2011年3月11日の町の中心部など津波で多くを失ってしまった町の復興に、官民一体となってまい進する女川の人々の姿を追った『サンマとカタール 女川つながる人々』。乾弘明監督にお話をお伺いしたのは、4月初旬のことでした。それからまもなく4月14日に熊本地震が起こりました。
5年前の東日本大震災の記憶もまだ新しい中で起こった熊本地震。また多くの方がこれまでの平穏な暮らしを奪われてしまいました。できるだけ早く安心して暮らせる日々を取り戻されることを祈るばかりです。
★乾監督が、熊本地震を受けて、『サンマとカタール 女川つながる人々』公開を前に日本経済新聞のウェブ版のNIKKEI STYLEに寄稿されています。ぜひお読みください。
「町は住民にしかつくれない」 復興目指す宮城・女川
ドキュメンタリー映画「サンマとカタール」、監督・乾弘明
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO00096970W6A420C1000000/
1963年北海道生まれ。86年「ニュースステーション」(テレビ朝日、以下同じ)でディレクターになる。自然、環境をテーマにしたドキュメンタリー番組の制作で高い評価を得る。2010年より「池上彰の学べるニュース」プロデューサー、「相葉マナブ」「しくじり先生 俺みたいになるな!!」など多くの番組を手がける。
監督:乾弘明
ナレーション:中井貴一
エンディングテーマ:「光-女川リミックス」 幹miki
撮影監督:長塚史視 構成:釜澤安季子/乾弘明 編集:高原淳
音楽監督:引地康文 音楽:井内竜次
題字:池端信宏
プロデューサー:益田祐美子
制作:花組
製作:日本カタールパートナーズ/平成プロジェクト
配給:東京テアトル
2016年/日本/73分/カラー/ビスタサイズ
公式サイト:http://onagawamovie.com/
★2016年5月7日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町他、全国順次公開
宮城県女川町。石巻線の終着駅で、牡鹿半島の付け根にあるサンマの水揚げで有名な美しい港町。
2011年3月11日に起こった東日本大震災。町の中心部は根こそぎ津波にのまれてしまう。1万人の住民の1割近くが犠牲になり、8割近くが住まいを失った。何もなくなってしまった更地に、中東カタールの支援金で津波に対応した大型冷凍冷蔵施設「マスカー」が建設された。港にどんと建つマスカーは、復興への希望の灯となる。
水産業をけん引する若いリーダーたちは、カタールへのお礼の気持ちも込めて、ハラール(イスラームの教えに沿った)の水産加工品をもってカタールを訪れる・・・
― 乾監督は、本作プロデューサーの益田祐美子さんとは、これまで『平成職人の挑戦』『蘇る玉虫厨子』『海峡をつなぐ光』『李藝―最初の朝鮮通信使』と、4本の映画を作ってこられて、『サンマとカタール 女川つながる人々』は5本目です。益田さんといえば、初めて手がけた映画が日本イラン合作映画『風の絨毯』でした。 昨年来、facebookで『サンマとカタール』を製作中と知って、タイトルの響きがよくて、興味を惹かれていました。きっと益田さんが「サンマとカタール、いいじゃない!」と、ひらめいたのがそのままタイトルになったのではと想像しています。中東繋がりでこの映画を作ることになったのでしょうか?
