『クライマー パタゴニアの彼方へ』
監督トーマス・ディルンホーファー オーストリア 2013年製作
南米パタゴニアの世界一登頂が困難と言われる標高3128mの山セロトーレは、世界中のクライマーたちを惹き付けてやまない尖塔。この南東稜の花崗岩からなる岩壁を、ボルトを埋め込まないフリークライミングで登頂した者はまだいなかった。
その最高難易度の過酷なルートに素手と命綱で挑んだのは、2008年、史上最年少の18歳でクライミング界のワールドカップチャンピョンになった“若き天才”デビッド・ラマと、そのパートナーのペーター・オルトナー。彼らの岩壁への挑戦を追ったクライミング・ドキュメンタリー。
2009年、2011年、2012年と3度に渡る挑戦を撮影するために取材陣も彼らと共に岩壁に取り付く。また、ヘリで撮影されたパタゴニアの山々の絶景と、ヘリからしか撮れない垂直の壁に挑む登頂シーンは、圧倒的な臨場感とスケール感を映し出す。
4年かかった登頂への挑戦。山へ登ることを通して深まる山仲間との絆。最初は、すぐに登れると軽く見ていたが、手ごわい山と自覚してゆき、競技者としてのフリークライマーからアルピニストに成長していく姿、山へ登ることへの覚悟が描かれる。
パタゴニアの壮大な眺めと、麓の荒涼とした風景がとても対照的。登頂光景だけでなく、天候待ちの麓の宿泊所での、二人の葛藤する姿も映し出される。
1990年、オーストリア人看護師の母とネパールのシェルパ族出身の父との間に生まれたデビッド・ラマは、5歳の時、エベレスト無酸素初登頂を達成したペーター・ハーベラーにより、その類まれな才能を見出された。幼少期から優秀なクライマーに指導を受け、目覚ましい活躍を遂げ、2005 年にユースの大会でワールドチャンピオンになると、シニアのワールドカップへの出場を特別に許された。1年目のシーズンで何度も勝利し、その年の2つ目のコンペティションでは史上最年少で世界王者の栄冠を手にする。加えて、ヨーロッパのチャンピオンシップで2つのタイトルを獲得。競技の世界での成功を重ねながら、ロッククライミングの技術を磨き、現在は競技クライマーからアルピニストへの変容を遂げている。
― 臨場感ある映像と登頂に対する姿勢、山にかける思いの変化など、心に迫ってきました。
撮影クルーとの3年に渡るコラボレーションが映像の中で結実していました。いろいろ苦労はあったとは思いますが、とてもすばらしいロッククライミングドキュメンタリーになっていると思います。セロトーレに3回目の挑戦で登頂した時のお気持ちを教えてください。
ラマ:もちろん、まず嬉しい気持ちがありました。この山を登頂するのに3回の遠征、4年かかって、時間と愛をささげた夢を形に出来たのですから。登頂の喜びは自分だけでなく、撮影隊と一緒過ごして友情が生まれて、彼らと共に喜びを分かち合いました。でも、もう一方で、プロジェクトが終わってしまうので、心にぽっかり穴が開いたようで、次はどうするかという寂しい気持ちもあり、3年間、このパタゴニアで過ごした時間、楽しむことができて愛おしく、この瞬間を失いたくないという気持ちにもなりました。
― セロトーレに3回目の挑戦で登頂できて、ほっとした思いがあったと思います。最初に挑戦しようと思った気持ちと、3回も挑戦することになったことに対してはどんな思いがありますか?
まさか、3回も挑戦することになるとは思ってなかったのでしょうか。
ラマ:最初は想像もしていませんでした。自分のやろうとしたのはエクストリーム・マウント・クライミング(極限の登山)でしたが、スポーツクライミング(コンペティションクライミング)の世界と、アルピニストが行う実際の登山には違いがあることを実感しました。同時に驚かなかった部分もありました。そもそも、セロトーレをフリークライミングで登るなんていうのは登山界では不可能と言われていましたから、簡単に成すことができるとは最初から思ってはいませんでした。
― 登山の中で一番苦しかったのはどこですか? まっすぐな壁を登るのが、とても人間わざとは思えませんでした(笑)。どのくらい垂直な壁が続いたのでしょう。
ラマ:(こともなげに)基本的に全部です(笑)3100mくらいの山ではあるのですが、1500mに及ぶ壁はほぼ垂直です。だからこそ長らく登るのは不可能だと言われていたのです。クライマーたちにとって、最も美しくて、最も登るのが難しい山と言われていて、だからこそ登りたいと思わせてくれる山なんです。
― ポスターやチラシに使われている登頂写真はどのあたりなんですか?
