隔年に開催されるドキュメンタリー映画の祭典、山形国際ドキュメンタリー映画祭。その翌年に東京で行う恒例の「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形 in 東京2016」が9月17日から開催され、市民賞を受賞した『祖国 ― イラク零年』や、小川紳介賞を受賞した『たむろする男たち』など、2015年の作品約60本が上映されています。
ドキュメンタリー・ドリーム・ショー ――山形 in 東京2016HP
K's cinema(東京都新宿区)2016年9月17日[土]-10月7日[金]
スケジュール http://cinematrix.jp/dds2016/schedule.html
その中で、去年(2015年)山形で取材させていただいた『革命まで』の郭達俊監督と江瓊珠監督のインタビュー記事を掲載させていただきます。すでにシネマジャーナル96号に掲載していますが、本誌ではページの関係で省略版を掲載していますので、HPでは全取材分を掲載します。東京では、下記日程で2回上映されますのでぜひご覧になってください。
ドキュメンタリー・ドリーム・ショー ―山形 in 東京2016での『革命まで』の上映日
9月26日 [月]15:00~ 10月05日 [水]13:00~
2013年、民主的な選挙を求めて市民的不服従を呼びかけたベニー・タイ教授への取材から、2014年9月~12月まで3ヶ月に及ぶ道路占拠に至った雨傘革命まで、その過程と占拠現場を丹念に追い、主に7人の活動家たちを中心に記録した3Hに及ぶ作品。
「香港特別区行政長官選挙に親中派のみが立候補できる」という「選挙制度」の通達が、2014年8月に中国共産党から出され、これに反発する人たちが行動を起こした。これは単に選挙の問題だけでなく、香港人としてのアイデンティティを取り戻す闘いでもあった。香港では、言論の自由に弾圧を与えるような、行方不明事件なども起きていて、まだまだ予断は許さない。
(2015年10月 山形国際ドキュメンタリー映画祭で) 宮崎 暁美
編集部 香港の映画でドキュメンタリーはめずらしい。日本ではあまり観たことがなく、香港のドキュメンタリー映画の監督にインタビューするのは初めてです。雨傘革命が起こったのは2014年9月~12月ですが、香港の人たちが、こんなに長期間道路を占拠する行動に出たことに驚きました。1989年の天安門事件の時などにも大きな行動がありましたが、こんなにも大掛かりになっていくとは思っていたのでしょうか。
江瓊珠監督 こんなに大きく長期間になるとは思ってもいませんでした。2013年、香港大学の先生が不服従を今までと違った形で示そうと、セントラル(中環)占拠を提唱したのですが、その時は数日占拠することを想定していました。2013年に提唱された時は、すぐに実行するという意図はなく、それについて伝えていって、参加する人たちを育てていったり、どんな方法がとれるかを話し合っていましたが、いつやろうと話し合っていたわけではないのです。
編集部 2014年8月に、中国から香港の選挙に対する通達が出たので行動が始まったのですか?
郭達俊監督 中国政府に対する不服従というのは政府に圧力をかけるという意味で、普通選挙のことももちろん考えていたのですが、8月に共産党から白書が出て、普通選挙を否定する内容だったということが雨傘革命に繋がっていったのです。
編集部 二人は元々ドキュメンタリーの作家と新聞記者だったということですが、雨傘革命が始まった時から一緒に撮り始めたのですか。
江瓊珠 私は元々記者だったのですが、その後出版の仕事を始め、その後、映像にも興味をもち2004~5年頃、映像を趣味の範囲で始めました。
郭達俊 私はTV局で長い間報道をやっていたのでドキュメンタリーに関わってきましたが、映画全般が好きでした。報道記者でしたから元々社会に対しても関心が高かったのです。1997年の香港返還に関してのドキュメンタリーを撮って、NHKBSで放映されたこともあります。
江瓊珠 こういう映像を撮るというのは社会に対する関心の表れなんですね。私は今まで10年くらい撮ってきているのですが、多くは社会運動に関するテーマです。
編集部 今までも組んでやっていたのでしょうか?
郭達俊 知り合って長いし、元々一緒に映像製作をやっていました。
編集部 これは、最初から作品にしようと思ったのですか? それとも大きな運動になっていったので作品にまとめようと思ったのですか?