乾監督(以下:乾): タイトルは、まさにその通りです。映画は、中東繋がりではなくて、東京で女川を支援している方から、カタールの援助で女川に大型冷蔵冷凍庫「マスカー」が出来たという話を益田さんが聞いたのがきっかけです。
(注:「マスカー」という名前は、カタールの伝統的な漁業方法に由来する。
津波対応の構造で作られていて、通常、1階に設置する大型冷蔵・冷凍庫は2階にあり、1階は荷さばき場になっている。津波の際は、1階外側のパネルが外れて津波の力を受け流す。また、3階は避難所になっている。)
『サンマとカタール』というタイトル、いいねと言っていたのですが、撮り始めてみて、カタールの支援金を受けたマスカーは既に完成していたので、方向を変えて、女川の町の人たちに焦点を当てることにしました。内容が変わってきたので、タイトルをどうしようかと何度も何度も話し合いしました。でも、すべての始まりがカタールの援助で出来た「マスカー」でしたので、当初のタイトルで決めました。
― 確かに、女川魚市場買受人協同組合の石森洋悦さんが、カタールの支援金20億円を取り付け、マスカー建設に奔走された経緯については、さらっとしか触れていませんでしたね。
乾: 石森さんは、きっかけを作ればあとは若い人たちがやるだろうと、町づくりに関しては裏にまわって、やりやすい環境づくりに徹しています。その一歩後ろに引きながら若手をバックアップしているベテランの石森さんと、町づくりを牽引する若手の両方に焦点を当てることにしました。若手の代表として、「復幸祭」実行委員長の阿部淳さんにフォーカスしました。また、皆が作ってくれた町に住む受け手の代表として主婦の阿部由理さんにも登場いただきました。町のほとんどは受け手の方ですから。
― コミュニティがばらばらにならないような町づくりをしているのを感じました。
乾:震災があったから、まとまった感じがあります、復幸祭のメンバーたちも震災前はそれほど知らなかった薄い繋がりだったのが、なんとかしなければという中で横の繋がりが強くなったようです。
― 復幸祭というのも、復興ではなく、幸の字を使っているところに、幸せな暮らしを取り戻したいという女川の人たちの思いを感じます。マラソン大会も、スタートに「逃げろ!」と言って山に向かって走っていくという、津波の被害をあとあとに伝えながら、前に向かっていこうという感じがでていますね。
乾:伝えていくことが彼らにとって一番大きな使命ですね。
― カタールの新聞に載った女川の町のカラー写真が、とても町の雰囲気やマスカーの位置がよくわかるものでした。 山を背に、海に向けて広がった女川の町ですが、津波の被害を受けた町によっては津波のための高い堤防を作ってしまって、町から海が見えないところも多いと聞いています。
乾:宮城県の方針で、ほとんどの自治体で津波対策の高い堤防が出来ています。女川は独自の計画を立てて、海辺の更地になったところは公園や漁港施設にしています。その後ろに道路を作り、その国道のさらに上にある住宅地は津波に対して安全性の確保できる高台あるいは嵩上げをしています。その下の海辺は、津波がきても流されてしかたがないという発想です。
― ほかもそういう町づくりができるとよかったですね。
乾:なかなか難しいですね。女川の場合は地形に恵まれていたことと、建物の8割が津波で被害を受けてしまったので、一回全部更地にできたということがあると思います。地権者をこまめに訪ねて説得した女川の町の人たちの努力もあったと思います。町のサイズがちょうどよかったのかもしれないです。
― 震災直後、カタール政府は1億ドルの資金提供を表明しています。王室直結の政府で、国のサイズも小さいから、即決できたようにも感じます。
*面積:11,427km2 日本の約3%。秋田県よりやや狭い。
人口:約252万人(2016年3月:カタール統計庁)
でも、カタールというとアラブで、それこそアラブのIBM式(注)の対応で、ペルシア商人よりさらに手ごわくて、カタールとの交渉や撮影は大変だったのではと想像しているのですが、いかがでしたか?
*注:アラブのIBM: I インシャーアッラー(神様が望むならば) B ボクラー(明日) M マァーレーシュ(気にしない)
乾:いいえ、カタールはそんなに大変じゃないです。時間さえかけて、ちゃんと手続きを踏んで申請さえすれば大丈夫です。イランよりはるかに楽だと思います。独裁国家ですが、いい独裁国家です。
― カタールには撮影に何回いらしたのですか?
乾:僕は1回ですが、ロケ自体は2回行ってます。1回目の女川町長訪問の際には、僕は行けなくて、カメラマンが同行しました。
― 2回目は、試食品を持って行った時ですね。カタールに向けて、女川の産物を使ってハラール(イスラームの教えに則った)商品を開発されていますが、この動きは、若手の阿部さんたちの発案ですか?
乾:一緒に話している中で、石森さん(マスカーの立役者)のカタールに対して何かしたいという思いもあって、作ってみようということになりました。女川の若手は皆、物事をグローバルに捉えていて、市場としての世界を見つめている中に中東もあります。日本の水産業の世界に向けた発信地の一つになるのではと期待しています。
― カタールに持っていったハラール食品は、実際のところ受け入れられましたか?
乾:試作品は色々あるのですが、持っていったものが、オリーブオイルをベースにした加工品で、和食というよりイタリアンにも使えそうな食材でしたので素直に受け入れられたと思います。今後の課題は、醤油などを使った和テイストのものですね。大変なのは、みりんが使えないので、どう味を変えていくのかが阿部さんたちの課題です。
(注: 醤油は酒を使わないハラールのものを利用できる)
― ペルシア湾岸で、ドバイあたりは湿度が高いと聞いているのですが、カタールはいかがでしたか?
乾:11月に行ったのですが、湿度は高くなかったですね。沙漠で熱いですね。
― カタールは、どんな印象の国ですか?
