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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『海角七号 君想う、国境の南』
范逸臣(Van/ファン・イーチェン)インタビュー

范逸臣、撮影:宮崎暁美

2008年、台湾で『タイタニック』に次ぐ歴代映画興行成績ランキング第2位の記録を残した『海角七号』。待ちに待った、話題の映画が2009年12月26日、日本で公開される。

『海角七号』場面写真 『海角七号』場面写真
『海角七号』場面写真

日本公開タイトルは『海角七号 君想う、国境の南』。
2008年9月、アジア海洋映画祭イン幕張でインターナショナルプレミア上映され、見事グランプリを受賞した。その後も2009年6月に宮崎映画祭で上映されている。そのどちらにも、魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督はじめ、主要キャストの范逸臣(Van/ファン・イーチェン)、田中千絵が来日して映画祭を華やかに盛り上げてくれた。
(シネマジャーナルでも、アジア海洋映画祭イン幕張の模様をVo.75でレポート

日本公開が決まり、2009年9月末に再び3人で来日。記者会見、プレミア試写会の舞台挨拶、各社取材などハードに予定をこなしていた。魏監督が霧社事件を題材とした次回作『賽徳克・巴莱(セデック・バレ)』の撮影に入るため、公開より少し早めの来日となったそうだ。そして今回、私たちはラッキーにも、主人公阿嘉役を演じた范逸臣さんにインタビューさせてもらうことができた!

私事なのだが、実はVanを初めて知ったのが、アジア海洋映画祭イン幕張で『海角七号』を観たとき。本業はミュージシャンであるという事も同時に知ったのである。この映画祭は毎回、話題作をいち早く観られるということで、この時もとりあえず観てみよう!という感じで行っていたので、今思えば本当に観に行っていてよかったな…と心から思う。
会場でサインを頂いたとき、気さくな感じのいい人だな、というのが第一印象。
写真撮影やサインにも長い時間、たくさんの観客に応じていた。
その後、11月にも日中カラオケコンクールのゲストでまた来日するというので、やはり気になって見に行った。その時に初めて彼の生の歌声を聴くことになるのだが、とてもよく通る優しい歌声に魅了されてしまい、一度でファンになってしまった。

取材当日、約束された時間になり、緊張しながらホテルの一室に入ると、光沢のあるパープルの上着にジーンズ姿のワイルドなイメージのVanがそこに!
まず初めに、幕張のときに撮影した写真を差し上げて、こちらが準備している間に、通訳さんとその写真を見ながらにこやかに談笑していた。…が、その時、写真の中に現像したときのレシートが挟まっていたのを突っ込まれてしまい、思わず一同爆(苦)笑!!しかし、それで緊張が少しほぐれて結果良かったのかもしれない。

范逸臣
范逸臣

シネマジャーナル:『海角七号』はヒットする予感はありましたか?

Van:撮影している時も宣伝期間中も全く思わなかったし、思おうともしていなかったです(笑)。

シ:ブームになったことについてどう思いますか?

V:今の台湾映画の現状を見ると、台湾の監督たちに希望を与えたと思う。何より、台湾の人たちが映画館に行ってくれたのが嬉しい。

シ:ヒット後に変化はありましたか?

V:歌の仕事が増えて忙しくなったので、生活面でプライベートの時間が少なくなりましたね。知名度が上がって、サポートしてくれる人が増えました。

シ:ミュージシャンたちとの共演はいかがでしたか?

V:とにかく撮影が楽しくて、スタッフや共演者の友達が増えました。いろんな年齢の人と出会えたことで人生についても学ぶことが出来ました。

シ:映画を撮ることで、みつけた楽しみや学んだことは?

V:カット割りだったり、カメラで語ること。あとは、シーンのつながりなど、映画作りの面白さですね。

范逸臣
范逸臣

シ:この映画に出てから、日本人女性の印象は変わりましたか?

V:友子の役からではなく、田中千絵さんと仲良くなってから、変わったと思います。日本の女性は声が小さくて、感情表現がうまく出来ないというイメージがありましたが、彼女ははっきりと表現して言うので。

シ:友子のような怒りっぽい女性を本当はどう思いますか?

