フィンランドのアキ・カウリスマキ監督が、前作『ル・アーヴルの靴みがき』(2011年)に始まる港町3部作を、難民3部作と自ら呼称を変え、2作目として作った『希望のかなた』。いよいよ12月2日より公開されます。 9月末、難民映画祭で上映されるのにあわせて来日したシリア難民を演じたシェルワン・ハジさんに、お話を伺う機会をいただきました。
1985年シリア生まれ。2010年にフィンランドへ渡る。2008年にダマスカスのHigher Institute of Dramatic Artsを卒業。いくつかのテレビシリーズに出演した後、2015年にイギリスのケンブリッジにあるアングリア・ラスキン大学芸術学部に進学し、翌年に博士号を取得した。2012年からは演技に加え、彼自身のプロダクションLion’s Lineでショートフィルムの脚本や監督、インスタレーションの制作も行っている。長編初主演となった『希望のかなた』でダブリン国際映画祭最優秀男優賞を受賞。劇中では伝統楽器サズの演奏も披露している。(公式サイトより)
原題:Toivon tuolla puolen 英題:The Other Side of Hope
監督・脚本: アキ・カウリスマキ
出演:シェルワン・ハジ サカリ・クオスマネン イルッカ・コイブラ
フィンランドの首都ヘルシンキの港。船に積まれた石炭の中から男が這い出してくる。内戦で家をミサイルで破壊され、シリアから逃れてきた青年カーリドだ。ハンガリー国境まで来たところではぐれてしまった妹ミリアムを探して、ここまでたどり着いたのだった。警察で難民申請したカーリドは収容施設に入り、イラク人マズダックと親しくなる。
やがてトルコに送還されることが決まったカーリドは収容所を脱出する。とあるレストランのゴミ捨て場で寝泊りしていたところ、その店の主ヴィクストロムに雇い入れられる。
ヴィクストロムは酒浸りの妻に愛想をつかして、それまでの仕事をやめレストラン「ゴールデン・パイント」を買い取ったものの経営が思わしくなかった。寿司屋に鞍替えしてみるも、見事に失敗。試行錯誤するうち、カーリドや従業員たちと不思議な連帯感が生まれていく。
やがて、マズダックから、妹ミリアムがリトアニアの難民センターで見つかったと連絡がくる。カーリドは無事ミリアムと再会できるのか・・・
2017年 第67回ベルリン国際映画祭最優秀監督賞
2017年/フィンランド/フィンランド語、英語、アラビア語/98分/DCP・35㎜/カラー
配給: ユーロスペース
公式サイト:http://kibou-film.com/
★2017年12月2日(土)より、ユーロスペースほか全国順次ロードショー!
― 29年前、1988年にシリアを訪れたことがあります。10日ほどの滞在でしたが、どこも素晴らしく、人々にとても親切にしてもらいました。ここ数年のシリアの状況に心を痛めています。ハジさんのご両親やご兄弟は今もシリアで無事に暮らしていらっしゃるのでしょうか?
ハジ: 実は最近無理矢理両親をフィンランドに呼び寄せました。いろいろと複雑な思いがあって来たくないと言っていたのですが、もう居住権を持っている者の家族以外の人にはビザも出なくなるという状況になりましたので急ぎました。僕がフィンランドで働いていて居住権も持っているので呼び寄せられたのですが、自分の両親とはいえ、複雑な手続きが必要でした。従兄弟などには、もうビザは取れない状況です。
― ご実家はシリアのどちらの町ですか?
ハジ: 両親はこの数年シリアを出てトルコに住んでいました。シリアの地図をご存じと思いますが(と、いきなり、この日の取材予定表を裏返し、シリアの地図を書きはじめるハジさん)、地理は成績悪くなかったのですよ。でも、下手な地図ですね。ここが地中海でキプロス、その右がシリア。北側がトルコ。南がヨルダン。首都のダマスカス、その北にアレッポですね。そして北東の端っこ、チグリス河の畔のダイリク(Dayrik)という町で僕は生まれました。今はマリキヤ(Al-Malikiyah)とアラブ風に改名されています。(1950年代のバアス党の軍人アドナーン・アル=マーリキーの名をとって改名。ダイリクはシリア語で「修道院」を意味する) 皆、驚くのですが、僕はクルドです。
― チグリス河の畔というと、トルコやイラクの国境に近いところで、クルドの方が多いところですね。納得です! そうすると、クルド語をお話になるのでしょうか?
