『風を聴く~台湾・九份物語~』、『雨が舞う~金瓜石残照~』の、林雅行監督最新作『呉さんの包丁~戦場からの贈り物~』は、中国の金門島砲撃後、その落とされた砲弾を使って包丁を作っている呉増棟さんを追ったドキュメンタリー。砲弾から包丁を作るという驚きの話が語られる。
金門島は周囲150㎢(小豆島位)。台北、松山空港から飛行機で約1時間だが、対岸の中国・厦門(アモイ)までの距離はわずか10㎞。島には高梁(コーリャン)畑が広がり、渡り島が羽を休める安息の地。石獅爺という魔除けの像が所々に立ち、閩南(びんなん)建築の家屋が印象的。落日の夕焼けが水面を赤く染める美しい島だが、この島は戦いの最前線だった。
第二次世界大戦後、国共内戦が始まり、敗走する国民党軍と追撃する共産軍の間で決戦となった。毛沢東は「台湾解放」を目指し、蒋介石は 「大陸反攻」を掲げて対峙した。1958年8月23日、共産軍は対岸から450門の大砲で金門全域を砲撃。国民党軍も応戦(823砲戦)。共産軍は数週間に渡って50万発の砲弾を撃ち込んだ。その後、1978年まで双方の軍は宣伝弾を撃ち合っていた。金門島は1992年まで軍事管制が敷かれ、島民の生活は大幅に制限されていた。島民は、毛沢東の面子vs蒋介石の意地の狭間で、歴史に翻弄されたのだった。
そして今、「砲弾は僕にとって、空からの贈り物」と語る呉さんは、この砲弾を材料に包丁を作っている。呉さんの父親が島にある砲弾を使って包丁作りを始めたという。いまや金門島の観光土産として有名になり、台湾人だけでなく大陸からも大勢の中国人観光客が訪れ、包丁を買い求めていく。呉さんは砲弾から包丁を作ることで、金門の苦難の歴史を留め、観光資源に転換活用したといえる。
シネマジャーナル作品紹介
http://www.cinemajournal.net/review/index.html#hocho
『呉さんの包丁~戦場からの贈り物~』公式HP
http://cr21.web.fc2.com/hocho/hocho.html
8月24日よりユーロスペースで公開中
1953年名古屋生まれ。
雑誌編集、執筆。NHK,TBSなどのドキュメンタリー番組を制作しながら映画を製作。
(株)クリエイティブ21代表。出版、舞台の企画・脚本・制作・演出なども行う。
製作ドキュメンタリー映画
『友の碑~白梅学徒の沖縄戦~』(2003)
『我が子の碑~人形たちと生きた60年』(2005)
『人間の碑~90歳、いまも歩く~』(2006)
『風を聴く~台湾・九份物語~』(2007)
『雨が舞う~金瓜石残照~』(2009)
『おみすてになるのですか~傷痕の民~』(2010)
2013年8月13日
取材 景山、宮崎
K(景山):まずは映画の冒頭で出てきた美しい閩南建築の家並みや、華僑の人たちの建てた瀟洒な館に目を引かれました。美しい景色、みごとな包丁さばきで出来上がる美味しそうな料理で、もう冒頭を観ただけで、金門島に行ってみたいとそそられました。
監督:閩南建築で家を建てると県から補助が出るんです。だから閩南建築を残そうという雰囲気があります。日本と違って、まるっきり新しくするのではなく、古いものを大事にしながら開発しています。それに金門島には工場排水を出すような工場がないので海が汚れてないから、料理が美味しいんですよ。包丁の工場からは大量の工場排水などは出ませんしね。
K:映画は、呉さんという包丁職人の人生を軸に、台湾、中国、日本の歴史的関係がとてもわかりやすく描かれていました。
監督:そのように描かないと、なぜ「砲弾から包丁」というのがわからないでしょう。 台湾人自身、民主化していて、自分たちの歴史を学ぼうとしています。日本人も台湾人も知らないことを発掘して組み立てていかないとドキュメンタリーとして意味がない。
