女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ジャスミンの花開く(茉莉花開)』
侯咏(ホウ・ヨン)監督合同インタビュー

2006年5月9日(火) 於 都内ホテルにて

ホウ・ヨン

『ジャスミンの花開く』は、30年代〜80年代の激動の上海を舞台に、母娘4代に渡る、女性の恋と家族の変遷を描いた作品です。

女優を夢見ていた写真館の娘 茉(モー)、不妊症が原因で精神に異常をきたしてゆく茉の娘 莉(リー)。文革の時代を共に歩んだ夫に裏切られても、一人子供を産む決心をする莉の養女 花(ホァ)、そんな女たちの物語。

この運命に翻弄され、波乱万丈の生涯を送る、“茉”、“莉”、“花”を章子怡(チャン・ツィイー)が演じ、その母、祖母の役を陳冲(ジョアン・チェン)が演じています。また茉の恋人役に姜文(チャン・ウェン)、莉の夫役は陸毅(ルー・イー)、花の夫には劉[火華](リュウ・イエ)という豪華男優陣も出演しています。

日中戦争の時代、文革の時代、日本への留学生が再び出現した時代と、中国の歩んできた歴史も垣間見え、時代に翻弄されつつ、自分の意思に忠実な生き方をする女性がたちを描いています。

侯咏監督は撮影監督として長く活躍してきた人ですが、この作品が長編監督デビュー作です。撮影監督としては田荘荘(ティエン・チュアンチュアン)監督の、『狩場の掟』『盗馬賊』『青い凧』、イム・ホー監督の『息子の告発』、謝晋(シエ・チン)監督の『阿片戦争』、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の『初恋の来た道』『あの子を探して』『至福のとき』などの作品を撮っています。

その侯咏監督に、ほかの媒体の方と共にお話しを伺うことができました。



Q 3人の女性の名前に、ジャスミン(茉莉花)の漢字一文字ずつを当てていますが、ジャスミンの花には女性を象徴する意味があるのでしょうか?

監督:日本でもそうだと思うのですが、中国でも女性を花に例えます。中国には、「ジャスミンの花(茉莉花)」という有名な音楽があって、それも意識して、タイトルにつけました。茉(モー)莉(リー)花(ホア)という3つの文字で、すべての女性を表わしているともいえます。幼かった女性が成熟して花が開いていくという思いも込めました。

Q 監督は女性の自立や力強さを描きたかったとおっしゃっていますが、失礼ながら、母娘4代の人生がそれぞれに悲惨で、男運の悪い母娘4代の物語という感じがして、女性が観るとちょっとつらい部分もあります。「婦女生活」という小説を元にしているということですが、原作もそうなのですか?

ホウ・ヨン

監督:実は小説はほんとに男のせいで女性が悲惨な運命を辿るのですが、私の見方はちょっと違って、女性の不幸な人生の原因は、男にあるのではなく、自分自身にあるという考えに基づいて映画に描いています。男自体は決して悪くない。一人目は、茉(モー)をもてあそんで捨てたわけでなく、彼は去っていく前の晩、窓の下にずっと立っていましたよね。翌日、日本軍が進駐してきて、逃げ出さざるをえなかった。戦争が終わって、帰ってきて探せばいいじゃないかとも言えますが、時の移ろいと共に、感情も変わりますので仕方ないことかなと思います。三番目はちょっと別として、二番目は、いい男だと思います。自分を犠牲にし家族を大事にしてくれました。だから、男運が悪かったという考えは持っていません。

(これは私の質問だったのですが、言葉足らずのせいなのか、私も別に男が悪いと言っているわけでなかったので、真意が伝わらず残念でした。主人公の女たち(茉、莉、花)がみんな、よりによって、母親や祖母の忠告を聞かず、自分の信じる道を進んだあげく、結局、男とはうまくいかない状況が描かれ、これでもかこれでもかと男を見る目がない女が3代にも渡って出てくるのが、私にはつらかったということを言いたかったのですが、うまく質問が伝わらなかったようです。これに近い感想は、シネマジャーナル63号の東京国際映画祭特集号で書いています)

Q 三世代が色で象徴されていましたが、その意味は? また、撮影監督としての経験がどのように役立ちましたか?

監督:脚本が出来上がって、最初に考えたのが映像プラン。まず考えたのは、それぞれの時代をどんな色で表わすかということでした。やはり、これはカメラマン出身だからだと思います。
30年代は緑で表わしました。緑は私の好きな色。見たことがない時代への憧れのようなものがあって、中間色で表しました。寒色でも暖色でもない、どっちつかずな色が、モーの自分がどうすべきかわかっていない状況を示しています。
50年代は、暖色のオレンジがかった赤。中国が火のように燃えた時代、政治激動の時代を表わしました。80年代は、寒色のブルー。カメラマン時代、ブルーが好きでした。『青い凧』も青が基調となっています。ブルーは一種憂鬱な一方、希望もこもった色で、この映画に合うと思いました。また、あの時代、灰色や紺色の服を着ていましたので、それも考えての色です。
カメラマンをしていてよかったのは、何かを見たり、小説を読んだりした時に、映像で物を考えることではないかと思います。文字が自然に視覚的に浮かんでくるのです。

Q 10年以上前からこの映画の構想を持ち続け、10年かかって完成させたとのことですが・・  また、田壮壮監督が係わっていますね・・・

監督:この作品に投資してくれた会社が、田壮壮さんが顧問として所属している会社の傘下にあったので、撮影に入る前には田さんも係わっていましたが、ポスプロの時には、ご自身の映画で忙しくて係わっていません。
原作の小説は、92年に友達の紹介で読みました。小説が3つのエピソードになっていて、母から娘への関係が引き継がれていくところが映画に向いていると思いました。また、原作の文章が独特で、地の文がいつのまにか会話になっていくスタイルで、人物の心理がよくわかるものでした。切れ目なく流れるような文章で、映像的にも向いていると思いました。
しかし、カメラマンの仕事も途切れずありましたし、特に監督になろうという強い希望はありませんでした。というのも、監督となると、お金を集めたりしなくてはならず大変ですから。誰かが声を掛けてくれれば・・・と思っていました。そうしたら、ある人から資金を出すので監督をやってみないかと言われたのです。ですから、人に押される感じで、監督になったのです。

Q 北京電影学院の撮影科を卒業されていますが、最初から裏方志望だったのですか?

