2009年、『ペルシャ猫を誰も知らない』を政府の許可なく撮影後、イランに戻れないでいるバフマン・ゴバディ監督。『サイの季節』が、この7月11日(土)より公開されるのを前に来日されました。
トルコで撮った『サイの季節』は、題材といい、大胆に肌を見せたことといい、決して今のイランでは撮れない作品。2012年、東京フィルメックスのクロージング作品として上映された時にも、2013年、アジアフォーカス・福岡国際映画祭での上映時にも、個別取材の時間まで決まっていたのに、来日叶わず、3度目の正直で10年ぶりにお会いすることができました。
1979年2月、イラン革命成就。クルド人詩人サヘルは、反政府的な詩を書いたとして投獄される。妻のミナは、大佐だった父親が国王派の烙印を押され、夫と共謀した罪で10年の刑となる。執事のアクバルが革命防衛隊に手を回して夫と面会する許可を取ったとミナに伝え、ミナは刑務所内で頭巾を被らされた状態で夫と肌をあわせる。ミナに横恋慕していた執事は途中で夫とすり替わる。やがて双子の赤ちゃんが生まれ、ミナは釈放される。夫は獄中で死んだと知らされ、ミナはトルコで新しい生活を始める。
一方、サヘルは投獄から30年後に釈放され、イスタンブルにいるという妻の行方を探す。サヘルは海辺の町で「詩が父の形見なの」という若い女性と出会う・・・
政治犯として収監された実在のクルド人詩人サデッグ・キャマンガールの体験をもとに描かれた作品。 サヘル役に、革命前イラン映画の大スターで、その後アメリカに在住しているベヘルーズ・ヴォスギー、ミナ役に、イタリアの女優モニカ・ベルッチを起用している。
2012/イラク・トルコ/スコープサイズ/DCP/93 分/カラー/ペルシャ語・トルコ語・英語
提供:新日本映画社、コムストック・グループ
配給・宣伝:エスパース・サロウ
公式サイト:http://rhinoseason-espacesarou.com
★2015年7月11日(土)からシネマート新宿ほか全国順次公開
1969年2月1日、イラクの国境に近い、イランのコルデスターン州バーネに生まれる。 7人兄弟の長男で、12歳までバーネで育ったが、内戦により州都サナンダジへ移住。高校卒業後、1992年、テヘランで写真業界でアーティストとしてのキャリアをスタート。イラン放送大学へ入学するも中退。映画の制作技術を身につけるには、正式なカリキュラムに沿うよりも、粘り強く短編映画を作り続けることだと考え、8ミリフィルムで短篇ドキュメンタリー映画のシリーズを撮りはじめた。短編『Life in a Fog』(99)で評価され、その後、イラン史上初のクルド長編映画『酔っぱらった馬の時間』(00)を製作。2009年、テヘランにおけるアンダーグラウンドのインディーミュージックシーンについてのセミドキュメンタリー映画『ペルシャ猫を誰も知らない』(09)をゲリラ撮影で作り上げる。そのためイランを去らなければならなくなり、現在もなお国外亡命を続けている。
代表作:『酔っぱらった馬の時間』(2000)、『わが故郷の歌』(2002)、『亀も空を飛ぶ』(2004)、『Half Moon(半月)』(2006)、『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009)、『サイの季節』(2012) (『サイの季節』公式サイトより抜粋)
嬉しい再会を果たし、まず、10年前の東京フィルメックスの会場でファンたちと一緒に撮った写真を差し上げると、懐かしそうに眺め、「若かったね」とおっしゃる監督。いえいえ、変わらず、若々しくエネルギッシュな監督です。
― 私が初めてイランを訪れたのが1978年4月で、その直後に革命が起こり、社会が180度変わっていくのを目の当たりにしました。いろいろな人が国にいられなくなったことも見て来ました。
『サイの季節』は、1979年のイラン革命で何が起こったかをストレートに描いていて、政権が変わらない限り、イランに帰れないことを覚悟した上で撮ったのだと感銘を受けました。どんな思いでこの映画を作られたのでしょうか?