ラマ:ヘッドウォールですね。頂上の20mくらい下です。
― 負けず嫌いなところがあって、成し遂げられたと思いますか?
ラマ:(ちょっと考えて)負けず嫌いとか競争心とは違います。自分が抱いたアイデアとかビジョンを叶えるには、すべてのことをやり尽くさないとやらないタイプです。セロトーレでもいろいろな挑戦がありましたが、困難にぶつかった時には3つの対処方法があると思います。
1. イメージした通り、頑張る
2. ギブアップする
3. 目的まで容易く到達する迂回路を探す
セロトーレで学んだ哲学は、最初に抱いたビジョンをぶれずにやり通すことです。そうでないと自分自身を裏切ることになってしまうからです。
― 子どもの頃から才能を見出されて、ボルダリングに魅せられていたそうですが、このセロトーレの前には、そんなに山には行っていないのでしょうか?
ラマ:ペーター・ハーベラーさんに5歳の時に才能を見いだされて、ボルダリングに恋に落ちてしまったわけですが、そこからセロトーレまでの自分のクライマーとしての道というのは二つありました。まず、室内で行われる競技クライミングにフォーカスを置いていました。室内でのボルダリングの競技に13年から15年くらい競技者として生活をしていました。
しかし、そもそもペーターに最初に連れていってもらったのは、外でのクライミングでした。そこからパラレルでクライミングを続けていたので、外で登る山こそが真のクライミングだとずっと思っていました。スポーツクライミングから始めて、壁自体が高くなり、ビックウォールに挑戦していき、アルピニズムというか、本格的な登頂をするようになりました。なので、ずっと同時にやっていました。
― ペーター・ハーベラーさんに才能を見いだされたそうですが、お父様と一緒に行ったのがきっかけだったのでしょうか?
ラマ:父はネパール出身で、母はオーストリア。ネパールでの援助プロジェクトをいくつかやっていて、ハーベラーさんと親交があって、「息子さんもクライミングに行かないか」と誘ってくれたのです。
編集部注:エベレスト初登頂者のエドモンド・ヒラリー卿も、ネパール支援のための「ヒマラヤ基金」を設け、ネパールに学校や病院を設立した。今は息子のピーター・ヒラリーさんが引き継いている。今年5月にあった『ビヨンド・ザ・エッジ 歴史を変えたエベレスト初登頂』公開記念のピーターと田部井敦子さんのトークショーで、この援助のことを語っている。このトークショーレポートをシネマジャーナルHPに掲載しています。こちらもぜひごらんください。
http://www.cinemajournal.net/special/2014/bte/index.html
― お父様とお母様の出会いが気になっているのですが…
ラマ:80年代後半に、母が友人3人とネパールに1ヵ月のトレッキングに個人手配で行って、その時にトレッキングガイドをしたのが父でした。1ヵ月トレッキングするうちに恋に落ちて、母が帰国して2ヶ月後には、父は母を訪ねてオーストリアに行き移住しました。ネパールの家族や人々に対して何か自分たちができることをするには、オーストリアにいてしたほうがいいのではないかという思いもあったようで、結婚してオーストリアに住むようになりました。両親は毎年のようにネパールにトレッキングなどに出かけています。
― お祖父さんはラマ僧とのことですが、ご自身も仏教徒ですか?
ラマ:公式には仏教徒ですが、どの神様も信じていません。でも、どの宗教にもポジティブな面があるし、日常生活に取り入れることはできると思います。たとえば、自然に対してレスペクトの気持ちがあったりもしていると思います。
― この2年はパキスタンのMasherbrum(マッシャブルム)に登られたり、キルギスタンなどでも挑戦されていますが、できるだけ険しい壁を選んでいるのでしょうか?
