7月9日 Bunkamraル・シネマほか全国順次公開
アルゼンチンタンゴの魅力を世界的に広めたマリア・ニエベス(80歳)とフアン・カルロス・コペス(83歳)。14歳と17歳で出会い、時には愛しあい、時には憎しみをもち、50年近くも一緒にタンゴを踊ってきた彼らが歩んだ愛と葛藤の歴史。何度も別れを繰り返しながらも、また手を取り合って踊ってきた二人だったが、今は一緒には踊っていない。
現在の2人の証言や、若いダンサーによる再現ドラマとダンスシーン、時にはディスカッションを通して、官能的で情熱に満ちたタンゴの魅力が映像に描かれる。監督の師であるヴィム・ヴェンダース監督を製作総指揮に迎えて製作された。
『ラスト・タンゴ』公式HP http://last-tango-movie.com/
1968年、ブエノスアイレス生まれ。1991年にドイツに渡り、ミュンヘン テレビ・映画大学で映画を専攻。1993~96年にヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリンのリュミエール』(未/95)に参加。卒業制作の『不在の心象』(未/98)はアドルフ・グリンメ賞にノミネートされ、日本の山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞を受賞したほか、バイエルン映画祭にて若手ドキュメンタリー賞を受賞した。ヴィム・ヴェンダースを製作総指揮に迎えて制作された『ミュージック・クバーナ』(04)はベネチア国際映画祭でワールドプレミア上映され、世界中で公開。ドイツ、アルゼンチン、日本共同製作となった『EL ÚLTIMO APLAUSO』(未/09)は、ミュンヘン国際ドキュメンタリー映画祭でバイエルン州映画映像基金のドキュメンタリー・タレント賞、およびミュンヘン市の新人映画賞を受賞した。現在は一児の父となり、ミュンヘンとブエノスアイレスを行き来する生活をしている。
昨年(2015年)、山形国際ドキュメンタリー映画祭の折に来日したヘルマン・クラル監督にインタビューさせていただきました。
2015年 山形国際ドキュメンタリー映画祭にて 2015・10・14
取材・写真 宮崎 暁美
宮崎 前もってDVDで観ていたのですが、昨日(2015・10・13)の上映で大きな画面で観て、迫力がありすごく良かったです。DVDとは全然違う。映画はやはり大きな画面で観ないとだめですね。
監督 そうですね。
宮崎 アルゼンチンタンゴに対して詳しくないのですが、30年くらい前にアルゼンチンタンゴの舞台を見たことがあります。そして、その迫力にびっくりしました。靴が舞台を蹴る音、服の擦れる音、息づかい、ぶつかり合う音の激しさ、汗が飛び散る様など、ほんとうに激しい動き、振りに驚きました。有名な方とのことだったのですが、もしかしたらこの二人だったのかもしれません。
監督 やはり、映画は大きな画面で観てほしいです。あなたが見た舞台は、この二人だったのかもしれませんね。「タンゴ・アルゼンチーノ」というタイトルの公演でした。二人が日本に来たのは1987年で、コンビを解散したのが1997年です。
宮崎 マリアさんに会ってすぐに撮ろうと思ったそうですが、この二人のドキュメンタリーを撮ろうと思ったきっかけは?
監督 彼女に会ってすぐに「彼女を撮らなくちゃ」と思いました。でも、撮るまでには時間がかかりました。資金を集めたり、準備に時間がかかり、初めて会った時から2年ぐらいたって、やっと撮り始めることができました。ヴィム・ベンダースの協力も大きい。「ミロンガ」(ダンスホール)で初めて彼女を見て声をかけました。
宮崎 マリアさんを撮ろうと思った時、フアンさんも撮ろうと思ったのですか?
監督 最初から、マリアとフアンの物語にしたかった。しかし、マリアがこの物語を語る上でリードしてくれたし、よりオープンにしゃべってくれました。ただ、フアンの部分も必要で重要でした。でもマリアのほうが先に心を開いてくれました。
彼らは、まるで二つの原子爆弾がダンスをしているような感じでした。だから、いつ爆発してもおかしくなかった。一人一人も素晴らしいけど、彼らは二人が一緒に踊ることでパワフルで力もあるし、輝かせることができる。でも、関係がすごく複雑でした。彼らは結婚を解消した後も二人で組んで踊っていましたが、ペアを解散した後、二人で踊るのはまれでした。
フアンが映画に出る条件として示したのは、マリアとは一緒には出ない。写らないでした。
それは編集でどうにでもなるし、二人がその場で一緒に撮影できなくても、編集で一緒にいるようにはなるので、その条件を飲みました。なので、フィルムをカットして繋げる技術を発明した人にありがとうといいたい(笑)。
フアンは、その後、やっぱり映画には出ないといいました。突然、フアンが出ないと言ったので、すごく心配になりました。それでもマリアの撮影を続けました。ほとんどマリアの撮影が終わった頃に、フアンの奥さんが、「私が説得する」と言ってくれました。奥さんが繋いでくれたことはよかったと思います。フアンがいない映画だと、豊かさが欠けてしまうから、その時にはどうしようと思いました。フアンが、「イエス」、「ノー」、「イエス」と言ったこととか、製作中に起きたことなどいろいろあるのですが、「映画の神様はいる」と思いました。頑張れば、神様が映画を観ていてくれて助けてくれる。点だったものを繋いでくれると思いました。道が開けました。
宮崎 他の監督にも「映画の神様がいる」と言われたことがあります。マリアさんのことをずっと撮っていたから神様はきっと見ていてくれたんですよ。一生懸命撮ってきたから見放されなかったのかも(笑)
監督 そうだと思います(笑)。一生懸命やらないと道は開けない。ある程度の能力は必要だけど運がないと映画を作るのは難しい。
宮崎 ファンさんの奥さんが説得してくれてからはフアンさんは協力的だったんですか?