監督:この映画を撮る2ヶ月前まで、これを撮るとは思っていませんでした。何かを撮りたいといくつかのアイディアがありました。イランの往年の大スターであるベヘルーズ・ヴォスギーさんに、いつか私の映画に出ていただくと約束していたのですが、ちょうど彼からコンタクトがあったので、彼にふさわしい映画だとこれに決めました。ずっとアメリカに亡命していたベヘルーズの気持ちも、モデルになった詩人の気持ちも、そして自分自身の気持ちも一致して、このテーマで撮ることにしたのです。自分のためでもあり、ベヘルーズのためでもありました。
― 革命前のベヘルーズ・ヴォスギーさんの活躍を知る世代の日本在住のイランの友人は、久しぶりに彼の姿をスクリーンで観ることができて大喜びでした。あまり台詞がなく声が聴けなかったのが残念だと言っていますが、その理由は?
監督:この映画を撮る時、自分が海外にいて間もなくで言葉もわからなくて、自分自身があまりしゃべらなくて、沈黙を感じていました。映画を撮るとき、腰も足も痛くてゆっくりしか動けなくて、あまりしゃべれなかったということもあります。主人公サヘルがずっと刑務所にいる間も沈黙の中にいました。映画自体全体的にグレーなのは監獄の中の冷たさを感じてほしかったからです。
トルコで撮るので、イランから役者を呼んで撮ると問題があると思ったことと、トルコの出資もあって、トルコの有名な俳優2人を使ったことや、モニカを使ったことで、ペルシア語があまり使えないということもありました。ベヘルーズ自身、35年映画に出ていなかったのは、沈黙を保っていたようなもの。ベヘルーズのために企画した映画なので、沈黙が彼に合うと思いました。
― イタリアの大女優モニカ・ベルッチさんのペルシア語の発音がとても綺麗で、ちゃんとイランの女性に見えました。 彼女を起用されたのは?
『ペルシャ猫を誰も知らない』の中で、DVDレンタル屋の青年が「モニカ・ベルッチ最高だね!」という場面もありましたが・・・
監督:最初はイランの女優にお願いしようと思ったのですが、国内にいる女優は無理。海外にいるイランの歌手や女優を探しましたが見つからなくて、撮影の1週間前にモニカに電話しました。モニカのことは役者というより人間性が好きで、いい友達なのですが、すぐ、「行く行く」と返事してくれました。ミナに言わせたい台詞は多かったのですが、モニカの為に減らしました。
ベヘルーズはイランの大スター。それに見合う相手役でなければという理由もあってモニカにお願いしました。現場でも、モニカはすごく協力してくれました。
― 詩人サヘルのモデルになったサデッグ・キャマンガールは動物をモチーフにした詩を多く詠んでいるとのことですが、映画自体がとても詩的でした。サイが走り、亀が落ちる姿は何を象徴しているのでしょうか? お会いしたら、ぜひお聴きしたいと、ずっと思っていました。
監督:サーデク・キャマンガールは詩の中で水や動物をたくさん詠んでいます。自分も動物が好き。動物はただ存在しているだけでなく、動物と人間はすごく繋がりがあります。人間の性格の中に動物と一致するものがあると信じています。それぞれの動物は、もちろん意味があって映画に使っていて、主人公の気持ちと一致するところで出てきます。映画を作るとき、詩を詠むように作りました。詩はひとりひとり感じ方が違います。シンボルになっている動物のイメージとして、サイや亀などのシーンは、後から思い出して、あれはなんだったのだろうと考えて貰えるといいなと思いました。
― まさに一編の詩を映像で見せたような映画でした。
監督:映画を作る時、物語を語るのでなく、詩を語りたかったのです。もう一度、この映画を作ってくださいと言われたら、物語はもっともっと薄くなると思います。この映画を撮る時、最初は60ページ強の脚本があったのですが、撮影に入ったら脚本はいらないと思いました。幸いスポンサーがついていて、自分はお金の回収など考えるプレッシャーがなくて、たっぷり時間を使って映画のイメージ作りに力を注ぐことができました。
― 今どちらにいらっしゃるのですか?
監督:これまでイスタンブルとエルビル(イラク北部クルディスタン)を行き来していました。イラクの北部クルディスタンでいろいろできるかなと思っていました。夢や目的はテレビ局や出版社を作ったり、若い映画人を育てたりということでした。何かしようとすると、皆、「戦争が終わってからね」と言われてしまって、結局何もできません。イラク北部の難民キャンプで子どもたちのための映画のワークショップも開いたりはしているのですが、実際、何もできない状態です。
― 今後どんな映画を作ろうとしているのでしょうか?
