2009年11月21日(土)~11月29日(日)の10日間にわたって開催された第10回東京フィルメックス。コンペティション10作品、特別招待作品10作品、特集上映ニッポン★モダン1930~もうひとつの映画黄金期27作品、ジャン=ピエール・メルヴィル監督特集4作品に加え、東京フィルメックスが企画運営した「韓国映画ショーケース2009」で10作品と、充実のライナップ。さらに、映画上映の折のQ&Aのほか、有楽町朝日ホール・スクエア等でのトークイベント、セミナー、シンポジウム等々と、映画を観るだけでなく、ゲストのお話を間近で聴いて、共に映画を考える機会も盛りだくさんでした。 それぞれの詳細報告は、東京フィルメックスの公式ホームページにアップされていますので、ここでは、写真を中心に印象に残った言葉をお届けしたいと思います。
10回目の節目を迎えた東京フィルメックス。 11月21日夕方、朝日ホールを埋め尽くした観客を前に行われたディレクターの林加奈子さんによる力強い開会宣言で幕が開けられました。 「10周年です! 心より感謝します。第10回開会宣言を、チャイ・ミンリャン監督の新作を上映させていただける幸せを噛み締めて、短く済ませます。一緒に映画の新しい未来を実感しましょう!」 続いて、プログラム・ディレクター市山尚三さんより、コンペティション部門10作品と、審査員の紹介。審査員長の崔洋一監督が代表して挨拶・・・と続きました。 写真は、席が遠かったので、遠景を1枚!(Top の画像をご覧下さい)
上映前の舞台挨拶でツァイ・ミンリャン監督は、自身の長編10作目が10回目の東京フィルメックスで上映される喜びを語られました。ルーブル美術館からの依頼で製作した本作。撮影場所はルーブルを使ってもいいし、使わなくてもいいと特に条件はなかったそうです。「『ダビンチコード』を撮影した時には、相当な使用料だったけれど、私には無料と言われたので即決しました」とにっこり。会場からの「ルーブルの館内で唯一撮影場所にダ・ビンチの作品の並んでいるところを選んだのは?」との質問には、「たまたま、あの絵の下に穴があったから!」と答える監督。林ディレクターが、すかさず「ツァイ・ミンリャンといえば穴ですよね」と口を添えられました。穴から、巨人のようなジャン=ピエール・レオさんが出てくるのが映画の雰囲気にあっていると思って使ったのだそうです。穴もですが、溢れる水も、ツァイ・ミンリャンの映画には付き物ですね。今回も、シャオカンは水と格闘していました。映画の中で、曲名はわからないけれど、脳と身体がビビッと反応したスペイン語の歌がありました。謎はツァイ・ミンリャンのトークの時に解けました! レスリー・チャンのファンにとって必見の映画です。(私が条件反射してしまったのは、カバー曲『我的心裡沒有他』をレスリー・チャンが熱情演唱会で歌っていたからでした。
詳細は、亜美さんのブログ「亜美的時間2」11月25日をどうぞ! http://blog.goo.ne.jp/anemone339/d/20091125
これは絶対混みそう!と、公開が決まっている『フローズン・リバー』を観ないで待機! まずは、『ヴィザージュ』(フランス語で「顔」の意)に出演したツァイ・ミンリャン作品の常連チェン・シャンチーさんが撮影秘話を語りました。多くの部分はパリで撮影されましたが、パリに駆けつけることができなかったチェン・シャンチーさんなど数名の俳優は、台湾で出演することによって、ツァイ・ミンリャンの「顔」としての務めを果たしたそうです。今回の東京フィルメックスに審査員として来日されていたチェン・シャンチーさん。早口でまくしたてて、コンペ作品を観るために会場を後にされました。
彼女の言葉を聞いていた監督、「長く自分の作品に出ていただいているだけあって、彼女も他の常連の俳優たちも、すぐにどういうものを撮りたいかわかってくれた」と語りました。
会場からの質疑応答の中に、「音楽は中国の古い歌など、一貫性のない位いろいろな曲が使われていますが、どのように選定をされたのですか?」というものがありました。実は、この質問をされたのは、レスリー・チャンのファンの方。トークイベントの前に、「“あの曲“のことは聞きたいですね」とおっしゃっていたのです。監督から、最初に中国の古い歌【あなたはとても美しい】を取り入れた思いが語られ、次に市山さんから、「スペイン語の歌で、日本でもかつてザ・ピーナッツがカバーした【ある恋の物語】も取り入れていましたね」と促されると、「中国では【私の心のなかにはあなたしかいない】というタイトルで、レスリー・チャンが好きだと言っていた歌です」と、思い出を語り始めました。「1992年、『青春神話』で東京国際映画祭に参加した時に、レスリーが審査員で、一度だけ食事をする機会があって、この歌が一番好きと口ずさんでくれました。最初で最後の出会いでした。レスリーを記憶したいという気持ちを込めています」と、監督もしんみり。1992年の東京国際映画祭といえば、もちろん、レスリーにどこかで会えないかと必死に動いたものですが、『青春神話』も鮮烈な印象でした。監督が、黄色いダウンジャケットを着たリー・カンションと二人で会場を歩いていた姿が目に焼きついています。
