1月24日(土)より公開が始まったのにあわせて来日したロウ・イエ監督に、3誌合同でお話を伺う機会をいただきました。
中国湖北省の省都、武漢。
ある雨の降りしきる日、崖下の道路で若い女性が若者たちの乗った車にはねられて亡くなる。
その一部始終を見ていた浮浪者がいた・・・
ルー・ジエは、優しい夫と可愛い娘に恵まれ、幸せに暮らしている。
ある日、娘アンアンと同じ幼稚園の男児ユイハンの母親サン・チーから、「夫に愛人がいるみたいなの」と打ち明けられる。窓の外に目をやると、夫ヨンチャオが若い女性とホテルから出てきて、キスしている。
青天の霹靂。ルー・ジエが夫の携帯を調べてみると、出会い系サイトの履歴。複数の女性とデートしているのを知る。
ある日、夫の後を追う。向かった先はサン・チーの家だった。ただの浮気相手だったサン・チーが男の子を産み、ヨンチャオの母親にも公認の家族になっていたのを知るルー・ジエ。
一方、雨の日に車にはねられて亡くなった女性の身元が判明する。女子大生シャオミン。検死結果、頭部に事故の前に打撃を受けた跡があることがわかり、ドン刑事は単なる交通事故ではなく、事件ではないかと疑う。携帯履歴から、事故の前に会っていたのがルー・ジエの夫ヨンチャオだと割り出す・・・
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★2015年1月24日(土)より、新宿K’s cinema、渋谷アップリンクほか全国順次公開
― 中国で5年間の撮影禁止を経ての作品ですが、この5年の間に影響を受けたことは?
監督:5年の間に2つの作品を撮りました。『スプリング・フィーバー』は、初めてデジタルのホームビデオで撮ったものです。『パリ、ただよう花』は、初めての外国語映画です。この二つの映画の経験が今回の映画に生きていると思います。
― 5年前の『スプリング・フィーバー』 公開の折には楽しいお話が聴けて嬉しかったです。
(インタビュー記事を掲載したシネマジャーナル80号をお渡しする。)
監督:5年間も来ていないのですね。
― 5年前にチン・ハオさんにもお会いして、物静かで普通に良い人という印象でファンになりました。『ブラインド・マッサージ』をアジアフォーカスで拝見しましたが、チン・ハオさんはほんとに盲目の人に見えました。『二重生活』では、一見、妻思いの優しい男性なのに、実はもう一つの家族がある上に、浮気もしているという男性を、自然体で演じていらっしゃいました。映画を観たある友人は、いかにもそんなことをするような男に見えないチン・ハオさんをヨンチャオ役にしていると言っています。でも、私はいかにも「私は複数の女性と関係を持ってます」というぎらぎらした顔をした男だけが浮気者じゃない。しら~っと「あなただけを愛してる」と相手の女性に思わせ、世間にも誠実に思われている男が案外複数の女性と上手くやっていたりするものと思っています。監督から役作りについてチン・ハオさんにどのようにお願いしたのでしょうか? また、チン・ハオさん自身、演技者として、どんなタイプの方なのでしょうか? 撮影にあたっては積極的に意見をいう方ですか?
監督:この話を彼に持っていったら、最初乗り気じゃなかった。こういう役をやったら悪い男のイメージがつくと尻込みしていました。私から、「この役柄が好きか嫌いかは問題じゃない。君の今の道徳観でこの人物を判断しちゃいけない。それなりの苦悩があってやむなくやっていることもあるのだから、そのことを彼の立場になって考えてほしい」と伝えました。クランク・イン前の俳優会議でも、皆に「その行為が良いか悪いかは関係なく、自分たちの道徳観で判断しちゃいけない。その人物になりきってやるべきだ」と言いました。
― それで、チン・ハオさんも納得されたのですね。
監督:とても彼は役作りをしっかりやってくれました。ルー・ジエと接する時と、サン・チーと接する時、それぞれ違った雰囲気を出して演じてくれました。チン・ハオは今の中国社会におけるミドル階級を非常に上手く演じきったと思いました。
― チン・ハオの役は、階級が高いと思ったのですが、ミドル階級なのですね。
監督:中国のミドル階級は、今、あんな感じです。家も車もあって結婚して、会社も経営してお金に全然不自由していない。これが普通の現状です。ただし精神的には80年末の動乱を経験している人たちなので、世の中を冷めた目で見ている傾向があります。彼らが最も目を向けているのは、お金。自分たちの生活環境、ライフスタイルをより良くしていくことに興味があります。その中でも、困惑していることもあります。
― 冷めた目でみながら、精神的に何か求めているということでしょうか?
