東京国際映画祭 コンペティション部門に出品された『ザ・ホーム-父が死んだ』のアスガー・ユセフィネジャド監督と、サーイェを演じた女優モハデセ・ヘイラトさんが来日。記者会見やQ&Aのほか、個別インタビューで、いろいろとお話を伺うことができました。
英題:The Home 原題: Ev
78分/トルコ語/ 2017年/イラン
監督/脚本/プロデューサー:アスガー・ユセフィネジャド
出演:ラミン・リアズィ、モハデセ・ヘイラト、ゴラムレザ・バゲリ、セディゲ・ダルヤニ、ナルゲス・デララム、シルース・モスタファ、メイサム・ワリカニ
http://2017.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=13
大学に献体するとの遺言を残して亡くなった父親。さっそく大学の担当者が遺体を引き取りにやってきたが、娘サーイェが遺体は渡せないと泣きわめいている。一旦、遺体を家に戻すが、従弟のマジッドは、遺志を尊重したいとサーイェを説得する・・・。
会話の中で、いろんな事情が徐々に明らかになってくる。
サーイェは大学で知り合ったナーデルとの結婚を反対されて以来、6年間、実家に帰ってない。
従弟のマジッドは、実はサーイェに思いを寄せていて、父親もマジッドと結婚させるつもりだった。
認知症が進んだため、マジッドはサーイェの部屋で暮らして、伯父の面倒をみてきた。
終盤近くになって、ようやくサーイェの夫ナーデルがやってくる。
(ここからはネタバレになります)
父親の住む家は、道路が出来るため立ち退きの対象になっていて、周囲の家はすでに承諾しているのに、1軒だけ立ち退かないため、周囲も困っていた。
娘夫婦はそのことを知って早く処分したいと考え、父に少しずつ毒を盛っていた。
夫は、専門家に任せたから、絶対バレないと言っているが、解剖はやっぱり不安なサーイェ。
マジッドは、伯父が最近、時々、娘が帰ってきたと言っていたが、認知症のせいだと思っていた・・・
作品紹介をみて、イラン映画なのに、トルコ語?と、まず気になりました。 というのも、イランでトルコ語という場合、「アゼリー」と呼ばれるトルコ系のアゼルバイジャン語を指すことが多いのですが、いわゆるトルコ共和国で使われているトルコ語も一部地域で使われているからです。トルコとの国境に近いマークーという町に泊まった時に、国境の税関で働くカップルの結婚式に出会いました。彼らの会話は、トルコ共和国と同じトルコ語でした。それを「イスタンボリー」と呼ぶことをその時に知りました。マークーの町では、雑貨屋さんも、食料品屋さんも、ペルシア語とトルコ語の両方で表示していて、商品も両国のものが半々でした。
さて、原題の「Ev」は、アゼリーでもイスタンボリーでも、「家」。 私は、トルコ語(イスタンボリー)は少しわかるのですが、アゼリー語はわかりません。短い予告編の会話を聴いた限り、全くわからなかったので、恐らくアゼリーだろうと推測しました。
10月27日の1回目の上映の始まる前に、偶然、会場の前でアスガー・ユセフィネジャド監督と女優のモハデセ・ヘイラトさんにお会いできたので、さっそく伺ってみました。
お二人は、北西イランの都市タブリーズにお住まいで、映画で使用している言葉は、アゼリーとのことでした。
記者会見の折に、アゼリーで撮った思いを伺ってみました。これまで全編アゼリーで作られた映画はなく、ぜひ自分たちが普段しゃべっている言葉で撮りたかったとのことでした。(詳細は記者会見の項で)
イランの国語はペルシア語ですが、母語とするいわゆるペルシア人は人口の約半数。アゼルバイジャン人(アゼリー)は約4分の1。残る4分の1は、クルド、アラブ、バローチ、ギーラーキー、マーザンダラーニー、アルメニア、アッシリア、ユダヤ、グルジア、トルクメン、カシュガーイ、ロル等々。
いずれの民族も、内輪ではそれぞれの母語で、他民族とはペルシア語でコミュニケーションを取ります。
東京在住のイラン人の友人が本作を観るのに、しゃべっているアゼリーはわからないし、字幕の日本語も英語もわからないから、どうしようと困っていました。アジアの未来部門で上映された『人生なき人生』のプロデューサーのジャファル・モハマディ氏と上映の折に知り合い、アゼリーが母語と判明。『ザ・ホーム-父が死んだ』上映の折に、付きっ切りで解説してもらったそうです。(一番後ろの席でしたが、うるさいと迷惑顔をされたとか)