M(宮崎):この作品のことを知ったのは、一昨年の台湾エンタメ談議で林監督の話を聞いた時でした。砲弾から包丁を作るという発想にびっくりしました。それからずっと気になっていました。
監督:日本に来ている台湾の記者連中の中で、この包丁について悪口をいう人がいますよね。 金門というと外省人の島だから大陸と結託しているとか、アモイに秘密工場があるという人もいます(笑)。
M:歴史的に言うと、日本の植民地になってないし、大陸の方に近いから、元々の島民は大陸側から来た人でしょうし、そのころ金門島に駐留した兵士の多くは国民党軍で外省人だったでしょうから、本省人は良い感情を持っていないんですね。
* 外省人=中国大陸から蒋介石とともにやってきた人たち
本省人=以前から台湾に住む人たち
監督:呉さんの作る包丁は全部が鉄製じゃなくて、パン切り用などはステンレスです。鉄は重いし錆びやすい。鉄製の包丁をもらいましたが、すごく重いんです。
M:映画を見るとすごく伸ばして薄くしているけど、あれだけ大きいと重いんですね。中華料理などでは、よく見かけますけど、日本ではあまり使わないような四角っぽい大きい包丁ですね。
砲弾というのは不発弾もあるかもしれないけど、破裂した砲弾の破片から作るんですか?包丁に使う砲弾は主に宣伝砲とのことですが・・・。砲弾をそのまま包丁の形にしたモニメントも出てきましたしね。
監督:宣伝弾というのは、パッと破裂して中に入っているビラが散った後の弾。破片が落ちてくるんですが、全部が全部、宣伝弾ということはなくて実弾もありました。それに、不発弾もありますからね。
823砲戦(1958年8月23日の夕刻に始まった中国共産軍から金門島に向けた激しい砲撃)で飛び交った48万発をはじめ、20年の間に飛んできた砲弾を利用しています。人がいないところを狙ったとは言っていますが、全部が全部そうじゃないですから、やはり犠牲者はいるでしょうね。
M:それだけ砲弾が飛び交っていたら、かなりの犠牲者がいたでしょうね。
金門島は前線の島。台湾の戒厳令が1987年に解除された後も、1993年までは出入りが制限され、台湾と中国の間の戦闘に振り回された島ですが、島民の感情、受け取り方はどのようなものなのでしょう。あれだけ大陸と近いと、島民はアモイなど元々中国から来た人も多いと思うし、島民の思いに関係なく台湾領になってしまったり、親戚が敵味方に分かれてしまったこともあるでしょうから。
監督:親戚はアモイに多かったりしますので複雑でしょうね。今も泳いで逃げてくる人がいますよ。
M:呉さんの生き方が素晴らしいと思いました。父親が砲弾から包丁を作り始めましたが、それを発展させて、時代の変遷の中で生きて、包丁についても「戦場からの贈り物」と言っているわけですから…。この映画のタイトルは呉さんの言葉からなんですか?
監督:いや、呉さんは「毛沢東からの贈り物」って言っています(笑)。
K:呉さんが包丁の材料を毛沢東からの贈り物だというのを聞いて、大躍進の時代の手記を読んだ時に、子どもたちが学校の行き帰りに釘を拾って歩いたことや、鍋釜を供出したという話を思い出しました。もともと鍋釜だった鉄がまわりまわって包丁になったと思うと、面白い運命だと思いました。
監督:砲弾は鍋釜からできたわけじゃありません(笑)。砲弾はソ連製です。鍋釜で放出したものから砲弾はできません。大躍進運動についても、3~4000万人死んでいるけど、日本でこの運動の研究書が出始めたのは最近ですよね。
K:そうなんですか。鍋釜が砲弾になって、それがまた包丁になったら面白いなと思ったんですが(笑)、そういうわけじゃないんですね。
2011年に完成している『老兵挽歌』を、あえて本作より後に公開する意図は?