監督:学校に入ったときは、裏方、表方どちらを選ぶという意識はありませんでした。もともと絵を描くのが好きだったのですが、募集の中に美術部門がなかったのです。それで、近いかなと思い、撮影科を選んだのです。

Q チャン・ツィイーを『初恋のきた道』 (1999)でデビューしたときから、ごらんになっていて、彼女の演技に対する姿勢で変わった点、変わらない点は?

監督:最初に会ったのは、『初恋のきた道』の撮影前でした。彼女は中央戯劇学院の1年生で、まだ見るからに女の子でした。活発でしょっちゅう動き回っていました。臆病で気が小さいなと思ったのは、ある村の入り口で犬が吠えていて、彼女の背中を押したら「きゃぁ〜」とほんとに怖がったのです。でも、撮影が始まって気づいたのは、聡明で勘がいいということ。当時は演技というほどでなく、地でやっている感じでした。『ジャスミンの花開く』では、自分とは全く違う人物を作り上げていく能力を発揮してくれました。

Q 張芸謀(チャン・イーモウ)も、チャン・ツィイーをよく起用していますが、彼女の女優としての魅力は?

監督:突出して優れているのは聡明なこと。状況を判断し、分をわきまえて、何をしたらよいか、どう演じたいかを明確につかんでいる人だと思います。
短期間でスターになってしまったので、中国では、彼女のマイナス面ばかりを取り上げる傾向があって、二流三流のメディアがゴシップを探し出しては掲載するので、プレッシャーもあるし、苦労ほどには、心穏やかな生活をしていないと思います。スターになると、代価も払わなければいけないということでしょう。

Q 移りゆく上海の街を、上海出身でない監督が再現していく上で苦労したことは?

監督:苦労しなかったというと嘘になりますが、でもそれ程苦労はしませんでした。なにより上海が好きでしたし。上海は、30年代東洋のハリウッドといわれ、100社以上の映画会社があり、ハリウッドの映画がすぐに公開されていました。第一部はそういう上海を背景に描きたいと思いました。92年に小説を読み、93年に40年代の上海を舞台にした2分間のCMを撮ったのですが、その時に詳しく調べたのが役立ちました。

Q チアン・ウェン、リィウ・イェ、ルー・イーという豪華な男優たちが出演していますが、キャスティングは、すんなり行われたのでしょうか? また、ジョアン・チェンさんが、各役を素晴らしく演じ分けていましたが、監督も手がける彼女から、撮影に関して何か助言をいただいたことはありますか?

ホウ・ヨン

監督:キャスティングはスムースに行われました。ジョアン・チェンからは、役作りに関して、おばあさん、母と、それぞれこんな癖があればいいのでは? と提案があり、ほとんど自身に決めてもらいました。

Q 自分でカメラは覗かれましたか?

監督:カメラは覗かず、モニターを見ていました。

Q チャン・ツィイーが3世代を演じるに当たって、彼女にどのように演出指導されましたか?

監督:撮影前には三人をどう演じるかについて、彼女としょっちゅう話していました。第二部を最初に撮ったのですが、その時には、第一部、第三部については、混乱しないように、話さないようにしていました。彼女はほんとによく演じ分けてくれました。

Q ホアの娘のストーリーを撮るとしたら、どのようなものを撮りたいですか?

監督:撮影中に冗談で、4番目は、「開」の物語にしようと話してました。おおよそ20年ごとの話なので、時代は2010年頃でしょうか・・・。

Q 次回作のご予定は?

監督:一つ撮り終わって、すぐ翌年撮れる監督は、常時10本くらいの用意があるもの。私は手元に3つしかアイディアがありません。その内2つは脚本も出来ていません。今、テレビドラマの撮影が終わって、ポスプロの段階です。いずれまた、映画を作りたいと思います。



監督は、柔和な落ち着いた雰囲気の方で、カメラマンとしての職人気質が感じられる方でした。質問タイムが終わった後の撮影タイムにも質問してもいいですよと言われ、気さくな人でした。追加でキャスティングのことと、ジョアン・チェンのことを聞くことができましたが、ほんとは、ずっと気になっていた、謝晋(シェ・チン)監督の『阿片戦争』の撮影を担当したいきさつを聞きたいと思ったのだけど、それはとうとう聞けずじまい。『阿片戦争』を観た時、撮影が侯咏になっていて、侯咏監督がカメラマンとして参加した作品は、ほぼ同じ世代の監督の作品が多いのに、二世代上に当たる第3世代の監督、謝晋の作品にどんないきさつで参加されたのかな?と、ずっと思っていました。謝晋監督の作品が好きな私としては、それが、すっと気になっていたので、次回、何かの機会に聞いてみたいな。

シネマジャーナル 作品紹介はこちら

『ジャスミンの花開く』オフィシャルサイト
  URL : http://www.jasminewomen.jp/

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(取材・記録 景山 まとめ・写真 宮崎)
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