北朝鮮強制収容所に生まれ、脱北した当事者シン・ドンヒョクさんが、3月1日からの公開を前に来日し、トーク付特別先行上映会が行われました。今なお強制収容所で人権を侵害されている人たちを救うために、少しでも役立てればと、強制収容所での耐え難い経験を語るシン・ドンヒョクさんの思いをお伝えします。
北朝鮮の政治犯強制収容所14号管理所の中で「表彰結婚」した両親のもと、1982年に生れ、生まれながらの政治犯として育ち、23歳の時に収容所からの脱出に成功。その後、脱北し、2006年韓国へ。2009年に渡米したが、現在はソウル在住。
北朝鮮の人権侵害問題について「収容所の閉鎖に向け、全世界に現状を知ってもらうこと」が自分の責務と訴え続けている。収容所でのシン氏の成長と脱出の過程は、ブレイン・ハーデン氏が著書『北朝鮮14号管理所からの脱出』(白水社刊)にまとめて出版。18か国語に翻訳されている。
国連の<北朝鮮における人権に関する調査委員会>は2013年8月の公聴会などにもとづき、2014年3月に最終報告書を国連人権理事会に提出予定である。
※シン・ドンヒョク氏関連書籍
「収容所に生まれた僕は愛を知らない」(申東赫著/李洋秀訳/KKベストセラーズ刊)
「北朝鮮14号管理所からの脱出」(ブレイン・ハーデン著/園部哲訳/白水社刊)
本作は、マルク・ヴィーゼ監督に心を許したシン・ドンヒョクがその苛酷な半生を語ったもの。監督は、収容所の管理側にいて脱北した人物の証言も交えて、強制収容所の実態を描き出している。
6歳の時から炭鉱で大人が掘った石炭を運び出す仕事をする。
一番古い記憶は畑での公開処刑。仕事を中断して皆で見に行った。
食事の量は看守の裁量で決まる。トウモロコシと白菜汁を1日3食。
ネズミも焼いて食べた。骨が柔らかいので、丸ごと食べられる。
14歳の時、母と兄が逃亡を企てているのを聞いて密告する。
褒美を貰えると期待していたら、翌日目隠しされて監獄に連行された。
逆さ吊りにされて火であぶられる。腕が曲がり、全身傷だらけ。今も跡が残る。
外から収容所に来た人から話を聞く。チキン、米、サムギョプサル・・・
世の中に美味しいものがあることを知る。外の世界を確認したくなる。
2005年、薪を取りに行き、外から来た彼と一緒に鉄条網を越える。
彼は感電死。彼の背中を借りて逃げることができた。
初めて外の世界を見て衝撃を受ける。
人の家に入って服や食べ物を盗む。お金を知らなかった・・・
拷問や銃殺しても国を守るためと、何も感じなかった。
北では純粋だった。韓国では皆、心をお金に取られている。
収容所ではお金の心配はなかったが、懐かしいことはない。
3月1日より 渋谷ユーロスペースほか全国順次公開
『北朝鮮強制収容所に生まれて』公式HP
http://www.u-picc.com/umarete/
シネマジャーナルHP作品紹介『北朝鮮強制収容所に生まれて』
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/389557219.html
日時:1月26日(日)
会場:明治大学 お茶の水キャンパス リバティ・アカデミー1F 1011号室
トーク登壇者:
シン・ドンヒョク氏
土井香苗氏(国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表・弁護士)
川島高峰氏(明治大学ュニケーション学部准教授)
シン: 日本には4年ぶりに来ました。来る度にドキドキします。映画を観に多くの方が来て下さってありがたく思っています。実際、北朝鮮は国といえるのか? 宗教集団かヤクザのようです。自分も被害を受けました。なんとか解決したいと活動しています。拉致も行っています。明日、横田めぐみさんのご両親に会います。苦痛や痛みは私が受けたものと全く同じです。ドキュメンタリーに私が出演していますが、今も現実に苦しんでいる人に比べたら、たった一つの小さな経験にすぎません。
土井:映画ができて、本も出版したりすることで、どんな反応が世界からありましたか?
