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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『十字架』
五十嵐 匠(しょう) 監督インタビュー

五十嵐 匠監督


五十嵐 匠監督 プロフィール
1958年生まれ 青森県出身。
四宮鉄男監督に師事する。『地雷を踏んだらサヨウナラ』『みすゞ』『アダン』『長州ファイブ』『半次郎』などを監督。

ストーリー:中2の秋、フジシュンが自殺した。遺書に親友と書かれた同級生のユウ、誕生日プレゼントを贈られたサユは、フジシュンの思いに戸惑う・・・。
 フジシュンの父親は、手を下したグループはもとより、見て見ぬふりをしていた生徒たちも決して許そうとはしない。それぞれに十字架を背負ったまま、20年の月日が流れた。



(C)重松清/講談社 (C)2015「十字架」製作委員会
★2016年2月6日(土)より有楽町スバル座ほか全国ロードショー

●映画の道に進んだきっかけ

 父が映画好きで、物心つかないうちから映画を観に連れていってくれました。洋画が多くて意味がわからなかったかもしれないんですが、シーンは記憶に残っています。

 8歳の誕生日にもらったプレゼントが「映写機」でした。クランクを回して動かす大きな箱型の外国製のものでした。父は映画音楽のレコードもたくさん集めていて、洋画の主題歌を休みの日によく聞いていました。そんなことなどで刷り込まれたんでしょうか。

 映画誌の「スクリーン」を買うようになった中学生のとき、「映画の部屋」の記事を書いていた水野晴郎(はるお)さんに「映画監督になりたい。どうしたらなれますか?」と手紙を書いたんです。スターの住所録が付録についていて実家の住所あてだったと思います。暫く経ってロンドンブリッジの絵葉書が届き、郵便配達の人が「外国に知り合いがいるのか!」と驚いていました。

 内容を今も覚えていますが「今007の取材に来ています。映画監督になる一番の道は、今の勉強を一生懸命やって、映画をたっぷり観ることにつきます」とありました。そういう道もあるのかな、と思えました。葉書は自分の机の前にずっと貼っていました。田舎の中学生には〝大きかった″です。

 大学も映画を目指したのですが、父は賛成ではなく、「教職を取ること」と条件つきでした。そうすれば、ツブシがきくからということなんでしょう。在学中に8ミリで永山則夫についての映画を作って、ぴあフィルムフェスティバルに応募したら、入賞はしなかったけれど、注目してもらえました。

 卒業してからはTBSテレビの仕事で「兼高かおる世界の旅」などの仕事をしました。この番組は田舎でも見られるので親は自慢できて喜びましたが、やめて映画のほうに来てしまいました。反対した親の気持ちが今はよくわかります。僕も自分の子どもにはさせたくありませんね。


●10本目の監督作

 僕の師匠の四宮鉄男は「劇場用映画を10本撮って初めて監督」と言っていました。この『十字架』がその10本目です。やっと監督と言ってもらえるかな。

 重松清さんの原作は3年前に読みました。僕のこれまでの映画は、深刻で暗いものが多く、この物語もいじめを扱って辛い話ですが最後に青空が見えます。そして登場人物の誰かに「共感できる」ところが重要です。自殺したフジシュン、ユウやサユ、フジシュンの両親、弟、見て見ぬ振りをした級友・・・誰もが持っている思いを「登場人物が代弁」するんです。そこを映画にしたかった。

 重松さんが自殺した子どもの親からお話を聞いたとき「加害者を憎んではいないが、決して許さない」という言葉が印象に残ったそうです。僕もたくさんの事件の記事を読みました。親は、自分の子がどうして死んだのか、死ななければならなかったのか、が知りたいのに、学校側は隠したいんです。

校長が「歴史ある学校の伝統を汚して申し訳ない」と保護者を前に謝るシーンがありますが、それを聞いた保護者が「それは違うだろう。まず死んだ子どもに謝るべきだ」と言います。これは本当にあった事例からひっぱってきた言葉です。


●キャストについて

 サユの木村文乃君、父親の永瀬正敏さんは早くから頭にありました。辛い思いをするセンシティブな人たちが多い中で、小出恵介君のユウはそれほどではない、のほほんとして現代的なところがあります。それが狙いです。深刻になるけれど、忘れっぽいところがあり、何かあると思い出すけれど、また忘れてしまうという大多数の日本人、僕たちと同じです。

 中学生のユウも小出君が演じることについてはいろいろ考えたのです。フジシュンとユウがサッカーをするシーンは、子供のときと同じ2人でいてほしかった。小出君には「中学生になれ」と言って、彼はそれに応えてくれました。

 フジシュン役は劇団出身で、以前演出したテレビ番組「我はゴッホになる」で棟方志巧の息子役をした小柴亮太君です。大きくなりました。いじめ役は、実は高校生でラグビー部の体の大きい子たちです。スタッフが見つけてきてくれました。彼らが小柴君と小出君の間に入ったので、差が目立たなくなったんです。この子たちがフジシュンをいじめたシーンを撮った後、「ごめんね、ごめんね」とフジシュンを抱きしめるんですよ。どっちにも大変なシーンなので、何度も撮り直しにならないように本気でやっていますからね。


●ワークショップ

 たくさん登場する地元の生徒たちは演技経験がないので撮影の前に3ヶ月間、土日に通ってワークショップをしました。始め100人、最後は50人ほどに絞りました。全員に原作を読んで感想文を書いてもらい、全部読みましたので、学校や子どもたちのことをずいぶん知ることができました。

 今のいじめの状況は本当にひどいものです。ハブ(仲間外れにすること)や、最近はスマホのLINE(ライン:グループで話題を共有し会話できる)を使ったいじめがあります。メッセージにすぐ返信しないと責められ、ラインから外される。中にはいじめにあって3度も転校した女の子もいました。知るほどに腹が立つと同時に空しくなります。たった一人でも味方になってくれる友だちがいれば、やっていけたのではないかと思うのですが。

 ワークショップでは、いじめられる子、いじめる子、見ているだけの子などの役割を交代で演じさせます。僕はおおまかな説明をして後は子どもたちに自由にやらせてみるのですが、いじめで転校した子が、いじめ役をしたときに「いじめって楽しかった。みんながはやしてくれて、自分をいじめた子の気持ちがわかった」って言ったんですよ。

 文乃君と小出君がワークショップに参加したとき、いじめられる役になったんです。みんなほんとの中学生たちですからリアルで、初めは受け流していた小出君が本気になるくらいでした。いかに本物の彼らに近づけるかが、私たちのテーマでしたね。みんないつのまにかクラスメートのようになり、終る頃にはすごく成長していました。

 原作と映画のラストは違うものになりましたが、重松さんが映画を観て喜んでくださったのに、ホッとしました。いろいろな年代の方が「共感」し、「苦しみを突き抜けた青空」を感じていただければと思います。



五十嵐匠監督

*  *  *  *

≪取材を終えて≫

 いじめのシーンの撮影が終ると、いじめ役の子たちが「ごめんね」と相手を抱きしめたというのに胸をうたれました。そんなふうに他人の痛みを思いやれたなら、いじめはなくなるのではないでしょうか?

 見ているだけで何もしないのも罪だと気づくと、誰もが様々な「十字架」を背負って生きているのではないかと思えます。どうぞたくさんの方が観てくださいますように。(取材・写真:白石映子)

(C)重松清/講談社 (C)2015「十字架」製作委員会

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