シネマジャーナル読者の方から、「キネマ旬報ベストテン第一位映画鑑賞と表彰式」に行けなくなったので行きませんかと招待状をいただき、この機会にぜひ授賞式を見たいと思い、シネマジャーナル87号の編集間際でしたが行ってきました。
せひ見たいと思った大きな理由は、去年、インタビューする機会があった『かぞくのくに』のヤン・ヨンヒ監督と、『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』の長谷川三郎監督が、それぞれ日本映画、文化映画のベストワンになったのと、ベストテンの中に『かぞくのくに』『ふがいない僕は空を見た』『夢売るふたり』と、女性監督の作品が3点もあったからです。
女性監督の作品がキネ旬ベストテンの1位になったのは、2009年度第83回キネマ旬報ベストテンの『ディア・ドクター』(西川美和監督)以来2人目。西川美和監督は今回も『夢売るふたり』がベストテン入りしています。高野悦子さんの追悼記事に「確実に女性映画人の活躍の成果が出てきている」と書きましたが、そういう意味でも、去年は女性映画人にとって大きな転機の年だったのかもしれません。
2012年 第86回キネマ旬報ベスト・テンは下記の作品です。
授賞式は、最初に、特別協賛である映画チャンネルムービープラスの「ムービープラスアワード2012」の映画ファン大賞 作品賞 邦画部門第1位、『のぼうの城』の表彰から始まりました。
その後、キネマ旬報賞の発表があり、キネマ旬報編集長の明智恵子さんがプレゼンテーターを勤め、上記の作品順に、次々と受賞者に賞状とトロフィを渡していきました。
日本映画ベストテン1位、ヤン・ヨンヒ監督の『かぞくのくに』は、帰国事業で北朝鮮に渡った監督の兄が病気治療のため日本に一時帰国した時の家族との再会経験を元に作った作品。前2作のドキュメンタリー『ディア・ピョンヤン』『愛しのソナ』で描けなかったことを描こうと思って作ったとインタビューの時に監督は言っていたけど、前2作のおかげで北朝鮮に入れなくなってしまった監督は、「今後、映画製作をやめるという約束をするのなら、また北に行けると総連の幹部に言われたけど、まったく迷うこともなくこの作品を作り、この人に、この作品の試写状を送った」と語った。これからも迷わずに映画を作っていきたいと思いますと語っていたヤン監督の勇気に改めて拍手を送りたい(監督インタビューはシネマジャーナル85号に掲載)。
文化映画ベスト・テン 『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』の長谷川三郎監督は、「福島さんがカメラを武器にして戦ってきた福島さんの人生に惹かれてこの作品を作りました。こういう時代だからこそ、このような賞をくださったんじゃないかと思います。先の見えない時代、様々な現場で戦っている魅力ある人の人生を、またドキュメンタリーで伝えて行きたい」と語った。
日本映画監督賞『終の信託』の周防正行監督は、「監督としての技量というのはイエス、ノーの判断が優れている人。その積み重ねで作品ができる。デビューしたころはカルトムービー作家と言われ、数年すると娯楽映画の作家と言われ、今や社会派です。この先どんなレッテルを貼られかわからないけど、またまた違うレッテルを貼られるような映画監督を目指したい」と述べ、会場を沸かせた。
主演女優と助演女優賞をダブル受賞した安藤サクラさんは、喜びを最大限に表し、宇宙や子孫にまでありがとうと感謝していた(笑)。
助演男優賞を受賞した小日向文世さんは、驚いたことに初めての映画賞受賞だとのこと。票を見たら1票差で賞をいただけたということを知りました。またいつの日か賞をもらえるように頑張りたいと語った。
新人女優賞を受賞した橋本愛さんは16歳。去年は7本もの作品に出演したというから驚き。ホラー作品に出て妖怪の役も経験し、やっと青春ものに出られました。生きていて良かった。これからも頑張っていきますと語った。誰に一番感謝しますかという質問に対して、「私は、大切なものとか大好きなものに順位はつけない」と語っていたのが印象的だった。
新人男優賞を受賞した三浦貴大さん、あまり新人ぽい年齢ではないけど(28歳)、受賞を知ったときは、素直に、やったー!って思いました、と語った。司会者から、お父さんの三浦友和さんはどんな存在かと聞かれて、「父は夢です」と答えていた。
九州での舞台があり、最後に滑り込みセーフでやってきた主演男優賞の森山未來さんは、『苦役列車』で、この賞をもらって嬉しいと語り、できあがってからが苦役列車だったと笑わせてくれた。
いつもシネマジャーナルでベストテンを選ぶとき、キネ旬ではどんなベストテンになっているかなと参考にしていた。私が選ぶ作品の傾向と近いなと思っていたので、ベストテン特集号は私にとってずっとバイブルだった。そんな賞の授賞式に参加できて、とても嬉しかった。
安藤サクラさんが受賞した時、ヤン・ヨンヒ監督は泣いていた。きっと、これまでのことを思い、感極まって涙が出たのでしょう。「他人の受賞で泣いている人を初めてみました」と司会者に言われ、マイクの前に出てきてくださいと即され二人が並んだシーンは感動的だった。
そういえば、香港電影金像奨取材には何度も行っているのに、日本での映画賞授賞式を取材したのは初めてだった。今回、日本の映画賞の取材をしてみて、とても参考になったので、次回もまたチャンスがあったらぜひ参加してみたい。
まとめ&写真 宮崎 暁美
シネマジャーナルHPでの長谷川監督インタビュー記事
http://www.cinemajournal.net/special/2012/nipponnouso/index.html