1960年生まれ。大分県出身。写真家、ノンフィクション作家。写真集「伊勢神宮とその秘儀」「海人」「The Days After 東日本大震災の記憶」。著書「時の海、人の大地」「鯨人」「祈りの大地」他多数
2015年4月25日、ネパールで大地震が発生、約9000人が亡くなった。写真家石川梵は直後にカトマンズに飛び、ジャーナリストとして初めて震源地ラプラックへと向かった。惨状をまのあたりにして、支援を広げるために映像で残そうと決心する。自ら現地への支援をしながら1年半の間に6回通いつめ、初めてのドキュメンタリーを完成させた。
=最初は報道写真家として現地へ入られたんですね
到着した首都のカトマンズも被害が大きく、たくさんの報道陣が集まっていました。調べていくうちに、震源地のラプラック村が壊滅したということを知りました。ネットにあったたった1行の情報です。車でふもとまで行き、後は徒歩です。標高2200mにある村にたどり着くまで2日間かかりました。建物は全て倒壊していました。約4000人の住民は、さらに1時間以上も登った高地に作られたキャンプで、テント生活をしていました。村は地盤がゆるんで地すべりの危険があり、もう住むことができないのだそうです。
=そこでこのアシュバドル君と出会ったんですね
14歳の少年です。30年間写真を撮ってきましたが、こんなにフォトジェニックな少年は初めてでした。どうやってこの震災を伝えようと考えていたときで、この出会いがブレイクスルーになりました。 一過性のものでなく、息長く取材して復興していくところを映像として残していきたい。それをアシュバドルの視点から撮っていこうと思いました。彼とその家族と出会ったことで、震災はだんだん後ろにいって、彼らの生活、生きていく様子が前に出てきました。
僕は長い時間をかけて取材し、ドキュメンタリーのように写真を撮るほうです。写真はとてもパーソナル(個人)なものです。自分の時間で一人ひとりの顔と向き合えて、距離が近くなります。映像はそれをマス(多数)で共有することができます。支援を広げていくには映像が向いていると考えました。
=アシュバドル君の家族を紹介していただけますか
放牧をしているお父さんボラムサキャ、ちょっとボーッとした感じで独特の持ち味のキャラクターです。アシュバドルはお父さんのように放牧の仕事をしたいそうです。勉強が好きではないんです。
お母さんモティは、ちゃきちゃきして江戸っ子みたいな人です。真面目なお兄さんジルバドル、お姉さんアシュバニ、やんちゃな弟ラルバドル、妹プナムの7人です。末っ子のプナムは震災でがれきの下から助け出されました。一緒に遊んでいた子は亡くなってしまいました。プナムは足を怪我していましたが、今はすっかり直って元気です。この子は天使のような笑顔で、僕はすっかりとりこになってしまいました。頭も良くて、7歳なのにときどき大人と話しているような気分になりました。
地震で家もなくなってしまい、何もないテント生活なのに、この家族にはいつもたっぷりの愛情と笑顔があります。これまでに6回ラプラックを訪ねました。行くと3,4週間滞在しています。次第に親密になって、すっかり家族のように迎えてもらっています。「大変でしょう」とよく言われますが、僕は楽しくてしかたなかった。彼らに会うと、こちらが学ぶこと、力をもらうことが本当に多いのです。
=もう一人の主人公はヤムクマリさんですね
ヤムクマリはアシュバドル一家の隣に住んでいます。隣村から来て、ラプラックの男性と結婚しました。唯一人の看護師で、みんなに頼られています。彼女は地震で最愛の夫を亡くしてしまいました。とても信心深い人ですが、このときばかりは神も仏もないと泣いています。自分の気持ちをきちんと言葉で表現できる人です。撮影しようとすると、ちょっと待ってとおもむろに髪をとかしてから始めます。まるで大女優のような貫禄があるんですよ。ヤムクマリも神様が用意してくれたキャスティングのようでした。
=日本の被災地と違ってなんだか明るい感じがしました。これは信仰のあるなしが大きいのでは?石川監督はこれまで「祈り」を追求してこられましたね。
あ、するどいですね。ラプラックではボン教という古くからある民間信仰が大切に守られています。映画にマントラ(祭詞)が唱えられる中、少女たちが瞑想状態で踊り続ける神秘的な場面があります。あれが何時間も続くんですよ。お祭りにも大勢が参加します。
マントラは崖でハチミツを採取するハンターも唱えるんです。たくさんのヒマラヤバチが飛び回っているのに、マントラを唱えているハンターたちは全く刺されません。撮影している僕は、刺されないように完全防備で臨んでいました(笑)。
信仰は土地と深く結びついているので、地すべりの危険があっても古老たちは移住したがりません。神様の土地から離れられないというんです。暮らしと信仰の間に葛藤があるわけですが、壊れてしまった家に住み続けています。
「祈り」については30年ライフワークとして追ってきました。地震の取材でラプラックにやってきて、ここでも「祈り」に出会うことになりました。これまでの全部が入った作品になったと思います。
=村の人たちは、これまでどうやって生活の糧を得ていたのですか?