イランでの上映の折には、ペルシア語の字幕が付くのですが、外国での上映では、同じイラン人に話がわかってもらえない次第です。
10月29日(金) 14:41~15:11 プレス向けの上映後、記者会見が開かれました。
登壇:アスガー・ユセフィネジャド監督、女優モハデセ・ヘイラトさん
アスガー・ユセフィネジャド監督(以下:監督):ハロー。サラームを申し上げます。
イラン、そして生まれ育ったアゼルバイジャン州のタブリーズの人々を代表してご挨拶申しあげます。20年間テレビで仕事をしていましたが、映画は初めてです。初めて作った映画の海外での初めての上映をとても美しい東京、そして文化的にとても知識が高い日本のみなさんの前でプレミア上映していただいて、とても嬉しいです。最後までご覧になっていただき、ありがとうございます。
モハデセ・ヘイラトさん(以下:女優):コンニチハ。サラーム。映画祭で外国に来たのも初めてで、日本に来たのも初めてです。自分が主演した映画を皆さんと一緒に観れたことをとても嬉しく思います。
― 素晴らしい会話劇で、すごく緊張した映画をありがとうございます。サスペンスとしても、特にラストが面白かったです。一つわからなかったのですが、サーイェが「お父さんを私の部屋に連れてって」と強く言っていますが、女性専用の部屋「ザナーネ」を意識しているからですか?
監督:イランでは、ザナーネ(女性部屋)を作る習慣はありません。彼女は一人っ子で、自分の部屋でパーソナルな気持ちで別れを告げたいという思いがあるのですが、もう一方、最後になってわかったと思いますが、遺体を大学に渡さないために、彼女は自分の部屋に入れて守りたかったのです。イランの習慣でもなんでもなくて、彼女が決めたことです。
司会:会話劇が素晴らしかったという質問に続いて、もう一つお伺いしたいのですが、限られた空間の中で、大勢が同時に会話を続けるという演出はとても難しかったと思います。リハーサルはどのくらい行われたのでしょうか?
監督:限られた場所にたくさんの人物がいて会話を交わさないといけないのは、とても難しいことなのですが、私はテレビでの経験が長いので、逆にそういう限られた空間でなら楽に撮れるのではと自信がありました。役者たちと脚本を読み合わせしたり、セットの中でのリハーサルは3ヶ月間にわたってやりましたので、本番でも大丈夫だと思いました。
司会:モハデセさんに伺います。3ヶ月のリハーサルと、実際に撮影に入った時の監督の演出はいかがでしたか?
女優:私は舞台女優で、初めてカメラの前で演じました。3か月のリハーサルはとても難しかったです。脚本はすべてトルコ語(アゼリー語)で、普段は舞台でペルシア語で演じていますので、切り替えるのが大変でした。監督の指導もあって、本番ではカメラの前で楽に演じることができました。
(映画の舞台がイラン西北部のタブリーズで、西はトルコ国境、北はアゼルバイジャン国境に近いため、アゼ-リーと呼ばれるトルコ系の言葉を話す人が多数を占める)
― 会話のすべてが一つ一つ聞き逃せませんでした。あえてイランの人口の4分の1であるアゼ-リーの人たちの言葉で作られた思いをお聞かせください。また、これまでのイラン映画で、アゼ-リー語で全編作られた作品はありましたか?
監督:私は東アゼルバイジャン州出身で、タブリーズでアゼリー語で話しながら育ったので、デビュー作は自分が一番慣れている言葉で作ったほうがいいと思いました。言葉は文化の象徴です。地域の文化を表わすのに、地域の言葉で紹介したほうがいいと思いました。タブリーズで撮りましたので、スタッフもみんなアゼリー語が母語でした。いろんな反応をみて、母語で作ってよかったと思います。イラン映画では、アゼリー語が多少入っているという作品はあったのですが、ほとんど全編がアゼリー語で撮られた作品というのは本作が初めてです。こうした映画が海外に出されたのも、もちろん初めてです。
― クローズアップと長回しが多かったです。カットバックがあまり使われていませんが、それはテレビでの仕事が長かったからでしょうか? 初めて映画を撮ることになった経緯は?
