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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

アジアフォーカス・福岡国際映画祭 熊本市賞
イラン映画『バイオリン弾き』
モハンマド・アリ・タレビ監督インタビュー

2017年9月に開催された第27回アジアフォーカス・福岡国際映画祭で、観客が選ぶ観客賞第二位にあたる熊本市賞を受賞したイラン映画『バイオリン弾き』。アジアフォーカスでの上映が本作で4本目となるモハンマド・アリ・タレビ監督に、お話を伺いました。上映後のQ&Aも含め、たっぷり報告します。
(お届けがすっかり遅くなりました。なんとか年内に!)


『バイオリン弾き』 目次

作品紹介
過去に日本で上映された監督作品
9月18日 上映後のQ&A
9月18日 インタビュー
9月19日 上映後のQ&A
9月19日 観客賞授賞式


『バイオリン弾き』 Violinist

監督・脚本:モハマド=アリ・タレビ
日本初上映  2016年/イラン/74分


テヘランの街角でバイオリンを弾いて日銭を稼ぐキアヌーシュ。従兄の部屋に居候し、なけなしの金を実家に送金する心優しい青年だ。ある夜、音楽学校に通うピアニスト志望の少女サバから一緒にコンサートに参加しようと誘われる。オーディションにもなんとか受かるが、肝心のバイオリンを失くしてしまう・・・
「実在する市井の人々の本当の物語に基づく」と映画の冒頭で示される。監督自身、監督役で出演している。

長男を交通事故で亡くした監督が、同じ年頃のキアヌーシュのバイオリンに心を惹かれ、出演を依頼。毎日、物語を考えながら撮影。まさに、カメラをペンにして描いた物語。監督にとっては、悲しみを癒すフィルム・セラピー。



モハマド=アリ・タレビ Mohammad Ali TALEBI

1958年、イラン、テヘラン生まれ。
イラン芸術大学で映画学を学ぶ。

モハマド=アリ・タレビ監督の過去に日本で上映された作品

*アジアフォーカス・福岡国際映画祭 上映作品
『ザ・ブーツ』(1993年)第4回アジアフォーカス
『チック・タック』(1994年)第5回アジアフォーカス
『神さまへの贈り物』(1996年、日本との初合作)第6回アジアフォーカス

*その他、日本で上映された作品
『柳と風』(1999年)脚本:アッバス・キアロスタミ
 1999年 第3回NHKアジア・フィルム・フェスティバル
 2001年1月20日 劇場公開

『少女ライダー』(2008年)主演:ゴルシーフテ・ファラハーニー
 2008年 第21回東京国際映画祭

『霧と風』(2011年)
 2015年8月、「第2回広島イラン愛と平和の映画祭」および、その後引き続き東京で開催された「イラン 平和と友好の映画祭 2015」で上映


◎9月18日(月) 16:30から上映

★上映前の挨拶

福岡の皆様、こんにちは。アジアフォーカスには25年前から、様々なジャンルの3本の映画を作って持ってきたご縁。これで4本目です。
3~4年前から低予算のものを自由に作って、自分が楽しめるなと実感しています。今回の作品は、監督の私と、撮影、サウンドの3人と、そして出演者たちで作ったものです。
予算は5千ドル。今回アジアフォーカスに出品されているインド映画『FAN』のシャー・ルク・カーンの煙草代くらいだと思います。カメラをペン代わりにして映画を作りました。楽しんでいただければ嬉しいです。


★上映後のQ&A


Q&A 左は通訳のショーレ・ゴルパリアンさん 撮影:景山咲子

司会:キアヌーシュは実際に町でバイオリンを弾いている方ですね。

監督:はい。街角で弾いているのをインターネットで見て、映画に撮りたいなと声をかけに行ったら、OKと快諾してくれました。

司会:他の登場人物も町で見かけられてスカウトしたのですか?