*『老兵挽歌』はシネマジャーナル85号で紹介しています
国民党兵士として台湾に来た兵士たちの老後を描いた作品で、栄民の家という老兵たちが暮らす家を取材している。
蒋介石は、大陸から約60万人の兵士を連れてきたが、退役者が増える頃、兵士は「栄民(栄誉国民)」と呼ばれるようになった。栄民とその家族が住む村は眷村(けんそん)と呼ばれている。眷村出身としてはテレサ・テン、候孝賢、エドワードヤンなどがいる。家族を持たない栄民が集団で暮らしているのが「栄民の家」。台湾全体で18ヶ所(2010年時点で約1万人)あるという。
監督:その方がわかりやすくないですか。
K:つながりからして、金門島の歴史を知った上で、『老兵挽歌』を観たほうがわかるだろうなとは思ったのですが、去年の尖閣諸島問題で、『老兵挽歌』を出しにくかったのかなとも思ったので聞いてみました。
監督:映画館サイドとしては、それもありましたよ。
兵士の中には14~5歳で拉致されて国民党の兵士にされた人もいます。一番悲惨なのは、国民党兵士として国共内戦を戦い、共産軍の捕虜になり、朝鮮戦争では人民解放義勇軍で中国側として参加し、アメリカ軍の捕虜になって台湾に来た人。1000人ぐらい生き残っていますが、それは複雑です。
M:その人たちこそ、ほんとうに戦争に翻弄された人たちですね。
M:蒋介石とともに台湾に来た外省人は200万人くらいとのことですが、そんなに多いとは思っていませんでした。中国と台湾の行き来ができるようになってから、随分たくさんの人が中国に行っていますね。
監督:中国に里帰りした人たちの話ですが、「おじちゃん、おじちゃんって、見たことない親戚が言ってくるけど、お金ばかりせびるし、自分の父親や母親が生きている時代には帰ったけど、もう帰らないよ」って言ってますね。
M:中国映画『再会の食卓』で台湾からの里帰りが描かれていました。夫が台湾から帰ったら、音信普通だったので、夫は死んだと思い、妻は再婚していたという話でしたね。
監督:あれは空しい映画でしたね。いろいろ考えました。
M:金門島に行ったのは、やはり大陸から来た国民党軍の兵士(外省人)が多かったんでしょうね。金門島にも栄民の家はあるんですか?
監督:金門島には栄民の家はありません。あそこ自体が眷村みたいなもんですから。 金門島の地雷撤去は今年6月に全部終ったらしいですね。最近、責任者の方にいろいろ伺いました。この映画を撮っていたとき、まだ地雷撤去していたんです。
K:2010年~2012年に通って撮影しているのですね。
監督:2010年の秋から1年で5回くらい通って作りました。2時間飽きずに観ることができるでしょ?
K:そうですね。とてもわかりやすくできていると思います。
監督:今、旅行会社4社くらいからツアーを作ろうと企画が来ています。金門島はほとんどが平地で高い山はありません。太武山も低いですし風が強いです。お土産にはコーリャン(高粱)酒と包丁(笑)。
M:小豆島(150㎢)くらいの広さと言っても、どのくらいの広さなのか検討がつかないですね。
K:淡路島より小さいですよね。
監督:そこに10万人の兵士がいたんですよ。台湾で最多35万人の兵士がいた時に、10万人が金門島に配備されていたということで、三分の一くらいの兵士がここに配備されていたんです。だからその頃は、軍のための施設がたくさんあったそうです。
M:金門島のこともわかったし、呉さんの魅力に溢れた作品でした。
ドキュメンタリーは主人公の魅力が鍵ですね。
監督:絶対そうですね。呉さんはひょうきんな人ですし。
M:呉さん以外にも包丁を作っている人はいるのですか?
監督:ほかの人も作っているけど、砲弾が飾ってあっても、実際は砲弾からではなく中国で作った偽物だったりします。
K:呉さんのお父さんが本家本元ということなんですね。
M:砲弾から作るというのは、手間ひまかかりますからね。
監督:でも呉さんのは、日本の手打ち式の包丁作りから較べると機械化されている方なんです。日本では鉄を3枚くらいあわせて包丁を作ります。それからが日本の職人芸ですね。日本でも、堺には鋼から作っているところがあります。
呉さんは普通の包丁は、1本作るのに20分って言ってますけど、模様をつけたり、飾りをつけたりするのは結構時間がかかるみたいですね。
K:20分くらいでできるの?すごいなと思ったんですけど、やっぱりそうですよね。
M:伸して、形を作るまでが20分ということなんでしょうね。でも、だんだん包丁が進化しているのがわかりますよ。観光客が来るようになって、実用性だけでなく見栄えがいい包丁も作るようになっていったんでしょうね。結構、実業家だと思いました。
監督:呉さんの奥さんがやり手なんですよ。それに、20代前半の息子がマーケティングをしています。呉さんは人の多いところは苦手で、台北に行くのも好きじゃない。
M:やっぱり職人だけでなく、そういう協力者がいないと発展は難しいですね。
金門島には、呉さんのような思いの人が多いですか? 砲撃を避けて、たくさんの人が台湾本島に避難したのに残った人たちだから、人ごみとか好きじゃないのかなと思いました。
監督: 金門島はおおらかな人が多いですね。4~5万人いたけど、砲撃があった頃、半分以上は避難したと思います。
M:平和な時代になって、戻ってきた人もけっこういるのですか?
