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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『めぐり逢わせのお弁当』
リテーシュ・バトラ監督インタビュー

インドの大都会ムンバイで、125年も続いている家庭から仕事場へのお弁当配送サービス。5千人ものダッバーワーラー(お弁当配達人)が人海戦術で毎日20万個ものお弁当を配送しているが、誤配は6百万個に一つとのバーバード大学の調査結果。本作は、奇跡的に間違って届いたお弁当を巡る物語。

*ストーリー* 結婚して数年、夫の気持ちがほかの女性に向いているのを感じているイラ。お弁当配達人が取りに来る時間に向けてお弁当を作っていると、上の階に住むおばから、「秘伝の心を取り戻すスパイスを入れなさい」と、籠が降りてくる。秘伝のスパイスを仕上げにひとつまみ。その日、なめたように綺麗な空のお弁当箱が戻ってくる。なのに、夫は「カリフラワーが美味しかった」と入れてもいないオカズを褒めるばかりで素っ気ない。誤配されたと気づいたイラは、お弁当にそっと手紙をしのばせる。
イラのお弁当を受け取ったのは、保険会社に勤めるサージャン。妻に先立たれ、お昼は食堂の仕出し弁当だ。いつになく美味しい弁当が届く。早期退職を決めた彼は、食堂に辞める日を伝えに行ったついでに今日の弁当を褒める。翌日、チャパティの下に手紙を見つけ誤配を知る。二人の手紙の交換が始まる。


(C) AKFPL, ARTE France Cinema, ASAP Films, Dar Motion Pictures, NFDC, Rohfilm-2013

一方、退職するサージャンの後を継ぐことになったアスラム・シャイク。お昼はバナナやリンゴだ。やがて、イラのお弁当のお裾分けに預かるようになる・・・

公式サイト:http://lunchbox-movie.jp/
シネジャ作品紹介ブログ:http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/402152572.html

★2014年8月9日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国ロードショー

監督・脚本:リテーシュ・バトラRitesh Batra



1979年ムンバイのバンドラ地区生まれ。2008年に短編『The Morning Ritual(朝の儀式)』を発表。2009年には長編劇映画脚本『The Story of Ram(ラームの物語)』でサンダンス映画祭のタイム・ワーナー・フェローとアンネバーグ・フェローに選ばれる。続く短編『Gareeb Nawaz's Taxi(ガリーブ・ナワーズのタクシー)』(10)と『Café Regular, Cairo(カイロの普通のカフェにて)』(11)が注目され、後者は40以上の国際映画祭で上映され、12の賞を受賞した。本作はリテーシュ・バトラの長編デビュー作で、2013年のカンヌ国際映画祭批評家週間で初上映され、絶賛を浴びた。

お弁当の誤配が紡いだ思いもかけない人と人との縁。心温まる物語を作ったリテーシュ・バトラ監督が8月9日からの公開を前に来日。3誌合同でインタビューの機会をいただきました。

C:シネマジャーナル   RとPは他誌の質問です。


◆自然にボンベイの多様性を示す人物設定になった

C:サージャンはカトリック、イラはヒンドゥー、アスラム・シャイクはムスリムと、多様なインドを象徴する人物設定に感心しました。舞台がムンバイですから、もしかしたらパーシー(拝火教徒)も脇役にいたのではと思っています。宗教の違う人物を主演にしたのは、どんな意図があったからでしょうか?
特にサージャンがヒンディー語のあまり得意でないキリスト教徒という設定だったのかが気になっています。また、監督ご自身の宗教的背景を教えていただけますか。