V:医者に診てもらった方がいいと思います(苦笑)。

シ:ご自身で作曲された、オープニングで流れる《Don’t Wanna》とライブシーンで演奏する《無楽不作》は『海角七号』のために書き下ろした曲ですか? 脚本からイメージをわかせて書いたのですか?

V:映画のために作曲の依頼があり、監督から曲調のリクエストを聞いて、自分の曲をいろいろ聴いてもらって、欲しい曲のイメージを理解しました。
《無楽不作》はこのために作曲しました。《Don’t Wanna》は何曲か提出した元々あった曲の中から選ばれました。

范逸臣
范逸臣蘋果日報記事より

※(緑子)
それから、2008年12月に行われた、初の単独台北アリーナでのコンサートについても一つ聞いてみたいことがあった。私はファンになってから、タイミングよく開催されるこのコンサートを迷うことなく台北まで見に行った。
そのコンサートは全体的にロックテイストだったのだが、オープニングでステージに現れたVanは衣装やヘアメイクがビジュアル的に「本当に范逸臣??」と思うほど、とにかく派手に変身していた。

シ:あの衣装やヘアメイクはご自分で選んだのですか?

V:せっかくのチャンスだから、すべて自分のやりたいことをやったよ!

※ (緑子)
そうでしょう…コンサートを観ても、聴いていても、それは十分に感じられる内容で、デビュー前に一緒に活動していたバンド【龍捲風】とボン・ジョヴィやエアロスミスの曲を演奏したり、当時のオリジナル曲だったり、彼の音楽の原点を少し見ることができたような感じがした。
もちろん、ヒット曲の数々もあり、事前にブログでファンのみんなも一緒に歌えるようにと告知してあった何曲かをみんなで歌ったり、会場は一体となって盛り上がっていた。
コンサートの後半では『海角七号』出演者の【海角樂團】が登場し、映画と同じように“10、9、8、7、…”と一緒にカウントダウンからスタートする時は嬉しくて涙が出そうになった。《無楽不作》は本当にライブで盛り上がる曲だ!
魏監督は《国境之南》を、田中千絵さんは《野玫瑰(野ばら)》をVanと一緒に歌っていた。見ているこちらも映画の中に入り込んだような気分で、貴重な体験が出来たと思う。本当に感動的で楽しい3時間のコンサートだった。

范逸臣
范逸臣

シ:ニューアルバムや今後の活動について教えてください。

V:今はギターの阿龍とユニットを組んで、ニューアルバムを製作中です。 すべて自分で作曲しました。来年の初め頃に出せればと思っています。 今年は曲作りの時間が多かったので、来年は上半期に映画に出演出来ればいいなと思っています。いい話があればですが、今は未定です。

シ:日本の観客へメッセージをお願いします。

V:『海角七号』は台湾のいいところがたくさん出ている映画です。台湾のことを認識し、より理解できると思うので、是非観てください。それから、范逸臣の音楽をたくさん聴けるので、映画を通して私の音楽を聴いてください!よろしくお願いします。

シ:試写会で映画を観た私の周りの人たちが、范逸臣さんのライブに行ってみたくなったと言っていました!

V:チャンスがあれば、日本でライブを是非やりたいです!

このインタビューが一番最後の取材ということで、お疲れだったと思うのだが、ニコニコと自然体な優しい方だった。質問に答えるときの真剣な眼差しにはドキドキしてしまった! 映画については同じようなことを何度も質問されていると思ったので、聞かれていないような少し変わった質問や、何と言っても范逸臣は実力派シンガーソングライター!、映画で使われている自作曲の2曲についても聞いてみたかった。

范逸臣(Van)のデビューは2002年。アルバム「范逸臣」に収録された、韓国映画『猟奇的な彼女』の中国語版主題歌《I Believe》で注目を浴び、その後もドラマの主題歌を歌うなどして、バラード色の強いイメージがあった。
しかし、この『海角七号』のブレイクとともに、彼の音楽もロックテイストを前面に出し、本来やりたかったスタイルでの再スタートを切ったようだ。
インタビュー時は結成したユニット(バンド)の名前はまだ秘密ということだったが、ようやく【酷愛樂團】として、2009年12月19日台北・河岸留言でのライブが発表された。今後の活躍が本当に楽しみだ。是非、日本でもライブを実現させてもらいたい!
今まで日本では、あまり知られていなかった范逸臣だが、とにかく『海角七号 君想う、国境の南』を観れば、阿嘉になった彼のステキな歌声がバッチリ聴けるので、映画を観た多くの人が彼の魅力にハマることだろう。

