このページはJavaScriptが使われています。
女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[Part 1] [Part 2] Part 3 [Part 4]

追いかけてイーキン 4 days Part 3

3日目(2/11)

第1回 14:00〜 SHIBUYA-AXにて

 「そうだ、手紙を書こう!」昨日、ライブからの帰り道に思い立った。というのは、緊張していたとしても、ライブで余りにもMCが少なかったから。今日のライブ前に手紙を渡すことができれば、ライブでもっと喋ってくれるかもしれない。ついでにライブの感想も書いておこう──さっそく帰宅後、久々に広東語を使い、次のような内容をしたためた。「日本でコンサートを見ることができて、とても嬉しいです。ライブを見て、あなたが日本のファンのために努力してくれたことがとてもよくわかりました。どうもありがとう。特に、2番目に歌った日本語の歌(←「恋の予感」の中国語名がわからなかった)の日本語はパーフェクトで、まるで日本人が歌っているようでした。ただ、残念なことがあります。それはあなたが余り喋らなかったことです。ファンは、いつもあなたが何を思っているか知りたいと思っています。だから今日のライブではもっとたくさん喋ってほしいです。その上、もっと長く歌ってくれたら、何も言うことはありません」…… 本当にこれが広東語上級クラスの文章だろうか? まあとにかく、こんな文章をポストカードに書き、カードだけだと、どこかに紛れるかもしれないので「加油」のボードを持たせたクマのマスコットにつけてみた。そして早めに会場入りし、係員の人に「ライブが始まる前に読んでほしいので、ライブの前に渡してください」とお願いした。

 そのせいではないだろうけれど、とにかく今日のイーキンは昨日とうってかわって、よく喋った! 登場してきたときからノリが違っていて、「Come On!」とファンをあおったのは心底嬉しい驚きだった。最初にジェリーが出てきたときも、偽物と言われたジェリーが「実は僕は木村拓哉なんだ」と返せば、イーキンも「じゃあ、僕は反町隆史だ」なんて言っちゃうし。今日のライブを取材日にしてくれたら、よかったのになあ。

 日本語のパートにもいちいち説明が。「日本の音楽の影響というのは大きくて、僕は小さいころ、音楽が余り好きではなかったんだ。でもテレビで日本のアニメを見て、主題歌を歌いたいと思ったんだ」と仮面ライダーのテーマに。「少年時代に入って、日本の歌が入ってきたけど、歌の意味は全然わからない。でも、音楽って重要だなと思ったんだ。内容がわからなくても、伝わってくる。僕もみんなに感動を与えられたらと思います」と言い(メモをもとに、補足して起こしているので、やや不正確)、すごく真剣に譜面台の日本語を見て「恋の予感」に備えるイーキン。歌い終わると「昨日よりはできがよかった」と、ペットボトルの水を半分くらい飲んだ。昨日は「まず先に水を飲ませて」と、一気に500mlを飲み干したんだけど…… 昨日よりも緊張が半分ほどは和らいだと解釈してもいいのでしょうか。「次の歌はラブソング。軽やかで楽しい歌です」と「桜坂」へ。今日は、2階に目配りする余裕もあり、最前列で立って応援している人に「Be careful!」。最後は譜面を見ないで、椅子から立ち上がって歌うという頑張りも見せてくれた。

「發現」を歌った後
イーキン:「僕の歌よりも映画のほうを知っている人が多いかもしれないね。『古惑仔』を見た人は?」
    (会場にたくさんの蛍光棒があがる)
    「じゃあパート3を見た人は?」(同じくらいの蛍光棒があがる)
    「この挿入歌は悲しい歌だけど、僕の好きな歌です」
と「甘心替代[イ尓]」を歌った。その次はフラメンコ風振り付けの「一個為[イ尓]甘去蹈火海的人」。今日は、曲が終わったらステージに投げ込もうと薔薇の花を用意していたファンがいたのだが、ファンが投げ込む前にさっとステージからイーキンが退場してしまい、無人のステージに空しく花が残ってしまった。

 順調に曲は進んで、観客参加の「Magic」へ。ジェリーが出てきて「昨日とルールが変わりました。結婚してない人、手を挙げて」と言うと、大勢手を挙げるファン(私も)。「……そういう人はまず、ボーイフレンドを見つけて早く結婚しなさい」。今度はそういうオチでした。今回選ばれたファンは2人で、イーキンが2人にインタビューをした。まず「日本人ですか?」と軽くボケをかました後、名前を聞いた。1人が「清水〜」と言うと、「日本のサッカーチームで、そういう名前があるね」と日本通なところを披露。次の人は「覚えてほしいから」と下の名前だけを名乗った。ジェリーはこの人のことを、ハンドバックを持って舞台に上がってきたので「手袋小姐」と呼んだが、それを訳す周さんは「手袋さん」と珍しく誤訳していた。この日、選ばれた2人もオシャレなファッションのきれいめの人。汗をかくし、どうせ舞台から見えないから、なんて手を抜いちゃいかんのですな、どんな時も。努力は報われるの一面をかいま見た思いでした。

 「Bad Boy」を歌った後、ダンサー4人とともに前に出てきて挨拶をし、退場。しばらく、みんなの叫びにもかかわらず出てきませんでした。「直至消失天與地」を歌い、次は「同一秒」。昨日、ライブ後のかこみ取材で、イーキンは、誰に捧げたのかと聞かれて「男の人」と答えたそう。捧げる人は帰ってしまったのか、今日はこう言いました。「デートの経験は、みんなあると思うけど、初めてデートをしたときは一秒一秒が大事。この歌を皆さんに捧げます。初めてデートをしたときの気持ちを思い出して下さい」

