2013年7月20日から8月16日まで岩波ホールで公開された『ひろしま 石内都・遺されたものたち』。現在は、横浜のシネマジャック&ベティで8月17日~8月30日まで公開中、また、渋谷アップリンクで8月24日~9月13日まで公開予定。
その後の上映予定は下記アドレスにアクセスください。
http://www.thingsleftbehind.jp/
シネマジャーナル87号にリンダ・ホーグランド監督、88号に橋本佳子プロデューサーのインタビュー記事が掲載されていますが、今後も東京以外の劇場で公開が予定されていますのでHPにも掲載します。本誌では誌面の都合で要約していますが、HPでは全容をお届けします。
広島の平和記念資料館に収蔵されている原爆犠牲者の遺品を撮影したシリーズ「ひろしま」で知られる写真家、石内都。リンダ・ホーグランド監督の2作目である本作は、2011年10月、カナダのバンクーバーにあるMOA(人類学博物館)で石内都の大規模な個展が開催されるまでを1年以上にわたって記録したドキュメンタリー。衣類、靴、眼鏡、人形など、原爆で亡くなった人々の様々な遺品たちは、時の流れを越えて見る者に静かに語りかけてくる。映画は、個展の準備の過程に密着し、バンクーバーで個展に訪れた人々の率直な反応を記録している。
更に興味深いのは様々な人々へのインタビューから明らかにされる、カナダと原爆との間にある意外な関係性である。監督デビュー作『ANPO』において現代アートを媒介にして日米安保条約を描いたリンダ・ホーグランド監督は、本作でその方法論を更に深化させたと言えるだろう。数々のドキュメンタリー作品を撮影し、『誰も知らない』など是枝裕和作品の撮影監督としても知られる山崎裕さんが撮影を担当。
(2012年11月、東京フィルメックスでこの作品が上映された時の上映後のQ&Aで)
日本で生まれ育ったリンダ・ホーグランド監督は日本語が堪能で、200本以上の日本映画の英語字幕を手がけている。映画の完成時には石内さんから「遺品たちが喜んでくれている」との言葉が贈られたことも紹介された。
リンダさんと石内さんとの出会いは、2008年に石内さんの初期作品の展覧会がニューヨークで開催され、出版物のためインタビューを依頼された時のこと。出会って1分で大親友になったそうだ。リンダさんは石内さんの作品の重要性を認識し、初監督作品『ANPO』(2010)がバンクーバー映画祭に招待された際に、バンクーバーの美術館に石内さんの作品を紹介した(『ANPO』に、この石内都さんの写真が登場)。
『ANPO』安保をアートで語る リンダ・ホーグランド監督インタビュー
http://www.cinemajournal.net/special/2010/anpo/index.html
「この写真たちを通して違う広島への糸口を発見できました。出来上がってわかったことは、この作品がアートの主観的な体験であるということです。私がずっと携わってきた字幕制作も役者のセリフを通した主観的な体験なので、もしかしたら字幕作業の延長線上に私独自の映画の手法があるのかなと思います」と述べた。
「アメリカではどんなリベラルな人でも広島については正面玄関がピタッと閉じられています。アメリカ人に直視してもらうためには勝手口、間接的な入口しかないとわかっていました」
「プロデュース作『TOKKO/特攻』('07、リサ・モリモト監督)、監督作『ANPO』、『ひろしま 石内都・遺されたものたち』の3部作を通して自分の中での太平洋戦争は終わりましたが、太平洋戦争は誰の勝利でもなくアメリカの永久戦争依存の幕開けだったと思います。この作品のアメリカでの上映は難しいでしょうが、大学などで教材として残ると思います」と語りました。
リンダ・ホーグランド監督プロフィール(公式HPより)
リンダ・ホーグランド (Linda Hoaglund) アメリカ人宣教師の娘として京都に生まれ、山口、愛媛の小中学校に通う。エール大学を卒業後、ニューヨークをベースに活動。1995年以降、字幕翻訳者と して宮崎駿、黒澤明、深作欣二、大島渚、阪本順治らの作品を始めとする200本以上の日本映画の英語字幕を翻訳する。2007年、映画『TOKKO/特 攻』(監督:リサ・モリモト)をプロデュース。2010年には長編ドキュメンタリー映画『ANPO』で監督デビュー。同作品はトロント、バンクーバー、香港など多くの国際映画祭で上映された。本作が監督第2作である。
宮崎:私は写真をやってきたので、石内さんの写真は1975年のデビュー写真展「絶唱 横須賀ストーリー」から見ています。石内さんは当時から斬新な発想で写真を撮ってきた方だと思いますが、『ANPO』で、石内さんが撮った広島の遺品の写真が出てきたのを見て、こういう方法で原爆のことを表現する方法があるのかとびっくりしました。 MOA美術館の巨大なトーテムポールが印象的でしたが、石内さんの写真とマッチしていますね。ここで石内さんの展覧会をやることになったきっかけは? また、このドキュメンタリーを撮ろうと思ったきっかけは?
