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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

三國連太郎主演『朽ちた手押し車』初公開記念トーク
~ 長山藍子さん、30年の時を経て映画の思い出を語る ~

長山藍子さんと、聞き手の大高宏雄さん

2014年4月15日(火)14:00~
東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホールにて


昨年亡くなられた三國連太郎さんの180本を超える出演作の中で、唯一未公開だった『朽ちた手押し車』。1984年に島宏監督により製作された本作は、認知症、老人介護、安楽死という高齢化社会の抱える問題をテーマにした社会派ドラマ。まさに時代を先取りした映画でした。昨年、「お蔵出し映画祭2013」でグランプリと観客賞を受賞し、ようやく日の目を見ることになりました。 5月3日から公開が始まりましたが、公開を前に、本作に出演した長山藍子さんが、30年の時を経て一般公開されることになった映画への思いや、撮影時の思い出を語りました。

聞き手は、「お蔵出し映画祭2013」で審査員を務めた映画評論家の大高宏雄さん


◆「お蔵出し映画祭」で観客の姿に涙

長山:出演者の一人がまだ生きていて、参加したご縁でお話できるのが嬉しいです。

― 5月3日から公開されます。昨年、福山と尾道で開催された「お蔵出し映画祭2013」で上映され、審査員をしていたのですが、満場一致でグランプリに選ばれました。30年前に作られたにもかかわらず、公開されずお蔵入りしていました。ある倉庫にあるのを見つけ、なぜ公開されなかったのかなと。長山さんはいつご覧になりましたか?

長山:お蔵出し映画祭に呼んでいただいて拝見しました。出演したことは覚えているのですが、ずっと忙しくしていて、映画を観たかどうかも忘れていました。映画祭に伺って、お蔵入りになっている映画はずいぶんあるのだなぁと思いました。

― お蔵入りになっている多くの映画の中から6本選んで上映した中の1本でした。

長山:お客様たちが、吸い込まれるように観ておられたのが印象的でした。

― グランプリになれば公開されるという特典が付いているものでした。今の時代が求めている映画だと、満場一致で『朽ちた手押し車』がグランプリに決まりました。

長山:今の時代が求めているというより、すごくいい映画だなと思いました。時代を先取りしている映画。今、大事な映画。お客さんに喜んで観ていただけただけでも嬉しかったのに、グランプリもいただいて・・・、ぼろぼろ泣きました。鬼籍に入られた三國連太郎さん、田村高廣さん、初井言榮さんも喜んでいらっしゃることと思います。


◆鬼気迫る老人を演じきった三國さん

― デジタル技術で新たに生まれ変わって実に綺麗。俳優さんの演技が皆さん素晴らしいです。三國さんのメイクアップはどんな感じでしたか?

長山: 当時、三國さんは61歳。普段はすごくダンディな方。毎日、朝8時頃から撮影だとすると、毎朝5時頃からメイクをされていました。髪の毛も抜いていらっしゃいました。『異母兄弟』の時に歯を抜いて入れ歯にされていたのですが、その入れ歯もしないで臨んでいらっしゃいました。失禁したりウンチをしたりという凄惨なシーンがあるのですけど、私自身、役者でありながらそばて観ていて怖いくらいでした。それでいて、おじいちゃんの可愛らしさもあって、とても心に迫るボケの演技でした。

― 初井言榮さんの代表作ともいえる作品ですよね。

長山:長いキャリアを持った舞台女優さんですね。おじいちゃんも、初井さん演じるおばあちゃんの言うことは聞く。夫婦愛もいいですね。安楽死というテーマも入っています。30年前はバブル。時代を先取りした映画だったのですね。こういう映画が入る余地がまだなかったのだと思います。


◆時を経て今井正監督宛に書いた自分の手紙を手にする

トークの最後に、長山藍子さんが『朽ちた手押し車』撮影当時、親不知の民宿から今井正監督宛に出した手紙を、先日、今井正監督の関係者の方から送っていただいたという話題が出ました。

実は、この関係者とは、シネマジャーナルの創始者の一人でもある佐藤玲子さん。「今井正通信」の編集者でもある佐藤玲子さんが、最近、長山藍子さんにお送りしたものでした。

長山藍子さんは、『橋のない川』に出演して以来、今井正監督と親交があり、手紙は、今井正監督が三國連太郎さんと佐久間良子さんを主演に撮った『越後つついし親不知』(1964年)のロケ地と同じ親不知で、『朽ちた手押し車』の撮影をしていることを、病床にある今井正監督に宛てて綴ったもの。時を経て、自分の書いた手紙を読んだ思いも語ってくださいました。この場に持ってくればよかったとおっしゃる長山藍子さん。

実は、私自身、このトークに参加する直前に、佐藤玲子さんから長山藍子さん自筆の手紙を見せていただいたばかりでした。『朽ちた手押し車』が、老人問題を扱った真剣な映画であることなども書かれていました。手紙は、すばらしく達筆な字で、長山藍子さんの誠実なお人柄が文面から伝わってくるものでした。

映像も手紙も、時を経ても色あせないこと、そして、時代を蘇らせてくれるものだと強く感じたひと時でした。

報告:景山咲子


『朽ちた手押し車』

監督・脚本:島宏 (初監督作品)
出演:三國連太郎(安田源吾)、田村高廣(安田忠雄)、長山藍子(忠雄の嫁みつ)、誠直也(次男 弘)、初井言榮(安田トミ)、下條アトム(医師)
1984/日本/カラー/136分
配給:アークエンターテインメント
http://k-tg.net/
2014年5月3日(土)丸の内TOEI他全国順次ロードショー



