女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
ピート・テオ 大特集第4回
マレーシア・ニューウェーブ
シャリファ・アリヤナ
シャリファ・アリヤナ
 ピート・テオの曲「Arms of Marianne」「Lost in America」「Carnaval Hall」のミュージック・ビデオ(MV)はインターネットで観ることができる。どれも凝った作りで観て楽しいものだ。特に「Lost in America」には映画『マクシン』(ヤスミン・アハマド監督)に主演していたシャリファ・アルヤナが出演しているので是非観て欲しい。

シャリファ・アリヤナは今も女優をやっているんですか?

Pete:やっているよ。彼女は本当に才能がある。MVを撮ったとき、彼女がカメラの前に立ってカメラを観た瞬間、もうその眼光の強さといったら! 普段は遊ぶのが大好きな女の子なんだよ。それが、舞台に上がった瞬間に、切り替わるんだ。才能あるよ。彼女のお母さんも女優なんだよ。

 シャリファ・アリヤナには女優としてデビューしている3人の姉妹がいる。長女のシャリファ・アリヤはテレビドラマの女優で、映画『マクシン』では幼いオーキッドの母親役で出演している。次女のシャリファ・アマニは『細い目』のオーキッドを演じていた。一番下のシャリファ・アリシャは、ヤスミン・アハマド監督の最新作『Muallaf』にシャリファ・アマニと共に出演しているという。まさに女優一家である。

MVを観ても、いわゆるマレーシア・ニューウェーブの人たちが協力しているのを感じるんですが、このニューウェーブと呼ばれる活動が活発になったきっかけは何ですか?

Pete:始まりは5年前。映画に関して言うと、何人か重要な人間がいる。一人はジェームス・リー(李添興)。彼が最初にデジタル・ビデオを持ったんだ。誰も観る人いなかったんだけど、大学の小さな仲間内で見せていた。来ていたのは2,30人程でとても少なかった。その後、アミール・ムハマドやホー・ユーハン(何宇恆)と言った人たちが出てきた。最初はどれもとても実験的なものだった。まずお金がなかったし、俳優もいなかったから。みんなアマチュアだった。大きな変化が訪れたのは、ホー・ユーハンが国外で賞を獲った頃から。最初に撮った映画『ミン』で受賞したんだ。タン・チュイムイ(陳翠梅)も受賞、ジェームス・リーも受賞、そしてヤスミン・アハマドが出てきた。でも、ヤスミンには他の監督たちとの大きな違いがあった。ヤスミンは彼らと違って、金持ちだった(笑)。

重要よね。

ホー・ユーハン、ヤスミン・アハマド
左から ホー・ユーハン、ヤスミン・アハマド

タン・チュイムイ
タン・チュイムイ(写真:宮崎)

Pete:ヤスミンはニューウェーブ映画制作にとっても熱心で、少しお金を出して、彼らをサポートしてくれた。監督たちの何人かはとっても才能がある。それで国際舞台に出たら、あちらこちらで賞を獲るようになった。
 またロッテルダム国際映画祭の役割はとても大きかった。アジア映画担当のプログラム・ディレクター、グッドジャン(Gertjan Zhuilhof)がマレーシアに来たんだ。彼はホー・ユーハンの『ミン』を観て、これはなかなかいいと思った。それでクアラルンプールに彼を訪ねてきた。その時、インディーズの仲間たちのネットワークはとても強力なものだった。それでホー・ユーハンはグッドジャンとすべてのインディーズ映画の監督たちを招いて、パーティーを開いたんだよ。50人くらいいたかな。そしてみんなが自分の作品のDVDをグッドジャン渡したんだ。彼はその中からいくつかを選んで、映画祭で“マレーシアン・シーズン”という特集を組んだ。たくさんのマレーシア・ニューウェーブ監督が映画祭に集まることになった。その時多くの人が、マレーシアで何が起こっているのかを観に来たんだよ。それらのマレーシア映画を観れば、監督たちに潜在能力があることは明らかだった。またマレーシア政府は彼らをサポートしていなかったので、彼らにはお金がなかったけれど、情熱があった。それでヨーロッパの人たちが彼らをサポートし始めたんだ。その結果、5年の間にこんなに爆発的に広まった。
 音楽も同じような経過だった。音楽では僕もパイオニアの一人だ。もともとマレーシアのラジオが流すのは香港やアメリカなどからの輸入音楽が9割以上で、マレーシア・ローカルの音楽を流してもらうのはとても難しかった。非常に奇妙な問題だよ。僕がちょうど音楽を再開した頃、新聞でさえ、ローカルな話題は書いてくれなかった。ラジオもだめ、新聞もだめ、でもファンはいるんだ、ライブで演奏し続けるしかなかった。ライブが良ければ、噂は広まる。僕の歌はラジオでも新聞でもなく、口コミで広がったんだ。評判が広がれば、新聞も書かざるをえなかった。
 僕らのような音楽や映画の人間だけでなく、学生や一般人も考え方が変わってきた。何で自分たちで自国のアーティストたちをサポートしないんだ?って。特に学生たちがそう思うようになって、大きく変わった。自分たちが進化していかないと、外国からの支援がなくなったらどうなる? それで今はどんどん観に来る人たちが増えてきている。かなりエキサイティングな状況だよ。実際はたった5年ほどの短い歴史なんだけどね。

マレーシア政府は少しは態度が変わったんですか?

Pete:変わらないよ。マレーシア政府はまったく芸術をごまかしている。“文化”という文字を見ても、彼らには“芸術”という言葉は思い浮かばない。彼らの頭には“観光客”しか浮かばない。マレーシアの文化庁は“The Ministry of Arts, Culture and Tourism”と言うんだよ。みんな一緒なんだ。そして”Tourism”がこの中で最も金を稼ぎ出すでしょ。ニューウェーブ・フィルムは”Arts”なんだよ。そして映画が描き出すマレーシアは、政府が観光客に見せたいマレーシアではない

そうですか? わたしは彼らの映画を観てマレーシアに興味を持ったんだけど。

ピート・テオ

Pete:それが正しいよ。でも政府は違うんだ。以前から変わりはしない。たとえユーハンやチュイムイやアミールらが海外で賞を獲って帰ってきても、よくてちょっと賞金がでるくらいさ。今のところ、大きな変化は何もない。これは大きな問題だよ。
 でも、もう一言付け加えよう。こういう状況はもちろん良くはないけれど、良い点もある。マレーシア・ニューウェーブはこういう状況から、とてもユニークな文化になった。政府の金はあてにせず、自分で資金繰りをするという精神は、作品にも影響する。出資者の顔色を気にする必要がない。だからとても個性的なものになるんだ。

 ニューウェーブの監督たちの多くは地方から出てきている。ピート・テオもサバ州の出身だ。彼らはみんな貧しい。それこそがリアル・マレーシアなんだと、ピートは言う。そして、皆さんには博物館的なマレーシア文化ではなく、生きたマレーシア文化を観に来て欲しいと望んでいる。

つづく

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(取材:梅木、白石 まとめ・写真:梅木)
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