誰にでも死が訪れることはわかっていても、ついまだまだと思っている自分がいます。映画『みとりし』を観て、きちんと「死」に向き合わなければいけないと思いました。
映画『みとりし』の企画に携わり、主演を務めた榎木孝明さんに、代々木上原にある榎木さんのギャラリー「アートスペースCuore(クオーレ)」でお話を伺いました。
定年間近のビジネスマン柴久生は交通事故で娘を亡くし、家族とも離散。喪失感から踏切に飛び込もうとした時、「生きろ」の声を聞く。それは、亡くなった友人・川島の声だった。川島の墓参りに行き、川島の最期に立ち会ったという女性に出会い、看取り士という聞き慣れない職業を知る。余命告知を受けた人が安らかに旅立てるよう手助けする仕事に柴は興味を持つ。
5年後、柴は備中高梁の町の小さな看取りステーションで、地元の病院と連携しながら、最期の時を迎える患者たちを温かく看取っていた。そんなある日、23歳の新人見取り士・高村みのりが着任する。9歳の時に母を亡くしたことから、看取り士を志したみのりを、柴は優しく支えながら指導する・・・
2019年/110分/G/日本
配給・宣伝:アイエス・フィールド
(c) 2019「みとりし」製作委員会
公式サイト:http://is-field.com/mitori-movie/
★2019年9月13日(金)より有楽町スバル座ほか全国順次ロードショー
― 昨年、榎木さんがface bookで、この映画の撮影に入られたことを書かれていた中で、看取り活動をされていた柴田久美子さんと知り合われたのが隠岐・知夫里島とありました。風光明媚なところですが、プライベートでいらしたのですか?
榎木:600人位しか住んでいない小さな島なのですが、10数年前にグループでたまたま行った時に、島のご老人などのケアをされていた柴田さんと知り会いました。
― ほんとに偶然知り合われたのですね。
榎木:はい、偶然です。それが今に繋がっているのですね。あそこで初めて、看取り士という言葉を聞きました。
― その頃から、看取り士という言葉を使っておられたのですね。
榎木:柴田さんは、いつか「看取り士」を全国区にしたいという希望を持っておられました。そのために映画を作りたいので、映画化する時には、自分の役を榎木さんにお願いしたいといわれていました。それがいつ実現するのか全然見当もつかない話だったのですが、10年以上経ってこうして実現したので、柴田さんの思いが強かったのですね。
― 柴田さんと知り合われた頃は、まだ介護のこともそれほど社会で注目されてなかった時代ですね。
榎木:そうですね。(国家試験ではなく、民間資格で、患者さんに延命治療をして少しでも長く生きて頂こうという従来の考えと違うので、)医療・介護業界などからは何をやっているんだという攻撃もあったようです。
― 看取り士が、お金目当てじゃないかとか、あやしい宗教じゃないかと思われていることが映画でも描かれていましたね。
榎木:実際に柴田さんが経験されたことですね。もっとつらいこともあったと思います。ご自身の経験を脚本に入れ込んでいますね。
― 脚本には榎木さんも関わられたのですか?
榎木:いいえ、途中で読ませてもらいましたけれど、柴田さんからの意見を取り入れて完成させていますね。
― 撮影は岡山県の高梁でしたね。
榎木:映画もよく撮っているところで、いいところですね。
― 映画を観る前には、身寄りのない独居老人の人生の最期を看取るというイメージを持っていました。でも、映画を拝見したら、余命宣告された本人だけでなく、ご家族にも肉親の死と向き合うことをサポートするのが、看取り士の役目だと感じました。
榎木:確かに、独居老人が増えていますね。今は孤独死ではなく孤立死という言い方をするようですが、年間約3万人位の方が孤立死されているという統計がでています。
― 家族でない他人が人生の最期のケアをするわけですから、その人のプライベートなところにも踏み込まないといけないですね。
榎木:ケアする側も、お願いする側も覚悟がいりますね。
― 看取りをお願いするのには、介護保険は適用外ですよね。費用はどの位かかるものなのでしょうか?
榎木:看取り、相談は1時間8千円ですので、余裕がないと、なかなか呼べない状況があると思うのですが、あと数時間という時に呼ぶので、それほど高額にはならないと思います。
― 身体をささえてあげるとか、手を握ってあげるというのは、意識が朦朧としている中でもわかるものなのでしょうか?
