自分の気持ちが出来上がった時に、歩きながら台詞を伝えることが出来る子です。次男坊も素直でいい子。見た目も可愛いし、可愛げのある子です。二人のコンビはいいなぁと決めました。

M: 台湾のキャスティングについてもお聞かせください。次男の妻役を演じた萬芳(ワン・ファン)さんですが、彼女のCDを十数年前に買ったことがあるのですが、本人だとわかりませんでした。歌手である彼女を起用したのは?

監督:ミュージシャンで、最近女優としても活躍していますね。台本を読んで、自分なりのプランを持って取り組む方です。台湾の仕事を持ち、自立した女性の姿を現す存在として描きました。
サングラスをかけるのも、彼女のアイディアでした。現代の台湾女性を表わしてくれました。

M: 張翰(チャン・ハン)が、張震(チャン・チェン)のお兄さんとは知りませんでした。あと、張睿家(ブライアン・チャン)まで出ているとは!!!!

監督:ブライアンは、シナハンの時に友だちの紹介で会わせていただきました。『花蓮の夏』で日本にもうすぐ行くという設定でした。繊細な役をうまくやったと。男の子たちが憧れる人物。現実と非現実を繋ぐような存在であって欲しいなと思います。初めて会ってから2年後にオファーして、忙しい中でOKしてくれました。

M: おじいちゃん、おばあちゃんを演じた役者さんも、味わい深い方たちでした。

K: 芥川龍之介の「トロッコ」が、現代の台湾を舞台に甦った素敵な映画『トロッコ』の公開のご成功を祈っております。本日はどうもありがとうございました。



★2010年5月22日(土) シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー!

作品紹介→  http://www.cinemajournal.net/review/index.html#torokko (6月頃まで)  もしくは  http://www.cinemajournal.net/review/2010/index.html#torokko (7月頃以降)

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(取材: 景山咲子、宮崎暁美)
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