1988年9月3日 イラン、テヘラン生まれ。現在20歳。世界的に有名な映画一家の末娘(家族全員が映画監督)。小学校2年で学校をドロップアウト、父モフセン・マフマルバフの映画学校に学ぶ。8歳で撮影した初めてのビデオ短編『おばさんが病気になった日』で、9歳にしてロカルノ国際映画祭に参加。15歳の時、姉サミラのカンヌ受賞作『午後の五時』のメイキング・ドキュメンタリー『ハナのアフガンノート』を発表し、ベネチア映画祭に出品。世界3大映画祭出品の最年少記録をつくる。劇映画デビュー作となる『子供の情景』は、数々の映画祭で称賛され、2007年の第2回アジア・フィルム・アワードでは、最優秀作品にもノミネートされた。
3月4日(水)18:00-20:00
主催:津田塾大学 言語文化研究所 早川プロジェクト
場所:津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス 津田ホール1F T101・2会議室
『子供の情景』が、4月18日から岩波ホールほかで公開されるのを前に、ハナ・マフマルバフ監督が来日。20歳の彼女と同世代の学生さんたちが企画運営するイベントが開かれました。大雨の降る中、少し遅れて到着すると、ハナと通訳のショーレ・ゴルパリアンさんが会場の外でちょうど出番を待っているところでした。ハナとお会いするのは、これが3度目。可愛く手を振ってくださいました。
-- ハナさんが20年間生きてきたことが、どのように映画に影響していますか?
ハナ:まず、日本では公開の時に題名を変える習慣があって変わっていますが、元のタイトルには、私にとって大事な意味があることを申しあげておきたいです。20年間生きてきて、ハナとして経験しているものがあって、今、ここに坐っています。隣に座っている通訳のゴルパリアンさんの20年を私にくれたとしたら、ハナじゃない。ハナの20年があって、この映画が出来ています。ポットの中に水がなければ、それはただのポットになる。そういうことだと思います。
-- 映像がとても美しくて、アフガニスタンの厳しい現実をリアリズムでなく、アートとして描かれたのだと感じました。
ハナ:アーティストとして、1つの話を作っています。1つ1つのシーンを、どう描けばいいか、1つ1つの音をどうすればいいか・・・、すべて1つ1つ考えて作っています。もし、この映画をアートとして観ていただいて、色を観てそう思ったとしたら、子供たちの世界には色がないといけないからです。女の子の大勢いる教室では、服装も1つ1つ考えました。教室の外には色がなかったと思います。教室の中は、子供の世界で、カラフルなのです。
-- 卵やノート、燃えてしまう凧、口紅、覆面、死んだフリをする少女・・・ シンボリックな場面が散りばめてありました。どのような思いで描かれたのですか?
ハナ:もちろん、すべてのものには意味があります。映画の世界の中に入れるものは、すべて自分で考えています。1つ1つのものに存在感があると思います。質問がとてもいいと思っても、返事はそれ以上になくて、ごめんなさい。
-- 年下の方なのに、心の中の土壌が素晴らしいと思います。今後、どのように活動される予定ですか?
ハナ:あなたは大学で何を勉強しているのですか?
-- 英文学を学んでいます。
ハナ:卒業したら何に?