監督:石内さんが、この広島の写真をどこか北米で展示できないかと思っているのを知っていたので、前作『ANPO』がバンクーバー映画祭で上映された時、事前にリサーチしました。滞在中にMOA美術館のディレクターに会い、話をしたところ、石内さんの写真を気に入ってくれて、すぐに展示会をやることが決まりました。それで、これを何らかの形で記録しないともったいないと思って、『ANPO』の時の山崎裕カメラマンに相談したところ、ドキュメンタリージャパンの橋本佳子プロデューサーを紹介してくれました。『ANPO』を観て、気に入ってくれてくれ、プロデュースしてもらえることになりました。やり手のプロデューサーです。
宮崎:上映後のQ&Aの時(東京フィルメックス上映時)、TV用2本(NHK、海外)と、映画の3つを作ることをNHKの方が了承してくれて感謝しているとおっしゃっていましたが、撮影したものをそれぞれ用途別に編集したということですね。
監督:そうです。なるべくたくさんの人に観てもらいたいので、いくつかの媒体にしました。
宮崎:私たちは、広島のものはたくさん見てきたのに、原爆で亡くなってしまった人が着ていた洋服とか遺品を撮影して展示するという発想は思いもよりませんでした。『ANPO』の時もそうですが、リンダさんはこういう人をみつけるのがうまいなと思います。
監督:針が振れるんですよね。何かみつけたら、すぐフォローするんです。これって思ったら、迷ったり戸惑ったりせず行動するんです。石内さんの場合は、『ANPO』を撮る前からこの写真を見ていて、これは今までなかった広島へのアプローチ方法だと思いました。アメリカの美術館も彼女の写真のことは知ってはいるのですが、招待しないんです。
だからハードルが高いというので、カナダだったらどうかなということで、アプローチしました。
いくら北米とはいえ、アメリカとはだいぶ国民性も違う国です。
そして、バンクーバー映画祭で知り合ったジョーン・ブライアンさんというカナダの歴史家(ブリティッシュコロンビア大学の教授で、アートの歴史家)と石内さんを対談させたら面白いだろうなと思いました。
宮崎:リンダさんは、そういうアンテナというか、この人とこの人を合わせたら面白い反応がありそうという感覚を持っていますよね。今回もそういうものを感じました。
監督:それが演出だと思います。私はあまりドキュメンタリーの手法にこだわってはいないのです。どちらかといえば自分で構成して作っています。最初と最後のシーンは、撮る前からイメージしていました。脚本は書いていないけど、プロットみたいなものは書いています。私のやり方は、あまりカメラを回さない。あまり撮ると、後の編集が大変になるからです。プロットがあると、だいたいこれとこれが撮れたとわかります。
今回、石内さんというより、写真が主役なので、展示の写真を撮るのに二日かけました。
後で自由に編集できるように丁寧に丁寧にいっぱいカットを撮ったんです。
宮崎:展覧会はどのくらいの期間やっていたんですか? また撮影の期間はどのくらい?
監督:去年(2011年)の10月から今年の2月まで、4ヶ月くらいですね。撮影は20日間です。
宮崎:広島のきぬこさんと結婚したカナダの兵士だった方は、前もって連絡していたのですか?
監督:『ANPO』の時に知り合った人が、こういう方がいると教えてくれたのです。また、マンハッタン計画に参加していたけど、やめてクェーカー教徒になって広島に宣教師としてやってきた方も『ANPO』のネットワークで知りました。
宮崎:このクェーカー教徒の娘さんですが、リンダさんの生い立ちと重なるところがありますね。彼女はどのくらい広島にいたんですか。
監督:アンドレアさんですが、13歳の時に日本に来て3年いたそうです。結果的に彼女は、カナダで歴史学者になっていますが、日本からカナダへの移民の歴史とかを調べています。
宮崎:彼女も、日本で生活したことが、その後の人生に影響を与えているんですね。
監督:そうですね。
宮崎:ほんとに映画を観ると発見がありますね。やっぱりひとつ作品を作ると輪が広がって、次の作品に繋がっていきますね。
監督:やっぱり『ANPO』みたいな作品を作ると、私の歴史に対する視点みたいなものが見えてきて、石内さんもそうですが、これだったら取材されても撮影されても大丈夫だろうという信頼に繋がったと思います。
宮崎:アメリカでの公開は難しいけど、『ANPO』が大学や図書館でDVDを置いてくれているように、この作品もそのような形で普及できそうですか?
