2003年7月7日(月)14:00〜15:00
渋谷 セルリアンタワーにて
サハラとインド人の監督・・・というのに反応して、いち早く観たかった『サハラに舞う羽根』。しゃしゃり出て試写を観にいき、記者会見に行ってきました。愛と友情を前面に押し出して宣伝しているけれど、私が観たときに、ずっしりと感じたのは、戦争のむなしさ。監督の思いをぜひ直接聞いてみたかったという次第です。
冒頭の挨拶で、この映画は、911のテロより前に製作したけれど、思いもかけず、このような世界情勢になって、この作品の運命を感じている、この映画を観て、我々は歴史から学んで、同じことを繰り返してはいけないということを感じてほしいとおっしゃいました。植民地化がいかにその国の文化を壊してしまうかということに思いが至るともおっしゃいました。監督は、英領インド時代のラホール(現パキスタン)出身。今の争いをみても、欧米の植民地化に芽があること感じてほしいと語る監督の言葉は、ご自身の実感なのだと、ひしひしと感じました。
—— 人と人との戦いを描いていますが、撮影においては、沙漠での戦闘シーンで、沙漠との戦いという苦労もあったことと思いますが…
監督: モロッコの沙漠での撮影は、ものすごく暑くて、ものすごく寒かったです。千人の兵士も馬も、この温度差に苦しみました。沙漠で撮影する場合、この気温の激しい変化は予想していたのですが、予測しなかったひとつが、激しい雨でした。砂丘が形を変えてしまうくらいの激しい雨でした。もうひとつ予測しなかったのが、砂埃のすごさでした。馬が走ってくると、砂埃で姿が撮れなくなってしまうのです。
ポスターの砂丘をみてもおわかりの通り、砂丘はとても美しいのですが、一度撮影に使うと形が崩れてしまうので、一度撮るごとに場所を変えるうちに、どんどんキャンプ地から遠くなってしまって、迷ってしまうクルー続出でした。私自身も一度迷子になってしまいました。
あと、暑いからといって、アメリカ人がショートパンツになるというのは、イスラム社会において女性に対して侮辱。ロケ地から出て行けと言われたこともありました。
—— 同じ原作で、7回映画化されているとのことですが…
監督: 引き受けるまで、前作は観たことがありませんでした。観てみて、怒りの気持ちを持ちました。60年代に作られた最後の作品では、アフリカの人たちを馬鹿にした蔑称で呼んでいました。植民地の描き方にも不満でした。 引き受けたのは、物語自体に惹かれたからです。戦争に行くことになって「ノー」と言えた勇気に興味を持ちました。
パレスチナで自爆テロに行けと言われた場合、「ノー」と言ったら、それは臆病なのか、勇気なのか…
ヒーローというものの本質に触れられるのではないかと思います。ほんとのヒーローは、人を殺す優秀な兵士ではないと思います。
—— テーマである義務と勇気について、ご自身のお考えは?
監督: 原作では、植民地の人たちは殺してしまっていいんだという場面が多かったけれど、そうではないことを描きたかったのです。 兵隊が義務として戦地に行けと命令されたときに、自分はほんとうはどう思っているかということを問いかけることの意義を考えてほしいと思いました。勇気は、死に直面したときでなく、生に対して発揮されるものと思います。
—— 監督は英国人ではありませんが、植民地政策に対してどう思われていますか?
監督: もちろん反対です。
—— ヒース・レジャーは、脚本に感銘を受けて引き受けたと聞いていますが… また、ヒースさんに対して、どのようなリクエストをされましたか?
監督: ヒースはクレージーな男です。脚本に書かれているハリー以上に、人生をスクリーンに投影できる人です。心をオープンにして臨んでくれました。ヒースに関しては、面白い話があります。馬に乗っているシーンで、馬を乗り換える場面があるのですが、これはアクションディレクターのアイディアだったのですが、もっとエキサイティングにとのことで、ヒースは内緒でスタントを使わずに、自分で実行したのです。一歩間違ったら、死んじゃうかもと言ったら、そのまま撮って映画にしちゃえばいいと。無事でよかったとほっとしています。ハリウッドでは2度とこんな危ないことはするなと彼に言いました。命をかけたこの場面、ぜひ注目して観てやってください。
(思い返せば、この場面、馬が何頭も疾走する中で、乗り換えるというすごい技。後ろから走ってくる馬に踏み倒されそうでした。)
—— エスネ役のケイト・ハドソンに対してお聞かせください。
監督: エスネは、二人の男性の間で葛藤する難しい役だけれど、脚本では深く描かれていませんでした。役作りについて、話し合ったのですが、ケイト・ハドソン自身が結婚したばかりだったので、いかにコミットメントをしたか、口先だけでできるのものなのか、結婚に至る決断の仕方を思い出して役作りしてもらいました。
—— 音楽にパキスタンの音楽家を起用していますが…
監督: 『女盗賊プーラン』で起用したパキスタンの大音楽家、ヌスラト・ファテ・アリ・ハーンが亡くなったので、今回は彼の甥を起用しました。東西文化の融合が心地よさをかもしだしていると思います。音楽は映画の中で、科白よりもさらに大きなものを伝えます。この映画が東と西を対称的に描いていることが音楽にも表れています。西の統制、東の個人主義的な嗜好が、音楽にも反映されて、西欧の機密さに対して、東はアドリブの自由な雰囲気が出ていると思います。英国軍が、角陣を組んで統制を取っているのに対し、マフディー軍が好き勝手な格好で、あちこちから攻めてくるという場面に対応しています。
—— 現在のパキスタン生まれで、活躍の場がインドや英国ですが、国籍は?また活躍の場は?
監督: 生まれたときは、英領インドです。今は、ボンベイとロサンジェルスとロンドンを行ったり来たり、飛行機にばかり乗っています。
—— 次回作『pani』は、水という意味だと思いますが、インドで撮るのでしょうか?
監督: はい、その通りです。インドの25年後位近未来の、2000万人規模の都市を舞台に、権力者が水の権利を握っているために、水不足が起こる話です。インドのキャストがメインになります。
★ 次回作も、社会問題を描きつつ、娯楽性のある作品に仕上がることと楽しみにしている私です。
→ 作品紹介