監督:すべての役者が町で会った人たちです。紹介してもらった人も素人。自分も自分を街角で見つけて映画に出てもらいました。 (まさに監督役で、監督本人が出演している)


*会場から

― 素敵な映画でした。劇中の歌のいくつかが歌詞の訳が出ていませんでしたが、歌詞の内容がわかりましたら教えてください。

監督:すべて昔の曲で、ノスタルジーを感じる歌です。もちろん意味があって使っている歌なのですが、字幕が入ってなかったものも、皆、恋の歌です。

― ハサンという足の悪い人がたくましく生きています。登場人物が自分より境遇の悪い人が悪いことをしたのを見逃してあげたりして、優しさも持っています。たくましさと優しさが共存して、すごくいい世界だと思いました。ハンディキャップを持っている人に対して、私たちはどういう風にかかわればいいのでしょうか?

監督:そういう気持ちで見ていただいてありがとうございます。これまで作った映画のテーマも同じです。思いやりがあったり、同じ立場の人に手を貸してあげたりという映画です。福岡のアーカイブに過去の作品もありますので、ぜひ観てください。
3年前、自分と一緒に仕事をしていた息子を交通事故で亡くしてしまい、ものすごく落ち込んで世界は終わりかなと思っていた時にこの映画を作りました。この映画は僕にとって癒しでした。キアヌーシュを見た時、自分の子になれると思いました。作った映画は自分の子どもでもあります。キアヌーシュを撮り始めて、キアヌーシュが僕を助けてくれていると感じました。街角で撮影していた時、足の悪いハサンがズボンの裾を引っ張ってきて、「僕も出してくれる?」と言ってきました。「いいよ」と彼も入れました。お互い手を差しのべて助け合いながら作った映画です。
人生の中で悲劇が起きると、皆、優しくなる気がします。津波が起きたときにも皆が助けあったように。人生に大きなショックが起きた時、力が沸いてきます。この映画を作っている時にも、そんな気がしました。

― キアヌーシュが音楽学校でのオーディションで売り込もうとした時、「もういい」と言われて引っ込みます。その後、部屋の外でバイオリンを弾いているのを聴いて、結局OKになります。音楽でコミュニケーションできることを思いました。バイクタクシーに乗せた青年が、工業大学を出ても職が無くて、広場でTシャツを売っていたりもして、いるべきところにいない現状を映し出していました。日本も同じだと感じました。

監督:今のイランの現状を説明すると、体制の中に音楽をあまり好まない人たちがいます。コンサートを開いてはいけないとか、路上での演奏はいけないとかいう人がいます。イラン人は音楽好きな人が多いので、音楽でコミュニケーションをはかることもできると思います。街角で弾いていると、皆、励ましたり、お金を出してサポートしたりします。音楽で自分たちを守っているような雰囲気を感じます。

― キアヌーシュは詰めが甘くて、バイオリンを無くしたことを言わないけど、従兄や骨董屋の老店主に助けられています。イラン音楽の切なさも感じました。特に最後の歌が切なかったです。

監督:キアヌーシュはとても若くて、詰めが甘いのでなく、自分をアピールするのが控えめなのです。初めて恋をしたので、彼女にバイオリンを無くしたことも言いたくないのです。
音楽を聴いて切なかったとおっしゃってくださいましたが、息子を亡くして7ヶ月の時に撮りましたので、自分の持っていた悲しみがすべて映画に入ってしまっているのだと思います。撮影をしている時も、泣きたくなると陰に入って泣いてました。皆に泣いている姿を見られたくなかったので。
やっと落ち着いて、夏に1本映画を撮りました。17歳の女の子の話です。今回、福岡で映画が上映されて、とても気持ちが落ち着いてきました。

― キアヌーシュのその後は?

監督:今も街角で弾いています。映画に出て少し生活は変わったと思います。今、イランで小さな劇場などで上映されていて、顔も少し売れてきました。Youtubeのフォロワーも多いです。
特別上映の時に、キアヌーシュも来ていたのですが、お金持ちの観客の女性たちのところに呼ばれて、バイオリンを弾いて、ご馳走になって楽しい時間を過ごしたそうです。

司会:カメラマンの人がプロモーション用のビデオを作ったのですが、とても綺麗で、そそられます。

― バイオリンが心に染みて感動しました。気持ちに入ってくる素晴らしい演奏でした。彼の演奏はイランのレベルからみて、普通?

