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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

ドキュメンタリー『赤浜ロックンロール』
小西晴子監督インタビュー


弁天様を祀る蓬莱島(ひょっこりひょうたん島のモデルとなった島)が浮かぶ町・岩手県大槌の赤浜で生まれたロックを愛する漁師達のドキュメンタリー。2011年、東日本大震災で町を津波が襲った… 死者・行方不明者1280余人…
半年後、国と県は5階建てビルと同じ14.5mの巨大防波堤で海岸線を囲う復興計画を決める。そんな中、赤浜の住民達は反対の声をあげた。

監督:小西晴子
プロデューサー:小西晴子 安岡卓治
エグゼクティブプロデューサー:中野秀紀 撮影:古戸英彦

2015年5月2日より新宿K'sシネマにてモーニングショー

作品紹介ブログ http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/417145016.html

(C)ソネットエンタテインメント株式会社 (C)ソネットエンタテインメント株式会社 (C)ソネットエンタテインメント株式会社
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監督プロフィール

ソネットエンタテインメント(株)ドキュメンタリストプロジエクト室室長。2003年から土本典昭、黒木和雄、原一男など日本のドキュメンタリストを追ったシリーズ「ドキュメンタリスト」を制作。2004年9月、制作した番組「ドキュメンタリスト綿井健陽~ The Little Birds バグダッドの父と子の物語」を2005年に映画『Little Birds イラク 戦火の家族たち』として公開、企画者として参画。このシリーズから映画になったものは『ガーダ パレスチナの詩』(2006/古居みずえ監督)、『大きな家 タイマグラの森の子どもたち』(2009/澄川嘉彦監督)などがある。2012年から海外との共同制作を企画し2013年Tokyo Docs, 2014年中国成都でのAsian Side of the Doc,フランスのラ・ロシェールでのSunny Side of the Doc で企画をプレゼン。プロデューサーとして『イラク チグリスに浮かぶ平和』(2014/綿井健陽監督)の上映、海外展開をすすめている。2015年1月フランスで開催されたFIPAでは『イラク チグリスに浮かぶ平和』がYoung Europeans Jury Special Prize を受賞。
『赤浜ロックンロール』は初監督作品。


小西晴子監督インタビュー

2015年3月末

編集部・せ まず初めに、今回初監督ということなんですが、今まで企画や制作に携わって来られて、この作品で監督をされることになった経緯を、この題材でどうして映画にしようと思ったのかという動機を含めてお話しいただけますか。

小西監督 そうですね… 2011年の8月に遠野のまごころネットさんというところでボランティアをしまして、そこからボランティアバスが気仙沼とか陸前高田とかいろんなところに出てたんですが、たまたま大槌に行って…見渡す限り何もなくて、焼けただれた小学校とかまだありまして…みなさんのお話を聞いて…最初のご縁が大槌だったんですね。

それで、11月の鮭の季節にまたおいでよって言われて、新巻鮭の発祥の地であることを初めて知って、また行きました。この映画に出て来る芳賀さんに鮭を獲るところと新巻鮭をつくるところを見学させてもらいまして、すごくていねいな仕事にびっくりしました。内臓をきれいに出して、骨もピンセットのようなもので取って…10日間もかかるってぜんぜん知らなくて。11月の吹きっ晒しの寒い中、女性も鮭のはらわたを水できれいに洗って…ほんとうにていねいな仕事だなあって思いました。

そのとき芳賀さんのところに助成金の話があって、その説明会に一緒に行きたいって言ったんです。県の水産課の人が来て、4分の3をグループ補助金として国が出してくれるということなんですが…グループの仲間が一緒に事業を立ち上げて、「残り4分の1のお金が無いけどどうしようか」というような話になって…。これは復興のため、事業を再建するための補助金なんですが、芳賀さんはもともと水産加工業をされていて、船もぜんぶ流されて、道具もないけど、大槌は水産加工業の町なので、何とか再建したいと…でも4分の1の頭金が無いって…みんな暗~い感じで頭を抱えてるんですね。