監督:これからニューヨークにいきます。おそらく英語の映画になりますが、アメリカにいるクルドのことを2~3本撮れればと思っています。3~5年はアメリカにいることになると思います。
― アメリカでロクサーナ・サベリさん(日系アメリカ人とイラン系アメリカ人の家系の出身のジャーナリスト)のサポートはあるのでしょうか?
監督:もちろんです。いい友達です。
― もし今の体制が変わったら、まっすぐイランに帰りますか?
監督:今も問題ないですよ。イランに帰ったら昔の仕事はしたくない。映画は撮りません。お母さんに会いに2~3週間後にイランに帰るつもりです。問題があったら喧嘩してくるから大丈夫!
もう時間切れなのに、テヘランで13年程前に偶然知り合ったイラン国営放送局に勤める日本女性の消息を知らないかと尋ねる監督。10年前の来日時、これから日本女性にご馳走したいので両替できるところはないかと聞かれたのを思い出しました。ほんとに交流がお好き!
まず、ペルシア語専攻准教授 佐々木あや乃さんより、東日本で唯一ペルシア語専攻のある大学で、ぜひペルシア語専攻の学生と交流してみたいという、監督たってのご希望でトークイベントが実現したことが紹介されました。
予告編と映画の冒頭映像のあと、ゴバディ監督と通訳のショーレ・ゴルパリアンさん、そして対談相手のジャーナリスト大村一朗氏が登壇。
司会のエスパース・サロウ甲斐秀幸氏より代表質問:
10年ぶりに来日されましたが、久々の日本はいかがですか?
監督:10年と聞いて、自分もびっくり。10年来なかったけれど、各地の映画祭で日本人に会っていますし、10年前がつい昨日のようのことに思えます。日本の印象は変わらないです。自分の事務所に日本人女性が3年ほど勤めていて、手の動きを見て、いつも日本を思い出していました。西洋人よりも日本人のほうが自分に近いと感じます。
都内から電車で移動してきたのですが、電車の中で日本人と会話してきました。「イラン人と日本人、どちらと一緒に過ごしたい?」と聞かれたら、「日本人!」と答えます。(通訳のショーレ・ゴルパリアンさんは、「イラン人の私はえ~っと、ちょっと怒っているのですが」と言葉を添えられました。)
電車の中で日本人の表情を見ていて、日本で3か月くらい滞在して写真を撮って、笑っているところ、怒っているところなどクルド人と比較した写真集を出してみたいなと思いました。
ところで、この会場でペルシア語のわかる方は?
*手を挙げた人は10人もいなかった模様。(私も半分だけ手を挙げました・・・)
佐々木あや乃先生より、1年生にはまだ無理との説明。
また、前から2列目にずらっと陣取っていたクルドの方たちは、トルコ系のクルド人でペルシア語はわからないとのことでした。
司会: 来日された監督と一緒に過ごして、ほんとに日本が好きなのだな、日本人に似ているところがあるなと思いました。 ここからは、かつてイラン国営放送に勤務されたことのあるジャーナリスト大村一朗氏と、映画の内容に踏み込んだお話をお願いします。
大村:監督を前に緊張しています。『サイの季節』を観て、衝撃的な作品というのが第一印象です。イランの方が観たら、私以上に衝撃を受けるのではと思いました。
イランに8年ほどいて、テレビや映画を見て来ましたが、この映画の中には反政府的な表現とか、女性の裸体とかいう以上に、人間の欲望が生々しく表現されているのでイランでは憚れるものではないかと思いました。そして、イラン映画の範疇を超えた作品だと思いました。トルコというイラン政府の検閲の届かないところで撮られたからこそと。もうイランには帰るつもりはないという覚悟かと思いました。
