東南アジアの映画に造詣の深いMacoさんより、「カンボジア映画の今」として、6月に 『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』の折に来日されたリティ・パン監督の トークの報告と、来年公開が決まった『シアター・プノンペン』(昨年の東京国際映画祭で『遺されたフイルム』の題で上映)について、寄稿いただきました。『シアター・プノンペン』のソト・クォーリーカー監督はカンボジア初の女性監督で、注目したい人物です。9月初めのあいち国際女性映画祭で、公開タイトルで初めて上映されたのを機に、今回の報告となりました。(咲)
6月に国際交流基金アジアセンターの招聘で来日したリティ・パン監督。
ドキュメンタリー作品『S21 クメール・ルージュの虐殺者たち』の上映と、「平和構築における文化芸術の役割:自分の声を探すための記憶の重要性」のテーマで東京四谷の国際交流基金でトークイベントが行われた。
『S21・・』は生きては決して出られない政治犯収容所として、悪名高いS21(通称。その存在自体が極秘だった故、後に所在地名のトゥール・スレン虐殺犯罪博物館とされている)76年~79年1月のベトナム軍によるプノンペン陥落まで通称2万人近い収容者のうち、8人しか生きて出られなかったと言う。
作品はいかにして反革命分子として捕らえられた収容者達が、残虐な拷問から開放されるため、無実の罪を「自白」する「自分史(自己批判文)」 を求められるまま答え、処刑されていく過程、そして拷問を担当した殆どが10代半~20代前半の「無垢」な青少年であった看守達(彼らの多くも後にS21の秘密保持のため処刑されていった。)の収容所での拷問や収容者達への扱いの実際を、時には本人による再現と、生き延びた収容者の一人、画家のバン・ナットらと直に対峙し(ある意味、意外にも)淡々と続く対話シーンで、何がなされていたのか、何故大量殺戮がなされたのか克明に検証してゆく。
全て当時の記憶から紡ぎ、当時の収容所の様子を描いたナットの絵の数々は、圧倒的なリアリティを再現している。
当日のトークで、リティ・パンは今に残されている大量の「自分史」(自己批判文)、「自白調書」と収容時、処刑後の写真・・それらは全て“人間の個の否定”のための作業だったと語った。人間本来の記憶・人格を抹消して人間性を否定する作業こそが、カンボジア人のメンタリティでは起き得なかったはずの、同民族同士の百万人を超えるという大量殺戮を引き起こしたと。
『S-21・・』は60年代インドネシアでの虐殺を当時の加害者が「再演」する『アクト・オブ・キリング』に大きく影響を与えたと言われるが、当時の加害者が今だ支配側にいるインドネシアと比べ、クメール・ルージュは消え去ったが同民族内で起きた事の解明はまだ途上であり、そしてまた加害者(看守達)もまた、記憶から消したくとも心の底に留まっている、失われた時間をどう振り返るか自らも分からぬ生を過ごして来た事が描かれる。『S-21・・』の冒頭、元収容所責任者ホイの母が、既に家族も持ち普通の暮らしに戻っている息子に、自分が殺したことを認め死者に祈りを捧げ贖罪しなさい、と語りかける。息子は命令されてやったのだ・・と半ば絶句する。ナットと生き残り同志の収容者の会話は(『S-21・・』は02年製作)20年以上経た当時も、彼ら被害者の傷はそのままに留まっているし、加害者にとっても同様であると言う事を克明に写しだしている。
今回の来日では、リティ・パン監督は映画をはじめクメール・ルージュ時代に破壊し尽くされた多くの祖国の「失われた記憶」を、日本国内に残っている様々な博物館や当時インドシナに渡っていたカメラマンの写真、映像記録等を探すのも重要な目的であったという。2006年より、プノンペンでカンボジア文化・芸術省等と連携して【ボパナ視聴覚リソースセンター】の代表を務め、カンボジアに関する視聴覚アーカイブを収集・公開している。未だ祖国の悲劇を解明するための記憶の収集・再生は途上で、監督はその作業に真摯に取り組み続けている。同時にカンボジアフィルム・コミッションを設立し若手の育成も手がけ、新生カンボジア映画界の牽引役である。