取材 緑子、白石映子、宮崎暁美
写真 宮崎暁美
〈まとめ 緑子〉

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●『海角七号 君想う、国境の南』(原題 海角七号) ストーリー

 ミュージシャンになる夢に破れ、台北から故郷である台湾南部の海辺の町恒春(ヘンチュン)に戻ってきた阿嘉(アカ)は、郵便配達の仕事を始めたが自暴自棄の生活を送っていた。

 そんな中、日本の有名歌手・中孝介のコンサートが開催されることになり、その前座として、地元民のバンドが結成されることになった。たまたま仕事で滞在していた日本人モデルの友子がバンドの取りまとめを任され、阿嘉を含めた6人の即席バンドの練習が始まった。無理やりバンドメンバーにされた阿嘉と、やはり無理やりマネージャーにされた友子はそりが合わず、いつも喧嘩ばかり。また、子供から老人までの即席バンドはバラバラで、全然うまくならない。イライラがつのり、友子はヒステリーを起こす。

 やる気のない阿嘉は郵便を配達せず、家に溜め込んでいたが、あるとき「海角七号(直訳すると岬7番地)」という、今はない住所に宛てた日本からの小包を見つけた。中には、終戦直後台湾を離れた日本人教師が台湾人の恋人(友子)に宛てに書いたラブレターが入っていたのだが、阿嘉には何が書かれているのかわからない。

 一方バンド活動が佳境に入り、反発しあっていた阿嘉と友子はあるきっかけで惹かれあうようになる。そして、この60年以上前に書かれた手紙の存在を知った友子は、この手紙を宛先にぜひ届けてほしいと願う。

 いよいよコンサート当日がやってきた。即席バンドの面々は素晴らしい演奏を繰り広げ、阿嘉の作った曲は大好評だった。そして、中孝介と《野玫瑰(野ばら)》を歌う。

 『海角七号 君想う、国境の南』は、音楽を愛し夢を実現させたい人たちの姿を、台湾南部の海辺の町で起こる騒動として描き、日本と台湾の時間と国境を超えた二組の愛を描いた作品です。 笑いと涙に溢れた物語は台湾で大ヒットし、侯孝賢監督をして、「こういう映画の出現を待っていた」と言わしめたとか。

『海角七号』場面写真 『海角七号』場面写真 『海角七号』場面写真
『海角七号』場面写真:(左)范逸臣さん (中・右)中孝介さん
魏徳聖(ウェイ・ダーション)
魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督

●『海角七号 君想う、国境の南』(原題 海角七号)をめぐるあれこれ

 去年(2008年)開催された「第4回アジア海洋映画祭イン幕張」で、初めて『海角七号』を観たときの印象と、再度試写で観たときの印象がかなり違った。最初に観たときは、日本語の台詞の不自然さが気になったのと、田中千絵さん演じる日本人女性友子の描かれ方が好きになれなかった。仕事に不満を持ち、いつもイライラしている。台湾人を見下してつっけんどん。酔っぱらって暴言を吐き、ガラスをたたき割るなど、なんか、監督は日本人女性が嫌いなのかと思わせるような日本人女性の描き方だと感じた。でも、2回目に観たときは、日本語に違和感は感じず、友子の行動も、1回目のときに感じた不愉快さは薄れていた。これは何に由来するのか、ちょっとわからない。少し編集を変えたのかとも思ったけど、そうではないらしい。

『海角七号』場面写真
場面写真:田中千絵さんと范逸臣

 しかも1回目に観たときには何もストーリーを知らず、昔の友子さんと現代の友子さん、友子が二人いるとはわからなかったので、途中まで話しが混乱してしまっていた。手紙に出てきた「友子」という女性が、台湾人女性のことだと知り、戦前の日本と台湾の関係の表わし方に台湾の人の優しさを感じた。それに、台湾南部の町の風景、人情、暮らしなど、とても興味深く観ることができた。