ラマ:登る山は、難しくて美しい山を探しています。世界中の山をすべて登ることはできないので、どこを選ぶかに関しては結構うるさいです。それは、登るにはたくさんの愛と時間とエネルギーを捧げるからです。充足感を覚えるのは、登頂不可能と言われた山を登りきった時です。セロトーレが良い例ですし、今、挑戦中のマッシャブルムもそうです。
― 挑戦しがいのある山を目指しているのですね。
ラマ:その通りなのですが、挑戦だけではなく美しさも必要です。どれくらい自然の驚異にさらされるかが選ぶ基準です。
― お父様やお祖父さまの故郷であるネパールの山にも登りましたか?
ラマ:ネパールには美しい山がたくさんあり、もちろん登りたいと思っているのですが、まだ登るチャンスがありません。ネパールには5回行ったことがあるのですが、スポーツクライミングをしていた時だったので、まだ登っていません。いつか登りたいです。
― セロトーレは、2009年、2011年、2012年と3度の挑戦をしていますが、その遠征費用などはどのように工面したのですか?
ラマ:スポンサーももちろんいますが、足りない部分は自分でなんとかして行きます。
現状に満足していますし、自分の夢を実現できるだけのものを稼いでいます。
でも、別に裕福になりたいとは思ってはいません。それは僕の夢ではありません。
この映画でデビッド・ラマが前人未踏のほぼ垂直な岩壁に挑む姿はとても人間技とは思えず、観ているだけで思わず息を飲み、ハラハラドキドキした。そして、目の前にいる小柄で控えめな青年が1500mの壁を登りきったというのが信じられない感じがした。でも、話を聞いて、子供の頃にボルダリングにはまって訓練を重ねたという地道な努力が、このセロトーレの岩壁登頂成功の道を拓いたのだと思った。
私自身も山が好きで、北アルプス白馬山麓に5年ほど暮らしたこともあるけど、私の登山はロッククライミングやフリークライミングではなく、山の景色や高山植物を楽しむもの。ロッククライミングはやらないので、垂直に近い岩を登っていく楽しみというのを理解できないけど(私にとっては恐怖としか思えない)、これもはまると病みつきになる世界。
西穂高から奥穂高へ縦走した時(上高地から見ると左側の稜線)、馬の背という25mくらいの長さで、下を見ると1000メートルを越える断崖絶壁があり、ここを通過するには立ってはいけず、馬にまたがるように越えた。そのときの恐怖は忘れられない。すでに数年山登りをしていたのだけど、二度とこういうところには来るまいと思った。それなのに一緒に行った友人は初めての大きな山登りだったにも関わらず、すっかりこの世界が気に入り、ロッククライミングの世界にはまっていった。彼女はあれから30年以上もたつのに相変わらずロッククライミングを続けている。
デビッドの話を聞いて、その彼女のことを思い出した。
秋葉原にボルダリングができるところがあるというのを知らなかったけど、その壁をバックにインタビューをした。デビッドはここにとてもマッチしていると思った。こういうところでインタビューするのもいいですね(暁)。
パタゴニアといえば氷河と思っていたら、3000メートルを超える山があると知ってびっくり。試写の案内をいただいて、いち早く観たいと思っていたのに、夏風邪が長引き試写で拝見するのは断念。そこへ、取材の案内・・・ 映画も観ていないし、山好きの暁さんにお任せと思ったら、今回来日するデビッド・ラマさんは、お父様がネパールのシェルパ族と知って、これはお会いしたい!と、DVDを送っていただいた。セロトーレの絶壁に挑戦するデビッドさんとパートナーのペーター・オルトナーさん、そして撮影隊の姿に感銘を受けた。そして、素手と命綱のみで登るフリークライミングで挑戦したのは、山を傷つけないで山に敬意を払いたかったからというデビッドさんの言葉が心に残った。
そんな精神の持ち主のデビッドさん、きっと、シェルパ族のお祖父さま(ラマ僧)や、お父さまの影響を受けていることと思い、お二人からどんなことを学んだかを聞いてみたかったのに、キュートな彼を前に、ちょっと違う質問になってしまった。(夏風邪で喉を傷めてしまって、声が出なかったせいも!)
ダイナミックなセロトーレ登頂に挑戦する姿は、ぜひ大画面でもう一度観てみたい。(咲)