最新のニュースでは、カンボジアから養子を迎えている事でも知られているアンジェリーナ・ジョリーが、やはり幼少時に児童兵として訓練を受けさせられ強制収容所で多くの親族を失ったロウン・ウンの手記「最初に父が殺された—飢餓と虐殺の恐怖を越えて」を基にした映画を監督・プロデュース。リティ・パンを共同プロデューサーに迎え年内にもクランクインし、Netflixにより2016年に全世界配信される予定という。カンボジアの人々と映画双方にもたらすものが多いことを期待したい。
そもそもアンジェリーナ・ジョリーが初めてカンボジアに降り立ったのは『トゥームレイダー』(01)の撮影の為。当時現地でライン・プロデューサーを務めたのが、ソト・クォーリーカーだった。
昨年東京国際映画祭で「アジアの未来」部門で上映され、国際交流基金アジアセンター特別賞に輝いた彼女のデビュー作であり、カンボジア初の女性監督となった『遺されたフイルム』(上映時タイトル)。
73年生まれの彼女は2000年頃から、海外のメディアやカンボジアでの映画やドキュメンタリー撮影のプロデュースを手がけ、クメール・ルージュに関する多くのリサーチやインタビュー等にも関わっていた。しかし当のカンボジア人の若い世代の多くは、同じ民族同志が殺しあった歴史を恥として考え、事実と向き合って知ろうとしない・・そんな状況を長らく残念に思いカンボジア人自身が発言しなければと考え、カンボジア映画の再生をデビュー作のテーマとした動機だという。
現代のプノンペンの女子大生である主人公ソフォンは、廃墟同然の映画館でふとしたきっかけ観た、70年代のカンボジア映画のメロドラマ。何とヒロインは若き日の母だった・・・
ソフォンは欠落しているフィルムの最終巻を探しはじめるが、やがて仲間に呼びかけ新たに撮影して完成させようとする。その過程でクメール・ルージュの時代に映画はじめ、あらゆる文化と関わる人が壊滅的な打撃=破壊と殺戮に逢っていたかを知り、心を病み長らく床にある母の過去も理解してゆく。
来夏『シアター・プノンペン』のタイトルで岩波ホールでの公開が決定。今年9月初旬、あいち国際女性映画祭2015のアジア・ムービー インパクト部門で公開タイトル決定後初めて上映された。失われた古い映画をきっかけとして世代を繋ぎカンボジア映画の、そして人々の再生の過程を描くファンタスティックな物語。古きよき時代の証言者である朽ちかけた映画館も元老映写技師の佇まいも映画への愛を体現している(ちなみに映写技師役のソク・ソトゥンはロシアで学んだ現役の映画監督でもあると言う!)。 蓮の池での再現シーン(写真)の東南アジア的なメローさも実に愉しい。
母役のディ・サーベットは実際に往年の大女優で、12年に東京国際映画祭で上映されたカンボジア映画黄金期のホラー名作『怪奇ヘビ男』(70)に出演している。クメール・ルージュの制圧前、6-70年代前半はカンボジア映画の黄金期で、シハヌーク国王は自身で監督を務めるほど映画を愛好し保護していた。特に東南アジア一帯でホラーといえばカンボジア映画、という位置にあったという。
来日の際も語っていたが、ディ・サーベットと同世代で国内に居た映画人は、殆どがクメール・ルージュによるインテリ・文化人粛清に遭い、映画のフィルムもことごとく破棄され、撮られたのはモノクロの空虚なプロパガンダ映画のみだった。
ディ・サーベット本人はプノンペン陥落のとき、「たまたま」海外に居て難を逃れたという。彼女の存在自体がまさにカンボジア映画の生き証人であり、この作品に出演すること自体、カンボジア映画の再生に立ち会って居るとも言える。
カンボジア映画界の‘ゴッド・ファーザー’リティ・パンのカンヌでの『消えた画 クメール・ルージュの真実』受賞、アカデミー外国語映画賞にノミネートと世界の注目が集まる今、まだまだ“再生”の途上であるが、カンボジア映画の動向には目が離せない。
☆ ソト・クォーリーカー監督は東京国際映画祭と国際交流基金の共同プロジェクト、オムニバス映画『アジア三面鏡』の3人の監督の一人に選ばれ、行定勲、 ブリランテ・メンドーサと、来年東京国際でのプレミアに向け製作に入る予定である。他のアジアの国と何らかの形で繋がりを持つ人々を登場させること、撮影はアジアの国のどこかで行うことという基本ルール以外は各自自由に撮ってよいというスタイルだと言う。
東~東南亜のカルチャー街角を逍遥継続中。
by Maco(Mali)Studioscentcat