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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

第30回東京国際映画祭 特別上映
『リュミエール!』 舞台挨拶

[立川志らく師匠、ティエリー・フレモー監督]

第30回東京国際映画祭で特別上映された『リュミエール!』の舞台挨拶レポートを SIMONE K さんに寄稿していただきました。
(テキスト内の画像はクリックすると大きくなります)


作品概要


©2017 - Sorties d'usine productions
- Institut Lumière, Lyon

スピルバーグもルーカスもジェームズ・キャメロンもクロサワも小津も、映画はここから始まったー。1895年12月28日パリ、ルイ&オーギュスト・リュミエール兄弟が発明した“シネマトグラフ”で撮影された映画『工場の出口』等が世界で初めて有料上映された。全長17m、幅35mmのフィルム、1本約50秒。現在の映画の原点ともなる演出、移動撮影、トリック撮影、リメイクなど多くの撮影技術を駆使した作品は、当時の人々の心を動かした。1895年から1905年の10年間に製作された1422本より、カンヌ国際映画祭総代表であり、リヨンのリュミエール研究所のディレクターを務めるティエリー・フレモー氏が選んだ108本から構成され、リュミエール兄弟にオマージュを捧げた珠玉の90分。4Kデジタルで修復され、フレモー氏が自ら解説ナレーションを担当、ひとつの時代、そこに生きる様々な人や場所、伝統の証人である映像とともに、20世紀を目前とした世界への旅にあなたを誘います。


監督・脚本・編集・プロデューサー・ナレーション:ティエリー・フレモー(カンヌ国際映画祭総代表)
製作:リュミエール研究所共同プロデューサー:ヴェルトラン・タヴェルニエ
音楽:カミーユ・サン=サーンス
映像:1895年~1905年リュミエール研究所(シネマトグラフ短編映画集1,422本の108本より)
原題:LUMIERE!/2016年/フランス/フランス語/90分/モノクロ/ビスタ/5.1chデジタル/字幕翻訳:寺尾次郎/字幕監修:古賀太/後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本協力:ユニフランス
©2017 - Sorties d'usine productions - Institut Lumière, Lyon
オフィシャル・サイト:gaga.ne.jp/lumiere!/
(公式資料より)


登壇者


ティエリー・フレモー監督

●ティエリー・フレモー

1960年フランス南部イゼール生まれ。2001年からカンヌ国際映画祭で芸術ディレクター、2007からカンヌ国際映画祭総代表に就任。リヨンのリュミエール研究所のディレクターも務め、リュミエールの作品(映画、写真)の保存と初期のシネマトグラフ映画の復元に長年携わる。リュミエール兄弟を発明者としてだけでなく、映画史における最初の映画監督としても称えるために、映画『リュミエール!』を製作した。柔道は黒帯の腕前。


●立川志らく

1963年生まれ、東京都出身。1985年立川談志に入門、1988年二つ目昇進、1995年真打昇進。現在弟子20人を抱える大所帯。落語家、映画監督(日本映画監督協会所属)、映画評論家、エッセイスト、昭和歌謡曲博士、劇団主宰、さらにはTVコメンテーターのレギュラーと幅広く活動。多数の映画コラムを寄稿、中でもキネマ旬報は「立川志らくのシネマ徒然草」を20年以上連載し続けている。また映画を落語にした独自の「シネマ落語」を創り上げ、これまでに70本以上の作品を口演、幅広い世代から支持をうけている。そんな映画への造詣が深い立川志らくが、映画の原点となる本作の日本語ナレーションを担当することとなった。


舞台挨拶

矢田部吉彦(東京国際映画祭プログラミング・ディレクター): これからご覧いただきます『リュミエール!』は、我々も皆さまも愛してやまない映画の誕生を描いた作品です。オーギュストとルイのリュミエール兄弟が初めてパリで有料上映をしたのが1895年、それから122年が経ちました。兄弟が残した1422本、(1本当たり)約50秒の作品の中から108本を厳選してデジタルリマスターで蘇ったのが今回の『リュミエール!』です。この作品の監督・編集・プロデュース・ナレーションを務められましたのがカンヌ国際映画祭総代表でもあり、リュミエール研究所の所長でもいらっしゃいますティエリー・フレモーさんです。


