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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『国際市場で逢いましょう』
ユン・ジェギュン監督インタビュー

〈ユン・ジェギュン監督プロフィール〉

1969年釜山生まれ。高麗大学経済学科卒。広告会社でコピーライターとして活躍。シナリオコンクールで大賞を受賞後、映画界へ転進。脚本、監督、制作に携わる。2009年の『TSUNAMI-ツナミ-』(監督・脚本・制作)では韓国映画歴代9位の動員数を記録、本作で1,410万人を超え韓国歴代2位となった。



(C)2014CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.

〈ストーリー〉

釜山の国際市場で食料品店を営むドクス(ファン・ジョンミン)は移転の話に応じず、周りから頑固者と見られている。同世代の多くの男がそうだったように、朝鮮戦争以後の激動の時代を体験して来た。西ドイツの炭鉱へ出稼ぎに行き、民間の技術者としてベトナム戦争に参加して危険な目にも逢った。それでも家族のために、いつも笑顔で必死に生き抜いてきた。生き別れになる直前に父がドクスに頼んだ「長男として家族を守る」という約束を忘れずに。



―ドクスは監督のお父さんがモデルですか?

 そうです。私が大学2年のときにガンで亡くなりました。父は生涯家族のために働き続け、自分のためにお金を使うのをみたことがありません。定年を迎えてから株に投資して、家族のために良かれとしたことですが、失敗してしまいました。「何も遺してやれず申し訳ない」が私への最後の言葉でした、当時まだ若かった僕は、事情はわかっていましたが恨めしい気持ちもありまして、最後に「お疲れ様、ありがとう」と言ってあげられませんでした。
自分が父親になって、やっと父の気持ちがわかるようになりました。ありがとうと言えなかったことが申し訳なくて、父に感謝する作品を作りたいと思っていました。
ただ当時は資金がありませんでした。100億ウォンを越える資金が必要で、とても作れませんでした。2009年に『TSUNAMI-ツナミ‐』が成功して、やっと条件が整ったので作り始めたわけです。

―東方神起のユノ(ユンホ)さん自身の暖かさ、包容力を感じました。監督はそういうものを引き出そうとされたのでしょうか?

 ユノが演じたナム・ジンは、いわば70年代の東方神起のようなトップスターです。キャスティングの条件は、まず①ハンサムなトップ歌手であること。②全羅道の方言を駆使できること。③人間性の良いこと。
 僕は10数年映画界にいて、アイドルに偏見を持っていました。ちやほやされて礼儀知らずで高慢ちきだろうと(笑)。3、4人あがった候補のうちユノはトップだったのですが、東方神起はカリスマの代名詞みたいなのもの。「人間性が良くなかったら使わないよ」と言いながら会いに行ったのです。会って10分もしないうちに彼に決めて、他の候補はキャンセルしました。
 ユノは若いのにとても礼儀正しい。目上の人を敬う。優しくて純粋な人でした。ただ、アイドルだから口数は少ないのかと思ったら、とてもよく喋る! うちの近所のオバチャンみたいによく喋る(笑)。人間味溢れる人でもあります。
 実際ナム・ジンを一番尊敬しているそうで、しっかり準備して情熱的に取り組んでくれました。  彼が登場するジャングルのシーンはタイでの撮影で、あまり人の来ない郊外なのです。ユノは日本からタイに飛んできたのですが、迎えに行ったプロデューサーから「大変です!」と連絡が入りました。空港に韓国、中国、日本、タイのファンが1000人くらい集まって抜け出すのに時間がかかっているというのです。なんでそんなに集まったのかというと、ファンの間の情報網があるようなんです(笑)。しばらくしてまた電話があり、今度は「ユノを乗せた車の後を、50台くらいの車が追いかけてきます! 怖くて現場に行けません!」遅れましたが、なんとか到着しました。
 普段人のいないところなのに、撮影中の1週間くらいずっとファンがつめかけて大混雑でした。宿泊はコンドミニアムを借りたのですが、僕の部屋の両側にファンの子達が団体で泊まっていて、夜な夜な東方神起の曲を歌い、踊って大騒ぎです(笑)。うるさくてよく眠れないのでフラフラして現場に行きますが、現場にも100人くらい集まってユノが登場すると「キャー!」。大騒ぎで大変でした。
 食事に行ってもファン・ジョンミンとダルスと僕は、ユノを守るのに必死でした。彼女たちにしてみれば僕たちはただのオジサンなので、「どいて!」と追いやられてしまい、「俺達何やってんのかねぇ。マネージャーか下男みたいだね」(爆)。こんなに人気があるとは! キャスティングで一番よかったのは彼を選んだことです(笑)。


ユン・ジェギュン監督

―それをコメディドラマにしてほしいくらいです(笑)。(監督:大ヒットするんじゃないかな)
 ドクスの生涯を描ききっていますが、夫婦の映画でもありますね。ヨンジャは監督のお母さんがモデルなのでしょうか?