江瓊珠 撮り始めた時から、単なる記録ではなく、ストーリーを組み立てようと考えていました。彼ら何人かを選んで映画にできるよう意識して撮っていきました。
編集部 私自身、香港で道路を何ヶ月も占拠するような運動になるとは思わなかったので、びっくりしたのですが、ニュースでしか知らなかったけど、占拠はアドミラリティ(金鐘)、セントラル(中環)、モンコク(旺角)、トンローワン(銅鑼湾)と、広がっていましたが、二人であちこち飛び回って撮っていたのですか? 映画の中では、何ヶ所か出てきていましたね。
郭達俊 そんなに二人で別れてということではなかったです。二人で一緒にやっていました。私たちはもっぱら金鐘を中心に撮影していましたから、ここを中心にしたものにしようと思っていました。私が主に撮影とポストプロダクション、彼女がインタビューを担当しました。
編集部 二人で役割分担だったのですね。
編集は二人以外にも、専門家の人を入れたのですか?
郭達俊 二人だけです。
編集部 いろいろな場所で道路占拠があったのですが、同時多発的にそうなったのですか?
その他の地域にも情報が入ると撮影に行っていたのですか?
郭達俊 中心になっていたのは金鐘でした。そして旺角も重要な場所でした。私たちは主に金鐘にいたのですが、ここにいる人たちから情報を得たり、ネットからも情報を得て、他の場所にも撮りに行こうと考え動いていました。
江瓊珠 普通のニュース記者とは違う方法でやっていたわけですが、現場は混乱していたので、時にはその場で移動したりして、臨機応変に対応していました。
編集部 報道の人以外に、お二人のようにドキュメンタリーを撮っていた人はいたのでしょうか。
郭達俊 香港には、この雨傘革命をテーマにした映画が7,8本あります。ただ、それらは個人を対象にしたものであったり、規模の小さな作品で、私たちのように多くの人を取り上げたものはあまりなくて、比較的個人の心理だとか、ある人がどのようにしたというような内容がほとんどです。
江瓊珠 どれも10~30分の短編で、私たちのように3時間というような長い作品はありません。ただ、聞いたところでは、これから1,2本長いのが出てくるかも知れません。
郭達俊 彼らの作品は、ほとんどが占拠が行われてから撮った作品です。私たちのように中環の占拠の前に撮り始めている人はほとんどいないです。
編集部 香港ではどのように上映されたのですか。
江瓊珠 一番最初に上映した時はNGOが主体になってくれて、お金を集めて上映しました。その時は200人以上の人が来ました。こういう映画ですから、映画館での上映はほとんど行われません。それと、非常に長いということもありますし、香港の習慣に合わない。大学とか、コミュニティでの上映になっています。過去には台湾で上映したことがあります。台湾では8ヶ所で行いました。台湾でもやはり大学とかコミュニティ、カフェなどでの上映が主でした。だいたい人から声をかけてもらって、書店とかでもやったりしています。今は大学での上映が中心です。
編集部 日本と同じような感じだと思いますが、自主上映ですね。
江瓊珠 そうです
郭達俊 商業的な上映は難しいわけですから、後はTV局というのもありますが、長いこともありますし、客観性を求められます。でも、私たちの場合は行動している人たちを主体にした作品ですから、TV局からすれば偏っていると思われ、上映されないです。
編集部 3Hという長さ、記録としてしっかり残しておこうということで、やはり削れないなと思ったのですか。
江瓊珠 そうです。もちろん、私たちの作品はこれだけの時間が必要だったんです。
編集部 素材はどのくらい撮っているのですか?
郭達俊 撮影期間は130日間です。だいたい1日あたり2,3時間の映像を撮っていました。これは決して多いほうではない。私たちは何を撮るべきかというのを明確に持っていましたから。この日はこれだけ撮ろうというような形で進めていたので、やたらに撮っていたということではないのですが、全体として考えれば、撮影素材は多くなりました。
編集部 130日間、毎日行っていたのですか?