そのときに県の職員さんが、「まあ、なんだかんだ言っても貸すかどうかを決めるのは銀行ですからねー」みたいな言い方をして… ずいぶん冷たいなと思ったんですよ。同じ岩手県民なのになんでこんなに冷たいんだろうって。

それでも芳賀さんは、どうしても水産加工業を立ち上げるんだって言って…その立ち上がっていく様子をずーっと見ていったんですね。

それで何回も通ううちに川口さんとも知り合いになって、いろんな人とつながりが出来て…。この町はていねいな手仕事もあるし、民力もあるし、だんだんこの町が好きになって行って…そういうところから始まったんです。

編集部・せ 映画にしてみようって意識はどの辺から…?

小西監督 それは2012年の暮れです。

編集部・せ 何かきっかけがあったんですか?

小西監督 きっかけというか… この人たちの底力、魅力を知ってもらいたい、こんなにおいしいものや豊かな自然があるっていう…「なんか可哀そう」っていうことじゃない「魅力」があったんです。それを伝えたいから、映画にしようと思ったんです。

編集部・せ 新巻鮭の「ていねいな仕事」を見たっていう体験が「核」としてあった…?

小西監督 ありましたねー。「なんて手間ヒマかけるんだろう!」って思って。とってもていねいな手仕事にビックリしましたね。

編集部・せ 震災前と震災後では、映画をつくる側の意識として何か違ったものがありますか?

小西監督 個人としてはかなり変わりましたが… つくる側としてはどうかなー?

漠然としたモヤモヤッとしたものがあったんですが、東北に行ってこれをつくるようになって、まず「コンクリート神話」というものがバッサリ崩れましたね。コンクリートは永久だ、みたいな考えを持ってたのが、「50年か60年ぐらいしか持たないだよ」って言われて「えーっ???」みたいな感じで。川口さんは「どんなものでも人間が作ったものは必ず壊れる」って言われて… 実際その通りですよね。そういう既成概念が崩れて、都会にいる自分がいかに無知であったかということを教えられる過程でした。「コンクリートって50年しか持たないの?」って工学系の友人に訊いたら「100年は持つよ」って怒ってましたけど…。やっぱり錆がダメみたいなんで… どうしようもないですよね。コンクリート神話、都会神話にいかにハマっていたというか…それがここに行ってから崩れましたね。

編集部・せ ボランティアに参加されたときに都会とのギャップというか、そういうことを感じられたんですか?

小西監督 そのときはそんなことなくて… いろいろとこう、「なんてハンサムな漁師が多いんだろう」とか。

編集部・せ 阿部さん(赤浜漁師・新おおつち漁協組合長)カッコいいですね(笑)。

小西監督 いや、阿部さんもカッコいいんですけど、70歳とかの引退したおじいちゃんたち、みんなカッコいいんですよ。目がグリーンの女の人がいたりして…。いやあ、ここはカッコいい人が多いなあと思ってたんですが… 特に都会とのギャップとかそういうことは思わなかったですね。

編集部・せ 個人としてボランティアに参加しようと思われたのはどういう…?

小西監督 3月11日にテレビで気仙沼とかメラメラ燃えているのを見て…ああ、あそこに人がいるんだ、と思うと何とも言えない気持ちになって… ホントはすぐ行けばよかったんですが。

編集部・せ テレビではわからないものを自分の目で…とか?

小西監督 そんなことも考えてなくて、まあ「何かできないかな」「お役に立てることは無いかな」と。カメラも持って行きましたけど、何も撮りませんでした。

編集部・千 監督は311の時はどちらに?