監督:アメリカの大学は、特にこういうDVD購入が普及していて、教授が授業の中で教材として使ってくれています。また、NHKが国際的な上映会とか、平和団体と連携して上映してくれると思います。
宮崎:NHKは国営放送ですし、やはりひとりの力ではできないことですね。
監督:平和とか核兵器の問題に取り組んでいる組織はアメリカにもありますから。まあ、商業的な映画にはなりませんからね。どうしても原爆アレルギーがあるから。
宮崎:出演した人以外の反応はどうだったのでしょう。
監督:50人くらいの人にインタビューしましたが、やっぱり編集というのは一番おいしいところとか、印象に残ったものをチョイスしますしね。それに拒否反応を持つ人はわざわざ見には来ません。また、アメリカとカナダの国民性はかなり違いますね。バンクーバーでは、6人に1人がアジア系なんだそうですが、それゆえにペルーで育った中国系の人は、親から戦争の話を聞いているし、韓国の男性は日本との戦争を思い出したと語っていました。やはり、そういう意見も大事です。
宮崎:編集にはどのくらいかかったのですか?
監督:5ヶ月です。アメリカでは早いほうです。アメリカでは編集に1年くらいかけることもあります。
宮崎:リンダさんは1995年くらいから字幕の仕事をしていますが、その前はどんな仕事をしていたんですか?
監督:日本からTVのドキュメンタリーとかCMの撮影に来た時にADなどをやっていました。なので、撮影の現場は慣れていますよね。
宮崎:そういう経験が、今の仕事に結びついているんですね。映画3本目にしては、ベテランみたいな作りだなと思ったので聞いてみました。
監督:撮影現場に関しては、ADが長かったのですが、でもやっぱり、1995年から始めた字幕の仕事。200本の中には、『七人の侍』もあれば、『千と千尋の神隠し』も、という風に、いろいろな作品をやってきました。字幕を書くということは、その映画の構成にたっぷり浸るということなので、それは「世界一贅沢な映画学校」を出たような感じです。大半が劇映画でした。
今回も石内さんが最初撮影していて、空港から移動するシーンなんかが通常だと入りますが、私の中では光を通して魔術のごとくカナダにいるという作りにしています。意図的にドキュメンタリー性をカットしています。「彼女が遺品を通して魂を甦らせている」、彼女の魔術がこの作品の本質ですから、そういうのを大事にしているから、典型的なドキュメンタリーとは違いますよね。
エンディングで小谷野さんという人が「この服を着ていた人たちが、やっと浮かばれる」と言っていましたが、じゃあ「浮かばれる」というのをどうやって映像で表現するのかというと、あの光の中にドレスが舞い上がって行くという風に描きました。光というのは、そういう力があるというのを、エンディングで突然そういう映像が出ても弱いと思ったので、最初の段階で伏線として入れてみました。
宮崎:光の魔術ですね。
監督:小谷野さんは、私の親友の親友です。娘さんがバンクーバーに移住していて、たまたま、あの展覧会のオープニングの時に娘さんに会いに来ていて紹介されたんです。とてつもないことを言うから、明日来てくださいと頼んで撮ったんです。
宮崎:神様のキャスティングですね。
監督:ねぇー、なんなんでしょうね。でも、やっぱり石内さんの作品の力だし、あとやっぱり敏感な人は、あのトーテムポールがあるような場所でこういう写真を見て、思いが走ったんでしょうね。
宮崎:あの美術館に行ってみたくなりました。あの大きなトーテムポールが印象的でした。
監督:観光地としても有名な場所ですので、ぜひ行ってみてください。あの広島の高校生たちも偶然修学旅行でトーテムポールを見に来たんですよ。
宮崎:びっくりしました。
監督:いやぁ、びっくりしたのは私ですよ。それも、石内さんとジョン・ブライアンさんの対談の通訳に行く1分前に発見したんです。あの人たちをどうやって、自分が通訳している間に撮ってもらおうかととっさに判断し、記念写真を撮るために全員呼びこんでちょうだいとスタッフに頼んだんです。それで不思議な映像になりました。
宮崎:『ANPO』の時にも、普天間の佐喜眞美術館でそういうことがありましたね。広島からの修学旅行生がたまたま来ていてグッドタイミングでした。リンダさんには、なんか不思議な吸引力がありますね。
監督:なんなんでしょうね。今回の広島の高校生たちの時は、昔やっていた「ウルトラクイズ」とかの現場の経験「現場で、とっさにどうするかの判断をすること」が役立ちました。ADに、校長先生に体当たりで「すいません。お願いします」と、言ってもらいました。