ハジ: クルド語が母語です。両親とはクルド語で話しています。
― お名前のシェルワンのsherは、もしかしてライオンですか?
ハジ:そうです! クルド語でライオンです。ワンは、東トルコの地名でもあります。(トルコ語: Van, クルド語: Wan) 曽祖父の時代に今のトルコのワン湖の畔からダイリクに移住してきました。 (ワン湖の付近は、アルメニア人も多かったところで、20世紀初頭に多くのアルメニア人が弾圧にあっています。ハジさん一族の歴史にもドラマがありそうです。)
― クルドの人たちは、トルコ、イラク、イラン、シリアの4カ国にまたがって住んでいて、国を持たない民族として知られていますね。
ハジ: イラクでは仮のクルディスタン自治区がやっとできました。シリアでは、最初の3~4人の大統領はクルド人だったのですよ。1962年よりナショナリスティックな動きになり、民主主義の名目で軍事政権になりました。地名もアラブ風に変えていきました。子どもの名前もクルド的なものでなく、アラブ風にしろと指示がでたのですが、両親はめげずにクルド風の名前をつけてくれました。とても誇りに思っています。
― ハジさんは、この映画で国を離れなければならなかったカーリドという人物を演じて、どんなお気持ちでしたか?
ハジ:チャンスであり、同時に大きな責任を感じました。人類の歴史の中で苦しんでいる人たちを代弁している人物として、節度を持って扱いたいと思いました。特定の場所から来た人物でなく、ある一人の人間として演じたいと思いました。
ムスリムならお酒は飲まないけど、お酒も飲む。女性に対する接し方もオープンだし、妹の面倒もよくみる男です。この妹も、ベールは被っていません。中東の難民の典型的なイメージを避けたいと思いました。演技は私の仕事でもあります。演じるにあたって、実際の難民の方にインタビューをしたり、リサーチもしました。
特にアキ・カウリスマキ監督のようなマスターのもとでは、彼の確立された世界観の中で、どうカーリドを演じなければいけないかも考えました。
― アキ・カウリスマキ監督の映画では、登場人物が皆、表情をあまり変えず、多くを語りません。独特の空気感がとても面白いのですが、撮影現場で笑いをこらえるのがもしかして大変だったのではないでしょうか?
ハジ: フィクションはフィクション。現実は現実。我々は仕事なので監督に従います。監督は、ほんとに的確で、すべての言葉が一つ一つ書き込まれて脚本が構成されています。
悲しみの中にどこかコメディーがあります。私自身は問題なく、現場の中で楽しみました。皆、そんな人間なのだろうかと思うかもしれませんが、フィンランドにいれば、無表情な人間もいるとわかります。映画は詩のようなもの。あるものを捉えて、凝縮して伝えるものだと思います。アキのマスターたる所以だと思います。ユーモアが悲しみから訪れるのですが、演技をしない役者の顔から滲み出てくるものがあります。アキと仕事をする役者は演技してはいけないんです。僕以外は! というのもアキにはアラビア語はわからないから好きにしていいと言われたんです。でも、その信頼関係を悪用はしていません。よけいに彼の世界を理解しようと務めました。登場人物のキャラクターを彼の世界にあわせるようにしました。
― 監督がどんな方なのかお会いしてみたいです。
ハジ:アキは素晴らしい人。道で会えばほんとに普通の人。人間としてそれが一番いい説明だと思います。彼はやさしくて、とてもシャイです。繊細なアーティスト。社交的な人じゃない。いろんな人に会ってきましたが、彼に会えたことをほんとに誇りに思っています。偉大な監督ですので、役をもらえてもちろん嬉しいですが、人と人との関係として会えたことが嬉しい。思っていることを口に出してしゃべる人ではないけれど、自分の信じていることを映画にどういれるかを怠らない人です。難民のことをキャリアを持ち上げる為に使うような人でもありません。すでに立場は確立されていますからね。何か変化をもたらしたいという心からの思いを感じます。
― この映画は、人を動かすことができると思いました。
ハジ: 僕もそう願ってます。アキも望んでいると思います。彼のような人と会うと、僕も報われる思いがします。仕事の上では、プロフェッショナルな関係を築いてきました。役者として多くを学びましたし、映画作家としても学ぶところが大きかったです。
― 俳優として演じるだけでなく、ショートフィルムの監督もされていますね。ダマスカスの演劇学校で学ばれていますが、いつごろから俳優になりたいと思われてましたか?