郭達俊 いいえ。2013年頃には、毎日何かが起こっているわけではないですし、だいたいイベントが行われるのは週末なんですね。そこに出かけて撮影するというやり方でした。
中環の占拠が始まってからは毎日のようにあるわけですが、それでもそこにずっと張り付いているというわけではなく、時には休養も必要ですし、何かがあれば撮りに行くという風にやっていました。時間がたつにつれ、ここに行けばこういうことが撮れるだろうというというようなことがわかってきました。そういう意味では比較的選んで撮っていました。
編集部 私は1969年頃高校3年生で、べ平連のデモに行ったのですが、そのデモに参加したことが、その後の人生に大きな影響を与えました。その頃、学生運動が盛んでした。そして、その頃も自分たちの納得行く答えは出ませんでした。そして挫折という言葉が使われたりするのですが、私は自分たちに納得のいく答えが出なくても、運動をした意味はあったと思っています。今回の若者たちの行動についても、それはいえるのではないでしょうか。結果が出なくても、行動を起こしたことに意味があると思います。
江瓊珠 大事なのは、「若者たちは立ち上がった」といえることです。そこには希望を感じます。今の若い人たちは、前の世代とは違ったところがあります。前の世代は選挙に立候補などして、政治に関わって加わっていこうという形で、どういう風に実現していくか考えましたが、今の若者たちは政治に参加するのではなく、何か行動を起こそうという形でやるようになってきています。これは前の世代との違いです。
編集部 催涙弾が使われましたが、防御の情報などはどのように?
江瓊珠 2005年に反WTO(世界貿易機関)のデモが行われた時にも催涙弾が使われたことがあり、その時に、事前に韓国から情報を得たりしました。それで、どういう風に防げばいいという情報を持っていました。
郭達俊 中環の占拠という行動に移るまでに時間がありましたから、その間にどんなことが起こるだろうかという予測をたてていて、その時には催涙弾対策なども考えられていた。タオルとかサランラップとか、ごく普通の防御対策はあったのですが、実際に9月28日に催涙弾が使われた時に、多くの人たちはより具体的な防御対策ができるようになりました。
編集部 催涙弾が使われたのはその時だけなんですか?
郭達俊 その時だけです。唐辛子のスプレーは頻繁に使われていましたが…。
編集部 「こんな時に歌なんで歌っている場合じゃない」と言っている男の人がいましたが、その人はなぜ、そのように言っていたのでしょう? 歌は運動の大きな手段だと思うのでなぜ?と思いました。
江瓊珠 私たちも運動の中で、よく歌ったりするので、そこは非常に面白いところだなと思ったのですが、かつて観た大島渚監督の映画の中でも「歌なんて歌っている場合じゃない」と怒るシーンがありました。おそらく、あのシーンで怒っていた彼も同じだと思うのですが、「革命なんだから、もっと厳しくあるべきだ」というような思いだったのではないでしょうか。そこで歌われていた歌も革命歌というよりはポップスに近い歌が歌われていたので、彼にしてみればそぐわないと思ったのでしょう。
編集部 『革命まで』というタイトルの意図は?
郭達俊 若者の中には、今回の行動自体が「革命なんだ」という人たちもいます。普通の社会運動よりは力強く、すでに革命なんだという思いです。ただ、この運動を率いていた人たちは、必ずしも「これは革命だ」とは思っていない。社会運動だと思っている。外国のメディアなどで、「革命」というような書かれ方もしていましたが、そういう風にとらえられると、中国共産党側が危険視する可能性があるわけです。革命というのは政府を転覆させることですから、共産党のほうから圧力がかかって、結果的に運動そのものが失敗に終わってしまう可能性がある。そういう意味では「革命」という言葉を使うことには慎重にしなくてはいけない。中国語のタイトルは『幾乎是,革命』、革命には至らないけど、「まるで革命」といった意味です。
江瓊珠 「まるで革命」じゃ、革命と何が違うんだろうということを皆で考えてほしかった。これは革命なのか、そうでないのか、革命でないとしたら、何が足りなかったのかというようなことを考えてほしいということです。
2015年、初めて行った山形国際ドキュメンタリー映画祭。オープニングの後に、友人たちと入った居酒屋で、偶然隣の席になったのが香港の人たち。それがこの映画のクルーの人たちでした。
北京語で少し会話はしたものの、片言しか話せず、作品のことまで聞くことはできなかったので、これも何かの縁とインタビューさせていただきました。通訳は中国インディペンデント映画祭代表の中山大樹さん。
この夏(2016)、雨傘革命後、初めての香港立法会(議会、定数70)選挙が行われ、親中派が40議席、民主派が30議席、香港独立も選択肢とする自決派は3議席を得たけれど、書店関係者の失踪事件などもあり、「一国二制度」への危機感は大きくなっている。香港の言論の自由は維持できるのだろうか。天安門事件のように押しつぶされないでほしいと願っている。(暁)