監督:まず、私自身ですが、ヒンドゥーとして育ちました。両親ほど敬虔じゃないですが。今の時代、「無宗教です」というのが格好いいという風潮があるけれど、飛行機に乗っていて事故になりそうになると、皆、神様に祈り始めます。生まれ育った環境で居合わせた宗教は自然に身についているものだと思います。私自身、最近では子どもが生まれる時と、この映画が公開される前日には神様に祈りました。
登場人物についてですが、サージャンの住んでいるバンドラはカトリックの多い地区で、学校での教育も英語、家でも英語で話していて、皆、ヒンディー語がちょっと苦手なのです。私自身がバンドラで育ったのですが、やはり家でも英語で話しています。
すべてキャラクターありき。手紙もサージャンは英語で、イラはヒンディー語で書いています。
実は宗教の違いは意識したわけじゃありません。シャイクはアラビア海に近いブルーカラーの多い町の出身でムスリムの多いところです。彼はブルーカラーからホワイトカラーへの道のりを歩んでいる人物です。イラは北部のヒンドゥーの多い地域に住んでいる中流クラスの家庭の主婦という設定です。自然にそうなっただけで、あえて違う宗教にしたわけではありません。ボンベイの多様性を見せたいという思いがあって、まさに、ボンベイの中の多くのボンベイを描けたと思います。

☆注) 監督は、私たちがムンバイと質問で使っても、必ずボンベイと答えられました。英語での公式名称がBombay (ボンベイ) から、現地語(マラーティー語)での名称にもとづくMumbai(ムンバイ)へと変更されたのは、1995年のこと。監督にとっては、ムンバイではなく、生まれた時以来、慣れ親しんだ「ボンベイ」なのだと感じました。


◆ロバート・レッドフォードに感謝

R: 監督はムンバイで生まれ育ち、その後進学のためアメリカに渡り、卒業後経営コンサルタントをしたあとニューヨーク映画学校に入学し、さらにサンダンス・インスティテュートに編入されています。インド映画の主流は、歌と踊り満載のこってりしたボリウッド映画ですが、監督が学ばれたサンダンス・インスティテュートや、主宰のロバート・レッドフォードが製作に関わる映画とは違うと思います。もちろんミーラ―・ナーイル監督のような先駆者はいますが、ご自身葛藤はなかったのでしょうか?

監督:自分にとって重要なのは物語を世界に向けて紡ぐことです。歌って踊ってのボリウッドタイプは自分にはしっくりきません。というか、自分には歌と踊りを使ってどう物語を紡いだらいいかわかりません。そういう映画を作る才能が僕にはないのかもしれません。
ミーラ―・ナーイル監督やサタジット・レイ監督など、ボリウッドの潮流とは違う作品がもともと大好きでした。だからといって、どっち派というのではなくて、どんなストーリーを紡いでいきたいかを常に考えています。アプローチは孤独な作業です。自分の居場所を自分で決めるのではなく、作りたいものを作って、この人は何派といったことを他の人に決めてもらったほうがいいと思います。

P:ロバート・レッドフォードから学んだ一番のことは?

監督:なんといっても人間性です。やり続けること。あんなにいろいろのことを成し遂げていらっしゃるのに! 世界の映画作家にとって、安全でクリエイティブに作れる場を提供してくれているということです。
サンダース・インスティテュートのお蔭で映画監督になれました。それを作ったロバートに感謝しています。サンダースの一員であることをとても誇りに思っています。

P:ロバートは本作をご覧になりましたか?

監督:観てくれているといいなと思います。



◆ダッバーワーラーの語る噂話から物語を紡ぐことを思いつく

P:弁当配達人を初めて知って面白かったです。最初、ドキュメンタリーを作ろうとして、どこから長編映画としていけるかと思ったのでしょうか?

監督:ドキュメンタリーを作ろうと思って、ダッバーワーラーと数週間一緒に過ごして、いろいろと話を聞いて、家庭のプライベートな話が面白くて、システムの話よりも、プライベートなことを物語にしたら面白いのではと思いました。かなり早い段階でドキュメンタリーではなく、家庭の話を主軸にした長編にしようと思いました。最初考えたのは、うまくいってない結婚生活を美味しいお料理で修復しようという物語でした。ある時、旦那との関係ではなくて、お弁当がもし他の人に届いて人生を修復するきっかけになったらどうだろうと思いつきました。物づくりの面白さで、何かを発見すると違うところに連れていってくれる。他の短編を撮ったりしながら、5年位かかって脚本を練りました。キャラクターは常に考察していました。実際に書き始めたのは、カイロで短編『Café Regular, Cairo(カイロの普通のカフェにて)』を作った時で、10日位で撮影したのですが、その時にこの映画の脚本を10日間くらいで書き上げました。2011年の中盤位のことでした。