 実は去年(2008年)、劉徳華(アンディ・ラウ)の台北アリーナ(15000人収容)でのコンサートのため、11月下旬に初めて台湾に行った。何か新作を観たいと思い、台湾通の友人に聞いたら、「『海角七号』が大ヒットして台湾人の間で台湾映画に対する関心が高まっている。公開されたばかりの『一八九五』(日清戦争に敗れ、台湾が清から日本に割譲されるときの抵抗運動を描いたもの)も話題だから観たら」と言われ、この『海角七号』が台湾で大ヒットしたことを知った。8月22日に公開され、40館以上で上映されたとのこと。11月下旬でもかなりの映画館で上映されていた。台湾映画史上最大のヒットで、「海角七号症候群」という言葉まであり、異例のブームになっていた。

台湾の映画館にて 台北での海角七号上映劇場
  2008年11月台湾の映画館にて     2008年11月24日 台北での海角七号上映劇場

 西門町のCD屋さんに入ったら、『海角七号』のサウンドトラックが一位、主人公を演じた范逸臣(ファン・イーチェン)の、この映画の主題歌が入ったアルバム「無・楽・不作」も上位にあり、さらに中孝介の、この映画の未収録曲が入ったCD「心絆情歌」も、空港のCD屋さんで売り上げ一位になっていて、三つとも買ってきた。サウンドトラックには、映画の中にあった日本語で手紙を読むシーンが入っていて(語りは鄭文堂監督の『時の流れの中で』出演の蔭山征彦さん)、その合間に、映画で使われた曲が流れるという構成だった。丁寧に、映画の中に出てきた小包のような形になっていた(紐で結んであった!)。

『海角七号』関連のCD
『海角七号』関連のCD
左上 海角七号サントラ盤(友子さん宛小包状態!)  右上 中孝介「心絆情歌」   
下 范逸臣「無・楽・不作」

 それに、この映画に出ていたバンドの面々、元特殊部隊員ローマー役をやっていた民雄さん、馬拉桑(マラサン)という、原住民の酒を売っていた馬念先さん、古典楽器を弾いていた茂(ポー)おじいさん、キーボードを弾いていた女の子大大(ダダ)も、それぞれCMなどに出演しているのを見たので、ほんとにすごいブームだったんだと実感できた。あの映画を海洋映画祭で観た時、唯一知っていた台湾人は、女の子のお母さん役の林暁培(シノ・リン)だけで、他の人は知らなかった。あの映画の後、みなさんブレイクしたようです。特に范逸臣は大ブレイク。とうとう、去年の12月に台北アリーナでコンサートを開催! そのコンサートには、先の范逸臣インタビューにもあるように、この映画の出演者たちも登場し、映画で歌われた歌を一緒に歌ったらしい。

 台湾在住の元シネジャスタッフ羽原さんによると、去年の9月、10月ころは、会社、お得意先、家族、友人同士の間でもこの映画の話題で持ちきりで、人が集まればこの映画の話という状態だったそう。こんなにヒットしたのは、台湾語の台詞が多かったのも、かなり重要なポイントだったのかも。映画館では、台湾語の台詞のところで大笑いだったと、彼女からのメールにあった。

 台湾金馬奨では十項目もノミネートされ、観客賞ほか、6部門で受賞しているし、去年のアジア海洋映画祭イン幕張でもグランプリを受賞しているほか、たくさんの受賞歴があるらしい。

 そして先週、また台湾に行ってきた。去年はコンサートがメインだったから、いろいろなところにじっくり行く時間がなかったので、今度はじっくり行ってみたいと思ったのだ。それに、この1年の間に、『雨が舞う~金瓜石残照~』『風を聴く~台湾・九份物語~』『台湾人生』『バッテンライ(八田が来た)』 『台北に舞う雪』『台北24時』『一年之初』『トーテム』など、台湾を舞台にした映画や台湾映画を観て、台湾に行ってみたくなった。また、『悲情城市』『恋々風塵』『台北に舞う雪』などのロケ地にも行ってみたかった。

 そして、また西門町のCD屋さんで、『海角七号』関連のCDをみつけて買ってきた。この映画の中で、原住民の酒「馬拉桑(マラサン)」を売る販売員で、馬拉桑と呼ばれる役を演じていた馬念先(マー・ニエンシェン)のCD<醉飽満精選>で、「皇后大道東」、「龍的傳人」の替え歌?なども入っていた。それにしても、映画公開から1年以上たっても『海角七号』ネタでCDが出ているというのは、やはりすごいブームだったんだと思った。