-- 具体的には決めていないのですが、素敵な大人になりたいと
ハナ:私も素敵な大人になりたいです。自分は、映画を作っている時は監督だけど、質問に答えている時は、1人の女性です。このまま映画を作っていきたいですが、イランの国の状況もあって、映画を作り続けるかどうかわかりません。今、たくさん小説を書いています。映画は皆で作るものなので、なかなか作れません。映画監督は他の職業も考えないとやっていけません。タクシーの運転手をしている監督も知っています。色々な人とコミュニケーションが取れて、映画の題材にもなると言っています。私がもう1つやりたいのは、翻訳。皆さん、英語を勉強されていて素晴らしいと思います。1つの語学を勉強すれば、また別の世界が広がっていきます。イランには、大勢の詩人がいて、素晴らしい詩があるけれど、ペルシャ語なので他の国の人には理解してもらえません。英語に翻訳して、多くの人に知ってもらいたいと思っています。そして、映画も1つの言葉。「映画語」は、世界共通です。皆さん、素敵な勉強をしているから、頑張ってくださいね。
-- タイトルが変わって、「ブッダ」が消えたことについて、もう少し詳しく気持ちを聞かせてください。
ハナ:配給会社の人がいなければ話すのですが・・・ タイトルは、とっても大事。1つの題名で何かを説明しているということもあります。監督として映画の題を決めますが、最初から題があって作ることもあるし、作り終わって、この題にした方がいいかなと思うこともあります。子供の生まれる前に名前を決めている人もいれば、生まれて顔を見て決める人もいるように。どちらにしても、選ぶ名前はとっても大事。『Buddha Collapsed out of Shame(ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた)』というタイトルは、父の書いた本のタイトル。それがあって、バーミアンを舞台に選んだし、タイトルにも意味があります。子供たちが暴力を振るうけれど、それはバーミアンという場所に意味があります。あの仏像のところで、ひどい暴力が行われて、それは世界の恥。崩された仏像の前を行ったり来たりしますが、あそこで何があったかを思い起こすことが大事なのです。石で出来ている仏でさえ、恥で崩れ落ちたのに、人間は子供たちに対して恥ずかしくないのかと問いかけています。
-- 配給会社の肩を持てば、ペルシャ語や英語でブッダと言った時と、日本語でブッダと言う時では、ちょっと意味が違います。
ハナ:じゃ、日本語でブッダという言葉を使うと、どう違うのですか?
-- バーミアンがタリバンに破壊された事件が中心の映画と、日本の人たちは捉えてしまうと思います。
ハナ:ブッダは、日本で愛されていると思っていたのですが、そうではないのですね?
-- 愛されているけれど、ブッダにも色々あって、アフガニスタンの大仏とは距離感があります。
ハナ:ブッダは、あまりに偉大。もし、私が他の国に生まれるとしたら、ブッダのいる日本に生まれたかった。ガンディーのいるインドに生まれたかった。マザー・テレサや、イエス・キリストの優しさにも惚れています。
-- 共通点は、非暴力ですね。
ハナ:彼らの価値観を小さい時から、お父さんに教えてもらっていて、馴染みのある存在です。
-- 日本には、「知らぬが仏」という言葉もあります。
(と、ここまで、「ブッダ=仏様」に対する認識についてのやりとりが続いたのですが、実は質問した方は、綺麗な日本語を使われましたが、外国人男性の詩人の方でした。)
-- ハナという名前は日本で親しみやすいのですが、マフマルバフという苗字は発音しにくいです。だからこそ印象的なのですが。お姉さんの撮った『午後の五時』も興味深かったのですが、13歳の妹さんであるあなたが撮ったドキュメンタリー『ハナのアフガンノート』が実に面白かったです。本作では、女の子に向って「自由になりたかったあら、死んだ振りを」という言葉が印象的でした。マフマルバフ一家が映画一家で、あなたは学校に行かず映画監督になられました。あなたの頭の中を知りたいです。
ハナ:自分の頭の中・・・ MRIを撮ったら説明できるかもしれないですね。普通の学校には行ってないけれど、お父さんの学校で勉強しました。先生というお父さんと24時間一緒だったから、普通の子より長い時間学校に行っていたようなものです。13歳で1本、17歳でこの映画を撮ったのは、自分にとってはそんなに不思議なことではないです。普通、22~24歳で大学を終えて、そこから何をするかを考えるとすると、映画を作るのも30歳くらいになると思いますが、私の場合は早かっただけ。例えば、英語がすごくよくできる5歳の子がいたとしたら、その子が早く勉強を始めたというだけで、頭の中は同じだと思う。映画のあのセリフは、お母さんが書いたものです。素人の役者には、セリフを教えて言ってもらうのは不可能。彼らが状況の中で言っている言葉を、そのまま使っています。ラストシーンのセリフは、とても自分にとって重要です。どうやって終わらせるかのピリオドを打つものです。ラストのセリフは、ドキュメンタリーを撮っていた時、アフガニスタンの女性が言っていたもの。ロシアが入ってきて共産党に、その後、タリバンが出てきて原理主義に、そして、アメリカ人が入ってきて、アメリカ人になれと。毎回自分を殺して、違う人を作らなければいけない。そういう意味でとても深みのあるセリフです。彼らは、人生の中で何度も自分を殺して違う人物を作ってきたのだと思います。生きるために、頭の中で自分を殺してきたのではないかと思います。アメリカに宗教のことは考えなくてもいいと言われても、前の考え方が文化として染み込んでしまっていて、なかなか変えられないということもあると思います。
-- 大変素晴らしい考え方ですね。ところで、崩された大仏のあたりには、実際に人が住んでいるのですか? それとも映画として描いたのですか?