*ストーリー*

新潟県親不知に住む漁師一家。元漁師安田源吾(三國連太郎)は、痴呆がひどくなり、妻のトミ(初井言榮)、長男忠男(田村高廣)、妻みつ(長山藍子)は困り果てていた。
痴呆が進む源吾は、いくらご飯を食べても、食べていないと言っておかわりをする。
また小便で濡れた着物を引きずりながら、夜毎、海岸を深夜徘徊する。妻のトミが連れ戻すが自分では覚えていない。そんな夫の看病に疲れ、そのうち、トミが病で倒れ、余命数ヶ月と宣告されてしまう。
ボケた父と、余命いくばくもない母を抱えた息子忠男は、母の状態を家族にも伝えられず毎日を過ごしていたが、母の苦しむ姿を見て悩んでいた。母から、「早く楽にしてくれ」と懇願され、医者に安楽死をお願いするが、それはできないと一蹴されてしまう。
この作品は、現在深刻な問題になっている高齢化社会、老人介護、安楽死というテーマを描いているが、30年前ではまだ早すぎたのか公開されなかった。
妻トミが死んだこともわからない痴呆老人源吾を演じた三國連太郎は、認知症の老人になりきり、毎日老人メイクに2時間以上をかけていたという。
 介護の現実、過酷な状況下でも見棄てることのできない家族のつながりと愛情を描いている。


*エピソード*

この作品は1984年(昭和59年)に製作されているが、私はその頃、この作品が撮られた親不知(おやしらず)近くの、信州白馬村で働いていた。冒頭に出てきた親不知駅も、その当時通ったことがある。

1986年に信州から帰ってきて西麻布にある現像所に勤めた。その頃、西麻布の交差点のそばで三國連太郎さんとすれ違ったことがある。

六本木方向から西麻布の交差点に向って、浴衣に下駄の姿で、下駄の音をカタカタ鳴らせながら犬の散歩をしている大柄な人をみかけ、こんな所で「浴衣で犬の散歩?」と思って見たら三國連太郎さんだった。1986年だったので、この作品を撮った2年後くらいだと思うけど、犬と一緒に駆け下りてきてさっそうとしていた。まるで、上野の西郷隆盛の銅像のような格好だった。 今、この作品の中の三國さんを見ると、その時の姿とのあまりの違いに、今更ながら驚いている。そうとうの老けメイクをしていたんだなとつくづく思った。(暁)



◆三國連太郎さんとの思い出

長山藍子さんのトークイベントが行われた4月15日は、三國連太郎さんのご命日である4月14日の翌日のことでした。

1年前のスタッフ日記に私の三國連太郎さんとの思い出を綴っていましたので、ここにあらためてお届けします。

最後にお会いしたのは、2006年。すでに80歳を越えておられましたが、『朽ちた手押し車』で演じた老人源吾とは違って、背筋もしゃんとして、とてもダンディな方でした。


☆2013年4月17日 スタッフ日記ブログ
http://cinemajournal.seesaa.net/article/355875555.html

三國連太郎さんご逝去の報に、思えば、これまでに2回お話する機会があったと懐かしく思い出しました。

日本イラン合作映画『風の絨毯』(2002年)で、高山の祭屋台のために絨毯をイランに発注する大旦那役を演じた三國連太郎さん。そのモデルになった飛騨高山の事業家・中山金太さんの功績を描いたドキュメンタリー『平成職人の挑戦』(2004年)では語りを務められたのですが、完成披露試写会の後の懇親会で思い切ってお声をかけてみました。『風の絨毯』の東京国際映画祭上映の折の舞台挨拶の時に、王政時代のイランにいらしたことがあるとおっしゃっていたので、そのことをちょっとお伺いしたかったのです。どんなお話をしてくださったのかは忘れてしまいましたが、その後に「実は、私の父が三國連太郎さんと同じ写真に写ったことがありまして・・・」と申し上げたら、「おや、そうですか」と、釣りバカ日誌のスーさんさながらの優しいまなざしをいただきました。


『風の絨毯』舞台挨拶 2002年10月29日

次にお話したのは、前述の中山金太さんの一代記「わしゃ、世界の金太!〜平成の大成功者と5人の父〜」(高山秀実著・毎日新聞社発行)の出版を祝う会の時のことでした。

その時のお祝いの言葉がとても素敵だったのを思い出し、スタッフ日記を探してみたら、ちゃんと書いていました。
という次第で、2006年9月第5週のスタッフ日記から引用です。

「益田さんという楊貴妃のような女性に騙されて、金太さんを紹介され、 映画に出ろと言われたんです。私、実は出演料高いんです。その100分の1位の額を言われ、さて、何の縁もないのに・・・と思いながら、金太さんとお付き合いしている内に、こんなお話を聞きました。 地質学者の方が、飛騨高山では温泉は出ないというのに、どうしても温泉を掘り当てたい。 3本同時に掘って、1970m掘ったところで、ついに温泉が出たのですが、 金太さんは、あと39m掘って欲しいと。なぜ?とお伺いしたら、サンキューベリーマッチだと。 自分の生き様を大事にしていらっしゃる方だなぁと感じて、 ささやかな出演料でも出てよかったなぁと・・・」


三國連太郎さんと楊貴妃のような益田祐美子さん 


三國連太郎さんと金太さんご夫妻

金太さんも、その後、まもなく天国に召されました。きっとあちらの世界で三國連太郎さんを暖かくお出迎えされていることでしょう。

(景山咲子)

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