第30回 東京国際映画祭 「アジアの未来部門」で上映されたイラン映画『人生なき人生』。余命半年と宣言されて、人生を見つめ直す父親と、それを見まもる息子の物語。「人生一度きりと気がついた時が、2度目の誕生日」という言葉に、誰もが自分の人生を見つめ直そうと思わされたことと思います。
カワェ・モインファル氏(監督/脚本)、ジャファル・モハマディ氏(プロデューサー)、 ニマ・アズィミネジァド氏(音楽) の3名が来日。 インタビューとQ&Aの模様をお届けします。 (駆け込みで、なんとか年内に!)
英題:Life without Life 原題:Zendegie Bedoone Zendegi
監督/脚本 : カワェ・モインファル
出演:アッバス・アタイ、アミル・ワザン、マルジァン・サデギ
2017年 /イラン/90分/ペルシャ語、クルド語、日本語
伝統楽器を学ぶサーティヤールは、兵役も終え、大学も卒業。ドイツ語も学んで、奨学金の申請が通ればウィーンに留学予定だ。そんな折、父親が癌で余命半年の宣告を受ける。母親は離婚して20年前にカナダに移住し、今はサーティヤールと二人暮らし。留学は後回しだ。お人よしの父は、これまで人に貸したお金を返してもらってなかった。「今や年金暮らしの病人。死んだら誰も返してくれない。回収する!」と言い出す。サーティヤールが楽器片手に取り立てにいくと、即興の曲に惚れて返してくれる者も。
ある日、父は化学療法治療中に知り合った女性マルジャンと突然結婚する。ハングライダーにも挑戦する。あとは息子に故郷クルドのマーリヴァンを見せたいだけと思っていた時、息子が倒れる・・・
1974年生まれ。イラク国境に近いクルディスタン州マーリヴァン出身。
1998年に助監督としてキャリアをスタート。2005年まで数々の著名な監督のもとで仕事をしてきた。本作が長編初監督作品。
助監督を務めた映画
『ブラックボード 背負う人』(2000年) 監督:サミラ・マフマルバフ
『酔っぱらった馬の時間』(2000年) 監督:バフマン・ゴバディ
『カンダハール』(2001) 監督:モフセン・マフマルバフ
『午後の五時』(2003年) 監督:サミラ・マフマルバフ
『アフガン零年』 (2003年) 監督:セディク・バルマク
『ストレイドッグス~家なき子供たち~』 (2004年) 監督:マルズィエ・メシュキニ
『セックスと哲学』(2005年) 監督:モフセン・マフマルバフ
10/29(日)上映後のQ&Aの模様を、公式サイト http://2017.tiff-jp.net/news/ja/?p=47841 で拝見した上で、インタビューに臨みました。
― これまでモインファルさんが助監督を務められた作品はすべて観ています。『ブラックボード 背負う人』『カンダハール』『酔っぱらった馬の時間』はじめ、どれも素晴らしい作品でした。でも、今回のあなたの初監督作品である『人生なき人生』が一番好きです。お世辞じゃなくて、ほんとに楽しく拝見しました。
(3人、身を乗り出して、やった~! というポーズ)
カワェ・モインファル(以下、監督): マフマルバフ監督とそのファミリー、バフマン・ゴバディ監督、セディク・バルマク監督、皆さん、私の恩師です。彼らがいなければ、今の私はありません。
― 「人生一度きりと気がついた時が、2度目の誕生日」という言葉、まさにそうだなとグッときました。 余命半年と知った父親は、結婚もし、ハングライダーにも挑戦して、残り少ない人生を満喫しようとします。皆さんが、もし余命半年と言われたら、何をしたいですか?
監督:10年前に父が癌宣告を受けて半年後に亡くなってから、いろいろ考えました。すべての人を満足させるのは難しい。でも少なくとも自分が満足できたかどうかを、一日が終って、どの位満足したかを毎晩寝る時に振り返ります。奥さんや子どもも色々問題を抱えているけど、自分がどれだけサポート出来たか。今日、どれくらい満足したかを問います。もし、余命半年と言われたとしても、毎日毎日、満足して生きていきたいと思います。
ジャファル・モハマディ(以下ジャファル):私は自分に鏡のルールを課しています。毎日、鏡を見る時、自分の姿に恥のないよう生きようと念じます。人生には前半と後半があります。前半は、夢を持っています。仕事や結婚、どこかに行きたいなど色々な夢を持っています。後半は、死が頭にあります。死んだら何が残るかと考えます。作品、音楽、映画などなど、何かを残したいと考えます。あと、半年と言われたら、故郷のウルミエに帰って、父母と一緒に暮らします。
― ウルミエ、いいところですね。私ももう一度行きたいです。ニマさんはいかがですか?
