女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ボーイ・ミーツ・プサン』
武正晴(たけまさはる)監督インタビュー

武正晴監督

このほど初監督作が一般公開された武正晴監督に、インタビューのお時間をいただきました。武監督は三原光尋(みはら みつひろ)監督作品での上海ロケが済んで、戻られたところ。作品にかかっている間剃らないという、トレードマークのヒゲは帰国後の日数分のびていました。

Q:この作品は、監督がプサン映画祭に行ったときのエピソードを元にしているそうですね。

監督:プサン映画祭には、2003年に『ゲロッパ!』の上映があって、シネカノンの方々と。2004年には『パッチギ!』と『69 sixty nine』が上映されるというので、小林聖太郎くん(『かぞくのひけつ』監督)と行っているんです。ボランティアや学生たち、プサンっ子がみんなでイベントを成功させよう、盛り上げようとしていました。中高生は大学生になったら自分たちがやるんだ、と楽しみにしていて、ちょうどお祭りのようでした。

Q:熱いところに惹かれたんですか?

監督:映画をやってきて、それまでああいう歓迎を受けたことはなかったです。『パッチギ!』のような映画は今まで作られていませんでしたから、撮影中(助監督として参加)も、どのくらい観てもらえるだろうかと思っていたんです。それがプサンで『パッチギ!』も『69 sixty nine』も、若い世代から熱い歓迎を受けて、嬉しかったしやってきて良かったと思いました。井筒監督や李相日監督、斉藤プロデューサーも同じように感動があったと思います。そんな経験をしょって日本に帰ってきたんです。
 しばらくして、斉藤さんから1枚のプロットを見せられました。「2005年のプサン映画祭を舞台にした男女の恋物語」というものでした。僕はそのとき他の映画にかかっていて、あんまりその気がなくて「頑張ってください」なんて言って(笑)。そして地方の仕事から帰ってきたら、ページ数が増えていて「柄本佑(たすく)でいきたい。スケジュールもおさえたし、やってみないか」と。それでシナリオを考えよう、ということになりました。
 ほかに相手役のへんてこな女の子像もできましたが、短期間でお金もあんまりかけられない・・・。こんなのに出てくれる人はふつういませんよ(笑)。それがロケハンしている時に、江口のりこさんがふっと浮かんで、彼女なら前に一緒に仕事をしたことがあって、事務所もよく知っている。できるんじゃないかなと話を進めていきました。そのうち映画祭がどんどん近づいてくる。来月には始まるとか、めちゃめちゃ急な話で。

Q:わー、それはバタバタですね!

監督:バタバタですよ。でも後に引けないなぁと、とにかく映画祭実行委員の方に会って、「こういう映画を撮りたいんですが、ご迷惑のかからないようにします」とご挨拶に行きました。キム・ジソクさんというものすごく面倒見の良い方で「自由に撮ってください」と快諾してくださって、次にプサンで映画を撮るための許可をもらいに行きました。

Q:映画祭のところは、ドキュメンタリーのような感じでしたね。

監督:手持ちカメラを3台持っていきました。1台は柄本佑くんが回しっぱなし。あとカメラマンと助監督。3人が思い思いのところを撮って、僕はトランシーバーであっちこっちと指示を出していました。

『ボーイ・ミーツ・プサン』場面写真  『ボーイ・ミーツ・プサン』場面写真

Q:映画祭には何日間いらしたんですか?

監督:初日から最後まで全部いました。2週間くらいかな。プログラムを見て(2会場に分かれている)、今やれること、目の前に起こったこと、気になることはとにかく全部回しちゃえ、と。佑くんが帰った後は僕も回していました。スタッフが途中で帰って、最後までいたのは製作の若林くんと僕。閉会式の後まで撮っておきたかったのでプロデューサーにおねだりしたんです。始まりと終わりっていうのは大事ですから、最後の部分も入れることができて良かったなと思っています。

Q:柄本くんと江口さんのスケジュールは合ったんですか?

