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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ソハの地下水道』
アグニエシュカ・ホランド監督インタビュー

撮影:宮崎暁美
(撮影:宮崎暁美)

2012年6月20日(水)  ポーランド大使館にて


1943年、ナチスの支配下にあったポーランドのルヴフ(現ウクライナのリヴィウ)の町で、14ヶ月にわたってユダヤ人たちを地下水道に匿った下水道作業員ソハ。実話をもとにホロコーストの時代を力強く描いたアグニエシュカ・ホランド監督が公開を前に来日され、2誌合同でお話を伺う機会をいただきました。

作品紹介

【アグニエシュカ・ホランド監督 プロフィール】

1948年ワルシャワ生まれ。1971年にプラハ芸術アカデミーを卒業後、ポーランドに戻り映画業界に入る。クシシュトフ・ザヌーシの助監督になり、アンジェイ・ワイダから指導を受けた。初監督作品『Provincial Actors』を1978年に発表後、1981年、フランスに移住。『Washington Square』(97)『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』(90)など、自己実現を求めて困難な状況から逃れようとする人々の物語を作品にしてきた。また、友人クシシュトフ・キェシロフスキの"トリコロール"三部作の一作目『トリコロール/青の愛』(93)の共同脚本も手掛けている。他にも数々の映画監督に脚本を提供しており、またテレビ作品の監督としてもエミー賞最優秀ドラマシリーズ部門にノミネートされるなど活躍している。

*主な受賞歴*
『Provincial Actors』 カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞(1980)
『Fever』 グディニア映画祭金賞、 銀熊賞--ベルリン国際映画祭 (1981)
『Angry Harvest』 アカデミー外国映画賞ノミネート (1985)
『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』 ゴールデン・グローブ外国映画賞 (1992)他
『敬愛なるベートーヴェン』 サンセバスチャン国際映画祭CEC最優秀賞 (2006)他

◎インタビュー

◆それぞれの民族の言語にこだわった

― 今回の作品では登場人物がポーランド語、ドイツ語、イディッシュ語、ウクライナ語と、それぞれの民族の言葉で話していたのが印象的でした。第二次世界大戦の前、ルヴフの町の人口の2割強はユダヤ人だったとのことで、おそらく、長い間、ユダヤ人はほかの民族と共存して暮らしてきたのだろうと感じることができました。監督が当時の現地の言語にこだわられたことが私としては嬉しかったです。『敬愛なるベートーヴェン』(2006)では英語でしたが、本作でオリジナルの言語にこだわられた思いをお聞かせください。


監督:『敬愛なるベートーヴェン』は19世紀初頭の史実に基づいたフィクションでした。ドイツ語で撮れれば撮りたかった。当時その選択肢はありませんでした。ただ、英語で撮ったことで、メインのキャラクターに裏切ったという思いはありません。でも、今回の作品は英語で撮ったとしたら、自分自身を裏切った思いがしたと思います。ホロコーストを描くのは胸を鷲掴みされるような思いですが、何よりリアリティを追及したいと思いました。英語で撮ったらリアリティが軽減されるのではと思いました。『シンドラーのリスト』や 『戦場のピアニスト』など英語で撮られたものは、製作費もありましたし、ハリウッドのスターも出演していて、より多くの人にホロコーストのことが伝わることになったと思います。作品としても素晴らしかったと思います。英語だったからこそのインパクトもあったと思います。その後に続いたホロコースト物は型にはまった作品や、人工的な感じのする作品が正直多くて、自分がそのような映画を作る必要はないし、もし自分が3本目のホロコースト物を撮るなら、よりリアリティにこだわりたいと思いました。これまで撮ったものも物語に忠実に、場所もワルシャワで撮影しています。今回、英語を話す役者を使ったとしたら、お芝居を作ったような感覚になって、リアリズムを表現しきれなかったと思います。日本の方なら広島原爆投下後の作品などで皆が英語をしゃべっていたらおかしいと感じるでしょう。ルヴフは戦前、非常に多文化の町でした。ポーランド人も階級で分かれていました。今回登場する労働者階級の人たちはBARAKという訛りの言葉を使っています。当時、町の3分の1近くはユダヤ人で、標準ポーランド語とイディッシュ語。教育を受けている方はドイツ語も理解できました。さまざまな言語や文化がいろいろミックスされた町で、ある程度の中和を持って平和に暮らしていたのが、戦争でバラバラになってしまいました。ルドフ自体がある意味ヨーロッパが経験していたことを象徴する町といえます。


◆伝えたい真実が描けた

― リアリティにこだわられていましたが、撮影で苦労されたことは?

監督:全体としてこだわりがありますし、大変なことが多かったです。 特に暗闇の使い方が大きな挑戦でした。リアルに暗いけれど、キャラクターの顔は見えないといけない。40日間の期間でパッパッパと撮らなくてはいけなくて、即興も必要でした。撮影はバトルでした。うまくまとまるかどうか、ちゃんと客に語りかけてくれるかどうか、撮影中にはわかりません。鍵は編集にありますので、一番ストレスを感じるのは編集中なのです。編集がうまくいかなくて、自分を殺したくなることもあるけれど、今回そのようなことはありませんでした。ファーストカットで4時間にし、観たときに、ちゃんと物語になっている、いいものになったと感じました。伝えたい真実がしっかりと描かれていると思いました。


◆生と死の対比

―冒頭、裸の女性たちが逃げ惑う姿や、ユダヤ人が無理やりひげを剃られる姿など、ホロコーストの時代の恐怖をずっしり感じさせられました。実際の映像を使った部分もあるのですか?


