日本の統治下、日本語で教育を受けた「日本語世代」の老人たちを取材した、前作『台湾人生』から4年。今回は、日本が台湾を去った後、二・二八事件、白色テロの時代を生き抜いてきた彼らの長い道のりを描いている。
7月6日より、ポレポレ東中野で公開されています。
酒井充子監督インタビューは本誌88号に掲載していますが、今後も東京以外の劇場で公開が予定されていますので、HPにも掲載します。本誌では誌面の都合で要約していますが、HPでは全容をお届けします。
なおポレポレ東中野での公開は8月23日までです。まだ観ていない方、ぜひ観にいってみてくださいね。
シネマジャーナルHP 作品紹介
http://www.cinemajournal.net/review/2013/index.html#taiwan_identity
1969年、山口県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、北海道新聞記者を経て2000年からドキュメンタリー映画、劇映画の制作、宣伝に関わる一方で台湾取材を開始する。小林茂監督のドキュメンタリー映画『わたしの季節』(04)に取材スタッフとして参加。台湾の日本語世代に取材した初監督作品『台湾人生』(09)に続き、2013年春に『空を拓く-建築家・郭茂林という男』を完成させた。著書に「台湾人生」(2010年、文藝春秋)がある。
― 前作『台湾人生』では、台湾在住の方を取材されていましたが、今回は台湾在住の方だけでなく、インドネシア、日本に在住している6人の台湾人の証言を記録しています。戦後、台湾の人たちが経験した様々なパターンをバランスよく取り上げていましたが、このようにまとめようと思ったのは、『台湾人生』から後、膨らんできたのでしょうか。
国民党による弾圧で父を亡くした高菊花さん、高菊花さんの大叔父で海軍に志願した鄭茂李さん、少年工として神奈川県にあった高座海軍工廠で働いたあと台湾に帰った黄茂己さん、日本軍の兵士として戦いシベリア抑留を経験をした後、日本で暮らす呉正男さん、台湾独立派の政治犯として火焼島に8年も収容された張幹男さん、日本軍に志願し、戦後、インドネシアの残留日本兵として独立戦争を戦った宮原永治(李柏青)さん
(公式HPのキャスト紹介)
http://www.u-picc.com/taiwanidentity/cast.html
監督:『台湾人生』は、日本語世代の人たちの中に残っている日本統治の痕跡を追いましたが、今回は日本統治時代を背負いつつ、彼らが戦後どう生きてきたかにスポットをあてました。そして、彼らを描くことで台湾の戦後を見てこなかった日本人の存在を入れたかった。
シネマジャーナルHP 『台湾人生』酒井充子監督インタビュー記事参照
http://www.cinemajournal.net/special/2009/taiwanjinsei/
― いろいろな方の人生を出すことで、バランスよく様々な状況を表現していたと思います。この方たちに絞るまでにも多くの方に取材されていると思います。苦渋の選択で、映画で紹介できなかった方たちのことを教えていただけますか。
監督:主要登場人物は6人ですが、他にも数名お会いしてお話を伺いました。お話しを伺う中で最終的に6名に絞りました。これには入れなかったのですが、生粋の共産党員というおじいさんもいました。台湾人の方で共産主義しか台湾を救う道はないと、国民党に対抗する為に共産党に入った方でした。張幹男さんが火焼島の政治犯収容所では、独立派は実は少数派と言っていましたが、意識的に共産党に入党していたという台湾人がかなりの数いたそうです。そういう人も入れようかと考えてはみたのですが、今回は取材で話を聞くに留めました。余裕があれば、そういう方にも登場していただきたかったなとは思っています。 火焼島にはわけもわからず連れてこられてしまったという方も多かったそうです。
