第2回アジア・ヨーロッパ映画推進協議会が、 1月下旬から4日間スウェーデンのイェーテボリ映画祭で行われた。 ヨーロッパの市場にアジアのインディペンデント映画配給を促進するのが目的で、 参加者はアジアとヨーロッパ双方から、映画監督やプロデューサー、 各国で映画祭を運営する有識者など30名が参加した。
会議を組織するのは、 シンガポールに本部を置く政府機関ASEF(アジアヨーロッパ会議)文化財団で25のアジア、 EC諸国が加盟。双方の社会文化・人材交流を目指し97年に発足。 映画の力でアジアとヨーロッパの関係をより緊密にしたいと、 主にインディペンデント映画とそれを担う若手の映画製作者たちの意見交換の場として、 2年前に会を設けた。各国から作品や映画の作り手が集まる映画祭の席で、もっと具体的に ヨーロッパとアジアの映画産業を盛り上げたいとしたのが会議発足のきっかけである。 互いに手を取り合い、アメリカが抱えるシェアにどう切り込んでいくかを共通の課題としている。
第1回目の会合はシネマニラ国際映画祭(フィリピン)で行われ、 各国におけるインディペンデント映画の状況を報告、意見交換がなされた。今回の会議は、 具体的にアジア作品の配給をヨーロッパ市場でどう展開すべきかが焦点となった。
「ここ数年、日本、韓国映画がヒットし、ヨーロッパ市場はアジア作品に注目している。」 ヨーロッパ五カ国からの配給会社、映画祭ディレクター代表からはアジア映画に対する眼差しは熱い。 言葉や文化の違いもあるが、作品になってから初めて交流するのではなく、 製作段階から互いを見知っておくことが重要だという。またアジア側からは、 映画祭にアクセスしないテレビ(地上波、有料放送含む) やDVD販売業者との情報交換の場を設けたいとの意見が出された。今会議の集大成として、 Sea-Image Networkを立ち上げ、独自のウェブサイト (http://sea-images.asef.org)では、 各国の映画祭情報、 スポンサー団体など映画関係者の情報交換の場として大いに利用してほしいとしている。
第3回会議は、今年11月のプサン国際映画祭で、 また来年3月にはフランス・クリテイル女性国際映画祭での会議が予定されている。 (本誌61号に、香港の ルイーザ・ウェイ氏 インドネシアのシャンティ・ハーマイン氏のインタビューを掲載)
スカンジナビア半島のみならず北欧の映画業界にとって最大のイベントであり、 政府により認定された文化イベントとして認知されている。 前回は400作品以上、およそ700回の上映をこなし、 世界各地から1500名の専門家やゲストを迎えた。チケットは11万 2000枚の売り上げであった。
今回も世界各地から500作品が出品された。私自身は会議取材がメインだったため、 合間の時間を見つけては映画館にダッシュして、いくつかの秀作にめぐり合う事が出来た。 北欧スペシャルとして企画上映されていたものもあり、 普段日本ではお目にかかれない国の映画を観る好機として楽しんだ。
その中から2作品を紹介したい。
日本だろうとアメリカだろうと、やはり“若者”はあやうい存在で、 だけど大人の一歩手前にいて、ちょっとした暴走も見逃してもらえるという、 社会的にはニュートラルな存在にある。
この作品も4人の18歳を軸に、少年たちの生き様が描かれている。
ターヴィは10歳の頃に両親を目の前で亡くした。 ショックのあまりなぜ亡くなったのか記憶がない。理由をどうしても知りたくて、 模索している。頭脳明晰で裕福であるにも関わらず心は満たされず、 常にトラウマに悩まされている。
ジェアは仲間内でもカリスマ的な存在で、女の子にも人気で世渡りもうまい。 もっかの興味は、アブノーマルな性体験をすることで、性のモラルをやぶること− よりリスキーな経験が唯一、彼を満足させることができる。
サミーは内気な性格で、ジェアの妹に思いを寄せているがなかなか言い出す事ができない。 マルクスは、補導された先で出会った、年上の婦人警官と関係を持つ。
ジェアは、 それぞれの性体験をビデオに収め、誰が一番「過激」であるかを競うゲームに皆を誘う。 最初は好奇心で始めたゲームだったが、どんどん危険なものになっていく。
少しでもバランスを欠いてしまうと、坂道を転がり落ちてしまう危うい18歳の頃。 4人それぞれが迎える結末は、破滅か成功か?
監督のJ-P・シーリは、ヘルシンキ大学の美術科を卒業し、 フィンランドテレビでドラマを手がけてきた若手のプロデューサーで、 今作品が初の長編となる。自らも”ストリート系”を自認し、 普段から街の若者たちとの付き合ううちに、自然に作品が紡ぎ上げられていたという。 重いテーマも含むが、そこは未来につなぐ18歳がテーマであるから望みがないわけではない。それらをテンポよくまとめあげているところは救いであった。
どの国も普遍であるかもしれない、“18歳”という特権。 4人の生き方、そして散り方は力強く、そしてまた悲しい。
政府の人権啓発委員会も賛助している、ユニークな試みがこの作品の特徴で、 6人の監督に“人権”をテーマに作品を手がけてもらった、短編オムニバスである。
それぞれの監督のそれぞれの視点が10分から30分の中に凝縮されていて、 そのひとつひとつがとても”濃い”。
先日、東京で開催された韓国のインディペンデント作品を集めたイベントにも 出品されていてご覧になった方もいるかもしれない。
発想事体は、フィクションも含むが日常の(そして近い将来の)現実を描いたものとして、 どれもじわじわと心に迫ってくる。 テーマは外見重視に翻弄される女性たち、 子どもや障害者の人権、外国人への偏見など多岐にわたる。
就職活動を間近に控え、減量か整形でどうにか自分を変えたいと考える女子高生。 ちょっと太目の、けして美人とはいえない彼女へ世間の風当たりは冷たい。
一方、美しいがために内面を無視されてしまう女性もいる。
“性犯罪の前歴”を公表されて、孤立して生きる男性。
英語教育が盛んな世、「R」の発音ができないために舌の手術を強いられる5歳の男の子。
重度の障害を持つ男性が、ついに沈黙を破って起こした社会へのプロテスト(抗議)とは?
韓国語が離せないために精神異常者とみなされ、6年にわたり収容施設に入れられたネパール人女性。
どれもが私たちの生活に潜む、あるいは見過ごしている問題をあたらめて思い起こさせる。 作品は、結論を提示してはくれない。「あなただったらどうしますか?」と、 きちんと考える枠を私たちに残してくれたまま、幕を閉じる。 こうした辺り、「人権啓発映画」としては天晴れで、 私は完全にその術にはまってしまったと言えるだろう。
(本誌61号では、他に2作品 『Three suns』 『The Forbidden Team』を紹介しています)