監督:そうなのです。ほんとは自分が何を求めているのかわからないのが、ヨンチャオです。
― 逆に女性のキャラクターですが、ルー・ジエとサン・チーという二人の女性を通して、愛情深さや独占欲、復讐心などが描かれています。監督が女性を描く上でこだわった点はどのようなものでしょうか?
監督:ルー・ジエはヨンチャオと大学の同級生で出来る女。キャリア・ウーマンです。自分たちの会社を起こし、成功し、結婚して子どもが出来て退いて、経営は夫に任せています。このような女性は、今の中国でルー・ジエと同じ年代に割と多いです。サン・チーは貧しい境遇。武漢の中でも貧しい人たちの住む地域に家があります。心の問題からみると、ルー・ジエは愛に疲れている感じです。サン・チーは一人の男を独占したいのにできないでいるので、愛に情熱を感じている存在です。このような女性像は、中国で普遍的にみられる状況です。ただ、二人に共通していえるのは、行動を起こしたということ。やりたいことをやってしまったということです。
撮影前のスタッフ会議で言ったのは、この人物たち誰もが必死に自分を守ろうとしているということ。自分を守るというのは正当な行為です。なのですが、それが他人を犠牲にしていく。無実の人を死に追いやったりしています。他人の犠牲のもとに自分を守ろうとした結末として、この物語ができたと話しました。
―サン・チーが未婚で息子を産んでいて婚外子ですが、中国の「婚姻法」25条に「婚外子は婚内子と同等な権利があり、加害および差別を禁止するとあるのを知りました。一人っ子政策の一方で、この婚姻法の条項に驚きました。こんな法律があるのであれば、女の子が生まれた場合、夫は外で息子を作りかねないと思いました。そのような状況が多いとプレス資料にも書いてありましたが、実際どうなのでしょうか?
監督:状況の違いで様々な解決方法があると思います。ヨンチャオが男の子を産んだサン・チーと二重の家庭を持ったのは偶然の結果です。ヨンチャオは母親第一のマザコンタイプの男なので、母親が男の子を認めたので受け入れたのです。サン・チーとヨンチャオの間にも愛情は存在します。でも、ルー・ジエにも愛を感じていて、同級生だった彼女との家庭も守りたい気持ちもあります。中国のミドル階級には、比較的こういう男性は多いのではないでしょうか。過去にどんなことがあったとしても、なんとか両方の女性を守っていきたいのです。まぁ、中国では歴史上、延々と続けてきたのではないかと思います。男は変わらないですね。
― (一同) 日本も同じ!(笑)
監督:そういうことがあるからこそ、文学でも映画でもたびたび愛と憎しみの物語が語られてきました。そういう行為は、道徳観から外れてしまえば、別の人を好きになるというのは自然なことだと思います。それを今の中国の社会に置いた時に、憎悪が生じたり暴力が生じたりして、映画の物語が始まります。これはそのような映画です。
― 今回舞台になっているのが内陸の武漢です。武漢を舞台に映画を撮った意味をお聞かせください。ジャ・ジャンクー監督も『罪の手ざわり』で内陸を舞台にしていて、最近、内陸部が舞台になることが多いと感じています。
監督:最近、武漢もそうですが、いくつかの都市、重慶や東北地方で撮ることが多いのは、都市の現状と関係があると思います。僕なりの個人的な意味合いもあります。2005年に『天安門、恋人たち』を一部武漢で撮っているのですが、とてもいい町だなと思いました。
― 作品の中でベートーヴェンの「喜びの歌」が何度か入っていますが、どのような思いで使われたのでしょうか?