榎木:当然わかっていると思います。意識がなくてもちゃんと聞いて、すべてわかっていると思います。
榎木:私が小さい頃はまだ家庭の中で冠婚葬祭が行われて、家族の死も含めて身近にあったので、もう一度そういう時代に意識を戻す対応を考えてもいいのではと思います。
80%が病院で亡くなるけれど、政府の方針として、できるだけ在宅医療を薦めています。余命がわかったら家庭に帰すこともしています。問題なのは、話し合いがないことで、本人は家で亡くなるつもりだったのに、危篤状態になると、ご家族は慌てて救急車を呼んでしまうものです。病院に運ばれ、そこで延命措置をするかどうかを、本人でなく家族に求められて、結局、ほとんどが延命お願いしますとなるそうです。
― 私の母の場合は、病院から延命措置はしない方針ですと言われました。母自身も、常々延命措置はしないでほしいと言っていましたので、私も納得でした。
榎木:病院がそういう対応で、患者さんとご家族と同意があるといいですね。
― 映画ができあがって、榎木さんとしてはどんな思いですか?
榎木:私自身、昔から死については興味があって、いつかは取り上げてみたいたぐいのテーマの映画でしたね。心がまえのある死であれば、怖いという思いを払拭できるような映画になっていればいいなと思います。
― 日本人はあまり宗教的に考えないですよね。チベットだったら、輪廻転生で生まれ変わる。イスラームでは、今の世の中はせいぜい70年か80年だけど、その後の天国での生活は永遠に続くから、それを楽しく過ごすために、今の人生で善行を積むと聞いて、そういうものかとびっくりしました。
榎木: 1回しかない死を、逝くほうも見送るほうも、ちゃんと人間的に向き合うべきじゃないかと疑問があったのですが、今回の映画がそれに応えてくれるのではないかと思っています。
― 死は誰しも経験することですから、きちんと向き合いたいですね。
榎木:避けて通れないことですよね。先ほど、30代の男性の方からインタビューを受けたのですが、死ぬなんて考えたこともないと言っていました。それが普通だと思うのですが、若い人でも病気や交通事故で死は突然来ることがある。ちゃんと死は来るものだと認識してもらえれば、今をどう生きるかという発想が生まれてくると思います。
― 亡くなる瞬間には、あ~いい人生だったと逝きたいと思っているのですが、榎木さんはいかがですか?
榎木:もしまわりに人がいたら、「ありがとうね。楽しかったよ」と逝きたいですね。
― 「お葬式をどうしたい?」と、母がよく父に聞いていたのですが、父は何も言いませんでした。母は逆にお花いっぱいがいいと言っていたので、我が家は神道なのですが、花が飾れないので音楽葬にしました。私は会葬に来た友人たちに自分が会えるわけじゃないから、家族で見送ってくれればいいと言ってます。
榎木:葬式は遺された人のためのものですからね。
私は葬儀はおおげさなものじゃなくて、ごく身内でして、もう人が話題にしなくなった頃に亡くなったことを公表してもらえばいいと思っています。
― 今、終活が話題になっていますね。
榎木: 2025年問題もありますね。団塊の世代の方々が高齢化して、政府の対応が行き詰る年といわれています。火葬がなかなかできなくて待たなければならないとか、介護施設が足りなくて、対応が後手後手になるなど大変な問題になると言われています。
― 私も団塊の世代の少し後なので、心しないといけないですね。
若い人に特に観てもらいたいとおっしゃってましたが、最後に映画をご覧になる方にひと言お願いします。
榎木: 死を遠くにして話題にあげないのが親切だという考えはそろそろあらためてもいいのではないかと思います。もっと身近なものとして、死期がお互いにわかると、今何をしたいのかも明確になってきます。気遣いすぎて、まだ大丈夫というのが親切かどうか。亡くなるほうも、もう何日もないとわかっていれば、心構えが違ってくると思います。この映画が自分の死や、身近な人の死を考えるきっかけになればと思います。
榎木さんの死生観をたっぷり伺うことのできた30分でした。
映画『みとりし』の具体的な内容や、撮影秘話などについてお伺いするのをすっかり忘れてしまいました。公式サイトや、他誌のインタビューをご覧いただければと思います。
私は常々、死期はいつですといわれれば、逆算してお金を使えるのにと現実的なことを思っています。もちろん好きなことをするためにお金を使いたいからなのですが、榎木さんとお話して、もっと高尚な形で死と向き合わなければと反省!