1966年東京生まれ。日大芸術学部放送学科卒。
デビュー作『いつものように』で99年日本映画プロデューサー協会 最優秀新人監督賞を受賞。
2作目は玄界灘に浮かぶ離島を舞台にした『ここに、幸あり』。
新作『今度の日曜日に』の舞台は松本。毎回独特のタッチで「人の幸せ」を描いています。
ー 映画の道に入ることになったのは?
放送学科の卒業制作に映画を作りたいと希望しましたら、そういう学生は7、8年ぶりだと言われました。撮影機材は何とかあったんですが、仕上げの環境が全くないので、映画学科にお世話になりました。同じ校舎にあるのですが、もう夢のような環境でこれを逃す手はないぞ!と。映画学科の先生と仲良くなり、卒業制作終了後も助手みたいなことをして働かせてもらいながら居座り続けました。別の学科を卒業して映画学科で働くという、そんなのは、後にも先にも僕ぐらいじゃないですか。
ー 卒業制作はどんな作品でしたか?
世には出ていませんが、習作みたいなもんです。長さは80分ぐらいかな。機材の動かし方すら知らなかったし、言ってみれば乱暴な作品ですよ。
ー 放送学科では映画に関する勉強はなかったのですね。
そもそも僕は勉強しない学生でしたから。授業は全く聞いてませんでしたが(笑)ちゃんと4年で卒業しました。ただ自分でものを作ろうという意欲だけは持っていました。映画は一人では作れないし、仲間がほしいと思って大学進学したんですけど、学科が違うので基礎を学ぶことが出来ない。完全に独学ですよね。8ミリもほどんどやらなかったのに卒業制作でいきなり16ミリで撮ったんです。実は転科試験受けたんですが、単位が足りなかったんですよ(笑)。でも意外と放送学科卒業生で映画監督になった方が他にもいるんですよ。森田(芳光監督:『家族ゲーム』、『間宮兄弟』)さんもそうですよ。
ー では第一作の『いつものように』は?
世に出たのは1997年です。完全自主映画だったので4年前に撮影終了していたんですが、撮影だけで資金が底をつきました。次の作業はお金を貯めては作りで、あっというまに4年が経ってしまいました。そこまで苦労して作るのはえらいと言われましたね(笑)
ー それから、次の作品『ここに、幸あり』、今回の『今度の日曜日に』。これは2007年にエンジェル大賞を受賞されていますね。
『ここに、幸あり』はそんなに大きな映画ではないですけど、自主映画ではないです。エンジェル大賞は意欲的なフレッシュな作品を応援していこうというものです。作家のための賞ではなくて、企画プロデューサーに贈られるもので、僕というより小澤プロデューサーが受賞したのです。当時、小澤さんに『今度の日曜日に』の脚本を持って行き読んでいただいたら、世に出すためのきっかけとしてエンジェル大賞に出すけどどうか、と言われお任せしたものです。
ー 『今度の日曜日に』の撮影はいつですか。
ちょうど去年の今頃撮影していました。現場が始まってからぎゅっ!(と詰まった)って感じです。この映画は、きっかけのアイディアだけは早くにあって、映画にしたいなと考えていました。時流に乗った派手な話じゃないし、企画書を面白いと言われてからプロットを書いて、つめていってから脚本という通常のやりとりでは伝わりにくい作品だと思ったんです。これはもうホンをまず書いて、○ですか×ですかとやるしかないなと。実はそういうことは今まで一度もやったことがないんです。わりと現実主義なので無駄なことはやらないというタイプで(笑)、アイディアからプロットまではやるんですが。
ー アイディアは日常生活の中で浮かぶものですか?
今、思い出しましたがこんなことがありました。美術さんの小学生のお子さんに「仕事をしている人の一日の時間割」という夏休みの課題が出されたんだそうです。監督さんに頼もうということで僕のところにも来ました。僕は24時間全部「仕事」と書いたんですよ。一日中、仕事のことを考えていて、遊んでいる時もあるけど、常に仕事のことを考えているそういう仕事ですと出したんです。答えになっているかどうかわからないんですけど、そういう心構えが何かさりげないドラマにつながる。何か大仰なものを探しているわけではなく、日常のどこを切り取ったら、人の心にひっかかるのかな? とかなんとなく考えているんです。そのなんとなくが、ある瞬間「あっ、いいかもしれない!」になる。
ー 書き残したり、頭の中にためておかれるのですか?