監督:イラン人なら全部知っている曲で、イラン人が聴くと皆、わかります。彼は学校で学んだのではなく、耳から聴いて弾いているけど、音楽家からも上手いとお墨付きです。彼は現在徴兵中で、プサン映画祭にもいけませんでした。(国内では、休暇中に活動できる)

― 実際に彼が弾いている音ですよね?

監督:街角で弾いた音を録ってます。すべてリアルで撮ろうと頑張ったのですが、編集は大変でした。すごい寒い時に撮っているので、手袋していいですか?と、手袋の指先を切ってはめてます。

― 出てくる人、皆、魅力的でした。監督の言葉も心に沁みました。素人の方ばかりとのことですが、皆、自分の言葉として話していると思いました。

監督:この映画には脚本がなかったので、今日はこうした方がいいかな、バイオリンを無くした方がいいかなという形で進めました。紙に台詞を書いて渡すのでなく、こういう風に言ってみたらどう?という感じで進めました。2時間後には、この映画はどこに行っているかわからない撮り方。自分の車の後ろに衣裳なども積んでいたのですが、今はこれを使おうと思ったら、自分で出してきて、メイクも自分でやりました。運転手も秘書もメイクも全部自分。だからこういう映画作りは楽しい。ペンを持って脚本を書くような形でカメラを使っていました。
もう一人の息子がオーストリアで音楽の勉強をしていて、彼のところに行って、二日後に映画を撮ろうといったら、「そんなの無理じゃないですか?」って。「大丈夫。お母さんにサウンド録ってもらって、カメラがあるから、君が撮影して、私が監督する」と言ったら、「何がテーマ?」というので、ちょうど窓から見た男が歩いてたから、「歩いているあの男をテーマに」って。
すごく彼はびっくりしてましたが、今はデジタルの世界なので、自分の頭に浮かんだら、いつでも撮れると思います。今、カメラはペンになってるので、皆さんも誰でも映画が撮れると思います。


この後、ロビーでサイン会。
満席で入れなかった方もサイン会に並ぶ人気でした。
6時半からタレビ監督にインタビューの時間をいただいていたのですが、サイン会の長蛇の列をみて、これは大幅に遅れると覚悟。心に響く素敵な映画に胸がいっぱいで、何から聞いていいやらの状態だったので、時間稼ぎできて大助かり。
佐賀在住のペルシア語科卒業生の後輩にもインタビューに同席してもらうことになっていたので、二人で心を落ち着けつつ、打ち合わせ。予想通り、かなり遅れて監督と通訳のショーレ・ゴルパリアンさんが現われました。


◎インタビュー

◆交通事故で逝ってしまった長男への思い

― バイオリンが奏でる曲の数々が切なく心に響く素敵な映画でした。
ご長男を交通事故で亡くされて7ヵ月後に撮られた映画と伺い、涙が出る思いでした。

監督:長男は映画も一緒に撮っていたのですが、友人に撮影の助っ人を頼まれて車で地方に行くときに交通事故にあって亡くなりました。ほんとにつらかったです。

― オーストリアに留学中のもう一人の息子さんに、映画を作ろうと言った話が先ほどのQ&Aで出ましたね。この映画には参加されてないのですか?

監督:下の息子はオーストリアで音楽を勉強中で、映画音楽を作ってもらいました。妻には、プロデューサーとしてサポートしてもらいました。妻は、『ブーツ』や『チックタック』『柳と風』でもプロデューサーでした。

― 今回のように脚本なしで作ったのは初めてですか?

監督:はい。なかなか心地よくて、この夏に作ったのも、やはり脚本なしで作りました。

― ご自分が映画に出たのも初めてですか?

