ライブの翌日、東京は梅雨入り宣言したばかりだというのに、実に爽やかに晴れた。インタビューの場所は、ピート・テオが大好きな街、吉祥寺の井の頭公園内のカフェ。黒い革のジャケットにジーンズ。長身で細身の身体。明らかに一般人とは違うオーラを持った人がゆっくりと歩いてきた。一見強面だが、こちらが「こんにちは、今日はよろしくお願いします」と広東語で話しかけると、「え、広東語できるの?」と驚いたような笑顔が返ってきた。
プロフィールには、英語、広東語、北京語(普通話)、潮州語、客家語、マレー語に堪能とある。自分ではいったいどれが話しやすいのかと聞くと、少し考えて「英語と広東語かな」という。さらにお父さんが潮州人、お母さんが客家人のため、潮州語と客家語も当然できる。バイリンガル以上にならざるをえない環境に生まれてきたと言える。
当初、英語の通訳がつく予定だったが、都合によりキャンセルとなり、彼のマネージャーが北京語で通訳をしてくれることになった。しかし、彼自身が北京語はあまり上手くないと言っていたので、思い切って広東語で話してもらうことにした。それが功を奏してか、こちらのつたなさに合わせてくれたのか、普段着のピート・テオを垣間見ることができたように思う。
インタビューは食事をしながら、彼の生い立ちについての質問から始めた。
ピートはマレーシアのボルネオ島サバ州の州都であるコタキナバルで生まれ、裸足でジャングルを駆け回って育った。10歳の時シンガポールに引っ越し、その後15歳でイギリスへと渡り、更に10年後、香港に移ったという。
イギリスへは家族と一緒に行ったの?
Pete:いや、僕一人で。子供の頃から、とっても独立心旺盛だったんだ。実はもっと小さい頃は外に出るのが嫌いな子でね。家で本を読んでいるのが好きで、友達と外に遊びに行くのが好きじゃなかった。それで両親が心配して、無理にでも外で遊ばせようとしたんだ。13歳の時には、もう家の鍵を自分で持っていて、夜中の3時4時に帰ってくることもあったよ。そして15歳の時に、イギリスに一人で渡ったんだ。
イギリスの大学では何を勉強していたの?
Pete:学部は法律で、大学院では哲学。
じゃあ、法律や哲学を勉強しながら、一方で音楽をやっていたのね?
Pete:そう。音楽も勉強の一部さ(笑)。
自分ではどっちの道を行きたかったの?
Pete:もちろん音楽だよ。その頃、バークリー音楽院で音楽の勉強をしたこともあったんだ。だけど、父と話し合って、音楽は自分で勉強できるけど、法律は自分じゃ勉強できないでしょ。だから法律を勉強するべきだってことになった。色々選択肢があった方がいいってね。今、考えれば正しい選択だったと思う。でも、あの当時は「なんでそんなこと言うんだ!」って頭に来たけど、父さんは正しかったね。
学生の時に既に音楽の仕事を始めてますね?
Pete:学生の時にはセミプロとしてやっていた。イギリスのChannel 4というテレビ局の番組の音楽を作っていたんだ。
どうやって・・・
Pete:時間を作っていたか? 眠らなかったら時間は作れるさ(笑)
テレビの仕事をするようになったきっかけは、イギリスでライブ活動をしていたピートの演奏をテレビ局の人が聴いて、話を持ちかけてきたのだそうだ。大学院の頃には自分でスタジオを持って仕事をするまでになっていたらしい。その一方で、勉強も怠ることは無かったようだ。
Pete:勉強するのが好きなんだ。奇妙なことにね。音楽をやっていなければ、人に教えているかな。
何を教えるの?
Pete:何でもいい。教えるのも好き。イギリスにいた頃、2年ほど社会学を教えていたことがある。
今は音楽以外に、何かやってるの?
Pete:今は音楽だけ。時間がないよ。
じゃあ、日本語を勉強するってのはどう?
Pete:勉強したいんだよ。ここ2年程ずっと習いたいって思ってる。でも今は時間がないんだ。最近、国際交流基金(Japan Fundation)からお知らせが送られてきて無料レッスンがあるとあったんだ。行く、行きたい!って。次に日本に来るときには日本語で話そうと思ってるよ。
街歩きが好きなピートは、日本でも自分一人であちこちを歩き回りたいと思っている。そのためにも日本語を覚えたいようだ。
以前日本に旅行で来たことはあるの?
Pete:14歳の頃、父と一緒に初めて旅行に来た。その後は仕事で。
東京だけ?
Pete:東京、大阪、北海道。
2003年に初のソロアルバム「Rustic Living For Urbanites」をリリースした後、ピートは日本ツアーに来ている。3週間で北海道、東京、大阪を回り、12公演を行った。その時のスケジュールはhttp://sound.jp/peteteo/news_frame.htmで見ることができる。