2009年2月3日(火)
於 東京・有楽町 日本外国特派員協会(外国人記者クラブ)
『一瞬の夢』『長江哀歌』『四川のうた』などジャ・ジャンクー監督作品の撮影監督として活躍しているユー・リクウァイ(余力為)が、ブラジルを舞台に描いた『PLASTIC CITY プラスティック・シティ』。 3月14日から東京でワールド・プレミア上映されるのを前に、ユー・リクウァイ監督、オダギリ ジョー、アンソニー・ウォンを招いた記者会見が東京・有楽町の日本外国特派員協会(FCCJ)で行われました。司会はFCCJのダンディな理事Steve McClure氏。「今日は複雑な記者会見で、まるで国連の様です。どの言語を重視すべきか考えましたが、とりあえず全部使うことにしました」という次第で、通訳も、高松たまこさん(英語)と、Samuerl Chowさん(広東語)のお二人。
大勢の記者が待つ中、静かに監督とオダギリ ジョーが登壇。続いて現れたアンソニー・ウォン、グレーのアームウォーマーが目立ちまくり。黒い半そでTシャツに黒い手編み風のショール?にサングラス。えぇ~っ???という第一印象は、思い返せば、“強烈なオバサン”の風情でした。その謎は、会見の中でオダギリ ジョーさんが明かしてくださいました。
ユー・リクウァイ監督:(香港出身の監督、広東語でお話されるのかと思ったら、英語でした!)3月14日から東京で世界で初めての商業上映を行っていただけることを光栄に思っています。昨年ベネチア映画祭で上映されましたが、その後、編集が入り、公開されるものは、映画祭上映の時と少し違っています。新しいバージョンを日本人の観客の方々が初めて観てくださるので、興奮を覚えます。メディアの方も含めて、フィードバックを楽しみにしています。
オダギリ ジョー:(もしや英語? と思ったら、日本語でした。)この映画は全編ブラジルで撮影しまして、約3ヶ月間、昨年の3月から5月にかけてブラジルに行っていました。日系移民百周年の記念すべき年にブラジルに居られたということと共に、いろんな国の方が関わる映画に参加できて嬉しく思っています。
アンソニー・ウォン:(歯切れのいい広東語で、ほっ!)この場を借りてお礼を言いたい。日本の皆さんに是非観てほしいです。理由は簡単。宣伝プロモーションに力を入れて上手に展開しているからです。今日もたくさんの記者の方が集まってくださっているので、ほんとうに嬉しいです。
-- 監督にお伺いします。なぜブラジルで撮る必要があったのか? 他の東南アジアの国で設定しても出来たかと思います。オダギリ ジョーさんがおっしゃったように、ブラジル移民百周年を意識されたのでしょうか?
監督:ブラジルは舞台として必要不可欠でした。ブラジル(Brazil)、ロシア (Russia)、インド (India)、中国 (China)といった経済発展の目覚しい新興国“BRICs”に関心がありました。外交的なブラジル人の中で、内向的なアジア人がどのような生活をおくっているのかにも興味がありました。俳優は、脚本を書いている時から二人を念頭に置いていました。今までのアジアの俳優と違うモダンなイメージの二人。オダギリ ジョーは神秘的な要素を持っていて、キリンにぴったりでした。
-- 撮影監督としてのキャリアが長いですが、今回は監督。ハンディカメラを使用されていて不安定な感じは、ドグマの影響を受けたのでしょうか?
監督:ドグマとは哲学的な意味で違います。社会現実的なアプローチですが、この映画はそれほど現実的ではなくて、寓話的なものを作ったつもりです。
-- キム・ギドク監督の『悲夢』でのオダギリ ジョーさんはゴージャスでしたが(オダギリ ジョー、声を出さずに笑い転げていました)、なぜ出演を決めたのですか?