監督:カメラの前に出たくなかったけれど、自分の息子もキアロスタミ監督同様、病院の医療ミスで亡くなりましたので、何か言いたかったので、自分がカメラの前に出て言った方がいいかなと思ったのです。二人ともノウルーズ(イランのお正月)の頃で、病院も手薄で、皆、お正月休みを前に気もそぞろ。そんなこともあって自分を出演させました。

― 息子さんもキアロスタミ監督も、ほんとに残念でしたね。

監督:人生、どこで何が起こるかわかりません。

― 運命は額に書かれているといいますが、それでもあきらめはつきませんよね。

監督:ほんとにそうですね。でも、人生はそういうものです。いつか親しい人を亡くす時があります。年を取れば死ぬものだし、津波で亡くなる人もいる。悲しいけど我慢するしかありません。

― それにしても、息子さんを亡くして気持ちが落ち込んでいるときに、モチベーションをあげるのは大変だったと思うのですが・・・

監督:逆に落ち込んでいる時に家にいたら、もっと落ち込みます。現場で考えながら撮ると、気が紛れました。

― 監督とキアヌーシュが初めて会ったシーンは、ほんとに初めて会った状況を再現したのですか?

監督:あの日は雨が降ってきて、車の中で撮れるシーンを考えて、自分をキャスティングしました。

― お墓に薔薇の花びらを撒いていましたが、あれはイラン式ですか?

監督:若い人が亡くなると、花びらを散らします。まだ花だったのに散ってしまったので。

― 戦争で亡くなった人のお墓で見かけたことがあります。

監督:特に若い人が亡くなった時には花を散らしますね。

― 赤い薔薇ですか?

監督:薔薇じゃなくてもいいです。今、お墓にオリーブの木を植えています。だんだん伸びていくのが自分の息子の成長と重なるようで、木を息子と思って育てようと思います。
実は、撮影の人とキアヌーシュには、お墓に行くまで長男が亡くなったことは、言ってませんでした。言ってしまうと、彼らの気持ちが落ち込むので。


◆切ないメロディーが涙を誘う

― 予告編を見たら、革命前の映画『soltane galbha』(1968年、監督:Mohammad Ali Fardin)の曲だったので、Youtubeで映画全編みてしまいました。でも、本作では予告編の場面に出ていた部分だけにあの曲が流れていて、ほかの曲がたくさん使われてました。イランの人が聴けば、どれも、あ~あの曲とわかる曲なのですか?


予告編:https://www.youtube.com/embed/CRJhKXSD68M


監督:太った歌手のハイレの歌も入れているのですが、“あなたの足音が聴こえてくる・・・”という歌詞で、それを聴くと皆が泣きます。とても好きな曲です。
日本人も、泣いて観てくれるし、プサン映画祭でも若い韓国の人たちが皆泣いてました。西洋人にはそれほどわからないのではないかと思います。

― 音階が東洋と西洋では違いますね。短調はアジアの人の心に響くと思います。

監督:私も日本やインドの曲を聴くと歌詞はわからないのに、メロディーを聴くとわかるような気がします。

― イランの音楽は、音階が細かいですが、ピアノなら無理で、バイオリンなら表現できるのでしょうか?

監督:サントゥールやドタールなど弦を使っているものなら表現できます。日本でも三味線や琴が細かい音階を表現できますよね。

― 「楽器をテレビで写せないなんて」という言葉がありましたが、禁止されているのですか?

監督:楽器を弾いているところはテレビでは出せません。出せるのは音だけです。歌手は映すことができるのですが。映画は楽器も映し出せます。

― イランでの上映の評判はいかがですか?

監督:映画祭では評判よかったです。皆の拍手が止まりませんでした。
今、アート系の劇場で上映中です。「ハーネェ・ホナルマンダン(アートハウス)」や、「ムーゼェ・シネマ(映画博物館)」など、小さい劇場だけど、反応がいいらしいです。
キアヌーシュを呼んでバイオリンを弾いてもらったこともあります。まだ兵役中で外国には残念ながら出られないのですが、国内でしたら休みの日に呼ぶこともできます。兵役が終ればパスポートももらえます。日本は兵役がなくていいですね。

― これからわからないです。

監督:皆で戦争に反対してね。

― 私の友人のイラン人もイラン・イラク戦争の時、戦争に行かされてすごく嫌だったと言ってました。


◆役者は初めて映画に出た人たちばかり

― ピアニスト志望のサバは、ほんとにウィーンに留学を?