監督: ホロコーストを象徴する映像ですが、アーカイブ映像は使っていません。インスパイアされて作ったシーンはあります。ホロコーストの暴虐さはずいぶん世に出ていて、インパクトを失っています。痩せ細ったユダヤ人の姿を見たくらいでは何も感じなくなっていると思います。何かハッとする残酷な痛み 胸にしみる映像を作りたいと思いました。当時の残虐さが肌身に染みるような映像を作りたいと思いました。冒頭の裸で女性たちが走る場面は、2枚の写真を参考にしました。実際に裸で逃げ惑っている写真と、埋めるために掘った土が盛られた脇に射殺された裸の女性たちが積み上げられている写真。自分が観て記憶にすごく残ったので、きっと観客の胸に残ると思いました。

― 冒頭の裸で女性たちが走るシーンに加え、ソハが帰宅してむさぼるように妻とセックスする場面など、大胆な描写があって、ちょっとびっくりしました。『太陽と月に背いて』でも、レオナルド・ディカプリオが机の上で放尿する姿が印象的だったのですが、女性監督が作ったと知ってびっくりした覚えがあります。監督はご自身でも男性的な部分をお持ちだと思っていらっしゃいますか?

監督: 確かに男性的な部分があると思いますが、人間誰しも両面があると思います。映画だけでなくて、実生活でもそういう面も持っていると思います。泥棒を働いたソハたちは、ユダヤ人たちが残虐に扱われている場面に出会っても、何ごともなかったように無視して、お互いにそのことについて話すわけでもない。それはまるで今の世界を象徴していると思います。当時も、ユダヤ人の迫害が起き始めたときに、米英は知っていたのに介入しないで目を背けていました。今も同じ。各地で戦争が起きているのにそれに目を向けようとしない。第二次世界大戦中、同じ町で、残虐に殺される人がいる一方で、今までと同じように生活をし、妻とセックスする人もいたわけです。裸の対比は、エロスとタナトスの対比でもあります。映画作家として意図的に入れたものです。


◆ソハの2面性を体現してくれた役者

― ソハが最初は悪人のような表情をしていましたが、だんだん変わっていく様が上手くて印象的でした。ロベルト・ヴィエンツキェヴィチさんを起用したのは?

監督: 彼は素晴らしい俳優です。これまで一緒に仕事をしたことはなかったのですが、原始的で暴力的なところと、感受性が柔らかくてエモーショナルな部分の2面性を同時に見せることのできる俳優だと思い起用しました。自分の中で葛藤しあっているソハを体現してくれました。アンジェイ・ワイダ監督が「連帯」の創始者であるレフ・ワレサ元大統領を描いた『ワレサ(原題)』(12/13年日本公開予定)でも主演しています。

◆地下水道に潜んでいた少女にも観てもらえた


― 実際に地下水道に隠れていて助かった方とお会いになりましたか?

監督: ポスターにもなっているマンホールから顔を出している女の子クリスティーヌさんは今も存命でニューヨークに住んでいて、映画を観てくれました。実は撮影が終わるころまで生存していることを知りませんでした。原作の本には亡くなっていると書かれていたのですが、存命とわかり、映画が完成してから観ていただき、気に入ってくださってサポートもしてくださっています。

― 舞台になっているルヴフの町は、現在ウクライナ領となっていますが、映画上映の機会はあったのでしょうか? また、ルヴフの町の人たちにどのように受けとめられたのでしょうか?

監督:かつてルヴフに住んでいた方々何名かに観ていただいたのですが、多文化の町で、自分の民族が悪く描かれていたりすると、ちょっと違うのではと気を悪くする人もいました。ルヴフは現在ウクライナ領ですが、残念ながらルヴフではまだ上映されていません。ウクライナの人のことをあまり良くは描いていないので、どう受け止められるか心配ですが、機会ができれば嬉しいです。


*取材を終えて*

堂々と構えて座っていらっしゃる監督に圧倒された30分でした。まさに、映画が醸し出している力強さそのもののパワーにあふれていました。一方で、映画作りにあたって、女性ならではの細やかさを発揮されていることも感じました。ナチスのホロコーストには終止符が打たれましたが、今なお世界の各地で他者を差別しての争いは絶えません。同じ悲劇を繰り返さないでほしいという監督の思いを感じたひと時でした。 (咲)

スケールの大きな作品を作る女性監督というのは、どんな感じの人かと思っていました。今までの作品から、正直、男性と同じような表現の仕方をする監督だなとも思っていました。
お話を聞いて、確かにそういうところはあるけど、この実話を、どうしても映画として表現したいという思いを感じました。そして、ホロコーストの時代を描いた作品はたくさんあるけど、自分ならではの作品、今まで描かれてこなかったような作品を作ろうという強い意志を持った監督だと思いました。
『あの日 あの時 愛の記憶』も、ホロコーストの時代を生き抜いた人を描いた作品で、こちらもアンナ・ジャスティスという女性監督が作っています。
戦後67年たっても、まだまだ描かれる必要がある分野の作品を、女性監督が担う時代になったんだなと思いました。(暁)

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(取材:宮崎暁美(撮影)、景山咲子(文))
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