ティエリー・フレモー監督

ティエリー・フレモー監督: 皆さんこんにちは。ちょっとフランス語で話します。まずはフランス大使に挨拶したいと思います。(ここから英語で)122年前のリュミエール兄弟と、ちょうど同じような道を辿っているという気が、ここ日本でしています。彼らが122年前にシネマトグラフを発明して、そこから大きな冒険が始まりました。この機械を使って世界中に撮影技師を派遣し、映像を撮ってこさせたのです。
そして今日21世紀、我々も大きな冒険をしていると思います。リュミエール兄弟は映像を撮るだけでなく、初の映画監督でもありました。私はリヨンにあるリュミエール研究所の所長をしているので、彼らの作品を知らせるという自分の義務を感じています。観客や歴史家に映画の起源はどういうものか、その映像がいかに美しいかを知っていただきたい。じつはフランスでも、あまりリュミエールの映像は知られていません。今いろいろ教えている段階です。タイトルを言える人でも4 、5本。でも実際に撮られたのは1500本近いのです。
『リュミエール!』は世界中で成功を収めています。日本では依田巽さん、GAGAが配給を引き受けてくださって光栄に思っています。

矢田部: 108本をどのように選んだのでしょう?

フレモー: まず108本と聞いて「3、4時間の長い映画だ」と思わないでください(笑)心配しないで。全部でわずか1時間半です、1本が50秒の長さだから。リュミエールの映画としてまとめるとしたら、そのぐらいの長さが適切ではないかと思いました。リュミエールの世界の紹介になりますので、彼らの撮った作品のテーマや何がリュミエール「らしさ」なのか、内容はさまざまな分野にまたがっているため厳選しました。

矢田部: 製作したタイミングには何か理由が?

フレモー: 今は技術が革新されていて、修復が楽にできるようになってきました。私たちはフランス政府からかなりの金額の助成を受けて、CNC(フランス国立映画センター)というフランスの政府機関と一緒に、すべての映画を修復する予定です。まずはこの108本を、リュミエール兄弟の映画がスタートしてから120周年記念の2年前に始めました。当初はライブで上映していたのですが、映画館で観られるかたちに残そうということになったわけです。
そして今回、初めてリュミエール作品が一般のお客さんの前で観られる機会になりました。リュミエール兄弟は1905年には映画を製作しなくなりました。その後パリやリヨンでイベントとして上映会はありましたが、ふつうのお客さんに観ていただく機会はなかなかなかったのです。今回はトリビュートというかたちで、現代の映画界の監督と肩を並べてリュミエールが映画館で観られるようになりました。


ここでスペシャルゲストの立川志らく師匠(日本語吹き替え)登壇


ティエリー・フレモー監督に「シラク、ノー・プレジデント!」

志らく: 生まれて初めて映画のナレーションをやりました。グルメ番組とかのナレーションはやったことあるんですけども、テレビの場合はじつに短いんですが(『リュミエール!』では)90分ほとんどずっと喋っています。この声が90分ずーっと流れていますんで、ひとつよろしくお願いいたします。

フレモー: サイレント映画は三通りの見方があると思います。サイレント・サイレント、サイレントに音楽を付けたもの、このようにナレーションを入れながらの見方。コメンタリーを入れたのは、この世界に皆さんを誘うという意味合いだったのです。たとえば私はベートーヴェンのシンフォニーを聴く時、誰かに説明してもらった方がわかりやすいと思います。ピカソの非常に抽象的な絵や、マーク・ロスコも。観客の皆さんに、リュミエールのことをより知っていただくという意味があってコメンタリーを付けました。

矢田部: 志らく師匠、映画のご感想は?

志らく: キネマ旬報で20年ぐらい映画のコラムを書いているので、(リュミエールの)名前は知っていたんですけども、観たことがない。観る前の予想は、チャップリンより前の作品だから記録映像みたいなもんなんだろうと。珍しいけどそんな面白いもんではないだろうと思ってナレーションするために観たらば、びっくりしましたね。あまりにも構図が印象派の絵のように美しくて、ちゃんと演出をしてるっていうことで、90分、自分が仕事すんの忘れてずっと観ちゃいました。

志らく: (通訳の言葉を聞いて微笑むフレモー監督に)ちょっとずれて笑ってくれるのがいいですね。

矢田部: ナレーションはティエリーさんが書かれたものを忠実に読まれたのですか?