監督:20年間テレビの仕事をしてきて、退職したので劇映画を撮りました。テレビの仕事をしていた時にも、いつも劇映画を撮ってみたいと思っていましたが、忙しくて実現できませんでした。撮り方については、脚本によってロングテイクかクローズアップかを決めるのですが、役者が感情を出している時にはあえてカットを入れないほうがいいと思ったので長回しを使いました。自由に感情を表わせるようにしたのです。一方で台詞を集中的に撮る時には、役者の行動にあわせてカットを入れました。クローズアップが多いのは、主人公たちが他の人とコミュニケーションを取らないでいる時が多く、そういう時にはクローズアップを使っているからです。
― 緊張感のある作品で、最後にドキッとさせられました。監督は、ひと言でこの映画で何を主張したかったのでしょうか?
監督:真実と現実の違いを頭に入れて、脚本を書きました。娘はお父さんのためにいっぱい泣いているのですが、最後になって、ころっと変わって娘はお父さんに違う感情を持っていることがわかります。現実は違っていた。それがわかって観てみると、最初に泣いている娘も違って見えます。真実は私たちが観ているものでなく、裏表があることを人は考えなくてはいけないのではないでしょうか。
記者会見が終って1時間後に、インタビューの時間をいただきました。
お二人とも、まだ昼食を食べてないとのことで、映画祭事務局が調達してくれたサンドイッチを頬張りながらの取材になりました。マックより美味しいとご機嫌の女優さん。
20分しか時間がないので、記者会見を踏まえて、単刀直入に聞きたかったことを伺いました。
― マジッドがテレビを消す場面がありました。「自分たちを笑いものにするだけ」と言いながら。これはよくトルコ人をジョークの種にするからですか? 監督自身、テレビ番組を作ってこられた方ですが。
監督:そうではなくて、あれは、叔父が亡くなって悲しんでいる時に遺体のそばでテレビを見るべきじゃないから消してくれと言ったのです。おばあさんが大きな布で、お葬式にふさわしくないものにカバーしているのも、同じ思いです。私は大学を出てテレビの番組をずっと撮ってきたので、今、映画を撮っているのもテレビで学んだからだこそです。テレビを馬鹿にすることは決してありません。
― コンペティション部門で上映されたカザフスタン映画『スヴェタ』でも、年老いたお祖母さんに毒を盛って遺産をせしめるという場面がありました。どこでも、認知症になった親や年老いた親族の面倒をみたくないという風潮があると思います。
そんな中でマジッドは献身的に伯父の面倒をみていて、サーイェのこともずっと思い続けている純情な人物でした。
監督:マジッドのキャラクターは、サーイェたちと正反対です。彼はサーイェの夫のナーデルがやってきてすごく泣いている時に、何か違うという思いを抱いています。あの場面では、ナーデルではなくマジッドの顔をクローズアップしています。愛していたサーイェのイメージが崩れてしまったのです。外で大泣きしている場面がありますが、あれはマジッドが愛していたサーイェの世界から離れて、生まれ変わったことを表わしています。生まれたときの産声ともいえます。
― モハデセさんに伺います。サーイェは、恐らくご自身のキャラクターとは正反対の役柄ですが、どんな思いで演じましたか?
女優:(役柄にとても不満だったことを顔いっぱいに表わしながら) これは監督に聞いてください(笑)。
監督:実は、最後の場面の話を彼女にはずっと教えていませんでした。父が亡くなって、献体したくないと反対して泣いているという設定で、3ヶ月ほどのリハの間、やってもらいました。最後の場面を撮る前に、紙1枚渡して(実は父親に毒を盛っていたことを)知らせたら、ほんとにショックを受けていました。やりたくないとかいうのでなく、ほんとにショックを受けていました。役者が最初から知っていたら演技にも影響が出るのではないかと思って、知らせなかったのです。まさに観客と同じショックを受けていました。
― 女優さん以外の役者はプロの方と素人の方が混じっていたのでしょうか?