ハナ:この映画を作ったきっかけをよく質問されますが、脚本家が何を考えて書いたかをなかなか聞いてくれません。この映画の脚本は、お母さんが書いてくれたのですが、お母さんは、実際にバーミアンの洞窟の中に人が住んでいるのを見て感動的だったから、この物語を書いてくれました。2年前まではたくさんの人が洞窟の中に住んでいたけれど、遺跡を美術館にすることになったので、今は住んでいないかもしれません。芸術的に撮ろうと思っていたのですが、アフガニスタンの現実を見せたいという思いもありました。シンボリックに凧が堕ちて燃えてしまう場面なども入れて、現実と夢の間を行ったり来たりしながら作りました。
-- ラストシーンの「死んだ振りをしろ」というシーンを選択するのは難しかったですか? それとも、自然にそのような最後にしたのですか?
ハナ:この映画には脚本がありましたから、その通りに撮っています。ただ、最初、脚本に従って撮ったものは、とてもポエティックでした。完璧じゃないなと思って、お母さんにお願いして、一緒にもう一度アフガニスタンに行って、いろいろな人に話を聞いて、ラストはそれを元に書き足したものです。
-- 撮っていて、どこが楽しかったですか?
ハナ:自分は今、20歳。20年で一番楽しかったのは、子供たちと一緒に映画を撮っていた時。子供の目線から撮ろうと思っていましたので、自分も目線を下げて子供になった気分で、とても楽しかったです。
-- お若いのにすごい洞察力だと思いました。気になったのは、アフガニスタンで実際に戦争ごっこは日常としてあるのでしょうか? 脚本として作られたとしたら、あの子供たちの目が狂気の目でした。演出でそうされたのでしょうか? そうだとしたら、子供たちが後でトラウマになったり、いじめにあったりしたのではないかと心配です。
ハナ:実際、アフガニスタンでは戦争ごっこをしています。平気でやっていて、メンタルケアは必要じゃなかったです。アフガニスタン人じゃない私たちの方にメンタルケアが必要でした。あまりに世界がアフガニスタンの現状に目を閉じてしまったので、映像にしてみるとショックを受けてしまいます。ドイツで、70歳の女性の方に「あなたは何の権利があって、この映像を見せるのですか?」と怒鳴られました。「あまりにも西洋人が私たちに暴力を振るった後に目を閉じてしまったから、この映画を作ったのですよ。ちょっとだけ観てください」と私は言いました。その後で、「私は1つ間違いを犯しました。暴力を1つ見せてしまいました。でも、あなたたちはたくさん暴力を振るいました。あなたは暴力シーンに目を閉じたけど、アフガニスタンの5歳の子は、暴力を見なくてはならないのですよ」とも言いました。
-- アフガニスタンが子供で、外国が大人という風に例えたのでしょうか?
ハナ:映画は人生のようなもの。いろんな見方はすべて正しいと思います。観る側によって解釈は様々だと思います。
-- (やっと学生さんからの質問) 同じ20歳の女性が撮ったと思うと、不思議な感動があります。最後の「自由になりたければ死ね」というセリフを聞いて、アフガニスタンで自由を手にするのは死ぬほど難しいものだと思いました。自分を殺さないと生きていけないというメッセージを感じました。観る側に何を感じて欲しいのかをお聞かせください。
ハナ:メッセージはありません。映画全体を観て、メッセージが何かを説明しなくてはいけないとしたら、上映に自分がついていかなければいけません。昔は、1つの芸術を生み出すと、批評家が間違いを見つけると思っていました。そして、説明してくれるのだと。最近は、1つの芸術を生み出した後、自分は死んでしまう。作品それ自身が説明してくれるから。子供も生まれれば、自然に育っていきます。
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学生さんの代表質問の後は、大人の方の質問が続いて、<ハナ・マフマルバフ、日本の同世代女性と語る>という趣旨と少し違ってしまいましたが、しっかりと自分の考えを語るハナに、大人はタジタジという感じでした。イベントが終わって、企画運営した学生さんたちと一緒に記念撮影をするハナは、20歳の普通の女の子の顔でした。それでも、私が初めて彼女に会った15歳の時のことを思うと、もうすっかり大人の素敵な女性。これからますます楽しみなハナです。
日時:3月5日(木) 13:30~14:30
場所:岩波書店セミナールーム
ハナ:サラーム! ようこそ記者会見にお越しくださいました。
司会:もう一言どうぞ!
