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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『被ばく牛と生きる』松原 保監督インタビュー

東中野 space cafeボレボレ坐にて

松原保監督プロフィール

1959年大阪生まれ。1986年東京の番組制作会社に入社。テレビ番組やCM、企業PRなどを数多く手掛けてきた。2008年パワーアイの代表に就任、シンガポールのヒストリーチャンネルやブータン国営放送と、日本人として初めて国際共同制作を行った実績を持つ。日本人が持つ「心の文化」を世界に向けて大阪から発信しようと、海外の放送局との国際共同制作を模索している。今回の長編映画は初監督作品となる。


【作品紹介】

2011年福島第一原発事故後、国は20㎞圏内を“警戒区域”に指定、立ち入りを厳しく制限した。5月、農水省は放射能に汚染された食肉が流通することがないよう、その区域にいる家畜は所有者の同意を得て殺処分と通達した。当時区域内の牛は約3500頭。通達までに、取り残された牛の多くが繋がれたまま餓死してしまった。ほとんどの畜産農家は生き残った牛を泣く泣く処分したが、殺処分に同意しなかった十数軒は経済価値のなくなった牛を飼い続けた。しかし故郷も仕事も失くした身に負担は重く、反対農家は5軒となった。それでも500頭余りの牛を今も飼い続けている。松原保監督は事故直後から5年間福島に通い、撮りためた映像がこのドキュメンタリーとなった。


(C)2015 Galaxy Media and Entertainment. All rights reserved.

公式HP http://www.power-i.ne.jp/hibakuushi/

★2017年10月28日(土)よりポレポレ東中野ほかロードショー!
 11月4日(土)より、フォーラム福島にて1週間限定上映
 12月16日(土)より、第七藝術劇場にて上映



◆インタビュー◆

―ブータンから帰られたばかりと伺いました。日本と違うところは?

NHKの仕事で行っていました。ブータンに行って初めて、我々は西洋文明に毒されて「自然と共生する」気持ちを失っていると思いました。ブータンは幸せの国と言われています。「GNH(国民総幸福量)」を「GNP(国民総生産)」よりも大切にする国です。最初はきれいごとを言ってると穿った見方をしてしまって、いろいろ質問してみたんですが、本当に「お金は幸福になるための一つの手段にすぎない」と彼らは思っています。自分を振り返って、西洋的な発想の「お金がないと何もできない、お金が全て」という考えに陥っていると気づきました。
ブータンも鎖国を続けていた時期があって、開国したのは日本の明治維新の約100年後です。
日本は西洋文明を取り入れてライフスタイルを変え、経済発展した代わりに公害や自然破壊、原発事故も起き、今に至ったわけです。ブータンは日本と同じにはならなかった。チベット仏教徒が多いのですが、生きとし生けるものを尊びます。日本もかつてはそうで、四つ足のものは食べませんでした。もっと「命の尊厳」を大切にする国でした。それが今微塵も感じられない。
ブータンに行き、原発事故後の福島を行ったり来たりする中で、命あるものを生かそうする人がいるのであれば生かしていけばいい、その被ばくした牛が科学のために役立つにも関わらず、急いで殺処分してしまうなんてなんだかおかしいと思ったのです。

―ブータンと福島も繋がっているわけですね。福島の牛飼いさんたちを5年間以上も取材し続けてきた原動力は何でしょうか

うーん、原動力ねぇ。何でしょうねぇ。途中でやめられなくなったんです。人との関わり…ですね。
初めは映画をつくろうという意思はなかったんですよ。
僕はもともと日本の古き良き文化を海外に発信したいと考えて、海外との交渉をずっと続けてきたんです。30年前、福島の伝統行事である「相馬野馬追(そうまのまおい)」(侍の鎧兜姿で馬に乗って駆ける)のを取材したことがありました。東日本大震災のときに、あの時の野馬追の開催が危ういと聞いて、福島へ行きました。3月に事故があって、野馬追は7月です。避難してしまって参加する人が少なかったのですが、戦後も一度も途絶えなかった1000年続いた行事をここでやめられない、と言ってやったんですよ。30年前に見たものよりずっと観光化されてはいましたが、伝統を守ろうとしている人たちのプライドや強い思いは変わりません。