C:昨年、アモール・グプテー監督の『スタンリーのお弁当箱』が公開されて、ムンバイといえば、ダッバーワーラーと思って観ましたら、ダッバーワーラーは出て来ませんでした。生徒のお弁当をつまみ食いする先生にはお弁当を届けてくれる家族もいない寂しい人生なのか、それとも学校には運ばないのか、あの学校のある地域が配達区域ではないのか? と疑問を持ちました。

監督:その映画を観ていないので、わからないのですが、学校にも配達するのではないかと思うのですが・・・

C:監督の家庭では、ダッバーワーラーを利用されていましたか?

監督:母は父にお弁当を届けるのに利用していました。私たちの身近にあるものです。

C:ムンバイのお弁当配達という独特のものを背景にしながら、主人公二人とその周囲の人たちのいろんな人生が盛り込まれていて、どこの国の人にも共感してもらえる素晴らしい作品だと思いました。最後、二人が会うのかどうか、はっきりさせていない終わり方なども含めて、イラン映画の雰囲気を感じました。プレス資料に、スウェーデンなどヨーロッパの映画のほか、イラン映画にも興味をお持ちだと書かれていました。イラン映画でお好きな監督や作品は?

監督: キアロスタミ監督は大好きです。特に、『桜桃の味』がいいですね。最近では、アスガル・ファルハーディー監督の映画が、シンプルで洗練されたスタイルで目標にしたいと思っています。

C:まさに、私が感じたのが、ファルハーディー監督作品の雰囲気でした。


◆合作の苦労よりも、ボンベイでの撮影に苦労

R:この作品はインド、フランス、ドイツの合作ですが、国際共同製作は監督が望んだものと伺っています。日本は島国根性ということがよく言われて、合作に関しては苦労話をよく聞きます。キアロスタミ監督も日本との合作映画『ライク・サムワン・イン・ラブ』を撮りましたが、渋谷で今すぐ撮影したいと思っても許可がいると言われて、なぜとお怒りになったと聞いたことがあります。この映画はインドとヨーロッパとの合作で、島国の日本との合作よりは苦労が少なかったのではと思いますが、ご苦労はありましたか?

監督:インドも島国ですよ(笑)。地理的というより、文化的にね(笑)。映画監督が苦労話をするのは逸話として面白いけれど、映画を作れるのは特権だし、作ったものを観て貰えるのは嬉しいことです。それに、合作でなくても苦労はあります。今回は、合作であることよりも、ボンベイで撮影したことが大変でした。4ヶ月も前から撮影すると言ってブロックしてあったはずのロケ地が、撮影隊と一緒に朝行ったら、その日は急にオーナーの気が変わって使えないといったことがありました。そもそも撮影するのに、警察、区役所、政府、フィルムコミッション、個人オーナーなど5カ所から許可を貰わないといけないのです。安全面のこともケアしなくちゃいけないし、合作の苦労より大きかったです。むしろ合作のいい面もありました。今回は撮影監督がアメリカ人、サウンドデザイン・作曲家がドイツ人、カラリストがフランス人でした。映画の最初の観客は、身近なスタッフです。私はインド特有のものを撮りながら、グローバルなものを作りたいと思っていましたから、最初に観てくれるスタッフが国際色豊かだったので、彼らの反応を見ることができてラッキーでした。この先も、このスタッフたちにはぜひ映画製作に参加してほしいと思う方たちでした。
例えば、今回サウンドデザインはドイツ人にやってもらいましたが、歌って踊ってのボリウッド映画では、楽曲がメインで、サウンドデザインはあまり使われません。この映画は、曲は全体の10%以下に抑え、14カ所だけです。ほかは自然音をサウンドデザインとして取り入れています。ボリウッドではあまりない技術をほかの国の方に補ってもらいました。クリエイティブな面で一番有効な形でプランニングできるかが重要だと思います。


◆インドは、昔と今が共存するところ

P:夫婦がうまくいってない背景に興味を持ちました。インドではお見合いが多いと聞いていますが、この夫婦もお見合いだったのでしょうか?
イラは専業主婦ですが、インドでの女性の社会進出はどんな状況でしょうか?