ハナ:もう一言といわれると、褒めなくちゃいけないですね。日本はとてもいい国。お米も美味しいし、ジャーナリストの方たちも、とてもいい方たち!
-- なぜ、バーミアンの、しかも子供を主人公にしたのでしょう?
ハナ:基本的な映画のことを質問されると、どう答えていいかわかりません。この映画から、バーミアンと女の子を取ると何も残らないので、なぜ? と言われると困ってしまいます。脚本は、お母さんが書いたのですが、バーミアンに行って、洞窟の中で人が住んでいることに感動したのです。ブッダがタリバンによって破壊されたことも一つの要因です。なぜ子供・・・ですが、女の子というのは、純粋で何も罪を犯していません。よく説明はできませんが・・・
-- タリバンの真似をする子供たちは実際にいるのですか? シナリオで書き込んだのですか?
ハナ:脚本は、母が2回に分けて書きました。最初は、女の子が隣の男の子と話して、学校にすごく行きたくて、何とか卵を売ってノートを買って学校に行く話でした。この話をそのまま撮って編集もしたけれど、とてもポエティックでシンプルなものだったので、もっと問題を入れてみたいと、母と2人でバーミアンに行って、見たものをそのまま脚本に足しました。戦争ごっこをしているのも、2回目に行って、実際に見たものです。現地で聞いた話を入れた部分もあります。
-- ハナさんは、2007年のインタビューで「アフガニスタンとイランに共通する苦しみを描いた」と言われています。その苦しみとは、戦争ですか?
ハナ:多分、自分が共通の痛みを理解していると言ったつもりです。この映画は戦争を味わった子供たちの話。イランやアフガニスタンだけでなく、戦争の多い国の子供たちの痛みを描きたかったのです。目に見えるものだけでなく、文化的で平和でも、貧困ということもあります。
-- アフガニスタンのバーミアンの現地で、女の子がなかなか学校に行けないというのは、イスラームの問題ですか? それとも、戦争の影響ですか? 現実を反映しているのか、脚本として創作されているのか? キアロスタミの『友だちのうちはどこ?』と構想が似ていますが、影響を受けたのでしょうか?
ハナ:2つ目の質問から答えます。前にも話しましたが、映画界の中で、子供についてのものがあまり作られていないので、前作と似ているところを探されるのではないかと思います。子供の純粋さが似ているけれど、語っているものは別。世界にたくさんラブストーリーがあるけれど、似ているとは言わないでしょう。
1つ目の質問ですが、人類には大人と子供、歳を取れば老人、そして男と女という分け方なので、どの人にも同じ話をしているように思われるけれど、人間1人1人違う。映画を観て、どうしてあの子が学校に行けないのか感じられませんでしたか? あの地域の大人は、毎日の生活に追われ、子供の面倒をみたりすることができない。宗教の問題か、戦争の問題かはわからないけれど、大人が子供のことを真剣に考えられない。女の子は最初、可笑しい話を読んでもらって、もっと聞きたいと学校にたどり着くけど、学校で教えてもらえるのは、面白い話じゃない。大人たちは何を教えるのか? 大人から何を学んでいるのか・・というと、暴力しかない。(ここで、司会者から、ハナがキアロスタミの映画を観ていないと補足説明)
-- イランでどういう教育を受けてきたのですか? どうして映画監督になろうと思ったのですか?