 「時間の経つのは早いもので、最後の歌になりました。My Song」と「我的歌」で締め。あらら、たくさん喋ったせいか、「一生愛[イ尓]一個」がなくなってしまった。「この歌が好きだったのに」とがっかりしていた人も。いっぱい話してくれたけど、時間はちょっきり1時間半。でも、ファンの熱気にイーキンが随分応えてくれて、まさにライブはみんなで作るものと実感。イーキンものってたし、昨日は見ている自分の周囲に空間があってイーキンファンは行儀がいいなあと驚いたけど、今日は隙間も薄くなって、ファンの熱気がヒートアップしているのを肌で感じた。夜の回はますます熱くなりそうだ。その前に体力がもつのかしらん……。


第2回 18:00〜  SHIBUYA-AXにて

 楽しいライブもいよいよラストという思いがみんなの胸に去来するのか、会場はみっちり隙間なしにファンが立っている。この圧迫感の中、1時間も待っているのは正直辛かった。連れのEさんが指摘したように、開場は30分前でもよかったのでは? 立っているうちに、だんだん腰にきた。ぎゅうぎゅう詰めでメモをとるのは断念、もっぱらライブを楽しむことに。ということで、覚えているところしか書けません。ごめんなさい。

 今までと違ったところというと、背中を向けて歌い太極拳ポーズで締めた「中華英雄」の後、初めてバンド紹介が。メンバーを読み上げているのは、なぜかジェリーと通訳の周さんだ。ここで、友人との間で秘かに? 小朝」と呼んでいた春風亭小朝似のバンドマスターが、イーキンのCDをずっとプロデュースしてくれている陳光榮氏であったことが初めてわかった。失礼いたしました! それからイーキンが、振り付け師、ダンサー、周さんと順にお礼を言っていき、第3パートは、会場の音声スタッフ、プロデューサーのウィルソンさん、照明スタッフ、第4パートはファンに対して感謝の言葉を述べた。「みんなの盛大な応援がなければ、こんなに熱く踊ることはできなかったよ!」 最後はプロモーターにまでお礼を言っていた。

 今日が最後とあって、「Magic」の会場に上がる権をめぐっての戦いは壮絶を極めた。最初は3人選ぶはずだったのに、結局4人に。また名前を1人ずつ聞いていくイーキン。最初の人が広東語で「メイファー」、次の人が「かずえ」、次が「いくこ」、最後の人が、広東語で「モウレイなんとか」と答えると、ジェリーがイーキンに「じゃあ、最後の人から1人ずつ名前を言ってみて」。結局1番最後に名乗った人の名前しか言えなかったのでした。「いくこ」さんは、数字でも思い浮かべたのか「やっがうがう」さんになっていた(笑)。さて、この4人には嬉しいプレゼントが。歌っている途中で、ジェリーがチェキ!を持ってきて、その場で写真を撮ってくれ、なおかつイーキンがサインをしてくれたのです。この4人にとっては、生涯忘れられない思い出になっただろうなあ。何事も積極果敢に挑まなくてはなりませんねえ。しかし、そんなことがあっても、全然うらやましがらない私……困ったもんだ。

 「Bad Boy」では、最初にコートを脱がず、チェーンを回すかわりにコートを脱いで振り回すイーキン。今まではこの曲が終わった後、周さんが出てきてアンコールを促していたのだが、今日は周さんが出てこなくても、自然にみんなの口から「アンコール!」の声が盛大に上がっていた。再びステージに現れたイーキンは、一瞬一瞬をかみしめるように「直至消失天與地」「同一秒」を、時々座ったりしながらしっとりと歌った。そして、サンサン女史、マネージャーのマイケル、日本側のマネジメントをしているスミコさんへの拍手をみんなに促した。そしてついに残すは1曲。「僕はどんなコンサートでも、この歌を最後に歌います」と前置きして、「我的歌」を心をこめて歌ってくれた。最後に言うのも変だけど、本当にイーキンは歌がうまくなったと思う。生歌を聴いてしまったら、CDが聴けなくなるのでは? と疑うほど。

 歌い終わった後、周さん、イーキンクラブインターナショナルの会長のワサビさん、マイケル、サンサン、ダンサーたち、ラッパーなど、みんな出てきて、場内の観客に手を振った。もう、これで本当におしまい。スタッフたちの顔には、ファンの声援に感動しながらも、いい仕事をやり終えたという満足感が現れていた気がする。きっと、日本で公演をすることが決まったときは、期待だけでなく不安も多かったろうな。この公演が興行的に見て成功したかどうかは難しいところだろうけれど、イーキンをはじめスタッフの人たちが「日本でライブをやってよかったな」と少しでも思ってくれたら嬉しい。また歌いに来てくれるかな……いや、呼びましょう! 私は、イーキンがまた日本でコンサートを開いてくれるまでイーキンを応援しようと決心しました。盛り上がっても盛り上がらなくても、とにかく応援したい香港明星はイーキン。そういうことです。ああ、病膏肓に入るとは、こういうことを言うのかしら。もしもファン歴年表を書くとしたら、イーキンファンとして第2ステージに入った、そんな節目となった気のする今回のライブでありました。

(ああ、これでひと安心と、4日目に続く

return to top

特別寄稿 Feb. 19, 2001 (Feb. 22 加筆・修正) (文:まつした)
本誌「シネマジャーナル」及びバックナンバーの問い合わせ:
order@cinemajournal.net
このHPに関するご意見など: info@cinemajournal.net
このサイトの画像・記事等の無断転載・無断使用はご遠慮下さい。
掲載画像・元写真の使用を希望される場合はご連絡下さい。