乾:綺麗な町。若い国ですね。古いスーク(市場)も作り直して、伝統的な建物ですけど、新しくて綺麗です。いいホテルもいっぱいあります。沙漠しかありませんが、沙漠のサファリが楽しめます。
あと、アルジャジーラがカタール政府の出資した衛星テレビ局です。飛行機は、カタール航空で日本から直接行けます。いい航空会社です。
― カタールというと、「ドーハの悲劇」(1993年、ドーハで行われたワールドカップ アジア地区最終予選で、日本はイラクに敗れた)を日本のサッカーファンは思い浮かべますね。この映画を観て、カタールに行きたいという人がいるといいですね。
乾:これを機会に交流が深まるといいですね。
― 先日の完成披露試写会で、阿部淳さんが「5年の節目と言われているけれど、そうは思ってない」とおっしゃっていて、当事者でない者にとっては、震災は過去のことだけど、被災された方々にとっては、今も進行形であることをずっしり感じました。
乾: 一日一日、前に行くしかないと彼らも言っていますね。
― 節目だけでも報道がないと、私たち第三者は思い出さないので、そう意味では報道する必要があるのかなと思います。知り合いの日本にいるイラン人ジャーナリストの方が、日本人は取材でマイクを向けられると、弱音をはかない、元気な姿を見せる傾向にあるけれど、実際には、被災地では賭博に走る人もいるし、自殺も多い、そういうところにもちゃんと目を向けてほしいと嘆いていました。
乾:頑張れない人も、もちろんいるのですけど、前を向いている元気な人たちの姿を見せないで後ろ向きになっても全然前に進めないと思います。もちろん、元気な人たちも、ほんとうは辛い思いをしています。ひとり暮らしの老人問題とか、いろいろと厳しい現実はありますけれど、そこに焦点を当てても先がないという気がします。もう、前に進むしかないですから。
― いつ自分の身にふりかかるかもわからない、被災した人たち自身も、自分たちがこんな目にあうと思ってなかったと思います。そんな中で、前に向かっていくことこそが生き延びるエネルギーだということを感じさせてくれました。
(このインタビューの1週間後には、熊本地震が起こり、まさに、明日は我が身と実感します。)
乾:女川を取材させていただく中で、地方行政の規模をいろいろ考えさせられました。震災前1万人の人口が、今は7千人。須田善明町長は、ほぼ全員の顔と名前が一致しているのではと思います。女川には原発があり、女川を語る上で外せないと考え映画で少し取り上げています。隣の石巻市は周辺を合併して大きくなりましたが、女川は違います。
女川では、町の復興にまい進する若い人と、それを支えているベテランの方、それに町長もいい感じで関わっていて、行政と民間の近さがあります。一般的には町は町、住民は住民と対立構造になることも多いですが、女川はバランスがいい町です。
― これが社会の縮図であればというケースですね。 最後に、女川のPRをお願いします。
乾:女川は風景もいいですし、魚も美味しい。サンマはほんとに旨い。女川に水揚げするサンマにはすごくこだわっていて、いいサンマしかあげさせない。女川ブランドになっています。船は全国から入ってきているのですが、女川のサンマは、ほかより上等だと聞いています。
サンマ祭が、:町起こしとして震災以前から秋に行われています。復幸祭は、震災が起こった3月に行われますので、春と秋に祭があります。
また、「マスカー」は、大成建設が完全オリジナルで一生懸命設計した作りで、将来に語り継ぐことのできる建物です。 是非一度、女川に足を運んでご覧になってください。
お話を伺って、「マスカー」見学と、美味しいサンマをいただきに、女川に行ってみたくなりました。
それが傍観者である私たちにとって、少しでも復興に力添えできることだと思います。
これまで乾監督の作品をみて、とても緻密に、こつこつと積み上げられていく姿勢を感じていました。本作でも、2年以上の歳月をかけて、何度も女川に足を運ばれて地元の方たちとの交流を深めながら、町の復興にまい進する人たちの思いを描かれています。
いつか自分が災害被災の当事者になった時には、この映画を思い出して、立ち直るエネルギーにしたいと思います。
また、女川もカタールも、行政単位として、決断がしやすいサイズなのだということを、乾監督とお話しているうちに感じました。 国づくりも町づくりも、そこに住む人が暮らしやすい形にすることが何よりも大事だと思います。
★3月7日に開かれた完成披露試写会の様子は、スタッフ日記でどうぞ!
http://cinemajournal.seesaa.net/article/434731358.html