― 前作の『台湾人生』で、台湾には日本語世代という人たちがいるということを教えてもらい、台湾は日本の植民地だったんだということを実感しましたが、今回は、さらに突っ込んだ話になっていると思いました。
監督:今回、横浜在住の呉さんに登場いただいて、日本からの視線というものを呉さんに代弁してもらいました。もちろん彼は台湾人なので我々とは立場が全然違いますが、高度経済成長の日本からどんな風に台湾を見ていたかということを語っていただきました。その頃、我々日本人はどうだったの?というところを込めての呉さんへの質問だったんです。
― 呉さんのことだけでなく、映像全体から、日本に突きつけられたメッセージを感じました。私たち日本人は教わってこなかった台湾の姿が伝わってきました。私は台湾の歴史は映画でしか知ってこなかったんです。
監督:私自身も『台湾人生』の取材を通して知りました。戦後の台湾というのは、『台湾人生』の中では描ききれなかったということもあったので、今回の作品に繋がり、今回は戦後に重点を置きました。
― 前作のあと、日本語世代の孫の世代が日本に対してどう感じているかを描きたいとおっしゃっていましたが、日本語世代の方のその後を追われたのは正解でしたね。日本語世代の人にもっともっと聞いてみたいことが、まだまだありますね。
監督:日本語世代の方がどんどん亡くなられているので時間との闘いです。
― 台湾に行った時、二二八 紀念館に行ったのですが、日本語ボランティアの方から教育勅語のプリントを渡されて、唱和させられました。戦前、学校などで唱和させられていたものですが、日本では戦後、これを強制されることはなくなりましたが、日本の統治時代に教え込まれたものが残っているということにびっくりしました。
監督:そうなんです。私も『台湾人生』で蕭(シャオ)さんに取材したというのは、蕭さんが旧総督府のガイドをされていて、たまたま私がそこに行ったら、その教育勅語のプリントを渡されて、「アヤヤ」と思ったのがきっかけでした。皆さん、今でもそうされているんですね。
― 日本が押し付けたことが残っていることに罪悪感というか、複雑な気持になりました。
監督:もちろん押し付けたものですが、まだ、それに固執している彼らの気持を考えると、その後の時代がいかに大変だったかということの裏返しではあるんです。複雑ですよね。
監督:ところで、出てきた人で、誰が一番ひっかかりましたか?
― いろいろな人生がずっしりという感じでしたが、歌手をしていた高菊花さんが一番気になりました。自首書を出したものの外国に行く自由もないというのは理不尽でしたね。
監督:尋問がなくなっただけで、不自由さは変わらないんです。
― 歌手としてお金を得るしかなかったという高菊花さんですが、お父さん高一生さんがたどった人生は悲惨でした(原住民族ツオウ族のリーダーで住民族の自治を主張していたために逮捕されて、処刑されてしまった)。こういうことがいくつもあったのだろうと、この話の断片から感じました。こういうことがあったということは、あまり知られていないのですよね?
監督:一部の台湾研究家の中では、原住民族の犠牲者の一人として高一生さんの存在は知られているけれど、一般の日本人は知る機会もないので、こういう映画を通して断片だけでも知ってもらいたいと思いました。
― 台湾ではどうなんですか?