北角の市場の間を縫うようにして走る2階建てトラム、雨が降りしきる香港の街、中環の丸窓のビル・・・ もう、それを観るだけでも、ぞくっと嬉しい作品でした。英語タイトルは、『Accident』。中国語で「意外」とは、そういう意味だったのですね。事故に見せかけて、殺人を実行する者たちの物語でした。冷静沈着なルイス・クー演じる殺し屋が、戸惑いを見せていく姿が絶妙でした。
上映が終って登壇したソイ・チェン監督の姿を一目見て「おぉ~カッコイイ!」と思ったら、会場からも「監督が二枚目でまずびっくりしました。俳優の経験は?」と、質問が出ました。助監督時代に、いろんな人を連れていったけどダメと言われ、自分でやってみたら意外といいと言われたことがあるとか。自分自身にユーモアがないので、コメディーは苦手と言われましたが、なかなかどうして、楽しい受け答えでした。
「ミナサン オコッテ あ、オゴッテ デス。ジョーダン」と、挨拶されたヤン・イクチュン監督。映画の中での暴力的な借金取りの姿とあまりに違うので、まずびっくり。司会の林さんも、「殴られたらどうしようと思いながら成田でお会いしたら、このギャップ」と、イン・ファンさんにどんな現場だったかを尋ねます。イン・ファンさんもよくこの質問を受けるそうで、「窮屈だったとか、居心地が悪いと思ったことは一度もありません」と答えます。監督がいかに自分たち俳優を信じて任せてくれたかをイン・ファンさんが熱く語ると、「キオクガ アリマセン」と日本語でとぼける監督でした。
変革していく韓国社会の中で、家族をテーマにそれぞれが自分の愛し方を知っていく過程を描きたかったという監督。かつては両親が嫌いだったと言います。でも、「オトウサン、オカアサン、オカネ」と、両親にお金を出してもらって映画を作ったそうです。幸いにも、両親からの借金は、1ヶ月前に奇跡的に返すことができたとか。
字幕翻訳者の寺尾次郎さん、 アテネ・フランセ文化センター制作室の赤松幸洋さんを迎えて、「映画と字幕のいい関係」をテーマにセミナーが開かれました。司会は、このセミナーを発案した中国語通訳・翻訳の樋口裕子さん。東京フィルメックス上映作品の字幕の多くを引き受けているアテネ・フランセ文化センターの赤松幸洋さんを、「なかなか人前に出ない門外不出の宝」と紹介されます。素材が届くのを待って翻訳者に手配する仕事も、映画祭ぎりぎりに届いたりすると、とにかく確実に急ぎで仕上げてくれる人に頼むのがコツ。字幕を手がけて20年になる寺尾次郎さんは、「字幕界の吉野家になろうと。早い、安い、上手い!」と語ります。それでも、「翻訳は必ず誤訳があるもの。畳の埃。叩けば必ず出る。DVDになる時に見直しして、全部変える場合も。翻訳は裏切り。思い違いは文化の違いで必ずある」と慎重に語られたのが印象的でした。寺尾さんは、作品の頭からどんどん訳していくそうです。樋口さんも、一回最後まで観てからだとつまらなくなるので、観ないようにしていると相槌を打ちます。会場にいた字幕翻訳を手がけている方の中には、一度通して観てから訳すという方も。それぞれにやりやすい方法がありますね。このほか、具体的にどのように字幕翻訳を進めていくかという技術的な説明もあって、興味はつきませんでした。
東京国際映画祭コンペティション部門ディレクター 矢田部吉彦さん、東京国際映画祭アジアの風部門プログラマー 石坂健治さん、山形国際ドキュメンタリー映画祭ディレクター 藤岡朝子さん、東京フィルメックスディレクター 林加奈子さんの4人をパネリストに迎えて、<国際映画祭を考える>フォーラムが開催されました。司会は、東京フィルメックスプログラム・ディレクターの市山尚三さん。いずれも映画祭で新作や日本未公開作品の上映に携わっている、私たちが映画祭でどんな作品を観られるのかの鍵を握っていらっしゃる方たちです。
小さな映画祭から巨大な映画祭まで、世界に多数存在する映画祭。最近ネックになっているのが「プレミア上映」。ベネチア国際映画祭は、2年前からコンペ作品はすべてワールドプレミアを条件にしていて、製作国ですら上映していないものに限るという厳しい状況。プレミアは国際的なステータスを上げるのには避けて通れない条件ではあるけれど、この日のパネリストの皆さんの共通した思いは、映画祭に足を運ぶお客様にいかに面白い作品を見せるかという視点での作品選び。