監督:自分はナショナリストではありません。でも、今日はクルドの監督として話したい。クルドの映画は寂しい状況にあります。あまりいい表現ではないかもしれませんが、イランでつらかった時期を思い出すと、私はイラン人じゃないとたまに自分で思うことがあります。クルド人はいろいろなプレッシャーを感じながら生活してきました。クルド語で映画を作ったのは自分が初めてです。これからも、外国で映画を作る時にも、できるだけクルド語で作ろうと思います。もうイランに帰って映画を撮るつもりは全くありません。もう、まっすぐ行くしかない。それは、大変な苦労をした思い出が残っているからかもしれません。この映画は自分が死んでしまわないために撮りました。自分の中にあった膿を出して治癒したといえます。
大村:もうイランに戻って映画を撮るつもりはないとおっしゃったのですが、今のゴバディ監督の気持ちを映画に投影されたのかなと感じました。
監督:とてもパーソナル的な映画といえます。イランには母や兄弟も住んでいますので、帰ることはあると思います。イランで映画を撮るつもりはないと言ったのは、映画のスタイルが変わったからです。クルド人として、もっとクルドの映画を作りたいと思っています。
『サイの季節』の主人公の詩人サヘルには、モデルになった詩人、35年アメリカにいてイランに帰っていない俳優のベヘルーズ、そして監督である私自身の3人の気持ちが反映されています。撮影に入る前、60%位の脚本を書いていました。でも、カメラをペンの代わりにして、映画で詩を描きたいと思ったので、脚本はいらないと思いました。
司会:これまでの作品のタイトルにも、『酔っぱらった馬の時間』『亀も空を飛ぶ』『ペルシャ猫を誰も知らない』など、必ず生き物の名前が入っています。日本で公開する時、配給会社のほうでわかりやすいタイトルに変えることも多いのですが、ゴバディ監督の映画は原題の直訳でいけます。題名に込めた思いを強く感じます。
監督:映画は自分の子ども。クルドの子どもです。クルドの子どもは名前を変えることはできません。実は、人間より動物のほうが好き。今、人間はデジタルの世界に入ってしまって、集まっていてもスマホに見入って人と話そうとしません。動物はコミュニケーションを取ろうとします。ほんとは動物を主役に撮りたいのですが、予算が必要なので、なかなか撮れません。でも、次の作品のタイトルも『ハグ・ザ・ドッグ(Hug The Dog)』と、動物(犬)を入れたタイトルに決めています。
印象的な題を付けるのには、もう一つ理由があります。生まれる前に親が子どもを決めるように、映画を作る前にタイトルを決めるのですが、ユニークな名前にすれば、自分の子どもが目立つのではと。たくさんの映画がつくられている中で、覚えて貰えるのではと思うのです。
映画の中ではシンボルとして動物を使ったり、役の中に動物のイメージを入れ込んだりしています。でも、意味を尋ねられてもあまり答えません。映画を観た後も、あれはなんだったのだろうと思い出して考えて貰えれば嬉しい。
ペルシア語専攻の学生さんたちのために、ゆっくりしゃべっています。疲れたらおっしゃってください。クルドの歌を歌ってあげましょう。クルドの方たちもいるので踊りも踊れますよ。
ところで、13年ほど前のことなのですが、ある日、テヘランでタクシーに乗ったら、先に日本人女性が座っていて、男性が乗り込んできたので避ける感じにしました。僕はクルド人で映画監督だから大丈夫といって、電話番号を渡して、その後、数回会いました。衛星放送のアンテナが壊れたというので、直せる人を紹介したりしました。その後、連絡が途絶えてしまって、どうしているかなと。国営放送に勤めている人でしたが、ご存じないですか? (今朝のインタビューの折に、尋ねられた件でした!)
大村:入れ替わりのある職場なので、どうでしょう・・・ 私は元々学生としてイランに留学していて、学生寮ではクルド人学生と仲良くなりました。クルド地区を旅行した時には、たまたま知り合った人に結婚式に招いてもらって、一緒に踊ったりしました。テヘランで八百屋さんに行くと、クルド人ということが多かったのですが、あれはなぜだったのでしょう?