 ドクスとヨンジャは私の両親の名前です。その時代、多くの男性は「外剛内柔」、女性は「外柔内剛」だったと思います。私の両親も実際にそういう性格でした。ヨンジャには私の母が投影されています。この役はぜひキム・ユンジンに、と思いました。彼女は一見ソフトだけれど、ここぞというときに強くなります。事故のあった炭鉱で捜索を頼むシーン、ベトナムから戻ったドクスと店の前で再会するシーンです。全身で感情を爆発させる重要なシーンです。ここではキム・ユンジンが本来持っている強い女性を出せたと思います。

―監督がこだわったところ、苦労した部分はどこでしょうか?

 まず親世代、子世代の両方に見てもらって、がっかりさせず、納得してもらいたいという使命感を感じていました。今も存命の、戦争の廃墟を体験した人たちに、「リアルじゃない、こんなんじゃなかった」と思われないようにしようと苦心しました。友人のお母さんもあのヴィクトリア号で逃れてきたのです。
 ドイツの部分も資料を探して、交渉を経る作業が続きました。それからリアルであると同時に、若い人たちがこの映画を見て楽しんでくれることも考え、重くなりすぎないよう、軽いシーンも入れました。ダルス扮するタルグが登場するところで笑えるように、またナム・ジンやヒュンダイの創始者たち実在の人物を盛り込んでいきました。

―いつも韓国の子役さんが上手なのに感心しています。ベテランの俳優さんから子役さんまで、それぞれどんなふうに演出をされるのでしょうか?

 やはり演出の方法は違います。よく悪い人というのは「弱者に強く、強者にへつらう」といいますが、私もその手です(笑)。
 ベテランの俳優にはああして、こうしてということはありません。彼らはいろいろと考えてきますから、解釈したとおりに演じてもらい、私の解釈と違うと思ったときは話し合ってやり直してもらいます。
 俳優が、がんとして譲らないこともありますが、そのときは方法が二つあります。①怒る、②頼み込む。私は②です。それでもダメなときは「お願いだから」と泣きつきます。決して俳優を怒らない“韓国で一番カリスマ性のない”監督として通っています(笑)。
 逆に、子役にはどの監督よりも怖いです。私のやり方ではハリウッドでは無理、とスタッフに言われるほどです。たとえば乗船するとき父と別れてしまう場面では、子役に理解できるように説明してもどうしてもうまく表現できませんでした。切迫感が必要な場面です。そこで子役に付き添ってくるお母さんに「これから叱るので」と、現場から離れて、子役から見えないところに行ってもらいます。それから子役を呼んで「何でできないんだ! みんなが待って迷惑してるじゃないか!!」とわざと大声で怒鳴るんです。すると子どもはこの状況が辛いので自然に涙が出てきて、こちらが思ったとおりの演技になります。これをハリウッドでやったらダメでしょうね(笑)。

―国民的大ヒットの要因は? どのように感じていらっしゃいますか?

 韓国では動員が1000万人を超えるというのは象徴的です。出来がよかったからといってなるものではありません。神様が与えてくださった贈り物であり、天国にいる父が助けてくれたと思っています。
 前作のヒットではとても嬉しく興奮しましたが、今回はただただありがたいという気持ちでした。作品を作ったスタッフやキャスト、そして観てくださった方々への感謝が大きいです。
 要因は「共感」してもらえたこと。親世代はこの映画でああだったと思い起こし、慰めを得たようです。若い世代は、知識だけだったのが映像を通して新たに衝撃を受け、今の豊かな生活が、祖父母の世代の努力と犠牲の上にあると知り感謝の念を持ちました。互いにコミュニケーションをとるきっかけになったようです。最初は別々に、次は三世代が一緒に観にきてくれたことがヒットに繋がったと思います。


ユン・ジェギュン監督


2015年5月16日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿ほか全国順次ロードショー
(C)2014CJ E&MCorporation, All Rights Reserved.

作品紹介はこちら
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/418349011.html


〈インタビューを終えて〉

 大阪アジアン映画祭に参加する前日に受けてくださった合同インタビューです。監督は具体的なエピソードを挟み、ユーモアを交えながら、とても要領よく質問に答えてくださいます。映画を発表して以来100件ものインタビューを受けられたそうですが、演出の方法を聞いた私の質問は今までになかったそうで、「新鮮です」とニッコリ。質問順を決めるじゃんけんで負け、いくつも用意していた質問が次々と消化されていくので困っていたのですが、楽しい回答をいただけて嬉しかったです。
 これが東京での最後の取材ということで、特別にパソコンに入っているメイキング動画を見せてくださいました。CGを加える前と後、作品では数十年の時間が経過するので、俳優さんのメイク方法などなど。監督解説つきというとても贅沢な時間を過ごしました。映画のドクスと同じく率直で誠実なユン・ジェギュン監督ファンになってしまいました。(取材:白石映子)

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