馬拉桑CD
馬拉桑CD

文&写真 宮崎 暁美

公式HP http://www.kaikaku7.jp/

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(台湾在住 元シネジャスタッフ羽原さんより)

昨年は台湾も不況に見舞われ、政治も混乱という重苦しい雰囲気がありました。 そんな中で『海角七號』は、誰もがリラックスして楽しめる映画として、台湾全土で老若男女から支持され、空前の大ヒットを遂げました。 『海角七號』は、もちろんその映画の内容もさることながら、奇蹟と呼ばれる大ヒットまでのストーリーも、社会に明るい話題を提供しました。 ブームのピーク時は、会社でも、お得意先でも、結婚式で隣に合わせた人とも、家族とも、この映画の話題一色、まるで人が集まればこの映画の話というような状態でした。 昨年は台風が多かったことも、興行収入を押し上げた原因のひとつでもあるようですが、長い間、台湾内では観る人がほとんどいなかった台湾映画が、台湾映画史上No.2に輝くまでのその大躍進ぶりは、連日マスコミで報道されました。 舞台は台湾最南端の屏東というところで、各ロケ地は観光バスも止まる観光地となり、出演した俳優さん達はTVにCMに引っ張りだこでした。

日本でもまもなく公開だそうですね(編集部注:12月26日公開されました)。 台湾の歴史を少し知っているほうが分かりやすいと思いますが、全くバラバラな人たちが入り混じって一つになるストーリーこそ、まるで「台湾」みたいだなと思います。 日本は寒い日が続くと思いますが、気候も人柄も暖かい南の土地の物語から、きっと元気をもらえるはずですよ。

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「第4回アジア海洋映画祭イン幕張」


海洋映画祭グランプリ受賞           トニー田中さんも一緒に


左から中孝介、田中千絵、范逸臣、魏徳聖監督

写真 宮崎暁美、白石映子

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『海角七号 君想う、国境の南』初日舞台挨拶レポート

12月26日、いよいよ『海角七号 君想う、国境の南』が公開されました。26、27日の2日間で8回の舞台挨拶があるというので、26日19時の回の舞台挨拶に行ってきました。舞台挨拶の報告を。

出席 范逸臣(ファン・イーチェン)、田中千絵、中孝介

司会の方が3人を紹介した後、それぞれ挨拶がありました。


范逸臣:この映画の中で、阿嘉(アカー)を演じています。 こんなにもたくさんの人に来ていただき、とても嬉しいです。

田中千絵:年末の忙しい中、皆さんいらしていただきありがとうございます。 アジア各国で公開されましたが、故郷日本で公開されることに感慨深いものがあります。台湾公開から1年以上たちましたが、あっという間でした。

中孝介:この映画を通して、台湾で知られるきっかけになりました。日本公開は、主演のみなさんに負けないくらい嬉しく思っています。

司会:この映画の見所をお願いします。

范逸臣:『海角七号』は、私にとってスペシャルなものです。 台湾と日本、60年前と現在、時間を越える二つの恋愛の物語です。 また、音楽も聴きどころです。

田中千絵:ストーリーが感動的です。特に最後の「野ばら」を歌うシーンは感激すると思います。ウェイ(魏徳聖)監督も一緒に来たかったのですが、今、次作を撮っていて来られないのが残念です。台湾に帰ったら、たくさんの皆さんが、この作品を観に来てくれたことを伝えます。

中孝介:改めて台湾と日本のせつない歴史があったんだと実感しました。 最後はあたたかい気持になって帰っていただけると思います。


15分ほどの舞台挨拶でしたが、日本公開が実現した喜びに溢れた3人の言葉でした。

あいにく、この回は取材の対象になっていなくて写真がないのが残念ですが、その前の回にあった、蓮舫議員を交えての写真を配給会社から提供いただいたので載せさせていただきます。(宮崎暁美)

蓮舫、范逸臣、田中千絵、中孝介
初日舞台挨拶 蓮舫議員、范逸臣、田中千絵、中孝介

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