監督:まだ行ってないけど、いずれ留学する予定です。お金に余裕のある親は子どもを外国で勉強させたいと思っています。たいていは大学を終えてから送り出します。実は彼女は友達の娘さん。友達に、楽器のできる女の子を捜していると言ったら、自分の娘がピアノを弾けると紹介してくれました。彼女、日本人に似てませんか?

― そうですね。雰囲気が東洋的ですね。キアヌーシュは彼女にほんとに恋をしたのでしょうか?

監督:いいえ。キアヌーシュにはすでに恋人がいて、もうすぐ結婚する予定です。とれも綺麗な子。

― どうやって知り合ったのですか?

監督:親戚と言ってました。

― 足の悪いハサンさんがズボンの裾を引っ張って出たいといった話も楽しかったです。

監督:タジュリーシュの角でいつも座って体重を量ってて、「ほんとに映画に出たい?」と聞いたら、「出たい」と。一日 50トマン位稼ぐというので、70トマン払うといったら、すごく喜んで出てくれました。映画に出たあと、皆が「役者さん!」と声をかけてます。
タジュリーシュのおしゃれなカフェに一緒に行って、コーヒーを頼んだら、初めてだとすごくハッピーな顔で喜んでくれました。その後も、「映画に使って」とよく言ってくるのですが、今のところ出番がなくて使ってないです。

― ハサンさんは、カルバラー(イラク国内にあるシーア派の聖地)に行くと映画の中で言ってましたが、ほんとにカルバラーに巡礼されたのですか?

監督:カルバラーにほんとに巡礼したことがあります。お金持ちの人が連れてってくれたそうです。足が不自由なのに、映画の中では一番力強い役になりました。

― 家主の従兄の方は、ほんとにキアヌーシュの親戚ですか?

ショーレ:トルコ訛りのね。 監督の親戚ですって。私、あの人大好きなの。

監督:トンバクの男の子は、キアヌーシュの遠い親戚。泣かないといけない役なのに、なかなか泣いてくれなくて困りました。映画の中で麻薬中毒の役ですが、ほんとに彼は麻薬やってます。

ショーレ:「捕まらないの?」と聞いたら、捕まらないって。

監督:テヘランの人口1500万人。地方から出てきて町外れに住んでいるような貧しい人は、特に麻薬中毒になってます。大都会ではよくあること。皆がそうじゃないけど、社会の問題を描くために取り入れました。

― バイクタクシーに乗った青年も、大学出た博士でも仕事がなくて広場でTシャツを売ってると言ってましたが、あれも現実ですね。

監督:あの青年のほんとの言葉です。大学を出ても若者が思うように仕事につけないでいます。それはイランだけじゃない。ヨーロッパもそう。今の世の中、なかなか仕事がないから、誰かが休むとその隙に仕事に就こうとします。日本でも、昔の年功序列のサラリーマン時代はもう終わってますよね。


◆人の心を撮りたい

― お金のない中で、お金をそっとポケットに入れていく人たちがいて、イラン人の優しさだな~と思いました。

監督:頼んでやってもらったのではないですよ。皆、自然に。カメラが小さかったから、映画を撮っているとは皆気がつきませんでした。バイオリンの曲をリクエストした男性が泣いて、すごくいい場面があったのですが、撮っていることをほかの人に気がつかれたので使えませんでした。
警官が近寄って来て、許可がないから捕まるのではと心配したら、「僕はほんとは映画監督になりたかったけどなれなくて、仕事に就けなくて警官をしているので、どうぞどんどん撮ってください」と言われました。撮る前には許可を取らなかったけど、公開前に上映許可を取りました。

― 脚本がないから撮影前には許可を取りようがなかったですよね。

監督:僕が政治的なものを撮らないと皆知ってるから、撮ってても誰も何もいいません。政治的な映画は体制が変わるとお蔵入りしてしまいます。僕は政治的なものよりも、人間ドラマを撮りたいと思っています。

― 警官役はもしかして、その声をかけてきた警官の方を使ったのですか?

