女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ルワンダの涙』記者会見

1月17日(水) @国連大学

『ルワンダの涙』記者会見

登壇者:
 ジャン=ピエール・サガフツ(撮影スタッフ、虐殺経験者)
 ジェームス・M・スミス(スーパーバイザー、チャリティ団体Aegis Trust設立者)
 ベアタ・ウワザニンカ(虐殺経験者、スミス氏の妻)
 キリル・コニン(国連難民高等弁務官)

1月27日(土)よりTOHOシネマズ六本木ヒルズ他全国順次公開される『ルワンダの涙』。その公開に先立ち、ルワンダの地から3名の方々が来日し、記者会見を開きました。まず、その方々の紹介をしましょう。

ジャン=ピエール・サガフツさんは、ルワンダの首都で映画の撮影が行われたキガリの出身で44歳。撮影時には輸送班主任として参加していました。大虐殺ではツチであるために両親、姉妹3人、兄弟4人を殺されています。彼自身はある家の汚水槽に14週間隠れ続けて殺戮の手を逃れました。ようやく汚水槽から出られたとき、死体が膝の高さまで積み上がった道を歩き回ったと言います。彼は撮影中に、今、かつて隠れていた家の横にいて、死体の山だった道に立っていることに気づき、大変なショックを受けるという経験もしています。

ジェームス・M・スミスさんは、英国人。世界の内紛問題などを追うジャーナリストで、“Aegis Trust”という、虐殺の起こった地への人道支援、研究などを目的としたチャリティ団体をキガリに設立しています。また虐殺の記録を保存するための記念館をキガリに設立しています。

ベアタ・ウワザニンカさんは、ルワンダのツチの女性。虐殺が起こったときは、丁度映画の主人公の一人である少女と同じ14歳でした。やはり家族を皆、殺されています。現在は、ジェームスさんと結婚し、一児の母でもあります。

<ご挨拶>

ジャン=ピエール・サガフツ
ジャン=ピエール・サガフツと申します。キガリに生まれ育ちました。『ルワンダの涙』の撮影では最初から最後まで一生懸命働きました。
ジェームス・M・スミス ジェームス・M・スミスです。“Aegis Trust”という組織を設立、運営しています。今回日本に来られて、非常に光栄に思っています。特に国連難民高等弁務官(UNHCR)には、この作品のプロモーションにご協力していただいて、感謝しています。この映画は非常に大切なメッセージを含んでいると思っています。この作品はルワンダという国で起こった虐殺という悲劇を全世界に知らせる映画です。それと同時に、世界のリーダーたちや国連に対して、人類を虐殺の脅威からどう守るのか、あるいは人類への犯罪から市民たちをどう守るのか、といったメッセージが描かれていると思います。ですから、UNHCRのご協力には特に感謝しております。
ベアタ・ウワザニンカ “こんにちは、みなさま。わたしはベアタです”(綺麗な発音の日本語でした)。わたしは虐殺の生存者です。虐殺が起こったとき、わたしは14歳でした。この作品には避難民のエキストラの一人として参加しているのですが、こういう形でこの映画に参加できたことを非常に光栄に思っています。
キリル・コニン キリル・コニンです。UNHCRの難民映画祭運営の責任者をしています。去年7月に日本で初めて難民映画祭を開催し、非常に成功を収めました。その成功をもちまして、今年また7月に開催を予定しています。この映画祭は避難民についての、あるいは避難民によって撮られた作品を紹介するものです。『ルワンダの涙』は勇気と希望を与えてくれる作品のひとつの非常に良い例だと思っています。この作品は虐殺の経験者たちがもたらしてくれる勇気や希望を、日本のようなより安全で良いコンディションのところに住む人々と分かち合う良い機会になると思います。国連親善大使のアンジェリーナ・ジョリーが去年、「映画は避難民たちの様々な側面を伝える非常に優れたメディアである」と述べていました。この娯楽的なメディアを通して、一般の人々に避難民とはどういう状態なのかを、より理解していただけたらと思っています。
<質問>

Q:なぜ撮影に参加したのですか? 撮影中に当時を思い出して、辛いこともあったと聞きますが、なぜ逃げ出さず最後まで撮影に参加し続けたのですか?