監督:まさにそうです。いろんな方がいました。舞台の大プロもいれば、脇役の人もいました。まったくカメラを見たことのない素人もいました。大学から遺体を引き取りにやってきたアフマディを演じたのは、10年程前、テレビのオーディションに自分の息子を連れてきたのを、私が起用してテレビドラマに出てもらった人です。今回は映画で大きな役を初めて演じてもらいました。
監督: 日本の方が、間で、ほ~とか、は~とかいうのがとても素敵。(と、私の相槌を聞いていて突然言い出す監督) 三船が大好きだから。まるで音楽のようですね。
― ペルシア語こそ音楽のようで綺麗だと思います。
監督:日本語の方が綺麗だと僕は思いますよ。
(と、話が脇にそれたので軌道修正)
― 今の社会がSNSの情報ばかり信じていることや、クルアーンさえもがネットで見る時代なのを描いていました。整形している女性の写真を撮ってテレグラムで送ると言っているのも、イランの方たちがテレグラムをよく利用しているのを感じました。
監督:ストーリーがいつの時代のものなのか、まさに今であることを表わしました。テレグラムとか、クルアーンをタブレットで読むとか、今、とても流行ってるので取り入れました、
― 今後もアゼリー語で撮る予定ですか? 次回作は?
監督:実は本作の前にアイディアがあったものを今、撮ろうとしています。やはりアゼリーです。
― またモハデセさんを起用しますか?
監督:脚本ができて、ふさわしいと思ったらオファーします。できるだけ新しい方をキャスティングしたいと思っています。脚本にあった役者を選ぶことが大切です。
― モハデセさんは、また舞台に戻りますか? それとも映画出演を?
女優:両方! 舞台も続けますが、また機会があったら映画にも出たいです。
― 出演作をまた日本で観られる機会を楽しみに待っています。ありがとうございました。
10月30日 21:05からの上映後、22:26~ EXシアターにて
10月27日の上映後のQ&Aは、公式サイトに掲載されていますので、ここでは、二回目の10月30日の上映後のQ&Aをお届けします。 (私自身、10月27日のQ&Aには参加できませんでした)
10月27日Q&A → http://2017.tiff-jp.net/news/ja/?p=47292
登壇:アスガー・ユセフィネジャド監督、女優モハデセ・ヘイラトさん
司会:矢田部さん
監督:これで日本で3回目の上映になりました。嬉しいです。
女優:感動してしまって、あまりしゃべれません。
司会:監督、脚本、プロデューサーを一人でなさっています。物語を思いつかれたきっかけは?
監督:今の地球上に住む人間は自分自身から離れたような、マスクをして暮らしているような感じだと思います。本来の自分に戻りたいという気持ちがあると思います。そこからこの物語は生まれました。
司会:近親者が亡くなるとマスクがはがれて、自分の心が出てくると考えていいですか?
監督:死は大変なできごとで、ショックを受けるけど、それだけで我に戻るわけではないと思います。
― 面白い映画でした。淡々とした会話の中でだんだん皆の皮がはがれていきます。最後にはどんでん返しもあって面白かった。映画の撮り方として、人が亡くなった朝から1日のリアルタイムで撮られていますが、このようなスタイルがお好きで、これまでもこのようなスタイルで撮られてきたのでしょうか、それとも初めてなのでしょうか?
監督:リアルタイムで撮るのは初めてでした。次もこのように撮ると思います。
司会:リアルタイムがこの物語を語るのに必要だったのでしょうか?
監督:リアルタイムで撮らなければ、すべて説明してしまうおそれがありました。最後に話を持ってくるのに、リミットのある中で疑問を持たせるのにリアルタイムがいいのではと思いました。
― 緊張感がありました。撮り方が独特でした。バストアップから上で人物を捉えていて、群像劇なのに、クローズアップを多様しています。それをリアルタイムで撮るのは難しかったと思います。かなりリハーサルをされたのではないでしょうか?
監督:クローズアップで撮る為、時間をかけました。人物の内心を見せるのに、カメラが近づかないといけないと思いました。マスクを知るためには、ほかの人とのコミュニケーションよりも、クローズアップをと思いました。
司会:クローズアップが多くて、亡くなったお父さんの話をしているのに、お父さんの遺体が映らないのは意図的?