志らく: そうです。配給会社の人は「アドリブたくさん、自由に喋っていいですよ」と言ってくれたんですが。

フレモー: そ、それは望ましくない…。

志らく: 収録が始まって5秒ちょっと変えたら演出の人が「ダメッ」と言ったんで、もうただひたすら台本通り、きっちり喋りました。

フレモー: (演出の変更がないか、やや心配そうに)音楽は付いていますか? カミーユ・サン=サーンスを選んだのはリュミエールと同時代だったからです。兄弟の時代の文化は、音楽にしても絵画にしてもあまり知られていないと思います。ですから今日は映像をご覧になるだけでなく、もちろんナレーションも聴いて、彼らの生きた時代を感じ取っていただきたいのです。


立川志らく師匠、ティエリー・フレモー監督

矢田部: 師匠から監督に、お伺いになりたいことはありますか?

志らく: フランス映画のナレーションを立川志らくがやる、と。よく考えたらシラクっていうと前の大統領の名前なので(笑)、何か一つ縁があるなと。まずそこに。(自分を指して)シラク、ノー・プレジデント!
伺いたいのは、エジソンが映画に関わっていたっていうことは、日本人も知ってる人がけっこういるんですよ。だけどリュミエールが映画の父だということを知ってる人が、ほとんどいない。その理由はなぜなんだろう。フランスでもそうなのかしらと。ましてリュミエールが兄弟だっていうことも知らない日本人はたくさんいるし、そのくせ飛行機を発明したライト兄弟は皆知ってる。原因は何なんですかね。

フレモー: フランスでは、リュミエール兄弟がシネマトグラフを発明したということはよく知られています。でも彼らの世界は知られていない。非常に大きな作品の山があるのですが、知らせる機会がなかった。ですからその大きな山に招待して「登っててっぺんまで行ってください」という仕事を始めています。
ほんとうは、エジソンは映画を発明できたのです。技術的には可能だったのですが、彼はキネトスコープを箱型にしたんですね。小さな箱の中で観る、しかもお金を取る。これはアメリカ流ですよね。リュミエール兄弟はイメージを撮影して、それを大きなスクリーンに映し出して群衆の前で披露しました。リュミエールの方が正解でした。彼らにも今の我々にも必要な、同じ空間の中でイメージを一緒に共有して、気持ちを一つにすること。そういう体験をさせてくれたのです。(スマートフォンを取り出す)エジソンはこれを発明しました。これで映画を観ようと思えばできますが、やはり映画館で観るという体験は特別です。


舞台挨拶終了後、ポスターを撮るティエリー・フレモー監督、立川志らく師匠

志らく: そりゃあ、こんなスマホの小さいので『ジュラシック・パーク』観たって、ゴキブリみたいなもんなんで…(笑)これを機に、日本でもエジソンではなくリュミエールだってことが広がるといいですね。

フレモー: リュミエール兄弟の前にも、映写機を発明しようとしていた人たちは大勢います。エジソン、マレー、マイブリッジ、レイノー、スクラダノフスキー、レオナルド・ダ・ヴィンチさえもそうです。そういう努力をした方々にも敬意を表したい。たくさんの発明家ががんばっていましたが、兄弟の後には映画の発明家はいません。リュミエール兄弟が映画を創り、そこで映画は発明されてしまった、できあがったという認識です。ですから最後の発明家にして、最初の映画監督なのです。
リュミエールはフランス語で光という意味です。やはり映画を発明する名前です。映画が発明されたリヨンの、特に彼らがいた地域はモンプレジール、私の喜び(という地名)です。全部で「私の喜びの光」、シネマですね。


矢田部吉彦さんに謝辞を述べるティエリー・フレモー監督、右隣は立川志らく師匠



取材を終えて

リュミエールという完璧な名前は、後から付けた屋号なのかなと想像していたので監督の説明に驚きました。言葉の量で察していただけると思いますが、場内の雰囲気は教授の熱心な講座のようでした。今でもスクリーンがホワイトボードに見えます。カンヌでゲストを迎える様子をはじめ、メディアに近影が頻繁に載るフレモーさん。渋めに決めた写真が多い中、歯を覗かせて笑う珍しい表情、ポスターを嬉しそうに撮影する姿を捉えることができました。

取材・写真:SIMONE K

2017年10月26日 TOHOシネマズ六本木 スクリーン2にて

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