ベアタ:非常に難しい質問ですが、ある意味ではその質問に答えるのはとても簡単です。虐殺が起こった後、わたしは自分たちに起こったことを後にしなくてはならなかったわけです。この映画に参加するということは、メッセージを外の世界に伝えるということを可能にしてくれました。それ以外に、わたしには表現する方法がないと思ったのです。自分の物語を自分の言葉で伝えていくのは、なかなか難しいことなのですが、映画はそれを可能にしてくれると思いました。観てくださる人々に同じ事を感じてもらうのではなく、少なくとも何が起こったのかを見ていただくことは、映画によって可能になると思いました。ですから、わたしはこの映画に非常に喜んで参加しました。それはわたしがこの虐殺を生き残った理由のひとつだとも思ったのです。たくさんの人が犠牲になりました。わたしが映画に参加することで、わたし自身が立ち上がりメッセージを発すると同時に、犠牲者の方々のためにもメッセージを発していることになると思いますので、非常に幸せだと思いました。

ジャン:皆さん、このルワンダの虐殺で何人の人が亡くなったかはご存じだと思います。100万人のルワンダ人が命を落としました。わずか3ヶ月間に100万人です。つまり1日に1万人の人々が命を失っていったのです。その虐殺を生き残ったというのは、本当に奇跡的な幸運だったと、わたしは感謝しています。なぜ映画に参加したかですが、わたしはこの映画に限らず、ルワンダで起こっていること全てに喜んで参加したいと、いつも思っているのです。ですから、この映画がルワンダの虐殺の悲劇を描くと聞いて、本当に喜んで自ら進んで参加しました。
 ルワンダで起きた虐殺を本当に再現することは不可能です。虐殺を体験したルワンダ人でさえ、どう説明したらいいのか分からないという風に考えています。ですから、映画でこの虐殺について全てを語ることは不可能です。ただ映画を通して、或いは本や演劇を通して、ルワンダでジェノサイドが起こったという事実を、ルワンダに限らずこの地球上でジェノサイドなんて起こるべきではないと観客が知ってくれれば、と思っているのです。おそらく作品を観て、自らに問いかけるでしょう。「我々はどうすればいいのだろう?」そのように皆さんが自問自答してくれることを、わたしは願っています。

Q:ジェームスさんは実際の虐殺が起こったときに、どこにいましたか? そしてどういったことを感じていましたか?

ジェームス:1994年のその時、わたしはイギリスにいて、ホロコースト・センターを作ろうと活動していました。これはユダヤ人がナチスによって抹殺されそうになった歴史から学んで、世界に警告を発しようとしていたわけですが、その時にテレビの報道でルワンダの虐殺を知りました。それはつまり、メディアの目前でこのような虐殺行為が行われていたということです。同じ頃、ユーゴスラビアではユーゴ内戦で民族浄化が行われていました。これらのことは、わたしのやろうとしていたことに大きな挑戦を突きつけました。そして、これがきっかけで“Aegis Trust”という団体を設立するに至ったわけです。この団体は虐殺を予防するために作ったのです。
 またその時にどのように感じたかという質問に対する答えですが、正直に言わなくてはならないと思います。テレビのルワンダからのレポートを見たとき、遠い国のことだと思ったんです。また愚かにもと言えますが、わたしはそれがナチスのやったことに比べれば、アフリカの話だし、おそらく部族間の闘争ぐらいだろうと受け取っていたのです。虐殺がいったいどうして起こるのか、その根源というものを全く理解していませんでした。実は虐殺の悲劇は、一瞬にして起こるものではなく、何年も何十年も積み重なってそこに到るものなのです。そして虐殺に至るまでには、いくつもの警告サインがあちこちで出されているのです。その一つとしては、避難民が自分の住む場所から逃げようとするということがあります。そう言う意味もあってUNHCRがこの映画のプロモーションに協力してくださるということは、とても大切だと思っています。ジャン=ピエールやベアタのような生存者の方々の話を聞くと、圧倒されます。それと同時に、彼らの話を他の人に伝えたい、彼らの記憶を保存して色々な人に伝えることで、虐殺を予防していきたいと強く思っています。

Q:お二人はツチだということですが、ジャン=ピエール・サガフツさんの名前には“フツ”の文字がありますね。ツチとフツの違いについては、なかなか分からないのですが、実際はどういう違いなのですか? 今でも登録上の違いなどが残っているのか?