ラプラックの人たちはもともと放牧や農業のほか、都市に出稼ぎして暮らしを立てていました。暮らしは楽ではありません。さらに地震で家や大切な家族を亡くしました。
政府はキャンプ地に新しく耐震の住宅を建ててモデル地区にしたいと、村ごと移住させる計画です。その住宅も3分の2は義援金が充てられますが、残り3分の1は村民の負担で、現金収入の少ない人たちには大きな金額になります。畑もキャンプ地からは遠くなったので、通うのがたいへんになってしまいました。
=初めての映画制作ですね。空撮がとてもダイナミックでした。
今は撮影機器が発達して、たくさんのスタッフがいなくても、たった一人でも撮影ができるようになりました。もし撮影隊を組んでいくことになったら大変な経費が必要になります。カメラマンもいますが、僕はどんなときもカメラを手放さずにいたので、アシュバドルやプナムはカメラを気にしないでいてくれました。スマホで撮影した部分もあるんですよ。どこかわかりますか?
空撮で写真は撮ってきましたが、今回自分でドローン撮影をしたくて買って練習しました。ドローンを操縦する機械はそんなに大きくなく、前もって設定すれば自動操縦ができます。画面の確認はスマホでできるんです。先にあげたハチミツ採取の場面や、最後にアシュバドルと僕が崖の上で並んでいる映像はそうやってドローンで撮りました。スペクタクルでしょう。
=制作資金をクラウドファンディングで集められたそうですね。同時に細やかな支援も続けていらっしゃるのに感心しています
2011年の東日本大震災でも現地を訪ねました(写真集「The Days After 東日本大震災の記憶」や著書「フリスビー犬、被災地をゆく」参照)。Facebookに現地のようすを投稿するとすぐに反響があり、広がっていきました。贈られた支援物資を届けた画像もその日のうちに掲載して、被災者からの「ありがとう」を伝えられました。そのときの経験をネパール地震への支援に生かすことができたと思います。
今回は映画制作と平行して「ラプラックを救う会」のクラウドファンディングも立ち上げ、支援を始めました。ふつうはヘリコプターで現地まで大量の物資を運ぶのですが、そうするとコストがかかります。それよりもふもとに届いた物資を高地のラプラックまで運ぶほうが効率的です。救う会で集まった義援金で、まず物資の運搬人夫を雇いました。村の人がそこで働けば現金収入にもなります。
モンスーンの時期には大量の雨が降るので、キャンプのテントの床は水浸しになってしまいます。少しでも快適にと簡易ベッドになる板を購入しました。台の上に置けば数人が寝られます。昨年は寒い冬を過ごすのに、子どもたちへダウンジャケットを送ったらとても喜んで脱ごうとしませんでした。
=今子どもたちはどうしていますか?
キャンプ地に学校が建てられ、プナムたちも通っています。勉強の苦手なアシュバドルが留年して、弟のラルバドルと同じ学年になってしまいました。このままだとプナムとも同じになるかもしれないと、支援してくれる人たちが心配しています(笑)。お兄さんのジルバドルやヤムクマリの子どもたちへの学業支援をしてきましたが、これからは、能力があるのに勉学の機会が少ない女の子たちへの支援にもっと力を入れていきます。【プナム基金】です。
村には道路が整備されていっています。キャンプ地から畑に行くのも楽になります。外からの人がこの村に来るようになれば、ガイドの仕事もできるようになるかもしれません。
東北や熊本をはじめ、日本全国、世界へこの映画を届けていきたいと思っています。
どうぞこれからも応援してください。
★2017年3月25日(土)より東劇ほか全国順次公開
http://himalaya-laprak.com/
(クラウドファンディングは引き続き募集中)
(C)Bon Ishikawa
ネパールはとても遠い国と思っていましたが、短期間に何度も通ってドキュメンタリーに仕上げたというのに驚きました。ラプラックでは公用語も使われますが、主な言語は都市部と違うグルン語。どこででも通じる言葉でなく、石川監督はラプラック出身のいい通訳さんに巡り合ってとても助かったそうです。作品中、英語で話している彼がそうで外国からの支援で学んだのだとか。教育支援は自立する助けになりますね。石川監督は子どもたちと片言で話すそうですが、すっかり仲良くなって言葉は壁にならないように見えます。
映画制作だけでなく現地への支援も継続される石川監督、思ってもなかなか踏み出せない人はどうしたら越えられるのか伺いました。「たくさんは無理ですよ。一人が一人を助けようと思えばいいんじゃないかな」という言葉に背中を押されました。
自分で行けなければ行ける人を支援する…クラウドファンディングをはじめ、いろんな形があります。相手の顔が思い浮かぶことも大事、この映画を観るとアシュバドルやプナムの笑顔が焼き付き忘れられません。心の距離近づいたかな。 (文・監督写真:白石映子)