僕の場合、熟考してしまうと行き詰っちゃって駄目になるんですよ。すぐぱっと物事が動き出さないと。
ー 例えばプロットを考える時、今まで思い浮かんだものが、枝葉になってくっついてくる感じですか。
多分、そうだと思います。ストーリーを考えていくっていうよりは…僕は脚本の最初、3~5ページが勝負なんですよ。ここは何度も書き直します。そこがすっと始まると、その後は人物が動き出してくれる。僕の力学を越えて現れてくれるので自分はその人のやることを楽しむ。どんどん自分の中で成長していってくれるのを観ているって感じです。
ー 市川染五郎さんをキャスティングされたのは監督ですか? その理由を。
清潔感があること、チャーミングであること、会った瞬間に優しさが滲み出てくること、その3つを満たしてくれればと思っていました。ややもすると汚らしいイメージになりかねない。これはリアリティを追求するものではなくて、こんな日常があってもいいんじゃない、という少しファンタジックな話なんです。染五郎さんを提案したのは僕です。そしたら驚きと拒否反応がありましたね。いや、染五郎さんが悪いんじゃなく、イメージが違いすぎると言われたんです。染五郎さんはちょっと憂いがありますよね。僕はそこに惹かれたんです。ユンナや竹中直人さんも僕の希望でした。
ー 竹中直人さんはともすれば主役を食ってしまう方ですが、この作品では映画学科の先生そのものでした。
そういっていただくと嬉しいですね。
ー ソラと松元さんの設定というのはどこから生まれたのでしょう。
人は一人じゃないんだよ、というのが素直に感じられる映画ができないかなと思ったんです。今、縦の繋がりが日常生活で少なくなって来ています。とにかく、知らないことや、わからないものには関わらないようにしている。そんなことが多い時代です。でも人は出会って育っていくものだし、人として当たり前のことをすることで人生が動いていく。それに気づくことがもしかしたら一番大事なのかなと。この映画では、二人がどう出会うかを考えました。そこで壁を作りました。性別、年齢差、生活環境、考え方、それに国もあってもいいな…違うことだらけです。本来、出会うことのない二人が会ったことで、変わっていった。関わることはハードルが高いことかもしれない。でも軽々飛び越えた二人がお互い成長していく話になればいいなと思いました。
ー 作品を観て染五郎さん、ユンナさんの感想は?
染五郎さんは「すごく思っていることが伝わっていて、日常のちょっとしたところがよかったです」と客観的に観てくれました。出ている人って客観的に観にくいものなんですが、そこがすごいです。僕はユンナに聞いてないんですよ。
配給さん:彼女は初め、ただただ恥ずかしくて、まともに観られなかったと言っていました。二回目にやっとおちついて観られたそうです。周りから褒められたので喜んでいました。
あ、それが普通ですね。彼女は俳優さんが出来ないようなことをいっぱいやってくれました。
ー 監督自身の体験は入っていますか。
全くないわけじゃないですけど、僕は自分をつきつめていくよりは人のことのほうが面白いです。自分の存在証明のために映画を作るっていうのはやりたくないですね。観る人の心に触れるような映画を作っていきたいです。見えないものが見えてくるような映画、映っているのが全てでなく、その向こう側にあるものを見つけたいから映画館に行く。僕はそう信じたいです。
ー 撮影のときにあまりモニターを覗かれないそうですね。
だいたいカメラのそばにいますね。演じている人の呼吸が届かないところでフレームだけ見ててもね。もしかしたらそんなもん映らないかもしれない、でもそれにこだわらないと観ている人に何かを残せないんじゃないか…やっぱり息遣いが聞こえるところじゃないとダメなんですよね。この作品は20日間で撮り終えました。東京と違って移動が楽ということもありますね。
ー 監督が最近ご覧になった中で好きな映画を教えてください。
『ウォー・ダンス』(注)がよかった。それと『おくりびと』です。滝田さんは昔から好きだったので。ピンク映画から苦労して来られた滝田監督が受賞したと聞いて「やったー!」と思いました。映画館へはなかなか積極的に行ってないんですよ。作るほうばっかり気がいっちゃって。
(注:『ウォー・ダンス/響け僕らの鼓動』ウガンダ難民キャンプの学校の生徒が全国音楽大会に参加するドキュメンタリー)
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ほとんどの映画は原作があり、それを映画化するのですが、自分で生み出したものを、脚本を書き、映画にしていく。これこそ私は映画作りの王道だと思います。ですから監督の作品には、他と違うものを感じます。ふっと思い付いたことが、観た人の心に深く食い込む映画になるまでの道程に興味を覚えます。(白井)
長時間お話を伺いました。シナリオを書くときキャラクターが動いていく、というのが羨ましいです。この作品で重要な役割りを果たしているガラス瓶、その監修をされた庄司太一さんのコレクションは「ボトルシアター/Bottle Theatre」(中野区白鷺/要予約)で拝見できます。いつか出かけたいと思います。(白石)
★4月11日、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー