岩波ホール総支配人で、東京国際女性映画祭のジェネラルプロデューサーだった高野悦子さんが、2013年2月9日大腸がんのため東京都文京区の病院で死去した。83歳。
女性映画人の大先輩であり、女性映画人を輩出させるための後押しをしてくれた高野悦子さんのご冥福をお祈りします。
高野悦子さんは、旧満州(現中国東北部)生まれ。日本女子大学を卒業後、1952年に東宝に入社。映画監督を目指すが、「女性は映画監督にはむかない」と思われていた時代。1958年に退社し、パリ高等映画学院に留学し、映画監督を志す。帰国後、衣笠貞之助監督の助手を務め、テレビドラマの脚本や演出を手掛けた。しかし、まだまだ、女性の映画監督への道は厳しかった。
1968年、岩波ホールの創設に伴い、義兄で岩波書店社長だった岩波雄二郎さんに誘われて総支配人に就任。1974年、外国映画の配給を手掛けてきた川喜多かしこさんと、埋もれた名作映画を上映する組織「エキプ・ド・シネマ」(映画の仲間)を結成。岩波ホールを拠点に『大地のうた』、『木靴の樹』、『旅芸人の記録』、『大理石の男』、『八月の鯨』(2013年2月16日(土)より再ロードショー)などを公開し、ミニシアターブームの先駆けになった。
シネマジャーナルでは、なんといっても東京国際女性映画祭でのつながりが強い。「世界の女性監督の紹介」と「日本の女性監督の輩出」を目標に続けてきた東京国際女性映画祭。高野さんは、1985年から去年までの27年間、東京国際女性映画祭のジェネラルプロデューサーを勤め、現在のように女性が映画界で活躍できる道を作ってくれた。
2009年より、映画祭でお姿を拝見することができなかったので、ご病気だろうと思っていたが、亡くなったとお聞きし残念でなりません。
昨年末に亡くなったベアテ・シロタ・ゴードンさんといい、女性を応援してくれてきた方々が亡くなり心細いですが、これからも後押ししてくれた先輩たちの思いを引き継いで、私たちシネマジャーナルは益々女性映画人を応援してゆきます。
当初の目標だった「日本の女性監督の輩出」は、ある程度実現されたとして、昨年、東京国際女性映画祭は幕をおろした。近年、確かにドキュメンタリー部門だけでなく、商業映画部門で活躍する女性監督も登場し、映画界で働く女性も増えた。
去年の東京国際映画祭コンペティション部門では、15作品のうち4作品が女性監督の作品。しかも、さくらグランプリと監督賞を獲得した『もうひとりの息子』は、フランスのロレーヌ・レヴィ監督だった。女性が監督賞を受賞したのは、東京国際映画祭では初めてのこと。
また、キネマ旬報ベストテン2012年度の作品は、『かぞくのくに』『ふがいない僕は空を見た』『夢売るふたり』の3点が女性監督の作品。日本アカデミー賞では『わが母の記』で芦澤明子さんが撮影監督賞にノミネートされ、確実に女性映画人の活躍の成果が出てきている。その意味では東京国際女性映画祭の目的は、ある程度達成されてきた。
しかし、世界の女性映画人たちの活躍と比べると日本はまだまだ遅れているといわざるを得ません。高野悦子さんの残した功績を胸に、残された私達がこれからも映画のために邁進していかなければならないと思います。
東京国際女性映画祭を27年間続けてきた高野悦子さん、ディレクターの大竹洋子さん、コーディネーターの小藤田千栄子さん、実行委員の羽田澄子監督と内田ひろ子さん、そして映画祭を支えたスタッフの皆さまお疲れさまでした。そしてありがとうございました。
なお、シネマジャーナルでは1991年以来、毎回、東京国際女性映画祭をレポートしてきています。その中からいくつか写真を紹介します。