シン: 映画出演や本の出版で、思い出したくもないことを思い出しましたが、多くの方が関心を示してくれて国連に訴えることもでき、国連の中に調査委員会もできました。ほんの少しでも寄与することができたことに自負心を持っています。
土井:辛かったことはわかったけれど、その中で楽しかったことはありますか? もっともつらかったことは?
シン: 楽しいのは、美味しいものを食べること。辛いのは、脱出して6~7年も経つのに、人権抑圧状態は変わらないどころか悪くなっていることです。収容所の中で一番辛かったのは、ひもじいこと。制裁を受ける時、鞭打ちと食事抜きのどちらかを選ぶのですが、鞭を選びました。拷問は辛いけれど、それ以上に辛いのは空腹でした。
土井:北朝鮮の人権状況がよくなる兆しはありませんが、日本の人たちや、日本政府への期待は?
シン: 日本だけでなく、欧米の人たちにも、収容所で死ぬ人たちや中国に売られていく女性のために行動を起こしてほしいと訴えています。一つ言いたいことがあります。24年間収容所にいて、自由という言葉も概念も知りませんでした。人間は生まれた時から自由を持っています。当然だと思っている自由を守り抜くことの大変さを、北朝鮮で自由を知らない人たちがいることを思って想像していただければと思います。
川島:北朝鮮の収容所では、徹底的に自分を否定することを教えます。人間って何だと思いますか?と聞くつもりでしたが、自由を持って生まれついているとシンさんはおっしゃいました。シンさんの夢は?
シン: 一番したいことは、北朝鮮から収容所をなくし、独裁政治をなくすことです。政権が変わったら、北に帰って静かな山の中で生きていきたい。今は私の性格と正反対のことをしています。映画に出たり、こうした活動をしたりすることは本意ではありません。
土井:同じ夢を持って活動しているけれど、北朝鮮の人権問題に注目してもらうのは難しい。つらいことだけど、シンさんが証言をしてくだっていることから、やっと世界的になんとかしようという動きになっています。こうした活動をしている尊敬する一人がシンさんです。
― 90年代後半に北朝鮮で大飢饉がありました。収容所でも変化を感じましたか?
シン: 飢饉で多くの人が餓死したことは全く知らされていませんでした。貴重な労働力として最低限の食べ物を与えられていたのだと思います。収容所の内部にいても感じたのは、地面に落ちたものを食べたり、ねずみを食べたりすることをそれまで何も言われなかったのが、統制されたり、食べ物の量が減ったので何かあるとは感じました。
―「収容所に生まれた僕は愛を知らない」の本を読んで感銘を受けました。朝鮮半島分断の状況をつくったのも日本の歴史が関与している面もあると日本人として思います。今の北の置かれている状況の中で、日本との関係についてどう思いますか?
シン:日本と朝鮮の関係・・・とても、その話は難しいです。自分は今、大韓民国の国民であるとだけお伝えしたいです。
― お母さんとお兄さんが処刑された時に涙も出なかったとのことですが、今は?
シン: 14歳の時、母と兄が自分や父や親戚の前で処刑されても、拷問で死ぬこともあるし、何も感じませんでした。家族がどんな意味を持つか、その時は知りませんでした。自分を産んでくれた母に感謝するとか、血を分けた兄という感情もありませんでした。今になって、思わず涙が出ることがあります。人間には自由というDNAがあって、今はそういう感情も持つことがあります。
―教育が重要な位置を占めると思います。収容所の中の教育と外の教育は同じでしょうか? 子ども時代に教育をしてくれた教官についての感想は?
シン: 収容所の中で労働させる為に結婚もさせて、子どもを産ませ、6歳になると収容所の中の学校に行かせます。世の中を知らない幼い子どもたちに、ユニフォームを着た看守たちは徹底的に政治犯として接します。学校で教わる内容は一般のものではなく、収容所で守らなければならないことや、文字と数字の数え方、具体的な働き方を徹底的に教えます。独裁者を褒め称える写真などは収容所にはありません。人間扱いしないということです。その存在も知らされない。褒め称える資格もないのです。
― 心の傷は大きく歴史の中で消し去ることはできません。身体的なことで、今はお元気ですか?