監督:いいえ、あれは自分の10歳下の弟。いろいろなところで制服や帽子を買ってきて偽せ警官に仕立てたのですが、そばを、ほんとの警官が通って、ドキドキしたと言ってました。撮影が終わってから、「あなたは警官じゃないのに、警官の服を着て、取締りしたから、はい、牢屋に行きましょう」と言ったら、「冗談やめてよ」と。弟は助監督をずっとやってて、今は自分で映画を撮ってます。

― ほんとに映画一家ですね。
最後になりましたが、今回、私はこの映画を観るために福岡にきました。

監督:あなたは僕が映画を作ったら、ずっと、観にきてくれると信じています。

― この夏に撮られた映画も、ぜひ日本で観られることを願っています。

監督:17歳の少女の物語なので、ちょっと大人向きの映画です。

― 思えば、『少女ライダー』が、ちょっと毛色が違いましたね。

監督:あれは大人のために作った映画でした。

― ほんとに次の作品を楽しみにしています。今日はありがとうございました。


**********

最後に、櫛田神社の絵馬を差し上げたところ、前回来日した折に、鎌倉に行って、小津監督や黒沢監督のお墓参りをしたことを思い出して、お話されました。「イランの方は、ほんとに小津監督や黒沢監督がお好きですよね」と言うと、通訳のショーレさんが、「日本人の映画を勉強している学生が観てない。イランの監督たちは、必ず、観て勉強してます」と一言。監督からも、「普通のイランの人たちもテレビで観てます」と、いかにイランの人たちが日本のクラシック映画を愛しているかを語ってくださいました。

思えば、私が初めて監督にお会いしたのは、『チック・タック』が1994年の第5回アジアフォーカス福岡映画祭のイラン映画特集の7本の内の1本として上映された時のこと。当時は、イランから大勢の若者が日本にやってきて、代々木公園や上野で集まっていることが話題になった直後で、空港でイラン人と言ったら、小学生の女の子に怖がられたとおっしゃっていたのを思い出しました。 次にお会いしたのが、『少女ライダー』が東京国際映画祭で上映された時。

そして、一番最近お会いしたのが、『霧と風』が「イラン 平和と友好の映画祭 2015」で上映された時でした。その折に、鎌倉にお墓まいりに行きたいとおっしゃっていたのを思い出しました。


◎9月19日(火) 14時10分から上映

平日にもかかわらず、この日も満席。『FAN』を観ていたのですが、後髪引かれながら早めに出て正解でした。

★上映前の挨拶

司会:今回、4度目の福岡、1996年の『神さまへの贈り物』以来の福岡ですね。

監督:様々な映画を作ってきましたが、2~3年前から低予算の映画が心地いいなと思いようになりました。自分のカメラをペンと思って、脚本をあらかじめ書いて撮るのではなく、町に出て、カメラで毎日描くように撮りました。予算は、5000ドルちょっと。今、上の階でインド映画『FAN』を上映中ですが、主役のシャー・ルク・カーンの煙草代位の予算です。


★上映後のQ&A


司会:主人公キアヌーシュのバイオリンも素晴らしいし、町並みの臨場感や、人の温かさも感じられました。監督役として出演されていますが、実際に彼に出会って作ろうと思ったのですか?

監督:テヘランは大都会。たくさんの人が住んでいて、生活の苦しい人もいるけど、お互いに助け合います。自分の息子を交通事故で亡くして落ち込んでいて、することもなく、これからどうしようとブラブラ歩いていた時にキアヌーシュと知り合って、息子と年も近くて、自分の息子になれるかなと思いました。映画が薬になりました。

司会:監督自身の悲しみが映画を撮ることで癒されたのでしょうか?

監督:そうですね。フィルム・セラピーと言ってます。

― 実在の人々の話に基づくとのことで、出ている人、ほとんど素人かなと。もしかして警官はほんとの警官を抜擢したのでしょうか?

監督:出演している人は、すべて素人です。たくさんの映画を作っていますが、この映画は自分を癒すために作りました。撮影を担当した人もそれほどプロじゃない。サウンド担当と3人で現場で物語を作っていきました。警官役も含めて、皆、素人です。

― キアヌーシュが一緒に住んでいた従兄は、ちょっと演技がうまくて、プロの方かなと思いました。

監督:キアヌーシュと同居していた彼だけは、少し脇役で舞台に出たことがあります。
ほかの人は初めて映画に出ました。私もカメラの前に初めて出ました。

― 最後の場面で、バイオリンを盗んだ少年の謝罪の言葉がありました。悪いと思ってもなかなか出てこない言葉だと思いました。監督の思いが込められた言葉なのでしょうか?