監督:みんな知っているかというと、そうでもない。
― 本省人、外省人でも、捉え方が違うのでしょうか。
監督:違うとは思いますが、ただ、本省人、外省人と言っても、もう2世、3世、4世の時代になってきているので、あまりこだわりはないと思います。
― 高さんの妹さんは65歳で日本語が達者ですが、戦後も家では日本語で会話をしていたのでしょうか。
監督:そうなのですよ。想像ですけど、日本統治が終わって中華民国になって北京語が公用語といわれても切り替えが難しかったのではないかと思います。お父さんの獄中からの手紙も日本語で書かれていました。しばらくは日本語が家族の中の共通言語だったんじゃないですかね。菊さんはツオウ語は聞くことはできるけど、話すことはできないと言っていました。彼女はエリートの娘で、現地の子が通う学校には行ってなくて、日本人と一緒に小学校に通っていたからツオウ語はできないのだと思います。妹さんは日本語はうまいですが、やはり公用語の北京語が一番楽な言語です。
― そういう意味では、台湾って家族の中でも話せる言語が違ったりして。言語が大変ですね。
監督:それは、『台湾人生』の中でも語っていましたよね。
― 横浜に住んでいる呉さんが、これだけ日本語ができるし、これだけ長く日本に住んでいるのに、国籍取るのがなかなか取れないというのは残念に思いました。今、私の知り合いのイラン人が国籍取得申請をしているのですが、彼は20年くらい日本に住んでいて日本語はペラペラなんですが、「あなたは不法滞在の時代が長いから、すぐにはあげないよ」と、けんもほろろに言われたそうです。でも、書類をそろえて行ったらとりあえず受理はしてくれて、今、結果待ちです。
監督:呉さんは、あれだけ長く住んでいても国籍を取るのはなかなか難しい状況。日本のために戦争に行って、捕虜にもなっている。そのことが一切考慮されないということがひどいなと思うんですよ。窓口の人も杓子定規じゃなくてもいいじゃないと思ったので、皆さんどう思いますか?ということで出したんです。
― 法務省って冷たいというか、心が狭い感じがする。島国根性じゃないけど、もっとオープンな気持で、住みたくて、国籍取りたいという人たちに門戸を広げてほしいと思います。でも呉さんが、「そんなんだったら日本国籍なんていらない」と、あっけんからんと言うところは好きです。国籍って何だろうと思いました。
― 台湾の若い人たちは、白色テロとか二二八事件などについて知ってはいるのですか?
監督:知識としてわかっていると思います。ただ、すごく平和な台湾なので、実感としてはないと思います。 なので、張幹男さんが「台湾独立派の年寄りがいうことですよ」って言うんですが、たぶん台湾の若い人たちが聞くと、「また、このおじいさん頑張っちゃって」みたいにしか受け止められないと思うんですよ。たけど、こういう人がいるということだけでも伝えたいなと思って。
― これは、日本人の監督が台湾の日本語世代を撮ったドキュメンタリーですが、台湾人の監督によるこういうドキュメンタリーが作られたということはあるんでしょうか。
監督:映画かどうかわからないですが、火焼島の白色テロの犠牲者の人たちの証言録はDVDでありますね。
― 日本人としては台湾のことをもっと知らないといけないなと『台湾人生』を観て思ったんですが、さらに、今度は台湾人の戦後というのを描いていただいたので、たくさんの人が知るべきだと思いました。
シベリア抑留も日本人だけと思っている人も多いけど、植民地から徴用された人もいたんですね。ハッとさせられました。また、インドネシアの独立運動に参加した残留日本兵の中に台湾出身の人もいたと、この映画で知りました。インドネシアの独立戦争に残留日本兵が協力したということ自体が知られてないですが…。
監督:インドネシアの残留日本兵で生き残っているのはもう二人だけなんですが、首都ジャカルタにいるのは宮原さんだけ。もう一人残っている日本兵は別の都市にいるんです。だから宮原さんは、旧日本兵を背負って立っている状態なんです。だから、映画の中では台湾名でもインドネシア名でもなく、宮原さんという扱いをしています。日本名、宮原永治として生きているけれど、死ぬときにはインドネシア人として死んでいくという答えが意外でした。
― タイトルの『台湾アイデンティティー』は、そんなところからつけられたのですか?
監督:タイトルはむしろ先にありました。アイデンティティーというキーワードが大切な核になっています。宮原さんは日本人として生き、インドネシア人として死ぬといいましたが、それでもやっぱり台湾人として生まれた悲哀を語っています。心の中ではもちろん台湾人としての自分を持っているんですよ。
何人としてのアイデンティティーは彼の中にないんですよね。日本人でもあるし、インドネシア人でもある。もちろん台湾人でもあるということなんですが、こういう人に初めて会いました。
宮原さんがインドネシアにいるのは、台湾の日本統治があったがゆえ。宮原さんは日本兵としてインドネシアに行っているわけですから。
― 台湾からは20万人くらいの人が、日本軍の軍人や軍属として戦争に行っているわけですが、そのうちシベリア抑留された台湾人はどのくらいいるのかはご存知ですか?