シン: 拷問の痕跡はあちこちにあって、おぞましい思いですが、痛みはありません。撮影させて欲しいといわれましたが、人間には触れられたくないものもあるとお断りしました。心の傷ですが、辛い出来事を忘れようとしているのに、皆さんに話せと言われ、思い出したくないことを話さないといけません。韓国に来た頃にはコントロールできなくて、病院に救急車で運ばれたこともありましたが、今は大丈夫です。今回、日本に行くと言ったら、友人から「刺身と寿司は食うな、放射能が怖い」と言われました。
最後には、会場を笑わせる余裕もみせてくれたシンさん。「人間から自由を奪ったら大変なことになる。自由を大切に」と強調してトークを終えた。穏やかなシンさんの顔を拝見し、収容所を脱して、「自由」を知ることができて、ほんとによかったと思った。
3月8日(土)からシアター・イメージフォーラムで公開される『シネマパラダイス★ピョンヤン』は、シンガポールの監督二人が北朝鮮の映画界事情を2年間にわたって追ったドキュメンタリー。その中で、取材した北朝鮮の俳優や監督は、皆、「すべては将軍様のため」と笑顔で語っている。かたや、北朝鮮強制収容所の中で生まれ育った人たちは、拝む資格もないと将軍様の存在さえ知らされていない。笑顔で将軍様を讃える人たちは、収容所で生まれ育つ人たちがいることも知らないのではないだろうか。人間の運不運が、一握りの権力者に左右されるとは・・・と、言葉もない。
南の大韓民国の情報は溢れるばかりに入ってくるが、北の朝鮮民主主義共和国については、なかなか実情を知ることができない。今回、『北朝鮮強制収容所に生まれて』と『シネマパラダイス★ピョンヤン』の二つの映画が見せてくれたのは、特殊な一面だけれど、真実の断面には違いない。
世界百七十ヵ国以上の国を旅したことのある知人が、平壌に数日滞在しただけだが、「北朝鮮ほど変わった国はない」とおっしゃっていた。私はイムジン河の対岸から風景を眺めただけだ。あの河を挟んで、南と同じ民族の人たちが、実際はどんな生活を送っているのだろう。
先日、テレビ番組で脱北者の男性が、「国家公務員をしていて何不自由なく暮らしていたのに、お酒を飲みすぎ、はずみで脱北してしまった。韓国では自分の技能も活かせない。北に帰りたい」と嘆く姿を見た。ヤン・ヨンヒ監督の『愛しきソナ』で垣間見た北の人たちの暮らしぶりも良かった。立場によって貧富の差があるのはどこでも同じ。北朝鮮の場合、その違いは国策から生じるものなのか? 興味は尽きない。
北朝鮮を描いた映画は数少ない。その数少ない作品から庶民の生活を垣間見ることしかできなかったが、まさか強制収容所にこんなにたくさんの人が収容されているとは思わなかったし、さらにその収容所で生まれて育った人間がいるとは驚きだった。このドキュメンタリーで語っているシンン・ドンヒョクさんは第14号強制収容所で生まれ、育ったとのことだったけど、この収容所だけで4万人くらい収容されていると知りびっくりした。
この映画の中でのシン・ドンヒョクさんの話は、にわかには信じがたい話だった。しかも、こんなにも残酷な出来事の話をさせられて、かなり精神的に辛いことだったろう。それにしても、そこを抜け出せて幸運な人だったと思った。
このトークショーでのシン・ドンヒョクさんの印象は、収容所から脱出して8年がすぎているからか、表情が映画より柔らかくなっているように感じた。
しかし、過去の出来事を思い出しながら話すシンさんの表情は辛そうだった。ほとんど下を向いたまま話していたし、明るい表情はなかった。それでも、強制収容所での出来事を知らせなくてはという硬い決意、勇気を感じた。最後に少し、明るい表情を見せてくれたのでほっとした。
そして、自殺率の高い韓国社会を取り上げ、金が社会を支配することへの疑問も投げかけていた。あんな辛い体験をした北朝鮮だけど、北朝鮮の社会が変わったら戻りたいと言っていたのが印象的だった。