宮崎:トーテムポールを見にきたら、広島の遺品の写真展をやっていて、急にその記録映画に出演することになるとは、広島の高校生たちも驚いたでしょうね。
監督:まったく知らないで来ていたんです。あそこで、100人とか150人とかの女生徒たちの記念写真と対峙して、この子供たちが原爆でたくさん殺されたんだよという無言のメッセージを今の若い女性たちが受け取っているという光景でした。
ベルリン映画祭のフォーラムの元ディレクターの方が今回フィルメックスで観て、「これまでは悲惨な映像しか観ていなくて、実際に広島の原爆投下というものがほんとうはどういうことがあったのかが見えなかったけど、美しいドレスを通して初めて見えた。そして初めて原爆をまったく正当化できないと思った。終戦へ導くため原爆の正当化を信じていたけど、この映画を見て、そうじゃない、災いだということがわかった」とおっしゃっていました。モノクロの映像というのは、ある意味直視を不可能にする効果があるのかもしれません。
宮崎:映像からでも充分伝わってくるけど、実際の写真と対峙したらもっと伝わってくるものがあるでしょうね。
監督:映像はかってに流れていくけど、写真はどれだけの時間を共有したいか、自分で対面する時間を決められますしね。
宮崎:『ANPO』でもそうでしたが、日本人である私も知らないことを教えてもらいました。一般公開されるということで、もっとたくさんの人が観てくれるといいですね。
*「『ANPO』 安保をアートで語る」時のリンダ・ーグランド監督へのインタビュー記事 http://www.cinemajournal.net/special/2010/anpo/index.html
『ひろしま 石内都・遺されたものたち』のプロデューサーの橋本佳子さん、以前、『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』で長谷川三郎監督にインタビューしたときに橋本さんがプロデュースと知り、どんな作品をプロデュースしてきたのか調べてみたら、私が見た作品、好みの作品が多かったので、橋本さんに興味を持ちました。また、リンダ監督にインタビューした時にも橋本さんのおかげで出来たと聞き、いつかチャンスがあったら橋本プロデュサーに話を聞いてみたいと思っていました。
1985年よりドキュメンタリージャパン(DJ)代表を20年間務める。『NHKスペシャル』や『ETV特集』など、TVのドキュメンタリー番組を中心に数多くの受賞作品をプロデュースし、現在も精力的に作品を作り続けている。プロデュースした映画作品は『遠足 Der Ausflug』(1999/監督:五十嵐久美子)、『パンダフルライフ』(2008/監督:毛利匡)、『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』(2012/監督:長谷川三郎)、『フタバから遠く離れて』(2012/監督::舩橋淳)などがある。
宮崎:『ひろしま 石内都・遺されたものたち』をプロデュースしようと思ったきっかけ、ポイントは?
橋本プロデューサー:リンダのことは、一緒に仕事をしたことはなかったけれど、以前から知っていました。リンダ監督の前作 『ANPO』 から撮影を担当している山崎裕カメラマンに「リンダの企画に相談に乗ってあげて」と言われたのがそもそもです。2010年の秋か冬頃です。
石内都さんの写真展をカナダで開催するという企画を作品にできないかという話でした。石内さんの写真を見て、その北米開催ということで、すぐにこれはTV向きだと思いました。「ヒロシマ物」で8月を目指せばできるかなと考えたのです。ただ、展覧会が1年後なので、放送は2012年の夏を狙うことになる。TVでは、なかなか2年後の話は通りにくい。でも、それができるのはNHKしかないだろうと、企画を持ち込み、ほぼ決まったのが2011年6月頃。日米国際共同制作です。撮影は、その夏から始め、カナダでの展覧会が始まったのが10月。2012年の2月まで開催されました。番組は、NHKBS1で2012年夏、前後編で放送されました。
その間に、リンダの知り合いの映画祭のディレクターたちから、これは映画にもした方がいいという話が出て、それを実現するために、いくつかのことをクリアし、映画も作ることになりました。映画版とTV版の構成は、全然違います。
編集では、先に映画版を作りました。映画版の方が90分弱なので、一塊で作りやすかったんです。TVは前後編と2本に分かれているのと、さらにスタジオ番組もあり、映画版をもとにテレビ版は、番組らしく変えていきました。
宮崎:今まで5本の映画をプロデュースしていますが、映画に関わってみようと思ったきっかけはあったんですか?