監督:映画のストーリーは、遺書があって解剖を望んでいたというところから始まります。まるで生きている人のことを解剖するようになってしまうので、遺体は見せなくていいと思いました。
― 老女が音楽隊が来ないと言っていて、途中でも、老女が楽士はどこ?と聞いていますが、結局最後まで来ません。音楽を使わなかったのは、なぜですか?
監督:前半ではクルアーンを詠むのを音楽のように使っています。途中で携帯の着信で少し音楽が入ります。でも、音楽はこの映画にはいらないと思っていました。エンドロールには音楽があったほうがいいと思って作ってもらいました。
(補足:老女が音楽隊が来ないと言っていたのは、認知症で結婚式と間違えていたからなのですが、質問した方は外国の方で、そのことに気がついてないようでした。監督は、恐らく通訳を介していたため、そのことには気付かず、音楽を使っていないことに対してのみ答えたようです。)
― カメラワークが序盤はクローズアップの長回し。後半、謎が解けていくにつれて、切り替えが多くなっていきました。
監督:脚本に沿ってカメラワークを決めました。人物の感情を撮る時には長回しを使い、行動を表わす時には刻んで撮った方がいいと思いました。
― 女優さんに伺います。自分のキャラクターの中で何が好きですか? 変えることができるとしたら、どこを変えたいですが?(英語で質問したあと、トルコ語でも同じ質問をしました)
女優:今のはイスタンボリー(トルコ共和国で使用しているトルコ語)でしたが、だいたいわかりました。サーイェは二つの顔を持っています。内心の気持ちを隠しているところが素敵だと思いました。もうちょっとメイクアップして綺麗なサーイェにしたかったのですが、監督が許してくれませんでした。
― この映画を観ていると、女の人の方が強くて、男の人を顎で使っているように見えました。イランはイスラームの戒律が厳しいので女の人が弱いと思っていたのですが、イメージが違ってきました。この映画の中だけのことですか? それとも今のイランはこのような感じなのでしょうか?
監督:女性の立場はいろんな社会で違うと思います。経済、政治、文化の観点で、女性が強いところがそれぞれあると思います。
イランでは母親が一番強くて、すべての権利を持っています。母親をすごく尊敬しています。いろんな作品を作りましたが、作っていくと女性が中心にいることに気が付きました。この作品もそのような形で作っています。
司会:モハデセさんはいかがですか?
女優:タブリーズはじめアゼルバイジャンでは、お葬式を仕切るのは女性です。ですので、映画では女性のほうが強く見えたかもしれません。でも、女性も男性もそれぞれ強いところも弱い所もあって、平等だと思います。
*補足: イスラームの戒律が厳しいというイメージを、実際のイランを知らない人は持つことを実感したひと時でした。 政府がイスラーム体制で、日本で普段目にするニュースでは、政治的なものが多く、そのように感じてしまうのでしょう。確かに、イランに住む女性だけでなく、外国人旅行者の女性にもヘジャーブ(髪の毛や肌を見せない服装)を強要するという面では、戒律が厳しいと見られるかもしれません。それすら、若い女性たちは、申し訳程度に髪の毛を隠し、おしゃれを楽しんでいます。
また、大学での男女比率も、医学部や工学部などの理科系も含めて、すべての学科で女性が6~7割を占めています。
監督たちの話の中で、イランでは母親が一番強いとありましたが、仕事中の夫に電話して、買い物を頼むのもよく聞く話です。家族の絆が強く、お互いを思いやる社会でもあると感じています。
夫婦のどちらかが外国に駐在する場合、公務員は休職が認められて、夫婦一緒に赴任します。私の友人も新婚の夫が日本の大学に留学することになり、林野庁を休職して来日し、帰国後はすぐに仕事に復帰しました。(「夫はまだ就職が決まってないから、子守は夫がするのよ」とも!)
もちろん、いろいろと問題のあるのも確かですが、女性が虐げられている一方ではないことを知っていただければと思います。(咲)
最後にフォトセッション
まるで、監督とモハデセさんが父と娘のようでした。
東京国際映画祭 『ザ・ホーム-父が死んだ』 全編トルコ系アゼリー語のイラン映画 結末に主演女優もびっくり (咲)
http://cinemajournal.seesaa.net/article/454532240.html