2日目の後半です。明洞からロッテデパートへ。隣のロッテホテル3階の大韓旅行社へ、明日予約してある板門店ツアー(母だけ参加)の確認に行きました。様々な事情で急にツアーが中止になることがあるそうで、前日の確認が必要なのです。デパートでは地下でお約束の韓国のり(20cm×20cmぐらいのが10枚入って200円)と糖分が入っていないのになぜか甘いあじさい茶(パッケージもかわいい1600円、ちょっと高い!)とビンの女の子のイラストがかわいかったチャンジャ(魚の内臓の塩辛というか唐辛子漬け、800円)を買いました。それから宿のある仁寺洞に帰ったのだけど、タクシーはつかまらないし、地下鉄もちょっと自信がなかったので歩いて帰ったらすごく遠かった・・・・。ホント近いように見えても、道を横断できないので遠回りしたり何度も地下道を上り下りしなくてはいけないのです。それがやっぱり不便でした。(翌日地下鉄に乗ってみたら、東京の地下鉄と同じだったので、早く乗ればよかったんだけど)
仁寺洞は、陶器のお店や民芸品店が多い通りで、私が大好きなところです。落ち着いた浅草といった感じでしょうか。ゆっくりお店を見ていって、韓国のお面によくあるおじいさんが笑っている顔をモチーフにした灰皿や、陶器の小物入れ、子供の絵とハングル文字が書かれたランチョンマットなんかをちょこちょこ買いました。どれも数百円のものばかりです。途中で屋台のミニ鯛焼き(1個30円!三口ぐらいで食べれる小さい鯛焼き)を食べつつ、ちょこまか物色。母も私も姪も1000円以上すると高いっと思うタイプなので、お店の人にしたらチマチマした日本人だと思ったことでしょう。(笑)その仁寺洞通りの真中あたりを右に折れると、伝統茶院があります。広い庭があって、そこでもお茶が飲めるし、もちろん中でも飲めます。私はスイカの角切りが入った酸っぱいお茶、母は梅茶、姪はシッケを飲みました。お茶葉で煎れるものではなく、原料を煮出したり、煮詰めたりしたものです。店員さんもとても感じがよく、のんびり一休みできました。壁一面に落書きというかメッセージがかいてあり、たくさんの人がここで一休みしていったんだなーとわかります。
さあ、ちょっと早いけど夕食です。宿のすぐ近くに定食や(土房という看板が出ている)があったので、手っ取り早くそこへ。店の中は早くも結構お客さんがはいっています。メニューをもらったけど、ハングルしか書いていなくてお手上げ!日本人はめったにこないのかおばちゃんも「この人達メニュー読めるんかな」といった心配顔で見ています。でもなんか注文しなきゃーと思って、おばちゃんに「これは何?」と指差しで聞いたら、キムチチゲ・テンジャンチゲ(韓国風味噌汁)・スンドゥブチゲ(豆腐のチゲ)という事がわかったのでそれらを注文。すぐにザルにのったレタス・お好み焼き2種・焼き魚・キムチ・青菜をコチュジャン味に和えたもの・みそなどがバーッとテーブルに並んで、ふたつきのお茶碗にぎゅうぎゅうに詰まったご飯と、一人用の鍋にぐらぐらと煮立ったチゲが運ばれてきました。これで一人400円です。見ただけでお腹いっぱいになりそう・・・。母が「隣の人達(OL風の2人)野菜にご飯のせてみそつけて巻いて食べてるよ」というので真似してやってみたり。野菜にご飯を巻くというのは新鮮な驚きだったけど、これだとすごく野菜が食べられます。チゲは結構辛かった。
食後、私と姪は東大門市場へ。地下鉄にのってみることに。近場だと60円だと調べていたけど、券売機の使い方がわからないので窓口で購入。後は線ごとに色わけされているので、東京の地下鉄と同じ感覚で乗りこなせます。姪が行きたがっていたデザイナーズクラブというビルに行ったけど、ここは卸専門のようで個人で少し買うのは歓迎されませんでした。何人かの日本人観光客が集まって見ていたバッグの店があって、帽子とおそろいのバッグのセットがとてもしゃれていてかわいかったけど、1個では売れないとのこと。お店によるのかもしれないけど。次は観光客向けのドゥサンタワーへ。隣のミリオレというファッションビルとともに玄関でイベントをやっていて、ステージでアイドルグループらしき男の子達が踊っていました。こちらは観光客ウェルカムという感じだったけど、小さい店が何百店も入っているので、とても短時間で見るのは無理。大体、私も姪も普段から安い服しか買わないので特別安ーいという感激はなかったというのが正直なところ。「あんまり安くないなー」「もう帰ろうか」「帰りあのおっちゃんの丸いお菓子んとこよってもいい?」ファッションより食い気ですか・・・・・。
帰ると、宿の孫娘が部屋に遊びに来ていました。母得意の折り紙コミュニケーションで仲良くなったもよう。鶴を折ってあげている。今回の旅でとっても役にたった「旅の指差し会話帳(情報センター出版局)」で名前をきいたら、「リュウ・コウシン」と恥ずかしそうに教えてくれました。9歳です。母を指差して「アジュマ(おばさん)」と言ったらなぜかウケていました。
〜その4へつづく〜