橋本:ひとつにはTVドキュメンタリーの場が少なくなってきたというのもあるかもしれません。民放では、深夜の放送時間だったり、NHK以外では、ドキュメンタリーの枠がほとんどなくなり、TVドキュメンタリーには閉塞感があります。それと、デジタルの発達によってコスト的に自主映画が作りやすくなってきたということも、もうひとつの要因です。
ドキュメンタリー映画というのは、どんなにヒットしても何万人規模ですよね。TVは1%の人しか見ないとしても、30万〜50万人。全然見る人の桁が違うんですよ。だからまったく違うメディアなんだということは、よくわかっています。TV側からからみるとドキュメンタリー映画は割が合わない感じがするんですよね。だから作り方の方法論も違いますし、別々に歩んできたんです。ただ、何らかの形で双方向性があってもいいなと思い始めてます。劇映画とテレビドラマの方は、とうにそういう形ができて、いいか悪いかは別にして相乗効果もありますよね。パイも大きくなるし、作り手同士の交流もあるじゃないですか。
ドキュメンタリー映画とTVのドキュメンタリーって今まで、あまり作り手同士の交流もないし、壁のようなものがあったのですよ。そろそろ、それを壊した方がいいかなと思ってます。記録映画の人のパワーと接したり、逆にTVの文化で育ってきた人が映画で何ができるのかというように、両方がぶつかり合って新しいものが生まれたら面白いですね。
宮崎:TVでの積み重ねがあるから、そういう流れができるようになったのですね?
橋本:どうでしょうね。放送と映画ってビジネスとしてはまったく違う。仕組みと風土が違いますよね。私は、この1年で3本映画を公開し、今冬、『祭の馬』という作品が公開なのですが、転職したような感じがあります。全然違う仕事なんだということがよくわかってきました。映画は、TVとは、違う苦労と面白さがあります。数年前に、2本作った時は、受注に近い形だったので、興業収入によってどうということはなく、劇場公開できてよかったねという暢気なレベルでした。ところが昨年の『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』『フタバから遠く離れて』は、ほぼ自主製作なので、製作費は、自前で、すべて回収しなければならず、映画の興行収入って、こんなに少ないんだ!これは大変だ!ということにいまさら気がついたところです。
宮崎:観る側からすると、すごく観たいものを作ってくれてきたプロデューサーという感じを受けてきました。作って見せたいということと、儲かることが一致すればいいのですが、こういうドキュメンタリーにおいて、そういうことはありえないわけで、それでも作ってきたのは、突き動かされるものがあったからなのだろうと思っています。そのへんをぜひ聞きたいなと思います。
橋本:ひとつには昔に比べたら、TVドキュメンタリーの場が少なくなってきたというのもあるかもしれません。どうしてもライトなドキュメンタリーの方が多いという状況の中、多少とも、社会的なドキュメンタリーの枠はNHK以外、ほとんどなくなってきていることがありますね。NHKも、とても狭き門ですし・・・・でも、少なくなったには、理由があって、多くの人にドキュメンタリーがなかなかチャンネルを回してもらいにくくなったということがあります。視聴者の生活や、社会状況の変化もあるし、私たち作り手の怠慢もあるかもしれない。TVは放送が始まり、70年くらいたちますが、その中で育ってきたTVドキュメンタリーも、変化に追いついていないのかもしれない。でもドキュメンタリーを見たい人は必ずいます。さあ、そこでどうするか、そのひとつとして、今は映画かなと。映画の力は、TVとは違う面白さがあると思いますし、やっと、それを掴みつつあるところです。
宮崎:そういう波があるような気がしますね。TV局の思惑で制限され、作りたいものが作れないということもあるのかなと思いますが…。
橋本:制限ということではないけれど、放送時間の尺は決まっているので、45分のものが延びちゃったから46分にしてくださいというようなことは不可能です。そういう意味での制限は、もちろんあります。内容的にそれほど制限されているかというと、どうかなあ。もちろん、過去に内容的な問題で、いろいろあった事も事実ですし、私たちの会社にも、そういう事がありました。でも、例えば、企画が決まる時の放送局のモノサシは、内容的にヤバイからダメというより、実は見たいかどうか、数字がとれそうかみたいな事の場合が、多いんじゃないかなと感じてます。それより何より、今、一番怖いのは、制限されるというより、こちらで、作り手側が自主的にあれこれ忖度して自主規制してしまうことかな。これは、私たち末端の作り手から、いろいろ決定するエライ人まで全部にいえる事と思う。テレビは、特に、これからの時代、そのあたりが、怖い。