監督:あいまいなのであえて触れていないのですが、案外少ないんですよ。台湾、朝鮮、韓国籍合わせて、2010年のシベリア特措法が施行された時点で、生きていた日本国籍でない人は10数名。日本国籍を取った方がどのくらいいるのかはわかりません。一人当たり25万円~150万円で、マックス、一人に150万円払ったとしても、10人だったら1500万円くらいじゃないですか。呉さんが皮肉をおっしゃっていたんですが、たったそれだけの国の予算を役人は支払わないで済ませたとおっしゃっていた。払えばいいじゃないですか、10数人にちゃんと。この時代になっても、国籍がないということで除外するんですよね。そこを入れるか入れまいか悩んだんですが、入れるとまた説明が必要になってくるのであきらめました。呉さんに関しては、国籍に関することに集中させました。
― 2010年に言われてもね。皆さん90歳前後になっていますよね。日本人だって、生き残っている人が少ないですよね。
― 張さんは火焼島に8年いて出所してから日本語のガイドを始めて、その後自分で会社を立ち上げて、島帰りの人を会社に受け入れたとのことですが、やはり、島帰りには制限があったのでしょうか。
監督:一旦就職しても、特務が会社に来て嫌がらせしたのだそうです。結局、会社も雇ってあげたいけど、申し訳ない辞めてほしいということになって、定職につくことができない人がたくさんいたそうです。張さんはそれを体験して、自分で会社をやろうと、立ち上げたんです。
― 知らないことだらけで、映画を観てそうだったんだと、いろいろ考えさせられました。
監督:東日本大震災で、台湾の人たちがたくさんの寄付をしてくれたじゃないですか。WBCのエピソードなんかもあって、日本人が台湾を見る目は、近い国と認識し始めていると思うんです。だからこそ、こういう歴史があることをキチンと知っておく必要があるんじゃないかって思います。こういう歴史があった上で、あれだけ 温かい気持を寄せてくれているということを理解して、台湾と向き合ってほしいなということが私の願いです。
― 台湾への観光客も増えているし、台湾に目を向けている人も増えていると思うから、やはりこういう作品をぜひ観てほしいですね。次はいよいよ若い世代? それとも、ほかのテーマを? でも、もうちょっと追った方がいいかもしれないですね。
― 最新作は?
監督:実は今、戦前に朝鮮人の画家と結婚した日本人女性を撮っています。現在、92歳で、今は東京に住んでいる方です。彼が北朝鮮から東京の文化学院に留学に来ていて知り合ったのですが、戦争が終わる直前に北朝鮮に戻り、彼女は彼を追って北朝鮮に行って結婚しました。けっこう裕福な家だったのですが、朝鮮戦争で焼けだされ南に避難。済州島などにもいたのですが、貧しくて家族4人(男の子が2人)が食べていけず、妻子を日本に帰国させたんです。夫は1回は日本に来ることができたんですが、日韓基本条約(1965年)が締結される前に亡くなってしまって、離れ離れのままになってしまったのです。その女性が健在で、その話を追っています。
― その映画も楽しみにしています。どうもありがとうございました。
取材 記録 景山咲子 まとめ・写真 宮崎暁美
『台湾アイデンティティー』公式HP http://www.u-picc.com/taiwanidentity/
現在、ポレポレ東中野で8月23日まで公開中。
http://www.mmjp.or.jp/pole2/now.htm
また横浜のジャック&ベティでも23日まで公開中。
http://www.jackandbetty.net/access.html
その後の上映予定は下記アドレスへ
http://www.u-picc.com/taiwanidentity/theater.html