監督:映画のファーストショットから「喜びの歌」です。中国社会を表現するのにふさわしい曲だと思い選びました。今の中国は情熱あり、富もあり、喜びに溢れていて、楽観的に見られているけれど、その下には暗い闇があります。この映画は喜びの歌の裏に秘められた闇を描いています。まさに今の中国の社会が重なっています。中国語の意味は「輝かしい光の下に私たちは暮らしている」という歌詞です。
― 成功している家庭ではなくサン・チーの家で流れているのは皮肉?
監督:そうでしたね。「喜びの歌」は3回使っています。出だしにまず出てきて、カットが変わって交通事故の場面です。2回目はサン・チーの家で子どもが弾いています。そこからルー・ジエの家に帰ってベッドでルー・ジエと寝て、ヨンチャオは「愛してる」と言いますが偽りの言葉です。3つ目は殺人も含めてすべてが終って幼稚園の保護者会の場面で外には輝かしい太陽の光が溢れています。そこで「喜びの歌」が流れ、次の場面で亡くなったシャオミンのお母さんが紙のお金を燃やしています。光と闇が対照的に描かれています。より高らかに歌えば歌うほど闇は深い。社会の状況も個人の状況も、人間というのはそういうものではないかと思います。
― 音楽を今回もイランのペイマン・ヤズダニアンさんに依頼されています。前回のインタビューの折に、あらすじを伝えただけで、絵も撮ったものも見せずにお願いされたと伺いました。そのスタイルはその後も変わらないのでしょうか? それなのに、ぴったりの雰囲気の音楽が流れていて、フィーリングがあうのだと思いました。 ヤズダニアンさんは完成した映画を観て、どのようにおっしゃっていましたか?
監督:今回も撮影が始まると同時くらいにあらすじを送ったら、サンプルの曲をいくつか作って送ってくれました。今回は、アイスランドのジョナサン(正式には、ヨハン・ヨハンソンJohann Johannsson)の曲も使っています。二人の曲を両方あわせて使っています。とてもいい感じになったと思います。映画はもちろん観てくれて、ジョナサンの曲も入っているので、ちょっと不服だったみたいです。金馬奨で二人で最優秀音楽賞を受賞しました。結局は映画を好きだと言ってくれました。ペイマンにとって金馬奨の音楽賞は『スプリング・フィーバー』に続いて2回目ですからいいのではと。ジョナサンともいいコラボレーションができたので、『ブラインド・マッサージ』ではジョナサンを使いました。ペイマンとはちょっと休憩を入れようと。すでに4本一緒にやりましたので。
― 冒頭のシーンから惹きつけられ、これはミステリーなのだなと。時間軸が、間に場面の切り替えがありました。時間軸通りだと、また違った印象になったと思います。ミステリーの要素を入れた意図は?
監督:時間軸でいうと、出だしで物語が終っています。物語を語る上でミステリータッチにはなっているけれど、いわゆるミステリーの語り口では現代の中国社会を描くにはふさわしくない。普通のミステリーでは明確な加害者が出てくる。これはそうではありません。時間軸をずらしながらフラッシュバックを使って、普通のミステリーと違う形にしています。最初のシーンで物語は終っていますが、時間軸をずらして語っています。映画のエンディングでは、まだ物語が始まっていないといえます。これから始まるという形です。
― その後のヨンチャオたちの人生が気になります。今日はどうもありがとうございました。
監督:アリガトー (日本語で)
実は衝撃の冒頭の殺人場面を覚えていなくて、そうだったのか~と納得しました。もう一度、観なくては! 取材を終えて、アップリンクの1階に降りたら、大勢の人。『二重生活』の上映を待つ人たちでした。24日から26日までの4日間、ロウ・イエ監督は数多くのトークイベントや、舞台挨拶をこなされました。 監督のお話を直接聴けたファンは大喜びだったでしょう。私も、やんちゃ坊主のような監督に再会できて嬉しいひと時でした。 (咲)
いろいろなシチュエーションがバラバラと出てきて、途中まで話が見えないのですが、ある場面を押さえれば話が見えてきます。私はその場面を「?」と思ったまま見ていたので、かなり後まで話が見えず状態でした。ということで、ロウ・イエ監督の最新作は、ミステリータッチの物語です。
今までの作品からみると、映画作りを楽しんでいるようにも見えます。
フィルメックスなどで、何度か監督を見てはいたのですが、取材は初めてでした。(暁)