ハナ:父が映画監督で、母も手伝っていたので、小さい時から映画の話ばかり聞いて育ちました。8歳の時、お姉さんが「学校に行きたくない。高校を出て大学に行って映画を学んでも、お父さん以上のものは学べない。お父さんの映画が好きだから、お父さんから学びたい」と言って、家族会でやるなら兄と母も一緒に勉強しましょうと。私は8歳で2年生だったけど、学校では宗教的な科目もあって、天国と地獄の話とか面白くなかったのです。お父さんの教えてくれるものは、絵や美術の話もいっぱいあって、子供にとって自然に興味が持てました。自分も「学校をやめて、お父さんの学校に入りたい」と言ったら、お父さんが条件を付けました。普通の学校と違う教え方で、1ヶ月毎日8時間、同じことを勉強するやり方です。例えば、毎日、文学ばかりをシャワーを浴びるように学ぶのです。朝から晩まで1つのことをやると何かが残ります。必ず、毎日、勉強の前に2つの詩を詠みました。1つは、「いい仕事をするには、同じことをたくさんすること」、2つ目は、「水を探さないで自分から取り出して」というものでした。例え話で毎日言われたのは、「大きな牛を女性が運んでいて、なぜ? と聞くと、牛が小牛だった時から背負っていたから、大きくなっても重さを感じない」というものでした。
-- これまでの2作品は、アフガニスタンを舞台にしたものでした。いつかイランの文化を紹介するような作品も期待しています。昨日の津田塾大学での催しで、今、小説を書いたり、翻訳をしたりしているとおっしゃっていました。どのようなものを手がけていらっしゃるのですか? (ちなみに、私の質問です)
ハナ: あなたはいつもいらっしゃるので、私のことをよく知ってらっしゃることと思います。翻訳については、新しい話が出来ない時は、自分のところにあるいいものを伝えたいと思って訳しています。映画は1つの翻訳。映画語はどこにでも通じますので。一番最初に書いたのは、12歳の時で、詩集のようなものでした。語学の本の中に、言葉は石のように重いけれど、1つ1つ削っていくと彫像ができるようだと書いてありました。1つの石=言葉から、何かを作って皆に見せようと思いました。お父さんの学校で詩を学んだのですが、1つの伝統的なスタイルだけでなく、人生の詩を見つけてください、人生の絵を見つけてくださいということでした。芸術家の仕事は、1つ1つ、あるものの中からいいものを発見して皆に見せることだと思います。私たちが観て感動する映画は、自分たちの話だったりします。
-- この作品を観て、ブッダが恥辱の為に崩れ落ちるという状況を変えることもできると希望も感じました。
ハナ:父が書いた本のタイトルをそのまま映画の題にしたのですが、石で出来たブッダも崩れ落ちるのに、人間が見て何も感じないのはおかしいのではないかと。自分は教える立場ではありません。観る人1人1人の解釈が正しいと思います。どの角度から観ているかで変わるのではないかと思います。
-- アフガニスタンがより良い未来を持つには?
ハナ:私は政治家でもないし、批評家でもありません。映画監督は、自分が目を大きく開いて、皆が見えなかったり、見えないフリをしているものを見せるのが仕事だと思います。思い出すのは、アフガニスタンの北部同盟司令官の故マスウードが言っていたのですが、将来を説明できるのは、政治家ではないということです。映画の中のシーンで、警官が車の通っていないところに立っていて、「今、仕事してるから助けてあげられない」と言います。アメリカや世界は必要でない助けをしているのでは? 文化的に豊かになれば、戦争も起こらないのではないかと思います。父が、「アメリカが爆弾の代わりに本を落としていれば」と語っています。
-- アメリカがオバマ政権になって、変わってきたといわれています。これから、アメリカとイランは協力できるのでしょうか? 個人的見解でいいのですが・・・
ハナ:今の世界では、政治は最も上流になってしまって、皆が政治の眼鏡をはずすことはないけれど、政治は我々の時間を多く無駄にしていると思います。私には、鼻以外にも口や目など色々あるのに、鼻しかみてもらえない。花は綺麗だけど、この部屋いっぱい花にすると、それは綺麗に見えるでしょうか? 自分の映画は政治の反対側に作られていて、世界に訴えているのに、政治的に見られてしまいます。政治を何秒かでも止めて、子供たちのことを考えて欲しいと言いたかったのです。
司会:政治家にはできないこと、監督にしかできないこと、それもハナにしかできないことを描いていると思います。アフガニスタンの子供たちに明るい将来があって欲しいと皆が願っていると思います。公開を機に、1クリックで、アフガニスタンの子供たちに“本”をという、『子供の情景』寄付キャンペーンを行っています。ノートを送ることも考えたのですが、ノートよりも本にすれば、皆で回して読めるということで本を送ることにしました。それも、日本で本を買って送るよりも、現地で買って送る方がいいということになりました。是非、ご協力ください。
キャンペーンへの参加方法は、キャンペーンバナーをクリックするだけ。1クリックにつき本1冊分(2米ドル)というカウントで、映画配給元および協賛各社より「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」に寄付され、寄付金は200冊分ごと(400米ドル)に1つの「移動図書箱」の調達(本200冊入りの移動図書箱)およびモニタリング費用など活動管理費として使用されます。
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キャンペーン期間:3月18日(水)〜映画公開終了まで