監督:戻ってきたというより、移住してきた人がいますね。
M:『国境のない鳥』(台湾/2009)という渡り鳥を描いたドキュメンタリーの中で金門島が出てきましたが、ここは渡り鳥の通過地でもあるんですね。こういうのが好きな人は、ここに住みたいでしょうね。豊かな自然を求めて、移住してきた人はけっこういるんじゃないですか?
監督:そうですね。渡り鳥が綺麗だし。あと、カブトガニがいますね。 それに、今後もっと観光地化していくと思います。吉本がこの6月か7月に、中国観光客向けに物産センターを作りました。日本の47都道府県の物産を置いているそうです。
M:私は、林監督の『雨が舞う~金瓜石残照~』を観て金瓜石に行ったのですが、この映画が公開されたら金門島に行く人も増えるのでは?
監督:どうですかね。数から言えばわずかでしょうね。
金門島の事情がわかって書ける記者も少ないですしね。政治的、歴史的なことをわかりやすく書くというのは難しいでしょうね。この映画は、そういう部分をうまい具合にまとめていたでしょ?
M:それを言われると、にわか勉強ですから心配です(笑)。政治的に難しい島の事情がありますからね。
最近、日本から台湾に行く人が多いですが、あまり歴史を知らないで行く人多いですよね。
九份に行った時、鉱夫の像を見ながら、ここは鉱山だったのかしらねと言う日本人を見かけました。九份は日本からの観光客が多いですが、ここが金鉱だったことを知っている人は少ないのかもしれません。さらに金瓜石まで足を延ばす人は、もっと少ないですね。
この作品を観てから金門島に行ったら、ガイドブックを見て行くのとは違う経験ができるんじゃないですかね。
K:圓山大飯店の地下から総督府に向けて地下通路があるというのも、この映画で初めて知りました。
監督:圓山大飯店地下の避難壕でしょ。もっと街中まで繋がっています。蒋介石が1972年に国賓用に作ったのですが、蒋介石は中国が攻めてくると本気で思って地下通路を作ったのですよ。
M:ところで『老兵挽歌』はいつ公開されるのですか?
監督:まだ決まってないですが、早めに公開できたらと思います。
M:そもそも『呉さんの包丁』は、『老兵挽歌』のラストロケで金門島を訪れたときに、呉さんの包丁の存在を知ったとのこと。映画を撮っている中で次に繋がることはよくありますね。
監督:九份の作品をやったから、金瓜石の作品に繋がりました。これをやろうかなというより、終った頃に次が出てくる感じです。台湾ばかりを撮ろうとは思ってはいないですが…。
M:沖縄などもけっこう撮られていますよね。
テレビ番組の制作と映画の製作、どのように違うのでしょう?
K:TVとタイアップっていうわけにも行かないんですか。
監督:TVと映画は全然作り方が違いますからね。音楽の入れ方だって違います。カット割りもテロップの出し方も違います。
M:この『呉さんの包丁』は映画公開の後、TVで紹介されたら、もっと反応があると思うんですが、なかなか難しいですか。
K:映画を作る時と、TVの番組を作る時って、スタンスが違いますが、どちらが好きですか?