小西監督 東京にいました。職場にいて、帰れなくなった人を自宅に泊めました。テレビで気仙沼と陸前高田と大槌が赤々と燃えてて… 今でも忘れられませんね。大槌の人が後で津波の映像も見せてくれましたけど…にわかには信じられないような光景でしたね。

編集部・せ 311に関しては、映画をつくる立場ということではなくて…。

小西監督 そうですね。2012年の暮れまでは、映画というか、ドキュメンタリー映像にするということは考えてなかったですね。

編集部・せ 個人としての自分と、仕事として映像をつくる自分というのはかなり違うというか、区別されてるんですか?

小西監督 みんな覚悟を持ってどんな絵を撮ろうとか決めてらっしゃいますが、私は最初ボランティアとしてゆるく入ったので、覚悟というか、映像作家としては弱いですよね。ドキュメンタリーをつくろうとして行ってないので。

編集部・せ ふだんの意識としては、個人としての自分と映像をつくるプロとしての意識って違うんでしょうか。

小西監督 私の場合、あんまり違わないですね。今制作している『イラク チグリスに浮かぶ平和』も…これはプロデューサーなんですが、たまたま会社がドキュメンタリーの仕事を認めてくれてたんで…。ドキュメンタリー制作の部署をつくらせてくれと言って会社が認めてくれたので、たいへんありがたいです。それまでアジア専門チャンネル・アジアドラマチックTVというのがあって、韓国や台湾のドラマとかインドの映画とか、アジアの中の交流をはかろうというチャンネルの全体的な統轄をやってたんですが、自分のやりたいドキュメンタリーというものを会社が応援してくれるという形になって、ほんとうにありがたいことだと思っています。

編集部・せ あのー、阿部力さんとかすごくカッコいいですが… 被写体という言い方をしていいのかどうかわからないんですが、被写体との距離の取り方というか、ドキュメンタリー映画を撮る上で、今回の映画に関しては何かそういうスタイルのようなものは…?

小西監督 いやあ…森(達也)さんとかよくそういうこと言うんだけどなあ(笑)、なんかそこまで考えたことないなあ。

編集部・せ すごく思い入れて被写体に寄り添って撮るのか、ちょっと突き放して客観的に見るのかっていう点は、あまり意識しませんか?

小西監督 どうなんですかねー。好きになった人を撮りたいので、その人のいいところも出したいし悪いところも出したいし、その人が有利な「いいところ」を出したいなあという気持ちが強いから…。

編集部・せ じゃあ、すごく思い入れるほうですね。

小西監督 思い入れるほうですね(笑)。

編集部・せ 思い入れないと撮れない、みたいな。

小西監督 たぶん…。

太秦・小林さん めっちゃ仲良しですよね(笑)。

小西監督 すごく思い入れると思います、たぶん。

太秦・小林さん 人の心に入って行くのが。

編集部・せ あー、なるほど。グッと行くわけですね。

小西監督 グッと行くんです(笑)。阿部さんは慎重な方だから、なかなか入れてくれなかった。きっかけはありました。コンブ漁の撮影が朝の3時ぐらいに出発するんですよ。3月でマイナス6度なんですけど…寒いんです。その前にワカメ撮ってコンブ撮って…寒くて死にそうになりながらカメラまわしてたんで、「可哀そうだな」って思ったんでしょうね(笑)。ホントに寒かったです。漁師の生活を撮らせてもらう上では、船はぜんぶ自分が乗せてもらわないと申し訳ないなと思ったんですね。

編集部・せ 監督がカメラを…?

小西監督 けっこう私がまわしてるのが多いんです。

編集部・せ じゃあ、やっぱり生活に溶け込むみたいな…。

小西監督 いやあ、そこから阿部さん少し変わったかなー。もしかして本気?って思ったんじゃないですかねー。メチャクチャ本気だったんですけど(笑)。

編集部・せ 心開いてくれなくても、ずっといっしょうけんめいついて行って…。

小西監督 いちおう会社の仕事でやるってことで2012年の12月に「阿部さんこれから一年間、追っかけをさせていただきたい」と。企画書も渡しました。なんか冷たい感じで、「マスコミの人は何かないと来ないし来てもすぐにいなくなる」って言われましたね。

編集部・せ その時の企画書っていうのはどういう意図の?

