女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』
オリヴィエ・ダアン監督&マリオン・コティヤール来日記者会見

2007年8月22日(水)
於:パークハイアット東京 39F ボールルーム

日本でもお馴染みのシャンソン「愛の讃歌」や「バラ色の人生」。心に染み渡る歌声で世界に名を轟かせたエディット・ピアフは、47歳という若さでこの世を去り、葬儀には大勢の人が詰めかけ、前代未聞の交通渋滞を巻き起こしたという。このエディット・ピアフの波乱に満ちた人生を描いた『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』が、9月下旬より日本で公開されるのに先だち、オリヴィエ・ダアン監督と、ピアフを渾身の演技で再現したマリオン・コティヤールさんが来日し、記者会見が行なわれました。

    >>> 作品紹介

オリヴィエ・ダアン監督、マリオン・コティヤール

今か今かと待ち構えた記者たちの前に、「愛の讃歌」が流れる中、ピアフを演じたマリオン・コティヤールさんとオリヴィエ・ダアン監督が登壇。取材が長引いたのか、予定時間を過ぎてのスタートでした。司会は、伊藤さとりさん。

◆来日挨拶

オリヴィエ・ダアン監督、マリオン・コティヤール

司会:日本に来られての印象は? ご挨拶をお願いします!

監督:今回の来日は、3,4回目になります。毎回、映画の紹介で来日しているのですけれど、以前、日本人のミュージシャンと仕事をした関係で、来日したこともあります。

マリオン:今回の来日は2度目になります。2回とも仕事での来日で、散歩をして東京の街で迷子になったりする楽しみは残念ながらありません。今回、日本での取材でとても印象に残っているのは、海外いろいろなところでインタビューを受けていますけれども、日本のジャーナリストの皆さんの質問がちょっと違っていて、洗練された感覚、感性がとても気に入っています。

司会:『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』を持って来日された感想を!

監督:日本人の皆様にどう受け止められるか、理解してもらえるか、それが今とても気になっています。気に入ってもらえることを願っています。

◆キャスト・スタッフ一体となって描き出したピアフの人生

司会:母国フランスはもちろん、ヨーロッパ、そしてアメリカでもこの『エディット・ピアフ』は大ヒットを記録しました。ご自分ではこのヒットについて、どういう風に感じられていますか?

監督:成功を収めたのは、私にとっても大変喜ぶべきことです。そして意外でもありました。脚本を書いたり、撮影をしたりしているときには、まさかこのようにこの作品を世界に持って歩くとは、想像できませんでした。

司会:作品を観て、マリオン・コティヤールさんでないように見える名演技でした。実際に来年のアカデミー賞も有力と噂が回っていますが、ご自分ではどういう風に感じられていますか?

マリオン:最初に、お褒めいただき、ありがとうございます。とっても嬉しいです。アカデミーの最優秀女優賞の有力候補と言われても、最初は人ごとのような感じで聞いていました。でも、だんだん現実味を帯びてきて、ワクワクする気持ちは抑え切れません。この女優という職業を選んだデビュー当時には、まさかこんな風になるなんて想像もしていませんでした。アメリカの尊敬している俳優の方々と一緒に賞レースに臨めるというのは、とても嬉しいことです。

司会:エディット・ピアフという実在の人物の映像化に当たって、監督はどんな部分を描こうと意識されたのでしょうか? また、マリオン・コティヤールさんは、演じるにあたって、どんなこだわりがありましたか?

監督:撮影時、俳優陣ももちろんですが、スタッフ、撮影監督、技術、衣装のスタッフも含めて、皆さん100%、このエディット・ピアフという大歌手の作品を作ることに全力を注ぎました。一体感で、すごいエネルギーが生まれました。実際に作品を観ていただければお分かりになれるかと思います。皆さんとても集中して仕事をされていました。しかし私からするとあまりにも一体感があってエネルギーに満ち溢れていたので、仕事をしていないような感じさえしたことがあります。特にマリオンは素晴らしくて、役に完全に入り込んでいました。

マリオン:実は、エディット・ピアフの人生について、この映画に出演するまでほとんど知りませんでした。もちろんフランス人としては、エディット・ピアフを知らなければ生きていけないほどの有名な人物なのですけれど。歌は何曲か知っていましたが、彼女の人生については、シナリオを読んで初めて知ったのも同然でした。彼女のことを知りたいと思い、いろんな本を読んだり、インタビューに応えている映像などを見て、少しずつエディット・ピアフの人生を発見していきました。その中で、少し私が何か彼女に近しいと感じたことによって、彼女の偉大さに対するプレッシャーがなくなりました。もちろん皆さんがエディット・ピアフに抱いているイメージを裏切ってはいけないと思いましたが、彼女がアイドルであるということが、私自身を不安にさせるということは全くなくなりました。