監督:会社ではTVの番組もやっていますが、テレビには内容に制約がありますし、時間的にも制限があります。テレビでやれることは映画ではやらない。テレビはジャーナリズムの一環なんです。映画は記録性を重んじなくては。
TV的に金門題材を作れといわれたら作りますし、映画的に作るとしたら作ります。TVの作り方と映画の作り方は違いますから、もっとコミカルに「金門、呉さんバラエティ」を作れと言われたら、作る気になれば作れますよ。吉本なんかは芸人使って、金門の露出度を高めるんだって言ってましたよ。ま、TVの場合は、対中国との関係とか、対台湾との関係とかものすごく制約があるじゃないですか。ひとつの中国を原則にしていますからね。でも映画はそういう制約がないので、自由ですからね。その代わり、何かあったら火の粉は飛んでくるけれど。
NHKのETV特集で従軍慰安婦問題を扱った時、安倍、中川に政治介入されたけど、その後、うちの会社で仏教者の戦争責任の番組を作ったんですが、なかなか企画が通りませんでした。日中戦争の時に、仏教者の偉い人が「この戦争は間違っているんじゃないか」って言って、逮捕されて、教団も彼の地位を剥奪したんですよ。70年たって名誉回復するという内容だったんですが、NHKは、あの「従軍慰安婦」の番組の後、戦争物は外の制作会社にやらせないという姿勢になって、戦争物が通りにくくなったんです。その後、放映することはできましたが…。
K:言論の自由といいながら、自主規制しているし、政治的圧力にも屈してしまっているんですね。
M:今、TV番組を見るとバラエティ番組ばかりですものね。ドキュメンタリー好きとしては、とても残念です。視聴率に振り回されていることもあるんでしょうか。
監督:でも、NHKは視聴率関係ないでしょ。民放でも視聴率関係なく、いいものを作っているところもありますよ。うちの会社も18~9年なんとかやってますが、テレビも儲かりはしないですね。
K:私自身は戦後生まれですが、母は台湾からの引揚者、父は学徒出陣経験者で、小さい頃から、台湾のことや戦争の時代のことをよく聞かされて育ったのですが、監督もお母様が青島からの引き揚げ者とのこと。監督が戦争に翻弄された人々に目を向ける作品を作るようになったことに影響しているのでしょうか?
監督:もちろんそうですね。父は20歳の時、終戦。航空母艦が沈んで、その後、呉にいる時に終戦でした。母は青島から引き揚げてからのほうが困ったと言ってました。
K:お父様は海軍だったんですね。私の父も海軍でした。いまだに毎日のように聞かされています。靖国神社の戦争を語り継ぐ会などでも父は若い方に話していますし、そういう意味では、私の知らない戦争時代がしっかり埋め込まれている感じがあります。監督も同じ世代なので、そういう影響を受けているんだろうなという気がしました。
M:この映画も含めて、そういう時代を描いたドキュメンタリーってけっこうあるんだけど、私は映画でけっこう勉強させてもらったなって思います。教科書には出てこないこと、学校では習わなかったことを知ることができますし、興味がひろがります。
監督:戦争というとわかりきった話が多いけれど、そこからどう生き抜いてきたかを見てほしい。
震災の被災者の人たちが、日本のアスリートたちの国際的な活躍を見て元気を貰ったというけれど、それは清涼飲料水みたいなもので一時的にスカッとするけど、それは一瞬だけの話で長続きはしない。勝つまでのプロセスをきちっと描いてこそ元気がもらえるんじゃないかな。結果だけで元気をもらいましたというのはちょっと違うような気がする。
沖縄では戦争を経験した人たちは精神的に病んだ人が多い。爆弾の恐怖がぬぐえない。
イラクでもそうでしょう。金門島もすごく多いですよ。精神的な呪縛に耐え切れなくなって、だんだん精神を病んでしまうのです。
M:アメリカでもベトナム戦争の後、精神を病んだ人が多かったですよね。日本は戦後どうだったんでしょう。あまり、そういう話を聞きませんね。
監督:日本だって昔からあったんですよ。市川に国府台(こうのだい)病院と言って、陸軍で精神を病んだ人を収容した病院でした。精神疾患にかかった人をそこに閉じ込めてしまって、そこから外へ出さなかったんです。昔、日本では身体障害者や精神病の人たちに対して、座敷牢じゃないけど隔離して見えないようにしようという発想がありました。 ハンセン病患者もそうです。中国も日本が満州でやったことを真似てハンセン病患者を隔離しています。それに対して、そういう差別は良くないということで行動を起こした、日本と中国の学生がハンセン病患者を支えていく姿を番組にしたいと思ったけれど、中国側は取材できないだろうなと断念しました。そういうやるべきテーマはいっぱいあるんですけどね…。