小西監督 いやあ忘れましたけど… ぜんぶの船に乗せてくれっていうことと、漁協が破たんして、新漁協の組合長に阿部さんが立候補したんですけど…阿部さんがやる気のある漁師だったので、「どうやってこの町を復活させるのかを見たい」みたいなことを書いたんですかねー。でも忘れました(笑)。要はこの町を自分たちの力で取り戻すっていうところを撮りたいんだって… 言ったような気がします。阿部さんはいろんなところで「自立が大事だ」って言ってたんです。

それでコンブとワカメで… ワカメはマイナス6度で2時ぐらいに出ていくんですよ。コンブは夜の11時から朝の6時までずーっと… もうたいへんな肉体労働で。いやあ、ここでもたいへんな手間ヒマだよ、と。この映画には入ってないんですが、ワカメはドラム缶の中に胞子があって、棕櫚の細い綱を一週間浸しておくんです。それを今度は太いのに巻きつけて海の中へ…10月ぐらいに「たねまき」って、種を撒くのかと思ったら、種を「巻く」んですね。ほんとうにたいへんな労力で…。映画の中ではその辺のところをあんまり出せなかったんですけど、たいへんな手間ヒマをかけて、だからおいしいものが出来るんだろうなって、船に乗って思いましたね。ぜんぶ乗りました。ワカメ、コンブ、カキ、ウニ、ホヤ… まだいっぱいあった… ホヤの間引きとか… 頭を毎日8時間ぐらい下げてなきゃいけないから、頭が大きくなっちゃった(笑)。

編集部・せ やっぱりみなさんカッコいいですよね。どうしてカッコいいんだと思いますか?

小西監督 阿部さんはこんなこと言ってました。「自分が儲かるってことをみんなに見せれば、漁師の数も増えるだろう」 …自分の姿を見せることで漁業に貢献したいと思ってるんですね。「太平洋銀行」とか言うんですね。太平洋銀行に預金があるって。「10万以下で暮らしている漁師、年収150万以下の漁師がいっぱいいるの知ってますか?」って言われて… 漁師を「稼げる仕事」にするために自分が体を張って見せるっていう… これは推測ですけどね。

編集部・千 阿部さんは独身なんですか?

編集部・せ そこかあ?(笑)

小西監督 あー(笑)、バツイチなんです…。でもいま独身です。お子さんももう大きいんですよ。

編集部・せ そこはあえて描かない?

小西監督 そこは追及されるんで… 申し訳ない(笑)。お子さんは別居されてて… 阿部さんはお母さんをすごく大切にされてるんですね。オレはおふくろが苦労してるのを見て育った、と。お父さんは遠洋漁業の漁師をやってらして、それで養殖に切り替えて… なんか漁師で生きていくっていう「本気」ですよね。本気。

編集部・せ 被災者のイメージと違いますね。強く自立していこうとしてる姿は…ぜんぜん「可哀そう」なイメージがないですね。

小西監督 …………。やっぱり「見栄を張る意地っ張りな二人」じゃないですね…。川口さんは…。…たぶん一人になると枕を濡らしてググって泣いてると思いますけど。孫がね、亡くなっちゃって…。阿部さんもそうとう悩んでるところがあると思いますけど…。

編集部・せ プレスシートに「ここに私たちの進むべき未来がある」という監督の言葉がありますが、やはりこれをやりたかったということでしょうか。

小西監督 人が謙虚でもあるし、目に見えないものへの畏れというか…山神様であったり鮭の供養塔であったり、目に見えない世界とつながってる部分が残ってると思ったんで…もろくもコンクリートが崩れ去った今、経済成長・効率一辺倒の考え方が限界に来てるんじゃないかな、と。考え直す岐路に来てるよね…っていうのが、この言葉になったんだと思います。安倍政権は違う方向へまた行こうとしてますけどね。

