ソウル郊外に住む一組の夫婦。夫ヨンチャンは、目も見えず耳も聞こえない。彼の目となり耳となり寄り添う妻スンホ。その彼女も脊椎障害を持つ。
寄り添って暮らす二人を2年間にわたって追ったドキュメンタリー。
2月15日からの公開を前に来日したイ・スンジュン監督にお話を伺いました。
『渚のふたり』
公式サイト: http://nagisanofutari.jp/
作品紹介ブログ: http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/388566697.html
1971年生まれ。ソウル大学 東洋史学科を卒業後、1999年からドキュメンタリー作業を開始、これまで放送ドキュメンタリーと独立ドキュメンタリーを制作した。2007年、KBSの水曜企画「野花のように、二人の女の物語」で韓国放送PD大賞 独立制作部門で大賞を受賞した。現在、フリーランサーのPDとして活動中である。3本目の長編ドキュメンタリーである『渚のふたり』は、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭 最優秀長編ドキュメンタリー賞と、EBS国際ドキュメンタリー映画祭 観客賞及びユニセフ賞の2部門を受賞。
―ヨンチャンさんの詩が織り込まれ、全体的にとてもポエティックで心温まる夫婦愛の物語でした。
監督:ありがとうございます。
―映画を観て、一番印象に残ったのが、障害者の仲間たちが「結婚してうらやましいなぁ」と言って、「結婚する準備はできていたのか?」と尋ねた時、「出来ていた」とヨンチャンさんが断言するところです。あまりに自信たっぷりなので、家やお金の準備が出来ていたのかと思ったら、「寂しさは準備できていた」と。ここが一番ぐ~んときました。これは、なるほど!と思いました。どんな人にも当てはまると思いました。私はずっと独身でそれなりに楽しく過ごしてきたのですが、この年になって寂しさが準備できてきたかなと思います。障害者の映画というより、誰にでも通じるものがあると思いました。全体的に醸し出されている雰囲気がよくて、障害者はかわいそうという目線で描かないように注意されたのかなとも思いました。
監督: 1998年くらいから主にテレビ番組のドキュメンタリーを手がけてきました。ですが、障害者に関わるものは作ったことがありませんでした。メディアの持つ「障害者を助けてあげなくては」という視線がいやだったからです。そうはならないように心がけました。主人公の二人も自分たちがかわいそうという風に描かれるのをいやがって撮影を拒否されていました。私もそのつもりはないとお伝えしました。メディアは世の中を一つの流れにしていこうとします。人々が好むもの、涙を流すものを見せようとする傾向があると思います。そうでないものがあるということを描きたいと思いました。
―といいながら、気になったのが、お二人はどうやって生計をたてているのか?です。 それなりの小奇麗な住まいですし。二人の出会いについても詳しく語られていないので、そういったプライベートなことについては映画で描かないことがお二人との条件だったのでしょうか?
監督:二人の生活は政府の補助金で成り立っています。ソウルから2時間くらいかかるところで、家賃はソウルより少し安いのですが、実はヨンチャンさんのお兄さんが家賃を出しています。二人が経済的に大変だという場面も撮影していました。この映画を完成させていく段階で、編集する者とプロデューサーを交えて話し合って、このドキュメンタリーはそういう面を見せようとするものではないと、監督として選択しました。すべてを見せるものでなく、自分が伝えたいものを伝えるものだと思って、そういう場面は省きました。韓国でも観客から同じ質問が出ました。「障害者を描いた時に、大変な場面がないとつまらないですか?」と逆に聞きました。
―実は、お二人の暮らしぶりを見て、韓国の福祉行政が結構行き届いているものなのかなと思いました。
監督:日本よりかなり劣っていると思います。韓国の場合、盲聾者というのは文書上にも存在しません。視覚と聴覚の重複した障害を持つ場合、視覚障害1名、聴覚障害1名とカウントされます。政策というより前に理解自体がないので、重複障害の人に対しての設備がありません。ヨンチャンさんは視力と聴力の両方に障害がありますが、盲学校で学びました。重複障害の人に対する教育プログラムもありません。
―ドラマ「赤道の男」に点字図書館が出てきて、充実したもののように思ったのですが・・・
監督:視覚障害者に対しての施設はあるので点字図書館もありますが、日本より劣っています。
―スンホさんが指点字でヨンチャンさんと対話する姿が印象的でした。
監督:指点字は、ヨンチャンさんが日本の福島教授から習って、スンホさんに教えたものです。ヨンチャンさんは元々点字が読めました。点字も指点字も6点で表わすという共通点があります。点字さえわかれば難しいものではありません。
―ノートパソコンに繋いでいた機械は?