宮崎:作り手がこういうものを作って、見せたいというものが作りにくくなっていることも、あることはあるのでしょうね。
橋本:確かに、テレビって、作りたいものを作るというより、当たりそうなものを作るということがあるかもしれない。でも結果は作りたいものを作ったときの方が、おおむね良い。そもそもドキュメンタリー番組の枠が少なくなっていますから、少ない中での過当競争になっているから、企画を選ぶ方も、どうせなら多くの人が見てくれるというネタの方がいいと判断しちゃうのではないかと思う。枠が多ければ、新しい試みやチャレンジもできるのですが・・・
宮崎:そういう意味で、こういう垣根を越えたようなことが広がってきているということは(TVの世界の人と自主製作映画のコラボ)、橋本さんもその流れを作っている一人ではないかと思います。
橋本:私にも、その意識はあります。私のアプローチは、テレビ側からということですけど、なるべくそういうことから新しい潮流ができればいいなと思います。どっちにしろTVドキュメンタリーは閉塞感があるので、テレビ、映画、双方の制作者にとってメリットがあればいいなと思っています。
宮崎:私自身、写真をずっとやってきているので、『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』『ひろしま 石内都・遺されたものたち』の映画を見て、このような写真を動画の中で見せてくれる映画というのは面白いなと思いました。また、写真の魅力、力強さを見直させてくれたと思います。もちろん写真で伝えるものと映像で伝えるものは違うのだけど、それをつなぐ何かが、この二つの作品にはあると思いました。そういう意味で、偶然かもしれませんが2作続けて写真家を取り上げた作品を取り上げていただきありがとうございました。福島さんのことなどよりそう思います。『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』を観るまで、福島さんが今も活躍しているとは知りませんでした。この映画を見て元気をもらいました。
橋本:写真と映画はまったく違うメディアです。でも、写真の力は強いなと思いました。この数年、福島さんや、石内さんの写真と向き合っていて、写真というものを再認識しました。福島さんの映画では、広河隆一さんにも協力してもらったのですが、DAYS JAPANの若い人たちの写真とか随分見ましたし、今の新しい写真家の写真展とかも行ったのですが、結構いい写真をいっぱい撮っていて、すごいなと思いました。
宮崎:この2作は写真の良さを伝えてくれる映画だと思います。写真が語りかけてくるものを伝える映像の力を感じました。残念ながら、私は写真展を見損なっているのですが、本物の写真を見たらもっと圧倒されるなと思いました。
橋本:写真の持つ力ってありますよね。石内さんの写真集もすごいですが、展示したものからは、さらに伝わってくるものがある。石内さんは空間にどう展示するかということにかなりこだわっていました。伝わってくるものが全然違いますね。私が石内さんの展覧会に行って、あの空間に立ったとき、あの写真たち、あの洋服たちに囲まれている時、なんとも言えない気持になったんです。なんとか、この会場の感じを表現するために、本編には会場の引きの絵だったり、そういうことを意識して入れてもらいました。
編集はリンダがニューヨークでアメリカ人の編集者とやっていたのですが、私は1度しか行っていません。リンダがWEBにアップしたものを見ながら、電話で、やりとりして進めました。これも今の時代ならではですね。
宮崎:リンダさんと映画の作り方について話したとき、日本映画の字幕をこなすことで、映画の勉強をした、字幕作りは世界一贅沢な映画学校だったと語っていました。
橋本:リンダは、映画をものすごく見ていますよね。
宮崎:私も映画を観ていると、ほんとに知らなかったことを知ることができるし、こういう描き方があるんだと思うんですよね。映画は私にとっても学校です。
橋本:私も、「そうか、この手があった」って、思ったりします。展覧会だけで作品を作るなんて大胆ですよね。
宮崎:リンダさんは小学校4年生の時知った原爆のことを語っていました。やっと宿題を終えた気持と言っていましたが、この映画はリンダさんでないと撮れなかった作品ですね。
橋本:そうですね。日本で育ち、幼い時にさまざまなトラウマを抱えたリンダでなければ撮れなかった作品です。原爆と聞いただけで入り口を閉ざす人の心の鍵を少しでも開けるものになったのではないでしょうか。彼女はアメリカ人に観てもらいたかったんです
宮崎:橋本さんは、女性プロデューサーの草分け的存在だと思うのですが、ここにいたる道のりはどうだったんでしょう。
橋本:気がついたら、こうなっていたというところです。
宮崎:「女のくせに」という中でいたのではないですか?