ジャン:わたしのファミリーネームには“フツ”の文字がありますが、“サガフツ=フツではない”という意味なのです。わたしが思うに、ツチとフツの違いは部族間の違いではなく、社会階級の区別です。ですから民族の違いとして区別するのは意味がないと思っています。具体的には、ツチは貧しく、フツは豊かです。ルワンダでは、それは持っている牛の数の違いです。牛をたくさん持っている人がフツ、持っていない人がツチなのです。ですから今、わたしが子供たちにツチとフツの違いを説明するときには、全く意味のないものなのだと伝えるようにしています。わたしはツチですが、今はそのことを全く意識していません。わたしはルワンダ人です。ルワンダに住む人々を兄弟のように考えています。
 今なお区別があるかどうかについては、簡単には言えません。確かに民族認識カードは撤廃され、顔や体型だけをみてツチかフツかを見分けることはできなくなっています。民族認識カードが存在したときは、政治の権力者たちによって、問題をわざと引き起こすために利用されていたのです。しかし、虐殺という大きな試練を経て、今こそルワンダは変わって、みんながルワンダ人だと考えなければならない時期に来ているとわたしは思っています。実際に区別があるか無いか…、無いと考えたいですが、虐殺が終わってまだ12年しか経っていないわけですから、全て忘れてと言う方が無理かもしれません。学校の中では、まだ意識が残っているかもしれません。ユダヤ人虐殺の後も、今なお偏見が残っています。そういう現実を考えても、たった12年で我々の記憶から全てを消し去ることは不可能なのです。

ベアタ:サガフツという名前にフツではないという意味があるとは、わたしは知りませんでした。でもツチとフツの違いは、名前の違いというわけではありません。ベルギーが植民したときに、無理に違いが作られたと考えています。民族認識カードを作ることによって、ツチとフツの違いをより大きなものに作り上げたのです。その時には、ベルギー人はツチ、フツの頭のサイズや鼻の高さ、目の色などを計って記録しました。ちょうどナチスがユダヤ人にしたのと同じです。しかし、1970から80年代にはツチとフツの間での結婚がたくさんあって、身体的特徴で見分けることはできなくなっていました。実際に虐殺が起こったときには、本当にどっちがどっちか分からなかったのです。それを民族認識カードや、外見から無理矢理区別をつけて殺されたのですが、間違いもたくさんありました。フツでも穏健派の人たちはたくさん殺されました。
またフツの人たちの中には、ツチはエチオピアから来たと言う人がいますが、これも何の根拠もありません。
 今、わたしたちは同じ隣人として分け隔て無く暮らしています。しかし、個人的にはわたしはツチであって、そのために殺されそうになったということを忘れることはできません。あなたがフツでも別に構わない。でも、ツチのわたしに反対しないで欲しい。みんな違うのです。みんな同じだったらつまらないと思います。何が大切かと言えば、“平和”が大切なのです。みんなが同じであることは必要ない。でも平和が必要です。
 虐殺の残したものとして、レイプされてHIVに感染した女性、親が殺されて孤児になった人、夫が殺されて未亡人になった人などがあります。完全にお互いが許し合えるには、4世代くらいかかるのではないかと思うのですが、わたしの世代は虐殺の重荷を背負っています。許すことはできますが、忘れることはできません。

淑徳高等学校学生と共にここで時間がきて会見は終了し、フォトセッションとなりました。その際にマスコミ席に特別招待されていた淑徳高等学校の生徒3名が、皆さんに質問をしました。映画で描かれている事件が学校で起きているということと、現在日本で問題になっている「いじめ問題」にも通じるところがあると感じ、関心をもっているといいます。

その質問への答えの中で、撮影や映画を観て思い出してしまう辛い体験についてジャン=ピエールさんとベアタさんは語ってくれました。

ベアタさんの母は、幼い弟を背負ったまま川で溺れさせられ殺されたそうです。そのため映画の子供を抱えた母親が逃げようとして殺されてしまうシーンは、辛くて観られないといいます。

またジャン=ピエールさんは、母が背中から銃で撃たれて殺されたと聞いているそうです。神父が撃ち殺されるシーンの撮影では、殺す役の人が途中でできないと言って立ち去ってしまったために、彼が代役を務めることになったのですが、絶対に顔を撮らないでとお願いしたそうです。たとえ映画の撮影であっても、人を傷つける自分を撮られたくなかったからだと言います。

この日の記者会見と、翌日のシェームスさんとベアタさんご夫婦へのインタビューで、彼らの体験談を直に聞いて、虐殺のすさまじさと残した傷跡の深さを一層肌で感じとることができました。日本でも原爆被爆者が、長い時間を経てようやく自らの体験を語り始められるということがありました。個人としては忘れてしまいたい記憶を、再び人類が悲劇を繰り返さぬためにと、しっかりととどめて人々に語り出す勇気に、わたしはただ敬服するのみでした。

どうぞ皆さんも、この映画を観て彼らの勇気に触れてください。そしてこの悲劇を忘れないでください。

作品紹介はこちら。

なおジェームスさんとベアタさんへのインタビュー記事は、シネマジャーナル本誌70号(4月末発売予定)に掲載します。映画では描かれていない大虐殺が始まる前にベアタさんの周りで起きていたことや、現在のルワンダについてなどお聞きしました。どうぞご覧下さい。

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(取材:梅木・白石、まとめ・写真:梅木)
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