―そこで牛飼いの方々に会われたんですね。

武士の家系に生まれて代々、相馬野馬追に参加している山本幸男さんが畜産農家でした。被ばく牛を殺処分せず、生かし続けています。そこから吉沢正巳さんたちへ繋がりました。


山本幸男さん(元浪江町町会議員)


勇壮な相馬野馬追


「希望の牧場」吉沢正巳さん


―ドキュメンタリーは登場する人の魅力が8割9割を占めると思います。監督から観た吉沢さんの魅力は?

吉沢さんは非常にロジカル(論理的)な思考を持っている人です。ただ活動家という色メガネで見られてしまうと、普通の人は引いてしまう。そうならないよう吉沢さんという人間を見てもらうために気を使いました。一番近い身内のお姉さんを際立たせたのはそのためです。それがないと、吉沢さんはあくまでも一直線で活動一本やりの人に見えてしまう。吉沢さんも原発事故の被害者です。故郷を奪われた、仕事を奪われた、そのいたたまれない気持ちがああいう行動を起こした、ということに共感を持ってほしかったんです。人間・吉沢さんのちょっと弱い部分、お姉さんに支えられている部分を見せたかった。映画完成前に出演者の方たちには映像を見せて許諾を得たんですが、吉沢さんが寝泊まりしてるコンテナの部分は出さないでと言ってたんです。ところが映画が出来上がってみると「もう(使って)いいよ」と言ってくれました(笑)。

―あまりにも部屋を片付けなくて汚いからとお姉さんに出されてしまったんですよね(笑)。外でどんな活動をしようが、お姉さんにとってはただの心配な弟ですから。でもああいう場面を観ると親近感わきます。

吉沢さんは独身なんです。結婚せず奥さんも子どももいない。だから何をやっても「家族がいたらそんなことできないだろ」「あなたには失うものがないから」と思われる。吉沢さんがやっていることは決して間違っていないし、それを理解してもらうためにお姉さんに出ていただいて親近感を持ってもらうのは大事だったのです。吉沢さんのやっていることは間違っていないわけですから。
2016年の7月に完成したんですが、その後にいろいろカットを差し替えたり、ナレーションを減らしたりしました。ちょっと説明が多すぎるということになって。テレビは情報が多いほうがいいのですが、真っ暗な大画面でじっくり見る、物語の中に埋没してもらう映画は考える時間があったほうがいい。情報を与えるのでなく感じてもらうんです。

―畜産農家の方々が様々な事情で脱落していくのに胸が痛みました。あそこで踏みとどまっていた人は、今も頑張っているんですね。この先は?

畜産農家にも違いがありまして吉沢さんは肥育農家、山本さん池田さん渡部さんは繁殖農家です。繁殖農家は子牛を産ませて肥育農家に渡し、肥育農家は太らせて肉牛として送り出します。酪農家は乳牛ですね。乳を搾るためにスタンチョンという留め具で牛舎に固定されているので、餓死したのは酪農家の牛が多いのです。
その後大きな変化はないですが、長く参加してきたボランティアの人がやめたり、他の牧場では10数頭が間引きされたりしました。「希望の牧場」には今320頭ほどいます。本当のところ吉沢さんも適正な数にとは思っているようです。戦略的に考えるとこのままでは維持できないと。ですが、生かしてきたものを間引きするというのは特にボランティアの人たちには抵抗があると思います。