監督:抑圧されているのか、スンニ派だからほかの仕事ができないからなのか・・・
八百屋が悪い仕事というわけではないのですが、300年前から、重要なポジションにはクルド人を入れない習慣があります。クルド人の多い州の州知事もクルド人でなく、ほかの地域から来るクルド人以外の人だったりします。役人のいいポジションにクルド人がいればもっと差別を受けずにスムーズにいくのかなと思います。
テレフォンタクシーの事務所や運転手は、乗ってくる人からいろいろ情報が入るからクルド人はダメということがあったりします。
クルディスタン州は、新鮮な野菜や果物が取れるので、八百屋が多いということもあるのかなと思います。
普通のイランの人たちは、クルドは真の男だとか、イランを守ってくれているとか、親切だとか、クルド人を尊敬して信用してくれています。
でも、なにかと制約があって、映画もクルド語で作ったらいけないという風潮があります。
1作目と2作目はクルド語で撮ったけど、3作目を撮り終える頃に、ペルシア語にしろといわれました。アフマディネジャード大統領の時代なのですが、クルド語で撮ったものを今さらペルシア語にできません。でもイランはまだ良いほうで、イラクやトルコ、さらにシリアでは、クルド人はもっと悪い状況に置かれています。
イランではロルやアゼリーなどの民族は、自分たちの言葉で映画を作っても文句を言われないのに、クルドとバルーチーは、スンニ派だからか、ダメと言われてしまうのかなと思います。
大村:詩人が主人公で、詩が重要なモチーフになっています。妻は夫の残した詩を人々の背中に刺青として彫る仕事をしています。イランでは詩と書道が芸術としてあるのは知っているのですが、刺青として彫るということ、さらに掘ること自体に意味を持たせていることに驚きました。
監督:海外に行こうとしてイスタンブルでビザを取ろうという人たちが多く滞在しています。でもなかなかビザが取れない人も多いのです。長年滞在しているイラン人女性が、詩をタトゥーにしているのを知りました。彼女の手を映画の中でも映しています。
映画はイメージ。大きなスクリーンで観てほしい。詩をカメラで語ろうと思いました。沈黙とサウンドとイメージが大事。物語や台詞になるべく気を取られないように、一つ一つのフレームの中の絵が綺麗に納まるように描きました。モニカもベヘルーズも私の気持ちをわかってくれて、2~3時間でも私が自分の気持ちをイメージとして撮れるまで待ってくれました。
ここでお願いしたいのは、私たちが作っているインディペンデント映画は、皆さんのサポートがものすごく必要だということです。今回のように配給してくださる会社がいなければ、観て貰うこともできません。小さな配給会社がものすごく頑張ってくださって、ほんとうに感謝しています。
大村:難民キャンプで、子どもたちに映画のワークショップを開いているとのことですが、映画を撮る際には、すべて子どもたちに任せているのですか?
監督:子どもたちのワークショップには、僕の映画の助監督などがアドバイザーとして参加しています。どのテレビも見せたことのないような映像を、子どもたちがカメラで捉えたものを観ることができます。中には素晴らしい才能を持った子がいて、将来、有能な監督になる可能性もあります。100人以上集まったのですが、20台のカメラしかなくて、それ以上は用意できなかったのが残念です。 ちゃんとした食べ物もないし、学校にもいけないし、本もないような環境にいる子どもたちが思いがけない作品を作ってくれました。
*ゴバディ監督が難民キャンプでクルドの子どもたちに映画のワークショップを開いている様子と共に、子どもたちの作った映画がテレビ放映されました。
東京外国語大学でのトークや、東京滞在中の監督の姿も映し出されました。
NHK BS1スペシャル
「僕ら難民キャンプが撮影所~過激派組織ISに追われた子どもたち、映画を撮る~」
2015年6月20日(土)午後7時~8時50分
― クルドの人たちは人口も多いし、独自の言語も持っているのに、なぜ独立した国を持てないのでしょうか?
監督:シリア、イラク、トルコのクルド地域にも行き、95%のクルド人が独立を求めているけど、映画監督である私にとって国は特にいらない。国境は意味がない。独立を求めている人たちも正しいでしょう。それぞれの国で、虐げられていて、声をあげる権利はあるでしょう。
― クルドの詩と音楽の特徴は? もしよければ監督自身が披露していただけますか?