橋本:昔はTVの現場にほとんど女性がいなかったから、「女のくせに」とか「女が来たからじゃまだ」とか言われつつADをやっていました。結構、女だからと馬鹿にされてはいけないと突っ張ってたかもしれないです。ドキュメンタリージャパンが出来て30年余だけど、この会社は、20年以上前から女性が半分くらいいました。なので、ここにいる女性は、あまり「女だから」ということは、言われずに来ていると思う。でも、TVの現場に女性は増えたけれど決定権のある立場には、まだまだですね。
テレビ界の役員比率をみても全然だめですね。去年、国際共同制作で国際女性デーに放送する番組を作ったんです。日本で制作してアジア全域で放映されるというNHKの番組だったのですが、「日本の放送ウーマン」という内容です。実は、20年前にも同じような番組を作ったんですが、未だに日本のTV局の女性役員の比率は5%いってなかったんです。欧米は38%ぐらいなのにです。アジアの中でも下の方だったと思う。TVって女性もいっぱい活躍しているように見えても、実は、そういう状況です。現場にはたくさん女性が働いているけど、決定権のあるところには女性は、ほんとに少ない。政治家も少ないしね。もう少し、決定権があるところに女性がいた方が良いと思う。
宮崎:昔と較べれば多くなったとはいえ、まだまだ少ないですよね。優秀な人材でもやめてしまったりで、なかなか女性が高い地位になるのは難しいですね。上を目指すのがいいのかどうかというのもありますし、管理する立場にはなりたくないというのもありますよね。今の女性も、このへんまで行けばいいかなというのもあるんじゃないですか。
橋本:確かに自分でそういう風に思う分にはいいけど、上に行きたいのにいけないというガラスの天井状況はよくないよ。でも、今の若い世代は、昔より、女だからといって肩ひじはらずに自然体の人が多いのではないかなあ。
宮崎:プロデュースしようと思う作品の選び方は? 直感ですか? けっこう自分が見てきた作品をいっぱい作っているなと思ったので、興味を持ちました。
橋本:いけそうか、そうじゃないかというのは勘でしかないですね。いけそうかというのは、二つあって、作品として面白く成立するのかどうか。もうひとつは、テレビなら、放送局のどこかに売れる企画なのか、映画だったら劇場にかかる企画なのか。ドキュメンタリーって、シナリオがあるわけではなくて、こうなるかもしれないというという話だから、やはり勘ですね。もちろん、大切なのは、制作費が確保できるのかどうかということですけど。
TVって、「現在」の媒体ですよね。できたら放送する番組には、直前までの情報も入れたいという中で仕事をしてきたから、映画には戸惑いました。映画は作り終わってから公開されるまで、早くても半年ですよね。テレビ的に考えると、そんな古いもの出せない、なんですよ、映画はそういう意味で、古びない普遍性を持たなければというのを、作りながら実感として気がついてきました。『フタバから遠く離れて』などは、未だに上映されている。『ニッポンの嘘~』あたりから、TVとは違うと皮膚感覚でわかってきました。
宮崎:だけど面白いという感じですか?
橋本:面白いというか、映画として、当たるにはどうしたらいいかというところですね。お客さんが来ないとしょうがないので。いくら良い映画でも劇場に足を運び、観てもらわないと意味ないですもんね。地方の興行成績とか毎日報告が上がってくるじゃないですか。お客さん7人とか3人とかの数字をみると、ごめんなさいみたいな感じです。劇場もよく成り立っているなと思います。
ドキュメンタリー映画の現状を見ていると回収できる額ってほんとに低いですよね。回収できないままか、もしくは回収できる低い額に合わせて作るという貧しい状況。それはよろしくないだろうと思うんですよ。それが課題ですよね。極論いうと、公開されないほうがマシかもと考えてしまいます。公開すると、そのために宣伝費がかかるから、その費用を製作費とは別に工面し、その分すら回収できないという厳しい現実がある。この貧しさはなんとかしなくちゃいけない。公の助成金の充実とか、例えば、TV局と組むことで相互にとってメリットがあるようにするとか、ファンドとか。もしくは、配給・宣伝の仕組みをもう一度考え直すとか。そうでないと、日本のドキュメンタリー自主映画はいつまでたっても貧しいまま。それは、良くないよね。
実は、来年5年目を迎える。座・高円寺のドキュメンタリー映画祭も公的助成は受けていますが、持ち出し続きの赤字で、続けるのが大変なんです。
宮崎:ドキュメンタリージャパンの映画の実績が上げてきているんじゃないですか?
橋本:いやあ、どうでしょうね。うちの会社全体からみたら、あくまでもテレビ製作がメインだから、映画は、今のところ利益は出てなくて、制作費を使う一方でしょ。リクープするにはまだ時間がかかるし。私も肩身が狭いのです・・・
宮崎:でもやめたくはないという感じですか?