監督:二人とも忙しくて、1~2日一緒にいられるかどうかで、これは1回では無理なので撮れるだけ撮っておいて、後でまた来ようということにしました。実際2回目があるのかどうか危ういところだったんですけど。二人の場面で先に撮った分で使っているのは1、2カットですね。後はみんな2006年の4月に行って撮影したものです。

Q:映画祭で舞台挨拶をしている場面は?

監督:あ、あれは違うんです。(翌年に)仕込みました。ああいうのは、とてもその場では撮れません。舞台の場面、客席、ヨーコ(江口)が出入りする場面、とあるので時間がかかるんです。20人くらいしかいないのを、たくさんに見せるために角度を工夫したり、ものすごく苦労しながら仕込みました。パーティ会場の場面も、クリハラ(柄本)が忍び込むところは前の年の撮影ですが、会場に入ってからは後から撮ったものです。
 2005年に撮ったものを観直したんです。僕、編集、カメラマン、窪田さん(脚本)とみんなで60時間分!そしたら方向が変わって、脚本も変わってきたんです。映画祭の中での話より、僕らがそうであったように入ってるつもりでも入ってない、ウロウロしている男の子の話にできないかなぁと思い始めました。とても小さな企画で始めたことが、こうやって見て準備の時間がかけられて結果的に良かったです。

Q:他の登場人物についてですが、あの旅館のおばちゃんはどういう方ですか?とっても明るくて、いいキャラクターでした。

監督:あの人は、2005年に聖太郎くんが見つけてくれた、銭湯つきの安い宿のおばちゃんです。僕たちはそこを根城にして、映画祭に通っていました。この映画でもそこを使いたかったんですが、改装工事中でほかのところを探しました。おばちゃん役も、最初はオーディションしましたが、あの人を超える人がいないわけです(笑)。だめもとで頼みに行き、おばちゃんからの条件を飲んで出てもらいました。敬虔なクリスチャンなので、決まった時間までに教会の礼拝に行けること、というものです。

Q:実際にああいう喋り方をされるんですか?

監督:僕らが行ったころはそうでした。映画のときはずいぶんうまくなっていて、それでは困るんで(笑)、「こういう風に喋ってください」と言いました。屋台のおばちゃんも地元の方で、僕たちが実際に行って食べていたところです。顔見知りになったので、撮影させてもらいました。

『ボーイ・ミーツ・プサン』場面写真

Q:監督役の方は韓国の俳優さんですか?

監督:そうです。ソウルの映画にも出ていますが、主にプサンで演劇をやっている方です。ヨーコにとっても大事なシーンなので、説得力のある人じゃないといけないんです。クリハラとは真逆というか、違うところを持っている大人でなくちゃ駄目なので、そういう方にやってもらいました。

Q:クリハラが丸暗記させられる3つの言葉は、どうやって決めたんですか?

監督:まず「アンニョンハセヨ(こんにちは)」は必要だろうと、次に「サランヘヨ(愛してる)」は最終的に生かしたい。それから「ケンチャナヨ(大丈夫/なんでもない)」は、前に日本人がよく韓国で連発して誤解を受けた、っていうのをなんかで読んだことがあったんです。なんにでも「ケンチャナヨ」って言われるとむかつくかな(笑)。
 八百屋さんの前でクリハラがずっとカメラを構えていて、人の邪魔になっている。おじさんがなにか言うと「ケンチャナヨ」と返事して怒らせてますよね。ドッキリカメラじゃないけど、いろいろやらせて生の反応を待っていました。佑くんがまたお芝居を越えた自然体なんですよ。

Q:韓国で公開する予定はありますか?

監督:プロデューサーはプサン映画祭にかける、という思いでいて、僕もそうしたいんですけど、この映画が完成したのが去年の8月。その年の映画祭には間に合いませんでした。これからの動きで公開がどうなるかなと思っています。韓国の人に観てもらいたいなぁという気持ちで作っていますので、実現するといいですが。

Q:あのおばちゃんたちにもぜひ観てもらいたいですね。ありがとうございました。

*こちらに紹介しきれなかったお話は、12月発売の本誌72号でご紹介いたします。

*作品紹介はこちらです。9月22日(土)より渋谷シネ・ラ・セットにてロードショー 

(取材・写真:白石映子)

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