監督:クルドの踊りは地面に叩きつけるもの。ずっと移動しなくてはいけないから足を丈夫にしないといけないのです。クルド人は何か悲しいことがあれば声をあげて歌ってまぎらします。ほとんどの詩は悲しみを歌ったものです。でも、音楽はリズム感があって、元気なものです。今、歌えといわれても、ちょっと歌えないのですが、お金を貰えば・・・
という監督に対し、前列に座っていたクルド女性が代わりに歌を披露。哀愁のある美しい歌声にうっとりでした。
監督も、この場で歌うことはできないけれど、今作っているドキュメンタリー映画の中で自分が作った歌を歌っているものがスマホに入っているのでと、聴かせてくださいました。
いずれも、ISIS(イスラム国)に包囲されたシリア北部のクルドの町コバニを歌ったもの。
― 監督が映画を作る際に大事にされていることは何ですか?
監督:17歳の時、親が離婚して父がいなくなって、長男だったので家族の面倒をみないといけなくてバイトをしました。お父さんにレスリングをやれと言われて、いやだったけど父から逃れるためにレスリングの道場に行ったら、隣に写真屋があって、現像してみる?と言われて、やってみました。写真家と写真を撮りにいって、自分で現像したら、結構よくて褒められて、写真の道に進もうと思って、カメラの本を買いにいったら、隣にあったアニメーション映画の本が目に入りました。それを買ってアニメーションを作って映画祭のコンペティションに応募したら賞金を貰えて、お母さんにあげたら、それはいい仕事と。それ以来、映画を作って、賞金はすべてお母さんにあげています。
今、映画を何故作るかというと、皆と会話するために作っているといえます。皆が知らない話を映画にして、それをもとに話をしたいのです。
これまで時間を無駄にしたなと思うので、これからは毎年1本のペースで作りたいと思っています。今、6作アイディアがあります。
― (ペルシア語専攻の学生さんからペルシア語で質問) クルド語も勉強しているのですが、まだ文法しか習ってないので、ペルシア語で質問します。クルド人であることと、クルド語とペルシア語との関係は?
監督:どれくらい大変かというと、日本人に日本語をしゃべってはいけない、中国語をしゃべれというような感じ。クルド人なのでクルド語をしゃべりたい。別の言葉をしゃべる時には自分じゃないような気がします。ペルシア語やアラビア語やトルコ語で話したくはないのです。私は言葉がないとナショナリティはないと信じています。
(学生さんに)ペルシア語が上手ですね。クルド語も頑張ってください。
― (クルドの男性からクルド語で質問。その後、自身で日本語に)
クルドの独立のために映画を作ってくださっていると思うのですが、国境はいらないとおっしゃっています。今、国境がないから困っているのです。クルドの独立した国があれば、クルドの映画もできると思います。
監督:私は映画監督なので、思いを映画にします。独立するために動いている人たちがいますが、自分の目的は違う。世界は一つの村。クルドは大変な状況の中にいて国境が欲しいというけれど、グローバル的に考えると国境のない世界を目指さないといけないと思います。地理を考えたら、壁ができる。国境は嫌いです。映画で国境はけなしています。馬にひょいとまたがせたり、おしっこをかけたりしています。
私は国境を越えて、イスタンブルにいたり、イラクのクルディスタンにいたりします。
なぜイスタンブルにいるかといえば、500万人ものクルド人がいるからです。イランのクルディスタンでは素晴らしい監督が何人か生まれています。トルコのクルド地区でもいい監督を育てたいと思っています。トルコでいいクルドの映画を作りたいという夢があります。そして、私の兄弟はイラクのクルディスタンで映画を作っています。独立にこだわってしまったら、自分のやりたいことはできないと思っています。
― 監督の映画は、冬のイメージと、親を亡くした子どもたちと国境ですね。
監督: 冬が好き。バフマン月(冬の月)に生まれましたので。
なぜ子ども?というと、私自身、子ども時代がありませんでした。気が付いたら18歳でした。子ども時代を取り戻したい思いがあるのかもしれません。子どもの心を持てば、大変な人生を乗り越えることができるのではと。クルドの子どもたちは生まれた時から大人のような思いで生きなければなりません。
クルディスタンは山が魅力。素晴らしい景色の中で悲惨な状況を説明するのは難しいので、雪の中で描けば子どもたちが目立つのではないかと思います。
予定を大幅に超えて、トークは終了。
最後にフォトセッションのはずが、あっというまに会場のクルドの人たちが監督を取り囲みました。
この後も、会場に詰めかけた人たちとの交流が続きました。
ファンと接することができて、監督、ほんとに嬉しそうでした。