―ボランティアも寄付金も時間が経つにつれて関心が薄くなって減っていくでしょうね。

牛を飼い続けているのは浪江町で3軒、大熊に1軒、富岡1軒、農家ではないけど牛も他の生き物も飼っている松村さん(『ナオトひとりっきり』の松村直登さん)も、あとボランティアの方も何頭か飼育しておられます。 人手も餌代も足りません。
牛の寿命は15~20年だそうです。もう6年経っていますから、あと10年くらいで次々と寿命がやってきます。その間ずっと出荷できない牛に食べさせていくわけです。吉沢さんは自分の人生を「牛と一緒に生きていく」という覚悟でいます。
この『被ばく牛と生きる』は非常にエモーショナルな作品に仕上げましたが、一方で科学的に「低線量被ばく」の部分を取り上げたいという気持ちがあります。たくさん撮りためた中に被ばく牛について研究している岩手大への取材シーンもありますし、研究である程度の結果が出たなら、次の作品を作りたいですね。岡田先生からもいろいろ伺っているのですが、裏づけるデータがまだ確定できるほどありません。放射能が身体にいいとはだれも思っていませんし、疑ってかかるところから出発しなければならないのに、逆なんですよね。

―監督は何度も行き来してご自分が被ばくすることへの心配はなかったですか?

いやもうこの年ですから、そう心配することはなかったです。最初線量が高かったのか、肌がピリピリッとしたことはありましたけど。線量計もそのときは持っていませんでしたが、途中でたくさん出回っているソ連製の線量計をネットで買いました。目安になるかなと思って。

被ばくした牛に時間をかけて汚染されていない餌を食べさせていくと、大部分の放射能は排出されていくんです。その結果は出ているんですが、すでに出されてしまった殺処分や出荷停止の指示を役所は撤回できない。伝染するものではないのに、殺処分というのは早すぎたと思います。生き物に対する慈悲のなさを感じます。血の通わない政治というものへの怒りも取材していくうちにわいてきました。

―監督は映画を作られました。私は記事を書きます。あとどうしていけばいいでしょうか?

永遠に成長し続けるってことはありえないとまず立ち止まる。人口が減り高齢化社会に向かっているのですから現状維持さえ難しいことだと思うんです。それなのにGDP(国内総生産)を上げろ、会社でも昨年より数字を伸ばさなきゃいけない、でないと許されない。それがストレスを産んでいます。もっと緩い社会でいいんじゃないか、もっと寛容な世の中にならないと、と思います。


「もっと寛容な世の中に」と強調する松原監督

―好きな映画と子どもの頃に観て印象深かった映画を教えてください。

僕はエンターテイメント、アクション映画が好きです。『ラストサムライ』や「007」シリーズ。子どもの頃は祖父母のところに行くたびに映画を観ていました。近所の映画館の人が知り合いで「孫が退屈してるからちょっと見せてやって」と、漫画映画も観たのに、よく覚えているのは『黒部の太陽』です。
時代劇も好きで次は自主映画で時代劇を撮りたいですねえ。

―まあ、それは楽しみです!出来上がったらぜひお知らせください。今日はありがとうございました。




■取材を終えて

繋がれたまま餌も水ももらえず、餓死してしまった牛たちの映像に涙したのを思い出します。毎日手塩にかけて育て、世話していた人たちの慟哭はいかばかりであったでしょう。一方生かし続けている吉沢さんたちのご苦労もたいへんなはず。餌代はもちろん、研究する人への補助もありません。
避難している方々が人手不足の牧場を手伝うことにはならないかと監督に伺いました。「畜産農家の大半は殺処分に応じて心が折れてしまって、もう畜産はしたくないという方が圧倒的に多いと思います。吉沢さんは応じなかったことで逆に仲間から非難されていますしね」という回答に、考えが浅かったと反省。どれだけ深い傷を負われたのか想像が足りませんでした。
ブータンはヒマラヤの急峻な土地柄を生かした水力発電で自国の電気を賄うほか、他の国に売れるほど豊かでエコな電力を保持しています。一方日本は都会の豊かさ便利さを追求した挙句、排出したものを安全に処理できないまま、揺らぐ土壌の上に原発を乱立させてしまいました。エライ方々は間違いを認めず、責任をとらず、謝らず、隠しては逃げおおせることばかり考えているような気がしてなりません。それを追求せず忘れていったツケが自分たちだけでなく、後々の人たちに回ります。安全に暮らせることが第一、そんなに便利でなくてもいい。私もブータンの人にならってGNHを大切にしたいと思います。



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取材・写真:白石映子

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