オダギリ ジョー:なぜ参加したか・・・、ブラジルにいいタイミングで行けそうだと。地球の真反対で、日本から一番時間のかかる国ですから、仕事でもない限り行かないだろうと。ブラジルで撮ると聞いた時に、乗っといた方がいいかなと引き受けました。ジャ・ジャンクー監督と対談をしたことがあって、頭の良いクリエイティブな方という印象でした。最初、ジャ・ジャンクーさんが声をかけてくださったので、一緒に仕事をしてみたいと思いました。今回、ジャ・ジャンクーさんはプロデューサーでしたが、現場を垣間見られるのではと、ユー監督に期待しつつ引き受けました。
アンソニー・ウォン:君の為に脚本を書いたと言われ、断るわけにもいかず、出るしかないと。僕もオダギリ ジョーさん同様、ブラジルに行くチャンスだと引き受けました。
-- (香港の女性記者の方)オダギリ ジョーさん、アンソニー・ウォンさんを俳優としてどう思われましたか? 彼は、香港でたくさんのファンがいるクールでスマートで頭のいい俳優ですので、是非お聞かせください。
オダギリ ジョー:役者としてのアンソニーさんは、力強く、皆を引っ張っていく組長のような方。場をコントロールして、空気を変えることのできる方です。スタッフを楽しませる時には楽しませ、緊張させなくてはいけない時には緊張させてくれます。彼がいるだけで引き締まります。芝居に関しても、監督に意見をよく出していました。 内緒なのですが・・・、ここだけの話なのですが・・・(と、急にトーンが変わり、何を言い出すのかと思ったら)、 アンソニーさん、今日、カツラを被ってるんですよ。本気なのか、冗談なのか、わらかないんですよ。笑わせようとしているのか・・・ 父親に持ったら、すごく楽しいと思います。
アンソニー・ウォン:今日つけているのは、本物のカツラです。日本で買ったものです。日本のカツラは世界一! (にやっと笑って、クリっとカールしたカツラをちょっと持ち上げるアンソニー) 内緒って言ったけど、カツラのことより、前半部分の方が褒めすぎなので書かないで! こんな息子がいたら、僕は大儲けするでしょう。さっさと引退させていただきたいと思います。
-- ブラジルに行けるからと出演を決めたとおっしゃっていましたが、映画を拝見したところ、撮影はとてもハードだったと思います。オフの時には、ブラジルをどんな風に楽しまれたのでしょうか? また美味しかった食べ物などは?
オダギリ ジョー:大変な撮影ばかりで、毎日がトラブルだらけでした。経験したことのないような苦しみを味わいました。休みの日は結構限られてはいますが、外にも出れて、飲みにいったりもしました。アンソニーさんを連れてサッカーをしにいったこともあります。「サッカーが出来る」というので、現地の青年たちのフットサルチームと試合もしたのですが、アンソニーさんが案外動けなくて・・・ 次の週も「来る?」と聞いたら、「一生サッカーしない!」と。ご飯は完全に合いまして、フェジョンという豆料理でご飯にかけて食べるのですが、とても美味しくて。食べ物に関しては、ブラジルで生きていけると思いました。
アンソニー・ウォン:僕はブラジルでは生きていけない! 仕事の環境として、ブラジルの環境は決して悪くはなかったですよ。なぜって、別の映画で友達はブラジルでの撮影後、ずっと心理カウンセラーに罹っていましたから。 サッカーですが、「よく出来る」と言った覚えはない! ブラジルでは娯楽があまりないのでサッカーボールを買って遊んでいたら、それを見られて・・・。 まさか試合が出来るとは言ってなかったのに。 オダギリさんはすごく上手くて。だから二度とやらない! オダギリさんは俳優にならなくても、サッカーでスターになると確信しました。(ここで通訳が入り、その後、司会の方が別の質問者を指そうとしたところをさえぎって、発言を続けるアンソニー)この場を借りて、オダギリさんにラーメンと美味しい日本料理をご馳走になったお礼を言いたい。それがなかったら、僕は餓死! 飢え死にでした。(場内爆笑)
司会:カツラとサッカー以外の質問がありましたらどうぞ!
-- 監督にお伺いします。後半、とてもポエティックでしたが、最初からそうしようと思っていたのか、アマゾンで撮るうちに、詩的にしようと思ったのか、どちらですか?
監督:脚本を書いた時には、苦しみました。悩みました。なにしろ、アマゾンに行ったことがありませんでしたので。問題だったのは、エンディングでした。ユダの人生の終りをどう見せるか、ユダの苦悩をどう見せるか・・・。実際にアマゾンに行ってみて、自然を見ているうちに、亡くなる時には、土に堕ちるのがいいと。ジャングル、土、河・・・ 自然からポエティックなエンディングを得ました。最後の撮影だったのですが、不思議な体験でした。ほとんどのスタッフが帰国し、アシスタントと二人で朝早くに撮影現場に行ったら、ちょうど太陽が昇り始め、河がキラキラして、自然の力に感動しました。
この後、演壇の左手に用意されたポスターの前でフォトセッション。待機していた大勢のカメラマンがどっとそちらに移動しました。
外国人記者クラブでの記者会見はニュース映像で何度か見たことがありましたが、初めて足を踏み入れました。思った以上に狭い場所で、そこに人気俳優のオダギリ ジョーさんと香港映画界きっての名優アンソニー・ウォンが登場するというので、たくさんのメディアが押しかけたものですから、撮影は押し合いへし合い状態。暑っ!最後のフォトセッションは前列のカメラマンが撮影終了したら、横にはけてもらうようにして、3回転くらいしてました。
今年は出演した海外の監督作品の公開が相次ぐオダギリ ジョーさん。この作品の撮影はつらかったようですが、すべての経験を肥やしにして一層飛躍してもらいたいものです。(梅)
★3月14日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿バルト9ほか全国順次ロードショー