ハジ: 映画を作りたいというのが先にあります。その中で演技もしたいと思っています。普通に生きているのでは存在感がないけど、人前で何か演じたり、何かを作って発することに気持ちよさを感じます。最初に演劇に係わったのは、ダイリクである素敵な女性に出会ったのがきっかけでした。17年前の15歳のころのことです。夏のシアターで仕事をしている女性で、どうしても自分も一緒に演じたかった。父がシアターの演出家と知り合いだったので、お願いしてもらいました。ほんとの目的は言わないで、お茶も入れるし、掃除もします、何でもやりますと言って、小さな役を貰いました。
劇場で働き始めて、3日後に彼女は去ってしまいました。取り残されてしまいましたけど、やめるわけにいかなくて、役者を続けました。(大笑い) でも、大勢が観に来て、楽しんでくれて、とても素敵な体験でした。冬には心変わりして、エンジニアになろうと思って、2年間電気工学を学びました。
高校卒業したときに、成績があまりよくなくて、どの大学にも受け入れてもらえないような状況で、入れるのが演劇学校か軍隊でした。もちろん軍隊ははずして、演劇学校に進んだのです。入るのは結構難しかったですが。
― ハジさんご自身がフィンランドに住むことになったのは、フィンランド女性に恋したからなのですよね?
ハジ: はい! もちろん!
― ダマスカスで知り合ったそうですが、彼女も演劇関係ですか?
ハジ: 全く違う分野です。メディアや政治関係が専門で、フィンランド大使館でトレーニングをしていました。
― 難民もですが、違う国で受け入れてもらって暮らそうと思うと、その国の言葉を勉強しないといけないですよね。フィンランド語はとても難しいのではと思うのですが。
ハジ: 自分の母語でない言葉は、どこの言語も難しいと思います。 自分が住んでいる場所の言葉を覚えたくないという人のことは理解できません。人生のABCだと思います。
― 今後はどんなご予定ですか?
ハジ: 映画を作りたいと思っていて、まだ時間はかかると思いますが、ラブストーリーと政治的なものの2本のドラマを考えています。
― ぜひいつか日本で観たいと思います。お待ちしています。
この後、写真を撮りながら、埼玉の蕨市にクルドの人が多く住んでいて、ワラビスタンと呼ばれていることや、そこで、春分の日のクルドのお正月「ネフロス」には、皆で公園で手をつないで踊っていることなどお伝えしたら、とても興味を示していました。
私にとっては、これまでトルコ、イラン、イラク出身のクルドの人には会ったことがありましたが、シリア出身のクルドの方は初めてでした。祖先が、トルコのワンから移住してきたことにも興味津々でした。壮大な歴史の一齣を覗いたような思いでした。
そんなハジさんが演じたシリア難民だからこそ、とてもリアル。まさに、難民といっても、私たちと変わらない、生きることを楽しみ、生き方を模索している人々なのだと思いました。
いろいろな事情で住み慣れた地を離れなければならない人々が、今、世界には大勢います。その人たちに手を差しのべるどころか、入国さえ拒否しようという風潮が広がっていることに暗澹たる気持ちになります。皆が平穏に暮らせるような世界は、いつ実現するのでしょう。
シネジャ作品紹介 『希望のかなた』
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/455117414.html
スタッフ日記
『希望のかなた』でシリア難民を演じたシェルワン・ハジさんは、シリアのクルド人
http://cinemajournal.seesaa.net/article/453867788.html