監督:インドは色々な時代が同時に存在するところです。
この映画も、プロデューサーやラインプロデューサーが女性だし、キャスティングディレクターも女性です。一方で専業主婦も多い。それがインドです。二人は恐らくお見合いだと僕も思います。実はバックストーリーを役者にもしなかったのですが、観客や俳優が自分の経験で自分なりの物語にしてほしいと思っています。よっぽど的外れな演技をしていない限り、過去のバックグランドを話しません。

C:結婚していることの証であるネックレスの「マンガラ・スートラ」の使い方がとても素晴らしかったです。イラは最後に売ってしまって、ブータンに旅立つ費用を捻出します。夫に依存していた自分を解放させるという見事な演出でした。「マンガラ・スートラ」は男性の所有物になった印のような気がするのですが、今でも皆さん結婚すると付けるのですか?

監督:ヒンドゥー教徒にとっては、結婚指輪にあたるもので、今でも必ずします。私の母も付けています。

C:色々な時代が同時に存在するという言葉ありました。IT産業の発達しているインドなのに、事務所にパソコンがありませんでしたね。

監督:実はあれは本物の事務所を借りて、ファイルを少し増やしたくらいで撮影したのですが、あの事務所では保険申請をするとマニュアルで処理しています。パソコンはほんとにありません。仕事を減らさないという事情もあって、近代化しないのです。雇用数を激減させないためなのです。


◆故郷インドでのヒットは何より嬉しい

R:庶民の生活を垣間見れて面白かったです。サージャンは女性に対して奥ゆかしくて、日本人に近似性を感じました。ボリウッド映画で観ている男性像と違いました。インドでも本作はヒットしたと聞いています。どんな反応がありましたか? 私たちの映画だという反応だったのでしょうか?

監督:インドでそこまでヒットしたのは自分にとってサプライズでした。数多くの劇場でかけていただいて、小さな市町村でも上映されて、観た方から手紙もいただきました。予想もしてなかったので嬉しかったです。これだけ支持された背景には、ボリウッド映画界は変わらないのに、インドの観客は少し変わってきたのかなと思います。自分たちの物語をもっと観たいのかなとも感じました。いただいたコメントの中で、「母が亡くなる前に最後に一緒に観に行った映画で、母は笑って観ていました」とか、目の見えない方が「3回観に行って、手紙のやりとりに耳を済ませました」などの言葉が記憶に残っています。
グローバルに普遍的に観て頂きたいといいつつ、自分の故郷で受け入れて貰えたのは、すごく重要なことで嬉しかったです。

一同: 日本での公開のご成功を祈っています。



*取材を終えて*

監督は、とても物静かで、一つ一つの質問に丁寧に答えてくださいました。インド人というと、とかくまくしたてるという印象(失礼!)があったのですが、この映画の主人公のサージャンや、監督のように、思慮深く落ち着いた方もいることを再認識しました。
時間切れで質問できなかったのですが、サージャンの後を継ぐアスラム・シャイクの語る言葉が絶妙でした。「母が、間違えた電車に乗っても正しいところに着くと言っていた」「母親が言ったといえば、皆真剣に聞いてくれる」といった言葉の数々が光っていました。監督が実際にお母様から学んだことなのでしょうか・・・。機会があったら、お伺いしてみたいです。
この夏、インド映画の公開が続きますが、『めぐり逢いのお弁当』は、その中でも一味違った作品です。こんなインド映画もあることをぜひ知ってほしいと思います。

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(取材:景山咲子)
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