また、最近の傾向として、アート映画が市場で非常に停滞していて、映画祭がアート映画を観る場として重要になってきているという発言がありました。まさに、素晴らしい作品なのに、その後公開されなくて、映画祭でしか観られない映画が多いのは残念なことです。だからこそ映画祭に足を運ぶのですが・・・。
観客のことを思って、いかに映画祭を充実させるかに心血注いでいらっしゃる方々のお話を伺って、素敵な映画を見せていただけることにあらためて感謝したいと思った2時間でした。
舞台挨拶で興奮しながら、オムリ・ギヴォン監督のメッセージを読上げるレイモンドさん。「来られなくて申し訳ありません。東京フィルメックスに参加できて光栄です。映画作家として、新しい観客にご覧いただけるのは嬉しい。いずれ日本に来られることを楽しみにしています」
婚約者と共にバスに乗っていて自爆テロ事件に巻き込まれた女性を描いた本作。ラストになって、「え? これまでの部分は天国を彷徨っていたの?」と、何が現実で、何が夢か、狐につままれたような気分でした。上映後、場所を朝日ホール11階スクエアに移して、Q&Aが行われました。監督とは長い友人で、監督が7年かけた初監督作品に最初の段階からかかわっていたと語り、当初の企画はホラーだったと明かします。バスの自爆テロ事件の報道に接し、トラウマに捉われた女性が生きる希望を取り戻すというコンセプトができたといいます。本作では、テロを起した人たちへの憎しみは何も描かれていません。それは、自爆テロの被害者の人たちにインタビューを重ねた結果、誰も自爆犯への憎しみや復讐を語らず、新しい人生をどう築いていくかに目を向けていたからだそうです。自爆犯のことを描こうとすると、イスラエルというお国柄、どうしても政治的なことを避けて通れません。なぜ、こんな惨いテロを起すに至ったかを描いてほしいという気持ちはありますが、それはまた別の作品でお願いしたいところです。
東京フィルメックスの常連で、現在アメリカに住むイランの巨匠アミール・ナデリ監督。今回出品作はありませんでしたが、連日、食い入るように映画をご覧になっていたのが印象的でした。せっかく来日されているので、何かあるといいなと思っていたら、28日に緊急トークイベントが開かれました。
この日は、3つのテーマでお話されました。(1)個人的な東京フィルメックスへの思い (2)東京フィルメックスと革命の前と後のイラン映画 (3)映画について教鞭をとっていることを踏まえ質疑応答
トークの前に、まずは、最新作である約5分の短編『fortune cookie』が、第10回の東京フィルメックスへのプレゼントとして上映されました。The Museum of Chinese in America.の「Chinatown Film Project」として、ニューヨークのチャイナタウンを舞台にした映画を10人の監督に依頼した中の1本。
「短いので、2回観て下さい。1回はフィルメックスの為に、2回目は僕の為に」と、2回続けて上映されました。実は、この作品、持参されたものが読み込めなくて、事務局の方たちが朝方までかかって観られるようにしてくださったのだとか。
チャイナタウンのレストランで、サービスに出されるfortune cookie(中におみくじの入った昔の中国のお金の形をしたクッキー)を開ける人たちをひたすら映し続けた作品。まさに、アミール・ナデリです。(でも、今回は5分だから、忍耐は不要!)「2度観てください」と言われ、思わずどこか違うところがあるのでは?と勘ぐってしまいました。2度目に観た時に、最初に気付かなかった場面がいくつかあったのですが、映画って観る度に違う発見があるものですね。この作品の為に、ナデリ監督は2000個のクッキーを買ったのだそうです。テーマは?と質問され、「自分が映画を作る時に考えているのは、サウンドと編集のことだけ」と答えられました。
次に、東京フィルメックスへの思いを語られました。「他の映画祭ではパーティなどの祭りごとが多くて、皆それに参加するのに必死になるけれど、ここでは映画をたっぷり観られる。それに、監督たちと話せる機会もたくさん持てる。映画を正直に選んで観せてくれて、正直なコミュニケーションが取れるのはここだけ」と絶賛。「ただ一つ、フィルメックスに迷惑を。僕は事務局にあるクッキーをたくさん食べてしまうクッキーモンスター。特にドラ焼きが好きで、ドラエモンと呼ばれています」と、にっこり。一見いかついナデリ監督の可愛いところを見てしまいました。
この後、数多くのイラン映画を上映してきた東京フィルメックスへの謝辞を込めて、革命前と後のイラン映画について、たっぷり語ってくださいました。