監督:この映画だけでなく、これまでの映画も同じです。皆、優しい。人は白か黒でなくグレーだと思います。悪いことをしていても、許すべきです。ある状況におかれて、悪いことをしていると思うので。私は人が好き。すべて自分の映画の人物は思いやりや優しさを持っているような人たちです。

― 監督ご自身の演技もお上手でした。(質問したのは、女優さん) イラン映画は文化に基づいたものが多いですが、どういう映画作りをしていますか?

監督:元々イラン映画は自分たちの文化に基づいたものが多いです。革命後、さらにその傾向が強くなって、ほんとうに自分たちの文化に基づいて作っているものが多いと思います。

司会:主人公は家族代々音楽をしていて、街中で演奏しているのもイランの音楽で、皆さんも喜んで聴いていますが、それはイランでは普段の姿ですか?

監督:音楽はイランの人が聴いたらノスタルジーを感じる30~40年前のものばかりです。イランの観客は、この映画を観て感動してくれます。自分たちの文化に基づいたものを作っていますが、イランでは日本の映画監督、黒澤、小津、溝口、大島渚などから学んで作っています。息子を亡くした時、すべてをなくしたと落ち込んでいましたが、黒澤監督たちも大変な中で作っておられました。兄弟が自殺された時もあったと聞いています。映画で立ち直れると、日本の監督から勇気を貰いました。

― 数年前にイランを訪れました。いろいろな情報から想像していたのと違ってました。町も美しく、人も温かくて、アジアともヨーロッパとも違う。イランの優しさや町の雰囲気を思い出して、暖かい気持ちになりました。日本に帰ってきて皆にいうけど、誰も信じてくれませんでした。この映画を観ていただければ、イランという国に興味を持って、イランを見直してくれると思いました。

監督:ありがとうございます。

― 『神さまへの贈り物』もそうですが、監督の作品は町中の人の多いところで撮っていることが多いですが、人々が協力的なのでしょうか? 東京は非協力的で、許可を取るのも大変です。映画関係者は皆困っている状況なのですが、イランでは問題になってないのでしょうか?

監督:前の作品を観ている人がいて嬉しいです。ご覧になってない方は、ぜひ図書館で観てください。町で撮影する時、少ないクルーで撮っているので、誰も邪魔しません。基本的に皆、協力的で、優しすぎて困ることもあります。この映画を撮っているとき、キアヌーシュのポケットに自然にお金を入れる人たちもいました。この夏に撮影していた時に、町で物売りを撮っていて、ちょっと注意されたこともあります。優しさからカメラを覗いたりして、邪魔になることもあります。ハサンという足の悪い人物は、登場予定はなかったのですが、キアヌーシュを撮っていたら、ポケットを引っ張って「出たい」と言うので、彼の出番を考えました。

司会:テヘランに行ったら、彼らに会えるということですね。

監督:はい、もちろん! ハサンもキアヌーシュもいます。


この日も、この後のサイン会に大勢の人が並びました。

前日、警官役が監督の10歳年下の弟さんと伺ったので、この日の上映では、帽子の下に隠れたお顔を思わずじっと眺めてしまいました。確かに似ていました!


◎9月19日(火)  18時半 福岡観客賞授賞式

映画祭実行委員会の久保田勇夫会長による挨拶のあと、ゲストの方たちが入場して、いよいよ観客賞の発表。


最初に発表された観客賞第二位にあたる熊本市賞で、『バイオリン弾き』が受賞!

「福岡4回目の出品作で、観客の皆さんから選ばれた賞をいただいたことに意味がある。息子を亡くして7ヶ月目に、少しでも立ち上がろうと作った映画なので、ほんとうに嬉しい」と語りました。

右は、福岡観客賞を受賞したタイ映画 『頭脳ゲーム』のナタウット・プーンピリヤ監督

取材・写真・まとめ:景山咲子

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