M:そうですよね。伝えるべきテーマはいっぱいありますね。ドキュメンタリーをやっている人というのは、世間に知られていないことを探し出して、映画にしているなと思います。おかげで、いろいろなことを知ることができます。
監督:台湾の蒋介石政権を日本は裏で支えていたんですが、今でも自民党の議員なんかは「蒋介石万歳」ってやっている人いますよね。台湾独立を支持する日本人なんかは、選挙になれば自民党でしょ。おかしなもんですよね。
M:矛盾していますね。今の若者は反アジア的というか、排外的な考え方が増えてきて、中国や韓国に対して敵意丸出しみたいな人がいますよね。あの戦争の時代に逆戻りするような気がしてなりません。戦争を体験した世代が亡くなってきてしまって、そういう考え方をする人たちが増えてきていると思います。
監督:呉さんも栄民の人たちも戦争はこりごりって言っています。最前線にいた人や、行った人にとっては、戦争は嫌だと身に沁みてわかっていますよ。でも、呉さんも、今はうまくいってるけど、また戦争になるかもしれないとは思っていますね。
日本で、ちょっと中国や近隣諸国を懲らしめたろかと思っているような連中は最前線に行かないんですよ。最前線にいけば、これはたまらんなと思うはずですよ。
音楽もなかなかよかったでしょう。『老兵挽歌』と同じ方で、彩愛玲さんというハーピストです。
祖父は台湾人の声楽家。祖母は日本人でピアニスト。台湾華僑3世です。お祖父さんに栄民って何?とか、金門の話とかを聞いて、イメージを膨らませて作ったんです。
日本の中国料理店からも、包丁を買いたいという問い合わせがありました。1500元ですから、日本円で4500円位。どうやって売っていいかわからないし。台湾観光協会から、映画の会場で売れば売れるのでは?と言われましたが、許可をどのようにとったらいいかわからないし…。
アクセサリーのような小さいのもあるので、それなら売れるかもしれません(笑)。
M:私も、この作品を観て、呉さんの包丁をほしいと思いました。
監督:最初のにんにくをバッとつぶすシーンあったでしょ。日本人はああいうつぶし方しないですよね。向こうは、鶏肉とか、大きい塊の肉とか骨とかを家庭で切っていますものね。日本では、そういうものを一般の家でさばくことはほとんどないですし。せいぜい魚くらいでしょ。
M:日本ではせいぜい出刃包丁ですね。また出刃包丁がすぐ錆びちゃうんですよ。手入れが大変ですよね。
監督;鉄だからですよ。呉さんの包丁も錆びますよ。僕は呉さんに貰った包丁を箱に入れて飾ってあります(笑)。ステンレスの包丁はちょっこっと欠けるけど、鉄の場合はバリッと欠けるんです。
だからこうやって作っているから価値があるんだって話しているんですが、カメラが回っているわきで、「呉さんを買って行っちゃえばいいじゃない」とか「向こうで作らせよう」とか、中国人は勝手なこと言ってるんですよ(笑)。不思議ですよね。ほんと、そういう中国人が多い。
それに、中国人は我が強い。日本人と思考方法が違う。元々多民族で形成されているからというのもあるかな。日本人が向こうの考え方を理解できないと同じように、中国人も日本人の考え方を理解できないでしょうね。
中国人観光客が増えているけど、マナーが悪くて、何でも持ってってしまうんです。テレビまで持っていかれるんだそうです。持って行かれない方法があるっていうんですが、テレビに中国製と書いておけば持っていかないぞって笑い話があります(笑)。面白いジョークでしょ。
『呉さんの包丁』は、映画館だけでなく、50人位入れる台湾料理店で上映しようというアイディアもあります。経営者が兵隊として金門島や馬祖に行ったりしているので、映画の上映の後に、その体験を話してもらうのもいいのではと思っています。兵役につくと、クジを引いて任地を決めるのですが、金門島や馬祖だと「金馬奨」当ったんだっていうんですよ(笑)。
K、M:金馬奬ね(笑)。*金馬奬は台湾のアカデミー賞的存在
K:国によっては兵隊を並べて、ここからここまではどこっていうような決め方をするところもありますよね。
M:金門島は最前線の島で危機感があるから、あまり行きたくないという意味で「当たったんだ」ていう風に言うのですかね。新藤兼人監督の『一枚のハガキ』でもくじ引きで、前線に行く人と、内地に残る人が分けられたというのが出てきますが、くじ引きで人生が変わってしまうことが軍隊ではあったりするのですね。
今後、撮りたいものはどんなものがありますか?
監督:山義という木彫り職人の町が新竹に近いところにあるのですが、一度取り上げてみたいと思っています。木彫りがすごく精巧。山義の博物館のサイトで見れますが、グローブの上に虫がいたりするような木彫りもあります。大木1本をくり抜いて作ったものです。
K・M:それも面白そうですね。次回作も楽しみにしています。 本日はありがとうございました。
『呉さんの包丁』はシネマジャーナル88号で紹介。『老兵挽歌』はシネマジャーナル85号で紹介しています。