ニマ・アズィミネジァド(以下ニマ):あと半年と宣言されたら、自分自身のいろんなところをなおしたい。アーティストなら何か作品を残したいと思うものですが、とにかく自分を磨いていくべきだと思います。
― そして、音楽も世に残されるのですね。
ニマ:そうできるといいですね。
― タイトルですが、マーリヴァンでクランクアップしたときの記事を公式サイト http://www.lifewithoutlifemovie.com/ で拝見したのですが、『6 Mah zendagi -satiyar-』となっていました。その後、『zendagi bedoune zendagi(人生なき人生)』に変更されたのですね。Zendagiには、「人生」という意味と、「生活、暮らし」という意味の二つがあると思います。タイトルに込めた思いもお聞かせください。
監督:最初、撮影許可を取るときに、『satiyar』というタイトルで申請しました。サーティヤールという名前はクルド語で「時に守られしもの」という意味です。撮り終わって、『6 Mah zendagi(6ヶ月の人生)』がいいなと思ったのですが、『satiyar』で許可を取っていたので、『6 Mah zendagi -satiyar-』にしてみたのです。その後、編集しているうちに、この物語は息子のサーティヤールではなく、父親が主人公だと気付いて、タイトルを変えることにしたのです。『zendagi bedoune zendagi』には、生きているけれど、ちゃんとした人生を過してないという思いを込めています。
― 監督はイラク国境に近いクルドのマーリヴァンの出身、ジャファルさんはウルミエ出身のアゼリー(トルコ系)ですね。そして、ニマさんはテヘランご出身。
映画の中で、父親が「テヘランに出てきてからクルド語を話す機会がなかった」と嘆く場面がありました。学校教育はペルシア語ですし、特に都会で暮らしていると、親の母語を子どもたちは話せない時代になっているのではないでしょうか?
監督:クルドとクルド、アゼリーとアゼリーの男女が結婚して、テヘランに住んでいても、家では両親が母語で会話するので、子どもたちの耳にも自然に入ってくるので言葉を覚えます。私はクルドですが、妻はペルシア語が母語なので、妻とはペルシア語で話しています。クルド語で子どもたちに話しかけるのですが、理解してくれるけど、答えはペルシア語でかえってきます。母親のほうが強いから、我が家ではペルシア語が主流です(笑)。これはケースバイケースで、各家庭によって事情が違います。例えば、夫婦共にクルドでも、子どもたちが学校でクルド訛りだとからかわれるのではと心配して、あえて家で夫婦がペルシア語で話すケースもあります。
持ち時間は20分で、あっという間に17分。写真を撮らせていただき終了。
― ほんとに私も自分の好きなことをして人生を過ごしたいと思いました。
監督:アリガトー
司会(石坂健治氏): お三方、客席でご一緒にご覧になっていました。2回目の上映になりましたが、あらためてご挨拶お願いします。
監督:サラーム。ようこそいらしてくださいました。一緒に映画を観られて嬉しかったです。私たち映画人をハンターと呼んでいるのですが、どこにでも行って、皆さんに映画を観ていただきたいと思っています。反応は同じだと嬉しかったです。
司会:監督は出演もされていますね。
監督:死神ですね(笑)。余命宣告する医者役でちょっと出ています。
ジャファル:この数日で、日本の皆さんがよく映画を観て理解してくださっていると感じました。
ニマ:コンニチワ。一緒に観て、いい経験になりました。日本で素晴らしい体験ができました。
― 3カ所、ラインダンスの映像が映りました。どういうメッセージですか?
主人公が太った友達のところに行ったとき、部屋にバットマンやポップコーンなどアメリカナイズされたものが置いてありました。反米の意識の強いイランで、このようなものが置いてあるというのは、今、関係が雪解けムードだからでしょうか?
監督:踊りはクルドのものです。父親は、30年、故郷のクルドのマーリヴァンに帰ってないのですが、故郷の思い出であるクルドの踊りを観て、記憶に残っているクルドを思い出しているのです。クルド語をあんまりしゃべっていないけれど、自分の根はクルドにあるという思いです。
バットマンやポップコーンですが、イランの国民はどこの国も敵と思っていません。政治的な問題はありますが、私の映画は政治には全くかかわっていません。
(通訳のショーレさんが、イランの国民がどこの国も敵と思っていないことを強調してねと、監督から念押しされたと申し添えされました。)
― 映画のラストが衝撃的でした。息子が死んだ後、大自然と音楽で終らせたのは、もともとの予定ですか?