橋本:いや、わからないです。お金の作り方とか、少しづつ工夫しながら、できる範囲でかな。
宮崎:暗い話になってしまいました(笑)。
橋本:そもそも、ドキュメンタリーというのは暗いんです。冗談ですが・・
宮崎:心意気で作っているなと思いますけどね。
橋本:う~ん。『フタバから遠く離れて』とか『ニッポンの嘘~』はそういうところありました。3.11もあり、やはり、何がなんでも、作り上げなければという気持ちはありました。でも、プロヂューサーは、それを心意気ではなくて、ビジネスにしなくてはいけないなと思うんですけどね。
宮崎:『シュガーマン』という作品がロングランしていますが、最初はまわりでも話題になっていなかった。それが、口コミで広がったようです。いくら良い映画でもヒットするものと、しないものがあり、どこにその差があるのかなと思います。
橋本:宣伝の力は大きいですね、映画は。どう売るかですね。TVのドキュメンタリーって、あまり、そんなことを考えるヒマもなく、番組宣伝スポットを作るぐらいなんで。これをどう売るかということを、それほどは考えない。もちろん、番組宣伝はしますが、映画とは、宣伝の規模と発想が違う。映画は、本当に売り方ひとつだなということも、今、日々、学習中です。
宮崎:そういう意味では、予告編は大きいですね。私はこの映画の予告編を観ていこうと思うことが多い。
この映画は「ひろしま」というだけで観る人はいますよ。
橋本:岩波ホールという劇場でやるから、この劇場の固定のお客さんは、多分はずさないだろうと思うので、それより広げることができるようにすることが、私や宣伝のもっている宿題でしょうね。
宮崎:『ニッポンの嘘~』も『フタバ~』も、公開が終わってからも上映が続いているじゃないですか。
橋本:特に『フタバ~』は、各地で上映会が続いてます。原発を、これからどうするかということに関心を持っている方はたくさんいるので、そういう方たちが映画を観るだけでなくて、上映会の場が、そういう話し合いの場になってます。そんな場作りが出来る事も、映画の持つテレビとは違うひとつの力だと思う。
『フタバ』は続編を作らなくてはと撮影は続けてます。今年で、あの避難所も閉鎖が決まりました。でも、資金が足らず、ポツポツの撮影です。お金をなんとか集め、来年か再来年あたりに公開できればと思います。失敗したことや、学習したことを生かしながら、少しづつ続けて行こうと思います。
宮崎:今、デジタルになって、すぐ見ることができるからいいんですが、いっぱい撮ってしまうので、整理が大変なんです。
橋本:映像も同じですよ。TVがフィルムからビデオに変わった時、フィルムの時は1時間の番組を作る時は4時間とか、贅沢する時で10時間位で撮っていたのに、今、100時間とか平気で回したりします。昔の方が、何を撮らなきゃいけないかよく考えてから撮っていたよね。今は取りあえず、ずっと撮っている。もはや、カード時代だし。
宮崎:リンダさんは、なるべくいらないものを省き、必要なものを少なく撮ったと言っていましたね。
リンダさんとは、今後も一緒にやっていく作品がありますか?
橋本:リンダは3作目を進めています。今、アメリカで動物ものを撮っています。一緒にやるつもりです。リンダもこの『ひろしま』で日本での幼少期からのトラウマから抜けることができたのかもしれない。
宮崎:今日は、いろいろな話しを聞くことができました。どうもありがとうございました。
2013年7月20日から8月16日まで岩波ホールで公開
http://www.thingsleftbehind.jp/
『ひろしま石内都・遺されたものたち』公式HP http://www.thingsleftbehind.jp/
現在は、横浜シネマジャック&ベティ 8月17日~8月30日まで公開中、また、渋谷アップリンクで8月24日~9月13日まで公開予定。
その後の上映予定は下記アドレスにアクセスください。
http://www.thingsleftbehind.jp/
また、『ひろしま 石内都・遺されたものたち』 公開記念トークショーの記事がスタッフ日記に掲載されています。こちらもぜひご覧ください。
「7月21日のリンダ監督と阪本順治監督のトークショー」
http://cinemajournal.seesaa.net/article/369982374.html
「7月21日のリンダ監督と石内都さんのトークショー」
http://cinemajournal.seesaa.net/article/371674386.html
『フタバから遠く離れて』の作品紹介は下記にあります:
http://www.cinemajournal.net/review/2012/index.html#futabakara
なお、『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』長谷川三郎監督インタビュー記事は下記に掲載しています:
http://www.cinemajournal.net/special/2012/nipponnouso/index.html
『ひろしま 石内都・遺されたものたち』
配給:NHKエンタープライズ
(第13回東京フィルメックス特別招待作品)