●会場よりの質疑応答

◆日本人撮影監督ナガタテツオのこと

: 監督は現場で一体感を感じられたとのことですが、撮影監督が日本人で嬉しく思いました。ナガタテツオさんについて何かコメントを。

監督:ナガタテツオさんとは、この作品以前から知り合いだったのですが、知り合った頃から、一緒に仕事がしたいと願っておりましたので、今回一緒に仕事ができたのは私にとって大変嬉しいことでした。この作品にはフランス人以外にも、イタリア人や日本人など、いろんな人が関わっています。様々な国籍のスタッフが一つのチームを構成して、エディット・ピアフの人生というフランス的なストーリーを組み立てていくというのは、大変興味深いことでした。ナガタテツオさんについては、フランス的感覚とは違う視点をもたらしてくれるのではないかという期待がありました。日本人とか何人とかにこだわらず、才能があるかどうか、世界観が共通しているかどうかを大切にしたいと思いました。ナガタさんが素晴らしい撮影監督だということは間違いなくいえます。

◆印象深い40代のピアフ

:マリオンさんは、ピアフの20代〜40代を演じられましたが、ご自身ではピアフのどの年代に惹かれましたでしょうか?

マリオン・コティヤール

マリオン:確かにひとりの女性の人生を演じるのは、自分にとって、ものすごいチャンスだと思いました。同じ人物ですが、20代、30代、40代それぞれの個性を演じることに感銘を受けました。この世代の中で、40代が一番不安でした。私にとって、40代はまだ知らない世代です。しかもピアフは47歳でこの世を去りましたが、その時にはすでに20歳ぐらい年上ではないかという容貌でした。私の知らない、ピアフの中にある素晴らしいエネルギーを見つけ出していった感じです。自分の中で40代のピアフとの合致点を見つけた時には、不安が喜びに変わりました。ピアフと思わせることに成功するだろうかと心配が大きかっただけに喜びも大きくて、今回の作品を思い返してみると、やはり一番印象に残っているのは、40代のピアフを演じた撮影でした。

◆ピアフになりきった喜びの瞬間は自然にやってきた

:マリオンさんの演技には、エディット・ピアフがここにいるのではと思う位、感動しました。違和感なく入っていけたということですが、エディット・ピアフを勉強されて、マリオンさんと似ているところ、違うところは?また、ご自身でピアフに似せるために一番工夫した点、そのまま地でいけると思った点はありますか?

マリオン:私とピアフの似ているところは、自分の職業への情熱が大きいこと。そしてその感動を、私達を見てくださっている観客の方々とシェアしたいという気持ちではないかと思います。おそらく多くのアーティストがそのように思っているとは思いますが・・・。違う点もたくさんあるのですが、"孤独"に対して、私は怖くありませんし、どちらかというと私は孤独を好むほうですが、ピアフは全く逆でした。彼女はひとりになることを恐れて、孤独にならないように人生をオーガナイズしていたようなところがあります。その情熱がしばしば度を越して、自分の体を壊してまでステージにどうしても立ちたい、歌い続けたい・・・という、とても芸術に一途なところがあります。もちろん私も職業に対する情熱は持っていますけれども、女優をやめたとしても、彼女ほど破壊的な気持ちにはならないと思います。
どういう瞬間にピアフを自分のものにできたかについてですが、最初の撮影シーンはそれほど難しいものではありませんでした。4日目あたりに、すでに1960年のシーンで40代のピアフを演じなくてはならなかったのですが、身体も弱り、髪の毛もオレンジになって、歳をとらなければならなくて、試行錯誤の1週間でした。でも、「あっ、なんかいけそうだ」という瞬間は自然にやってきました。ピアフについて、しっかり調べていたことで、わりと早い時期に、この"喜びの瞬間"を感じることができました。でも実際に撮影現場に立つときには、あまり考えないで身体ごとぶつかっていくということが大事だと思います。


会場からの質問は、結局これで時間切れとなりました。 監督には、なぜピアフの人生の華やかな部分ではなく、陰の部分に、より重点を置いたのか、あまり上品とはいえないピアフを描いたのは、それが真実の姿だからなのか、また、エンディングにピアフの歌声を使わなかったのはなぜか・・・など、お伺いしたいことは多々あったのですが、お聞きすることができず、こんなことなら、早く手をあげるのだったと心残りです。

ところで、マリオン・コティヤールさんは今回2回目の来日だったのですが、初来日は3年前の「第12回フランス映画祭横浜2004」の時のこと。『世界でいちばん不運で幸せな私』で、幼馴染の男の子と、大人になっても、小さいときに始めた二人だけの"乗る?乗らない?ゲーム"を繰り返して、ほんとは愛してるのに、なかなか愛してると言えない、ちょっとボーイッシュな女の子を演じていたマリオンさん。映画祭で、上映後のQ&Aのときには、共演者の方たちと、爆笑爆笑のトークで、はじけるような若さを感じさせてくれたのですが、今回、登壇したマリオンさんは、すっかり落ち着いた大人の女性。まさに、ピアフが乗り移ったかのようでした。

→ Web版特別記事 2004年8月19日付 「第12回フランス映画祭横浜2004」のところで、 『世界でいちばん不運で幸せな私』の爆笑Q&Aの模様が見られます!

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取材:金子ひろみ(記録・写真)、景山咲子(まとめ)
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