監督 ・・・イエス(笑)。
宮崎 それでも 大変だったんですね(笑)。
監督 不可能かと思うくらい大変でした。
宮崎 素晴らしい作品になっていましたよ。
監督 今となってはうまくいったし、皆がこの映画、良かったよと言ってくれるのも嬉しいし、安心しました。トロントの映画祭で初上映し、山形国際ドキュメンタリー映画祭でもコンペティションに呼んでくれたし、この後、ドイツとアルゼンチンの映画祭にも行くので、すべてうまくいって良かったのですが、10ヶ月前を振り返ると、編集の最中、この映画はできないかもと思いました。こういう経験って、監督やライター、プロデューサーにとって重要なことだったと思います。やはりこういう経験を通して成長しますからね。
宮崎 皆そういう経験をしながら映画を作ってきたんですね。
宮崎 マリアさんが二人の関係性に悩んだ話をしていました。葛藤があったことも出てきますが、最後、「私は拍手に値しないと思っていたけど、拍手に値する。タンゴに生きてきて良かった」と語るところがとても感動的でした。
監督 はい、やはりあのシーンは重要なシーンです。アーティストとして、女性として「自分には価値がある」と自覚をした瞬間でした。そのシーンに心を動かされたということですね。ありがとうございます。そういうコメントをいただけて、とても嬉しいです。
宮崎 彼女ほどの活躍をした人でも、自分はだめな人間かもしれないと思っているなんて、と思いました。復活したシーンだから、よけい観る人に勇気を与えてくれるシーンでした。
あんなに活躍してきた人でもそんな風に思ってしまうなら、一般女性はもっと自信がない。また、アルゼンチンタンゴの厳しさと楽しさなどを世界に伝えてくれる作品だと思います。
監督 皆さんもそういう風に思っていただけると嬉しく思います。
宮崎 昨日は東京でアルゼンチンタンゴを教えているという方が質問していましたが、そういう風にアルゼンチンタンゴを仕事として選んだ人でなくても、タンゴの素晴らしさが伝わってきました。
監督 そうだといいなと思います。
宮崎 ドラマの部分を演じた若い俳優はどのように選んだのですか?
監督 皆さんダンサーです。長い間キャスティングして、ヤングマリア、ヤングフアンを選ぶのに、何百人という人を呼んでオーディションをしました。その中からアジェレン・アルバレス・ミニョ(マリアの青年時代)とフアン・マリシア(フアンの青年時代)のカップル。壮年時代を演じたアレフアンドラ・グティ(マリアの壮年時代)とパブロ・べロン(フアンの壮年時代)の二組を選びました。ベストの4人を選びましたが、ドラマの部分を撮影するのに、うまくいくかどうかは未知でした。撮影初日に青年時代を演じた二人が衣装を着て、メイクをしてステージに立った時、撮影を始める前にモニターを見たら、アジェレンが若いマリアになりきっていたんです。二人で踊っているところも、ほんとに素晴らしくて、この二人のダンサーがいかに素晴らしいかということもわかりました。
宮崎 アルゼンチンで生まれ、ドイツの映画学校に行って、今はドイツにいらっしゃいますが、ベースはドイツですか?
監督 多くの時間ミュンヘンにいます。ドイツではミュンヘンが映画の中心と言われていて、私のプロダクションもそこに置いていますが、アルゼンチン出身というルーツは強く感じています。両親がブエノスアイレスに住んでいるので年に何回か戻っています。
宮崎 映画の途中で挟み込まれるブエノスアイレスの夜景が素晴らしかった。アルゼンチン、ブエノスアイレスへの思いを感じさせてくれました。
監督 私が好きな街です。この登場人物たちが住んでいる街なので入れました。
去年(2015年)、初めて行った山形国際ドキュメンタリー映画祭。宣伝担当の方から行く前に、『ラスト・タンゴ』のヘルマン・クラル監督が山形に来るので取材しませんか?と話をもらったのですが、山形では「ドキュメンタリーに見る現代台湾の光と影」という特集があり、その特集を中心に見る予定だったので(シネマジャーナル95号でレポート)、この作品は前もってDVDで観て行きました。
でも、やっぱり大きい画面で観たいと思い、取材前に600人収容の山形市中央公民館ホールの大きな画面の上映で観ました。大きなホールは満員でした。
DVDだと、暗い画面はつぶれてしまって真っ暗にしか見えないこともあるけど、大きな画面だと暗いところのグラデーションも見ることができるし、大きな画面で迫力ある場面を観ることができる。そして何よりも、一緒に観ている観客たちの反応を見ることができるのが嬉しかった。
そして、この日、市内の中学生たちが学校の課外授業で、この映画を観に来ていたのが驚きでした。「こんなに別れを繰り返しながらも50年もダンスペアを続けていた二人の思いが中学生にわかるのだろうか」なんて思ってしまったけど、杞憂だった。終わったあとのQ&Aでしっかり質問していた。先生たちの粋な計らいを頼もしく思った。(暁)