編集部・せ 今まで通りに巨大防波堤とかでやっていこうとするものと、ローカルなところで伝統的なものとか、自然と寄り添うことを始めて行こうとしている人たちと二分化しているようでもありますが…。

小西監督 映画に出て来る阿部力のお母さん・京子さんが「また津波は必ず来るだろう。その頃には私たちはこの世の人じゃないからいいけど、後世の人は安全なところがいいべ」というようなことを言うんです。先祖と子孫の話がよく出て来るんです。阿部さんも「俺たちはいいんだけど子どもたちの代のために」って。来し方と行く末を大事にしているのをすごく感じて、私はそういう考え方があまりなかったので、すごく学びましたね。自分だけの現世の利益だけじゃなくて、次の世代の人たちのために何かを良くする…川口さんもそうですし、阿部さんもそうです。それはすばらしいなと思いました。

編集部・せ 今回の映画を踏まえて、これからどのように映画と関わっていきたいというか、どういうふうになって行ったらいいと思いますか。

小西監督 人が入ってくれたら…(笑)。冗談ですよ。

編集部・せ いや、大事なことです。

小西監督 観てもらいたいっていうのと…私の場合は表現にこだわるっていうタイプではないので、ある意味現実をより良くしていきたい、というか、そういう思いが強いので、そういう映画…テレビにしてもドキュメンタリー作品をつくっていくと思いますね。

編集部・せ なんか、希望の持てる視点があるというか…。

小西監督 希望は… どうかなあ。イラク戦争のは15年前につくって、10年経ってどうかなったかというのを見届けなきゃいけないと思ってつくったんですけど…。

編集部・せ 現実が凄く悲惨な状況というのがあって、それを描くというのが多かったと思うんですけど、最近そればっかりじゃなくて、バランスを取るっていうか、どっかでこう希望を見い出していくっていう映画が、かなり出て来たんじゃないかと思うんですが…。観てて辛くなるばっかりじゃ…心も動かないというか…。

小西監督 人のいいところを見たい性格なんで、やっぱりいいところを描きたいですよね。いかに現実が悲惨でも、いいところはあるし、…でも現実は直視する。

編集部・せ そうですね。そこがまずあって、という話ですが。

小西監督 その中のいいところを見ていきたいな、と。そういう映画をつくっていきたいと思います。

編集部・せ それでは最後に、シネマジャーナルの読者へ、ひと言メッセージをお願いします。

小西監督 はい。三陸の海産物はとってもおいしいです。映画館でワカメを販売します。ロックンロール・ワカメって名前になると思います(笑)。来て買ってください!


取材・記録・撮影 せこ三平 山村千絵

取材を終えて

住民が誰も望んでいない巨大防波堤の建設計画が、なぜかどんどん進められてしまうという不条理。 赤浜の海に生きる人たちに徹底的に寄り添い、そのていねいな手仕事や熱い思いを描き出した小西監督は、とてもバイタリティーにあふれる女性でした。いろんなことに深く感じる心と、少々のことにくじけない馬力をあわせ持っているように思いました。私も震災のことを思い出して、いろいろな思いがグルグルと頭の中を巡っていましたが、よくわからない巨大なコンクリートみたいなものに負けずに、こういうまともな人たちのまともな暮らしがまともに続いて行って、未来の希望につながってほしいと切に思いました。先日私たちも三陸のワカメをいただきましたが、確かにたいへん美味しかったです。出来るだけたくさんの人がこの映画に足を運んでいただけるように、私たちもお祈りしています。どうもありがとうございました。(せ)

お忙しい中、時間を取って駆けつけてくださった小西監督。早速シネマジャーナル誌を手に取って見ていただきました! 監督の仰るとおり三陸産のワカメは本当に美味しいです。上映館でも店頭販売されるそうなので是非沢山の皆様のお腹に届きますように☆  (千)


自然体で受け答えされていた小西監督。シネジャにも興味を示していただきました!!

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