監督:キーボードで打ち込むと、点字が端末機に保存もできるものです。スンホさんがタイピングしたものが、点字になって出てくるので会話もできます。
―私は日本の福祉の現場も知らないのですが、監督はよくご存知ですね。
監督:よく知っているわけではありません。2009年に日本での盲聾者全国大会にヨンチャンさんたちと一緒に来て、撮影もしました。何百人もの人が集まった会場には、ヨンチャンさんのような重複障害の人も大勢いました。いろいろな機械があって、打つとその場で点字になって印字されて出てくるものがあって、初めて見たので驚いていました。韓国よりも重複障害に対しての対応が整っていると思いました。
―ヨンチャンさんは大学で神学を学んでおられて、将来は牧師を目指しているのかと思ったら、プレス資料のインタビューによれば、ヘレン・ケラーセンターのようなリハビリ施設を作りたいという夢をお持ちとのこと。今、ヨンチャンさんは何をされているのですか?
監督:今、大学院に通っています。神学を専攻し、副専攻で社会福祉学も学んでいます。牧師になりたい、小説を書きたい、アメリカに留学したいとたくさん夢を持っています。
―留学先はアメリカを希望されているのですか?
監督:ヘレン・ケラーセンターがありますから。
―ヘブライ語も学ばれていて、発音も聴けない、字も見えない状態で外国語を学ぶのには、すごい努力が必要なのではと感心しました。
監督:ヨンチャンさんは完全に聴こえないわけでなく重度の難聴ですが、生まれた時には聴こえていて、徐々に悪くなったので音の記憶があるのです。外国語を学ぶときには音の記憶を頼りに学んでいます。彼は日本語もできて、日本語の指点字も少しできます。
―映画に時々ヨンチャンさんの詩が出てきて素晴らしかったのですが、詩集もすでに出されているのですか?
監督:まだです。20~30代の頃に書いた詩を読んでもらって、いいなと思うものを映画に取り入れました。
―お二人は今、おいくつですか?
監督:ヨンチャンさんは満42歳。スンホさんは8歳上です。
―出会いについて語られていなかったのですが、スンホさんは元々障害者のサポートをされていたのですか?
監督:スンホさんにも見た通り、背中が曲がっていて障害があります。二人は同じ福祉施設にいて知り合いました。
―お二人に2年間寄り添って撮影されてきて、お二人から監督が得られたものは何ですか?
監督:大切だと思ったのは、ヨンチャンさんの世の中を見るオープンな感覚。いろんな価値を見出していく開かれた感覚を学びました。私にはできないことでした。もうひとつは寂しさ。スンホさんは優しくて天使のように見えますが、「寂しさ」という言葉がキーワードです。映画を観た人はスンホさんが天使のようだからヨンチャンさんを助けて結婚までしたのだと見ると思います。撮影を始めて1年ほどして見えてきたのが、スンホさんの寂しさでした。スンホさんは3~4歳の頃に怪我をして障害が残りました。田舎に住んでいて、友達と遊ぶこともできなくて、庭の木の株に座って花と話すというような寂しさを味わっていたのです。寂しさを知っているので、ヨンチャンさんの隣に居られる。面倒をみてあげたいというより、彼が自分の寂しさを満たしてくれるから一緒に居られるのです。学んだことは、「寂しさ」というキーワード。家族、友達、愛する人・・・、寂しさを補いあえる存在が人が生きていく上で大切なことだと学びました。
―まさしく、私が一番印象に残った ヨンチャンさんが「(結婚するのに)寂しさは準備できていた」という場面ですね。
監督:まさにその通りです。障害者に大変な思いをさせるのは、社会の偏見であったり、経済的な事情であったり、虐待であったりしますが、彼らを一番苦しめているのは、寂しさだと、あの場面を撮っていた時に気付きました。あの場面を撮ってほんとによかったと思いました。
―この作品が多くの方に観ていただけることを願っていますが、次の作品は?
監督:すでに取り掛かって1年ほど経っているのですが、生まれたときから耳が聴こえなくて言葉を発することができない18歳の少女を追っています。ヨンチャンさんを撮っている時に、知り合いました。2012年のことです。彼女の家族を追いながら、広く母と娘の関係を描きたいと思っています。
―その作品も日本で観られることを楽しみにお待ちしています。今日はありがとうございました。