監督:最初から、このエンディングを考えていました。お父さんは死を迎えようとしているのに、健康な息子が死んでしまう。人生何が起こるかわかりません。予測できません。何があっても人生は続いていきます。ショックを受けた人たちに、自然と音楽で和んで映画館を出て欲しいと思いました。隣に座っていた方は涙を流していたので、そういう方にも最後は和んでほしいと思いました。
ニマ:私たちは皆、いろんなことに苦しんでいるかもしれない。人々は苦しんでも、愛したいし、愛されたい気持ちに変わらない。芸術にかかわっている私たちの仕事は望みを与えることです。音楽に希望を託しました。
― サーティヤールが街角で歌っている歌詞の中に、「私は酔っ払ってる。酔っぱらっていられない魂はこの街にない」という言葉がありましたが、イランで問題はないのでしょうか? (後に、この質問をしたのはトルコの方と判明)
ニマ:2ヶ月位、テヘランの街角で実際に歌って、たくさんの人から励ましをもらいました。人生の情熱を歌ったもので、賑やかなタジュリーシュのロータリーで歌ったら、大勢が集まりました。自分自身が経験したことなので、問題なく映画にも描けます。詩はモウラーナ(ルーミー)のものです。「酔う」は酒に酔うのではなく、気持ちがいい時に酔うといいます。欲も持たないで、すべてをありのまま受け入れて気分がいい時に、「酔う」といいます。町を歩きながら詩を歌っていたのは、自分のいい気分を皆にプレゼントしていたような感じです。
(注:神秘主義詩人モウラーナ(ルーミー):1207年 現アフガニスタンのバルフ生まれ、1273年 トルコ・コンヤで没)
― トルコでは、ルーミーの詩をツィートしただけでも投獄されてしまいます。
3人:お~!
(と、びっくりされた3人ですが、私も驚きました。イランでは偉大な詩人の一人として今も敬われている神秘主義詩人が、トルコではそのような扱いを受けていることを知りませんでした。)
― サーティヤールが亡くなった時、父親が 「よくぞやったな、神様」と言っていたと思います。これは、よくもやってくれたな、私がこれから追っかけていってやるぞという意味なのでしょうか。
監督:ペルシア語の諺で「黒より上の色はない」という言葉があります。自分は苦しんできて、息子が亡くなった時、黒より上にも色があったと自分は理解したのです。皮肉でもなく、神への感謝でもなく、なるほどわかったと言ったのです。
― 予期しない展開で心が揺り動かされました。サーティヤールは楽器と音楽両方のできる人物ですが、楽器は何ですか? キャスティングとして演奏家を選んだのですか?
監督:両方のできる人がいいなと思いながら難しいと思っていたのですが、彼と会った時、歌が上手で、伝統楽器も弾ける人でした。
ジャファル:私たちは二つの対話を経験したことがあると思います。権力的な会話や利益的な会話もあれば、この映画の中では、その両方でもなく、息子が音楽を使って理解しあって、求めるものを得ようとします。一度しかない人生。楽しく対話をしていくべきだと思います。
ニマ:使っている楽器はセタールの3弦の伝統楽器です。役者は上手に演奏も出来、歌も上手い。自分が作った音楽をちゃんと彼が伝えてくれるかなと思っていたのですが、観た人が感動してくれたりして、伝わったなと思いました。
最後の音楽は、風景の映像を観ながら、古い音楽を入れたりしてみたのですが、自分で作ったほうがいいなとセタールを演奏しながら作りました。Dedmanが使った方法です。
監督 最後の言葉:
ペルシア語の諺に、良いこと悪いことが起こる時には心の準備が必要なので、飲み込める力をくださいと神様にお願いするというものがあります。癌や事故にあった時、飲み込める力があったほうがいい。命は一つしかない。最後までちゃんと過ごさないといけないと思います。
司会:巨匠の風貌ですが、これが1本目ですね。ますますの活躍を期待しています。
監督:長年助監督をしてきたので、そんな風貌になったのでしょう。ありがとうございます。
投げかけられた質問に、ひたすらまじめに答える3人でしたが、会場外でお会いすると、実に陽気。特に、ジャファルさんは、ほんとにおしゃべり好き。レコーダーを向けられて、逆インタビューまで受ける羽目に。 監督はクルド、ジャファルさんはトルコ系のアゼリー、ニマさんはいわゆるペルシア人。 民族の違いは見た目ではわかりませんが、お話してみると、それぞれの誇りが感じられました。